茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

明菴 栄西禅師忌日

2009年06月05日 | Weblog
今日は、喫茶の習慣を日本に伝えたことでも有名である明菴 栄西(みんなんようさい)禅師がお亡くなりになられた日です。
仏教宗派・日本臨済宗の開祖、建仁寺の開山。
天台密教葉上流の流祖。

永治元年(1141年)4月20日、備中(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽(かや)氏の子として誕生しました。
11歳で地元安養寺の静心(じょうしん)和尚に師事し、13歳で比叡山延暦寺に登り翌年得度、天台・密教を修学します。そののち28歳と47歳に二度の渡宋を果たす。
2回目の入宋においてはインドへの巡蹟を目指すも果たせず、天台山に登り、万年寺の住持虚庵懐敞(きあんえじょう)のもとで臨済宗黄龍派の禅を5年に亘り修行、その法を受け継いで建久2年(1191)に帰国。

建久6年(1195年)博多の聖福寺(しょうふくじ)を開く。
また、鎌倉に出向き将軍源頼家の庇護のもと正治2年(1200年)寿福寺が建立。
その2年後、建仁寺の創建により師の大願が果たされ、建保3年(1215年)7月5日、75歳、建仁寺で示寂。

師は在宋中、茶を喫しその効用と作法を研究、茶種を持ち帰り栽培し、「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を著すなどして普及と奨励に勤め、日本の茶祖としても尊崇されています。
我が国に茶の種が入ったのは、古く奈良朝時代。平安時代には、貴族・僧侶の上流社会の間に喫茶の風が愛用されました。

喫茶の法の普及と禅宗の伝来とは深い関係がありました。
禅宗僧侶の集団修道生活の規則は、すでに中国において唐代に確立し、これを清規といいます。「清規」とは清浄なる衆僧の規則という意味で、その清規の中に茶礼・点茶・煎茶や茶についての儀式が多くあります。
特に座禅の際行う茶礼は、眠気覚ましには特効薬的意味もあって、修道にはなくてはならない行事のようです。

栄西が広めら得た茶へのこだわり、心に私も厚くなるものを感じます。
茶をとおして私ができる果たすべき何かをもとめて生きたいです。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。