ここに2枚の写真があります。
①は2年前、群馬県立歴史博物館で偶然見つけた、堅曹さんの写真。
これは私が「写っている人は速水堅曹です」と言うまで、
「洋装の男性」というキャプションがついた小川一眞という明治時代の有名な写真家の
貴重な一枚という写真でした。
このブログを始めた時真っ先に記事(←クリックすると読めます)に書いています。
そしてもう一枚の②は
『日米生糸貿易史料 第一巻・史料編1』 加藤隆 阪田安雄 秋谷紀男編 1987
という群馬県出身でアメリカで日本の生糸貿易を成功させた先駆者、星野長太郎・新井領一郎兄弟の
史料集の本の口絵ページに載っている速水堅曹の写真です。
キャプションは 速水堅曹〈天保10年~大正2年〉 (UCLA所蔵) となっています。
先日の歴史WGの時、一緒に勉強している夢酔い人Kさんが、午前中にこの本の写真を見つけ、
あの小川一眞の写真と同じだ!とおもい、コピーをとってきて、指摘してくれました。
こうして並べてみると、全く同じ肖像写真ですね。
ただ、①は手札版といわれるもので、名刺サイズの小さいもの。
②は口絵なので大きさははっきりしませんが、
楕円の形で背景や洋服も①にくらべると多く写っています。
実はこの本は3年前から持っており、何度も②の写真は見ていて、
UCLAに堅曹さんの写真があるなら、いつか行って見てみたいなと思っていたのです。
てっきり堅曹さんがアメリカに行った時に撮って、新井領一郎に渡したものだと思っていました。
ですので、2年前に県立博物館で①の写真をみつけた時にも全く比較しなかったのです。
その時に①と②を比べていれば、すんなりと速水堅曹の写真だと確定できたのにと
今更ながら悔やんでいます。(ちょっとゴタゴタしたので)
ほんとうに夢酔い人Kさんの鋭さには頭がさがります。
それに引き換え、私の思い込みゆえいままで気がつかない愚鈍さにわれながらがっかりです。
①の写真を寄託されていた行田市立郷土博物館・元副館長のTさんにお知らせしたところ、
大変驚かれ、この2枚の写真の解説をしてくださいました。
おそらく4×5インチ程度の大きさの湿版で撮影した原版があったのだろうとおもいます。
それを鶏卵紙に焼きつける際に、顔だけを名刺サイズで焼いたのが富岡にあった写真で、
焼き枠で楕円形に縁をカットしたのがUCLAなのでしょう。
したがって、UCLAのほうが、富岡の写真より大きい紙焼き写真かと思います。
なるほど、同じ原版から作られていることがはっきりしました。
とてもうれしいです。
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