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『慎機論』高校生に読ませたい歴史的名著の名場面 

2020-09-19 19:40:10 | 私の授業
慎機論


原文
 今、天下五大洲中、亜墨利加(あめりか)・亜弗利加(あふりか)・亜烏斯太羅利(あうすたらり)三洲は、既に欧羅巴(よーろつぱ)諸国の有(ゆう)と成(なる)。亜細亜(あじあ)洲と云へども、僅(わずか)に我国・唐山(とうざん)・百爾西亜(ぺるしあ)の三国のみ。其三国の中、西人と通信せざるものは、唯(ただ)我国存するのみ。万々恐多き事なれども、実に杞憂(きゆう)に堪(たえ)ず。論ずべきは、西人より一視せば、我国は途上の遺肉(いにく)の如し。餓(が)虎(こ)渇狼(かつろう)の顧(かえりみ)ざる事を得んや。・・・・
 凡(およそ)政(まつりごと)は拠(よ)る処に立ち、禍(わざわい)は安(やすん)ずる所に生ず。今国家拠る所のものは海、安ずる所のものは外患。一旦恃(たの)むべきもの、恃むべからず。安ずべきもの、安ずべからず。然るに安堵して、徒(いたずら)に太平を唱ふるは、固(もと)より論なし。・・・・
 今、我(わが)四周渺然(びようぜん)の海、天下万国拠る所の界にして、我に在(あり)て世々不備の所多く、其(その)来(きた)るも亦(また)一所に限る事能はず。一旦事ある時、全国の力を以てすといへども鞭(むち)の短くして、馬の腹に及ばざるを恐るゝ也。況や西洋膻睲(せんせい)の徒(と)、四方を明らかにして万国を治め、世々擾乱(じようらん)の驕徒(きようと)、海船火技に長ずるを以て、我短にあたり、海運を妨げ、不備を脅かさば、逸を以て労を攻る。百事反戻(はんれい)して、手を措く所なかるべし。・・・・
 嗚呼(ああ)、今夫(それ)是(これ)を在上の大臣に責(せめ)んと欲すれども、固(もと)より紈袴(がんこ)の子弟、要路の諫臣(かんしん)を責んと欲すれども、賄賂(わいろ)の倖臣(こうしん)、唯是心有る者は儒臣、儒臣亦望浅ふして大を措(お)き、小を取り、一に皆不痛不癢(ふよう)の世界と成りし也。今夫(それ)此の如くなれば、束手して寇を待たむか。

現代語訳
 今日、世界の五大州の中で、アメリカ・アフリカ・アウスタラリ(オセアニア)の三州は、既にヨーロッパ諸国の所有となっている。(そうでないのは)アジア州といえども、我が国と中国とペルシアの三国だけであり、その三国の中で西洋と通交がないのは、ただ我が国だけである。はなはだ畏れ多いことであるが、実に心配でならない。問題なのは、西洋人から見れば、我が国は路上に遺棄された肉の如き物であるということである。餓えた虎や狼の如き西洋諸国が見過ごすはずがないではないか。・・・・・
 およそ政治というものは、頼むべき拠り所の上に立つべきものであり、禍(わざわい)は安心して気の弛むところから生まれる。今、我が国が拠り所としているのは海であり、それにより外患がないと安心しきっている。しかしかつては頼むべきものであった海は、今は頼みにはならないので、かつては安心できていたが、今は安心できない。それなのに安堵して未だに太平を謳歌しているなど、もとより論外である。・・・・
 今我が国の周囲は果てしない海で、世界の諸国が国境の拠り所としている。しかし我が国では以前から(海岸の)備えが不十分な所が多く、異国が侵入するとすれば、一カ所とは限らない。もし一旦危急のことがあれば、全国の兵力を結集しようとしても、鞭(むち)が短くて、馬の腹まで届かないのではと心配である。まして西洋人の奴等は世界情勢に明るく、万国を支配し、以前から世界を乱し驕(おご)り高ぶる連中である。しかも航海術や砲術に長じているので、我が国の弱みに付け込み、海運を妨害し、海防の不備を脅(おびや)かせば、労せずして我が国を疲弊させることができよう。そうなれば全ての事が意に反して、手の付けようがなくなるであろう。・・・・
 ああ、今この事を都の朝臣に訴えたくても、彼等はもともと(世間知らずの)貴族の子弟であり、君主を補佐する(幕府の)要人に訴えたくても、賄賂で成り上がった者ばかりである。ただ少し話がわかるのは儒学者であるが、その儒学者たるや志が浅く、大事を捨て置いて小事にこだわり、誰もがことなかれの世になってしまっている。今この現状において、ただ手をこまねいて、異国が侵攻するのを待つのだろうか。

解説
 『慎機論(しんきろん)』は、三河国田原藩の家老で、蘭学者でもある渡辺(わたなべ)崋山(かざん)(1793~1841)が、モリソン号事件に関連して、幕府の外交政策を痛烈に批判した書物です。西洋諸国の植民地政策が既にアジアに及んでいることを明らかにし、海防が喫緊の課題であるとすると同時に、排他的対外政策を批判する、「開国的海防論」とでも言うべき主張です。『慎機論』という書名は、対外政策を慎重にせよという意味でしょうか。
 天保八年(1837)、広東(かんとん)にあるアメリカの貿易会社オリファント商会の商船モリソン号が、北米とルソン島に漂着した日本人漂流民七人の送還を、日本と交易する契機にしようと来航したのですが、異国船打払令が発令されていたため、浦賀沖と薩摩湾で砲撃され、退去せざるを得ませんでした。漂流民送還の意図は、もちろん日本側は知りません。
 その時はそれで一件落着となったのですが、翌天保九年(1838)、オランダ風説書により、漂流民送還という来航事情のあったことがわかり、長崎奉行から漂流民送還の取扱いについて、幕府に伺い書が提出されました。これに対して老中水野忠邦は、評定所に対応を諮問し、評定所では今後も漂流民は受け取らず、モリソン号が再来航した場合は打ち払うという、答申案が決定されました。ところがこの機密情報が、尚歯会という知識人の私的な勉強会において、評定所の記録方(書記係)である芳賀市三郎が「評定所決議書」の写しを見せ、漏れてしまったのです。ただし最終的には、幕府はオランダ船による送還は、認めることにしています。
 世界情勢をかなり正確に理解していた高野長英と渡辺崋山は、これを知って大層驚いたのですが、事実誤認がありました。モリソン号は既に撃退されていたのですが、これから来航して漂流民が送還されること、またモリソンとはイギリス人の名前であると理解していました。「モリソン」は、もともとはオリファントというアメリカ人が広東に設立したオリファント商会が、イギリスから招いた宣教師の名前で、彼に因んでモリソン号と名付けられた船がありました。ですから「モリソン」は人名でもあり、船名でもありました。もっとも長英が著した『鳥の鳴音』には、「モリソン」が人名であり船名でもあると記述されていますから、事実を承知で人名にしたのかもしれません。
 高野長英はモリソン来航の情報を得ると、六日後には『戊(ぼ)戌夢物語(じゆつゆめものがたり)』を匿名で著しました。そこではイギリスが強国であるので、暗にイギリスと敵対すべきではないと説いています。ただし幕府批判は徹底せず、漂流民送還のために来航するのに、直ちに打ち払っては、「民を憐れまざる不仁の国」と思われてしまうではないかと、道義上の問題にすり替えてしまっています。尚歯会のメンバーには幕吏や藩士が多かったため、長英にしてみれば、外交政策を根底から批判することは、避けざるを得なかったのかもしれません。
 一方の渡辺崋山が著した『慎機論』の存在を、長英は知っていたらしいのですが、草稿のまま秘匿(ひとく)されていました。しかし開明的な蘭学者を憎悪し、密かに捕縛する機会を狙っていた目付の鳥居(とりい)耀蔵(ようぞう)(幕府の儒臣林述斎の三男)が、尚歯会に無人(ぶにん)島(小笠原島)渡航計画があるという口実で崋山らを捕縛し、幕吏が家宅捜索した際に、草稿が発見されてしまいました。なお尚歯会の一部が弾圧されたこの事件は、「蛮社の獄」と呼ばれていますが、「蛮社」とは「蛮学社中」の略語で、蘭学に批判的な者による尚歯会の蔑称です。
 家宅捜索された際に、『慎機論』は夥しい反故の中から発見され、取り調べた奉行所の役人も、読むのに苦労したという未定稿でした。写本として密かに写しとられて流布したのですが、本書に載せるのに、どの写本を選べばよいか迷う程、写本により文言に著しい相違があります。


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