5月11日(日曜日)
あさ9時半に根岸駅に集まり、まずは三渓園へ行きました。
メンバーは歴史WGの相棒Tさん、夢酔い人Kさん、幕末オタクMさん、堅曹さんの姉、梅さんの御子孫Eさん、Nさんです。
あいにくの雨でしたが、Y園長みずから解説をしていただくことになり、願ってもいない展開にちょっと興奮ぎみです。
総勢6人で鶴翔閣の外観と臨春閣の内部見学。ここは2階からのながめを堪能しました。
臨春閣2階からの眺め
途中から総務部長のNさんも加わり細部の解説もお聞きしながら、つづいて聴秋閣、春草廬などを案内していただきました。
その後我々だけで外苑の三重塔、燈明寺本堂、東慶寺仏殿、旧矢篦家住宅の見学。
この矢篦家住宅は白川郷から移築してきた江戸時代からの合掌作りです。内部も公開されていて養蚕道具や古民具も展示され、いろりには薪もくべられ、意外な見どころでした。
いろり 内部
外苑のほうの庭園は先月見学した「天神山」と似ているような感じもずいぶんと受けました。
お昼は園内の待春軒で「三溪そば」。三溪さんがお茶会のときに考案されたものだそうです。
細いうどんですが、パスタとうどんの間のような麺で、汁なし、具を混ぜて食べる物でした。
想像できない味でしたが、おいしかったですね。
食事中、待春軒のご主人が群馬の前橋ご出身ということで、たくさんお話を伺いました。
最後に三溪記念館を見学。
そうこうしている間に4時間近くも三溪園に滞在してしまいました。
少人数のよさで、たっぷりと気の済むまで新緑の三溪園を味わいました。
もう、雨もやんできました。
さあ、次は関内、桜木町方面へむかいます。
堅曹さんが明治13年(1880)設立した直輸出会社「同伸会社」の跡地。
尾上町6丁目の大江橋角です。
広い交差点の一角です。
河口沿いにあり、物資の搬入などに船が使われたのではないかとおもいました。
大江橋交差点
そして次に向かったのは、堅曹さん終焉の地、横浜市南太田(現、西区霞ヶ丘)です。
明治37年(1904)に開通した市電(現在はバス)の「久保山」停留場の階段をあがったあたりです。
この停留場のレンガの階段と門柱(大正2年建立)は震災にもこわれず、見事に残っています。
この角から奥ににかけてが堅曹さんの家のあった場所。高台なので横浜港の景色が一望だったと聞いています。
次は野毛山に行きました。
ここは明治時代、生糸で財をなした豪商原善三郎と茂木惣兵衛の別荘がありました。
関東大震災で壊滅した別荘地を横浜市が購入し、現在の野毛山公園と動物園になっています。
原家の別荘のあったあたりを歩きました。
野毛山動物園入り口
展望台からの眺め
そこから水道配水池の横をとおり、展望台から横浜の街を見渡し、霞ヶ丘のほうへ向かいます。
地元に詳しいEさんの案内です。
今日最難関の藤本実也邸探索です。
現在はお住まいはありませんので、当時の住所をたよりに探していきます。
大体が丘陵地なのですが、表通りからなかへ入っていくと、急傾斜の坂道を下り、、しかも車が一台通れるくらいの道幅です。
歩き回るしかありません。
おおよその住所のところにいき、このあたりかなと見ていると、なんと一本の桑の木が生えていました。
生糸検査所に長く務め、生糸関係の名著を数々著した藤本氏にふさわしいような気がして、皆でそれを見つめ、場所に納得してしまいました。
そうして日の出町の駅へもどり、最後はMさんが知りたかった、幕末にフランス伝習隊が訓練をした太田陣屋跡を探しました。
当時の地図の場所と今の地図と照らし合わせ、EさんがJRAの場所だと教えてくれました。
この日は場外馬券を求める人で、JRAからぞくぞくおじさんたちがでてきます。
なんとなく兵士の人波のように感じ、馬と伝習隊も繋がりがあるような気がして、皆でえ~と驚いたり、笑ったり。なんとも不思議でした。
これで予定通り見たかったところを回り、発見もでき、とても満足のいく見学会となりました。
雨だったので、車2台でまわりましたが、それでも1万歩くらいは歩きました。
楽しい充実した2日間でした。
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