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祈年祭(古墳時代の農耕儀礼) 日本史授業に役立つ小話・小技 3

2023-12-16 09:35:20 | その他
     日本史授業に役立つ小話・小技 3

埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。いずれ数も増えるでしょう。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまうことは何とも申し訳ありません。

3、祈年祭(古墳時代の農耕儀礼) 
 古墳時代の文化の学習では、必ず農耕儀礼について学習します。豊作を祈念する春の祭祀は、「祈年祭」と表記され、「きねんさい」と読むのですが、訓読みでは「としごいのまつり」と読みます。ただし古墳時代に「祈年祭」という呼称があったと確認できるわけではありません。奈良時代初期の養老令には「祈年祭」という表記がありますから、おそらくそれ以前の大宝令にもあったことでしょう。ですから「祈年祭」という呼称は、少なくとも7世紀には存在したのだと思います。
 ところがこの「祈年祭」という漢字表記からは、それが豊作祈願祭であることに結び付かないのです。授業では「その様に言われているのだから、その様に覚えておけ」と言わんばかりに、丸暗記させることになり、その理由まで踏み込んで指導することはまずなさそうです。私は大学時代に、保田孝三という篆刻を専門とする書家の鞄持ちのように仕えた時期があり、今でも主な漢字の篆書なら読み書きすることができます。そこで学んだことなのですが、「年」の篆書は、人が頭上に稲の穂を乗せている象形文字なのです。現在の楷書と似ても似つかないのですが、漢代の隷書になると、現代の「年」の字形に近くなります。ですから「年」の第一義は稲などの穀物のみのりのことなのです。そこから秋の稔りから次の稔りまでの期間が「ひとみのり」、つまり一年となり、yearの意味が派生することになるわけです。人名に用いられる場合は、「年」1字で「みのる」と読む場合があります。また「年災」とは凶作のことを意味するのも、みな年の第一義に拠っているわけです。因みに24時間で太陽が一回りしますから一太陽、つまり一日、30日で月の満ちかけが一巡しますから、一朔望月(月の形が同じになるのでの期間)を一月(ひとつき)と言うわけです。まずは確かな大漢和辞典で確認してみて下さい。そういうわけで、高校の授業で学習した「祈年祭」が稔りをこい願う豊作祈願祭であることを、大学時代に篆書を学習して初めて理解できました。当時は篆書の学習が祈年祭の意味の理解につながったことに感動したものです。こうやって自分で体験的に納得して覚えたことは、決して忘れないものです。
 古墳時代にはもちろん、この祈年祭に相当する豊作祈願の祭祀が行われていたでしょうが、具体的なことはほとんどわかりません。10世紀初頭に編纂された『延喜式』という律令制度を細かく定めた書物には、国家の祭祀を司る神祇官や全国の国司が祀る祈年祭の神々が、総計3132座あったことが記されていて、祈年祭が国家的な最重要の祭祀であったことがうかがわれます。古墳時代ではそこまで大掛かりではなくとも、数ある神祇の祭祀の中でも、重視されていたことは十分に推察されます。ただ平安時代初期には祭儀が形骸化し、しだいに宮中や一部の神社で行われるのみで、廃れていきました。本格的に復興されたのは明治時代になってからのことです。祈年祭はこのように国家的な祭祀でありましたが、豊作を予め祈る予祝の神事として、庶民の日常生活の中で、地方色豊かに行われていたものでしょう。「祈年祭」という呼称が使われたかどうかは、それ程重要な問題ではありません。
 国家的祭祀としての祈年祭の記録としては、『日本書紀』の天武天皇4年1月23日に、全国の諸社に幣帛を奉ったことがそれに当たると考えられています。しかし天武朝以前から、その原形となった豊作祈願の祭祀が行われていたことでしょう。1月と言ってももちろん旧暦のことですから、現在ならば2月のことです。明治6年の改暦前は旧暦の2月4日に行われるのが一般的でした。現在では2月17日に行っている神社が多いようです。
 とにかく授業で祈年祭について学習する際、みのり(年・稔)を祈る豊作祈願祭であることを説明してほしいものです。そうすれば単なる暗記の強要ではなくなることでしょう。

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