goo blog サービス終了のお知らせ 

杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

天晴れ門前塾成果発表会

2009-03-07 12:34:18 | 吟醸王国しずおか

 昨日(6日)は天晴れ門前塾の成果発表会と卒塾式が18時30分から静岡県教育会館で行われました。

 

 再三ご紹介しているとおり、天晴れ門前塾というのは、県内の大学・短大・専門学校に通う若者たちの自主ゼミで、4期目を迎える今年度は5人の講師が担当し、11月から2月までの4ヶ月間、さまざまな講義を行いました。

 昨日は各ゼミの受講生たちの成果発表。各ゼミの性格というか、講師のキャラ?がにじみでた発表会でした。

 

 

 (財)静岡観光コンベンション協会の佐野恵子さんのゼミでは、静岡の隠れた名所を訪ねる「静岡遺産たんけん」を行い、名所訪問の写真スライドがふんだんに登場する楽しい発表でした。

 

 静岡福祉大学非常勤講師の河合修身さん(元静岡新聞社記者)のゼミ「新聞記者の世界」は、学生が記者にふんした寸劇を披露。天晴れ門前塾仕掛け人の満井義政さん((財)満井就職支援奨学財団理事長)を取材したゼミ生の記事を配るなど、用意周到な発表でした。

 

 キャリアコンサルタント杉山孝さんのゼミは、パワーポイントを使った新入社員のプレゼンテーション仕立て。就活まっただ中の学生たちにとっては、他人事ではない実のあるゼミだったことが伝わってきました。

 

 フリー編集者の大国田鶴子さんのゼミは、大国さんが支援している静岡市中山間部の大間の里の暮らしを考える社会派ゼミ。限界集落といわれる過疎地の農家の女性たちが、古いしきたりやジェンダーに苦しみながらも“縁側お茶カフェ”など地域を元気づける活動に逞しく取り組む姿にふれ、学生たちも多くを学んだと思います。展示ブースでは農家のおばちゃんたちの手作り惣菜や漬物の試食も行われ、一番人気を集めていました。

 

Imgp0685

 私のゼミは、私が怠けていたせいで、学生たちも発表の方法をじっくり考える時間がなかったと思います。代表の3人が感想文を読んだだけの素っ気ないものでした。

 展示ブースでは蔵元さんの「ひとこと」ボードの展示や、ノートパソコン画面ながら「吟醸王国しずおかパイロット版」の映像を流し、それなりに人の目は集めていましたが、やっぱり準備時間のなさはミエミエ。・・・やっぱり講師の性格がそのまんま出ちゃうんですね(苦笑)。

 

Imgp0688  それでも、酒蔵訪問でお世話になった大村屋酒造場の副杜氏日比野哲さんが奥さんと一緒にわざわざかけつけてくれたり、吟醸王国しずおか映像製作委員会メンバーの山田彰子さんが「仕事が早く終わったから」と顔を出してくれて、ブースを盛り上げてくれました。

 

 

 私のゼミの学生たちが試飲会や酒蔵見学で体感したことは、極めて私的な感覚体験だったと思います。それを短時間で口頭で第三者で伝えるのは、とても難しかったでしょう。私自身、文章表現には慣れているものの、人前で話したりプレゼンするような場で、自分の地酒体験を語って伝えるということが、いかに難しいか、何度も味わってきました。

 

Imgp0694

 昨日の発表会は、彼らも満足のいくものではなかったと思いますが、私は、スマートな発表なんかできなくても、この先彼らがいい呑み手になってくれること、興味を持ったテーマをじっくり追いかけその真髄を知ること、自分の感動体験を一つでも多く誰かに伝えられる豊かな人間になってくれることが、このゼミの究極の目的だと思っています。「学外で体験したことを学内に還元するのが門前塾の使命」と言っていた満井さんの志には応えていないのかもしれませんが・・・。

 成果が出るのは1年先、5年先、10年先、20年先になるかもしれませんが、少なくとも今回訪問した酒蔵はこの先もずっと、びくともせず地域にしっかり息づき、彼らの成長にずっと寄り添ってくれるはず。ゆ~っくり成果を出してくれればいいし、成果発表する相手は、そのとき、彼らのそばにいる大切な人であればいいと思います。

 

 

 終了後の懇親会では、大国ゼミの学生たちと同席になり、「大間で採れたて野菜と地酒のコンパをしよう」と意気投合。持参した初亀吟醸生酒の一升瓶を全員に試飲してもらい、大間ゼミの学生がお土産にもらったかぶの漬物を強引に開けさせ(笑)、発表会ではおとなしかったわがゼミ生も、水を得た魚のように盛り上がりました。・・・とりあえず飲み会で一番元気に酒を味わう、それがわがゼミ生の成果発表、のようでした。

 

 学生たちの感想レポートは、まもなく発行予定の雑誌『sizo;ka』10号の連載コーナー「真弓の酒蔵スケッチブック」にて特別掲載しますので、乞うご期待を!


藤枝の酒プレスツアー

2009-03-06 14:51:05 | 地酒

 昨日(5日)は静岡県観光局の事業で、藤枝市の地酒プレスツアーの“添乗員”を務めました。今年1月岡部町と合併した藤枝市は、喜久醉、志太泉、杉錦、初亀という4醸を抱える県内屈指の“酒の町”になりました。藤枝といえば、最近ではケーキ屋さんの数の多さから“スイーツの街”、居酒屋グランプリの開催等で“居酒屋文化の街”として盛り上がっています。これに地酒を加えて、新生藤枝市を食をキーワードにシティセールスしていこうというわけです。

 

Imgp0630

 北村市長とは市長就任前から酒縁があり、北村さんが市長になったら地酒を地域資源として大事にしてもらいたいなぁと思っていたところ、思いがけず今回のお話。

 最初はお手伝いといっても情報提供ぐらいかと思ったら同行してくれと言われ、自分じゃ荷が重い…というか、自分が責任を持って計画をたてるならまだしも、そうじゃなければ、地元市民の力をなるべく生かすべきだと思い、旧藤枝市と旧岡部町の酒販店主を(彼らの利益にもつながると思って)紹介したのですが、なんやかんやで駆り出されることに。それでも結果的には、東京の新聞記者や雑誌記者のみなさんが藤枝の酒をどんなふうにとらえるのか、興味深い“観察”ができて、実りの多いツアーとなりました。

 

 

 まず、うれしかったのが、参加者9人のうち7人が女性で、今まで静岡の酒に特化した話題を取り上げたことがなさそうな全国紙や出版社の編集者・記者、フリーライターの方々だったこと。「たぶんうちでは日本酒自体、過去に取り上げたことがないと思う」という女性ファッション誌編集者もいて、この雑誌の読者が初めて誌面で目にする日本酒が静岡の酒になるかも…と思ったら無性にうれしくなりました。

 

Imgp0635  最初に訪問した志太泉では、まず蔵の前の瀬戸川の桜堤を歩いてもらって、「桜が満開のころ、ここで花見酒をやったことがあるんですよ~」と紹介。あとひと月後なら、ホントに絶景を味わっていただけたと思います…残念!。

 

 そのかわり、ちょうど上槽(搾り)中の純米吟醸の試飲ができ、また大吟醸から普通酒までさまざまな種類の酒粕を店頭売りしているところが見られ、お土産に大吟醸粕をしっかりお持ち帰りいただけました。

 

 

Imgp0632

 「いい酒粕で作った甘酒は、甘酒のイメージがひっくり返るぐらい美味しいし、冷やしたりシャーベットにしてもいけます」とお話し、初亀醸造の奥様から事前に教えていただいたレシピを紹介しました。

 

 鍋に大吟醸粕を入れて、上から熱湯を注ぐ。量はひたひたになるぐらい。

 そのままふたをして、30分ぐらい蒸らす。

 30分経ったら火にかけて、ゆっくり溶かす。

 火を止めてから砂糖を入れて好みの甘さにし、塩をひとつまみ入れて出来上がり。

 

 

Imgp0647  お昼は国道1号線の瀬戸川土手にある手打ち蕎麦の『ながいけ』。ここでは今回訪問できない喜久醉の紹介をするという大役をおおせつかり、特別本醸造生酒を試飲してもらいました。限られた時間で十分な話はできなかったのですが、「この蔵が素晴らしいのは、お客様の口に入るまでが“酒造工程”だという考えで、米から酒になって出荷するまで負のリスクを減らす努力を徹底している」という点を強調させてもらいました。

 

 今回のツアーでは、ツアコンに徹する意味で自分の映画の話は一切しませんでしたが、もしチャンスがあったら、喜久醉の現場を観られなかった今回の参加者に、ぜひ『吟醸王国しずおか』を観ていただきたいと思います…。

 

 

Imgp0657  午後は、初亀と杉錦を慌ただしく訪問しました。いずれも40分足らずの時間配分で、初亀さんなどは純吟以上の6種搾りたてを試飲用に用意してくださったのに、2~3分しかないというので、ついついツアコンの使命を忘れ、自分の試飲に集中してしまいました(苦笑)。

 

 

 杉錦では、杉井さんが蔵の中を案内する間、早く帰京する3名に先に事務所で試飲だけしてもらいました。生もと、山廃造り、速醸など専門用語が飛び交う杉井さんの話は、ちょっとわかりにくかったかもしれませんが、速醸の純米大吟醸と、生もとの純米大吟醸を呑み比べてもらったら「すごーく分かりやすい!」と喜んでもらいました。

 

Imgp0664

 ついつい調子に乗って、「ここはみりんもおいしくて、飲めちゃうんですよ」と事務員さんにこっそり頼んで純米みりん飛鳥山の市販酒(黄麹仕込み)と、実験用の白麹仕込みを出してもらって、3人の女性記者に味見してもらいました。白麹のみりんは、杉井さんが酒販店主から「甘すぎる」と言われて市販を諦めたそうですが、女性記者たちは「こんなにおいしいみりん、初めて」と大喜び。事務員さんも「私もね、白麹のほうを分けていただいて自分で梅酒にしてみたら、びっくりするぐらい美味しくて、近所の奥さんたちにも喜ばれたんですよ~」とこっそり打ち明けてくれました。男性(おじさん)酒販店主は、はっきり言って、今の消費者の味覚や感性を正確に伝えているとは思えないのでは??

 

 新しい切り口で醸造酒の幅の広さ、奥の深さを体現しようとする杉井さんのような酒造家には、新しい切り口で背中を押す売り手や飲み手や情報提供者の力が必要だ…と実感しました。

 

 

 

Imgp0668  ツアーの最後は、藤枝居酒屋グランプリ2008でグランプリを獲得したJR藤枝駅前の居酒屋『台所屋一軒目』。藤枝4銘柄に、初かつおの刺身と珍味(へそ・酒盗)、藤枝つくねでハットトリック(肉詰めしいたけの串揚げ=08グランプリ対象メニュー)、バチバチ豆腐(06準グランプリ)、大井川産アメーラトマトの食べ合わせを楽しんでいただきました。

 

 

 「酒蔵で麹とか酵母とかもろみとか、似たような響きの専門用語が出てくるとさっぱりわからなくて…」「もう少し歴史や民俗学的な切り口で、この地でなぜ酒造が盛んかを教えてほしかった」という意見もありました。どんなことでも背景をきちんと理解した上で記事を書きたいというのが取材者です。そんな立場がよくわかるだけに、もし自分が一からコーディネートしていたら、ああしたい、こうしたい、と思える部分も多々ありました。

 まぁ、でもそれは、私の地酒に対する思いが特別に深いからで、行政、しかも観光セクションの立場で考えれば、総花的・表層的にならざるを得ないんですよね・・・。

 

Imgp0670  

 とにもかくにも、静岡の酒に初めてふれたメディアの方々が、何らかのかたちで媒体に取り上げてくれたらうれしいし、今回出会ったみなさんが個人的に静岡の酒のファンになってくれたら、もっとうれしい。私、静岡の酒の縁でいやな出会いをしたことが過去一度もないので、今回の酒縁もきっと実りあると信じています…!

 

 

 


竹島さんの功績

2009-03-04 10:10:47 | しずおか地酒研究会

 私は1997年9月から98年10月まで、毎日新聞朝刊地方面で『しずおか酒と人』という全二段の週刊コラムを担当しました。1000字弱の記事に手描きのイラストを添えた内容で、原稿料はたしか1本4000円ぐらいだったと思います。広告のキャッチコピー1行でウン十万円とるような売れっ子コピーライターだったら相手にしないような条件かもしれませんが、無名の地方ライターにとって、地方面とはいえ全国紙に署名記事を週1回書けるというのは夢のような話でした。

 

 それまで10年ぐらい、記事を書く場が提供されているわけでもない酒蔵取材をこつこつ続け、酒のことが書ける場があったらタダでもいい、ぐらいに思っていたところ。前年にしずおか地酒研究会を立ち上げて、いろいろな意味で情報源や人脈が広がったことが、「書くチャンス」をもたらしてくれたと思います。98年には静岡新聞社からも『地酒をもう一杯』という単行本が出て、この時期は、長年の地道な取材にやっと日の目が当たった感がありました。

 

 

 会の立ち上げは、もちろん、私個人のキャリアアップを目的としたものではありませんでしたが、自分から動けば、周りが変わるということを、身を持って実感…でした。ごく一部の蔵元さんしか存在が知られていなかった無名ライターの会の立ち上げには、酒の業界内から反発や抵抗があったものの、それまでの取材実績が自分の“盾”にもなりました。そして、業界の中でまっとうな仕事をし、真に信頼されている人には、さほど時間をかけずに理解をしてもらうことができました。

 

 

 13か月続いた連載・毎日新聞『しずおか酒と人』の最終回(98年10月29日)は、そのお一人、竹島義高さんの紹介です。竹島さんの業績については、下記の『しずおか酒と人』全文をご覧いただくとして、先週土曜、久しぶりに竹島さんご本人にお会いしました。

 

 

 竹島さんが現在、息子さんと経営する『竹島』は、静岡市中心部の青葉おでん横丁の近くにあり、カウンターと小上がり合わせて14席程度のこじんまりしたお店。常連さんや、落ち着いた雰囲気で酒をのんびり呑みたい人のため、マスコミ取材は一切NGで、私もこれまで、どのメディアにも紹介したことはありません。

 

 だいたい、17時の開店直後に入らないと、すぐに満席になってしまって、お客さんが一巡する20時か21時あたりを狙って運よく入れるかどうか…という人気店で、運よく入れたときには、顔見知りのテレビ局や新聞社や広告会社の重役クラスや、静岡を代表する企業の社長さんたちにお会いすることも。特定のメディアの取材は受けられないという竹島さんの立場がなんとなくわかりました・・・。

 

 

 竹島さんのお店には、以前在籍しておられた入船鮨時代から、染色画家松井妙子先生の作品が飾られています。初めて竹島さんと引き合わせてくれたのは別の人でしたが、懇意にしている松井先生の作品を見つけ、とても感激し、不思議な縁も感じました。松井先生が描く愛らしい海の生き物たちは、竹島さんのお人柄とお店の雰囲気に本当によくマッチしています。

 

 

 松井先生から、竹島さんが病気療養中だと聞いたのは昨年のこと。私は、『吟醸王国しずおか』で静岡吟醸の歴史の語り部として、自分の酒修業の師でもあった県酒造組合専務理事の栗田覚一郎さん、ヴィノスやまざきの山崎巽さん、竹島さんの“三賢人”は必要不可欠だと考えていたのですが、栗田さんはすでに亡くなり、山崎さんも長期療養中。この上、竹島さんも無理となると、歴史のパートは映像化不可能だ…と肩を落としたのでした。

 年が明け、松井先生から、「竹島さん、お店に復帰したみたい」との連絡。映画の話はさておき、まずは竹島さんのお元気な姿を確かめないと…と、思いきってお電話したところ、ちょっとハスキーになったものの、いつもの竹島さんの軽妙な声が返ってきました。

 

 

 「こういうの、あんたに見せたことあったっけ?」と竹島さんが取り出したのは、若かりし頃、竹島さんが手書きで作った酒の銘柄&紹介メニュースクラップ。和紙1枚に1銘柄、丁寧に書かれ、醸造元の判が押してあります。越乃寒梅、一ノ蔵、新政など全国の名だたる銘醸の名が次々と出てImgp0629きて、ファンなら垂涎モノかも。「100枚ぐらい書いて、蔵元に送って判子をくれとお願いし、7割ぐらい戻ってきたかなぁ」と懐かしそうに見せてくれました。田酒(青森)は昔はひらがな表記だったんですね。

 Imgp0627 越乃寒梅の蔵元には、なかなか返事がもらえず、墨筆で丁寧に手紙を書いてお願いしたところ、見事な墨筆のお返事をいただいたとか。やっぱり大事な相手に誠意を伝えるには、事務的なお願いじゃダメなんですね。今だったらメールか何かで済ませようとしてもダメだってことです。

 

 

 スクラップブックには、毎日新聞の私が書いた記事もはさんであって、竹島さんの料理人人生の一部に、わずかでも足跡が残せたことを光栄に思いました。

 

 来る18日、静岡県新酒鑑評会一般公開&表彰式の夜、審査員のお一人松崎晴雄先生を招いて、竹島さんのお店で〈しずおか地酒研究会〉の定例サロンを開催し、その折に『吟醸王国しずおか』のカメラを入れるお許しをいただきました。会員の酒販店主からは「松崎さんから最新の情報を、竹島さんから静岡酒の貴重な歴史を一度に聞ける企画、すごい勉強になる!」と喜ばれました。

 

 無名のライターが会を立ち上げ、業界人から白い目で見られた頃のことを思うと、業界の人から「勉強させてくれ」と言われる日が来るなんて感無量です。竹島さんは、今もって存在自体にこういう力がある人なんだ…としみじみ感じ入りました。

 

 

 

◎しずおか酒と人 「素晴らしきかな静岡の酒」 (毎日新聞朝刊 1998年10月29日掲載)

 文・イラスト 鈴木真弓

 

2009030109050000  私が地酒の美味しさに目覚めて間もない10年ほど前のこと。ある酒通に「静岡で最高の酒を出す料理人がいる」と案内された店がありました。JR静岡駅前のホテル地階にある入船鮨。カウンターに立つ竹島義高さんはこの店の看板すし職人であり、20数年前、静岡の大吟醸を客に初めて飲ませたという人。その酒通とのやりとりを聞いていると、酒を冷蔵保管する時の温度、客に出す前に常温で置く時間配分、酒杯の形状、薄さ、唇に当たる角度…そこまで気を遣うのかと驚かされます。

 さりげなく出された酒は鑑評会出品用に斗瓶取りした大吟醸の生酒です。鑑評会へは審査途中で酒質が変化する場合もあり、火入れをした酒を出す蔵のほうが多い。つまりここでは、鑑評会出品酒よりも新鮮で造り手の息吹が感じられる出品用酒が飲めるのです。

 生酒ゆえ、仕入れた段階でマイナス5度で保管し、店に出す2か月前にプラス5度に移す。客には酒のタイプや状態に合わせ、適温にして出す。同じ銘柄でも竹島さんが出すものが「静岡で最高の酒」になるのも無理はありません。

 「若い頃、静岡の地魚にこだわってますってお客様の前でいい気になっていてね。じゃあ地酒は?と聞かれて恥をかいた。何も知らなかったんだから」。

 以来、栗田覚一郎さん(県酒造組合専務理事)や山崎巽さん(ヴィノスやまざき)に蔵を紹介してもらい、河村傳兵衛さん(県工業技術センター)に造りの話を聞き、開運の波瀬正吉さんや満寿一の横山保作さんといった名杜氏に現場で教えを乞います。

 「それこそ専門用語の応酬だから、なにくそって覚えたね。相手も“こいつは勉強しとる”と解って、醪製造経過表まで見せてくれたよ」。

 蔵元の信頼を得た竹島さんは、開運と満寿一の大吟醸を1本5千円で仕入れ、店頭でお客様に無料試飲してもらいます。静岡酒のオーダーがもらえるまで、それから3年かかったそうです。

 入船鮨に勤めて40年。そのうちの30年近い歳月を地酒の普及振興に費やし、来春、定年退職するという竹島さん。

 この連載を終えるにあたり、「このカウンターで一人で酒を飲めるようになるのが夢でした」と意を決して訪ねた私を、10年前と変わらない笑顔で迎えてくれました。竹島さんが教えを乞うた前述の偉大な功労者たちに、竹島さんご本人を加えて、心から感謝の気持ちを贈ります。素晴らしい地酒をありがとうと。


ワークショップ朝鮮時代の絵画とその周辺

2009-03-02 12:35:51 | 朝鮮通信使

 昨日(1日)は『朝鮮王朝の絵画と日本』展を開催中の静岡県立美術館で、公開ワークショップ「朝鮮時代の絵画とその周辺―時代背景への視点」が開かれ、13時30分から17時30分まで、まるまる4時間、ほとんど休みなく、どっぷり朝鮮絵画史の世界に浸かってきました。

 

 今回の講座がユニークだったのは、4人の講師が美術の専門家ではなく、歴史学者だったこと。文部科学省の特定領域研究の助成を受けている「東アジアの海域交流と日本伝統文化の形成~寧波を焦点とする学際的創生」というちょっとおカタイ名前の研究グループとの共催です。

 歴史学では文献史料を重視し、絵画に描かれた情報は事実性や客観性に欠けるという理由で研究主体にはならなかったのですが、日本の伝統文化に影響を与えたのは中国ばかりではなく朝鮮の存在も重要だという視点と、当時の社会実態を描写した絵画史料にも新たな発見や文献の裏付けになる情報があるはずだという視点を汲み込んで、新しい歴史学の研究・検証スタイルを追求されているようです。

 

 

 

◎朝鮮時代の政治・文化と絵画 (六反田豊氏・東京大学大学院人文社会系研究科准教授)

 六反田先生は東アジア政治史の専門家。朝鮮絵画が生まれた当時の政治制度について、わかりやすく解説してくれました。

 

 歴史の授業でも習った朝鮮の官僚制度=両班(ヤンパン)。東班(文官)と西班(武官)から成り立ち、それぞれ階級が正一品・従一品・正二品・従二品…従九品まで分かれています。最高位の正一品から従二品までは、東班(文官)しかいなくて、西班(武官)は正三品でやっと「折衝将軍」という位が登場します。

 

 私、『朝鮮通信使~駿府発二十一世紀の使行録』の脚本で、通信使の性格を「第一級の文化知識人を派遣することで、サムライが統治する野蛮な国日本とは違い、文人が統治する先進国であることを示したかった」と書いたのですが、こうして階級を細かく検証すると、なるほど、文官のほうが格上なんだということが一目瞭然です。

 

 正一品から正三品の通政大夫(東班)・折衝将軍(西班)までが堂上官といわれる超高級官僚。正三品の通訓大夫(東班)・禦悔将軍(西班)から従六品までが堂下官の参上官(中級官僚)、正七品から従九品までが堂下官の参下官(下級官僚)となります。ややこしい書き方で申し訳ありませんが、ようするに、官僚にも上・中・下の差がしっかりあるわけです。今の官僚・公務員制度に近いんですね。

 

 絵画担当の官庁は「図画署」といい、スペシャリスト(デザイナーや画家)とゼネラリスト(事務職)に分かれています。階級はトップクラスでも従六品で、スペシャリストの多くは従九品という最下位官僚。出世に縁遠い芸術家たちの置かれた立場がなんとなく分かります…。

 

 

 

◎風俗画に見る朝鮮時代の経済と社会 (須川英徳氏・横浜国立大学教育人間科学部教授)

 須川先生は東アジア経済史の専門家。「僕らに美術を語らせようなんて無謀な企画」と苦笑しながらも、たくさんの図録コピーを用意し、風俗画に描かれた庶民の暮らしぶりから、文献史料では読み取れない朝鮮の18~19世紀の社会の断面を解説してくれました。

 

 先生が紹介した画員(絵師)のうち、趙栄祏(1676~1759)の俗画スケッチには、馬を世話する人や牛の乳を搾る人が描かれています。馬の鐙は、日本の鐙(スリッパのようにつま先を突っ込むだけの簡単な構造)とは違い、かなり頑丈に出来ています。こういう鐙だからこそ、馬上才(馬乗り曲芸)のような武芸が発達できたんですね。

 また牛乳は当時の朝鮮では飲む習慣がなかったため「搾ったあとどうするのか、私ではわかりません」と須川先生。食文化の研究家に訊けばわかるかもしれません。歴史というのは、政治・経済・美術・食文化などの専門家が分野横断的に集まれば、もっと当時に肉薄できるんだと実感します。

 

 

 一方、金弘道(1745~1815)の風俗画からもさまざまな情報が読み取れます。彼の自画像の背景には、日本製と思われる和時計や二こぶの瓢箪、中国製の青銅骨董壺、東アジア南方沿岸部でしかとれないサンゴの枝などが描き込まれ、弓矢の訓練を受けている武人を描いたスケッチでは水牛の角で出来た弓が描かれています。

 水牛の角は朝鮮では入手できず、中国も武器輸出制限で不可。どこから手に入れたかといえば、武器市場を持っていた日本(対馬)の商人が中国から仕入れ、それを朝鮮に売っていたというわけです。正規の取引なのかヤミ取引なのかわかりませんが、対馬というのが改めて中国・朝鮮・日本の貿易圏で重要な位置にあったことを実感します。

 

 

 

◎朝鮮通信使の遺したもの (長森美信氏・天理大学国際文化学部専任講師)

2009030115350000  講義の前、韓国MBSが制作した「朝鮮通信使」特番の一部を見せてもらい、CG加工で通信使行列の巻物が浮き上がってくる画にびっくり。わが『朝鮮通信使』では、予算がなくて巻物の人物画を垂れ幕にコピーして黒子エキストラに持ってもらうという苦肉の演出。…比べる必要もないのですが、「日本と韓国では未だに文人への待遇に格差がある」なんてひがんでしまいました(苦笑)。

 馬上才の実写映像にはさらにぴっくりで、馬場のサークルを猛ダッシュで疾走する馬の上で倒立したり、体操競技のあん馬みたいに馬の胴体の左右に身体を振ったりして、これを実際に観た江戸時代の人はさぞかし驚嘆しただろうと思いました。

 

 長森先生のお話で印象に残ったのは、朝鮮が中国へ定期的に派遣していた朝貢使「燕行使」と、日本へ不定期派遣した「朝鮮通信使」の違いでした。

 

 燕行使の派遣回数は清王朝期の1645~1876年間に計612回(年平均2.65回)。1回の費用は約11万両かかっていました。一方、朝鮮通信使は江戸時代の1607~1811年間に計12回で、1階の派遣費用は約3万両。対馬に派遣していた問慰使も56回(4年に1回)でした。

 

 会場からは「朝鮮通信使は歴史上大して重要じゃないんじゃない?」という質問も出ましたが、そもそも日本からの要請があって、将軍継承時の祝賀イベントとして招かれた朝鮮通信使と、中国からなかば強制的に呼ばれ、新年のあいさつ、皇帝の誕生日、冬至のあいさつ(翌年の暦をもらう目的もあった)に出向かざるをえなかった燕行使では、おのずと性格が違います。

 

 

 朝鮮通信使は1~3回まで「回答兼刷還使」と呼ばれ、文禄慶長の役の戦後処理的派遣でした。4回以降は友好使節団としての性格が全面に出て、同行した書家や絵師が各地でサインを求められるなど文化先進国としての体面が保たれたことでしょう。

 ところが、長森先生のお話では「1763年の派遣の折、国王英祖が都を発つ正使に“二陵松柏”の詩を読んで嗚咽した」とのこと。二陵とは、文禄慶長の役で日本の賊が荒らした宣陵と靖陵という2つの王墓で、犯人を見つけて差し出さなければ国交回復はならぬと、徳川家康に突きつけた経緯は、『朝鮮通信使』の中でもしっかり描いています。160年近く経っても屈辱の思いは王家に連綿と続いていたのですね。

 中国からはつねに大国の圧力を受け、日本には先進国のプライドと過去の国辱が交錯する朝鮮王家の複雑な心情がしのばれます。

 

 

 この後、ワークショップコーディネーターの森平雅彦氏(九州大学大学院人文科学研究院准教授)の「絵画に描かれた朝鮮時代の水辺風景」を聴講し、終了しました。

 

 心地よい疲労感のあと、一緒に聴講した京都高麗美術館の片山真理子さん、李白恵さん、李須恵さんをJR静岡駅までお送りし、新幹線の時間まで、「魚河岸大作」で駿河湾の地魚と地酒・満寿一を味わっていただきました。

 帰り際に偶然、「大作」に森平先生や長森先生ほか講師ご一行が入ってきて、思いがけず名刺交換。おいしい魚と酒に満足された片山さんたちを笑顔で見送り、頭の疲れがスッキリ癒されました。

 


誉富士の出品酒

2009-03-01 10:33:32 | 吟醸王国しずおか

 昨日(28日)は『吟醸王国しずおか』の撮影と、天晴れ門前塾の酒蔵見学ゼミを兼ねて、朝から「若竹」の大村屋酒造場(島田市)を訪ねました。

Imgp0598  昨日の日程は、ゼミ生の都合を第一優先に決めたのですが、なんと運のいいことに、純米大吟醸の上槽(搾り)のタイミングにマッチし、まさに、鑑評会出品用の斗瓶取りをバッチリ拝むことができました。

 

 最高級の純米大吟醸のもろみ経過や搾りのタイミングは、仕込み全体の中でも最も判断が難しく、当日朝の段階で決めるのです。20年酒蔵取材をしていても、実際にその現場に立ちあえたのは数えるほどしかありません。

 

 副杜氏の日比野哲さんから「もしかしたら運よく搾りを見てもらえるかも」とは聞いていましたが、朝、蔵に着いたら仕込み蔵の扉の前でいきなり杜氏の菅原銀一さんに出くわし、中をのぞくと蔵人がバタバタと上槽準備をしています。「マジで!?」と小躍りしてしまいました。

 

Imgp0590  「搾る直前のもろみを見ますか?」と日比野さんが学生たちを仕込み蔵2階奥の小仕込み用サーマルタンクに案内し、簡単な説明の後、上槽作業がスタート。1階に設置された小ぶりの槽(ふね)に、2階からホースでもろみが送られ、適量を酒袋に詰めて槽の中に重ね積みしていきます。

 

 菅原杜氏が、学生たちを槽のすぐ側まで導いて、作業する日比野さんたちの様子や、最初に搾られて出てきた酒(あらばしり)は白濁していて味が粗っぽいので再度タンクに戻すことや、透明な状態になるには、もろみをすべて袋詰め・積み上げをし、しばらく時間を置く必要があることなどを、ていねいに解説してくれました。

 

Imgp0619  若竹の純米大吟醸出品酒は、静岡県の酒米新品種「誉富士」の40%精米を静岡酵母HD-1で仕込みます。ほとんどの蔵元が、出品酒には山田錦を使う中、「米も酵母も静岡産」に徹したこの蔵の姿勢は光っています。

 

 

 

 誉富士は、山田錦の枝分かれ品種で、もともとは「背が高く倒れやすく育てにくい山田錦の欠点をカバーし、山田錦に近い米質で育てやすい米」を目指して県農業技術研究所で開発されました。

 

 ところが作ってみたら想像以上に軟質で、高精米が難しいことがわかり、誉富士を仕入れた蔵元では精米歩合60%前後の特別純米・純米吟醸クラスで使っています。それより高い40~50%精白の酒(大吟醸・純米大吟醸クラス・もしくは他クラスでも麹米のみ高精白にする場合)は、やっぱり山田錦が唯一最高の米であるというのが定石なんです。

 

Imgp0615  大村屋酒造場が誉富士の40%精米に成功したのは、なんといっても酒米専用の自家精米機を持っていること。機械の性能にもよりますが、40%精米はおよそ70時間かかるので、酒蔵常勤の精米技術者がはりついて徹底管理しなければ、いい精米はできません。

 

 酒米専用の精米機と精米技術者を自前で抱える蔵元は、静岡の場合、数えるほどしかありません。精米機のない蔵が誉富士を使おうと思ったらJA静岡経済連の精米所に依頼するしかない。JAの精米技術に問題があるわけではありませんが、特殊な酒米を半分以下まで磨くには、やはり相応の専門性が必要のようです。

 

 「うちは環境に恵まれています」と素直に喜ぶ日比野さん。誉富士40%で仕込んだ出品酒は、昨年、静岡県清酒鑑評会でも上位入賞し、名古屋国税局鑑評会でも入賞。私は昨年4月名古屋の事前お披露目会で「県内出品酒の中で一番光ってた」と現場で日比野さんを絶賛したのですが、最初は誉富士の酒とは思わなかったのでびっくり。山田錦の酒と競い合えるだけの実力をみごと証明したのでした。これは、日比野さんたちが、自家精米機を持つ県内蔵の“使命”との思いで造りに臨んだ成果だともいえるでしょう。

 

Imgp0612  昨日は学生たちに、精米所でも米の話を熱心にしていた日比野さん。金谷の中屋酒店さんが自分で育てた米を店のPB酒にしたいと依頼してきた分を、少量、洗米するからと、オール手作業での洗米作業を見せてくれました。学生に、計量とさらし作業を手伝わせるなど、大事な出品酒上槽の作業の傍らで、最大限の配慮をしてくれました。

 

 その様子は、成岡さんがカメラでばっちり撮ってくれましたので、大村屋酒造場の魅力を伝えるシーンにぜひ盛り込みたいと思っています。

 

 菅原さん、日比野さん、蔵人のみなさん、本当にありがとうございました!