茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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七福神

2011年01月13日 | Weblog
笑って暮らすも一生泣いて暮らすも一生同じ暮らすなら笑って暮らせ

いつの時代からか七福神それぞれが笑顔で楽しそうな絵になったのはこの言葉からだそうです。
七福神は恵比須、大黒天、弁才天、毘沙門天、布袋和尚、福禄寿、寿老人の7人の福の神のことで、七福神信仰は室町時代末期頃の京都に始まったといわれています。こうした福の神の広がりを背景に、当時人気の福の神であった西宮の夷三郎、比叡山の三面大黒天、鞍馬の毘沙門天、竹生島の弁才天女を中心に布袋和尚と福禄寿、寿老人が加わり、京都で七福神が生まれました。
七福神は、はじめから七神がそろっていたわけではありませんし六神でもなく八神でもなく、七神にこだわったのは、仏教経典の「七難即滅七福即生」や中国の「竹林の七賢」にちなんだといわれています。
 『江戸の小さな神々』(宮田登著)によりますと、京都では恵比須、大黒天、弁才天、布袋、毘沙門天までの五福神が一般的で、江戸に行ってから福禄寿と寿老人が加えられ、七福神となったといいます。
寺院を巡る「七福神めぐり」として江戸時代に全国的に大ブレークしますがそのきっかけは、徳川家康の政治指南役天海僧正による、七福神信仰の奨励だといわれています。恵比須は律儀(または清廉)、大黒天は有徳、毘沙門は威光、弁才天は愛敬、布袋は大量、福禄寿は人望、寿老人は寿命を表し、これら七徳によって天下を統一したので、皆も神仏の七徳を拝めるよう願ってのことです。
いわゆる縁起物からの徳は、その寺院の霊験あらたかな宝物や物語に由来し、その福を持ち帰るところから生まれたようです。人々は目出度いこと財産長生き人徳幸運と欲張りのように願いますが、現世の御利益そして先祖の供養この二つの願い叶うようにとして七福神信仰がより.人気高くなったそうです。
やがて江戸時代生まれた江戸七福神は、深川夷の宮のえびす、本所五百羅漢の布袋、麹町善国寺の毘沙門天、向島白髭大明神の寿老人、上野池端の弁財天、伝通院の大黒天、福禄寿だけは探しあてられず星ヶ岡南極を拝んですませた話もあります。
今では数多い七福神ですから、皆様にとっての七福神参り、楽しんで下さいませ。気の合う神様きっといらっしゃいます

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