さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず10月31日に掲載された「野党連合政権という選択」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「今日が投開票日の衆院選。安倍政権下の国政選挙とは大きく異なる様相を呈している。激戦区が増え自民党の大物議員が次々に落選する事態もありうる状況だ。
激戦区の一つが香川1区だ。前デジタル大臣の自民党・平井卓也氏と統計不正で政府を追及した民主党・小川淳也氏の一騎打ち。これまで平井氏の5勝1敗。2017年の選挙では小川氏は希望の党から出馬し、約2千票の差で惜敗した。その選挙戦の模様は映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」(大島新監督)に活写されている。
希望の党は、集団的自衛権の行使を認める違憲立法、安保法制の存続を認めていた。映画の中に強烈なシーンがある。支持を訴えて街を歩く小川氏。自転車に乗った男性が小川氏に気づき停車して叫ぶ。「お前、安保法制反対しとったじゃろが!」「イケメンみたいな顔しやがってお前。心はもう真っ黒やないか!」。希望の党により野党は分裂され、一強多弱の状況で自民党は大勝した。
今回は違う。決定的に違うのは市民連合と立憲野党4党の間で20項目にも及ぶ共通政策が結ばれたことだ。安保法制は違憲部分を廃止する。この共通政策により、野党連合政権の樹立が現実的な選択になった。
苦悩の中から再起し野党統一候補として旗幟(きし)を鮮明にした小川氏。平井氏を倒せるか?」
また、11月3日に掲載された「旧民主党の10年」と題された斎藤さんのコラム。
「本紙2日の「こちら特捜部」が効いたのか!? 立憲民主党の枝野幸男代表が辞意を表明した。
敗因は「共産党と組んだからだ」という人と、「連合を意識して共産党を冷遇したからだ」という人がいて、どちらが正解かはわからない。ただ同党には足元が定まらない政党のイメージが常につきまとっていた。
2012年の衆院選で旧民主党が下野した際の獲得議席は57。一方の自民党は294だった(定数は現在より15議席多い480)。これがいわゆる安倍一強時代のはじまりで、以後旧民主党は迷走をくり返す。維新の一部と合併して民進党と党名を変えたり(16年)、希望の党騒ぎで枝野氏が立憲民主の旗を揚げるも(17年)、国民民主との合流で躓(つまず)いたり(20年)。
不思議なのは離合集散をくり返しても、「党の顔」が十年前と変わっていない点だった。維新の41、国民民主の11、れいわの3議席は「じゃないほうの野党」を求めた結果といえる(12年衆院選での維新の獲得議席は54、14年は41。維新の集票力はもともと高かったのだが)。
立憲に期待している人は、しかしまだ多い。今衆院選の獲得議席は96。57議席から再スタートしたのだ。立て直しは可能だろう。執行部一新で党勢が上がるとよいね。枝野さん、お疲れさま。」
そして、11月7日に掲載された「政治教育の貧困」と題された前川さんのコラム。
「今回の衆院選の投票率は、戦後三番目に低い55.93%にとどまった。特に若い世代で低い。この低投票率の背景には、日本の学校における政治教育の貧困がある。
教育基本法一条は教育の目的として「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成を定め、十四条一項は「良識ある公民として必要な政治的教養」の尊重を求めている。政治教育は学校教育の重要な柱なのだ。
一方で教育基本法十四条二項は「特定の政党を支持し、又(また)はこれに反対するための政治教育その他政治的活動」を禁じている。この「教育の政治的中立性」は、長期保守政権が学校教育から政治問題を遠ざける大義名分に使われてきた。政権に反対する意見を授業で紹介するだけで「偏向教育だ」と攻撃する政治家もいる。政治家の恫喝(どうかつ)に怯(おび)える教育委員会や学校管理職は「触らぬ神に祟(たた)りなし」と政治教育を避けようとする。
2015年10月の文部科学省通知は、高校で「現実の具体的な政治的事象」も扱うように求めた。憲法改正、安保法制、核兵器禁止条約、脱原発、気候危機、金融所得課税、選択的夫婦別姓、同性婚なども学習課題にすべきなのだ。対立する意見を公平に紹介すれば政治的中立性は確保できる。大事なのは生徒が自分の意見を持つことだ。教師は臆せず怯(ひる)まず政治教育に取り組んでほしい。」
どれも一読の価値のある文章だと思いました。
まず10月31日に掲載された「野党連合政権という選択」と題された前川さんのコラムを全文転載させていただくと、
「今日が投開票日の衆院選。安倍政権下の国政選挙とは大きく異なる様相を呈している。激戦区が増え自民党の大物議員が次々に落選する事態もありうる状況だ。
激戦区の一つが香川1区だ。前デジタル大臣の自民党・平井卓也氏と統計不正で政府を追及した民主党・小川淳也氏の一騎打ち。これまで平井氏の5勝1敗。2017年の選挙では小川氏は希望の党から出馬し、約2千票の差で惜敗した。その選挙戦の模様は映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」(大島新監督)に活写されている。
希望の党は、集団的自衛権の行使を認める違憲立法、安保法制の存続を認めていた。映画の中に強烈なシーンがある。支持を訴えて街を歩く小川氏。自転車に乗った男性が小川氏に気づき停車して叫ぶ。「お前、安保法制反対しとったじゃろが!」「イケメンみたいな顔しやがってお前。心はもう真っ黒やないか!」。希望の党により野党は分裂され、一強多弱の状況で自民党は大勝した。
今回は違う。決定的に違うのは市民連合と立憲野党4党の間で20項目にも及ぶ共通政策が結ばれたことだ。安保法制は違憲部分を廃止する。この共通政策により、野党連合政権の樹立が現実的な選択になった。
苦悩の中から再起し野党統一候補として旗幟(きし)を鮮明にした小川氏。平井氏を倒せるか?」
また、11月3日に掲載された「旧民主党の10年」と題された斎藤さんのコラム。
「本紙2日の「こちら特捜部」が効いたのか!? 立憲民主党の枝野幸男代表が辞意を表明した。
敗因は「共産党と組んだからだ」という人と、「連合を意識して共産党を冷遇したからだ」という人がいて、どちらが正解かはわからない。ただ同党には足元が定まらない政党のイメージが常につきまとっていた。
2012年の衆院選で旧民主党が下野した際の獲得議席は57。一方の自民党は294だった(定数は現在より15議席多い480)。これがいわゆる安倍一強時代のはじまりで、以後旧民主党は迷走をくり返す。維新の一部と合併して民進党と党名を変えたり(16年)、希望の党騒ぎで枝野氏が立憲民主の旗を揚げるも(17年)、国民民主との合流で躓(つまず)いたり(20年)。
不思議なのは離合集散をくり返しても、「党の顔」が十年前と変わっていない点だった。維新の41、国民民主の11、れいわの3議席は「じゃないほうの野党」を求めた結果といえる(12年衆院選での維新の獲得議席は54、14年は41。維新の集票力はもともと高かったのだが)。
立憲に期待している人は、しかしまだ多い。今衆院選の獲得議席は96。57議席から再スタートしたのだ。立て直しは可能だろう。執行部一新で党勢が上がるとよいね。枝野さん、お疲れさま。」
そして、11月7日に掲載された「政治教育の貧困」と題された前川さんのコラム。
「今回の衆院選の投票率は、戦後三番目に低い55.93%にとどまった。特に若い世代で低い。この低投票率の背景には、日本の学校における政治教育の貧困がある。
教育基本法一条は教育の目的として「平和で民主的な国家及び社会の形成者」の育成を定め、十四条一項は「良識ある公民として必要な政治的教養」の尊重を求めている。政治教育は学校教育の重要な柱なのだ。
一方で教育基本法十四条二項は「特定の政党を支持し、又(また)はこれに反対するための政治教育その他政治的活動」を禁じている。この「教育の政治的中立性」は、長期保守政権が学校教育から政治問題を遠ざける大義名分に使われてきた。政権に反対する意見を授業で紹介するだけで「偏向教育だ」と攻撃する政治家もいる。政治家の恫喝(どうかつ)に怯(おび)える教育委員会や学校管理職は「触らぬ神に祟(たた)りなし」と政治教育を避けようとする。
2015年10月の文部科学省通知は、高校で「現実の具体的な政治的事象」も扱うように求めた。憲法改正、安保法制、核兵器禁止条約、脱原発、気候危機、金融所得課税、選択的夫婦別姓、同性婚なども学習課題にすべきなのだ。対立する意見を公平に紹介すれば政治的中立性は確保できる。大事なのは生徒が自分の意見を持つことだ。教師は臆せず怯(ひる)まず政治教育に取り組んでほしい。」
どれも一読の価値のある文章だと思いました。