うたことば歳時記

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再び「ハレルヤ」という言葉について

2021-09-25 06:52:24 | その他
 「パプリカ」という子供向けの応援歌が、また話題になっています。私はこの方面のことに全く関心がないのですが、歌詞の中に「ハレルヤ」という言葉があることが気になります。歌詞は次のようです。「プリカ 花が 咲いたら 晴れた 空に 種を 蒔こう ハレルヤ 夢を 描いたなら 心 遊ばせあなたにとどけ・・・・」。歌の雰囲気もダンスも好感が持て、とてもよい作品に仕上がっていることには、何の異論もありません。しかし作詞者も歌っている人達も、「ハレルヤ」の意味を知っているのでしょうか。

 私は若い頃イスラエルに住んでいたことがあり、ヘブライ語を少し理解できます。「ハレルー」とは「賛美せよ」、「ヤー」とは「ヤーヴェの神」のことです。ですからユダヤ教とキリスト教に共通する「神」を誉め讃える神聖な言葉なのであって、信者はめったやたらに口にする言葉ではありません。日本人は一見して信心深く見えても、宗教には全く無頓着ですから、何の疑問もなく「ハレルヤ」という言葉を使っています。昔ポンキッキという子供番組で、「お天気ボーイズ」という歌がはやり、「ハレルヤ」を「晴れるや」と茶化した歌があったことにもよく現れています。そう言えば「恋のハレルヤ」という歌もありました。
 
 「パブリカ」の英語バージョンがあるそうで、歌詞が心配になり調べてみると、「ハレルヤ」は「パプリカ」に置き換えられていました。さすがにそのままではまずいということに気が付いた人がいたのでしょう。イスラム教徒は「ハレルヤ」の意味を知っているでしょうから、口が裂けても歌うわけにはいきません。イスラム教の神を讃える「○ッラー アクバル」と直せばいいという問題でもないでしょう。

 数年前、定時制高校に勤務していた頃、私の担当するクラスには、フィリピン人・インドネシア人・ペルー人の生徒がいました。フィリピンとペルーの生徒はカトリック教徒でしたが、インドネシアの生徒はイスラム教徒でした。特定の宗教を信じていないのは、全て日本人でした。音楽の授業で「パプリカ」を歌わせたらどんなことになるのかと考えたことがあります。事情を知らない日本人の先生なら、歌わせるかもしれません。しかしイスラム教徒の生徒に歌わせるということは、絶対に食べない豚肉を強制的に食べさせるのと同じことであるのを、どれだけ日本人は理解しているのでしょうか。

 以前、愛知県で表現の不自由展が開催され、天皇陛下の写真を燃やして足で踏みつける映像が問題になりました。これを展示した大浦さん、あなたが率先してインドネシアの子供達にパプリカを教えてご覧なさい。「表現の自由」を叫びながらやってご覧なさい。憲法違反にはなりませんから。インドネシアではかつて味の素の原材料に豚が使われているという噂が流れ、大騒ぎになったことがありました。因みにインドネシアはイスラム教徒が世界で最も多い国です。

 悪意のないことは理解できます。しかし宗教的屈辱を与えることは、事と場合によっては○人事件を引き起こしているということを知らなければなりません。大げさなことではなく、実際に日本国内で起きているのです。

 今さら「パプリカ」を歌うべきではない などと融通の利かないことを主張するつもりは毛頭ありません。楽しそうに踊っている子供達を非難する気など微塵もありません。しかし日本人の宗教的無頓着・鈍感さには、何とかならないものかと、溜息が出るのです。人が心の中で大切に思っているものを、悪意はないとはいえ、結果として平然と踏みにじる日本人の鈍感さは、とうてい世界には通用しません。

 以前、「うたことば歳時記  ハレルヤという言葉」と題して、拙文を公表していますから、合わせて御覧下さい。


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