3月15日のしずおか地酒研究会20周年記念講演会「造り手・売り手・飲み手が切り拓いた静岡地酒・新時代」、後半は松崎晴雄さんと、「正雪」蔵元で静岡県酒造組合会長望月正隆さんの対談です。
(鈴木)今日はお二人とも、静岡県清酒鑑評会の審査を終えたばかりで駆けつけてくださいました。会場の皆さんも気になっていると思いますので、まずは審査結果から教えていただけますか?
(望月)本日、静岡県沼津工業技術研究所で静岡県清酒鑑評会の審査会が開かれました。吟醸酒の部は英君酒造が県知事賞。純米の部は富士錦酒造が県知事賞を受賞しました。今期は非常に気候の安定しない年で、みなさん酒造りに苦労されたと思います。米が溶けやすい傾向にあり、それを防ぐために造りをコントロールし、どうかすると味が薄くなってしまうという傾向もあったかと思いますが、そのような状況を踏まえ、審査員をお務めいただいた松崎さんからお話いただこうと思います。
(松崎)今年は原料米がよく溶けるというのが全国的な傾向でもありました。その結果、味が出過ぎるといいますか、静岡も、例年に比べると、“甘溶け”し、甘みが浮いているという印象でした。本来、静岡の酒はスカッと爽やかで切れ上がった感触でしたが、その意味では例年よりも重かった。しかし変なクセがついて、明確に減点されるという酒はなかったように思います。審査は一審・二審・三審と繰り返して絞り込んでいきます。最後に残った酒はタイプの違うもので審査に悩みました。静岡酵母の特徴がよく出ていた酒でもなかったように思いますが、そんな中でも自分なりにバランスがいいと思った酒を選ばせていただきました。
(望月)通常、鑑評会では最初の一審あたりだと差が出ることもあるのですが、今年は最初から大きな差はありませんでしたね。
(松崎)今、従来のように職人杜氏が雇用されている蔵はどれくらいですか?正雪さんは(南部杜氏の)山影さんですよね。
(望月)そうですね、世代交代して蔵元や社員が杜氏になるケースも増えていますが、静岡県では全国に比べると(従来のように杜氏を雇用する蔵は)まだ多いほうだと思います。
(松崎)昔、この会で「静岡県は杜氏の交差点だ」とお話したことがあるんですが、静岡には全国からさまざまな流派の杜氏さんが来られていましたね。岩手の南部杜氏、石川の能登杜氏、新潟の越後杜氏、広島杜氏、地元の志太杜氏と、なかなかこれだけバラエティに富んだ県も珍しいと思います。
(望月)世代交代していますが、開運、志太泉は能登杜氏ですね。
(松崎)世代交代していても、静岡吟醸のスタイルが継承されているというのは静岡の特徴かなと思います。
(望月)昭和61年の大量入賞時には南部、能登、新潟、広島、志太と5つぐらいの流派の杜氏さんが静岡酵母に取り組んで、各流派の杜氏さんに静岡吟醸のスタイルが確立されました。それが若い世代に引き継がれていったというのが、静岡を特徴付けたひとつの要因だと思います。
(松崎)静岡へ招かれた杜氏さんたちが叡智を傾け、創り上げた酒質といっていいでしょうね。志太杜氏だけで確立されたわけでもなく、数の多い南部杜氏が引っ張った技術、というわけでもない。
(望月)そうですね。
(松崎)今、首都圏では静岡県の酒は非常に人気が高いのですが、首都圏以外の地域での静岡酒の人気はどうでしょうか?
(望月)関西、たとえば大阪や京都はもともと地場の酒(灘・伏見)が強い地域ですが、現在は味も香りも強いタイプの今風の酒が人気です。しかし関西の素材を生かした薄味の料理にどうも合わない、ということに気がつき始めたようで、静岡のような食中酒タイプが見直されつつあります。
(松崎)北海道や九州はどうですか?
(望月)北海道は特殊な市場で、札幌のような都市部ですと地方からの単身赴任者が多く、地酒の情報量が多い。地酒は東京の有力な酒販店さんから入ってくることが多いため、これから地場の酒販店さんが力をつけていくというところでしょうか。その中でも静岡の酒は伸びていくという気がします。南のほうはどうでしょうか。静岡の酒は私たちが思うほどまだまだ知られていないと思うので、いろいろなところへ出向いて行って、静岡の酒を知っていただく努力を我々もしなければ、と思っています。
(松崎)土地柄みたいなものに対するイメージといいますか、静岡の場合は富士山がありお茶がありで、酒は?となると、まだまだ弱いところがあるかもしれません。
(望月)酒が出来るのは米どころや寒いところというイメージですからね。静岡はお米に関しては完全な消費県です。米もとれない温暖なところでなぜ酒か?というイメージのギャップはあるかもしれません。
(松崎)そのギャップで苦労されたことはありませんか?
(望月)そんなこともあって、東京で静岡県地酒まつりというのを20年近く続けているんですが、先日、長野県酒造組合の会長さんとお話しする機会があり、長野県は毎年東京と大阪で1000人規模の大試飲会を開催していると聞きました。静岡はまだまだだなあと思いました。
(松崎)酒米のほうはどうですか?
(望月)平成17年から「誉富士」という米を作っています。3年前から静系95という試作種にも取り組んでいます。
(松崎)思うんですが、静岡酵母に合う米というのもあると思います。たとえば「五百万石」という米はすっきりきれいな味に仕上がりますが、他の酵母で造ると薄っ辛くて個性がない酒になる。しかし静岡酵母で造ると持ち前の繊細さが上手に表現できる、そんな気がします。逆に「雄町」という米はボテッと味のある甘くて酸もある酒になるので、香りの強い酵母を使うと重くなり過ぎる。かえって静岡酵母を使うと抑えが効いてきれいな酒に仕上がる。すなわち、静岡酵母は万能酵母ではないかと思えてくるのです。米との相性というものをどうお考えですか?
(望月)うちは「雄町」だけ他の酵母を使っていました。「誉富士」はタンク1本しか造っていないのですが、若い杜氏の勉強のために造っています。静岡酵母との相性は非常にいいですね。
(松崎)「山田錦」の存在感があまりにも大きく、数多くの蔵が使っているため、膨大な仕込み経過データも蓄積されています。それに匹敵するくらい他の米のデータが取れればよいのですが、各地域で新しい酒造好適米が登場したり、昔の品種を復活させたりと、米の選択肢が広がるのは非常に良いことではないかと思います。静岡でもそのような取組みが進み、目指す酒質によって米や酵母を使い分ける“設計”が出来るんじゃないかと。
(望月)自分の蔵の話で恐縮ですが、誉富士は誉富士、山田錦は山田錦の使い方があると思っています。同じ精米歩合と同じ仕込み方法で米の違いを表現する、という蔵もいらっしゃいますが、私どもでは仕込みにあわせた米や精米歩合の選択というものを考えます。
(松崎)いろいろな蔵元のいろいろな米の酒を試飲していると、どんな米を使っていも、最終的にはその蔵の味になるんですね。正雪さんもそういう蔵ですね。さらにいえば静岡酵母を使っている蔵は「静岡の酒」になる。
(望月)静岡の酒が「静岡の酒」というカテゴリーで語られるようになったのは、そのようなカタチがあるからだと思います。本日の審査の前にも、審査員の先生方から「きれいで爽やかで調和の取れた酒を選びましょう」というコンセンサスをいただいたのは、まさにそのカタチです。
(松崎)そのようなアイデンティティを保つのは難しい。主観的なことですから口で言うほど簡単ではないですね。「きれい」も「調和」も、人によって捉え方が違ってきます。その中で30年間、静岡酵母の特徴を保持し続け、静岡タイプの酒が見直されているというのは素晴らしいと思います。
(望月)本日の審査に来られた若い技師の先生から「吟醸酒って甘いですよね」と言われてビックリしました。我々の世代はきれいな辛口だと教えられた。今の香味の強い酒で教育を受けていらっしゃる先生方とは違うんですね。30年前の静岡のカタチは評価としては古いのかもしれませんが、これが静岡の特徴だと言えると思います。
(松崎)ワインやチーズ、スコッチやコニャックのように産地がそのままブランドになる産地呼称というのを日本酒の世界でも進めようという動きがありますが。
(望月)日本酒はカテゴリーとしては「清酒」。海外でも生産出来ます。海外産の清酒を日本に持ってきても「日本酒」という名前では売れませんが、別の海外に持っていく分には問題ありません。大吟醸も、日本国内の製造区分では当てはまらない大吟醸が中国あたりで造られて、それがアメリカへ持っていかれているというケースもある。それを飲んだアメリカ人は「日本酒、大吟醸ってこんなものか」と思うでしょう。そのためにも地理的表示を重視し、日本酒は日本で造られた清酒であると国際的に認めていただこうと運動をしているところです。
(松崎)その意味では「静岡吟醸」という言葉は非常にしっくりきますね。こういう酒だとイメージさせる産地呼称の中でも最有力候補ではないかと思います。
(望月)国のほうは、まず先に「日本酒」の定義を決めよう、世界に認めてもらおうと動いています。
(松崎)SAKEがグローバルになった今こそ、SAKEとはこういうものだ、吟醸とはこういう意味があるものだ、これこそが静岡吟醸だと打ち出す意義があるのでは、と思います。
(望月)静岡の酒を世界に発信できるよう努力していきたいと思います。
(松崎)今、海外への輸出が好調だといわれますが、日本酒全体の生産量に比べたら輸出される酒は2%をちょっと超えたぐらいでしょう。これが10%を超えたとき需給バランスが崩れるのではないかと懸念されます。いい酒ほど“爆買い”の対象になるでしょうけど、いい酒は大量に造れない。我々日本人が美味しい酒を呑めなくなってしまっても困りますね。
(鈴木)残り10分ほどになりましたので、質問時間に充てたいと思います。初めてお酒のセミナーに参加された方にとっては専門的な内容だったと思いますので、どうぞご遠慮なくご質問ください。
(質問者)蔵元はコンテストで賞を取るために造るのか、売上を伸ばすために造るのか、どちらでしょう?
(望月)コンクールで賞をいただくのはありがたいことですし、それが励みになることもあります。日本酒の採点法というのは減点方式なんですね。各審査員がそれぞれの酒に1点から3点まで点数を付ける。点数が高いほど「難点がたくさんある」という評価になるのです。今日の審査会では20度の室温の中で品温15℃の状態で審査しました。ふだん呑むときはもう少し低い温度だと思うんですが、15℃という温度だと、“アラ”が見えてくる。こういう欠点があり、何が起因しているか、造りのこの工程でこういうことをしてしまったからではないかと、技術者が技術を高めるために欠点とその要因を洗い出していく・・・それが鑑評会の審査です。その意味では売上を伸ばすためのコンテストではないのですが、受賞が結果的に市販酒にフィードバックされるため、市販のための賞、ということになってしまうかもしれません。
(質問者)磯自慢が北海道洞爺湖サミットの乾杯酒に選ばれました。外国人に日本酒の美味しさが解るのだろうか、と思いましたが・・・?
(望月)まもなく伊勢志摩サミットですね、どの酒が選ばれるんだろうと注目されているところですが、以前のサミットや宮中晩餐会で乾杯酒といえばワインでした。明治維新以降、西洋スタイルを取り入れて以来、そうなっただろうと思われますが、賓客をもてなすのに地元の酒が大事であると考えた演出家・・・私どもにとっては非常にありがたい存在ですが、そのような働きかけがあってサミットで日本酒が使われるようになったのだと思います。今、全国各自治体で「日本酒で乾杯条例」の制定が進んでおり、残念ながら静岡はまだですが、そのような環境に変わりつつあると思います。
(質問者)体調によって酒の味って変わるように感じます。先生はふだんどのように体調というか舌の管理をされているんでしょうか? 年齢とともに変わってくるということもありませんか?
(松崎)特別な鍛錬をしているということはありませんが、年間を通してかなりの量のきき酒をしています。量をこなすというのもひとつの鍛錬かもしれませんね。全国各地の鑑評会の審査にいくときは、各地域で審査基準が違ってきますので、それに合わせる柔軟性も必要になります。そのためにも量をこなすということは必要です。年齢的な面でいえば、齢をとるにつけ、苦味の違いのようなものが分かってきたように思います。日本酒を呑み始めた頃はただ単に飲みやすい酒がいいと思っていましたが、経験を重ねるうちに複雑な味わいを理解できるようになりました。よく酒が呑めない人のほうが酒の味は分かるといいますが、そんなことはありません。ある程度の量を飲んで経験を重ねた人のほうが理解できると思っています。
(質問者)今日の午前中、オーストラリアから一時帰国された和久田哲也シェフのお話を聞きました。オーストラリアでもメジャーな店では日本酒を扱っているそうで、浜松ご出身の和久田シェフも静岡の酒を愛飲されていらっしゃるようです。日本酒のカテゴリーとして難しいと思うのは、ワインはぶどうから出来ているので本質的にブドウの生産者がワインの生産者であり、ぶどうの産地がワインの産地になる。しかし日本酒の場合は米の産地イコール酒の産地ではありませんね。静岡には誉富士がありますが兵庫の山田錦も多く使われます。お茶でいえばどちらかといえば産地イコールブランドになっていますが、お酒の場合はどうなるんでしょうか。他県産の米と協会酵母で醸した酒を「地酒だ」と説明するのが難しいような気がします。どのような形で日本酒をカテゴライズし、国酒として売っていけばよいのでしょうか。
(望月)ワインのぶどうと日本酒の米との違いは、移動が出来るかできないかだと思います。ぶどうは長時間貯蔵や移動をさせるのは難しいですが、米は可能です。さきほど静岡県は米の消費県だと言いましたが、静岡県民が県産米しか食べられないとしたら4ヶ月で枯渇する。そういう県はたくさんあります。米は日本にとって何百年もの間、地方から都市部へ流通され、かつては通貨として扱われた。ワインのぶどうとは同等には語れません。では地酒とは何だろうといわれたら、私は水だ、と応えます。日本酒の原料の85%は水です。その地域の人々がふだん使っている水です。そこに価値があるのではないかと思う。海外で造られた清酒が売れている現実は確かにありますが、日本で造られている日本酒との違いはしっかり認めていただかねばと思っています。
(松崎)水は大事ですね。ワインの場合、ぶどうの特性が9割がたですから、産地の個性が出やすいし、産地呼称も利用しやすい。日本酒の場合、その土地で育まれた造り方や味わい方、気候や歴史といったものが、その土地の味わいになっていくのではないかと、抽象的な表現で恐縮ですがそう思います。実際、海外で造られた日本酒を飲むと、やはりどこか違うなと感じます。もちろん水が違うし、造り方も未完成な部分があると思いますが、技術的なこと―テクニック云々よりもモノづくりに対する職業観や価値観といった目に見えないバランス的なものが面白い個性につながっているような気がします。どちらかといえば同じ醸造酒でもワインよりビールに近いのではないでしょうか。クラフトビールは世界でも造られていますし、アメリカのIPA(India Pale Ale)に近いと感じます。その土地に培われた地の技というものが地酒の味だ、といえるのではないでしょうか。
(鈴木)ありがとうございました。残念ながらお時間となってしまいました。この続きはぜひ二次会のほうでよろしくお願いします。(了)