杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

地酒まつりのない10月1日

2008-10-01 11:16:38 | しずおか地酒研究会

 10月になりました。

 この20年、10月1日は静岡県地酒まつりが開かれ、ほとんど欠かさず参加していたので、10月の声を聞くと、本格的に日本酒の季節が始まる、と感じていたものです。

 今年は浜松での開催ですが、あいにくホテルの宴会場が借りられず、明後日3日の開催となりました。金曜夜になったことは、サラリーマンのお客さんにとっては都合がいいかもしれませんが、商売をしている人は難しいでしょうね。私はいつものように、燗酒のブースをお手伝いします。参加予定の方は燗酒ブースに気軽にお立ち寄りください!

 

 

 

 

 

 

 10月1日なのに地酒まつりのない今日は、朝から『吟醸王国しずおか』映像製作委員会の会報誌・杯が満ちるまで第3号の校正をしながら、20年の酒とのかかわりについて、つらつらと思い返しています。

 私が静岡の酒と出会ったのは昭和62年頃で、本格的に酒蔵巡りを始めたのは、ちょうど平成に切り替わる頃。最初に訪問したのは、当時はまだ寺岡酒造場という社名だった磯自慢酒造で、志太杜氏の横山福司さんが現役最後の蔵勤めの年でした(パイロット版で横山さん写真の右横に映っていたのは、20年前の私です)。

 

 

 

その日、ちょうど、東京の地酒専門店が、観光バスを連ねて蔵見学にやってきました。観光施設でもない小さな酒蔵に東京から大型バスがやってきたこと自体、驚きでしたが、便乗参加した懇親会で、ゲストに招かれた河村傳兵衛先生が、「磯自慢は泥くさい酒だ」と堂々と言ってのけたのにさらに驚き、店主が客向けの会報誌に「河村氏は自らの名誉にかけて静岡酵母の開発に挑み…」という書き方をしていたことにも怒り出し、懇親会は重い空気に包まれました。駆け出しライターだった私には、眼を白黒させることばかり。泥くさいという表現は、河村先生なりの、磯自慢の酒造りに対する高度な期待の表れであったことは、ずいぶん後で理解できました。

 

 

 

 

 

 

次に訪ねたのは開運の土井酒造場。搾りたての大吟醸を槽口からすくって呑ませてもらい、世の中にこんな旨い酒があるんですか!と声に出して叫んでしまいました。土井社長は「搾ったばかりだからまだまだ粗いよ、このレベルで満足されたら困るなあ」と苦笑い。春に搾った新酒を半年寝かせ、涼しくなる頃に出荷する“ひやおろし”や、秋口から味がのってくることを意味する“秋上がり”という美しい言葉は、こうして一つ一つ現場で覚えたのです。

 

 

 

 

 

 その後、運のいいことに、JR掛川駅新幹線口にオープンした〈これっしか処〉のチラシの仕事をもらい、店長の巻田荘次さんと一緒に県中~西部地区の酒蔵をすべて回り、次いで〈静岡アウトドアガイド〉という雑誌で酒蔵巡りの連載を持たせてもらえるようにもなりました。静岡の酒の小売をいち早く手がけ、広告費にも投資をおしまなかった山崎巽さんと相互広告の藤江社長からは、静岡新聞全面広告の仕事をもらい、広告大賞奨励賞まで戴きました。これらは自分から仕掛けたのではなく、偶然、もらった仕事ばかりです。

 

 

静岡県酒造組合専務理事の栗田覚一郎さんにも、数多くの酒蔵を案内してもらいました。蔵元会長や社長さんたちと”タメ口“がきける栗田さんの存在は力強く、中でも、重鎮の一人、大村屋酒造場の松永始郎会長と栗田さんの”長老対談“は、政治番組の時事放談を聞くようで、本当に楽しかった。私がその時撮った会長の顔写真は、蔵元の母屋に今も飾られ、母屋を訪ねるたびに当時の光景を思い出します。パイロット版のお2人のツーショットも、その時撮ったものです。

趣味で酒蔵回りをするときと、取材の名目で回るときでは、やはり待遇も変わってきます。丁寧に応対してもらえるのは嬉しいのですが、蔵元や杜氏が専門用語を使いながら解説するのに、こちらもついていかなければなりません。國香の松尾晃一さん、小夜衣の森本均さんなど、口数の少ない職人肌の蔵元には、こちらが畳み掛けるようにあれこれ聞かねば取材にならない。相手にされないと、なにくそという思いで必死に勉強する。ライターという職業に就いて、これほど自分を磨き、向上させてくれた取材はなかったと思います。

 

 

厳しい口調で知られる河村先生からは、「ライターなんて職業は、他人に依存するだけで何の生産性もなく、社会に必要不可欠な職業でもあるまい」と言われたことがありました。今では堂々と反論できますが、駆け出しライターだった当時は、自分の存在価値をかけてこのテーマを追いかけ、いつか先生を唸らせる記事を書いてやる、といきり立ったものです。

 

 

 

 

蔵元の中で、私に自分磨きの場を最も多く与えてくれたのは、喜久醉の青島秀夫社長です。平成2年の喜久醉は、河村先生が「とんでもない酒」と仰天するほどの出来栄えで、先生は一升瓶に百万円付けてもおかしくないと絶賛されました。その話を聞き、藤枝駅前の〈酒のやかた〉の店主に頼んで蔵見学に連れていってもらったのが最初です。

 

取材名目ではなく、趣味の酒蔵回りの範疇でしたが、青島社長は、完成したばかりの吟醸用洗米機を、秘蔵のおもちゃを自慢する子どものように披露してくれました。社長が河村先生のアドバイスをもとに、蔵人の肉体的な負担を軽減するために開発したこの洗米機は、県内の酒蔵に普及し、“洗いに始まる”とされる静岡吟醸の技術向上に大きく貢献し、後に開運や磯自慢が改良版を製作し、県外からも注目を集めることとなりました。このことも、パイロット版で紹介しています。

 

 

 

青島社長が、私の父と、中学の同級生だったと知ったのは、ずいぶん後のことで、母や私がもちろん知らない父の中学時代のあだ名を、青島社長の口から聞かされたときは本当に仰天しました。安物の焼酎しか呑まない父を、”同級生の青島君”に50年ぶりに引き合わせることができたのは、酒の世界に関わるようになってから果たせた唯一の親孝行かもしれません。

数年前、心臓病で倒れた父の手術が、10月1日と重なり、私はしずおか地酒研究会を通して地酒まつりのチケットを買ってくれたお客さんに挨拶をしなければならない手前、父の手術中にもかかわらず会場にかけつけ、ほろ酔い状態で病院に戻った、なんてこともありました。

同じく心臓に持病を持つ青島社長は、父のことを心から心配してくれて、今も、蔵へ行くたびに「親父は元気か」というのが最初の挨拶になっています。

 

 

取材記事ばかりでは静岡の酒の魅力を伝えきれない、せっかく身近に造り手がいるのだから、彼らと直接交流が持てる場を作るべきだと考え、平成8年3月にしずおか地酒研究会を設立。その頃、青島酒造には松下明弘さんという地元の農業青年が酒米を作りたいといって飛び込みでやってきました。しずおか地酒研究会の発足準備会の前日のことです。

 

 

準備会当日、青島社長が「うちに面白いのが来たから」と松下さんを連れてきました。彼とはその日が初対面。私がこの会を「造り手・売り手・飲み手の輪をテーマに活動します」と発表したとき、彼は「米の作り手が入らないのはおかしい」と口を挟んできました。

酒米を作ったことがないというのに、ずいぶん大口をたたく奴だと思ったら、彼はその年、静岡県では栽培が難しいとされた山田錦を、不耕起自然農法という最も原始的な農法で、見事に育て上げたのです。青年海外協力隊でエチオピアに渡り、農業指導をするつもりが、逆に大地のたくましさと農の本質を学んできたという彼らしいこだわりが奏功したのでした。

 

 

 

 

 

10月の稲刈り直前に、ニューヨークでファンドマネージャーをしていた青島孝さんが家業を継ぐため戻ってきました。海外体験を経て日本の自然や伝統を見つめなおした同世代の2人は、時同じくして酒造りを始め、やがて〈喜久醉松下米〉という酒を生み出しました。2人の出会いから酒になるまでを見守り続けた私にとっても、自分が始めたしずおか地酒研究会の歩みと重なっただけに、この酒への思い入れがいっそう深まりました。

 

 

喜久醉について書く機会が多くなったため、私と青島酒造の関係について、穿った見方をする人も少なくなかったのですが、もともとは河村先生の「とんでもない酒!」の一言と、誰にも門戸を開いてくれる青島社長の懐の深さと、父との縁の他に特別なつながりなどなく、もちろんビジネスを介在させたこともありません。〈喜久醉松下米〉の商品リーフレットを書いたとき、試飲用の酒をもらったぐらい。このとき書いた「飲む人を感動させる酒とは、感動を知っている者が造った酒」の一文は、長い間、この蔵の人々を見続けてきたからこそ書けたコピーだと自負しています。

 

 

今春、青島酒造を映像カメラで撮っていた時、このリーフレットを、一番若い社員の男の子が、寒い倉庫の片隅で、一心不乱に折り続けていた姿を見かけ、目頭が熱くなりました。「造る人の思いを知れば、飲む人の感動はいっそう深まる」と書き足したくなるほどでした…。

 

 

 

 

 

 

 

 

地酒の世界に導いてくれたのは、偶然とは思えない不思議な出会いの連鎖です。身の丈に合わない欲を出したら、この連鎖が断ち切られるような気がします。

『吟醸王国しずおか』は、私の身の丈のまんまの作品にしか、なりようがなく、評価しない人がいても当然です。それでも、コツコツ、愛情と誠意を込めて作るしかない。身の丈で、誠実に商売するというのは、青島酒造のような老舗企業の経営姿勢から学んだことでもあります。 

厳しい経済状況の中ですが、ライター稼業もなんとかこの先、20年30年続けられたら、との思いを新たにする10月1日です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆しずおか地酒サロン特別トークセッション 金両基×松下明弘×青島孝

『国境を越えた匠たち~知の匠・農の匠・酒造の匠が、地に足のついたモノづくりを語り合う!~吟醸王国しずおかパイロット版併映』

 

 

○日時 2008年10月25日(土) 19時~21時(18時30分受付開始)

○会場 静岡市葵生涯学習センター アイセル21 1階ホール

 

○内容 

国境越えを経験したキャリアの異なる3人(評論家・哲学博士の金両基氏、不耕起自然農法で山田錦(松下米)やオリジナル玄米食用品種「カミアカリ」を栽培する松下明弘氏、青島酒造蔵元杜氏の青島孝氏)が、静岡の地で地に足のついたモノづくりの価値と、歴史・自然・大地から学ぶ生き方について大いに語り合います。松下・青島両名の清々しい姿を映した『吟醸王国しずおかパイロット版』も上映。

 

 

○会費 1000円

○申込 しずおか地酒研究会(鈴木真弓)までメールで申込みの上、当日、会場にて会費をお支払いください。

msj@quartz.ocn.ne.jp