一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

『バガヴァッド・ギーター』〈神の歌〉の台本掲載。

2013-09-13 09:55:59 | コンサート情報

2013年11月23日にサントリーホールで世界初演される
『バガヴァッド・ギーター』〈神の歌〉の台本を掲載しました。
↓【一般財団法人 知と文明のフォーラム】のホームページでご覧ください。

http://chitobunmei.com/bhagavadgita/index05.html


サイト移行のお知らせ

2013-07-14 22:15:44 | Weblog

このブログは以下のサイトに移行しました。
引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。

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ともいき(共生)の思想~ラコタ族の生き方と現代文明

2013-06-13 17:12:37 | セミナー関連

ともいき(共生)の思想~ラコタ族の生き方と現代文明

~第21回セミナーに参加して

   

フリーランスライター&エディター 近藤由美          

 

青木先生が生前、阿部珠理さんをフォーラムにぜひお呼びしたい、セミナーを開きたい旨をよくおっしゃっていたことが思い起こされます。今回、阿部先生に初めてお会いし、アメリカの大平原に生きる、狩猟系インディアン、ラコタ・スー族のありのままの姿をつぶさにうかがい、彼らの精神性や文化はもちろん、アメリカ先住民が直面している様々な諸問題から、部族再生への手がかりまで、写真やデータも豊富に、とても聴き応えのある内容でした。アメリカ先住民というと、彼らの精神世界や自然観ばかりがクローズアップされがちですが、阿部先生は、ラコタ族を中心としたアメリカ先住民の光と影、陽と陰を見事に語って下さり、それは、先生ご自身が20年もの歳月をかけてフィールドワークをされた賜物、集積であると感じにはいられません。

私が、アメリカ先住民の興味を持ったのは、学生時代、ドキュメンタリー映画「ホピの予言」(ランド・アンド・ライフ制作、宮田雪監督1986年作品)を見たことがきっかけです。ホピ族とは、アメリカ南西部のアリゾナの地に定住してきた一小部族でで、ホピとは、彼らの言葉で“平和”という意味です。聖なる石板に書かれた予言は、白人社会における、物質・科学万能主義に対する警告、近代文明への強いメッセージを伝えるものでした。その後、出版社に就職した私は、いつかホピ族の本を企画したいと思い、調べすすめるうちに、日本に初めてホピ族の世界を紹介したのが、北沢方邦先生、青木やよい先生ご夫妻と知り、青木先生の著書『ホピの国へ』(廣済堂文庫)を拝読後、青木先生にご連絡させていただき、直接お会いすることがかないました。

青木先生はちょうど、“ホピ居留地への2~3回目の訪問記をまとめたいと思っていたの、同出版社から頼まれているけど、あなたに決めるわ”とおっしゃって下さり、すぐに原稿依頼をさせていただいた私は、約3ヶ月というハイスピードの脱稿を経て、『ホピ・精霊たちの台地』青木やよひ著(PHP研究所)の発刊へと結実したのです。青木先生の著書は、朝日新聞や大阪読売等のメディアで書評に取り上げられ、私の人生、そして仕事においての一つの成果、メルクマールとなりました。

当時、20代半ばの駆け出しの編集者だった私は、宮田雪監督~北沢・青木先生との出会いによって、ホピ族の伝統や文化、神話や宇宙観等に触れる機会を得て以降、今なお、ホピ族のみならず、アメリカ先住民全般に対する尽きない興味と関心、深遠なる世界観を追い求めているといっても過言ではありません。

今回、阿部先生のお話によれば、サウス・ダコタ周辺の保留地に暮らすインディアンは、農耕型のホピ族とは大きく異なり、保留地における人口の規模、食文化、儀式や創世神話等々、何もかもが違うという印象でした。特に驚いたのが、ラコタ・スー族は、300超ものカジノを興し、なかには成功を収めた数部族がいて、あの有名なハードロックカフェを買収したとか。合衆国から、国内従属国として、半独立の形態をとるラコタ族は、部族警察もあるし、部族特有の教育をするための37の部族大学もあります。また、ラコターウォーターと呼ばれる、良質な水のビジネス。米軍の下請けとしてコンサルティング事業も手がけるし、カジノはもちろん、ガソリンスタンド、スーパーマーケットの経営にも乗り出す。そのため、お金持ちVS貧しい層という部族間における経済格差が生じているということです。

狩猟採集という生業を取り上げられて久しい彼らの専らの関心は、経済開発であり、自らの文化、アイディティを取り戻すためにも、経済的に自活していかなければならない。そうした状況が相次ぐカジノの建設、様々なビジネスに向かわせるのでしょう。

アメリカ先住民というと祈りや儀式に明け暮れ、現代人と隔絶したエコロジー的な暮らしを営んでいるというイメージがありますが、彼らが置かれている現実は、一転、アメリカ社会の縮図の様相です。白人同化政策等により、何もかもが歪められてしまたった結果、肥満等の健康問題、アルコール中毒、自殺や事故、犯罪の多発、慢性的な失業率、労働倫理の欠如、教育、精神の荒廃等が起きているということです。

また、セミナーの中で印象的だったのが、ラコタ族の有名なメディスンマン、“ブラック・エルク”についてです。『ブラック・エルクは語る』J.Gナイハルト著 阿部珠理監修 宮下嶺夫訳(めるくまーる)という彼の伝記があり、70年代、ニューエイジムーブメントのバイブルとして読まれ、“インディアンのスピリチュアリティのイコンとなった”と阿部先生は著書のなかでこう表現しています。

ブラック・エルクは、メディスンマンの草分けとして、多くの予言、ビジョンによる言葉を残していますが、メディスンマンになる若い頃は、興行師のバッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショー一座に加わり、ヨーロッパを巡業していたということです。最初の妻が敬虔なクリスチャンだったことから、1903年に洗礼を受け、カソリックのキリスト伝教者となりました(ウィキペディアより)。

面白いことに、彼はキリスト教の布教に専念する傍ら、メディスンマンとしての部族の精霊信仰とを両立させていたという点。むしろ、インディアン社会にとって、キリスト教の教えを取り入れることを歓迎するかのような発言をしていたということです。そうした事実を補完する形で、阿部先生は、壮年以降のブラック・エルクの写真をいくつか見せてくれました。キリスト伝教者として、スーツ姿の短髪のエルク、同時期に撮影されたというもう1枚の写真には、インディアン特有の黒々とした長い髪の毛を背中まで垂らし、頭に羽根冠をあしらったエルクの写真があります。

阿部先生は、それら2枚の写真を対比させながら、これはどういうことでしょうかと私たちに問いかけました。それはすなわち、エルク自身が、ステレオタイプのインディアン像、メディスンマンとしてのイメージを保つための戦略、演出として“カツラ”を着用していたということなのです!こうした事実やエピソードは恐らく、阿部先生の口を通してしか知ることはなかったでしょう。聖人・ブラック・エルクのあるがままを垣間見る瞬間…。私は彼のしたたかさや逞しさ、フレキシビリティさに好感を持ち、かえって嬉しくなりました。

先生はセミナーの冒頭で興味深いデータを紹介して下さいました。それは、1890~2010の120年間、アメリカ先住民の人口が増加傾向にあり、とりわけ60~70年の人口の伸びが大きいのです。これは、キング牧師による公民権運動の影響を受けて、自らがアメリカ先住民であることをカミングアウトする、申告する動きが顕著になったからという分析です。現在、アメリカ先住民は米国総人口の0.9%。最小のマイノリティであることには変わりありませんが、先住民たちが徐々に声を上げはじめ、自らのアイデンティティを取り戻したいという意識の現れとみてよいのでしょう。

近現代、西欧の植民地において、支配層と被支配者である先住民との争いが中南米やアジア等、世界各地で繰り返されてきました。彼の地では、民衆を代表する英雄が現れ、勇猛果敢に闘いながら、多くの戦士が散っていきました。アメリカ先住民も同様、ラコタ・スー族では、クレージー・ホース、シッティング・ブル、アパッチ族のジェロニモなどが有名です。彼らに敬意を表し、鎮魂をこめて、先住民=犠牲者というレッテルをはずして欲しい、ラコタ族であれば、聖なる輪の教えに基づいた彼らの大いなる力にもっとフォーカスしてほしいと願うのは私だけでしょうか。

阿部先生は、非常にジャーナリスティクな視点で、ラコタ族の“影”の部分をセミナー前半部に割かれました。彼らが抱える様々な問題に対し、どうしたら解決の手を差し伸べることができるのか。その手かがりは、教育にあるのではないか?とおっしゃっていたことが印象に残っています。“彼らに本当にお世話になってきたから、恩返しがしたい”と語る阿部先生。“地域のために何かできるか”という公共人類学と呼ばれるアプローチが先生ご自身のこれからテーマにつながっていくのではないかと推察いたしました。私も微力ではありますが、そのお手伝いができれば嬉しく思います。


楽しい映画と美しいオペラ―その46

2013-06-06 22:00:29 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その46

 

ヴェルディの人と作品を理解するために
――加藤浩子著『ヴェルディ――オペラ変革者の素顔と作品』

 
 

 ヴェルディ生誕200年に際して、彼の基本的な情報を伝えるべく、新書を企画した。筆者は「音楽物書き」を自称される加藤浩子さん。バッハとモーツァルトもことのほか愛されるなど、不思議なほど音楽的な趣向が私と近いこともあり、加藤さんとのコラボレーションが実現した。ヴェルディへの入門書であるばかりではなく、かなりの音楽通にも読みごたえのある内容になっているので、ここに紹介したい。

 

 この本の第一の特徴は、著者加藤さんの、ヴェルディへの熱い「愛」だと思う。

 

 「ヴェルディ以外のいったい誰が、《シモン・ボッカネグラ》のような、深く、多面的で、壮大で、悲壮で、藍色の海のように美しい音楽劇を創り出せるというのだろう。アムネリスの慚愧を、スティッフェーリオの苦悩を、オテッロの煩悶を、ヴィオレッタの愛を、リゴレットの屈折を、フィリッポの凄絶なる孤独を、ファルスタッフの痛快を、ヴェルディ以外のいったい誰が、音楽を通じて魂に響かせることができるというのだろうか。私がヴェルディに惹かれてやまないのは、音楽の向こうに彼の叫びを聴くからだ。人間とは何か、という悲痛な叫びを」

 

 これは著者のあとがきの一節だが、ヴェルディ好きの私の心を強く共振させた言葉だ。そしてここに表れているヴェルディへの「愛」こそが本書の命だと思う。

 

 ヴェルディの人間性がよく描かれているというのが第二の特徴だろう。

 イタリアの「偉人」にふさわしく、彼は心優しい「慈善家」だった。音楽家のための老人ホーム「憩いの家」や病院を建設しているし、庭師や使用人にまで遺産の一部を割いている。

 私が驚かされたのは事業家としてのヴェルディだ。東京ドーム143個分に相当する農場を所有し、小作人は最盛期には200人もいたそうだ。「いったいこのひとにとって作曲は本業だったのだろうか」と著者も驚くほどの事業欲なのである。

 ヴェルディの妻ジュゼッピーナ・ストレッポーニを不幸に陥れた晩年の恋愛や子どもを孤児院に「捨てた」可能性など、ヴェルディ崇拝者ならあまり触れたくはない負の面も書かれている。

 第三の特徴はヴェルディ作品を時代のなかに位置づけていることである。《運命の力》は私の好きなオペラのひとつだが、スペインの大貴族ドン・カルロの執拗な復讐心や、追われるインカ帝国の末裔ドン・アルヴァーロの行動など、その内容はアナクロ臭が強く、現代人にはなかなか理解しがたい。それが、犯すべからざる「名誉」の問題として時代のなかで語られると、なるほどと納得させられる。

 「作品篇」は26の全オペラ作品の解説(本書の半分を占める)。原作者・台本作者・初演年月日と場所・登場人物・あらすじといった基本情報に加えて、「聴きどころ」「背景と特徴」が丁寧に書かれている。これを読めば、個々の作品がヴェルディのオペラ作品のなかでどのような位置にあるかがよく理解できる。これは第四の特徴になる。たとえば《リゴレット》《イル・トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ》という中期三大傑作の先駆をなすのが《ルイーザ・ミラー》であること、それは初期の政治的題材から離れて、人間の内面のドラマを追及するという中期作品群への幕開けであること、などが分かる。

 ヴェルディはオペラを真のドラマに変革した、これがサブタイトル「オペラ変革者」の意味である。大仰な言い方をすれば、「本書一冊で、多面的で複雑なヴェルディのすべてが理解できます」。


●加藤浩子著
ヴェルディ――オペラ変革者の素顔と作品
平凡社新書/296頁/945円(税込)
2013年5月15日発売


2013年 6月5日  j-mosa