一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

楽しい映画と美しいオペラ―その17

2009-02-02 23:15:48 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その17

    チャイコフスキーの抒情と諦念
    ―バレエ『オネーギン』と交響曲『悲愴』  

 昨年も末頃、まったく思いがけなく、立て続けにチャイコフスキーを聴くことになった。貰い受けた招待券の演目がチャイコフスキーだったり、指揮者を聴く目的で買ったチケットもそうだったり、常日頃はほとんど聴くことのない音楽をたっぷり耳にして、これまた予想外の感動を味わったのだった。

 そんなこともあり、このブログでの私の分担を外れることになるが(オペラと映画、これは私が勝手に決めた分担)、今回は番外編として、チャイコフスキーのバレエと交響曲を取り上げることをお赦し願いたい。

 バレエという舞台芸術も私にはずい分と縁遠いものだった。娘たちがまだ小学生の頃、もう20年も前のことになるが、『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』など、いわゆる名作バレエを観たくらいである。今回、『オネーギン』なるチャイコフスキー作品を観る気になったのは、招待券が回ってきたこともあるが、オペラ『エウゲニー・オネーギン』と比較してみようという気持ちもあったからである。

 このオペラは、メロディーの美しい抒情性豊かな作品で、私は気分が向けば、ラックの片隅からこのDVDを選り出すことがある。しかし主人公オネーギンには、その倣慢さが鼻について、何度聴いても共感を覚えることはなかった。このオペラは、オネーギンに心を寄せながらその想いがかなわない、貴族の娘タチヤーナこそが主人公だと思う。

 バレエももちろんそのように作られている。しかしここでのオネーギンは、満たされることのない心の空虚をその踊りににじませて、私はいたく心を動かされたのだった。タチヤーナの求愛を冷たく拒絶したオネーギンだったが、その後数年間の放浪生活は空しいものだった。この間のオネーギンの悲哀の心境、そして彼と舞踏会で再会したときのタチヤーナの激しい心の動き。音楽に込められたこれら哀切と痛切の情感を、ジェイソン・レイリーとスー・ジン・カンの2人の踊り手は見事に表現した。とりわけ韓国人スー・ジン・カンは、私が観たオペラのどのタチヤーナよりも素晴らしかった。少女の恋の甘さと切なさ、公爵夫人の気品と揺れる心――舞踏がこれほどの説得力をもつとは!

 オペラは音楽と演劇が結びつき、その2つを媒介するものは言葉である。バレエにはその言葉がなく、音楽がいきなり人間の肉体の動きに結びつく。それが抽象的である分、バレエの方がより音楽に近い。オペラも音楽が主体であることは間違いないのだが、演劇的要素で強引に観る者を引きずり込むことができる。演出が勝って、音楽を殺してしまうこともままあるし、つまらない音楽を演出でカバーすることもある。

 バレエの上質な上演は、いい音楽を抜きには考えられないのではないだろうか。踊り手に深く感受された音楽は、その肉体をとおして、観る者の全身にストレートに訴えかける。タグルという指揮者はこのバレエ団専属の人らしいが、聴かせどころをわきまえたいい音楽を奏でた。そして、人間の感情を濃密なまでに表現するチャイコフスキーの音楽は、やはりバレエに向いているのだと、この公演を観て実感した。

 チャイコフスキーは、私をクラシック音楽に導いてくれた作曲家のひとりである。初めて聴いた生のオーケストラも交響曲第6番『悲愴』だったし、中学から高校にかけて、彼のピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲もよく聴いた。しかし青春時代以降、チャイコフスキーとはほとんど縁がなくなった(オペラは別にして)。おそらく、そのあまりに人間臭い音楽に辟易したからだろう。ところがバレエ『オネーギン』を観てから半月後、今度は『悲愴』を40数年ぶりに聴くことになった。

 一度聴いてみたいと思っていた指揮者の尾高忠明が、自宅近くのかつしかシンフォニーヒルズに来演するというので、オーケストラは地元のアマチュアながら出かけることにしたのだった。そしてそこで、誠に感動的な『悲愴』と出会ったのである。

 尾高の奏でる『悲愴』に込められた、死を目前にしたチャイコフスキーの諦念が、私の心の琴線に深く触れたのだと思われる。音楽の発するメッセージに聴く者の心が共振すると、そこに日常の裂け目が生じる。メッセージが深いものであるなら、その裂け目からは間違いなく感動が生まれる。それが哀しみに満ちたものであっても、聴いた者の心は落ち着いた充実したものとなる。尾高忠明と葛飾フィルハーモニー管弦楽団に感謝を捧げたひとときだった。そして今、これからもチャイコフスキーを聴いてみようという気になっている。

シュツットガルト・バレエ団『オネーギン』
台本・振付・演出:ジョン・クランコ
オネーギン:ジェイソン・レイリー
レンスキー:マリイン・ラドメイカー
ラーリナ夫人:メリンダ・ウィサム
タチヤーナ:スー・ジン・カン
オリガ:アンナ・オサチェンコ
乳母:ルドミラ・ボガード
グレーミン公爵:ダミアーノ・ペテネッラ
指揮:ジェームズ・タグル
管弦楽:東京シティ・フィルハーモニー管弦楽団

2008年11月29日 
東京文化会館

チャイコフスキー『交響曲第6番〈悲愴〉』
指揮:尾高忠明
管弦楽:葛飾フィルハーモニー管弦楽団

2008年12月14日 
かつしかシンフォニーヒルズ

2009年1月30日 
j-mosa



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