杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

雛人形によせて

2010-03-03 00:54:55 | アート・文化

 雛祭りですね。

 

 独り暮らしの身にはとんと縁のない日ですが、一昨日の1日、上川陽子さんの事務所『みんなの広場』で雛祭りをやるからと声をかけていただき、ちょうどImgp1956 仕事の手が空いたランチタイムにおじゃまして、ちらし寿司やお汁粉をいただきました。室内は女性だらけでムンムンしていて(笑)、みんなで雛祭りの歌を合唱したり、この日お誕生日だった陽子さんを、つるし雛飾りでお祝いしたりしました。

 女性同士で集まって美味しいものを食べたり、くっちゃべったりするだけでも、十分お祭り気分を味わえるんだなぁと、今更ながら実感です・・・。

 

 

 先週末の26日には、『吟醸王国しずおか』の撮影でおじゃました正雪の蔵元で、見事なお雛さまの段飾りを拝見しました。私が子どもの頃は、家が狭くて段飾りが置けず、ガラスケースのミニチュア飾りで我慢させられ、段飾りのあDsc_0017 る家に憧れたものでした。

 

 こうして改めて見ると、お雛様って本当に手の込んだ職人技術の結晶ですねぇ・・・。

 

 

 

 

 

 ちょっと古い原稿ですが、2000年初春に発行した『静岡の文化60号』(財団法人静岡県文化財団発行)の雛人形特集で、駿河雛具について書いたものがあります。読み直してみたら、映画作りに例えて書いてあるのに、我ながらビックリ。自分が自主映画を作るために訪れた蔵元で、雛人形に見惚れていたとは、10年前には想像も出来なかった・・・。

 10年前の原稿なので、データ等は変わっていると思いますが、そのまま再掲させていただきます。雛祭りのちょっとしたトリビアになれば幸いです。

 

 

 

駿河の雛具・雛人形 その技とこころ

   文・イラスト 鈴木真弓 (「静岡の文化」60号・2000年初春発行号より)

 

 

 雛祭りは平安時代のお雛(ひいな)遊びと、紙やワラで作った人形(ひとかた)に自分の厄の災いを移して海や川に流した“流しびな”の行事が結びついたといわれる。生まれた子に災いが降りかからないようにという家族の願いが込められている。

 

 よく人形には魂が宿るというが、雛人形は、見た目の華やかさとは裏腹に、災厄を引き受ける“かたしろ”の宿命を背負っているわけで、衣裳や道具に贅を尽くすのは、人形への鎮魂の証ではないかとも思える。

 

 雛人形・雛具の産地は、埼玉、東京、愛知、京都、大阪など人口密度の高い都市部が中心で、静岡はいわば後発組である。にもかかわらず、現在、雛人形の胴体の生産は全国シェア70%、雛具は90%と圧倒的な数字を誇る。

 

 木地・胡粉塗・面相書き・結髪と細かく分業された頭(顔)づくりは、それぞれに緻密な伝承技術が守られる先進地にはかなわなかった。その代わり、胴づくりは生産や流通のシステム化が成功し、全国トップの座を勝ち得たのである。

 

 道具づくりは江戸中期から盛んだった漆塗り手工芸の職人が、明治期に雛具づくりに転じたことから、駿河雛具は一大ブランドとなった。箱型の木地を作る指物師、ろくろと使って丸型の道具を作る挽物師、指物や挽物に漆や塗料を施す塗り師、塗り物に美しい彩画を描く蒔絵師、飾り金具を作る金具師、そして最後の仕上げ師・・・そのどれもが、静岡が誇る伝統技術であり、ルーツは久能山東照宮や静岡浅間神社造営のために全国から集まった名工たちにある。

 戦国の世を束ねた最高権力者・徳川家康をまつり、徳川治世の安泰を願って造営された絢爛豪華な社殿の数々。おそらく当時の日本の最高水準の技能が静岡に結集したのであろう。駿河雛具の真の生みの親は徳川家康といってもいい。

 

 

 新春を迎えると、雛人形のテレビコマーシャルがさかんに流れる。私はこれまで、雛人形や雛具は、コマーシャルで流れる名前のメーカーが1から10まで作っていると思っていたが、彼らは実は優れたプロデューサーであり、コーディネーターであった。

 

 パーツの大半は○○師の看板を持つ職人たちが作り、メーカーはそれらを集めて組み立てる仕立て師(監製者)という役割を担う。

 代表的なメーカーの一つ㈱三和の人形工房では、70以上の衣裳ピースを人Imgp1968 形師竹村道夫さんと女性スタッフが、手で一枚ずつ縫い合わせ、貼り合わせていた。ピースは京都西陣から毎年アイディアを凝らした新作デザインを取り寄せては、スタッフ全員で組み合わせを吟味する。

 

 人形が身に付ける小物は、ものによっては清水焼や七宝焼など日本の優れた伝統工芸を集めて着付けをほどこす。

 最後に竹村さんが、人形の肩や肘を、顔の表情や着物のデザインに合わせて動かし、振付をする。

 「単純だからこそ難しい。一番の基本は型くずれしないこと。女性なら着物を着ているときのふくよかさや優雅さ、男性ならおおらかさや雄々しさを表現したい」という。

 

 

 人形メーカーは、映画でいえば、企画から宣伝・配給までのすべてを仕切るプロデューサー兼ディレクター兼エディターといえばいいだろうか。各職人は、いわば現場で汗を流す役者、カメラ、照明、美術さんといったところか。

 静岡は映画の顔である役者、つまり頭(顔)の作り手は少ないが、それ以外は節句業界の“ハリウッド”である。

 ものづくりは分業化や量産化に成功し、システムとして機能して初めて「産地」になる。手工芸においてこのシステムが確立していることが、静岡を“ハリウッド”にしている。

 

 

 ヒットする商業映画は、役者の顔もさることながら、時流をつかんだ企画と作品全体のクオリティ、そして宣伝力によるところが多い。雛人形も同じことがいえる。

 「少子化、暮らし方の洋風化、本物志向といった価値観の変化に合わせ、伝統工芸の世界も柔軟な発想が求められる」と語る㈱三和の人形・松島社長。松島さんや竹村さんが強調するのは、節句行事の価値の再認識だ。

 

 

 とはいえ、雛人形は、ひとりの女の子の一生の災厄を引き受ける“かたしろ”の使命を持つ。職人たちの精魂も込められている。

 さらにいえば、駿河雛具の源流を生みだした今川・徳川の治世者たち。彼らが社寺をきらびやかに造営するのは、自身の治世の安泰と、滅び去った者たちの念を癒す目的がある。そんな鎮魂の思いが、職人たちの技に連綿と受け継がれているような気がする。

 

 人形というものが背負う“業”を考えたら、手をかけ、心をこめてつくるという工芸の原点を見失っていはいけない、と思う。


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