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見渡せば山もとかすむ水無瀬川

2020-01-12 10:30:18 | 短歌
見渡せば山もとかすむ水無瀬川 夕べは秋となに思ひけむ

 よく知られた後鳥羽上皇の御製です。この歌には「をのこども詩をつくりて歌に合せはべりしに、水郷春望といふことを」という詞書きが添えられていますから、離宮である水無瀬宮に行幸した際に、随行した者達とともに歌合をして、離宮から眺めた景色を詠んだものでしょう。

 意味そのものは難解ではなく、「見渡してみると、山のふもとがかすみ、水無瀬川が流れている。夕べの情趣は秋がよいとなどと、どうして思っていたのだろう。春の夕べも秋に劣らず情趣があるではないか」という意味です。

 「夕べは秋」という表現は、『枕草子』の「春は曙・・・・秋は夕暮れ」を踏まえたものであることは、どの解説書にも触れられることで、私もそうだと思います。しかしそこからもう一歩踏み込むならば、陰陽思想に基づく四神思想にまで触れてほしいと思います。それによれば、青龍には春・東が配され、白虎には秋・西が配されますから、「春」には常に東・朝の印象が伴い、秋には西・夕の印象がついてまわっていました。清少納言が「秋は夕暮」と言ったのは、彼女の独創的な感性ではなく、当時の知識人に共通する季節理解でした。春は東から来て、秋は西に往くということは、もちろん後鳥羽上皇も百も承知です。秋の夕暮をしみじみと眺める感性は、清少納言に言われなくても、みな持っていたのです。

 『新古今和歌集』の巻第四に「薄霧のまがきの花の朝じめり夕べは秋と誰かいひけむ」という藤原清輔の歌が収められています。 「竹で荒く編んだ庭の垣根に咲いている花が、朝霧で湿り咲いている。その情趣の何と美しいことか。秋は夕暮れがよいと誰が言ったのだろう」という意味です。秋の籬に咲く花と言えば、菊の可能性があります。もちろん想像の域を出ませんが、菊ならば絵になるかなと思います。

 後鳥羽上皇のこの歌の逆のパターンですね。霧は秋の景物、霞は春の景物であることは、当時の知識人が例外なく知っていたことです。ですから秋の歌に霧を詠むのは自然なことなのですが、それを夕霧とせずに朝霧としたところに機知が効いているわけです。後鳥羽上皇は同じように朝霞ではなく夕霞としたわけです。

 藤原清輔は『新古今集』の編者の一人である藤原定家の父である俊成の頃の人ですから、後鳥羽上皇のこの歌より早い時期のものです。後鳥羽上皇御自身が御存知だったかどうかは確認できませんが、編纂の過程では目にしていますから、上皇としてもこの歌を読んで思うところがあったことでしょう。思わず、「先取りされた」と思われたかもしれません。

 歌としては後鳥羽上皇の御製の方が格段に優れていると思います。帝王が遙か遠くを眺めやる姿には、『万葉集』に歌われた帝王の国見のイメージが重なり、悠々とした大きさを感じ取ることができます。また「たれか言ひけん 」よりも「なに思ひけむ」の方が力強く、感動の大きさが直接に伝わってきます。

水無瀬離宮の跡にいっても当時の景色はもうありませんから、どのような景色かわかりませんが、春霞に煙る夕暮の景色に出会うことがあれば、しみじみと味わってみたい歌です。特に入り日の方角に川が伸びていて、その川の行方が夕空に溶けて消えるような景色であれば最高ですね。

 そこでタイムマシンに乗って水無瀬離宮に行ったつもりで、私も一首詠んでみました
  行く末は 空も一つの 水無瀬川 岸辺の梅の 香に霞みつつ  



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