杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

阿修羅像との再会

2009-04-09 11:33:35 | 仏教

 7日はまる一日インタビューの仕事で頭を使い、疲労困憊。リフレッシュしようと、昨日(8日)は東京国立博物館で開催中の『国宝阿修羅展』を観に行きました。ちょうど1年前は『国宝薬師寺展』で日光・月光菩薩像の“完璧な美”を堪能しましたが、今年は仏像界のスーパースター・興福寺の阿修羅像が東京に“降臨”です。

 

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 奈良に行かなければ観られないほとけさまを、身近な博物館で間近に観られるというのは、ほとけさまの教えを広く伝える機会になるし、美術ファンにとっても貴重なこと(実際のところ、薬師寺も興福寺も、建て替えや復元や耐震工事等の費用をねん出するため、人気のほとけさまに一肌脱いでいただこうという目的もあるようですが)。…にしても、今回の阿修羅展は6月7日までの長期開催なのに、昨日は平日にもかかわらず入館まで40~50分待ちという大盛況。お寺の事情とか何とか言う以前に、この人気とは何だろうと考えてしまいました。

 

 

 さて、興福寺の阿修羅像。初めて観たのは中学の修学旅行だったと思います。近代的な宝物収蔵庫(国宝館)に、多くの寺宝や仏像とともに展示されていた中で、端正な少年のおもざしをたたえた阿修羅は、思春期の女子が一番リアルで親しみやすく感じるほとけさまでした。

 

 ちょうどその当時、漫画週刊誌(少年チャンピオンだったかな?)に萩尾望都さんが阿修羅を主人公にした『百億の昼と千億の夜』を連載していて、これにドンピシャはまってしまって、自分でもユダやブッダを主人公にした創作漫画を描いて出版社に応募し、賞をもらったりしていました。漫画家への夢は途中で頓挫しましたが、それはともかく、10代の多感な時期に出会った阿修羅と、萩尾望都のあしゅらおうは、私の仏像好きの起点になりました。

 

 それ以降、さまざまな仏像に出会いましたが、そのときの自分の年齢や経験知と重なって、観るたびに違うお顔に見えたりして、仏像って自分の心の鏡みたいだなぁとつくづく思います。

 今回のように、特別にしつらえたステージで、スポットライトをあびた阿修羅は、今までとはまるで違う仏像に見えました。祈りや、心の鏡になる対象ではなくて、完全に“VIPスター”。しかも、上野にパンダやモナリザが初来日したときのように、押すな押すなのギャラリーの中、警備員が「立ち止まらないで~」と絶叫するような空間。なんだか、「ごめんなさい、騒がしくて」と阿修羅に謝りたい気分でした。

 

 

Imgp0798  興福寺の僧侶による講座を聴講したところ、阿修羅像の東京出展は今回で2度目だそうです。1度目は昭和27年2月、日本橋三越で開かれた『奈良春日興福寺国宝展』で、3週間足らずの会期中、50万人が押し寄せたそうです。購入した図録の中にも、その時の裏話が紹介されていました。昭和48年の熊本大洋デパートの火災以前は、百貨店での国宝・重文の展覧会に規制がなく、今ほど美術館や博物館の数がなかった当時は、百貨店が美術鑑賞の場として重要だったとか。

 

 それでも昭和27年当時、国宝の百貨店展示は史上初の試みで、しかも奈良からの長距離輸送には多くのリスクがありました。奈良から汐留まで東海道線で4日間がかり。美術品の輸送技術が確立されていなかったなかで、博物館スタッフと日本通運の輸送チームの苦労は想像を超えるものがあったと思います。汐留から日本橋三越までは武装警官が立ち会って、警視庁の特別手配によりノンストップで入ったそうです。昨日のギャラリーの喧騒なんて、昭和27年当時に比べたら「たいしたことないよ」と阿修羅も笑っているかもしれません。

 

 お寺巡りや観光旅行などを愉しむゆとりがなく、戦後の復興に汗する東京の人々の目の前に現れた阿修羅像は、「荒野に降りてきた一条の希望の光だったのではないでしょうか」と、図録の筆者も紹介しています。

 

 今も、状況は違えども、日本の社会は「荒野」に似た状態で、人々は60年前と同じように、阿修羅像にどこか、希望の光を求めているのかもしれません。

 

 

 私的には、ふだん観られない後ろ姿や左右の表情が360℃しっかり拝めて、「この角度のこの表情がいいなぁ」なんて、新しい発見や感動を得ることができ、美術鑑賞者的には並んで観た甲斐はありました。

・・・ただ、思春期の頃に初めて出会ったときのまっさらな感動と、30年経ってこうした形で再会して得たものとは、ちょっと質が違うかも。そんな、あまたの人々の複雑な感情を一身に受け止め、1300年存在し続ける仏像というのは、やはり、ただの彫像品ではありません。

 

 興福寺は、阿修羅像を筆頭にした天平仏の宝庫ですが、何度か火災に遭って、そのつど多くの人々が復興に尽力しました。鎌倉期の慶派仏師も大いに活躍し、私の好きな北円堂にも運慶一門の名品がずらり。今回の展覧会でも運慶作の釈迦如来像頭部や四天王像が目の前で迫力満点に堪能できます。阿修羅の会場はムチャクチャ混んでいましたが、鎌倉仏の展示場は比較的空いていました。

 天平仏が癒しを与えるとしたら、鎌倉仏はエネルギーを注入してくれると思います。これから鑑賞に行かれる方は、ぜひぜひ両会場合わせてご覧くださいね。