楽しい映画と美しいオペラ――その46
ヴェルディの人と作品を理解するために
――加藤浩子著『ヴェルディ――オペラ変革者の素顔と作品』
ヴェルディ生誕200年に際して、彼の基本的な情報を伝えるべく、新書を企画した。筆者は「音楽物書き」を自称される加藤浩子さん。バッハとモーツァルトもことのほか愛されるなど、不思議なほど音楽的な趣向が私と近いこともあり、加藤さんとのコラボレーションが実現した。ヴェルディへの入門書であるばかりではなく、かなりの音楽通にも読みごたえのある内容になっているので、ここに紹介したい。
この本の第一の特徴は、著者加藤さんの、ヴェルディへの熱い「愛」だと思う。
「ヴェルディ以外のいったい誰が、《シモン・ボッカネグラ》のような、深く、多面的で、壮大で、悲壮で、藍色の海のように美しい音楽劇を創り出せるというのだろう。アムネリスの慚愧を、スティッフェーリオの苦悩を、オテッロの煩悶を、ヴィオレッタの愛を、リゴレットの屈折を、フィリッポの凄絶なる孤独を、ファルスタッフの痛快を、ヴェルディ以外のいったい誰が、音楽を通じて魂に響かせることができるというのだろうか。私がヴェルディに惹かれてやまないのは、音楽の向こうに彼の叫びを聴くからだ。人間とは何か、という悲痛な叫びを」
これは著者のあとがきの一節だが、ヴェルディ好きの私の心を強く共振させた言葉だ。そしてここに表れているヴェルディへの「愛」こそが本書の命だと思う。
ヴェルディの人間性がよく描かれているというのが第二の特徴だろう。
イタリアの「偉人」にふさわしく、彼は心優しい「慈善家」だった。音楽家のための老人ホーム「憩いの家」や病院を建設しているし、庭師や使用人にまで遺産の一部を割いている。
私が驚かされたのは事業家としてのヴェルディだ。東京ドーム143個分に相当する農場を所有し、小作人は最盛期には200人もいたそうだ。「いったいこのひとにとって作曲は本業だったのだろうか」と著者も驚くほどの事業欲なのである。
ヴェルディの妻ジュゼッピーナ・ストレッポーニを不幸に陥れた晩年の恋愛や子どもを孤児院に「捨てた」可能性など、ヴェルディ崇拝者ならあまり触れたくはない負の面も書かれている。
第三の特徴はヴェルディ作品を時代のなかに位置づけていることである。《運命の力》は私の好きなオペラのひとつだが、スペインの大貴族ドン・カルロの執拗な復讐心や、追われるインカ帝国の末裔ドン・アルヴァーロの行動など、その内容はアナクロ臭が強く、現代人にはなかなか理解しがたい。それが、犯すべからざる「名誉」の問題として時代のなかで語られると、なるほどと納得させられる。
「作品篇」は26の全オペラ作品の解説(本書の半分を占める)。原作者・台本作者・初演年月日と場所・登場人物・あらすじといった基本情報に加えて、「聴きどころ」「背景と特徴」が丁寧に書かれている。これを読めば、個々の作品がヴェルディのオペラ作品のなかでどのような位置にあるかがよく理解できる。これは第四の特徴になる。たとえば《リゴレット》《イル・トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ》という中期三大傑作の先駆をなすのが《ルイーザ・ミラー》であること、それは初期の政治的題材から離れて、人間の内面のドラマを追及するという中期作品群への幕開けであること、などが分かる。
ヴェルディはオペラを真のドラマに変革した、これがサブタイトル「オペラ変革者」の意味である。大仰な言い方をすれば、「本書一冊で、多面的で複雑なヴェルディのすべてが理解できます」。
●加藤浩子著
ヴェルディ――オペラ変革者の素顔と作品
平凡社新書/296頁/945円(税込)
2013年5月15日発売
2013年 6月5日 j-mosa