みちくさ茶屋

いらっしゃいませ。どうぞごゆるりと。

女川・神輿担ぎ 前編

2014-05-15 | people
ゴールデンウィークの5月2日夜から4日にかけて、宮城県女川町に行ってきた。
熊野神社で行われる例大祭に参加するためである。
初めての「震災ボランティア」だった。でも「ボランティアに参加してきた」という感は薄い。それよりも、私自身が大きな学びを得て帰路に着いた。
あれから10日が経ち、日々の雑多な出来事を前に、早くも過去になりつつある。いろんなことを感じたはずなのに、想いも記憶も風化してしまうのがこわい。
すごく長くなるけれど、備忘録も兼ねて、ここにきちんと記録したい。また、このブログを知っていて読んでくださる方、何らかの検索でひっかかってこの記事に来てくださった方の、何かのご参考になればと思う。

女川復興事業のため、現在の場所にある熊野神社は移転となるので、ここでのお祭りは今年で最後。しかし、女川町は震災後の離町率がとても高く、神輿の担ぎ手がいない。
そこでボランティア団体が企画した「神輿担ぎボランティア募集!」の案内を見つけたのが、今年3月11日の夜だった。寝付けなくて布団の中でスマホをいじっていて、たどりついた。

「一緒にねり歩くだけでOK!」「女性・お年寄り大歓迎!」
「お祭り大好き、神輿好き、東北好き、ただ行ってみたいな~って方、出番が来ましたよ~!」


そのコピーを何度も何度も読んだ。

あの震災から3年、ずっと「何かしたい、でも、自分に何ができるんだろう?」と、悶々としていた。
きっとそんな人が日本中にたくさんいると思う。
相方は震災後すぐに瓦礫撤去の手伝いに行っていたが、私にそんな力仕事はできない。足手まといになるだけだ。
行動はもちろん、震災関連について言葉にすることもためらわれた。
何を言っても何をしても、「偽善じゃないか」「傲慢じゃないか」「見当違いな空回りじゃないか」…そんな自問自答が始まってしまうと、動けなかった。

だから、「神輿担ぎボランティア」を見つけたとき、「何かしたい」の「何か」を探し当てたような気がした。ボランティア保険の加入が義務付けられ、名目は「震災ボランティア」だったけれど、そもそも神輿担ぎはお金をもらってする「仕事」じゃない。
女川の人たちが「遊びに来てね!」と言ってくれているのだ。それなら「遊びに来たよ!」と顔を出していいんだよね? 一緒にお祭り楽しんでいいんだよね? そう思った。

2日の夜、東京駅から参加チームと一緒に夜行バスに乗った。
私はひとり参加だった。宮城に行くのは初めてで、ひとり旅も夜行バスも20年ぶりくらいだった。
バスに乗り込み、ほどなくして、団体代表社のAさんから説明があった。
配布されたプリントを見ながら、行程の案内のあと注意事項を伝えられる。
例大祭における個人での写真撮影は禁止とのことだった。

「写真は、伝えるため・語り継ぐためにとても必要なものです。しかし、多くの方が犠牲になられた被災現場で、外部からやってきたたくさんの人々がカメラ(スマホ)片手に次から次とシャッターを切ったとしたら…そんな光景は被災された方々の目にはどう映るでしょうか?」

気が引き締まる想いがした。
私は、フルに充電したデジカメを持ってきていた。当然、スマホもだ。つまり、写真をたくさん撮ろうと思っていた自分がたしかにいたのである。
少し前、すごく好きだった居酒屋が火事になった。私はたまたまそこに居合わせていて、茫然と立っていた。野次馬たちがパシャパシャとスマホで写真を撮っている姿を「なんて醜い。なんていやらしい」と、いまいましい気持ちで見た。彼らが薄ら笑いを浮かべていて、目がキラキラしていたからだ。
もちろん、私を含めたボランティア組は、被災地の写真を撮りながら薄ら笑いを浮かべたり目をキラキラさせるつもりはまったくないけれど、現地の方からしたら、それに少し似た、少し近い状況になりかねないのではないか。
携帯電話普及のおかげで、写真撮影はごくごく身近なものになった。それ自体は悪いことではないけれど、日本が今、見落としている「デリカシー」の部分がそこなんじゃないかと、あらためて思った。

団体のカメラマンが代表で撮影したものを「ご自由にどうぞ」ということなので、祭りの風景はそれをいくつか掲載させていだく。

3日の朝、女川に到着。バスではほとんど寝られなかったが、体はシャンとしていた。
今回、団体に応募した人数は58人。全体を合わせると、全国から150人のボランティアが集まったそうだ。
男性ばかりだと思っていたら、思いのほか女性も多い。女神輿もあって安心した。
私は非力なので「ねり歩きにやる気まんまん」だったのだが、「ねり歩き用と、神輿担ぎ用、どちらのハッピにしますか?」と尋ねられ、つい「神輿担ぎ用でお願いします」と手を伸ばしていた。


本堂に続く200段の階段。


いざ出陣。中央で髪をちょんと束ねている黄色い帯がわたし。


神輿の向こうに見える平地。かつてここに、家やお店が建ち並んでいた。
津波の後、ここまで整備するのに、どれだけ大変だったろうと思う。


休憩をはさんで、神輿担ぎを交代しながら6時間歩いた。
掛け言葉は「チョーサイ、チョーサイ」


女川を生きる人々の、雄々しい姿。
鳴り続く太鼓。


神輿が通るのを待っていたという表情で、現地の方がうれしそうに家の外に出てきてくれていた。
にこにことこちらを見ているおばあちゃん、手を合わせてくださるご婦人、「来てくれてありがとう」というおじさんの涙声…
忘れられない。
直接お話することはなくても、こんなふうに笑顔を交わすことができて、「会いに」こられて、本当によかった。

お母さんと手をつないでいる2歳くらいの男の子もいた。
獅子舞をじいっと見ている。
「この子は震災後に生まれたのかな」と思い、その子のお母さんにいろいろな想いを馳せた。


後編につづく。


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