3月20日
横浜みなと博物館「横浜港と生糸貿易」のシンポジウムに
出席しました。
それを取り上げた神奈川新聞のサイトはこちら
カナコロの3月21日記事(←クリック)
また神奈川新聞の記事は
当日はお彼岸の中日で、春らしいいいお天気でした。
参加者も100名ほどということで、シンポジウムの会場には
たくさんの人が入って、知っている顔も何人もいらして、
うまく話せるかと緊張しました。
今回は横浜の地ではじめて速水堅曹のことを話すので、
どういう仕事をしたのか、堅曹の生き方、人物像などを話しました。
この内容をどうするかで、ずいぶん悩みましたが、
息子に「一番伝えたいことを話せばいい」と言われ、
堅曹の生糸一筋のブレナイ生き方を軸に話をまとめました。
履歴だけなら誰でも話せるし、調べればわかること。
それより自分が何年も調べて考えてわかったことを話せばいい、と
おもったのです。
はじめて速水堅曹という人物を知ってもらうには
ちょっとわかりにくかったかもしれない、と
終わってみれば反省も多々ありますが、
もし次の機会を与えられるのであれば、
よりうまく堅曹のことを伝えられるようにがんばろうとおもいました。
会場にきてくれた娘からのメールには感想の最後に
「やっぱりお母さんは堅曹に恋しちゃったのね!」でした。(笑)
記事にある同伸会社で庄内藩出身の高木三郎を思い出しました。
人名辞典からですが経歴を載せておきます。
高木三郎 1841-1909 明治時代の外交官,実業家。
天保(てんぽう)12年生まれ。アメリカに留学し,日本公使館書記官となり,その後サンフランシスコ副領事,ニューヨーク領事を歴任。
明治13年速水堅曹(はやみ-けんそう)らと横浜に同伸会社を設立。31年社長となり,日本産生糸直輸出の道をひらいた。
明治42年3月28日死去。69歳。出羽(でわ)鶴岡(山形県)出身。
コメントありがとうございます。
堅曹はフィラデルフィア万博の審査官として渡米したときに、サンフランシスコ副領事の高木三郎と知り合います。そして帰国後同伸会社を立ち上げる時に、たぶん外務省からヘッドハンティングしたのだとおもいます。
高木三郎はその後同伸会社を最後まで面倒をみて、彼が亡くなって同伸会社も閉じられるのです。
同伸会社といえば高木三郎といわれるほど生糸貿易に精通した人物でした。