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山田詠美『血も涙もある』その7

2021-11-24 09:59:00 | ノンジャンル
 その夜、ぼくたちは地元の回転寿司で海の幸を堪能し、ホテルの最上階の温泉につかり、部屋に戻って酒を飲み、おおいに喋った。(中略)
 翌日訪れた日本庭園由志園の牡丹は、聞きしに勝る豪華さだった。(中略)
「和泉桃子さん、月がとっても綺麗ですね」
 通りすがりの人々がくすくすと笑った。当たり前だ。真っ昼間だよ!?

「並木さん、今日、なん日? 『コン・アモーレ』の撮影日過ぎてないわよね?」
 心臓発作で倒れて病院に運ばれ、意識を取り戻した瞬間に口にした台詞が、これ。沢口喜久江先生、あなたという人は。(中略)
 先生の秘書になって、早や十年近くになりますが、いまだにあの方が、どういう人間であるのか把握しきれていないところがあります。(中略)

 頬がこけたという言い方は当たらないな、と美大で私の生徒だった沢口太郎の話に耳を傾けながたも思っていた。やつれたというのとも違う。そういう、みすぼらしさを感じさせる言葉も相応しくない。ずいと鋭角的になった彼の顎には、形容しがたい微妙なニュアンスが漂っている。色男度が増したな。(中略)
 私は、少なくない数の教え子たちと友人同士のように付き合って来た。気楽に、親密に、対等の絵描きとして交わるべし、というのが、うちのモットー。そのため、大昔のパリに実在した、ちんぴらごろつき芸術家グループに、「三井アパッシュ」などと揶揄されて来た。その内、それが我がサロンの実際の呼び名になった。(中略)
「三井さん、おれ、このままで良いんですよね」
「そりゃそうさ。牡丹の池でもあお向けになって溺れかけてたオフィーリアの手を、引っ張り上げてやったんだろう? 人命救助だ。安心して表彰されろ」
 へへっ、と笑って、沢口くんは立ち上がり暇(いとま)を告げた。(中略)人生なんて、傷口から流れる血を舐めてくれる人と、流れる涙を拭ってくれる人が側にいてくれるだけでこと足りるんじゃないのか? そうだろう? ミーちゃん。

 とても読みやすく、楽しい小説でした。社会の網にからまれて苦しんでいる方がいらっしゃったら、この小説を読めば、心が洗われると思います。