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堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

庄内研修旅行② 松岡株式会社

2009-07-15 00:14:53 | 旅行記

さて、研修旅行一日目の松ヶ岡開墾場の見学も無事おわり、

その日の宿、湯野浜温泉に着きました。

日本海に面したホテルで、天気がよければきれいな夕日がながめられたでしょうに、

雨も本降りになってしまい残念でした。


大広間での食事もおわり、夜は同室となった同年代の女三人、

夜が更けるまで話し続けました。

こうしたことも泊まりの研修会ならではの楽しみですね。



翌10日は朝からものすごい暴風雨。

警報まで出てしまい、出発を40分ほど遅らせました。


Cimg8766  ホテルからの景色 暴風雨で波が荒い


お陰でゆっくり朝食をとることができ、昨日見学した松ヶ岡開墾場のことを島村の方と話しました。

手本となった島村の養蚕農家の現役の頃を知っている方です。

松ヶ岡が島村の養蚕農家と決定的に違うのは、2階のまわりに張り出しがないことだという。

そういえば、群馬で見る養蚕農家は必ず2階の庇の下には張り出した広縁があり、

それが特徴だと教わった覚えがあります。


Cimg7202  島村の養蚕農家


この写真は見本となった島村の養蚕農家ですが、ちょうど2階の張り出しのところに女性が立っています。

これは養蚕の最盛期には2階は蚕でいっぱいになってしまうので、

家人は外の張り出しを通って部屋に出入りするしかないためにつくられたそうです。

なるほど、普通の養蚕農家では家族や手伝う人がたくさん住みながら養蚕をおこないますが、

松ヶ岡のように農家といっても工場のような使い方であった建物には、そこまでの必要はなかったのかもしれません。

そんなことを教えてもらい納得しました。




8時40分にホテルをでて、致道博物館にむかいます。

するとなぜか太陽が顔を出し、傘をささずに見学ができました。


Cimg8832  致道博物館


致道博物館は鶴ヶ岡城の三の丸跡に明治時代の擬洋風建築の建物や民家など歴史的建物を移築して博物館としています。


Cimg8809  致道博物館内


それぞれの建物の中に庄内地方の民俗資料などが展示されています。

ここでも昨日にひきつづき、館長の酒井忠久氏が解説をしてくださいました。


この博物館のなかに「旧渋谷家住宅(田麦俣多層民家)」というのがありました。


Cimg8798  旧渋谷家住宅(田麦俣多層民家)


Cimg8813 解説板(クリックすると読めます)


みんなとはサッと見学しただけでしたが、解説板に「養蚕をしていた」と書いていてあったので、

Nさんと二人で途中で戻ってきて、靴脱いで二階に上がったり、3階を覗いたり、奥のほうまでぐるぐる見てまわりました。


貫禄があります。

柱や梁の煤のつき方が半端ないです。


Cimg8818  3階へあがる階段と家の内部


兜造りの茅葺屋根の感じや中の様子は群馬の富沢家住宅と似ているとおもいました。

養蚕の時期になると2階や3階いっぱいに蚕を広げていたということや、

煙出しだった「はっぽう」という窓が養蚕をするようになって採光窓に改作されたということが

中に書いてありました。

昨日見学した松ヶ岡のように、そのためにつくられた養蚕農家ではなく、

もともとの農家で明治になってから、松ヶ岡ではじめられた養蚕がこの地にひろがり、

このように天窓をもつ形に変えた建物があったんだと知り、

それを見ることができてよかったね、とNさんと二人で喜びました。



さて遅れないようにバスに戻り、

次は今回の研修のもうひとつの目的、松岡株式会社の見学です。

明治20年鶴岡につくられた製糸場は後に酒田市に移転します。

鶴岡からバスで庄内平野と最上川を眺めながら酒田にむかいます。


Cimg8836  庄内平野


Cimg8854  最上川


製糸場は松岡株式会社の本社の一部門ですが、

現在日本には群馬県の碓氷製糸農業協同組合とここ松岡株式会社の2社しか製糸場がありません。

日本の製糸業の最盛期(昭和26年)には300ちかくもあった大規模機械製糸工場。

それが60年近くたってここまで衰退してしまい、まさに最後の砦です。

そんな製糸場を是非なくならないで欲しいという願いをこめて、この目で見てみたかった。


Cimg8848  松岡株式会社
 

Cimg8842  玄関


監査役とその他数名の方が案内をしてくださいました。

まずは見せていただいた工程順に

1、繭乾燥のところから。昔は24時間フル稼働だったが、今は日中だけ。

  そして今はトレーサビリティーということで少量の繭を乾燥することも多いのだそうです。


Cimg8845  繭乾燥場


写真はここまでOKで、これ以降の工程については禁止でした。


2、乾燥させた繭を保管しておく「蜂の巣倉庫」。

  つくりが蜂の巣のようなのでこのような名前だそうです。


3、繰糸はなんと現在富岡製糸場の繰糸場のなかにある機械と全く同じものでした。

  昭和47年頃設置したそうで、37年たってもいまだ現役です。

  いつも富岡で止まっているのしか見ていない私たちは、

  同じ機械だよ!と皆うれしそうに見つめていました。


4、隣で揚げ返しが行われていました。

  繰糸された5個の枠を一つの大枠にどんどん巻き取っていき、

  糸が途中で切れると女性社員さんがさっと糸をつなぎます。

  説明をしていた男性社員のかたが、自分は最初に1ヶ月間この糸つなぎを練習したけれど、

  なかなかうまくできなくて、とても難しい作業だったと話してくださった。

  揚げ返しの途中で、昔ながらのレトロな道具をもってきて、糸をそれに巻き取っていました。 

  それは糸の太さのデニールを計るものだそうで、太さは巻き取った糸の重さでわかるのだそうです。


5、最後は仕上げ工程で、27デニールの生糸7万メートル分を「長手造り」という形にまとめます。


いろいろ質問に答えてもらいながら見学させてもらったので、よくわかりました。

最後に部屋にあつまって質疑応答をして、製糸場の現状や今後について貴重な話を聞かせていただきました。


社員の方たちに見送られて工場をあとにしました。


Cimg8850  工場遠景



鶴岡に戻り昼食をとり、お土産を買って一路群馬へ。

また7時間ほどかかりましたが、

車内で庄内平野や最上川がロケ地となっている映画「おくりびと」を上映してくれたので、

今見てきたばかりの景色を思い出しながら、いい時間が過ごせました。


2日間とおして、やはり現地にきてみると得られることは多かったという思いと、

ある方から詳細にレポートしてって頼まれたこともあり、

すこし長くなりましたが、見たことや感じたことをできるだけ書いてみました。

ここまで読んでくださってありがとうございました。


庄内研修旅行① 松ヶ岡開墾場

2009-07-13 23:50:40 | 旅行記

7月9日10日と富岡製糸場世界遺産伝道師協会で山形県へ研修旅行に行ってきました。

山形といっても場所は鶴岡市と酒田市です。

どうして世界遺産活動で庄内なの?ということですが、


時は明治4年までさかのぼります。

庄内地方は庄内平野で有名な米どころで、元来養蚕や織物が盛んな土地ではありませんでした。

豊富な農作物を北前船にのせて京都へ届け、その帰りに京都の呉服をもってきて織物は間に合ったということです。

それが明治維新となり、庄内藩が解体され、藩士の授産として養蚕はどうだろうかと考えたのが

群馬県とのつながりがはじまったきっかけです。


養蚕をして当時破格の値段で海外に売れた蚕種をつくり旧藩士たちの生活基盤をつくりあげようとしたのです。

そこでまず養蚕をする場所を開墾することからはじめました。


明治5年から2年間、3000人の士族が原生林を開墾するために数千本もの松の木を切り、

体を使って311haの土地を耕し、桑の木を62万5千本も植えたのでした。

そして養蚕の先進地区であった群馬県の島村に17名が研修にいきました。

70日間泊り込みで養蚕の仕方を一から習い、帰郷後島村と同じ養蚕農家を造り、養蚕をはじめました。

そして苦闘の連続だった開墾も3年目にはやっと蚕種がとれ

800枚の種紙となり初めて横浜に出荷できたのでした。

それはそれはたいへんな事業でした。


その地は「松ヶ岡」と名付けられ、結局養蚕農家は10棟も建てられたのです。

その後、養蚕で作られた繭を糸にするため器械製糸場をつくり

富岡製糸場の一等工女が指導にきました。

このとき工女を派遣したのは、富岡製糸場長をしていた速水堅曹だとおもわれます。

その製糸場が現在日本にもう2ヶ所しかない製糸場のひとつ、松岡株式会社です。

次はその糸を織物にしようと、こんどは群馬の桐生に織物の修行に行き、

それが輸出用絹織物の「羽前羽二重」となります。


そうやって10年20年かけて庄内藩士授産は軌道にのっていきました。

その養蚕農家が130年以上たった現在、5棟が立派に残っているといいます。

そこで今回は養蚕農家のある松ヶ岡開墾場と松岡株式会社を見学に行くことにしました。




前置きと研修の目的はこのくらいで、さて9日の朝7時に前橋に集合。

島村蚕種の会の方との合同研修だったので、両方あわせて30人ほど。

大型バスで一路鶴岡を目指します。

バスは座席が3列でゆったりしていて足置きがあったり、両方に肘掛がついていたりと、

長時間の乗車に少々窮屈さは覚悟していたのですが、とても快適でした。


天気はあまりよくなく、雨が降ったりやんだり、湿度はたかくて、まさに梅雨。

関越自動車道から新潟にでて日本海を左手にみながら海岸線をずっと走ります。

海は穏やかですがどんより曇り空。


Cimg8659_2  海岸線より見える日本海と粟島


Cimg8655_2  昼食は村上市の岩船港で


太陽は顔を出していないので、今晩の宿で夕日を眺めるのは望み薄です。



結局7時間ほどバスに揺られ、ようやく午後2時過ぎに鶴岡市内を抜けて松ヶ岡開墾場に着きました。

原生林を切り開いてつくられた大型養蚕農家群てどんなんだろう、と近づくにつれ期待がたかまります。

到着しました。


Cimg8663_2  バスの中から


おお~!

勇壮な養蚕農家が目に入ります。一棟が大きいです。


Cimg8670_2   4番蚕室


Cimg8675  4番蚕室



敷地の真ん中に桜並木がありその両側に整然と農家が並んでいます。


Cimg8744  桜並木


Cimg8673_2  案内図


これは由来からして、養蚕農家という形をとっている養蚕工場という建て方です。

群馬をはじめ各地の養蚕農家というのは、全くの個人が養蚕を営むために自宅をそれに適した形につくっているものです。

ですから大きな敷地に全く同じ形の養蚕農家が均等にならんでいる、などというのはきっと全国でもここだけではないでしょうか。



さて、それらの農家群を見ながら桜並木の道をすすみ、

一番奥にある「松ヶ岡開墾記念館」となっている1番蚕室に行きました。


Cimg8683  1番蚕室「松ヶ岡開墾記念館」


ここは一番最初に建てられた建物で、このときは鶴岡城をこわした材料を持ってきて建てたので、

10棟のなかでも一番いい材料が使われているそうです。

大きさは間口21間(37,8m)、奥行き5間(9m)です。


中にはいりました。

おおきな土間があり、一階は歴史をたどる資料が展示されています。

鶴岡織物組合理事長の田中氏の解説をききながら資料をみていきました。


Cimg8702  一階で説明を聞く


何枚も古写真があります。

なんとまさに藩士たちが髷をおとしたザンバラ頭で、農民の格好をして一生けん命、

鍬を手に開墾をしている写真がありました。


Cimg8694  開墾をしている写真


Cimg8697  開墾をしている写真


皆、若い青年達、なかには少年といえるぐらいの子供もまじっています。

身なりはまずしいが決して悲壮な感じがせず、新しいことに挑戦しているという

エネルギーと希望に満ちた顔をしています。


そしてまたこの松ヶ岡の開墾が成功したのを知り、明治8年北海道開拓使長官の黒田清隆から要請をうけて

北海道の開墾に200名もの庄内藩士が指導に行きます。

その北海道での写真があり、全員なんともいえない自信に満ちたいい顔をしていました。

惚れ惚れとするくらいです。

まさに明治の黎明期を感じさせる写真でした。

古写真好きには、この一枚の写真をみれただけでもここにやってきた甲斐があったとおもいました。



そんな資料をみて、今度は2階にあがります。

こちらでは土人形が展示されていますが、中の構造や屋根裏の具合が見ることができます。


Cimg8716  2階


柱はお城の廃材をつかっただけあって、立派なものです。

真ん中に柱がずっととおされ、天井はトラスのようになっています。


Cimg8713_2


Cimg8711  真ん中の柱


床板なども今までみてきた養蚕農家のものと比べると、とてもしっかりしたものでした。


Cimg8734  一階の床


Cimg8719 階段を上がったところ


3階ははしごをかけて上がるようになっていました。

ここは雪国のため天窓にはしっかり板がはれるようになっていて、明かりが差しこんでいません。


Cimg8720  天井


また雪のための補強として一階の庇の骨にすべて柱が立てられています。

とにかく大きく頑丈なつくりの内部でした。



さて、こんどは2番蚕室「一翠苑」のなかの侍カフェに行き、そこで藩主酒井家18代目の酒井忠久氏と

資料館でも解説をしてくださった田中氏からお話をうかがいました。

松ヶ岡の歴史を実にわかりやすく、そして現在この遺産をどのように活用しているかなど

説明してくださいました。


Cimg8681  2番蚕室「一翠苑」


Cimg8743  「侍カフェ」にて18代目と19代目



この残っている5棟のうち一棟は今見学した資料館、もう一棟はこのカフェと展示スペース(写真展と織物展をしていました)。


Cimg8741  写真展の様子


あと2棟は鶴岡が藤沢周平の出身地で彼の小説を舞台にこの庄内で多くの映画が撮られていることから、

映画関係のスペースとしてつかわれています。


Cimg8679  3番蚕室「庄内映画村株式会社」


Cimg8747  5番蚕室「庄内映画村資料館」


あと一棟、4番蚕室はこれから改修をするそうです。

真ん中の桜並木では毎年クラフト展が開催され、それだけで3万人もの来場者があるそうです。

そういったイベントや利活用はとてもうまくいっているようにおもいました。

そして若い人たちのセンスがそこかしこに活かされています。

そういえばまだ若い酒井家19代目はカフェでコーヒーをいれてくれました。


時間があれば全部の棟を見学したかったです。

名残惜しく開墾場を後にしました。

つづく。


リヨンのゴブラン織り 屏風になる

2009-06-30 23:55:34 | 旅行記

昨年の11月にフランスのリヨンに行ったとき、リヨン商工会議所でおこなわれていた

シルクマーケット(le marche des soies) で購入したゴブラン織りの布地。 (←クリック)


Cimg7307  買ってきた生地


一目見たときに、これは屏風にしようとおもい、

どのくらいの長さを買ったらいいのかわからなかったけれど、

130cm幅の生地を3m買って帰りました。

後で知ったのですが、生地を購入したお店はフランス王室御用達のお店だったそうです。



帰国してから知り合いの表具やさんに、布地の柄を生かして屏風に作ってくれるよう頼みました。

屏風という和風の調度品にフランスのゴブラン織りの生地がうまく納まるのか?

そういったものはいままで見たことがありませんでしたが、

とにかくこの生地でタペストリーでもなく、衝立でもなく、

屏風をつくりたい、と強くおもったのです。

少し横長の変形の屏風になるということでした。



さて、それが今日出来上がってきました。

どんな風に出来てきたか楽しみです。


表具やさんが馴れた手つきで品物を箱から出し、くるんである布の袋をはずします。

二つ折になった屏風を開く瞬間は、あっと息を呑むおもいです。



 Cimg8627 屏風を開きました


 Cimg8632 枠の色が効いてます


すごい!

真ん中の孔雀の柄がぴったりと決まって、とても綺麗!

布地は光によって玉虫色のように見え方が変わります。


 Cimg8638 花鳥風月のゴブラン織り


高さ120cmで幅125cmの屏風を開くと、幅が3m近くにもなり、

とても大きく、重厚な感じです。


屏風は木と紙からつくられているのですが、その木の部分を担当した職人さんが

相談していたのより、いいものを作ってくれたとかで、

枠は堅木(かたき)で四隅は金具ではなく、木で組ませて(?)あります。

枠の色がちょっとすてきです。



 Cimg8639 裏面もちょっと凝ってます


フランスで織られた生地が日本の屏風になっても全然違和感がない。

とてもゴージャスだけど、オリエンタルな雰囲気がいい感じ。

予想以上の出来で、ちょっと感動です。

表具やさんに

「わざわざフランスから持ってきた甲斐がありましたね。」と言われてうれしかった。


フランスの旅 報告会&写真交換会

2008-12-21 23:46:37 | 旅行記

フランスの旅行記全部書いて、やっと一息。

もしかしたら、旅行中よりくたびれたかも。(笑)



12月19日午後、富岡製糸場でその旅行報告会と写真交換会が開かれました。


Cimg6894  富岡製糸場 門


Cimg6897  製糸場 繭倉庫


Cimg6895  製糸場 事務所


行って来ました。

また、みんなに会えるのかと思うと、ワクワクしました。




富岡製糸場は堅曹さんが働いて、住んでいた場所で、唯一建物が残っている場所です。

製糸場に行くと、

ここにいたんだ、ここで仕事をしていたんだ!

14年間もここに住み、この地に立ち、

この空を、山を見ていたんだ! とおもうだけで、うれしいですね。

いつもそんな感情をもってしまいます。





Cimg6898  報告会を行なった製糸場食堂入り口


参加者の8割はあつまったでしょうか。

市長さんから挨拶があり、その後、順番にひとりづつ旅行の感想を述べました。

  世界遺産についてとても勉強になった、

  交流会で知り合った人と有効な話ができた、

  パリやリヨンの町の素晴らしさに驚いた、

  お腹もこわさずおいしいものが食べられて満足、

等々みんなそれぞれにとても楽しかったようです。


わたしもとてもよかったと感想を述べ、

旅行記をブログに書いたので、良かったらブログ読んでみてください!

と話しました。

パソコンをやらない方もいるとおもい、旅行記を印刷して綴じて2冊ほどもっていきました。


Cimg6901  フランス旅行記


A4に印刷したら、なんと63ページにもなってしまいました。

ブログだとボリュームがわからなくて、ただズラズラと長~く下に伸びていくばかりですから。


すでにPCで読んでくださった方もいて、

「とてもおもしろかった」という、うれしい言葉もいただきました。


富岡市からは、集合写真3枚と写真を収めたCD、ビデオ撮影をDVDにしたものを

いただきました。


Cimg6908  集合写真やDVD


みんなとは、それぞれうつっている写真を交換。

鼻めがねかけて、メモをとったり、デジカメとってる自分の姿が多くて、

あれあれやっぱり歳ですね~、と苦笑いです。




旅行中ずっと一緒だったイングリッシュ・ティーチャーのⅠさんが仕事で欠席だったので、

桐生のSさんと、帰りに彼女の仕事場に寄りました。


また3人で懐かしく旅行のこと、これからのことたくさん話しました。

ひと月前には全く知らなかった人と、一週間共に旅をして、

こんなに仲がよくなるなんて。

お互い縁があって出会ったんだねえ、とつくづく語りました。


フランスの旅⑨ 帰国

2008-12-15 01:41:52 | 旅行記

とうとう日本へ帰る日となりました。

11月29日。

リヨンから又空路でパリに出て乗り継ぎ、日本へ一直線です。



荷物を朝7:00までに部屋のドアの前に出し、朝食をとって出発です。


Cimg6780  右の大きいほうが私のトランク


リヨンの空き時間で本屋さんにいって本を買ったり、マーケットで買った布地もありで、

そうでなくても最初から重いトランクが、MAXに重くなってしまいました。

ちょっと心配・・・。



ずっと一緒だった桐生のSさんはシルクマーケットに出品しているので、

まだリヨンに残ります。

一緒に朝食を食べながら、楽しかった旅行のこと、一人で帰ってくることの不安、

成果が出るのを祈っているからね、

と尽きない話をしました。


仕事で残られる方たちがバスを見送ってくれました。


Cimg6784  ピンボケですが


さようなら~。がんばってね~。とこちらも手をふりました。



今日は霧がでていてサン・テグジュペリ空港も来たときとは違う雰囲気です。


Cimg6789  霧にかすむ空港


エルメスで買い物した時にもらった免税書類を手にカウンターにいき手続きをしました。

次はいよいよトランクを預けます。

重さは....30kg!


どうりで重いはずです。

超過料金の説明を受けたら、え~!と思うほど高い。

どうしよう、と思ってオタオタしていたら、

隣の係りの人が、

「団体でトランクの軽い人もいるから、通してOKよ」(フランス語だから、多分そんな内容)

と私の係りの人に言ってくれて、追加料金なしで預けることができました。

ふう~。難関突破です。




国内線を一時間ちょっと乗って、パリに着きました。

Cimg6793  国内線搭乗機


シャルル・ド・ゴール空港。

乗り継ぎの時間は1時間15分あります。


添乗員のKさん、なんかピリピリしています。

私なんか、ちょっとでも時間あったらチョコレートぐらい買おうかな~、

なんて悠長にかまえていたら、トイレ終わったら、ドンドン国際線のほうに歩いていきます。


遠いのです。

広いのです。

そしてものすごく人がたくさん。

みんなはぐれないように必死でついていきます。


ふと、誰かが「○長のSさんがいない!」と言いました。

みんな見回します。

ザワザワ。

添乗員のKさん、顔がこわばります。

すぐに携帯でSさんを呼び出し、現在地にくるよう指示しています。



いつもいつも、人数かぞえて、確認していたKさん。

きっと乗り継ぎに関しては、それこそ乗り遅れたら大変なことになるので

あせっていたのだと思います。

<brf></brf>

国際線の入り口でもう一度手荷物検査が行なわれました。

空港職員がする前に、警察官がパスポートのチェックをするという厳重さです。

検査もすごくきびしい。

ブーツや靴は必ず脱がされる。 コートもカーディガンも。

パスポートまで機械を通される。


なかなか進まない。

そして搭乗ゲートから、今度はバスで飛行機まで移動。

時間がかかるはずです。

添乗員のKさん、わかっていたからピリピリしていたんですね。



団体で添乗員さんにくっついていくだけの私たちは、のんびりしていました。

旅行中ずっと私たちのお世話をしてくださったKさん、本当にありがとうございました。


   いつも買い物で集合に遅れ気味だったのに、いやな顔ひとつせず、

   曲がり角で大きく手をふって「こっちですよ~」と待っていてくれました。


   食事中はみんなの飲み物の希望を聞いて、注文して、と

   椅子に坐っている暇もありません。

   でもサササっと、すごい勢いで食べて、

   終わり頃には飲み物代を集めて計算して支払い。


   にこやかに! スピーディーに!

   見ていてすごいな~と感心してしまいました。




そんなこんなで、Sさんもすぐに来て、飛行機にやっと乗り込み、一路成田です。



Cimg6800  AF276便


Cimg6803 遠ざかるフランスの町


また、坐りっぱなしの12時間弱。

映画をみたり、レシートの計算したりしていました。


一緒の並びのTさんが途中で軽食のカップヌードルを持ってきてくれました。

「スパイシー」と書いてあります。

日本で売られているのより小ぶりの容器。

ちょっとピリッとして本当にスパイシーなお味。

おいしかった。


Cimg6810  Cimg6811

  Tさんサンドウィッチもアイスクリームも持ってきてくれました。ありがとう。


帰国後、新聞の記事に

機内食のカップヌードルは高度の違いで沸点が80~85℃なので、

その温度で美味しく戻り、伸びにくい麺にしてあるのだと、書いてあるのを読みました。

なるほどね~。



さて夜が明け、日本の上空にやってきました。

あまり眠れず、足も行きよりバンバンになって、さすがに疲れを感じます。


成田に近づいて、ずっと窓から外をみていると、

あ!富士山!が。


Cimg6831_2  クリックするともう少しよく見えます。


いそいで隣のⅠさんに声をかけると、

「行きに見たときより裾まで真っ白になっているね~。」と。

そうだ、行きは8合目ぐらいまでの冠雪でした。


この一週間で日本も一段と冬に近づき、山には雪が降ったんだなあ、と思いました。


   「富士山、行きにお姿を拝見できて、私のジンクス通りいい旅になりました。

    ありがとう!」


って心の中でつぶやきました。



成田到着は日付が変わって

11月30日、9:05。

晴れ。

最後まで天気に恵まれた、最高のフランスの旅でした。


     Merci beaucoup, A bientot !