昨日の続きです。
玄関のドアが開く気配がして、アメリア・サックスが帰ってきたのだとすぐにわかった。(中略)「サックス! さっそく見せてくれ」
サックスが入口に現れ、全員に挨拶代わりに軽くうなずいた。それから証拠品袋が詰まったケースをクーパーに私、受け取ったクーパーはかたわらに置いた。クーパーは分析官と証拠物件の両方を互いから守る防護具をひととおり着けていた━━シューズカバー、手袋、帽子、ゴーグル。(中略)
クーパーが背筋を伸ばしてGC/MSのモニターをのぞきこんだ。「おお。当たりだぞ。リンカーン。フードのものと思われる繊維から、クロロホルムが検出された。あともう一つ、オラザピンも」
「何だそれは、睡眠薬か?」デルレイが訊く。「誘拐犯の御用達ドラッグ?」
クーパーはキーボードを叩いている。「抗精神病薬の一般名だ。かなり強い薬だよ」
「犯人が服用してるのかな。それとも被害者か?」セリットーが言った。
ライムは言った。「メディアバイイングの起業家と心の病はうまく結びつかない。犯人のものだろう」(中略)
(電話を受けたデルレイは)一同に向き直って言った。「アイオワ州デモインの支局長だ。さすが俺のだいしんゆうb、まじめに働いてるようでな、NCICの通知を眺めてるところに、地元の女性から電話があったそうだ。息子がYouVidを見てたとかで━━ほら、動画通信サイトだよ、おぞましい動画を垂れ流してる。男が首吊り縄で絞め殺される動画がアップされてるそうだ。確認したほうがいい」(中略)
「何だこれは」セリットーがつぶやいた。
人間の体力や気力は、あの姿勢でどのくらいの時間、持ちこたえられるのだろうか。脚が萎(な)えたり、、意識が遠のいたりした瞬間、首吊り縄に体重を預けることになる。(中略)
動画は続いている。音楽は少しずつテンポを落とし、それに合わせてあえぎ声の間隔も空いたが、曲のリズムとは完璧に一致していた。
それに合わせて映像は暗くなり、男性の姿はしだいに薄れていく。
長さ三分ほどの動画の再生が終わると、音楽と苦しげなあえぎ声もフェイドアウトして消え、画面は真っ暗になった。
そこに、血のように赤い文字が浮かび上がった━━通常の動画のあとなら表示されて当然の表記なのに、このときばかりは言うに言われぬ残酷さを醸(かも)し出していた。
©The Composer
(中略)
「ちょっと見てくれ、リンカーン」メル・クーパーは(中略)GC/MSの分析結果を見ていた。
「靴跡があった周辺の微細証拠か? 何か踏んづけていたか」
「そのようだ。向精神薬のオランザピンもまた検出された。ほかにもう一つある。(中略)硝酸ウラニル」
「そう来たか」
デルレイが眉をひそめて尋ねた。「どうした、リンカーン? 何かやばいもんが出たってことか?」(中略)
今度はセリットーが訊いた。「硝酸ウラノス。物騒な物質なのか」
「“ウラニル”だ」ライムはいらいらと誤りを正した。「物騒に決まっているだろう。硝酸にウラン塩を溶かした物質だぞ、ほかにどう表現する?」
「リンカーン、ちゃんと説明してくれよ」セリットーは辛抱強く言った。
「放射性物質だ。腎不全や急逝尿細管壊死(えし)を引き起こす。爆発性もあって、きわめて不安定な物質でもある。しかし、私が驚いたのは、よい意味でだよ、ロン。犯人がその物質を踏みつけてくれていたことを歓んでいる」
デルレイが言った。「おそろしく、ものすごく、それこそ小躍りしたくなるくらい珍しい物質ってわけだな」
「ご名答だ。フレッド」
ライムは説明した。硝酸ウラニルは(原爆を作るマンハッタン計画で使用されたが、原爆の)製造と組み立ての一部は、ニューヨーク周辺で行われていた。ブルックリンのブッシュウィックにあった会社が硝酸ウラニルの製造を請け負ったが、必要な量を製造できず、途中で契約を返上している。その会社はずいぶん前に倒産しているが、工場跡にいまも残留放射線がある」(中略)
音が聞こえて、ステファンは凍りついた。
〈ブラック・スクリーム〉なみに深い不安をかき立てる音。といっても、この音は小さくて弱々しい。携帯電話が鳴らすビープ音だ。
だがその音は、工場の敷地に誰かが侵入したことを告げている。敷地入口に設置した安物の防犯カメラとWi-Fiで接続されたアプリからの警告だ。
嘘だろう……すまない、どうか怒らないでくれ! ステファンは頭のなかで女神に懇願した。
隣室を見やる。ロバート・エリスは木箱の上で危なっかしくバランスを取っていた。次に携帯電話をもう一度確かめた。カメラから送られてきた高解像度のカラー映像は、60年代か70年代の真っ赤なスポーツカーをとらえていた。入口のゲート前で停まった車から、赤毛の女が降りてくる。腰に警察のバッジを下げていた。女に続いて、パトロールカーが続々と到着しようとしていた。
(また明日へ続きます……)
玄関のドアが開く気配がして、アメリア・サックスが帰ってきたのだとすぐにわかった。(中略)「サックス! さっそく見せてくれ」
サックスが入口に現れ、全員に挨拶代わりに軽くうなずいた。それから証拠品袋が詰まったケースをクーパーに私、受け取ったクーパーはかたわらに置いた。クーパーは分析官と証拠物件の両方を互いから守る防護具をひととおり着けていた━━シューズカバー、手袋、帽子、ゴーグル。(中略)
クーパーが背筋を伸ばしてGC/MSのモニターをのぞきこんだ。「おお。当たりだぞ。リンカーン。フードのものと思われる繊維から、クロロホルムが検出された。あともう一つ、オラザピンも」
「何だそれは、睡眠薬か?」デルレイが訊く。「誘拐犯の御用達ドラッグ?」
クーパーはキーボードを叩いている。「抗精神病薬の一般名だ。かなり強い薬だよ」
「犯人が服用してるのかな。それとも被害者か?」セリットーが言った。
ライムは言った。「メディアバイイングの起業家と心の病はうまく結びつかない。犯人のものだろう」(中略)
(電話を受けたデルレイは)一同に向き直って言った。「アイオワ州デモインの支局長だ。さすが俺のだいしんゆうb、まじめに働いてるようでな、NCICの通知を眺めてるところに、地元の女性から電話があったそうだ。息子がYouVidを見てたとかで━━ほら、動画通信サイトだよ、おぞましい動画を垂れ流してる。男が首吊り縄で絞め殺される動画がアップされてるそうだ。確認したほうがいい」(中略)
「何だこれは」セリットーがつぶやいた。
人間の体力や気力は、あの姿勢でどのくらいの時間、持ちこたえられるのだろうか。脚が萎(な)えたり、、意識が遠のいたりした瞬間、首吊り縄に体重を預けることになる。(中略)
動画は続いている。音楽は少しずつテンポを落とし、それに合わせてあえぎ声の間隔も空いたが、曲のリズムとは完璧に一致していた。
それに合わせて映像は暗くなり、男性の姿はしだいに薄れていく。
長さ三分ほどの動画の再生が終わると、音楽と苦しげなあえぎ声もフェイドアウトして消え、画面は真っ暗になった。
そこに、血のように赤い文字が浮かび上がった━━通常の動画のあとなら表示されて当然の表記なのに、このときばかりは言うに言われぬ残酷さを醸(かも)し出していた。
©The Composer
(中略)
「ちょっと見てくれ、リンカーン」メル・クーパーは(中略)GC/MSの分析結果を見ていた。
「靴跡があった周辺の微細証拠か? 何か踏んづけていたか」
「そのようだ。向精神薬のオランザピンもまた検出された。ほかにもう一つある。(中略)硝酸ウラニル」
「そう来たか」
デルレイが眉をひそめて尋ねた。「どうした、リンカーン? 何かやばいもんが出たってことか?」(中略)
今度はセリットーが訊いた。「硝酸ウラノス。物騒な物質なのか」
「“ウラニル”だ」ライムはいらいらと誤りを正した。「物騒に決まっているだろう。硝酸にウラン塩を溶かした物質だぞ、ほかにどう表現する?」
「リンカーン、ちゃんと説明してくれよ」セリットーは辛抱強く言った。
「放射性物質だ。腎不全や急逝尿細管壊死(えし)を引き起こす。爆発性もあって、きわめて不安定な物質でもある。しかし、私が驚いたのは、よい意味でだよ、ロン。犯人がその物質を踏みつけてくれていたことを歓んでいる」
デルレイが言った。「おそろしく、ものすごく、それこそ小躍りしたくなるくらい珍しい物質ってわけだな」
「ご名答だ。フレッド」
ライムは説明した。硝酸ウラニルは(原爆を作るマンハッタン計画で使用されたが、原爆の)製造と組み立ての一部は、ニューヨーク周辺で行われていた。ブルックリンのブッシュウィックにあった会社が硝酸ウラニルの製造を請け負ったが、必要な量を製造できず、途中で契約を返上している。その会社はずいぶん前に倒産しているが、工場跡にいまも残留放射線がある」(中略)
音が聞こえて、ステファンは凍りついた。
〈ブラック・スクリーム〉なみに深い不安をかき立てる音。といっても、この音は小さくて弱々しい。携帯電話が鳴らすビープ音だ。
だがその音は、工場の敷地に誰かが侵入したことを告げている。敷地入口に設置した安物の防犯カメラとWi-Fiで接続されたアプリからの警告だ。
嘘だろう……すまない、どうか怒らないでくれ! ステファンは頭のなかで女神に懇願した。
隣室を見やる。ロバート・エリスは木箱の上で危なっかしくバランスを取っていた。次に携帯電話をもう一度確かめた。カメラから送られてきた高解像度のカラー映像は、60年代か70年代の真っ赤なスポーツカーをとらえていた。入口のゲート前で停まった車から、赤毛の女が降りてくる。腰に警察のバッジを下げていた。女に続いて、パトロールカーが続々と到着しようとしていた。
(また明日へ続きます……)