6月26日(日)は、静岡市葵区のアイセル21食工房で、『第9回カミアカリドリーム勉強会』が開かれました。1年前にドンクのパン職人仁瓶さんを講師にお招きした勉強会も大変面白くて、紹介記事も多くのアクセス数を頂戴しました。
やっぱり面白い食の担い手や職人の横のネットワークって、ソソられますよね!
今回の講師は、静岡県農業技術研究所(磐田市)で米の育種を担い、静岡県独自の早生品種「なつしずか」や酒米品種「誉富士」の産みの親である宮田祐二さん。現在は県志太榛原農林事務所にお勤めで、酒造のメッカ・志太地域ならびに「カミアカリ」生みの親である松下明弘さんの圃場にも近いとあって、お会いするたびに日焼けして嬉々とした表情が印象的です。現場主義の職人気質の人なんですね。
宮田さんは今回、米の品種とは何ぞや?という根本的な解説をしてくださいました。日本って稲作文化の国だけど、米の品種が文献に登場するのは江戸時代から。幕藩体制では藩の財政基盤が米の石高だったから、各藩で「量産できる品種」「気候変動に強い品種」を真剣に研究し出したわけです。
明治の殖産時代になって初めて農業の専門研究機関が設置され、全国から優良な米の種籾を集めて生産量を上げようとしたところ、在来品種があまりにも多くて整理するのに精一杯。大正~昭和に「交雑育種=交配」の研究がようやく動き出したそうです。
昭和初期には原子力の研究もスタートし、植物に放射線を当てる研究も始まりました。放射線を当てると“突然変異”が出やすくなるんですね。食味をよくしたかったら、味の良くなる遺伝子を増やす、病気に強い品種にしたかったら、あるいは収量が取れる品種にしたかったらその遺伝子を増やすための手段です(放射線といっても半減期が0コンマ数秒というX線やガンマ線ですからご安心を)。放射線以外に化学物質や組織培養を使った交配技術も発達しました。
でも、「味の良くなる遺伝子」と「病気に強い遺伝子」を掛け合わせても、本当に“味が良くて病気に強い品種”と認められるには、子ども→孫→ひ孫→玄孫と、何代にも亘って連続性が保てるか、最低でも6年ぐらいは交配実験をしてみなければわからないそうです。紫外線の影響などで、遺伝子が突然働かなくなって、「背丈の高くなる遺伝子」に紫外線があたって「背が低くなる」なんてことも。・・・そんなこんなで突然変異によって“従来にない面白い種”が出来たとしても、97%は実用化できないとか。
松下さんが発見した「カミアカリ」は、コシヒカリの突然変異。ホントに偶然、田んぼで作業をして片付けをして帰ろうと思ったときに、何気に気になる穂を(まるで神の啓示のごとく)見つけた、自然の突然変異。初めて見た時、宮田さんも直感的に「なんだこれ、面白い・・・!」と思ったそうです。交配育種のプロとして、真剣に向き合い、手をかけてみたくなる衝動にかられたのかも。
同じく松下さんの山田錦を初めて酒にした青島酒造の杜氏・富山初雄さんが「他の山田錦とは違う、松下米だ」と唸った当時の気分に通じるものじゃないかな。
「カミアカリ」は、幸運にも、宮田さんみたいな育種専門の研究家と、当時「玄米」にこだわっていた安東米店の長坂潔暁さんという2人のプロが、松下さんの身近にいたということが大きかったと思います。これは、松下さん自身が持っている幸運だったかもしれないし、米の神様が松下さんの手を通してこの地に何かを残そうとした真の啓示なのかもしれません。
・・・ちなみに、国の品種登録制は、従来の品種とは一線を画す区別性・均一性・連続性を条件に審査され、合格したら公報され、公に権利が生まれる特許制度みたいなもの。「カミアカリ」はあまりにも規格外の巨大な胚芽米なので、いくら審査に出しても「外」扱いされ、「カミアカリ」という名前で売ることは出来ないのだそうです。
ちなみに静岡県では寿し飯に合う品種として「関取」という米が注目されていますが、これは昔の在来種なので品種登録されず、こちらも品種名を表示して売ることはできないそうです。品種登録制というのはそもそも生産者の内々だけに通用する法律みたいなもので、流通や消費のマインドに応えるものではないようですね。なんとかならないのかなあ。
そんな中でも、カミアカリは口コミペースで理解者を増やし、作り手と買い手の輪を広げようと地道に応援する仲間に支えられている。・・・国の恩恵も“縛り”にもとらわれない、ひとつの新しい食文化の形態のような気がします。