一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記144

2013-05-29 23:31:17 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【144】 
Kitazawa, Masakuni 

 今年は季節の移り変わりが早い。5月も末だというのにもう梅雨入りである。ヤマボウシやウツギ(卯の花)の花々が、濃い緑の葉叢を背景に白く満開なのに、はやばやと淡紅色のサツキが咲きだし、アジサイの花もいまにも開きそうだ。ホトトギスがこれぞわが季節とばかり、かまびすしく鳴く。

 

食の「文明化」とは?

 先日ヴィラ・マーヤで、立教大学教授で人類学者の阿部珠理さんを招いて「ともいき(共生)の思想──ラコタ族の生き方と現代文明」と題するセミナーを行った。保有地の劣悪な環境や貧困のなかで生きるラコタのひとびとが、にもかかわらずそのもっとも深いところでなおも伝統的な生き方や文化を継承し、あるいは積極的に復興しようと努力している姿が、生き生きと浮かびあがるすばらしいレクチャーであった。またそれに刺激された参加者の熱意で、ヴィラ・マーヤが輝いた2日間であった。

 だがこれについては参加者の何人かが、このブログにリポートや感想を書いていただくことになっているので、本題はそれに譲って、それと関連する食や健康あるいは長寿の問題を取りあげよう。

 というのは阿部さんのお話とパワーポイントで映しだされた保有地のスーパーマケットの食料品の棚や、部族のひとびとに多い肥満体を眺めているとき、ふと「ピンク・スライムpink slime」という単語が頭の片隅で閃いたからである。

 それはジャーナリストのマイケル・モスが造語し、牛肉の安全性に関する「ニューヨーク・タイムズ」紙の論説で2009年のピューリッツァー賞を受賞し、一躍有名になったことばである。つまり従来はペット・フードや肥料にしかできなかった牛肉の使い物にならない部分を大量に集め、遠心分離機で脂肪を飛ばし、アンモニア・ガスなど化学薬品で殺菌や加工をし、ピンクの泥状(スライム)にしたもので、牛肉の加工食品の増量剤に使用する。「ピンクのヘドロ」とでも訳すべき代物である。

 大手のハンバーガー・チェーンやスーパーの店頭に並ぶ加工品の多くで、この増量剤が使われてきた。ただこの「ピンク・スライム」論説が全米で大きな反響をよび、消費者諸団体からきびしい批判の声があがったため、マクドナルドや若干の大手スーパーは今後それを増量剤として使用しないことを約束した。

 だが保有地のスーパーに並んでいるような安い加工牛肉には、いまだに使われている。それが健康にきわめて有害であることはいうまでもない。こうした食品やジャンク・フードを多食せざるをえない貧困層ほど、大人だけではなく子供にいたるまで病的な肥満が多くなるのは当然である。

 貧乏人は生活習慣病になって早く死ね!といわんばかりのこの食の合理化あるいは文明化は、いうまでもなく近代文明に固有の経済合理性の徹底的追求から生じたものである。

 

食と遺伝子と長寿

 かつて男性・女性ともに長寿県第1位であった沖縄県が、近年その順位を著しく下げている。70歳代以上は依然として長寿であるのに、40代から60代の年齢層が短命になっていて、そのもっとも大きな原因は食生活のアメリカ化であるとみられている。70歳代以上は伝統食を好んでいるが、若い世代の食が欧米化し、糖尿病、高血圧など生活習慣病が拡がり、癌も増えているというのだ。彼らは伝統料理にもアメリカ風の食材を使う。たとえば有名なゴーヤ・チャンプルーに、地元の豚肉ではなく缶詰のランチョン・ミート(豚のピンク・スライムが使われている可能性がある)を使うといったように。

 近年老人学(ジェロントロジー)が進展し、長寿についての研究も盛んとなったが、新ダーウィン主義全盛時代には、長寿遺伝子説がもっとも有力であった。つまりたしかに長寿の家系があるように、長寿遺伝子が人の寿命を決定するというのである。

 それが全面否定されたわけではないが、その後ダイエットつまり食生活習慣に大きな比重があるという説が有力となり、「粗食長命説」が唱えられたりした。だが、かつて粗食で有名だった禅宗のお坊さんたちにも、ひじょうに長命なひとと短命なひとが混在し、また近年の統計によっても、伝統食としての粗食の地域が必ずしも長命の地域とはいえないことが明らかとなってきた。事実、菜食主義と百歳以上の長命者とは一致しない。

 上記で述べたように、たしかに食は健康や長寿と大きなかかわりがある。残留農薬や食品添加物に汚染されていない食品、つまり経済合理性の桎梏から解放された食品を食べることは、まず基本である。一般の市販食品よりは高価だが、健康と長寿の保険金を支払っていると思えばよい。

 だがそれによって摂取された身体のエネルギーを、どのように消費するかが問題である。とりわけ高齢者は、身体や脳を日常的に十分に使う、つまり酷使するほどでないと諸機能を生き生きと保つことはできない(アンデスやイタリア・カラブリアの長寿村では、百歳以上の老人も自分のための農作業[市場のためではなく]にいそしんでいる)。一日引きこもってテレビを見ているといった生活では、寝たきりや認知症にならないほうが不思議といえる。

 さらに重要なのは精神の持ち方である。ストレスやそれによってもたらされる心理的苦痛は、長寿の最大の敵であるといってよい。ストレスをいかに速やかに解消するか、瞑想やヨーガをはじめ、多くの方法があるし、それを持続することで自分の精神のあり方が変わっていくことが実感できる。

 要するに健康と長寿は、その地域の気候風土に合ったダイエット、身体や脳を動かすという意味での日常的運動、そしてそれらと不可分の精神の安定性の保持、この三つの条件に尽きるといっても過言ではない。

 遺伝子はいわばあとからついてくる、といえよう。なぜなら最新の遺伝子学であるエピジェネティックス(後発生遺伝学)によれば、遺伝子やその配列(ゲノム)は、後天的な環境やその主体の生活の在り方によって、変化を起こすことが明らかとなってきたからである。たとえ長寿の遺伝子がなくても、生き方を変えることによって遺伝子の変化をもたらすことは可能なのだ。

 エピジェネティックスはこの意味で、近代文明を超えるためのひとつの福音である。


北沢方邦の伊豆高原日記143

2013-05-08 23:09:29 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【143】
Kitazawa, Masakuni 

 今年は早くも新緑を背景に柑橘類の白い花々が咲きはじめ、あたりに甘い芳香をただよわせ、道端では名も知れぬ野草の小さな花々が、紫や緋色、あるいは黄色や白と可憐に目を楽しませている。しかし連休がつづくこの季節、例年、日除け傘をもちだして芝生の露台でお茶などを楽しむのだが、今年は気温が低く、日射しは強いにもかかわらず早々と室内に退散することとなる。北海道は平地でも雪が降ったという。

女性的思考の強靭さ

 いつぞやこのフォーラムの「ジェンダー問題セミナー」で脳の性差について話したが、女性のほうが脳梁(corpus callosum)の容積が大きく、したがって左脳と右脳とのコミュニケーションにすぐれている。男はつねに左脳優先で考え、したがって観念的であるのに対して、女の思考はつねに感性や身体性に根差し、したがってものごとをバランスよく全体的にとらえる。

 このことを思い出したのは、世界銀行の要職を歴任し、副総裁となって世銀改革に取り組み、いまは退任された西水美恵子さんの著書『あなたの中のリーダーへ』(2012年英治出版)を頂き、読了したからである。

 今年の2月10日付の毎日新聞のコラム「時代の風」に西水さんが、「日本から学ぶ10のこと」と題して、東日本大震災時の被災者たちをはじめとする日本人の行動様式が世界から絶賛を浴び、そこに平静、威厳、能力、品格、秩序、犠牲(心)、優しさ、訓練、報道(節度ある)、良心の10の徳が現れていたとする1通のメールが世界をかけめぐったことを書かれた。さらにそれに対する彼女自身のことばに感動し、手紙と拙著(日本人性の原点としての『古事記の宇宙論』)をお送りした。

 もちろんご返事などは期待していなかったのだが、この4月の末、いまは本拠としておられるイギリス領ヴァージン諸島から、お手紙とアマゾン経由でのこのご著書を頂くこととなったのだ(毎日新聞気付の私の本と手紙は船便で1ヶ月半がかりで送られたらしい)。

 この本の内容そのものがまたすばらしく、お礼の手紙を書くまえにこのブログで紹介することに思い至った。

 これはある業界紙の連載コラムをまとめたものであり、したがって内容に若干の重複はあるが、世界銀行の要職にあって業務をこなし、その多くは年上である部下たちと対等な絆をつくり、世界の貧困を撲滅するために現場に飛び出し、世銀の組織改革だけではなく、意識や心の改革にとりくんだ感動的な記録であり、告白であるといえる。

 まず「はじめに」からして感動的だ。パキスタンの貧困な農村の現場にはじめて足を踏み入れたとき「鬼が暴れだした」。水道も電気もなにもないこんな貧しい村で、こんな無学な人たちと暮らすのは厭だという、無意識の差別という鬼だ。「貧困解消を使命とする世界銀行で働いているくせに、貧しい人を見下していた自分を見た」。私にも深刻な経験がある。この日記20で書いたが、絶対に人種差別主義者ではありえないと信じていた自分のなかに、無意識の人種差別主義者の「鬼」が住んでいるのを自覚したときの驚愕である。左脳では拒否していたのに、右脳に「鬼」は住みつづけていたのだ。

 この原点から彼女は出発する。まずは上下の差別のないチームづくりである。対等であるだけではなく、成員の全員が公の業務だけではなく、生活や趣味趣向にいたる全体的なもの、私の用語でいう身体性を含めてトータルな人間としての絆をつくり、貧困の現場を体験し、そこから貧困解消のアイデアやヴィジョンを練り、政策に移し、実行しようというのである。

 そこから世界の未来像も見えてくる。数度にわたるブータン訪問と4世および5世の雷龍(ワンチュク)王の謁見と対話、マハートマ・ガーンディやマーティン・ルーサー・キング・ジュニアたちの非暴力思想への共感、世界の文化の多様性やそれぞれの真の伝統のすばらしさ(わが国では、退任後彼女が赴任した庄内地方がモデルとなる)、そこからえられるのは、人間の幸福度は資源やエネルギーの消費量には絶対に比例しない、経済成長はたんなる結果にすぎず、それを目的とするとき人類は滅亡にさえおもむきかねない、などなど、私がこの日記でたびたび主張してきた世界の脱近代の未来像と共振するヴィジョンが現れてくる。

 またチームづくりや組織論の根底にあるのは、かつての一部の近代的フェミニズムとはまったく異なる真のフェミニズム、いわば自然体のフェミニズムである。それがたんに思想としてあるのではなく、たとえば世銀に共働きの男女のために保育所を設ける(男性職員の利用率が大きくなる)など、実践や実現としてあらわれ、また影響をもちはじめることがすばらしい。青木やよひが生きていたら私以上に共感したにちがいない。

冒頭で述べたように、こうした女性固有の強靭な思考力を生かす組織や社会こそ、新しい未来を生みだす力となるにちがいない。

 とにかく本書は、あらゆるひとびとに一読をすすめたい。

 

 


北沢方邦の伊豆高原日記【142】

2013-04-18 09:29:18 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【142】
Kitazawa, Masakuni  

 新緑の季節に「突入」という感じである。狭緑から銀色や薄茶色にいたる新緑の諧調が、微風にゆれて色彩の交響曲を奏でている。鮮明な白や赤の石楠花の花も盛りを過ぎ、いつもなら早くても4月下旬、ふつうには5月の連休というツツジが早くも満開であり、萌える新緑を背に鮮紅色や純白の花の絨毯を織りなしている。残念ながら連休には散っているにちがいない。ウグイスやメジロ、ヤマガラやヒタキの類が盛んに鳴き交わしている。

マーガレット・ミードの復権  

 1980年代から90年代にかけて、アメリカでは人類学界を超えた広範囲の知的世界に衝撃をあたえた「ミード対フリーマン論争」というものがあった。  

 このフォーラムの「性差とジェンダー問題」セミナーでの私の報告のなかでも取りあげ、のちに「性差とジンダーの構造」と題する論文として日本語ジェンダー学界機関誌「日本語とジェンダー」vol.Ⅷ(2008)に掲載されたのでぜひ参照していただきたい。  

 それは、フェミニスト人類学のすぐれた先駆者であるマーガレット・ミードを、アカデミズムの枠を超えて一躍有名にした著書『サモアの青春』(1928)が、情報提供者にかつがれて決定的な誤りを犯し、サモア文化への無知をさらけだした本だとして、オーストラリアの人類学者デレク・フリーマンが批判し、攻撃した「事件」である(Derek Freeman. Margaret Mead and Samoa; The Making and Unmaking of an Anthropological Myth. 1983.さらに徹底した攻撃はid. The Fateful Hoaxing of Margaret Mead; A Historical Analysis of her Samoan Research.1999.である)。  

 戦後『サモアの青春』がベストセラーとなり、知的大衆にまで巨大な影響をあたえたのは、厳格なピューリタン的性道徳に縛られ、悩み苦しんでいた大学生などアメリカ白人の若い両性に、きわめて開放的で自由なサモアの若い男女の性のあり方を知らせ、人間にとって性文化とはなにかを自問させ、60年代末の「性革命」をいわば予告したからである。  

 同じくピューリタン的な育児法から子供たちを解放しようとしたベンジャミン・スポック博士の育児書とともに、これはアメリカの戦後リベラリズムを代表する知的著作となった。  

 1978年にミードが死去したあと、フリーマンはサモアにおいても性道徳は厳格であり、処女性が重んじられている、ミ-ドは情報提供者の軽い冗談に乗せられたにすぎない、ときびしい批判を展開した。さらに彼はミードのサモア滞在中の若い案内者であった女性にインタヴューをし、彼女が毎晩違う男と寝ているという冗談をミードに話したという「ミードの致命的捏造」の決定的証言をえたと、アメリカ人類学雑誌その他で大々的に宣伝をはじめた。  

 ミード批判は人類学界だけではなく、アメリカの知的社会やメディアに大きくひろがることとなり、ミードの学問的名声は地に落ちるにいたった。  

 だが近年、フリーマンの批判や攻撃に疑問を抱き、国会図書館や大学図書館などに残されたミードのフィールド・ノートなどの資料、あるいは当のインタヴューの記録や映像などをくまなくあたり、フリーマンこそが著名人を攻撃することによって世に出ようという学問的詐欺を働いたと反批判する学者たちがあらわれた。  

 その一人がポール・シャンクマンである。彼は、この若い女性が儀礼を執行する厳格なタイトル保持者であることを知っていたミードが、性の問題について彼女と話をするはずはないし、また彼女を情報提供者とはみなしていなかったとする証拠をそれらの資料からあばきだし、また87年のインタヴュー時に86歳であったこの女性の記憶がかなりあいまいであり、通訳を兼ねたサモアの高官が質問をかなり誘導的に行ったことも突き止めた(ちなみに通訳を必要としたフリーマンに比べ、ミードやシャンクマンはサモア語に堪能であった)。  

 シカゴ大学出版局(ウェンナー・グレン財団後援)から発行されている「カレント・アンスロポロジー」誌に掲載されたこのシャンクマンの論文に6人の学者がコメントを寄稿しているが、フリーマンの同僚である一人(きわめて微妙ないいまわしで、シャンクマンを否定しはしないが)を除き、すべてがこれを評価し、フリーマンの行為を「学問的詐欺」とさえいっている。ミードの復権は決定的である。

知的新保守主義の興隆と没落 

 そのコメンテイターのひとりハーバート・ルイスが、フリーマンの攻撃は「社会生物学者、進化心理学者、遺伝子決定論者などといった筋の学者たちに、彼らの問題に用いる絶好のステレオタイプ的武器をあたえた」と主張しているのが面白かった。  

 この日記【131】でもとりあげた進化心理学者スティーヴン・ピンカーの名もあがっているが、フリーマンとまさしく同じ時期に登場してきたこれらの論客や思想は、サッチャーやレーガンの政治を支える形で登場した知的新保守主義あるいは知的新自由主義を代表するものであろう。  

 ヒトについての古くからのルソーとホッブズの対立、つまり共生する「高貴な野蛮人」と弱肉強食の「ヒトはヒトにとって狼である」(動物としての狼は自然と共生する集団的友愛の実践者である)との対立いらい、「法と秩序」の擁護者たち、あるいは狂信的合理主義者たちはホッブズを支持し、道徳やルールは法律によって外から、つまり国家によって強制すべきであるとしてきた。20世紀後半を支配してきた新ダーウィン主義の遺伝子決定論によって、この新保守的・新自由主義的イデオロギーは「科学的に」証明されたとして猛威をふるってきたのだ。

 アメリカの戦後リベラリズム、それに呼応するわが国の戦後民主主義については私も批判的であり、この日記でもたびたび主張してきたが、それはこれらの思想にかぎらず、近代の根底に宇宙論や自然観、それと不可分の身体性が欠如していることに対してであり、彼らとはまったく異なる。  

 それとともに悲しいのは、「高貴な野蛮人」であるはずのサモアのひとびと、とりわけ高等教育を受けた知識人や行政府高官たちが、『サモアの青春』に描かれた自由で開放的なサモア文化や性道徳を、恥ずべき過去の因習として葬ろうとしていることである。フリーマンに行政府の高官たちが助力したのも、この彼らの「脱植民地的近代化主義」とでも名づけるべき知的・イデオロギー的衝動からである。わが国の戦後民主主義者たちの一時期の言動を思い起こさせる。  

 東日本大震災時に示された被災者たちの「高貴な言動」こそ、いまなおひとびとの無意識の奥深くに眠っている日本のほんとうの文化や伝統の現れにほかならなかった。われわれの内なる「高貴な野蛮人」を自覚しなくてはならない。それが近代を超える文明の道を照らす導きの松明なのだ。

Cf. The “Fateful Hoaxing” of Margaret Mead; A cautionary Tale by Paul Shankman. in Current Anthropology vol.54 No.1 February 2013.


北沢方邦の伊豆高原日記【141】

2013-03-29 10:17:07 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【141】
Kitazawa, Masakuni  

 東京ではソメイヨシノが順調に開花し、満開となったようだが、伊豆高原では異変が起きている。山桜の類は例年通り美しく咲き誇り、ヴィラ・マーヤのそれも、本居宣長の歌をいつも想起させるのだが、新芽の鮮やかな緑──本来古語でミドリというのは生まれたばかりのもの、植物では新芽のことなのだが──を背に満開となり、朝日を受け、匂い立つように白く輝いている。  

 だがソメイヨシノは例年の半分あるいは3分の1程度の花しか付けず、しかも散らないうちに新芽に蔽われはじめている。いささか不気味だ。気象の異常に、山桜は強く、ソメイヨシノは弱いということなのだろう。

科学と想像力の境界  

 異変といえば、科学のさまざまな分野で「異変」が起きている。ひとつは新しい分野が次々と開拓されていることと、それに関連して、物理学・化学・生物学などといった古典的な境界が消失しつつあること、またそれらの最先端ではいい意味で、「科学」と「想像力」の境界が失われつつあることである。  

 たとえば宇宙生物学(astrobiology)である。いうまでもなく地球外生物の探索と研究が目的である。この日記でもたびたび取りあげてきた(最近のものでは138)が、この地球上での微生物科学(サイエンス・オヴ・マイクローブ)または微生物学(マイクロバイオロジー)の驚くべき展開によって、生命と進化の概念に革命がもたらされつつあるが、その成果のうえに地球外生物あるいは生命を探索し研究しようというのである。  

 実はこの地球上でも、従来の生物学によって確認されてきた生物または生命体の種の数はわずか10数パーセントでしかないことがわかってきた。残りはまだ命名はおろか発見されていない生命体であり、そのうちのかなりの部分は従来、生命の維持が可能ではないと考えられてきた超高温・超高圧あるいは高線量放射能(最近チェルノブイリの溶融炉芯で未知のバクテリアが発見された)など、過酷な環境にみごとに適応する生命体である。  

 そうであるならば、地球一般よりはるかに過酷な環境にある諸惑星やその衛星、あるいは太陽系外の諸天体に生命が存在しないということは考えられない。宇宙生物学者たちは、そうした物理学的諸条件のなかで、どのような化学反応が起こり、どのような生命体が発生しうるか、理論的に研究しつつ、最新の天文学の成果と提携しはじめている(それによればブラック・ホールの縁にすら生命は存在しうると計算されている)。  

 かつて科学哲学者カール・ポッパーは、科学が科学でありうるためには、1)実験可能であること、2)検証可能であることと条件づけた。だがすでに量子物理学のストリング理論はこの条件をいわば蹴散らしているが(保守派はそのためにストリング理論はメタフィジックス[形而上学]であってフィジックス[物理学]ではないと非難している)、この宇宙生物学もみごとにこの条件を破綻させている。  

 いまや最先端の諸科学では、科学と想像力との境界は失われつつあり、また逆にゆたかな想像力を働かせることによってのみ、科学の進展あるいは新しい創造がありうることを示している。

 子供たちは生まれながらにこうしたゆたかな想像力をもっているのに、教育を受けるにしたがってそれを失い、社会や学問の型にはめられてしまっていく。教育体系の変革も、こうした観点から考えられなくてはならない。想像力とは身体性そのものから沸きあがってくるものなのだ。 (ニューヨーク・タイムズ書評紙March 10,2013に掲載されたWeird Life; The Search for Life That is Very Very Different From Our Own. By David Toomeyの書評[ by Richard Fortey)]に刺激されて)


伊豆高原日記【140】

2013-03-20 18:28:28 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【140】
Kitazawa, Masakuni  

 真冬の寒さが急に初夏ともまがう暖かさとなり、なんともあわただしい春となった。まだ寒椿が紅の花をつけ、3月上旬に咲く駅前の大寒桜(おおかんざくら)がようやく満開となり、淡い紅の花の並木が観光客を呼び寄せはじめたというのに、コブシの白、レンギョウの黄色が咲き乱れ、ソメイヨシノも咲きはじめようとしている。ウグイスも負けじと、あちらこちらで声を張りあげている。

「シェール革命」のコストとリスク

 先進諸国やその産業界が「シェール革命」で沸きかえっている。2酸化炭素の排出や将来の枯渇などの問題をかかえている化石燃料(石炭・石油)に代わり、排出も少なく資源も膨大、しかも産出コストも価格も安いシェール(頁岩)ガス(および付随するオイル)が、世界経済の救世主となるという見通しからである。だがはたしてそうであろうか? そのほんとうのコストやリスクはどうなのだろうか? 

 安全神話の詐術によってほんとうのコスト(重大事故の補償や廃炉のコスト、使用済み核燃料の貯蔵や処分のコストなど隠されていた膨大なコスト)を考慮せず、建設を推進してきた原発と同じく、「シェール革命」の真のコストやリスクは隠されている、あるいは少なくとも当事者にとっても不明なのではないか? 

 問題はまず、現在の開発技術にある。地下数千メートルの頁岩(シェール)層(泥土が岩石化した層)にまでパイプを到達させ、大量の水に数百種類の人工化学物質と砂を入れ、高気圧で送りこんで層を破砕し、ガスとオイルを取りだす「水圧破砕法(hydraulic fracturing略してfracking[フラッキング]という新語が生まれている)」とよばれる方法である。

 現在カナダのサスカチェワン州や合衆国のノース・ダコタ州がブームの中心となり、恐るべき速度で開発が進んでいる。緑の美しい大草原や牧場や農場がはてしなくひろがるノース・ダコタ西北部には炎をあげる数千のガス井の櫓が林立し、まだ未舗装のアクセス道路に無数の巨大トラックが砂埃をあげて行き交い、労働者アパートやブームを当て込んだマーケット建設が慌ただしく進められ、素朴な人情と静寂に溢れていたこの地が、犯罪やレイプの温床となりつつある。

 風景やその意味での環境破壊も大問題であるが、フラッキングそのものに恐るべき問題が隠されている。すなわち水が貴重なこれらの地域での大量の水の消費、さらにそこに添加される大量の化学物質の毒性(発癌物質および直接吸えば死にいたる致死的物質など)である。しかも頁岩層破砕にもちいられたこの有毒な水はポンプで回収されが、すべて回収されるわけではない。残りは頁岩層を越えてその上方にある帯水層の地下水脈にガスやオイルの残滓とともに浸透し、地下水を汚染する。井戸に依存する近くの村落の飲料水は飲用不可となるだけではなく、火をつければ燃え上がる。地下水から流れでる川も汚染され、それを使用する都市の水道水にも汚染は広がる。

 さらにポンプで回収された汚染水の処理が大問題となる。危険なためプール処理は禁止され、一旦汚染水タンクに集められたのち、地下深くに送り込まれるが、これがまた帯水層の地下水脈に影響をあたえないという保障はどこにもない。また汚染水を扱う労働者たちは吐き気やめまいに襲われるため、私費で防毒マスクを購入する始末だという。ラドン・ガスの恐ろしさを知らず(企業側も無知であったのだ)、低線量長期被曝で癌に冒され、次々と亡くなっていったナバホのウラニウム鉱山労働者を思い起こさせる。

 シェール・ガス・オイル採掘にともなうこうした恐るべき環境破壊や汚染が、将来どのような結果をもたらすか、誰も知らない。政治家も企業も、この事実に目を閉じ、エネルギー革命を謳歌するのみである。原発の安全神話と同じことがふたたび繰り返されようとしている。なぜメディアはこの事実を報道しないのか?

 フクシマのあとでもいまなお広範囲に信じられている「成長神話」(GDPの成長のみが「豊かさ」をもたらすという)が、この恐るべき事実から目をそらさせる原動力となっているのだ。まずは「成長神話」を打ち砕かなくてはならない。

注)この文を書くのにNational Geographic, March 2013に掲載されているEdwin Dobb: The New Oil Landscape; The Promise and Risk of Frackingを参照させていただいた。


北沢方邦の伊豆高原日記【139】

2013-03-06 17:19:28 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【139】
Kitazawa, Masakuni  

 ようやく遅咲きの白梅・紅梅が満開となり、コブシやモクレンの枝々の蕾も膨らみ切り、いまにも咲きそうだ。だいぶまえから咲き誇っているスイセンの花々は、まだ芳香を漂わせている。今朝(3月5日)ヴィラ・マーヤを開けに行くとき、半月以上も遅いウグイスの初鳴きを聴いた。春めいた陽射しとともに、心にほのぼのとした暖かさを喚起する。

いじめと自殺  

 ニューヨーク・タイムズ書評紙を読んでいると、アメリカでも子供の「いじめ(bullies)」が深刻な問題となり、何冊かの本が出ているようだ。だが私見によれば、この問題は大人の自殺の増加問題と深く関連した社会現象であり、先進諸国共通の病理であるように思われる。  

 戦前、私の子供のころにもいじめは存在していた。父の転勤やその死後の家庭の事情で、小学校を4校も転校したが、そのたびにいじめにあったことを覚えている。下校時校門に待ちかまえていた悪童たちに、「おまえは生意気だ」「転校生のくせに大きな顔するな」などと言いがかりをつけられ、殴る蹴るの喧嘩を展開したものである。多勢に無勢でいつもやられっぱなしであったが、東京に出たときは逆に数人の相手に鼻血をださせたりして勝ったことがある。  

 もちろん親にいいつけるなどは卑怯であり、恥とされていたし、また子供の喧嘩に親がでるのも大人の恥とされていたから、母も知らなかったか、知っていても黙っていたようだ。  

 だがこれは一種の通過儀礼であり、ひと月もしないうちに悪童たちとはとりわけ仲良くなり、遊び仲間となった。こうした陽気な喧嘩やその意味での暴力沙汰は、子供たちの集団生活でのある種の身体的ルールでもあり、また喧嘩や格闘も、医者に行くような怪我にいたることなどはけっしてなかった。  

 だが現在の「いじめ」はそのようなものとはまったく異なり、たんに陰湿であるというより、他者の人格や人権の抹殺を意図し、いじめの相手が自殺でもしようものなら、快哉を叫びかねないような病的なものである。またいじめにあったものが、簡単に自殺する内面の弱さも問題であり、両者は問題の盾の表裏であるといえる。

人間の性善説と性悪説  

 18世紀西欧でのルソーとホッブズの思想的対立以来、人間の性善説と性悪説はつねに対立を繰り返してきた。この伊豆高原日記【130】でも取りあげたが、スティーヴン・ピンカーやナポレオン・シャグノンらは近年の性悪説の代表である。『われらの本性のより良き天使たち』(2011年)という題名とは裏腹に、ピンカーは《ヒトはヒトにとって狼である》というホッブズを称揚し、近代の啓蒙思想と理性信仰がはじめてヒトの本性である悪を克服したとする。アマゾンの戦士ヤノマメ族に土産として銃をあたえ、麻疹ワクチンで逆に麻疹を流行させた(後者の疑惑は晴れたが)として悪名高いシャグノンは、ヤノマメの好戦性や攻撃性を「未開」の野蛮の典型とし(それも近年の生活環境の激変でそうなった可能性が高い)、性悪説を唱えている(これもルソーを皮肉る題名の本『高貴な野蛮人;二つの危険な部族─ヤノマメと人類学者ども─のなかでのわが生涯』 Noble Savages; My Life Among Two Dangerous Tribes─the Yanomamo and the Anthropologists. By Napoleon A. Chagnonのなかで)。  

 だが、たとえばわれわれ現生人類(Homo sapiens sapiens)はすでに数十万年生きているが、同じころ生存していたネアンデルタール人は、なぜ10万年しか生存できなかったのか? その答えはいくつかあるが、有力なひとつは、われわれが集団の絆が強く、つねに助け合い、自然との共生をはかってきたからである。人口の増加や環境の変化に適応して移住し、約二十万年かけて地球の主要部分に達したわれわれの祖先が、ヒトはヒトにとって狼であるような闘争社会に生きていたとしたら、このようなことはありえず、ネアンデルタール人同様いつか絶滅していたことであろう。  

 この一事をもってしても、ルソーの正しさは証明される。だが問題は、生活環境の変化、というよりも激変によって人間は性悪にもなりうることである。

近代人の脆弱性  

 ピンカーの主張とは逆に、啓蒙思想や合理主義以降の近代人は、精神的にきわめて脆弱になり、また経済的・物質的にはヒトはヒトにとって狼であるホッブズ的状況をみずから作りだしたといわなくてはならない。後者は訴訟社会といわれるように、国家が強制する法と秩序によってかろうじて安定が保たれることとなる。  

 ここで問題なのは前者である。すなわち、無意識や身体性のレベルでつちかわれる文化や本能的なルールより、意識や知識のレベルで獲得されるいわゆる理性的なものが優位にあるという教育や偏見にまみれ、自己のほんとうのアイデンティティが形成されないからである。人間はアイデンティティなしでは生きられないから、それに代わる偽のアイデンティティが形づくられる。国民というアイデンティティ、集団や組織や家族への帰属というアイデンティティなどなどであり、近年ではいわゆるソーシャル・ネットワークなどヴァーチャルなアイデンティティまでもが加わる。  

 だが、旧ソヴェト連邦や旧ユーゴスラヴィア連邦の解体時にみられたように、国家意識という偽のアイデンティティはたちまち消滅し、それに代わっていわゆる民族や宗教など別の疑似アイデンティティが紛争や葛藤をつくりだす。  

 戦前の古い共同体や郷土的文化──ナショナリストたちのようにそれらを復活させようとは毛頭思わないが──が解体され、明治近代化よりもさらに急激な近代化に邁進した戦後の日本では、この近代のアイデンティティ危機は他国より深刻であるといわなくてはならない。高度成長期にはまだ生活向上の期待で破綻することのなかったもろもろの偽アイデンティティも、格差社会の到来とそれによるひどい閉塞感のなかでは、もはやその疑似機能さえも果たすことはできない。欲求不満にもとづく攻撃性は自己より弱いものに向かい、上記のような「いじめ」となる。いじめを受けたものも、アイデンティティの脆弱さゆえに、それを跳ね返すような力をもつことはできない。子供だけではなく、大人の社会も同様である。鬱病や自殺の蔓延も、このことに根本原因がある。  

 それを救うのはなにか? 「アベノミクス」が招くにちがいない一層の格差の拡大と貧困層の増大は、状況をますます深刻にするだけである。そうではなくて、グローバリズム破綻後の状況にしっかりと適応するエコロジー的で持続可能な社会のヴィジョンを打ち立て、そのなかで身体性にもとづく新しい価値観や教育体系を創りだすことである。


北沢方邦の伊豆高原日記【138】

2013-02-06 13:28:08 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【138】
Kitazawa, Masakuni  

 いつもなら1月の下旬には満開となる早咲きの白梅や紅梅が、ようやく3分咲き程度となった。冬枯れの光景や、冬にはくすんだ色となる常緑樹の濃い緑を背景に、淡い陽光をうけてほのかに輝く。山茶花の花が終わりを告げはじめたため、まだ冬毛でこれもくすんだウグイス色のメジロの群れが、蜜を吸いにやってくる。

微生物(マイクローブ)の驚くべき世界  

 ひと仕事が終わったので、例によって溜まっていた雑誌類や書評紙などを読みはじめた。そのなかでNational Geographic, Jan.2013の125周年記念の特集「われらはなぜ探求するか」が興味深かった。とりわけ微生物科学の最新の情報である微生物学者ネースン・ウルフ(Nathan Wolfe)による記事Small Small Worldは、昨年書きあげた本に関連してきわめて刺激的であった。微生物科学がいままで隠されていた生物学的リアリティを発見しただけではなく、新しい世界像への扉を開きつつあることを確信させる記事であった。以下、私見を交えながら紹介する。  

 わが国でも一時期メディアやひとびとの話題を賑わわした、胃に寄生するバクテリア「ピロリ菌」(Helicobacter pylori)のことを覚えている方も多いだろう。メディアに登場した通俗医学では、ピロリ菌は胃潰瘍を引き起こす悪玉菌であり、除去すべきであるとされた。だがニューヨーク大学の微生物学者マーティン・ブレイザーによると、ピロリ菌は胃に寄生しながら人体の免疫作用を強化する機能を果たしていて、特異な条件下では胃潰瘍を引き起こすが、通常は必要な善玉菌であるという。事実、幼少時、抗生物質の多量投与によってピロリ菌がほとんどいなくなったひとびとには、喘息患者がひじょうに多いことがわかってきた。つまりピロリ菌の不在で喘息に対する免疫力が失われ、消化器系のピロリ菌の欠如が、呼吸器系に免疫不全を引き起こしたことになるのだ。  

 われわれの身体の全細胞に、発疹チフス菌の一種であるミトコンドリアが寄生し、思考活動を含むわれわれの酸素エネルギーすべての貯蔵庫の役割を果たしていて、その遺伝子が母方の人間の遺伝子とともに子々孫々に伝えられていることは、この日記でもたびたび指摘してきた。そのミトコンドリアを含め、われわれの身体に寄生しているバクテリアの総数は、われわれ固有の細胞数のほぼ10倍に当たり、総重量は約1・5キログラムになるという。  

 その多様にして大量のバクテリアが、実はそれ自体によって人体に精密なエコロジー体系をつくりあげ、われわれの生存に必要不可欠な諸条件をつくりだしている。すでにたびたびこの日記で述べてきたが、われわれの腸に寄生する無数の種類の無数のバクテリアは、食物の消化を助けるだけではなく、腸が吸収不可能な栄養の吸収をし、ヴィタミンや炎症防止プロテインなどをつくりだしてくれる(まばゆいばかりの赤や青などの色彩の多様な種類のバクテリアが食物繊維に群がっているショッキングな電子顕微鏡写真が掲載されている)。また皮膚に寄生するバクテリアは、適度な湿気を皮膚にあたえ、毛穴などに侵入する病原菌を防いでくれる。大気や水や食物などからわれわれは大量のバクテリアやヴィールスを吸収し、そこには多くの病原菌やヴィールスもふくまれているが、体内でのこのバクテリア・コミュニティの均衡や機能が正常に保たれているかぎり、病原菌はバクテリオファージュといういわば戦士ヴィールスによって撲滅され、駆逐される。

 だが上記の抗生物質にかぎらず、強い医薬品や、食品などに含まれる残留農薬や添加物、あるいは大気汚染、また日本人に多い過度の衛生観念による身体などの過剰な洗浄などは、これらのバクテリアやヴィールスの精密なエコロジー体系の均衡を崩し、身体のさまざまな機構に異変をもたらす。しかもこうした異変が起こると、コントロールをしあっていたバクテリア相互の力の均衡が崩壊し、前記のピロリ菌のように悪玉に変異し、胃潰瘍を引き起こしたりするのだ。医療の第一は、いかにしてこのバクテリア・コミュニティの均衡を回復させるかであるという。東洋医学でいう気の回復が、このことにもかかわっていることはいうまでもない。  

 生物体だけではない。この地球上のすべての存在は、これらバクテリアやヴィールスとの共同体であるといってもいい過ぎではない。たとえば全生物にとって太陽光と水は生成や生存に不可欠であるが、黄砂のような微細な物質に乗って上空に舞い上がったバクテリアやヴィールスは、核となって雲を形成し、雨や雪を降らす。雪の結晶には必ずこれらバクテリアやヴィールスが核となっている。つまり地球のエコロジー的循環全体が、微生物体の働きがなくては成立しないのだ。  

 微生物科学の驚くべき進展は、生物学や進化論だけではなく、世界像そのものを大きく変えつつある。
 


伊豆高原日記【137】

2013-01-23 10:03:12 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【137】
Kitazawa, Masakuni  

 東京の大雪の日、こちらは雨であったが、大島の三原山のいただきにまだ雪が残り、青い島影に純白の冠を載せて美しい。今日は厳しい寒さも少しゆるみ、心なしか白梅の蕾が少し膨らんだように思う。

ホピからの手紙  

 ホピの今井哲昭さんから新年の来信。海抜2千メートルの砂漠性高原地帯であるホピの冬は厳しく、朝の気温は摂氏マイナス18度(アメリカでは華氏が使われているから約0度)で、まばゆいばかりの銀世界が地平線まで続いているという。  

 「先月末の新聞にナバホ・ランドにおけるウラニウム汚染土の処理についての記事が載っていましたので同封しました。これによるとかなりひどい状況です。1980年に終了したナバホ・ランドにおけるウラニウム採掘場に残された大量の汚染土、いったいどうすればいいのでしょう。もはや人の手には負えないようです。アメリカは現在90%のウラニウムを輸入に頼っていると書いてありますが、それを輸出している国に次々と残されてゆく汚染土はいったいどうなっちゃうんでしょう。日本も使うだけですが、はたしてどれほど人が、ウラニウムを採掘している国がどれほどの被害をこうむっているか心をいためているでしょうか。この実体を知ったら反原発の動きに少しは影響があるかもしれません。我々の先々の子孫たちにこれ以上我々のツケを負わせてはいけないと思います」。  

私の返信の一部:  

 「ナバホのウラニウム汚染、1970年代にいくつかの雑誌に報告を書き、原発推進に大きな警鐘を鳴らしたつもりでしたが、結局フクシマという取り返しのつかない大事故を防ぐ一助にはなりませんでした。いまでも日本人にはほとんど知られていませんので、次回のブログで今井さんからの報告として取りあげるつもりです。  

 フクシマの被害者にも、これから10年もたつと低線量長期被曝の深刻な結果が出てくると思い、ナバホの死者たちもとても他人事とは思えません。ウラニウム鉱石の集積・転送サイトであったコウヴの村落が「未亡人村」とよばれていたこともどこかで読みました。多分「アメリカ人類学雑誌」(AAA)の論文だったと思います(どこかにコピーを保存してあるはずです。この災厄をナバホのひとびとは雷の神の呪いだと考えているという趣旨でした)」。

低線量長期被曝の恐ろしさ  

 今井さんから送られてきたのはNavajo Hopi Observer, December 26,2012であるが、合衆国環境庁がようやく重い腰をあげて、ナバホのウラニウム集積・転送基地であった二つのサイトのウラニウム鉱石残滓の汚染土の除去作業をはじめたという記事である。なんと採掘終了から30数年たってからであるし、この二つのサイトどころか、汚染除去を必要とする採掘場跡は2000か所にのぼるという。ひとつのサイトのあるコウヴの村落は、ほとんどの男がそこで働き、ウラニウム鉱石から発散する放射能(ラドン・ガス)による低線量長期被曝で、ほとんどのひとが各種の癌となり、死亡した結果、上記のように「未亡人村」と呼ばれるようになった。  

 コウヴだけではない。2000に余る採掘場で働いたナバホの鉱夫たちの80%以上(正確な調査や統計はない)が、咽頭癌、肺癌など呼吸器系の癌、唾液などによって吸収されるため、胃癌や肝臓癌など消化器系の癌、あるいは露出した首や手足などの皮膚癌に冒され、次々と死亡していった。ヒロシマ・ナガサキをはじめとする核兵器開発のため、1940年代から50年代にかけての大ウラニウム・ブームで働いたひとびとである。それが70年代以降にはこうした結果となったのだ。  

 それだけではない。採掘跡、集積場跡などから流出した粉末状の鉱石残滓は、雨に流れ、風に舞い、大なり小なりナバホ全土を汚染した。また住民たちはその恐ろしさも知らず、見かけや性質がセンメントそっくりのこの青白い鉱石残滓を使い、住宅建設や、なかには小学校建設にまで使用してしまったという。  この事実はアメリカでさえ、環境団体などのメディアを除き、ほとんど報道されず、知られていない。まして日本においてをや、である。  

 チェルノブイリに見られるように、原発大事故では高線量被曝で多くの死者がでるのは当然だが、10年あるいはそれ以上の長期をへてからようやく低線量被曝の恐るべき結果が現れる。フクシマも影響が出はじめるのは2020年代以降であろう。いまから国や自治体はそのときにそなえ、対策を講じておかなくてはならない。  

 原発推進とはさすがにいわなくなったが、「慎重に再開」という安倍政権が成立したいま、「喉元過ぎて熱さ忘るる」という風潮に染まりつつあるわが国の現状は憂慮に堪えない。風向きによっては首都圏数千万人が避難しなくてはならなかったかもしれないフクシマ大事故の教訓を、もう一度肝に銘じよう。


北沢方邦の伊豆高原日記【136】

2013-01-05 16:34:00 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【136】
Kitazawa, Masakuni  

 2日の夜は暴風ともいうべき北風で、落ち葉が綺麗に掃き清められたが、その他の日々はおだやかな新年であった。今日はまったく風もなく、遠く青い島影を浮かべた海が午後の陽光を受けて金色に輝いている。

『バガヴァッド・ギーター』とはなにか  

 明けましておめでとうございます。メディアではリヒアルト・ワーグナーの生誕200年祭などで賑わうにちがいないが、われわれのフォーラムにとっては、今年は『バガヴァッド・ギーター』の年であるといえる。11月23日(勤労感謝の日)にサントリー小ホールで、室内オペラ『バガヴァッド・ギーター』(西村朗作曲・北沢方邦台本)の上演が決定しているからである。  

 古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』(キリスト紀元前300年から紀元後300年頃にかけて成立し、現在もなお語り継がれている)の第6巻の主要部分が、特に「バガヴァッド・ギーター」(神の歌)と名づけられ、人口に膾炙してきた。『マハーバーラタ』を読みとおした人は少ないかもしれないが、「バガヴァッド・ギーター」を読んだことのないインド人はいないとさえいわれている。  

 『マハーバーラタ』は、神々と人間が交わって暮らしていた伝説の時代、パーンダヴァとカウラヴァという2大氏族が対立し、覇権を争い、ついには決戦の挙句パーンダヴァが勝利するという筋書きであり、ともに神々の血をわけた親族であり、友人であり、あるいは師弟であるものたちからなる両種族が、なぜ戦うにいたったかを、仏教でいう「人間の業(カルマ)」として詳細に述べている。だが結末は、勝利したはずのパーンダヴァの生き残りの戦士たちも、次々と死を遂げ、なにも残らなかったといういわゆる「諸行無常」の世界を描き、インド学者のウェンディ・ドニガーはこれを「世界最大の反戦叙事詩」であると称えている(わが国の『平家物語』には、この大叙事詩の遠い反映がうかがわれる)。  

 「バガヴァッド・ギーター」は、両氏族の決戦の日、パーンダヴァの英雄アルジュナが、対峙する両軍の真っただ中に戦車を乗り入れ、戦車の御者の姿をした神クリシュナと交わす対話を、吟遊詩人サンジャヤが聴き書きし、韻文として記したものである。  

 すなわち、英雄アルジュナは、対峙するカウラヴァの一族を眺め、そこに父や義父、叔父や兄弟、あるいは師や友人たちが戦車のうえに、武器を手に手に立っているのを見た。彼はまったく戦意を失い、親族や師や友人たちを殺すことはできない、むしろ私が殺される方がましだ、と名だたる強弓を投げ捨て、坐り込む。クリシュナが苦悶するアルジュナを教え、諭すその韻文が「神の歌」にほかならない。  

 その教えはある意味で難解である。なぜなら、アルジュナの反戦の志しをひるがえさせ、決戦に立ち向かうように激励し、一見神々の教えである「非暴力(アヒンサ、不殺生)」に反するようにみえるからである。それはなぜか。  クリシュナの説くのは「ヨーガの道」である。ヨーガの道とは、御者の姿をしたクリシュナ自身もその一員にほかならない現世という名の迷妄(マーヤー)の世界、時間のサイクルとしては死と再生の輪廻(サンサーラ)の鎖に繋がれた迷妄の世界から脱出し、宇宙の真理(ブラフマン)に到達する道である。  

 その道への入り口は三つある。ひとつは行為(カルマ)であり、ひとつは信愛(バクティ)であり、ひとつは知(ジニャーナ)である。この三つは最後にはひとつとなり、一致するのだが、戦士アルジュナはまずカルマの道を進まなくてはならない。それは自己の行為を通じてしか解脱(モクシャ)には至らないからである。自己の行為からすべての情念や欲望(カーマ)を振り落とし、迷妄と執着から離脱し、専心することがまず要求される。それによって迷妄の世界を超えたクリシュナの真の姿、すなわち宇宙の真理に到達し、それを信愛し、それを認識する知を身につけるのだ。行為(カルマ)を捨てることは自己からの逃避にすぎず、なにものをも生まない。

『ギーター』の今日的意味  

 『ギーター』がベートーヴェンの愛読書のひとつであることは前回述べた。ゲーテをはじめ同時代の大知識人たち、あるいはアメリカのソローやエマースンなどの超越主義者たちにそれが絶大な影響あたえたのは、人間としての自己(アートマン)は、現世のすべての執着から離脱することによってのみ宇宙の真理と一体となることができる、というメッセージにほかならない。彼らは、当時西欧の近代がのめり込みつつあった「合理性の罠」、つまり主観と客観の二元論によって「身体性」つまり人間の内なる自然と外なる自然・宇宙との絆を無視し、自然の収奪や自己の身体の疎外を合理化し、暴走するにいたった罠を予見し、人類の王道への回帰を目指し、そのよりどころとして『ギーター』に感銘したのだ。

 この図式は今日もまったく変わらない。音楽上の大天才ベートーヴェンに匹敵する科学上の大天才アインシュタインの愛読書のひとつも『ギーター』であった。彼はスピノーザやインド思想を通じて、科学の認識の基礎も絶対に一元論であるべきだと信じ、量子力学の主導権をとったコペンハーゲン学派の二元論を徹底的に批判し、微視的世界と巨視的世界の一元論としての統一理論を唱えたのだ。彼の生前にはそれは挫折に終わったが、ストリング理論や多重世界解釈の登場によって、新しい統一理論への展望は開けつつある。

 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマの悲劇は、「合理性の罠」の暴走の結果にほかならない。われわれはいまこそ、人間の内なる自然と外なる自然との「統一理論」を、われわれの行為または身体と、宇宙や大自然への知や信愛を通じて打ち立てなくてはならない。

 それが『バガヴァッド・ギーター』の教える「ヨーガの道」であり、その今日的意味である。


北沢方邦の伊豆高原日記【135】

2012-12-17 09:46:44 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【135】
Kitazawa, Masakuni  

 今年はさすがの伊豆も寒い。朝夕の冷え込みと何度かの木枯らしで、ほとんどの落葉樹の葉が落ち、強風に吹きしぶき、白い波頭をあげる海がくっきりと広くみえるようになった。動物たちもあわてたのか、いつもなら手をつけないわが家のまだ青い柚子の実が、タイワンリスにごっそり盗られてしまった。鍋物の季節となったのに残念。  

 年末が近く、各地でベートーヴェンの『第9交響曲』が演奏され、歌われる季節でもある。その一環であるが、「あさひかわ第9の会」の招きで、旭川市民会館において会の10周年記念特別講演を行うことになった。以下はその要旨である。

                     第9に聴くベートーヴェンの思想
                         
北 沢 方 邦  

 いま近代文明は岐路にさしかかっているといっていい。資源やエネルギーの浪費による深刻な環境破壊(原発事故はその最たるもののひとつである)や気象変動によって破滅と終末に向かうのか、再び大自然の恵みによる効率化した再生や再循環にもとづく脱近代文明を構築し、人類の生き残りを目指すかである。  

 われわれ日本人が年末に、あたかも宗教儀礼のように聴くのを好む『第9交響曲』と、それに象徴されるバートーヴェンの晩年の思想は、この大問題に対するひとつの答えを示しているといっても過言ではない。なぜならそれは、近代および近代文明を超える道を指し示しているからである。それを語るために、一見迂遠と思われるかもしれないが、近代の思想的状況を回顧することからはじめたい。

                 18世紀:近代の大分裂の時代  

 16世紀の宗教改革以来歴史としての近代ははじまったが、いま袋小路に陥った近代文明は、「啓蒙の世紀」とよばれる18世紀にその基礎となる世界像を築いたといえる。

 すなわち数世紀にわたる血腥い宗教戦争への反省から、神や信仰は個人の問題として棚上げをし、現世としての社会を理性にもとづいて統治し、理性に従ってすべてを支配するという合理性の追求がはじまった。これを推進したのが啓蒙思想である。

 すでに17世紀のデカルトが、この現世の認識を可能にするのは人間の主観性であると説き、その外にある世界を客観性とする二元論を提唱していたが、合理性の追求も、その両面にわたって行われることとなった。  

 すなわち一方はいわば客観的世界であり、科学や技術の合理性の追求、他方は主観的世界としての哲学や思想などにおける合理性の追求である。

 客観世界のひとつである経済的合理性の追求は、すでに近代資本主義体制を生みだしていたが、18世紀末産業革命を引き起こし、数次にわたる産業革命によって文明の物質的基礎を築きあげ、今日にいたっている。軍事的合理性の追求のひとつの結果が原水爆であるように、経済的合理性追求のひとつの結果が原発である。  

 原水爆や原発が恐るべき負の側面をもつように、合理性の追求は、同時につねに非合理性を生みだすことを忘れてはならない。経済合理性の追求は環境破壊や資源・エネルギーの浪費という大いなる非合理性を生みだし、政治合理性の追求はすでに18世紀、フランス革命に典型的にみられるように、情念の反乱という革命自体を裏切る非合理性の嵐をもたらした。それはイデオロギーの仮面をかぶりながらも、ナチズムやスターリン主義にいたるまでつづいている。

 また哲学や思想では、主観主義と客観主義の分裂を生むと同時に、それは最終的に20世紀において、主観主義の袋小路である実存主義と、客観主義の袋小路である論理実証主義や行動主義などとの不毛な対立にいたった。いずれにせよ、論理的合理性の追求が、一方では主観性に埋没した人間、他方では言語と論理ではとらえられないものの追放、あるいは統計的処理が可能でないものの黙殺といった哲学的・思想的非合理性を生みだすにいたった。近代の哲学や思想は、こうして究極の非合理性ともいうべきニヒリズムに陥ったのだ。  

 18世紀は現実においても人間の内面においても、こうした客観性と主観性、合理性と非合理性との大分裂がはじまった時代ということができる。

                    近代を超える努力  

 だが同時に、人間と自然や宇宙との一体性を回復することによって分裂を乗りこえ、近代を超えた世界や思想を築こうという努力がはじまったのも18世紀であった。たとえばルソーやカント、あるいはゲーテなどの名をあげることができる。  

 ルソーは今年生誕300周年であったが、多数決の近代民主主義を超える一般意志の民主主義を提唱し、また誤って未開と呼ばれている社会がそのような民主主義を体現し、自由・平等・友愛の社会であることを説き、その意味でも「自然に帰れ!」を説いた先駆者であった。

 カントは合理性を求める純粋理性の限界を追求し、それを超えて道徳的な実践理性が必要であるとし、その上に立って自然や宇宙と一体となる「判断力」を打ち立てなくてはならないとした。

 ゲーテは詩や文学、あるいは科学論文を通じて、人間が大自然の一部にすぎないこと、人間の真の世界認識は自然や宇宙との一体感のなかでしかえられないことを示した。  

 遅れて19世紀のはじめであるが、アメリカではエマースンやソローなど、インド哲学に心酔した超越主義者たちが、啓蒙的合理主義やその人間中心主義をきびしく批判し、それを超えて宇宙や自然の法に従わないかぎり世界の認識や理想社会の構築は不可能だとした。

                    インド思想・中近東思想の影響  

 実はベートーヴェンはルソーやカントやゲーテの愛読者であっただけではなく、晩年インド思想にも深く傾倒していたのだ。  

 18世紀末のヨーロッパはまた、中世末期やルネサンス初期以来、中近東(イスラーム文明)やインドの哲学や思想がふたたび大流行した時代でもある。その影響は啓蒙的合理主義に対する批判を生み、ロマン主義の台頭をうながした。  

 ひとつは当時、知識人や芸術家あるいは心ある貴族や王侯などのあいだで広まったフリーメースンの大きな影響である。古代エジプトのピラミッド設計者たちで、当時最高の知識人であった石工(メースン)の組合から出発したといわれる結社で、精密な天文学的運行に表象される宇宙の法の支配のもとで、自由で平等で友愛にみちた理想の人間社会が実現されるべきであるとした。  

 たびたびの弾圧によって秘密結社となったがために、その全貌は知られていないが、モーツァルト(『魔笛』はお伽噺にことよせてフリーメースンの世界観を表現している)やゲーテは会員であったし、『第9』終楽章の「歓喜に寄す」の詩は、会員であったシラーが、ロッジ(支部)の祝典のために書き下ろしたものである。  ベートーヴェンがその会員であったという証拠はまったくないが、ボン時代以来、彼の友人やパトロンとなった多くの貴族はフリーメースンであった。彼がボン時代からシラーの「歓喜に寄す」を作曲しようと考えていたことは、彼がフリーメースンのめざす理想に共感していたことを物語っている。  

 知識人や芸術家たちへのフリーメースン思想の浸透は、その源泉である中近東やインド思想への深い関心を呼び起こした。中世イスラームの大数学者で天文学者であるオマール・ハイヤームの『ルバイヤート(四行詩集)』の英訳は一大ブームとなり、イギリス・ロマン主義の台頭をうながした。『リグ・ヴェーダ』や『バガヴァッド・ギーター』などインド思想書の英訳、ついではゲーテとベートーヴェン共通の友人であったフォン・ハンマーによるそれらの独訳は、二人にかぎらずドイツ語圏の知識人に大きな影響をあたえた(ショーペンハウアーの哲学はその成果のひとつである)。  

 1812年、「不滅の恋人」との別れによる失意のなかで書きはじめたバートーヴェンの『日記』には、絶望のなかから立ち直るための精神の糧として、しばしばこれらインドの原典からの引用がみられ、また必然的にインド音楽に対する多大の関心などが記されている。またハンマーによれば、彼は「インド風の合唱曲」を書きたいといっていたという。  

 1812年の深刻な精神的打撃から立ち直ったベートーヴェンの後期の音楽様式は、彼自身の内面での、こうした「世界像の大転換」ともいうべきものから生まれたと断言してもよい。

                    ベートーヴェンの後期様式  

 ベートーヴェンの晩年の音楽様式は、彼自身にとっても従来のものとまったく異なっているだけではなく、ベルリオーズ、シューマン、リスト、ワーグナーなど革命的ロマン主義の台頭に絶大な影響をあたえ、1時代を画すものであったといえる。作曲技法の点からみてもそれは革新的であるが、問題はそれを要求した彼の内面の変化である。  

 彼の最大のパトロンであったルドルフ大公──メッテルニヒ体制のもとで彼が逮捕を免れたのも大公の庇護のお蔭である──がオルミュッツ(現在チェコ領)の大司教に任命された機会に作曲した『ミサ・ソレムニス』は、ある点では人を圧倒する大曲であるが、全曲を支配する強力な統一的楽想に欠け、ベートーヴェンらしくない4年にわたる苦闘の跡が感じられる。  

 その根本的な原因は、もはや彼の音楽的・思想的立場が、伝統的なキリスト教とその「神」概念の枠を大きく超えてしまっていたことにある。それを書きあげてしまったとき、彼自身が伝統的な神概念の限界に気づいたのではないか(作品132のイ短調弦楽四重奏曲のいわゆる「神への感謝の歌」もGottheitつまり「神性」あるいは「神的なるもの」であって「神」ではない)。その証拠に彼は、ミサを書きあげるや否や、ただちに『第9』の構想と執筆にかかったのだ。

 『西東詩篇』や『ファウスト第2部』(いずれもベートーヴェンは作曲するつもりであった)のゲーテが、中世ペルシアの詩人ハーフィズの目を借りて東西世界の対立を超えた深い世界観を提示し、あるいは西欧中世のまがまがしい伝説の衣を借りて、人間がそこに帰依すべき宇宙にみなぎる法とその力を啓示したように、ベートーヴェンは、1812年頃より構想していた『ニ短調交響曲』をシラーの『歓喜に寄す』と結びつけ、『ミサ・ソレムニス』より万人に開かれた音楽的宇宙論を書く決意をしたのだ。それが『第9交響曲』である。

                    第9の宇宙論  

 作曲技法からみても、その構想からしても『第9』は彼自身の従来の交響曲とはまったく異なったものであるといえる。なぜなら交響曲という形式を借りながらも、彼はそれによってまったく新しい宇宙論あるいは世界観を表現しているからである。  

 詳細は省略するが、先行する3つの楽章は、ある意味で伝統的な交響曲といえる。戦乱と苦難の時代のなかで彼自身がたどってきた内面の苦闘を暗示する第1楽章、それとは対照的な生き生きとした幻想と楽園の予感が立ち昇る第2楽章、ハ長調ミサや『ミサ・ソレムニス』にも通じる天国的な第3楽章である。  

 だがこの3つの楽章は、長大な最終楽章の冒頭で全面的に否定される。《おお友よ、これらの調子[音]ではない!》それに代わって彼は、「歓喜に寄す」(シラーの原詩を彼は大胆に編作している)を、青年時代の歌曲『愛されないものの溜息とそれに応える愛』や『合唱幻想曲』以来温めていた旋律に乗せ、新しい世界の扉を開く。  

 インド哲学や思想では、人間が修行によって自己の狭い主観性を脱し、宇宙との一体感を味わう境地をサマーディ(三昧)というが、彼が扉を開いたこの新しい世界は、音楽によって万人にこの境地、つまり解脱(モクシャまたはムクティ)や法悦(歓喜)を体得させる世界であるといえる。  

 「歓喜」の背景も周到に表現される。「アッラ・マルチア(行進曲風に)」の部分では、大太鼓、コントラファゴット(しかも最低音の変ロ)、さらにシンバルとトライアングルが加わり、踏みしめる大地の音から出発し(スケッチでは「トルコ音楽」と指定されている)、諸天体に呼びかけるテノールとともに、しだいに高揚して進み、宇宙論の扉を開く。それがアンダンテ・マエストーゾであり、バス・トロンボーンと低音弦楽器、男声合唱のユニソンが厳かに告げる《抱きあえ!百万のひとびとよ!》が、やがて高音木管と弦のトレモロによる《星々の円蓋》を呼び起こし、大宇宙との一体感をもたらす。  

 あとは「歓喜」と「抱きあえ!」の長大な二重フーガと終結のめくるめく恍惚(法悦)である。

 理性あるいは合理性の争いともいうべき、個々人の主観性や自我の熾烈な競争や対立、ひいては諸国家の対立(19世紀・20世紀)、さらには諸巨大企業や金融機関の激烈な対立と競争(21世紀)、それによって出口なき袋小路に陥った近代文明を転換し、新しい文明を築くべき道を、『第9』によって表現されたベートーヴェンの思想が指し示しているといっても過言ではない。

(2012年12月15日「あさひかわ第九の会」10周年記念特別講演会講演要旨 )


北沢方邦の伊豆高原日記【134】

2012-11-30 11:57:20 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【134】
Kitazawa, Masakuni  

 寒気の南下が早かったせいか、今年は雑木類の葉も,枯葉色というよりも黄色味を帯び、ハゼ類のみごとな紅葉と映えて美しかった。その大半は落葉し、苔を蔽っている。かつてはこまめに掻き集めては焚き火をし、焼き芋などを楽しんでいたが、条例で野焼きが禁止され、植木屋さんに始末してもらうほかなくなった。ヴィラ・マーヤを含めると20本以上にもなる落葉樹の葉は、もはや私の手にはおえない。

総選挙の選択  

 混迷をきわめた民主党政権が終わりを迎えているが、状況は一層の混迷の度を深め、国民を戸惑わせている。

 とりわけ憲法改正と国防軍の創設、日銀による国債引き受けや3%という途方もないインフレ・ターゲット論など、危険な外交・経済政策を唱える安倍晋三氏率いる自民党、あるいはウルトラ・ナショナリストの石原慎太郎氏と変わり身が早く独断的な橋下徹氏らが代表をつとめる日本維新の会は、たんに政治の右傾化というよりも、袋小路に陥った近代文明の最後の悪あがきともいうべきものを示している。

 それはかつてのファッシズムや軍国主義の再現ではありえないが、国際関係や経済体制をある種の瀬戸際まで追い込み、そこから転落することでわれわれの国そのものや大多数の国民の生活を危険にさらす大変なリスクをともなう政治をもたらすにちがいない。安全神話を信じ、たとえ消極的であれ原発推進体制を支持してきた大多数のひとびとが、3・11で愕然と目覚めたように、いつかわが国やわれわれの生活がそのような恐るべき状況に突き落とされてはじめて目が覚めたのでは、もはや手遅れなのだ。

 その点では、政権交代を望んだひとびとを裏切り、今日の政治的混迷の根本原因を招いた民主党は、厳しい批判を受けるべきではあるが(3・11やフクシマの処理にあたった菅直人政権の対応はけっして悪くはなかった)、それらの勢力よりははるかにましだ、というべきであろう。

 政治にはベストはありえなし、ベターさえないといってもいい。ベストの政治はせいぜい「ノット・バッド(悪くない)」でしかない。そのノット・バッドでさえ稀なのだ。今回の総選挙は、ワースト(最悪)を選ぶかワース(より悪い)を選ぶかという選択であり、危険な道を望まないならば、ワースを選ぶしかないといっていい。

 嘉田由紀子滋賀県知事が、脱原発の一点に絞って日本未来の党を立ちあげ、いわゆる第3極で維新の会などの路線に反対する勢力の結集を図り、ある程度の期待をもたせるが、背後に政治資金で疑念をもたれ、権力志向の小沢一郎氏の影があるのが気にかかる。もしかなりの議員が当選したとすれば、いつかその影が影でなくなる恐れがあるからである(もはや耐用年数をはるかに超えているというべき社民党などは、解体して未来の党に吸収されるべきである。多様な勢力が入ることでその影を影のままにとどめておくことができるだろう)。

 いずれにせよ、もはや未来の扉を閉ざされている近代文明の転換をはかり、資源やエネルギーの浪費ではなく、効率化した再生や再循環にもとづき、かつての自給自足体制とは異なる地域や新しいコミュニティの自立型経済を促進し、それらの網の目によってひとびとが安定したゆたかな生活を送れるような社会体制をつくりあげ、それによるフェアな貿易や交流を行う国際関係を築いていかなくてはならない。

 こうしたヴィジョンにもとづいて当面の政策を立案すべきであり、またそれを目指す勢力を結集すべきであるが、少なくとも脱原発と原発に代わる明確なエネルギー政策による結集は、その第1歩となりうるだろう。投票日までに未来の党がどのようなかたちになっていくか未知数であるが、深い関心をもって見守ろう。


伊豆高原日記【133】

2012-11-05 11:19:27 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【133】
Kitazawa, Masakuni  

 今年は快い気候の秋は短く、朝夕の冷え込みの訪れが早く、はやくも晩秋の淋しさを感じさせる。まだ青い庭の芝生に落葉がはらはらと舞い、茜色の柿の葉蔭に野鳥たちがやってきて、熟した実をついばんでいる。

さまよう皇国史観の亡霊  

 11月3日の総合テレビNHKスペシャル「発見!幻の巨大船」が興味深かった。長崎県鷹島沖で、海底の泥約1メートル下から発見された元(モンゴル帝国の中国部分)の巨大軍船と、その積載物の分析や研究から判明した事実をドキュメンタリーとしてまとめたものである。

 1281年(弘安四年)の「元寇」つまりモンゴル帝国軍14万の第2次九州侵攻時に、「神風」によって沈没した数千隻の軍船のひとつである(全数は4千5百隻と伝えられ、沈没を免れたものは撤退したとされている)。近年さまざまなテクノロジーによって著しく発展した海中考古学の目覚ましい成果のひとつであるが、文献や絵巻物などによって伝えられてきた歴史的事実をはるかに上回る驚くべき発見があいついでいる。  

 たとえばこの巨大軍船は、約10メートルにおよぶ竜骨(キール)のうえに組み立てられていて(船の全長は20メートル以上になる)、外洋の大きなうねりをも吸収することができ、マルコ・ポーロがその見聞記で驚嘆している中国の先進的な造船技術を実証している。船室は隔壁でへだてられ、万一一か所が浸水しても、隔壁を閉じることによって浸水をその船室だけにとどめることができる(近代の軍艦にも応用された技術である)。  

 のちに明の大提督鄭和がひきい、平和裏にインド洋に進出し、さらにアフリカにまで足を延ばして交易にあたった大艦隊には、これを数倍も上回る巨船が使われていて、揚子江河岸でその船橋部分が近年発掘されたばかりである。モンゴルに征服された南宋の造船技術を元が、さらには明がうけついでいたのだ。  

 また驚くべき軍事技術のひとつは、元寇を迎え撃つ鎌倉幕府勢に多大な損害を与えた「てつはう」である。直径約15センチ程度の素焼きの玉に火薬と鋭い鉄片などを詰め、火縄に火をつけ、投石機などで遠くにとばすもので、爆発によって鉄片を吹き飛ばし、ひとを殺傷する。中世の迫撃砲とでもいうべき武器である。いままでその存在は知られていたが、火薬とともに鉄片が詰められていたことはわからず、ただ爆発音で敵を脅すものとしか考えられていなかった。中身が詰まったままのものが出土し、分析の結果はじめて明らかになったものである。  

 ただ解説では「てつはう」とのみ書き、発音し、視聴者にはそれが「鉄砲」であることを理解できなかったのは遺憾であった。ほんらい鉄砲はこの火薬兵器を指し、のちに渡来した火縄銃は、それを積載したポルトガル船が漂着した種子島にちなんで「たねがしま」とよび、ながいあいだ本来の鉄砲と区別していたのだ。ただ火薬を使う兵器ということで、のちに種子島も鉄砲とよばれるようになった。  

 さらに遺憾なことは、このドキュメンタリーへのコメントや解説である。半藤一利氏は日本の近現代史にはくわしく、また正論を述べるひとではあるが、中世や古代は専門ではない。元の数千隻の軍船を壊滅させた「神風」についてのコメントは、首をかしげるものというよりは明らかに誤りであった。  

 つまり古語では神風(本来はかむかぜ)はすなわち台風であって、そこにはなんの付加的な意味はない。「台風」は古代ギリシア語のティフォン(暴強風)に由来する英語の気象用語タイフーン(typhoon)の音韻的当て字の訳語で、明治以後の造語であり、明治以前はすべて神風であったのだ。  

 「神風の伊勢、常世[とこよ]の浪寄するところ」と古来呼ばれてきたように、聖地伊勢は、太陽女神アマテラスの常世での守護神である雷神サルタヒコ(イセツヒコ、タケミナカタなどさまざまな異名で呼ばれている)が、その妻である稲の女神トヨウケ(外宮に坐す)とともに鎮まる地である(のちにこのサルタヒコの守護をいわばあてにしてアマテラスをこの地の内宮に移した)。サルタヒコは夏の気象神であり、わが国にとってとりわけ重要で神聖な稲作の出来を支配する神である。その荒御魂は、手にした鉾を振り回すことで引き起こす神風すなわち台風にほかならない(稲の女神を妻とするので雷[神鳴り]は古来イナヅマ[稲妻と書くが古語ではツマは配偶者の呼称であり、本来は稲夫と書くべきである]と呼ばれてきた。台風は雷をともなう)。伊勢にかぎらず、天狗サルタヒコが先導するすべての祭りは、稲作の死命を制するサルタヒコの荒御魂鎮めと稲作の豊饒を願って行われる。  

 この神風を、国難にあたり神が日本を救うために吹き起こす風という定義に変えたのは、水戸派国学の流れを汲む明治ナショナリズムであり、昭和軍国主義のイデオロギー的背骨であった皇国史観である。義務教育を通じて徹底的にたたきこまれた皇国史観は、太平洋戦争末期、多くの若者に犠牲を強いた特別攻撃隊「神風」を生み、敗色濃厚な戦局挽回にかならず神風が吹きおこり、米艦隊を壊滅させるという幻想にひとびとをすがらせることとなった。  

 わが国の古語や真の伝統に対する無知がいまだにメディアを支配し、皇国史観の亡霊をさまよわせている現状には深い憂いを抱かざるをえない。  

 ちなみにいえば、昔の小学唱歌で「国難ここに来る、弘安四年夏の頃……」とうたわれていたが、旧暦では「夏」ではなく「秋」である。神風が吹き荒れたのは閏七月一日の夜であるが、そもそも七月は秋(したがって七夕は秋の行事である)で、しかも閏月であるから、電子計算機によらないかぎり正確には計算できないが、九月の末であったと思われる。


北沢方邦の伊豆高原日記【132】

2012-10-16 08:54:22 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【132】
Kitazawa, Masakuni  

 急速に秋が深まっている。桜は落葉し、柿の葉が赤く色づきはじめ、逆に9月末に満開のはずのキンモクセイの花が盛りだが今年は香りが薄く、気象の異常を知らせている。秋の夜の虫の音ももはやかそけく、鈴虫の声は絶え、コオロギや、カネタタキ、カンタンなどが静かに鳴くのみである。

身体性とはなにか  

 知と文明のフォーラムでは12月、「身体性とはなにか」というセミナーを計画している。環境破壊の深刻さや地球温暖化による異常気象の激化など、近代文明がもたらした地球の生態系の劣化は、人類の生き残りにもかかわるため、一般にもひろく認識され、危機感が高まっているが、近代文明がわれわれ人間の身体や精神の深刻な劣化をもたらしていることはほとんど知られていないし、議論も巻き起こっていない。  

 それは根本的には近代文明を支えてきた価値観や思想あるいは哲学に、「身体性」つまり人間の思考と大自然や宇宙を結ぶ人間の「内なる自然」概念が決定的に欠けていたことに由来する。それが自然資源の収奪を許し、環境破壊をもたらしたことはいうまでもないが、同時にそれはいまや、精神活動をも含む身体全体の劣化や異常をもたらし、日常的に生きることさえ脅かす事態となっている。  

 かつて1971年にアメリカを訪れたとき、シカゴで黒人の人権活動家エラ・トンプスン女史にインタヴューしたが、それが終わって雑談のおりに、「先進諸国のなかで日本はなぜそんなに癌の発生率が低いのか?」と質問されたことがある。私は生半可な知識ではあったが、たぶん伝統的な食生活のせいであるだろう、とりわけワカメなど海藻を食べるのがいいのでは、と答えた記憶がある。  

 1960年代では、日本はそのような状況であったのだ。ところがいまやどうだろう。国民2人に1人は癌患者であり、3人に1人は癌で死亡するという癌発生率最大の癌大国となったのだ。なぜ?  

 この伊豆高原日記【51】でも書いたが、その理由は1960年代後半からはじまった経済的高度成長と、それにともなう農業での化学肥料や農薬の大量散布、長距離輸送や保存という流通の都合のための多種類の食品添加化学物質の使用がはじまったことによる。日記51に記したが、ホピで出会った白人女性の環境運動家に「日本では、アメリカの7倍の農薬が使われているというがほんとうか?」と質問され、当時21世紀クラブという政策集団を主宰していたこともあり、農業問題にも詳しかったので「いや、10倍だ」と答え、「テン・タイムズ!オオ・ノー!」と絶句させたことも鮮明に覚えている。直接農薬中毒となった青木やよひの例もあるが、残留農薬や食品添加物を長期間摂取しつづければ大腸癌や胃癌、消化器系の内臓癌にならない方が不思議である。  

 肺癌や呼吸器系の癌は、いうまでもなくタバコとりわけ紙巻きタバコ、および家庭で使う消臭剤や風呂場のカビ取りをはじめとする薬品、大都会や工業地帯などでは車や工場の排気ガスなどの大気汚染にほかならない。空気のいい伊豆高原に住んでいると、ときに仕事で東京にでたりすると喉や気管支がおかしくなり、ひどいときは翌日痰に血が混じっていたりする。  

 癌治療の進展には医学界もメディアも血眼であるが、癌発生の根源であるこれらの現象を無意識的あるいは意図的に無視し、黙殺して、癌や難病の発生拡大に加担している。  

 最近フローレンス・ウィリアムズの『乳房:自然史・非自然史』(Florence Williams. Breasts; A Natural and Unnatural History. W.W.Norton & Co., New York)が出版され、高く評価されている(New York Times Book Review, Sept.16,2012)。  

 つまりかつてレイチェル・カースンが『沈黙の春』(1962年)を書き、農薬などの化学物質による環境破壊すなわち外部汚染の恐るべき状況を告発し、大きな反響をよんだが、ウィリアムズは化学物質による人体の内部汚染の恐るべき状況を告発したというのだ。  

 乳児にとって母乳は、他のすべての人工栄養剤に勝る最良のものであるが、その母乳が無数の化学物質に汚染され、乳児に影響しているだけではなく、女性の乳癌の驚くべき拡大をもたらしているという。「あなたの母乳にはロケット燃料が含まれている」という警句は嘘ではない。  

 母乳は、人体が摂取する飲料だけではない栄養水分を乳腺が吸収し、つくりだしていくが、それとともにそれらの水分や唾液がとらえる、飲食物や大気に含まれる残留農薬から化粧品や消臭剤やカビ取り薬などにいたるすべての吸収物の化学成分をも取り込んでしまうからである。そのうえ飲料水に問題のある地域も多い。原発や核廃棄物による汚染もそれに輪をかける。  

 このような人体の内部汚染が精神活動にも影響を及ぼすのは当然であろう。現在の恐るべき社会状況がもたらす強烈なストレスは、いうまでもなく鬱病をはじめとする精神的疾患の主たる原因だが、こうした内部汚染はストレスに対する抵抗力を失わせる。  

 近代文明が「身体性」を喪失していることの思想的・哲学的意味についてもこの日記ではたびたび触れたが、それを含め、セミナーではこの問題を徹底的に追求してみたい。
 


北沢方邦の伊豆高原日記【131】

2012-09-24 18:16:24 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【131】
Kitazawa, Masakuni  

 急に秋の気配だ。蝉時雨も終わり、野鳥たちのにぎわいも遠く、ただイソヒヨドリの美しい囀りだけが樹々にこだましている。秋の虫の声も、その種類が年々少なくなっているような気がする。もはやマツムシの涼やかな音やクツワムシの賑やかなお囃しはまったく聴こえなくなった。

資源帝国主義  

 尖閣諸島をめぐって日中間に危険な火花が散りはじめた。尖閣諸島は、琉球王国(確かに中国は属国とみなしていた)以来沖縄の漁民たちが利用してきた島であり、明治以後沖縄県の創設によって自動的に日本の国土に編入され、わが国固有の領土となったことはいうまでもない。領有権をめぐる争いが近年にわかにさわがしくなってきたのは、漁業権の問題だけではなく、領海に天然ガスや希少金属(レアメタル)、希土類(レアアース)などゆたかな海底資源が眠っていることが明らかとなってきたからである。  

 近代、とりわけ19世紀は、植民地の争奪をめぐる古典的な帝国主義の時代であった。基本的な自給自足や国内・国際交易によってそれぞれ独自の文明や文化にもとづく豊かさを味わっていたアジアやアフリカの国々は、植民地化され、固有の経済体制を破壊され、富を収奪されて恐るべき貧困や政治的抑圧にあえぎ、苦しんだ。  

 日本軍による真珠湾の奇襲にはじまる太平洋戦争勃発の直後、当時の合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトが息子に語った有名なことばが記憶されている。「いいかいエリオット、たとえフランスやイギリスやオランダの近視眼的貪欲のためではなかったとしても、今夜でも太平洋でアメリカ人たちがそのために死んでいるなどとけっして考えてはいけないよ」と。つまり太平洋戦争の遠因としてヨーロッパの帝国主義を暗に批判し、アメリカはそのために戦っているのではないといっているのだ。  

 第2次大戦の終結と、その後の多くの独立戦争などによって植民地の解放がおこなわれ、古典的帝国主義は消滅した。だがそれに代わって旧植民地の資源を安く買い、加工製品を高く売る先進諸国の経済的「新植民地主義」が、いわゆる新興諸国の台頭まではつづいてきた。だが20世紀末の情報技術の飛躍的発展は、さらにそれに代わって資源帝国主義の戦いともいうべき状況を現出させはじめた。

 資源、いまやそれは石油やウラニウムに代わってシェール・ガスを含む天然ガス、そして希少金属や希土類だ。いまや各国政府やエネルギー多国籍企業はその探査と開発に血眼になっている。尖閣問題もこの資源帝国主義の文脈でとらえなくてはならない。暗に尖閣を想定したグアム島での日米特殊部隊・海兵隊の合同訓練も、また逆に中国の強硬姿勢もこの文脈のなかにある。  

 それにしても、領土問題が存在するとき(日本政府はないといっているが事実上はある)、最良の方法は、ひそかに静かに実効支配をつづけていることである。たとえ日本人であろうと尖閣諸島への上陸には政府の許可が必要という方策は、わが国の自制姿勢を示していてよい。また小さな若干のトラブルを除き、中国大使館へのデモや中国人へのいやがらせも起きなかったことは、わが国の市民の成熟度を表したといえよう。この点で私はまたもや日本人であることに誇りをおぼえた。  

 だが中国で起こった今回の激烈なデモや日系諸企業の焼打ちなど、あるいは中国政府のかつてない強硬姿勢などは、ナショナリスト石原都知事が仕掛けた都による尖閣購入計画が発端であり、国が国有化という手段を取らざるをえないところに追い込んだ結果である。日系諸企業がこうむった大きな損害は、問題の火付け役石原慎太郎氏個人に請求すべきである。


北沢方邦の伊豆高原日記【130】

2012-09-05 07:34:23 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【130】
Kitazawa, Masakuni  

 この夏は各地で猛暑だったようだが、不思議なことに伊豆高原はいつもの夏より涼しく、気温も30度に達する日はついぞなく、とうとうクーラーを一度も使わずに済んだ。こういう夏は晴れていれば海が青く、大島の島影がくっきりとみえ、樹々の間を吹きわたる海風が快く肌をくすぐる。

時代錯誤の「理性」讃歌  

 この日記でも、60年代に高まった近代理性批判が、新保守主義・新自由主義批判とともに近年ふたたび息を吹き返してきたことにたびたび触れた。だがこうした風潮を真っ向から批判し、近代理性や西欧的近代文明が人類を導く至上の価値体系であるという主張が、きわめて挑戦的・論争的に登場し、反響を呼んでいる。  

 進化心理学者スティーヴン・ピンカーの『われらの本性なるより良き天使たち;なぜ暴力は没落したか』(Steven Pinker: The Better Angels of Our Nature; Why Violence has Declined. Viking, New York, 2011)という700頁におよぶ大冊である。この春に書きあげた私の本(仮題『世界像の大転換』)へのきびしい知的挑戦でもあるので、ここで批判しておきたい。  

 すでに年頭に述べたように、今年はジャン・ジャーク・ルソーの生誕300年記念であるが、人類史についての彼の立場は、イギリスの思想家トーマス・ホッブズと真っ向から対立するものであった。ホッブズは人類の原初の「自然状態」は「ヒトはヒトにとって狼である」(Homo homini lupus)ような、個々人が利害を争う闘争の世界であり、それは法と秩序をひとびとに強制的に課するリヴァイアサン(怪物)つまり国家の出現によってはじめて文明状態に転換されたのだ、と説く。  

 それに対してルソーは、フランスの植民地開拓にともなってアフリカや北米から送られてきた「未開人」についての多くの報告や観察にもとづいて、「自然状態」は逆に、人間が自由で平等で友愛に満ちた社会であって、その後のいわゆる新石器革命(もちろんルソーはこの用語を知らなかったが)による富の蓄積と偏在が文明を生みだし、権力を創りだし、人類に抑圧や強制や暴力をもたらしたのだ、と説いた。  

 ピンカーはルソーが誤っており、ホッブズが正しいことを、暴力に関する種々の膨大な統計を論拠に執拗に展開する。つまり現在の「未開」諸社会やいわゆる発展途上国などの「殺人率」は、現在の先進文明諸社会に比べ、非常に高く、かつての人類の自然状態がいかに恐ろしい闘争社会であったかを実証している。20世紀の二つの世界大戦の恐るべき数の犠牲者にしても、人口10万人当たりの殺人率に換算すれば、「未開」よりはるかに低いというのだ。  

 さらに彼は無数の文献を引用して、古代文明や中世文明にあっても、宗教的迷信から風俗習慣にいたるすべてのレベルで、無知にもとづく人身供儀や戦争による殺戮、捕虜や奴隷の拷問や虐待など恐るべき人権侵害がいかにひろくおこなわれていたかと、これでもかこれでもかと提示する。  

 こうした「野蛮」から人類を救ったのは、第1に18世紀啓蒙思想による近代理性の確立、彼の用語によれば「人道革命」(The Humanitarian Revolution)であり、第2には、人種、マイノリティ、性、同性愛などすべてにわたる人権の確立を求めた20世紀の「権利革命」(The Rights Revolution)であるという。その結果人類は、20世紀後半から世界史上類のない暴力の没落にともなう「長期平和(ロング・ピース)」の時代を実現したのだという。これはまたダーウィンのいう自然選択にもとづく人類の生物学的進化にも沿う現象でもあるとして、自称無神論者ピンカーは、かつてカトリック司祭でもある古生物学者テイヤール・ド・シャルダンが唱えた、ヒトの進化の軸は西欧を通り、西欧近代文明は生物進化の頂点となったという説と、奇妙な同盟を結ぶ。

近代的論理または「理性」の破綻  

 だがこれらの主張には論理的破綻がある。まず経験論に立つ論客がかならず依拠する統計の問題である。近代戦争とまったく異なる文化である部族間・部族内戦争を、その意味や質とは切り離して統計の問題として考えてもよい。たとえば彼のいう「殺人率」(murder rate)は、人口10万人当たり殺人何人で計算するが、たとえば人口100の小部族がそういった戦争で1人を失うとしよう。だが人口10万人に換算すると殺人1,000人という途方もない率になり、それで「未開」の殺人率は異常に高いと断定されることとなる。こうした単純な統計的比較こそ異常というべきだろう。  

 この意味での殺人率の急激な低下を彼は理性による上記の「諸革命」、あるいは近代文明の政治形態である近代民主主義、経済形態である自由市場がもたらす「豊かさ」やテクノロジーの進展のせいにしているが、たとえば国連麻薬・犯罪局の作成した2004年の「世界における殺人地図」(p.88に引用)を見てみよう。そこでは10万人当たり殺人0から3人という世界で最も安全な地帯がもっとも薄い色で表示されている。それはカナダ、オーストラリアを含みヨーロッパ、北アフリカと中近東(戦争渦中であったイラクは例外だが)、中国と韓国と日本である。  

 心ある読者はすぐ理解するであろうが、これはまさしくキリスト教・イスラーム・仏教(および道教)という世界宗教が歴史的にもっとも浸透し、大衆化された地域である。無神論者ピンカーは無意識にあるいは意図的にこの事実を無視している。  

 彼はこの地図を、近代文明的であれ、集権的であれ、リヴァイアサン(怪物としての国家)がもっとも有効に統治している地域としているが、むしろ宗教やその影響下に育った文化の問題であること、いいかえれば人間のもっとも深い内面性の問題にまったく無知であることをおのずから告白している。  

 この本の読書中、苛立ちどころか怒りさえ覚え、読み進めることが大きなストレスでさえあったが、最後にはたと思い当たった。すなわちこれは、現在合衆国で再起を伺う近代理性至上の新保守主義・新自由主義イデオロギー──現在共和党を牛耳っているティー・パーティー(茶会党)はキリスト教原理主義である──の強力な知的援軍なのではないか。  

 ハンティントンの『文明の衝突』が、主としてイスラームという「近代文明の敵」との衝突の不可避性を分析し、その弟子フランシス・フクヤマが、その衝突を克服する処方箋として、近代民主主義と自由市場経済というグローバリズムの世界制覇が、衝突や葛藤を終わらせ、『歴史の終焉』を導くのだ、としたが、スティーヴン・ピンカーは、世界を近代文明という普遍的な「文明化の過程」に巻き込むことがカントのいう「永久平和」を保障する唯一の道である(カントも地下で苦笑しているだろう)として、これらの主張を補強し、脱近代文明論者たちに一撃をあたえたと信じているようだ。  

 だがこの大冊を読み終えた後でも、ホッブズではなく、ルソーの人類史的洞察が正しいという確信はまったくゆらぐことはなかった。なぜなら、私のこの確信の根底にはつねにホピがあるからだ。