先日、「あつぎのえいがかんkiki」にて、エリック・ロメール監督・脚本の1951年作品『紹介、シャルロットとステーキ』を観ました。
プログラムからあらすじを一部修正して転載させていただくと、
「真冬のスイスの村。一面雪に覆われた人っ子一人いない田舎道で、青年ヴァルテル(ジャン=リュック・ゴダール)は二人の女友だち━━シャルロット(声はステファーヌ・オードラン)とクララ(声はアンナ・カリーナ)━━を引き合わせる。ヴァルテルは、シャルロットがクララの美貌に嫉妬して自分のことにもっと関心を抱いてくれたのではないかと期待している。クララと別れた後、ヴァルテルは自宅に帰るシャルロットについて行き、彼女の家に強引に上がり込む。もっとも、シャルロットはヴァルテルに興味を持っていない。ヴァルテルはシャルロットによる食事の誘いを断るが、彼女はコートを着たままステーキを焼いて、まだ玄関マットの上にいるヴァルテルに一口食べさせる。ヴァルテルは、クララの方が美人だが自分はきみの方が好きなのだ、と話す。シャルロットはその言葉を信じないが、ヴァルテルが震えているのに気づいて、いったん拒んだキスを許す。その後ヴァルテルは、駅までシャルロットを見送った後、ひとり立ち去る。」
当時21歳のゴダールの姿が見られる貴重な映画です。どこか本人にも似た様子で、11分の短編ながら記憶に残る秀作です。
また、これも「あつぎのえいがかんkiki」で、エリック・ロメール監督・脚本の1958年作品『ヴェロニクと怠慢な生徒』を観ました。
やはりパンフレットのあらすじから一部修正して転載させていただくと、
「少年ジャン=クリストフの家を、彼の家庭教師を務めることになった若い娘ヴェロニク(ニコール・ベルジェ)が初訪問する。母親も「変わった子」だと認めるこの少年にはもちろん勉学に励む意思などなく、敬意を欠いた態度でヴェロニクに接し、彼女が投げかける質問には一々「知らない」と応じる。分数の割り算をやらせてみてもその基本原則を把握しているのかどうか疑わしいのだが、他方でヴェロニクを面食らわせるような質問をしたり屁理屈をこねたりもして、彼女の調子を狂わせる。授業中、ヴェロニクは自分のきつい靴━━足を細く見せるために新調したもの━━を密かに脱いで一息ついたりもする。やがて少年が、授業開始から1時間が経過したことに気づいたことで、「勉強時間」は終了となり、両者は内心ほっとしつつ別れを告げる。」
ニコール・ベルジェの魅力が横溢していて、一目惚れしてしまいそうになりました。当意即妙な子どものやんちゃぶりや、オルゴールの音楽はジャン=
ヴィゴを想起させるほどの素晴らしさで、何度も爆笑しました。19分という短さですが、ロメール監督の秀作です。
またやはり「あつぎのえいがかんkiki」で、エリック・ロメール監督・脚本、ネストール・アルメンドロス撮影の1966年作品『ある現代の女子学生』も観ました。
チラシから紹介の文章を転載させていただくと、
「女子学生が急増し、ほぼ男子と同じ比率になったパリ大学。科学の研究に勤しむ一人の女子学生の日常と刻々と変わりゆくパリの街並みを克明に切り取ることで、女性は結婚して家庭に入るものといった旧来の価値観が変わってゆく時代のうねりを、鮮やかに炙り出す“社会派”ドキュメント。強大なバリケードが築かれることになる「パリ五月革命」2年前のカルチェラタンの風景が鮮明に映された記録としても貴重な作品。」
女子学生の生き生きとした日常が淡々と描かれ、そこに女子学生本人のナレーションがかぶさるだけの映画なのですが、とても興味深く観ました。14分の短編ですが、ロメール監督の秀作だと思います。
プログラムからあらすじを一部修正して転載させていただくと、
「真冬のスイスの村。一面雪に覆われた人っ子一人いない田舎道で、青年ヴァルテル(ジャン=リュック・ゴダール)は二人の女友だち━━シャルロット(声はステファーヌ・オードラン)とクララ(声はアンナ・カリーナ)━━を引き合わせる。ヴァルテルは、シャルロットがクララの美貌に嫉妬して自分のことにもっと関心を抱いてくれたのではないかと期待している。クララと別れた後、ヴァルテルは自宅に帰るシャルロットについて行き、彼女の家に強引に上がり込む。もっとも、シャルロットはヴァルテルに興味を持っていない。ヴァルテルはシャルロットによる食事の誘いを断るが、彼女はコートを着たままステーキを焼いて、まだ玄関マットの上にいるヴァルテルに一口食べさせる。ヴァルテルは、クララの方が美人だが自分はきみの方が好きなのだ、と話す。シャルロットはその言葉を信じないが、ヴァルテルが震えているのに気づいて、いったん拒んだキスを許す。その後ヴァルテルは、駅までシャルロットを見送った後、ひとり立ち去る。」
当時21歳のゴダールの姿が見られる貴重な映画です。どこか本人にも似た様子で、11分の短編ながら記憶に残る秀作です。
また、これも「あつぎのえいがかんkiki」で、エリック・ロメール監督・脚本の1958年作品『ヴェロニクと怠慢な生徒』を観ました。
やはりパンフレットのあらすじから一部修正して転載させていただくと、
「少年ジャン=クリストフの家を、彼の家庭教師を務めることになった若い娘ヴェロニク(ニコール・ベルジェ)が初訪問する。母親も「変わった子」だと認めるこの少年にはもちろん勉学に励む意思などなく、敬意を欠いた態度でヴェロニクに接し、彼女が投げかける質問には一々「知らない」と応じる。分数の割り算をやらせてみてもその基本原則を把握しているのかどうか疑わしいのだが、他方でヴェロニクを面食らわせるような質問をしたり屁理屈をこねたりもして、彼女の調子を狂わせる。授業中、ヴェロニクは自分のきつい靴━━足を細く見せるために新調したもの━━を密かに脱いで一息ついたりもする。やがて少年が、授業開始から1時間が経過したことに気づいたことで、「勉強時間」は終了となり、両者は内心ほっとしつつ別れを告げる。」
ニコール・ベルジェの魅力が横溢していて、一目惚れしてしまいそうになりました。当意即妙な子どものやんちゃぶりや、オルゴールの音楽はジャン=
ヴィゴを想起させるほどの素晴らしさで、何度も爆笑しました。19分という短さですが、ロメール監督の秀作です。
またやはり「あつぎのえいがかんkiki」で、エリック・ロメール監督・脚本、ネストール・アルメンドロス撮影の1966年作品『ある現代の女子学生』も観ました。
チラシから紹介の文章を転載させていただくと、
「女子学生が急増し、ほぼ男子と同じ比率になったパリ大学。科学の研究に勤しむ一人の女子学生の日常と刻々と変わりゆくパリの街並みを克明に切り取ることで、女性は結婚して家庭に入るものといった旧来の価値観が変わってゆく時代のうねりを、鮮やかに炙り出す“社会派”ドキュメント。強大なバリケードが築かれることになる「パリ五月革命」2年前のカルチェラタンの風景が鮮明に映された記録としても貴重な作品。」
女子学生の生き生きとした日常が淡々と描かれ、そこに女子学生本人のナレーションがかぶさるだけの映画なのですが、とても興味深く観ました。14分の短編ですが、ロメール監督の秀作だと思います。