埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。
59、キリシタン版『平家物語』
桃山文化の学習では、南蛮文化の例として、必ずキリシタン版の出版物について学習します。キリシタン版とは、日本に布教するために来日したイエズス会宣教師等が、彼等の日本語学習や布教のために、ローマ字で出版された印刷物のことで、宗教書・辞書・古典文芸があり、出版された場所によって天草版・長崎版とも呼ばれています。史料上で確認できるものは約100点あるのですが、現存するのは断片も含めて37点、そのうち国内にあるのは12点のみで、他はイタリア・スペイン・ポルトガル・イギリスの図書館などに保存されています。授業の副教材である図説資料集には、天草版『平家物語』(1592年)の表紙の写真がきっと載っていることでしょう。
『平家物語』をテキストとして選び、ローマ字に表記した編者については、不干ハビアンという人物であることがわかっています。彼は元は大徳寺の禅僧で、19歳くらいでキリスト教に入信し、高槻のセミナリオで学んでいますから、宣教師用の日本語習得テキストの編者に選ばれたのでしょう。彼は序文において、宣教師が日本の習俗や日本語を習得するためのテキストとするために『平家物語』を選んだことを記しているのですが、宣教師等が本気で日本語と日本人の心情や習慣を習得しようとしていたかを知ることができます。
キリシタン版は当然のことながらローマ字で表記されています。また発音記号を伴うこともあるのですが、当時の言葉を録音したようなものですから、国語学的にも極めて重要な史料となっています。授業ではせいぜい『平家物語』の扉絵の写真を一瞬眺めて終わってしまうのですが、それだけでは余りにももったいない貴重な史料です。因みにこの天草版『平家物語』は、たった一冊が大英図書館に保管されています。
『平家物語』の扉絵には、「NIFON NO COTOBA TO Hiftoria uo narai xiran to FOSSVRV FITO NO TAMENI XEVA NI YAVARAGVETARV FEIQE NO MONOGATARI」と記されています。これを日本の文字で表記すると、 「日本 の ことば と ヒストリア を 習ひ 知らん と 欲する 人 の ために 世話(口語) に やはらげたる 平家 の 物語」なります。「ウ」が「V」、サ行がX、ワ行の「を」が「うぉ」と発音されていることに気づかせるのは難しいかもしれませんが、ハ行がhではなくfで発音されていることは、生徒でもすぐにわかるでしょう。要するに、「日本」は「nifon」、「平家物語」は「feikemonogatari」、「人」は「fito」と発音されていたのです。
ハ行の音は現在ではhの音で発音していますが、実は奈良時代より前には、pの音で発音していたことがわかっています。そして奈良時代から平安時代のどこかでfの音となり、江戸時代の初期にはhの音になったとされています。ですからキリシタン版では、「日本」は「にほん」ではなく「にふぉん」、「平家」は「へいけ」ではなく「ふぇいけ」と読まれ、江戸時代の初期までは、日本の国名は「にほん」ではなく「にふぉん」であったわけです。タイムマシンで奈良時代より前の人の話を聞いたとしたら、おそらく何が何やらわからないことでしょう。しかし桃山時代の人の話なら、単語くらいは拾えるかも知れません。
ついでのことですが、以前、「チコちゃんに叱られる」や「池上彰のニュースそうだったのか」という番組で、「日本」という国名をが「にっぽん」から「にほん」になったのは「江戸っ子が早口で話したため」と説明されたことがありましたが、これは出鱈目です。もしそれが正しいというなら、江戸弁の通用しない地域で「にっぽん」と読んでいた証拠となる文献が不可欠ですが、寡聞にも確認できません。
59、キリシタン版『平家物語』
桃山文化の学習では、南蛮文化の例として、必ずキリシタン版の出版物について学習します。キリシタン版とは、日本に布教するために来日したイエズス会宣教師等が、彼等の日本語学習や布教のために、ローマ字で出版された印刷物のことで、宗教書・辞書・古典文芸があり、出版された場所によって天草版・長崎版とも呼ばれています。史料上で確認できるものは約100点あるのですが、現存するのは断片も含めて37点、そのうち国内にあるのは12点のみで、他はイタリア・スペイン・ポルトガル・イギリスの図書館などに保存されています。授業の副教材である図説資料集には、天草版『平家物語』(1592年)の表紙の写真がきっと載っていることでしょう。
『平家物語』をテキストとして選び、ローマ字に表記した編者については、不干ハビアンという人物であることがわかっています。彼は元は大徳寺の禅僧で、19歳くらいでキリスト教に入信し、高槻のセミナリオで学んでいますから、宣教師用の日本語習得テキストの編者に選ばれたのでしょう。彼は序文において、宣教師が日本の習俗や日本語を習得するためのテキストとするために『平家物語』を選んだことを記しているのですが、宣教師等が本気で日本語と日本人の心情や習慣を習得しようとしていたかを知ることができます。
キリシタン版は当然のことながらローマ字で表記されています。また発音記号を伴うこともあるのですが、当時の言葉を録音したようなものですから、国語学的にも極めて重要な史料となっています。授業ではせいぜい『平家物語』の扉絵の写真を一瞬眺めて終わってしまうのですが、それだけでは余りにももったいない貴重な史料です。因みにこの天草版『平家物語』は、たった一冊が大英図書館に保管されています。
『平家物語』の扉絵には、「NIFON NO COTOBA TO Hiftoria uo narai xiran to FOSSVRV FITO NO TAMENI XEVA NI YAVARAGVETARV FEIQE NO MONOGATARI」と記されています。これを日本の文字で表記すると、 「日本 の ことば と ヒストリア を 習ひ 知らん と 欲する 人 の ために 世話(口語) に やはらげたる 平家 の 物語」なります。「ウ」が「V」、サ行がX、ワ行の「を」が「うぉ」と発音されていることに気づかせるのは難しいかもしれませんが、ハ行がhではなくfで発音されていることは、生徒でもすぐにわかるでしょう。要するに、「日本」は「nifon」、「平家物語」は「feikemonogatari」、「人」は「fito」と発音されていたのです。
ハ行の音は現在ではhの音で発音していますが、実は奈良時代より前には、pの音で発音していたことがわかっています。そして奈良時代から平安時代のどこかでfの音となり、江戸時代の初期にはhの音になったとされています。ですからキリシタン版では、「日本」は「にほん」ではなく「にふぉん」、「平家」は「へいけ」ではなく「ふぇいけ」と読まれ、江戸時代の初期までは、日本の国名は「にほん」ではなく「にふぉん」であったわけです。タイムマシンで奈良時代より前の人の話を聞いたとしたら、おそらく何が何やらわからないことでしょう。しかし桃山時代の人の話なら、単語くらいは拾えるかも知れません。
ついでのことですが、以前、「チコちゃんに叱られる」や「池上彰のニュースそうだったのか」という番組で、「日本」という国名をが「にっぽん」から「にほん」になったのは「江戸っ子が早口で話したため」と説明されたことがありましたが、これは出鱈目です。もしそれが正しいというなら、江戸弁の通用しない地域で「にっぽん」と読んでいた証拠となる文献が不可欠ですが、寡聞にも確認できません。