杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

緑茶王国しずおかの誇り「天下一製法」

2012-11-15 14:18:15 | 歴史

 報告が遅くなりましたが、11日(日)、富士市立博物館の旧稲垣邸で行われた富士市茶手揉み保存会の実演を取材しました。あいにくのお天気で寒くてお客さんは少なかったけど、ベテラン茶師の熟練の技を半日じっくり観察できました。

 

Dsc01066

 

 稲垣邸というのは文化元年(1804)に建築された富士市最古の茅葺屋根の民家で、博物館の敷地に移築保存されました。時々使ったほうがいいということで、博物館では市民対象でそば打ち体験、かまどご飯炊き体験などを行っているそうです。こういDsc01069
う施設があるっていいですねえ。

・・・もちろん私は、囲炉裏端で地酒研究会の仲間と酒を酌み交わす妄想にふけりました(笑)。くわしくはこちらを。

 

 

 

 

 Dsc01087
 富士には幻の製茶法といわれる『天下一製法』という手もみ技術が伝わっています。茶葉を縫い針や蜘蛛の足のように細く長くもみあげる。こんなふうに針山かクリスマスツリーみたいに積み上げて、もみ上げ技術の高さをデモするんです。今年6月には中国浙江省の緑茶博覧会に出展し、現地の人の目を釘付けにしたそうです。

 

 自分が取材して書いた記事はまだ公表できないので、とりあえず、参考資料にいただいた博物館学芸員・井上卓哉さんの文を紹介します。

 

 

 

 

【野村一郎と天下一製法~幻の製茶法をめぐって】

 

 富士の茶業の歴史は(中略)、『駿河国新風土記』によれば、「山中を上の一路とす、其の民、良材を伐て桴を下し、茶を製し、紙を製し、薬草の採などを業す」とあります。また『富士郡茶業史』によれば、岩本村で寛文年間(1661~1672)頃から茶の製造を始めたという記載や、大渕村に大正7年当時に樹齢300年を超える茶樹があったと記載されています。こうした記述から、江戸時代の中黒には茶業が富士に住む人々の重要な産業になっていたことが推測でき、現在では全国で製造量の70%を占める煎茶ではなく、現在の基準でいうところの「番茶」が盛んに製造されていたようです。

 

 

 

 煎茶は、元文3年(1738)に京都宇治の茶業者・永谷宗円によって初めて製造され、各地に普及します。とくに安政6年(1859)に横浜港が開港されると、茶は生糸とともに日本から輸出する花形商品となりました。しかしながら、この当時の富士の茶業は未熟なもので、他の茶産地から遅れをとっていました。

 

 

 このことを危惧し、富士の茶業の発展に尽くしたのが野村一郎でした。天保3年(1833)に西比奈村(現富士市比奈)に生まれた野村一郎は、若くして名主をつとめるかたわら、治水工事などの公益事業を熱心に行った人物です。

 

 

 野村一郎は、富士山の南麓・愛鷹山の西北に位置する内山と呼ばれる原野山林を開拓し、茶樹の栽培をすすめるとともに、優れた手もみ製法技術を持つ茶師と呼ばれる職人を雇い入れ、伝習所を開いて職人の育成を行います。

 とくに明治4年(1871)には茶師の中でも有名であった静岡の市川源之助、遠州の赤堀玉吉、江州佐平など優秀な職人を雇い入れました。その中でも成績のよかった赤堀玉吉とともに手もみの方法を研究し、独自の製法を開発しました。明治9年(1879)、この製法によって製造された茶を横浜に出荷したところ、絶賛を浴びて、居留地の百一番地のイギリス人茶商と中国人茶商から【天下一品茶製所】の扁額を贈られました。その後、野村一郎らが開発した茶製法は“天下一製法”と呼ばれるようになり、九州や四国をはじめ、日本各地へと広がることになります。

 

 

 一方で、明治時代には、手もみ製法から機械による製茶へと変化していく時代であり、製茶機械の導入とともに、優れた手もみ技術が次々と姿を消していきました。天下一製法も例外ではなく、現在では、その製法は明治・大正時代の文献から読み取れる範囲で部分的に継承されているだけで、幻の製法となっています。

 

 

 しかし近年、茶業の振興の目的で富士市茶手揉保存会と静岡県茶業試験場富士分場が中心となって、天下一製法の発祥地である富士の地で、其の製法への復活の研究が行われています。まだその全容の解明には課題もあるとのことですが、近い将来、富士の発展に生涯を捧げた野村一郎が、ふたたび富士の茶業の振興に貢献する日がやってくるのかもしれません。

Dsc01077

 

 

 
 この文は6年前のもので、今現在、天下一製法はほぼ復活し、2013年に市販できる体制になりました。富士市茶手揉保存会の平柳会長はじめ、保存会の皆さんに、実際に実演を見せていただき、揉み始めから6時間かかってこの針山が出来るまでを観察させてもらいました。・・・いかに針のようにまっすぐピンとさせるか、同じ方向に伸ばすよう細心の注意を払ってもみ上げていきます。

 

 

 

 

Dsc01059

 

 

 ちなみにこの方は御歳94歳の山本精作さん。現役です・・・!

 

 

 Dsc01064

 こちらの記事にも書きましたが、手揉み技術は機械製法になっても絶やすことのできない、緑茶王国しずおかの鉄板技術です。「手揉みの技が向上すると、機械の調整も上手になるんだ」と平柳会長。「子どもたちにお茶づくりの話をするときも、“機械まかせだ”なんて言えないからね」と職人の矜持をキリッと語ってくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 平柳さん自身は、お茶では難しいとされる無農薬無化学肥料農法を続けています。海草や魚かすなどミネラル豊富な海の栄養分を肥料にし、雨が降っても流出しないよう、田んぼの葦を刈って茶畑に敷いてフィルター代わりにしているそう。富士山麓の茶畑では、かつて井戸水から農薬が検出されたことがあり、その苦い経験から、「おいしい水は、おいしいお茶の最後の砦。せめて子どもたちが川遊びできるようにしてあげたい」と水環境の改善に努めています。

 

 

 手揉み技術とは、茶葉の状態をよくよく観察し、最良の状態に仕上げるきめ細やかさと、目指すところのレベルの高さがなせる業です。そういう感性と価値観を持つ職人ならば、茶葉が育つ自然環境をないがしろにはできないのも道理。日本酒の杜氏と同じです。

 

 

 天下一製法によって作られた『天下一品茶』は、来年から市販が始まります。この日、お試し販売していたのは、10グラムで1000円というプライス。・・・ちょっと手が出ませんでしたが、ちょこっと試飲させていただいた限りでは、玉露と見紛うほどの“甘涼しい”味わい。・・・煎茶でこのレベルまで到達できるのかと感動しました。茶師さんたちに静岡酵母の大吟醸を、杜氏さんたちに天下一品茶を飲ませてあげたい・・・つくづく思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き物文化誌学会と映画『カミハテ商店』

2012-11-12 22:49:04 | アート・文化

 11月10日(土)は生き物文化誌学会の例会が開かれた東京農業大学に行ってきました。テーマは【日本の園芸植物~いかに芽生え、独自の発展を遂げたか】。ちょうど今、静岡県産の花卉園芸の取材をしていて、江戸時代に日本を訪れたシーボルトはじめヨーロッパの学者たちが、日本の植物の豊かさに驚き、開国後はプラントハンターが世界からやってきて日本から世界へ広がった花も少なくないという例会の案内文に惹かれたのです。

 

 講演1では農学博士で学会理事長の湯浅浩史先生が、日本の野山の自生する花が、庭の花となってヒトの観賞対象になった変遷を『万葉集』を紐解きながら解説してくれました。

 

 万葉集の全4,516首のうち、3分の1が何らかの植物に関する歌だそうです。種類別でいえば木竹が74種、草木が77種、シダ・コケ・キノコ・モが12種、異名を含めるとトータルで191種類もの植物が詠まれています。

 

 多く詠まれた花ベスト10を挙げると、①ハギ②ウメ③マツ④タチバナ⑤アシ⑥サクラ⑦スゲ⑧ススキ⑨ヤナギ⑩フジという順位。以下、ナデシコ、チガヤ、イネ、ウツギ、コモ・・・と続きます。花を人にたとえて詠まれるようになり、花は野山から庭に移植されるようになります。日本人で最初の園芸家は万葉集に472首もの歌を残した大伴家持といわれ、彼は自宅の庭に20種ほどの花を植えていたそうです。

 恋人にたとえるならヤマブキやナデシコやユリ、形見に植えるのはハギやマツ、造園用にはツツジやアセビなど目的別に栽培していたこともうかがえます。万葉集が生物学の参考史料になっているということが非常に面白く、日本的だなあと思いました。

 

 

 講演2では東方植物文化研究所主宰の荻巣樹徳氏が、江戸時代に独自の発展をした日本の伝統園藝について解説されました。

 

 荻巣氏によると、伝統園藝とは、①江戸時代に生まれた日本独自の美意識、②野生種ではない、③文化的素養に基づいた名前を持つ―と定義づけられます。

 最大の特徴は、キク、ナデシコ、アサガオなどの“変わり花”や、オモト、マンリョウ、カラタチバナ、ヤブコウジ、ナンテン、マツバランなどの“変わり葉・斑入り葉”を生み出したこと。変わった形状のことは、花の藝、葉の藝と呼ばれ、いかに高度な“藝”かが競われ、人気番付や名鑑が作られ、投機の対象にもなったそうです。このことから伝統園芸の芸の字は【藝】という旧字にこだわっているとか。現代のような交配技術のなかった時代、変わり花や変わり葉というのは、病変と紙一重。そういうきわどいところに美意識を持っていた江戸の人って、外国人から見たら本当にユニークだったでしょうね・・・。質疑応答のとき、最前席で聴講されていた秋篠宮殿下(学会の運営理事のお一人)が「“藝”の意味を皆さんにもう少し詳しくご説明されては?」とフォローされたので、とてもよく理解できました。

 

 そういえば先月、久能山東照宮に取材Photoに行ったとき、境内でオモトを売っていて、家康が愛好していたことを知りました。オモトって万年青って書くんですね。

 

 

 江戸の伝統園藝は、植物のみならず、観賞する道具立てとして、飾り鉢、鉢を置く卓や棚、戸外や室内での飾り方、観賞作法まで事細かに決められ、相応の知識や教養と、道具立てを可能にする職人技術も必要とされました、いわば、江戸の美意識と教養が創りだした総合藝術のようなもの。荻巣氏は「これほどの高度な文化を持ちながら、茶道や華道のように発展しなかった。産業に走りすぎた」と今の園芸業界の状況を憂います。継承保存環境が不安定な品種は、絶滅の危機に瀕しており、世界に類を見ない園藝文化を持っていたことを、世界に向けて堂々と発信できない状況ともいえます。

 

 荻巣氏からはこんな印象的な言葉も聞けました。「栽培とは、原産地の条件を再現することではない。原産地よりさらによい条件をつくらなければ、栽培する意味がない」。日本の伝統的な自生種が少しずつ絶滅していく一方で、海外からさまざまな新品種を導入し、あれこれ改良を加える。農産物でもそうですね。「日本人が自らの存立基盤を確かめるには、現在を支えている過去の部厚い日本文化と対話するよりほかにないのだが、江戸の園藝文化の所産である栽培品種群はその対話を可能にする」。・・・私も、酒や茶はじめ静岡の食文化を取材していく上で、これがなぜ日本で、静岡で存在しているのかを確かめるのに、歴史を学ぶことがいかに重要か、日々痛感しています。

 

 

 

 

 

 夜は渋谷ユーロスペースでこの日から公開が始まった山本起也監督の『カミハテ商店』を観に行きました。

 

 

 舞台は、山陰の港町・上終(カミハテ)。断崖絶壁の自殺の名所のそばにある古い商店に、自殺願望者が立ち寄ってコッペパンと牛乳を口にし、絶壁から飛び降りる。黙って見送り、靴を持ち帰る商店の女主人(高橋惠子)と、死にたい状況でも死にきれない都会暮らしの弟(寺島進)と、2人を取り巻く人々の関係性が淡々とつづられます。

 

Dsc_0014
 監督が教鞭をとられる京都造形芸術大学映画学科の学生と協働で創った作品ということで、ストーリーに多少の既視感や荒っぽさがあるものの、台詞の説明を最小限にし、【画】で語らせる監督らしさが伝わってきました。

 とりわけカメラと役者の距離感が素晴らしく、ライティングも秀逸。舞台となった港町は、『朝鮮通信使』でロケをした対馬の最北の港町を思い起こさせました。・・・寒村だけど現在進行形の暮らしがちゃんと息づいているという表現、風景のみならず役場の福祉課の職員、バスの運転手、牛乳配達の青年の描写を通して実に的確です。商店の店と自宅の居間を仕切る暖簾が、私の家にもあるニトリで買った暖簾と同じ柄だったし(笑)、観終わった後は少し気持ちが軽くなり、死者の晩餐だったはずのコッペパンが無性に食べたくなります。

 

 

 

 静岡での公開が年明けのようなので、作品についてはこれ以上詳しくは書きませんが、現代人の死生観をテーマにしているだけに、映画の登場人物が、直前に聴講した生き物文化誌学会での、愛する人を花にたとえて身近に置くために野山から庭へ移植させた万葉の人々、植物の病変を美として観賞した江戸の人々の子孫かと思うと、不思議な感慨を受けました。

 

 哀しいまでに美しい断崖絶壁・・・先月まで伊豆のジオパーク構想について取材していて、過去の火山噴火を伝える奇岩、億単位の地球の歴史を物語る地層の事例をいくつも観ていたので、少し複雑な思いもしました。

 生き物文化誌学会の活動趣旨に、次のようなメッセージがあります。

 

 人は人だけでは生きていくことができません。人は、地球上の「生き物」を食し、暮らしのなかでさまざまに利用してきました。直接的な利用だけではありません。植物は酸素を供給し、人の活動で排出される二酸化炭素や有害物質を吸収し、森は水を保ち気温を安定させてくれるなど、人は環境面でも「生き物」から多くの恩恵を受けています。そして、森は動物を養い、動物は植物の受精や種子の散布を助けます。「生き物」はたがいに関わりあい、地球の環境を保っているのです。

 

 また、人と「生き物」は日常生活と結びついた実用面以外にも、神話、伝説、民話などの伝承や、シンボル、文学や芸術などの精神的・表象的な文化に深く関わりをもっています。繭玉(まゆだま)、鯉のぼり、虹蛇、招き猫、犬張り子など、皆様が思いつかれるものも多々あることでしょう。このように、人と「生き物」のつながりはきわめて深く多様です。そこには先人や世界中の民族が長年にわたって築きあげてきた「智」がこめられています。もちろん、それらの智のなかにおける「生き物」間の関わりもまた、地球環境の面から、大きな意義をもっていることは申すまでもありません。

 

 自分が何かの作品で死をテーマに取り上げるとき、人の周りにある生命体とのタテヨコ多様なかかわりを含めよう・・・そんなふうに思えてきました。自然は、言葉を使う人間よりもときに多弁で哲学的です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年度静岡県ニュービジネス大賞決定!

2012-11-09 13:51:55 | ニュービジネス協議会

 今朝(9日)の静岡新聞経済面でも紹介のあったとおり、昨日、浜松遠鉄ホールで(社)静岡県ニュービジネス協議会主催の『2012静岡県ニュービジネスフォーラムIN浜松』が開催され、今年の静岡県ニュービジネス大賞が決定しました(昨年度の記事はこちら)。

 

 

 

Dsc00998
 大賞は、高性能LED照明装置「ホロライト」を開発した、パイフォトニクス㈱(浜松市)。社長の池田貴裕さん(37)以下、社員の多くは、浜松ホトニクス出身で、光産業のプロテク集団です。池田社長の公開プレゼンテーションは、博士号を持つハイスペックなメカニシャンなのに関西弁(和歌山県のご出身)でごっつぅ親しみやすく、ハートに響く名言を吐いてくれました。

 

 

 なんだかメカメカしい、一般市民には縁がなさそうな会社ですが、最近街づくりや観光イベントなどで人気の、アーティスティックなライトアップと聞けば、身近に感じるんじゃないでしょうか。同社が開発した「ホロライト」は、太陽光線と同じ擬似平行光を発生できる高性能LEDで、照明光の拡がり角の調整ができるため、必要な場所だけピンポイントでスポット照明がOK。キューブ型なので、直列・並列にいろいろ並べて、遠くのビルとか山の斜面に遠隔スポットを当てることもできます。

Dsc01003_2
 浜名湖の舘山寺温泉では、ホロライトキューブを300基設置して、500メートル遠方の対岸の大草山に【大】の字を描きました。浜松市の万年橋パーキングで開かれたお月見イベントでは、パーキング外壁に10メートル以上の光のラインを出現させました。また三重県鳥羽市の三ツ島では、島をまるごとライトアップ!なんて荒業も可能。池田社長のもとには、「富士山の世界遺産登録記念に、富士山をライトアップできないか」という相談が来ているそうです。

 

 ステージイベントにも重宝され、年末恒例の日本レコード大賞(TBSで中継)の舞台でビームライトが使用されたとか。

 

 

 

 もちろんイベントだけではありません。ホロライトは主に製造現場での目視検査用照明に活用されていますが、10メートル以上延びる光のラインが作れるのですから、高層ビルの建築、道路のセンターラインや境界線などに応用して事故防止に役立てることもできる。災害時には避難所の応急的光源になります。

 キューブ自体は130ミリ×100ミリというお手軽サイズ。単体での活用、何十個・何百個並べての活用がいろいろアレンジできるんですね。富士山をライトアップするとなると、何千個・何万個のレベルかもしれないけど(笑)。

 

 

 

 

 審査委員長の奥村昭博先生(静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科長)は、「書類審査のときは、何に使える技術なのかさっぱりわからなかったが、プレゼンテーションを聞いてベンチャーらしい勢いと、わくわくする面白さや遊び心を感じた。大化けするかもしれないし、しないかもしれないが、ベンチャーとは本来そういうもの。“誰とでも融合できる”という点にも魅力を感じた」と講評しました。

 

 

 

Dsc00996
 「ホロライト」自体は単純な照明器具ですが、光を活用するという目的において相手を選ばず、誰とでも価値観を共有し、融合できる。相手が企業でも行政でも芸術家でも、それぞれの目的に合わせられます。池田社長は「中国人や韓国人ともコラボできる。地球を平和にできる技術だと信じてがんばっている」と熱く語りました。そして、「人生とは、経験に基づいた運命と、夢や希望で変わる未来がある」と。・・・37歳とは思えない老練さも感じる言葉ですね。

 交流会の席で「あの言葉に感動し、さっそくFBにアップした」と伝えたところ、経営者の哲学や名言を読むのが好きで、「実際にそのとおりや」と実感しているとか。その素直な人柄もいいなあと思いました。池田社長とはさっそくFB友達になっていただきました♪

 

 

 会社HPにいろいろな事例(こちら)が紹介されていますので、参照してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Dsc00986

 

 なお、静岡県ニュービジネス大賞特別賞には、LEDよりも高効率の、約6万時間の長寿照明と省電力を実現した「エネプライト」を開発した㈱TOSMO(磐田市)が受賞しました。パイフォトニクスとジャンルが被ってしまいましたが、日本国内でいまだに使われている水銀灯を「エネプライト」に換えたら、日本の電力コストは5分の1に減ると聞いて、これまた凄い技術だ・・・!と感動しました。詳しくはこちらの会社HPを参照してください。

 

 

 

 

 

 

 Dsc00999

 

 公開プレゼンテーションを行った最終審査にはほか2社が参加しました。㈱NOKIOO(浜松市)は、企業の会社案内を電子書籍化し、動画や音声・翻訳機能等も備えたアプリ「ピノキオ」を開発。営業プレゼンツールや就活ツールに重宝できます。

 

 

 

 

 

 

 

 Dsc00972

 

 

 

 杉山フルーツ店(富士市)は、フルーツゼリーで有名な杉山清さんの迫力あるプレゼンが印象的でした。

 

 3食に1食は廃棄処分されるという食の業界、とくにスイーツ産業は大量生産・量販で市場崩壊しているという厳しい環境下で、30年来、手作り・手売りに徹して現在のポジションを確立した手腕はさすがです。

Dsc00979
 ご当人に何かあった場合のリスクヘッジの点で、審査員からは「事業を継続していく上で、杉山さん自身がリスク要因になっていないか」と指摘されていましたが、いずれにしても、ニュービジネス大賞に杉山さんのような方がエントリーしてくださって、大変面白かったし、個人事業者の経営課題を考える上では大きな意義があったと思います。

 

 

 

 

 

 

 フォーラム当日の模様は、昨年同様、静岡新聞にて紙上フォーラムのカタチでご報告できると思いますので、今しばらくお待ちください。

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知事と大使が語った朝鮮通信使

2012-11-05 08:55:37 | 朝鮮通信使

 静岡県広報課が年4回季刊発行する総合情報誌『ふじのくに』最新号(10号)が発行されました。今回は読み応え満点です。電子版がこちらで読めます。

 

 

 

 

 

●名園への誘い  秩父宮記念公園(御殿場市)の紅葉

●知事対談 川勝知事×申�枕秀駐日韓国大使

●県政特集 ふじのくに新銘茶戦略

●防災最前線 津波避難タワー建設ラッシュ

●癒しの一杯 掛川茶・深蒸し茶へのこだわり全国発信

●新東名を使って行って見よう 新富士IC、新清水IC

●ものづくりものづかい 静岡の酒・誉富士と静岡酵母

●しずおかの食 駿河シャモ

●旬の人 女優・鈴木砂羽さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私が担当した記事の中で、今回、とりわけ心に残ったのが、知事対談で川勝知事と申大使が朝鮮通信使と家康の平和外交について言及されたことでした。対談終了後、思わず、大使館スタッフの方に、自分が脚本を担当した映画『朝鮮通信使』のことを宣伝してしまったほどです(苦笑)。対談は今年8月はじめ、竹島問題が表面化する直前に行われましたので、今、読み返すと感慨深いものがあります。対談記事の一部分を再掲します。

 

 

 

 

大使 昔にさかのぼるといろいろな交流があったのは確かです。静岡県とゆかりの深い徳川家康が開いた江戸時代、朝鮮王朝との関係が正常化し、朝鮮通信使を通して善隣友好関係が深まりました。これは、21世紀の韓日関係を考える上で非常に参考になると思うのです。

 

 

 

 

知事 大使から徳川家康の名前を出していただいて嬉しく思います。朝鮮侵攻を行った豊臣秀吉が亡くなった後、対馬の宗氏を仲介役に和平交渉を行い、秀吉軍の被慮となって日本に連れてこられた朝鮮の人々を本国へ帰し、朝鮮通信使を招聘しました。

 

 朝鮮通信使は当時の朝鮮王朝の第一級の文化人です。対馬から九州、瀬戸内海を経て淀から東海道へ入り、江戸まで国書を運ぶ行列を進めます。大陸の進んだ文化を運んでくる通信使は、日本の知識人にとって学びの存在です。とくに静岡市清水区の清見寺には多くの足跡が残っています。朝鮮通信使の招聘は、鎖国の時代におけるもっとも重要な文化交流といえますね。

 

 

 

 

 

 

大使 朝鮮通信使は誠信の心を持って、直接、相手の国に行って地方を訪ね、相互理解に努めました。21世紀も同じです。隣国同士にさまざまな問題が生じても、たとえばアメリカとカナダのように安定的な関係を保てる例もあります。韓日関係も互いに努力すれば出来るのだと信念を持ち、韓日関係に起きる様々な問題にとらわれず、大きな思想を持って取り組んでいくべきだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知事 徳川家康は朱子学を官学と定め、林羅山を大学長に任命しました。林羅山の師である藤原惺窩(せいか)は禅宗の僧侶でしたが、壬申倭乱で朝鮮から被慮人として連れてこられた朝鮮王朝の儒学者・姜�楢(カン・ハン)と交流するうちに朱子学に目ざめ、袈裟を脱ぎ棄て朱子学者へ転向しました。

 

 

 

 徳川政権下で林羅山が学んだ朱子学は、朝鮮王朝屈指の儒学者である李退渓(リテゲ)が16世紀に確立した学問です。朱子学が官学になって、武士は刀を筆に持ち替え、例外なく読み書きができるようにあったのは革命的です。朱子学を正規の学問とした江戸時代には、鉄砲の撃ち合いはなくなり、刀は武士の魂のシンボルとなって、むやみに振り回すことがなくなり、天下泰平の時代になりました。

 

 

 こうして考えてみると、家康が行った和平交渉というのは大変な重みがあります。今日お茶を入れていただいた高麗青磁もそうですね。朝鮮半島で作られる青磁は本場の中国を超えています。優秀な朝鮮陶工も被慮人となって日本に連れてこられましたが、彼らの優れた陶工技術が有田や伊万里のような名窯を生み出しました。このことから、朝鮮侵攻を「焼き物戦争だ」という人もいるくらいです。

 朝鮮民族にとっては不幸な戦争でしたが、結果的には、戦前から海を荒らしていた倭寇は影を潜め、平和な交流の時代がやってきて、被慮人にされた朝鮮学識者がもたらした学問が日本の学問となり、武士道が確立するという、革命的大転換をもたらしたと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大使 時代のものの見方を変えることは大事であると思います。それは、今の韓国と日本にも必要なのでしょうね。両国はアジアの中でただ2つのOECDメンバーであり、民主主義、市場経済、法の支配、人権など人類普遍的な価値を享有しています。これを基に両国の関係を発展させ、また次元を高めて、地域的なレベル、またはグローバルなレベルで協力して、世界で規範となる存在になれたら、と心から願います。もっともっと協力の輪を広げてほしいと思います。

 

 

 

 

 

 

 県総合情報誌『ふじのくに』は、毎回1万3千部程度、主に県外・海外のオピニオンリーダー向けに発行されているもので、一般の人には公共施設の情報閲覧コーナーで回覧するぐらいしか目に留まらず、こういう雑誌があること自体、あまり知られていないと思います。

 今回の知事対談では社会文明論の専門家でもある川勝知事が、朝鮮通信使と家康の功績を、実に端的に解説してくださいました。申大使の受け答えも見事です。朝鮮通信使でもっとも大切なキーワードである『誠信』の2文字を、大使の口からお聞きできたのは、通信使の歴史を多少なりともかじった身からすると、大変な重みがあり、深く感動しました。この対談記事は、ぜひ歴史の授業に使ってほしいと思うほどです。

 『ふじのくに』をぜひ有効活用してくださいね!

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アルゴ』を観て

2012-11-01 08:58:50 | 映画

 

 昨日は渋谷で取材があり、終わった後、話題の映画『アルゴ』を観ました。いやぁ~面白かった!!1979年に起きたイランの米大使館人質事件のとき、大使館から脱出してカナダ大使私邸に潜伏していた6人の大使館員をイランから無事出国させるため、CIAの人質救出プロが、大使館員をハリウッドB級映画「アルゴ」のロケハンクルーに化けさせるという、映画みたいなホントの話。監督はベン・アフレック。『アルマゲドン』とか『パールハーバー』のイメージが強くて、盟友マット・デイモンに比べると俳優業のほうはB級っぽいと思っていた彼が、こんな凄腕を持っていたとは・・・!

 

 

 

 ハリウッドが大喜びしそうなこんな美味しい実話、今まで映画化されなかったのは、この作戦が18年間トップシークレットにされていたためだそうです。

 

 人質救出計画と聞けば、007のような高度な裏工作か、米軍特殊部隊の派手なドンパチなどを想像しますが、このお話には皆無。アメリカ人だとわかれば問答無用に攻撃対象とするイラン革命派のハンターのような目をくぐり、映画のロケハンに来たカナダ人ですよ~とだましとおし、空港から堂々と出国させるという作戦。バレたら最後、即処刑されるし、大使館に残った52人の人質の命運も尽きる。

 「アルゴ」の製作がイラン側にホンモノだと思わせるため、「猿の惑星」でアカデミー賞メイクアップ賞を受賞した特殊メイクアーティストたちの徹底した協力っぷりが面白おかしく、現地イランでは次から次へと難問噴出。土壇場でアメリカ本国からの協力の糸も断たれ、最後の最後、6人が乗った飛行機が無事飛び立ってイラン領空から離れるまで、本当にドキドキハラハラ・・・。

 

 

 

 実際は、イラン側が作戦を知って地団駄を踏んだのは後々の新聞報道だったそうで、ドキドキハラハラの演出はあくまでも映画として。そこがドキュメンタリー作品とは違うんでしょうけど、映画のトーンというのか色合いっていうのかな、79年から80年にかけての空気感を見事に再現していて、マジでドキュメントかと思わせるほど。それは単にセットや役者のファッションやメイクをその当時っぽくするだけでなく、ベン・アフレックはキャスティングでも実在の人物に似た俳優を厳選したとか。エンドロールで実在の大使館員さんと演じた役者さんの写真が並んで出てきたのですが、あまりの激似ぶりに笑ってしまうほどでした!

 

 

 日本でもいますよね、“昭和顔”っぽい役者さん(笑)。・・・でも、これが案外大きいファクターだと思う。邦画でも大学闘争やあさま山荘事件を扱った作品がありますが、違和感を感じることが多いのは、今どきの顔というか、現代の人気役者を使うからなんですよねえ。人気者を使わなければスポンサーがつかない、話題にならない、観客動員にもつながらない・・・のかもしれないけど、『アルゴ』では、監督主演のベン・アフレック以外に日本でもすぐに顔と名前が出てくる有名俳優とかは出てなくて、本当に作品の質だけで勝負!って感じが好ましい。ハリウッド側の協力者コンビを絶妙に演じたジョン・グッドマンとアラン・アーキンの演技が高評価ですが、私はCIAの上司役を演じたブライアン・クランストンがよかったなあ。この作品で初めて知った役者さんだけど。

 

 

 

 

 

 

 題材自体が魅力的だから、監督によっては徹底したドキュメントタッチにもできるし、コメディにもできる。スピルバーグとかスコセッシとかソダーバーグあたりが撮っていたら、もっと話題になっていたかもしれません。でも難しい政治背景があって、当事者も存命・・・という実話を取り上げる上でベン・アフレックが取った手法は、フィルムメーカーとしてとても誠実で、役者やスタッフのスキルを信じて創り上げたと感じられました。彼はひょっとしたらクリント・イーストウッドのように、役者よりも監督として後世に名を残すかもしれませんね。

 

 

 

 こんな面白い作品、静岡の映画館はなぜすぐに買わなかったんだろう。早く公開されるといいんですが・・・。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする