一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

楽しい映画と美しいオペラ―その46

2013-06-06 22:00:29 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その46

 

ヴェルディの人と作品を理解するために
――加藤浩子著『ヴェルディ――オペラ変革者の素顔と作品』

 
 

 ヴェルディ生誕200年に際して、彼の基本的な情報を伝えるべく、新書を企画した。筆者は「音楽物書き」を自称される加藤浩子さん。バッハとモーツァルトもことのほか愛されるなど、不思議なほど音楽的な趣向が私と近いこともあり、加藤さんとのコラボレーションが実現した。ヴェルディへの入門書であるばかりではなく、かなりの音楽通にも読みごたえのある内容になっているので、ここに紹介したい。

 

 この本の第一の特徴は、著者加藤さんの、ヴェルディへの熱い「愛」だと思う。

 

 「ヴェルディ以外のいったい誰が、《シモン・ボッカネグラ》のような、深く、多面的で、壮大で、悲壮で、藍色の海のように美しい音楽劇を創り出せるというのだろう。アムネリスの慚愧を、スティッフェーリオの苦悩を、オテッロの煩悶を、ヴィオレッタの愛を、リゴレットの屈折を、フィリッポの凄絶なる孤独を、ファルスタッフの痛快を、ヴェルディ以外のいったい誰が、音楽を通じて魂に響かせることができるというのだろうか。私がヴェルディに惹かれてやまないのは、音楽の向こうに彼の叫びを聴くからだ。人間とは何か、という悲痛な叫びを」

 

 これは著者のあとがきの一節だが、ヴェルディ好きの私の心を強く共振させた言葉だ。そしてここに表れているヴェルディへの「愛」こそが本書の命だと思う。

 

 ヴェルディの人間性がよく描かれているというのが第二の特徴だろう。

 イタリアの「偉人」にふさわしく、彼は心優しい「慈善家」だった。音楽家のための老人ホーム「憩いの家」や病院を建設しているし、庭師や使用人にまで遺産の一部を割いている。

 私が驚かされたのは事業家としてのヴェルディだ。東京ドーム143個分に相当する農場を所有し、小作人は最盛期には200人もいたそうだ。「いったいこのひとにとって作曲は本業だったのだろうか」と著者も驚くほどの事業欲なのである。

 ヴェルディの妻ジュゼッピーナ・ストレッポーニを不幸に陥れた晩年の恋愛や子どもを孤児院に「捨てた」可能性など、ヴェルディ崇拝者ならあまり触れたくはない負の面も書かれている。

 第三の特徴はヴェルディ作品を時代のなかに位置づけていることである。《運命の力》は私の好きなオペラのひとつだが、スペインの大貴族ドン・カルロの執拗な復讐心や、追われるインカ帝国の末裔ドン・アルヴァーロの行動など、その内容はアナクロ臭が強く、現代人にはなかなか理解しがたい。それが、犯すべからざる「名誉」の問題として時代のなかで語られると、なるほどと納得させられる。

 「作品篇」は26の全オペラ作品の解説(本書の半分を占める)。原作者・台本作者・初演年月日と場所・登場人物・あらすじといった基本情報に加えて、「聴きどころ」「背景と特徴」が丁寧に書かれている。これを読めば、個々の作品がヴェルディのオペラ作品のなかでどのような位置にあるかがよく理解できる。これは第四の特徴になる。たとえば《リゴレット》《イル・トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ》という中期三大傑作の先駆をなすのが《ルイーザ・ミラー》であること、それは初期の政治的題材から離れて、人間の内面のドラマを追及するという中期作品群への幕開けであること、などが分かる。

 ヴェルディはオペラを真のドラマに変革した、これがサブタイトル「オペラ変革者」の意味である。大仰な言い方をすれば、「本書一冊で、多面的で複雑なヴェルディのすべてが理解できます」。


●加藤浩子著
ヴェルディ――オペラ変革者の素顔と作品
平凡社新書/296頁/945円(税込)
2013年5月15日発売


2013年 6月5日  j-mosa

 


楽しい映画と美しいオペラ―その45

2013-02-26 21:11:02 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その45

 

         二人の指揮者の「音楽の自由」     
                        ――ミンコフスキと鈴木雅明

 

 ミンコフスキの音楽はどうしてこんなに面白いのだろう。モーツァルトやシューベルトなどのはるか昔の音楽が、いまそこに生まれ出たばかりのように新鮮に聴こえる。正統性を突き抜けた、自在の面白さとでもいおうか。いまを生きている私たちの心を惑乱させずにはおかない。

 
こういう感覚は他にただひとり、アーノンクールの紡ぎ出す音楽以外には経験したことがない。身体の芯まで訴えてくる音楽である。「音楽の楽しさ」あるいは「音楽の自由さ」――言葉にするとえらく平凡だが、とにかく生命力に満ちた音が奔流のように溢れ出、踊り、心に響き渡る。瞬間瞬間の驚きと喜び。瞬時に過ぎ去っていく人生も、このように送りたいと思わせる。

 
《未完成》はまるで後期ロマンの趣き。フレーズを思い切り引き伸ばし、シューベルトのロマンティシズムが溢れかえる。この曲は作曲家の心の深淵を垣間見せてくれる音楽なのだが、ミンコフスキはそれを踏まえたうえで、シューベルトの暗い情念を世界に向けて解放する。演奏会前半のアンコールが、同じ作曲家の《交響曲第3番》の終楽章。《未完成》とは打って変わった、喜びに溢れる音楽。心憎い演出である。シューベルトもなかなか一筋縄ではいかない。

 
モーツァルトの《ミサ曲ハ短調》はまた、何と官能美に満ちた音楽であることか。これはミサ曲というよりもオペラである。あるいは声とオーケストラのグラン・コンチェルト。ミンコフスキの棒は更に冴えわたる。〈クレド〉では合唱とオーケストラの大協奏で聴衆を興奮させたかと思うと、〈エト・インカルナートゥス・エスト〉では一転、ソプラノの透明感極まりない歌を、たっぷりと聴かせる。そのテンポはあまりに遅く、音楽が失速しそう。しかしこのマリア受胎の歌は、宗教性と官能性とが一体となり、心に深く沁みわたる。ミンコフスキは、霊感溢れるモーツァルトの音楽を、針の先から宇宙の果てまでも拡大したのだった。

 一日置いて、鈴木雅明指揮するバッハのカンタータを聴いた。これは、ミンコフスキの音楽とは対照的に、じつに正統的な演奏である。しかし鈴木は、バッハの音楽と精神をとことん追究して、「音楽の自由」を獲得した。鈴木の音楽の大きさ・自由さは、バッハの音楽の大きさと自由さそのものであろう。

 この日は教会カンタータ・シリーズの最終回。17年を要し、丁度100回目の定期演奏会である。その期間私は、そのほとんどを鑑賞してきたことになる。聖書からの言葉を核とした声部と、オーケストラ、あるいはヴァイオリン、フラウト・トラベルソ、オーボエなど多様な楽器が協奏する――この200曲のカンタータには、バッハの音楽のすべてがある。アンコールは《ミサ曲ロ短調》の最後のコーラス〈Dona nobis pacem〉。平和を祈念する壮大なこの曲は、鈴木たちの偉業を締めくくるにふさわしい。


●マルク・ミンコフスキ指揮レ・ミュジシャン・デュ・ルーブル-グルノーブル演奏会

2013年2月22日 
東京オペラシティコンサートホール
グルック:歌劇《アウリスのイフィゲニア》序曲(ワーグナー編曲)
シューベルト:交響曲第7ロ短調D759《未完成》
モーツァルト:ミサ曲ハ短調K427 

●バッハ・コレギウム・ジャパン第100回定期演奏会
2013年2月24日 
東京オペラシティコンサートホール
カンタータ第69番《主を讃えよ、わが魂よ》BWV69
カンタータ第30番《喜べ、贖われた者たちの群れよ》
カンタータ第191番《いと高きところには神に栄光あれ》
指揮:鈴木雅明
合唱・管弦楽:バッハ・コレギウム・ジャパン
ソプラノ:ハナ・ブラシコヴァ
カウンターテナー:ロビン・ブレイズ
テノール:ゲルト・チュルク
バス:ペーター・コーイ

2013年2月26日 j-mosa
 


楽しい映画と美しいオペラ―その44

2013-02-13 20:37:58 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その44


               高倉健が、愛おしい

                           ――降旗康男「駅 STATION」

 

 高倉健という俳優は前々から気になっていた。そんな存在でありながら、彼の主演作品を映画館で観たことはほとんどない。こんな人間が高倉健を云々するのはおこがましいが、それは承知の上で、今日の話題は健さんに絞らせていただく。こういう気持ちにさせてくれる俳優はめったにいないし、それは何故なのかも考えてみたい。

 私の観た高倉健主演の映画は数少ない。任侠映画は観る気もしないし(健さんフアンには申し訳ない)、せいぜいが山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」、他に「居酒屋兆治」や「冬の華」。「八甲田山」、「鉄道員」も観ているな。これらの映画を通して、高倉健はどこか気にかかっていた。もちろんいい男である。それも近頃珍しい、太い眉の、いかにも男らしい男である。演技はお世辞にもうまいとはいえない。しかしスクリーンから発散されるその存在感は観る者を圧倒する。圧倒されながら、どの映画にも不満だった。高倉健が生かされていない。

 たとえば三船敏郎である。男らしい風貌、演技はうまいとはいえないが、圧倒的な存在感。高倉健に近い俳優だ。しかし、彼は黒澤明という稀有な監督によって数々の名作を残すことができた。「野良犬」「七人の侍」「羅生門」「蜘蛛の巣城」「赤ひげ」など数え上げればキリがない。とりわけ「用心棒」は黒澤・三船コンビの最高傑作だと思う。残念ながら高倉には、三船に於ける黒澤がいなかったのではないか。無念というか、惜しいというか、高倉健については、こんな感懐を抱いていたのだった。

 だいたいがワンパターンすぎるのである。暗い過去がある、刑期を終えて出所した、正義感に溢れ、腕っぷしが強くてぶっきらぼう、女性には淡白だが、もちろんもてる。山田洋次作品ですらそうで、三船が演じた黒澤映画の主人公の多様性に比べて、あまりに単純である。不器用で、個性が強すぎる高倉の存在そのものに問題があるのだろうか、などと思ってもみた。

 ところが、年末に放映された映画のなかに「駅 STATION」があって、私は非常な感銘を受けた。ああ、これが高倉健なのだ、と思ったのである。大袈裟にいえば、彼はこの作品で映画史に残る俳優になったとさえ思った。もちろん全編これ高倉健で、彼を極立たせる映画である。彼の主演する映画はどれもそうなのだが、しかし「駅」は他の作品とはー味も二味も違っていた。

 まず倉本聡の脚本がいい。ひとつひとつの事件や出来事が丁寧に描かれ、それらを伏線にして物語が展開する。物語は重層構造をなし、人物の描写も彫が深い。黒澤作品が人を引き付けるのも、優れた脚本のお蔭である。黒澤は自身も優れた作家であったが、菊島隆三、橋本忍、小国英雄など錚々たるメンバーと構想を練った。脚本の重要性はいくら強調してもしすぎることはない。

 監督は降旗康男。彼は「冬の華」「居酒屋兆治」「鉄道員」など、高倉主演の映画を何本も撮っているのだが、この作品では同じ監督とは思えない腕の冴えを見せている。犯人を追いつめるサスペンスの迫力もさることながら、倍賞千恵子、烏丸せつこ、宇崎竜童、いしだあゆみ、根津甚八といった俳優の個性を見事に引き出している。分けても、現実からズレ、浮遊感漂う烏丸の演技は出色である。居酒屋のテレビに流れる八代亜紀の「舟唄」も効いている。作品が傑作となるには、ひとつの要素も欠けてはならない。高倉健の前にはすべてが揃ったのだ。そして彼は――。

 高倉健はやはり強くなければならない。彼は警察官で射撃の名手、最後の場面ではその力を存分に発揮する。しかし警察官は、やくざや殺人犯とは異なり、「体制側」の人間である。高倉のイメージとは異なる。ここでは、仕事に疑問を抱き、現実とのギャップに苦しむ男、という普遍性を獲得することになる。

 たった一度過ちを犯した妻を許すことができない。妻は幼い息子を連れて家を出る。最初のシーンは彼らと別れる駅の風景。愛しているが故の別離は、融通のきかない不器用な男の悲劇を象徴している。これもまた高倉健である。いしだあゆみが初々しいだけに痛ましい。

 飲み屋の女将が倍賞千恵子。何を演じても器用にこなす女優だが、いずれも自然さを失わない。ある意味で高倉健とは対照的な役者である。そんな二人が恋に落ちる。なるほど、男と女の間に必要なものは「相性」だと、十分に納得がいく。健さんは文句なく女にもてる。それに他者にも優しい。

 ひとつひとつ挙げていけば何のことはない、これまでの高倉健のイメージそのものである。しかし、この映画の高倉健は愛おしい。それは、生きることに確かな意味を見いだせない男が、静かに、なお生きようとしているからである。降りしきる雪のなかに彼はたたずむ。その哀しい姿が、無性に愛おしい。


■《駅 STATION》
1981年11月7日 公開
2012年12月31日 NHKBSプレミアムで放映
脚本:倉本聡
監督:降旗康男
音楽:宇崎竜童
出演:高倉健、倍賞千恵子、いしだあゆみ、烏丸せつこ、宇崎竜童、根津甚八

2013年2月11日 J.mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その43

2012-12-05 18:47:18 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その43


          生き続けているポネル
                  ――言葉と音楽、そして演出

 

 

 オペラほど「総合芸術」という言葉がふさわしい芸術はちょっと見あたらない。音楽と演劇と美術が渾然と一体になり、時にバレエも楽しむことができる。衣装に関心がある人にとっても、オペラは心躍る芸術であるにちがいない。

 言葉が先か、音楽が先か、リヒャルト・シュトラウスがこんなテーマで作品を書いているくらいだから(《カプリッチョ》)、オペラに於ける言葉と音楽の融合ぶりはとりわけ著しい。ホーフマンスタールのとびっきりの台本で、《ばらの騎士》や《アラベラ》や《影のない女》などの傑作を生み出してきたリヒャルト・シュトラウスである。言葉と音楽の関係性は生涯のテーマであったことだろう。

 さてオペラに於いて、近年とみに話題となっているのは演出である。これは言葉とも音楽とも密接に関わるものだが、この演出によってオペラ作品はかなりちがったものになる。

 最近の例では、メトロポリタン・オペラの初日を飾ったドニゼッティの《愛の妙薬》。これは村の若者ネモリーノの一途な恋に焦点が当てられていて、まっとうな青春恋物語となっている。一方、NHKのBSで先ごろ放映されたバーデン・バーデンのプロダクションは、映画の撮影現場という劇中劇を挿入した、いわばドタバタ喜劇である。この上演は、主役のネモリーノを歌ったテノール歌手ロランド・ビリャソンの演出で、才気あふれる舞台だ。

 総じてイタリアのオペラ作品にはそれほど奇抜な演出の手法は使えない。時代背景をはじめとする状況設定がかなりリアルで、手を加えることが難しいのである。それでもメトとバーデン・バーデンの二つの舞台は、これが同じ台本と音楽をもとに制作されたのかと疑うほどに、違ったものになっている。どちらが好みかは人によって分かれるだろうが、歌手の出来も含めて、私は断然バーデン・バーデンの方が面白かった。

 それはさておき、演出の斬新さで群を抜いているのはドイツだろう。なかでもワーグナー作品上演の聖地バイロイトは、リヒャルト・ワーグナーの曾孫カタリーナ・ワーグナーが総監督になって以来(2009年)、その過激さが際立っている。ロマンチックな《ローエングリン》には大量のネズミが登場するし、神聖祭典劇《パルジファル》には羽根をもった天使たちが舞台を動き回る。この天使たちはいったい何を意味するのだろうかと考えているうちにオペラが終わってしまった。

 どこの国でもオペラの聴衆が減っている。オペラだけではなく、クラシック音楽は長期低落傾向にある。日本でも演奏会場には白い頭髪が目立ち、若者の姿はほとんど見られない。バイロイトでもその流れは等しく、34歳と若いカタリーナは危機感を持っているのだ。それに百数十年間、同じ演目を上演し続けてきた。斬新なプロダクションをつくり、若者の足を劇場に運ばせたいと考えるのは当然である。しかしその苦慮の結果がいまのバイロイトの上演だと思うと、どうしても疑問符がつく。

 10月23日のウィーン国立歌劇場の日本公演、モーツァルトの《フィガロの結婚》は素晴らしかった。《フィガロ》をこのオペラ座で聴くことは、ヴェルディの《ドン・カルロ》をミラノ・スカラ座で聴くことと同じく、私の長い間の夢だった。後者は2009年のミラノ・スカラ座の東京公演で実現したので、今回のウィーン国立歌劇場の横浜公演は待ちに待ったものだった。その上演がジャン=ピエール・ポネルのプロダクションというのも嬉しいことだった。

 ポネルはすでに1988年に亡くなっている。このプロダクションがウィーンで初演されたのはさらにその10年以上も前のことだ。それは1976年に映像化されたDVDが存在することで分かる。これは私にとってかけがえのない映像で、レザーディスクで繰り返し鑑賞したものだ。そのプロダクションを実際に観ることができる! 心騒いだのも道理であろう。ウィーン国立歌劇場が40年近くもポネルのプロダクションを温めてきたことも感慨が深かった。

 指揮のペーター・シュナイダー、主要キャスト(とりわけバルバラ・フリットリの伯爵夫人!)、オーケストラ、いずれをとっても申し分なく、これぞオペラだと、その晩は遅くまで興奮冷めやらなかった。ポネルがつくりあげた舞台は壮麗な建築美に満ち、登場人物には生きた血が通っている。そして舞台上には、モーツァルトの音楽が息づいている。華やかで、軽やかで、喜びに溢れ、憤りですら美しく、さらに生きることの哀しみまでもが……。

 言葉と音楽をいかに深く理解するか、演出の極意はこの平凡な結論につきるような気がする。それが伝統的なものであれ、奇をてらったものであれ、文学と音楽をともに愛する演出家であれば、いい舞台がつくれるはずである。ポネルに溢れるようにあったこの愛が、バイロイトに招かれた演出家には欠落しているように思われてならない。究極のオペラ上演は演奏会形式だ、などといわれないためにも(一理ある意見ではある)、上質の舞台がつくられ続けていくことを望みたいものだ。 

■《愛の妙薬》
バーデン・バーデン歌劇場
2011年5月~6月 上演
2012年11月12日 NHKBSプレミアム放映
演出:ロランド・ビリャソン
指揮・演奏:パブロ・ヘラス・カサド/バルタザール・ノイマン合奏団・合唱団
出演:ロランド・ビリャソン(ネモリーノ)
      ミア・パーソン(アディーナ) 


ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場

2012年10月13日 上演
2012年11月8日 銀座東劇にて上映
演出:バートレット・シャー
指揮・演奏:マウリツィオ・ベニーニ/メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
出演:マシュー・ポレンザーニ(ネモリーノ)
      アンナ・ネトレプコ(アディーナ) 

■《フィガロの結婚》
神奈川県県民ホール
2012年10月23日 上演
演出・美術:ジャン=ピエール・ポネル
指揮・演奏:ペーター・シュナイダー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
出演:アーウィン・シュロット(フィガロ)
   シルヴィア・シュヴァルツ(スザンナ)
   カルロス・アルバレス(伯爵)
   バルバラ・フリットリ(伯爵夫人)
   マルガリータ・グルシュコヴァ(ケルビーノ)

2012年12月2日 j-mosa 


楽しい映画と美しいオペラ―その42

2012-09-01 10:55:09 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その42

 

 心躍る一大スペクタクル
 ――メトロポリタン・オペラ〈ニーベルングの指環〉



チラシ1                     チラシ2

 

 先週末の2日間、残暑を避けて銀座の映画館で過ごした。ワーグナーの〈ニーベルングの指環〉全4作に挑戦したのだ。後半の《ジークフリート》と《神々の黄昏》の組み合わせは、11時に始まって終映が22時半、休憩や食事の時間はあったものの、じつに12時間近く映画館に閉じこもっていたことになる。400人ばかり収容できる座席の6~7割は埋まっていて、熱心なワーグナーファンもいるものだと感心した。泊まりがけで観に来たというご夫婦もいた。

 もっとも私はワーグナーからは距離を置いてきた。あまりの大言壮語ぶりに辟易していたというのが正直なところ。〈指環〉も《ワルキューレ》は別にして、あとの3作に関してはDVDで流し観したにすぎない。来年の生誕200年を控えて、ちょっと予習をしておこうという軽い気持ちで出掛けた。ちなみにヴェルディはワーグナーと同年で、生誕200年祭としては、私はこちらの方が楽しみである。

 とはいうものの、正味上演時間約15時間というこの超大作を、私は結構楽しんだ。音楽と物語好きが昂じて私はオペラの世界に迷いこんだのであるが、メトロポリタン・オペラのこのプロダクションは、そんな私の原点を大いに刺激してくれたのである。

 ジエームズ・レヴァインが前半2作《ラインの黄金》《ワルキューレ》を、ファビオ・ルイージが後半2作《ジークフリート》《神々の黄昏》を振ったのだが、まずこの2人の指揮者の功績を認めなければならない。レヴァインは心の機微を絶妙に表現できる指揮者である。オペラを振るために生まれてきたといってもいい。ルイージは、コントロールのよくきいた、端正な指揮をする人だが、ワーグナーの壮大な世界を見事に表現した。2人の指揮者のもと、映画館には雄渾なワーグナーの音楽が鳴り響いた。実演には及ばないにしても、我が家のステレオ装置の比ではない。快感これ極まれりである。

 しかし、このプロダクションの成功の最大の功労者は、演出のロベール・ルパージュであろう。たったひとつの装置で、世界のすべてを表現した。山を、森を、川を、家を、さらに天上の世界と地下の世界を……。挙句、それは馬にも変貌した。装置とは、24枚の三角錐の板を立て、それらをヨコに連らねた巨大なマシーンである。1枚1枚がコンピュータ制御で自在に動く。そこに3Dの映像が投射されて、マシーンが驚くべき変容をとげる。大スペクタクルの音楽に引けをとらない装置である。重量45トンで、この装置のために舞台の床を補強したという。

 昔ある友人が、ワーグナーの音楽って映画音楽だね、と言ったが、言い得て妙。まさにこのプロダクションは、一大スペクタクル映画である。変身あり、魔法の剣あり、決闘あり、大蛇退治あり、謎々あり、男女の恋あり、裏切りあり……。息もつかせぬ冒険譚に徹したところに、このプロダクションの成功がある。

 もちろんワーグナーは、単純なスペクタクル・オペラをつくった訳ではない。足掛け30年の歳月をかけた作品である。自らの世界観をたっぷりと投影させたはずなのだ。物語のキーとなる「指環」からして意味深長だ。これをもつ者は世界を支配できる、つまり権力の象徴である。ラインの黄金からこの指環を鋳造した地下世界の支配者アルベリヒは、愛を断念することによってそれを成しえた。序夜《ラインの黄金》(チラシ1)に提示されるこの「権力と愛の相克」こそ、破天荒なこのオペラの最大のテーマである。

 第一夜《ワルキューレ》(チラシ2)は、ワーグナー作品のなかで私の最も好きな演目である。ジークムント、ジークリンデの双子兄妹の禁断の愛は、《トリスタンとイゾルデ》の音楽を彷彿させる。そして宿命の死をめぐる、ジークムントと戦いの乙女(ワルキューレ)ブリュンヒルデの対話は、この作品の白眉であろう。ジークリンデの不在故に、ジークムントは死後の栄光の世界を拒絶する。妹への熱い思いは、ブリュンヒルデならずとも観る者の心を締めつける。この2人を優れた歌手が演じると、会場は水を打ったように静まりかえる。カウフマンとヴォイトも健闘したけれど、私は2005年のプロムスでのドミンゴとガスティーンの組み合わせが忘れられない。

 双子の兄妹は、神々の長ヴォータンと人間の女の間に生まれた。ヴォータンは2人の愛を祝福するのだが、婚姻の神でもある正妻フリッカが赦さない。2人の、愛と秩序をめぐる口論も聴きものである。愛を謳歌するヴォータンが、フリッカの正論に追い詰められていく過程では、ワーグナーの複眼的思考に感心する。ヴォータンの権威と弱さを余すところなく歌ったターフェルが素晴らしい。

 さて、ジークムントとジークリンデの一夜の愛から、ジークフリートが生まれる。彼の活躍が第二夜の《ジークフリート》である。そしてスペクタクル的要素が一番濃いのがこの作品である。大蛇退治やブリュンヒルデの火中からの救出場面も華々しいけれど、魔法の剣ノートゥングを再鋳造するシーンにはかなわない。オーケストラの大音響をバックに、ジークフリートが高らかに出立の歌をうたう。私は思わず拍手をしてしまった。モリスはやや線の細さを感じさせるが、ここは大いに踏んばった。

 第三夜の《神々の黄昏》に至って、物語が破綻する(と私は思う)。権力の象徴である「指環」は、誰の手に渡ることなくラインの河底に戻るのだが、その争奪の過程で、総ての者が衰えゆく。天上の神々は疲弊し、地下の闇の力も没落する。世界を救出するはずの英雄ジークフリートも、あえなく殺される。ブリュンヒルデの、愛への殉死のみが救いである。こうして「権力と愛の相克」の物語は幕を閉じる。

 
結末は理解できる。問題はそこに至る過程である。ジークフリートとブリュンヒルデの行動がどうにも納得できない。安易に敵の罠に落ちるジークフリートの不用意さと、彼の急変に疑問を抱かないブリュンヒルデの軽薄さ。肝心の2人の行為に説得力がない故に、ワーグナー畢生の大作は画竜点睛を欠く結果となった。音楽が素晴らしいだけに、彼の台本力の弱さを残念に思う。

 
さはさりながら、週末の2日間をたっぷり楽しませてくれたメトロポリタン・オペラには、心から感謝を申し述べたい。

《ラインの黄金》2010年10月9日上演
《ワルキューレ》2011年5月14日上演
(2012年8月17日 東銀座東劇にて上映)
指揮=ジェームズ・レヴァイン

《ジークフリート》2011年11月5日上演
《神々の黄昏》2012年2月11日上演
(2012年8月18日 東銀座東劇にて上映)
指揮=ファビオ・ルイージ

ヴォータン:ブリン・ターフェル(バスバリトン)
フリッカ:ステファニー・ブライズ(メゾソプラノ)
ローゲ:リチャード・クロフト(テノール)
アルベリヒ:エリック・オーウェンズ(バスバリトン)
ブリュンヒルデ:デボラ・ヴォイト(ソプラノ)
ジークムント:ヨナス・カウフマン(テノール)
ジークリンデ:エヴァ=マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)
フンディング/ハーゲン:ハンス=ペーター・ケーニヒ(バス)
ジークフリート:ジェイ・ハンター・モリス(テノール)
グンター:イアン・パターソン(バスバリトン)
演出=ロベール・ルパージュ

2012年8月24日 j-mosa 


楽しい映画と美しいオペラ―その41

2012-07-23 10:38:18 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その41

笠智衆と7月の花菖蒲
         
―渋谷実監督『好人好日』




 私は『好人好日』のテレビ放映を観ながら、人間の「格」ということを考えていた。主人公の、数学以外にはほとんど関心のない、おそらく生活能力も覚束ない老教授に、品格の高さを感じとったからである。

 笠智衆は例によって、朴訥とした演技で、老教授を演じる。いや、彼は演じるのではなく、ただ存在する。映画俳優にとって何よりも大切なものは、存在感である。演技力ではない。新劇の俳優が映画に向かないのは、演技をしすぎるからだ。その過程で存在感が失われる。演技をしなければ存在感が滲み出るかというと、もちろんそうはいかない。それでは存在感とは何か、そして品格とは何だろうか。

 夏の初め、私は何度も菖蒲園に足を運んだ。自転車の散歩道の途上に小岩菖蒲園があり、花の盛りはもちろんのこと、数輪の開花しか見られない5月の末から訪問を始めた。そして今日、7月の18日は、咲き競った残がいが見られるだけである。しかし所々に、最後の生命力を吹き込まれたように、白い花が咲いている。盛期の華美は求めるべくもないが、しぼんだ花々の中に飄々と立つその姿に、言うにいわれぬ品位を感じたのだった。

 この7月の花菖蒲は笠智衆ではないか、ふとそう思った。そうであるならば、彼の存在感もまた、この花のなかにあるはずである。それは、「自然」そのものが持つ生命力なのかもしれない。力強く、かつ移ろいゆくもの。そしてそのはかなさを感受しうる人間にのみ、品位というものが備わるような気がする。

 この老教授は、生まれたままの無邪気さを持っている。近所の子どもとTVのプロ野球を楽しむかと思えば、ボクシングに興じることもある。子どもは友達のように老教授を扱い、偉い先生だとはつゆほども思わない。この事実は、老教授が、他者と思いを共有できる能力を持っていることの現れである。

 文化勲章を授与された夜、教授夫妻は本郷の安宿で泥棒に押し入られる。面白いことに教授は、泥棒のことまで気に掛る。暗闇で物色する泥棒に灯を向けてやるのだ。三木のり平がいかにも気のいい泥棒を演じて、ここは日本の喜劇映画のなかでも出色の場面であろう。他者に共感できる能力、これも人間の品位と大いに関係がある。

 老教授の潔い合理精神も、現代人が失って久しいものではないか。娘の結婚にあたって、結婚式などしなくていい、と妻に言う。豪華な式を挙げて、数カ月で離婚した者もいる、と。そんな教授が文化勲章をもらう気になったのは、何よりもお金のためだった。月末にはコーヒーを飲む金にも不自由していたのである。

 奈良に住む、貧乏だが世界的な数学者、しかも文化勲章の受章者となると、誰しも岡潔を想定する。枠組は岡潔から借用したとしても、この映画の老教授は、岡を遥かに超えた、爽やかな存在である。

1961年 日本映画
(2012年7月10日 NHKBSプレミアム放映)
監督:渋谷実
原作:中野実
脚本:松山善三・渋谷実
撮影:長岡博之
音楽:黛敏郎
出演:笠智衆、淡島千景、岩下志麻、川津祐介、乙羽信子、北林谷栄、三木のり平

2012年7月18日 j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その40

2012-06-11 17:49:47 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その40

                         

                         3人のオペラとメトロポリタン・オペラ
                                      
――「村上敏明とその仲間たち」


 6月3日に「村上敏明とその仲間たち――チャリティ・オペラ・コンサート」という手作りの音楽会があった。手作りというのは、音楽業界とは関わりのない、音楽愛好家の人たちの手になる音楽会ということである。町田市の音楽愛好団体、かしの木山NEXTという組織が主催した。会場も町田市民フォーラムホールという、席数せいぜい200人の小さなホールである。東日本大震災の被災者支援活動の一環で、4人の出演者のうちお二人は石巻市出身ということだった。チケットの売れ行きが芳しくなく、2週間ばかり前に主催者のひとりから支援要請のメールが入った。町田近辺に住んでいる友人たちにも呼びかけ、入りを心配しながらの当日となった。

 客席は7〜8割くらい埋まっていてまずはホッとしたが、中身についてはじつはそれ程の期待はしていなかった。村上敏明は藤原歌劇団や新国立劇場で主役を歌うなど、若手テノール歌手の代表的存在である。しかし会場が東京近郊の小さなホール。はたして実力どおりの歌を聴かせてくれるのか、心もとない気持ちでいたのである。ところが、私の杞憂は見事に裏切られ、まことに楽しい、歌の素晴らしさを伝えてくれるコンサートとなった。歌の背景などの説明も含めた村上の司会は、間違いなく音楽会の雰囲気を盛り上げた。


 
第1部は〈帰れソレントへ〉〈カタリ・カタリ〉などのカンツォーネと、山田耕筰作曲の〈落葉松〉〈鐘がなります〉などの日本の歌で構成されていた。音程にやや不安定さがみられたり、〈愛燦燦〉を強靭なテノールで歌ったりという?はあったものの、3人の歌手の実力はプロであることを充分に証明してくれた。しかし彼らが本領を発揮したのは、第2部の「男声が歌うオペラの魅力」である。

 
まず千葉昌哉が、《フィガロの結婚》の有名なアリア〈もう飛ぶまいぞ、この蝶々〉で、前半とは見違えるような溌剌とした歌を聴かせてくれた。持ち前の深いバリトンの声がよく響き、このアリアに要求される飛翔するような軽やかさも備えている。続く渡邊公威は、《マルタ》の〈夢のように〉を、柔らかなテノールで伸びやかに歌う。村上の〈星は光りぬ〉(《トスカ》)は、天にも届けといわんばかりの透明で力強いテノール。叙情性も兼ね備え、さすがに第一線で活躍している歌手だと納得。

 そしてこのコンサートの白眉は、何といっても《愛の妙薬》の〈ネモリーノとドゥルカマーラの二重唱〉である。朴令鈴の絶妙の伴奏に支えられて、渡邊と千葉がオペラの一場面をじつに楽しく演じてくれた。私にとって、ドニゼッティやベッリーニなどのいわゆるベルカント・オぺラは、少し遠い存在である。ヴェルディやプッチーニに比べると、ドラマ性が希薄なような気がするのだろうか。しかしベルカントがイタリア語で「美しい歌」を意味するように、ベルカント・オペラの本質はまさしく歌なのだ。渡辺と千葉のニ重唱はそのことを明確に伝えてくれた。2つの美しい声がリズミカルに、また微妙に絡まり合い、聴く者を至福の境地に誘う。

 ベルカント・オペラもいいものだと実感した私は、翌日、録画してあった《ルチア》を観ることになった。メトロポリタン・オペラの上演で、出演者もネトレプコ、ベチャワなど有名どころである。アリア、重唱、合唱、それぞれに美しい歌が溢れていて、十分に楽しんだ。それにしても、オーケストラ、裏方なども含めると何百人の大所帯。対して、前日の《愛の妙薬》の舞台は、ピアノを含めてたった3人である。3人でも数百人の上演に対抗できる! この発見こそ、町田の小さなホールで聴いたコンサートでの最大の収穫である。今度はピアノ伴奏で是非オペラの全曲をと、主催者に伝えた。


村上敏明とその仲間たち――チャリティ・オペラ・コンサート
(2012年6月3日 町田市民フォーラムホール)
第1部■カンツォーネ&日本の歌
第2部■男声が歌うオペラの魅力
テノール:村上敏明、渡邊公威
バリトン:千葉昌哉
ピアノ:朴令鈴

2012年6月6日 j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その39

2012-02-27 11:04:07 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その39

 


文楽、この誇るべき日本のオペラ



 

 

 このところ大阪維新の会の躍進が目覚ましい。その影響は大阪という地域を越えて、全国的な規模になりつつある。社会が停滞の度を深めると、勇ましく、メリハリの効いた発言をする人間に注目が集まる。橋下大阪市長はその典型で、思想の中味は小泉元首相の新自由主義的発想と何ら異なるところはない。表現の仕方、問題の立て方まで似ている。小泉政権時代の6年間が私たちの生活に何をもたらしたのか、冷静に考えてみるべきだろう。そして民主主義について、思考を深めるべきである。

 

 さてその橋下市長だが、教育への政治介入を目論む一方、文化政策にも大鉈をふるおうとしている。日本の古典芸能のひとつで、大阪を発祥とする文楽(人形浄瑠璃)への補助金を見直すという。財政難に陥るとまっ先に削減されるのは文化予算であるのは世の常だが、こと文楽に関しては慎重を要する。

 

 芸術をどう支えていくかは、難しい問題である。芸術と助成金、昔でいえば芸術家とパトロンの問題である。そもそも支えるという発想がおかしい、芸術は自由なものであり、いかなる庇護も受けるべきではない、という考え方ももちろんある。そうでなければ権力の批判などできない、というわけだ。

 

 ところで人形浄瑠璃の発祥は1700年前後の大阪。この頃、私の大好きな作曲家バッハとヘンデルがドイツで生まれている(共に1685年生まれ)。この二人の対照的な生涯は、芸術家と経済の問題を考える上で大変興味深い。バッハは青年時代、ヴァイマルやケーテンの宮廷に仕え、38歳から65歳で亡くなるまでは聖トーマス教会に属した。教会のカントル(楽長職)であり、ライプツィヒ市の音楽監督も歴任した。生涯組織に属し、組織のために曲を作り、その階梯を上り詰めたのだ。一方ヘンデルは、20歳代早々にイタリアで名声を得、ロンドンでは王室礼拝堂作曲家の任にありながら自らオペラ団を主宰した。その経営に苦悶しながらも、大衆に向けてオペラを書き続けたのである。そしてこの二人の残した作品は、互いに異質な部分を含みながら、いずれも人類の遺産と呼ぶにふさわしい。現代の音楽は彼らの存在なしには考えられもしないだろう。

 

 どうやら偉大な芸術家は、どのような環境下に置かれても、偉大な作品を生み出すものであるようだ。そしてその作品は残っていく。このことは十分承知した上でしかし、ありとあらゆる文化が乱立する現代の文化状況下では、芸術助成の問題は熟慮を重ねる必要があると思う。また文楽に欠かせない義太夫や三味線についていえば、それらが庶民の手慰みであった時代はとうに終わっているのだ。規制緩和し、あらゆるものを自然の淘汰に委ねるという新自由主義的発想では、本当に大切な日本の文化が廃れてしまいかねない。

 

 さて私は、このところ何度か、文楽を観に国立劇場へ出掛けた。その面白さに引かれて、1月には大阪の国立文楽劇場へまで足を延ばした。この歳になるまでどうして文楽と真剣に向き合うことがなかったのだろうと、臍を噛む思いに苛まれながら。文楽は、音楽と演劇が一体となった、まさに日本のオペラなのである。その質の高さに、私は日本人であることに喜びをさえ覚えたものだ。

 

 文楽の中心は、何といっても義太夫を唄う大夫だろう。オペラでいうなら歌手、いやそれを超えた存在である。登場するすべての役柄を一人で唄い、演じなければならない。おまけに筋書きをも語る。そしてオーケストラに相当するのが三味線である。これは単なる大夫の伴奏であってはならない。彼に拮抗する力を持つ必要がある。オペラ歌手に対してのオーケストラと同じである。しかし指揮者は存在しない。音楽は、大夫と三味線奏者二人の手で作り上げられる。その音楽を視覚的に表現するのが人形なのだ。

 

 人形は、三人の男によって操られる。頭と右手を操る主遣いがいて、あとは左手と足の操作にそれぞれ一人。1月に『七福神宝の入舩』という演目を観たが、人形7体のこの舞台に、何と大の男が21人も登場していたことになる。三人で操る人形だけに、眉、目、口と顔の表情は細やかで、動作のしなやかなことも筆舌に尽くし難い。

 

 大夫、三味線、人形と、この三者が混然一体となることで、時に白熱の名舞台が生まれる。昨年129日の『奥州安達原』である。中でも「環の宮明御殿の段(たまきのみやあきごてんのだん)」の〈前〉の場面、大夫は竹本千歳大夫、三味線豊澤富助。勘当された袖萩が娘を連れて武家である実家に帰って来る所である。零落して盲目になった娘を主人の平仗(たいらのけんじょう)は赦すことができない。母親は間に立っておろおろするばかり。武士の体面の愚かしさと、どうにもやるせない親娘の情。

 

 千歳大夫は声涙ともに下るかとばかりに唄い上げ、富助の嫋々たる三味線がずしりと心に響く。袖萩の哀れさは桐竹勘十郎がまた余すところなく演じた。人形は人間の感情の上澄を掬いとる。生の感情が抽象化されることで、一層哀れさが身に泌みる。人形の動きひとつひとつに私は涙を禁じ得ず、周りを見れば、ハンケチを取り出して皆泣いている。悲哀の情が会場に充ちていた。舞台と観衆とがこれほど一体となった瞬間も珍しい。

 

 文楽というこの貴重な文化遺産を、どのようして後世に伝えていくのか。国、自治体、文楽協会、そして私たちも、真剣に考えなければならない。

 

                                                                     2012年2月26日 j-mosa

 


楽しい映画と美しいオペラ―その38

2011-06-21 11:35:36 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その38

               

                    心を癒すチェンバロの響き
                               ――グスタフ・レオンハルト・リサイタル  



 原発事故の影響で多くの音楽家が来曰をキャンセルしている。メゾソプラノのアンゲリカ・キルヒシュラーガーとヴァイオリンのヒラリー・ハーンはチケットが無駄になってしまった。直接の被害はなかったものの、ムター(ヴァイオリン)やピリス(ピアノ)が来日しなかったことでガッカリした人は多かったはずだし、今公演中のメトロポリタン・オペラでも有名歌手のキャンセルがあいついだ。とりわけ今を盛りのテナー、ヨナス・カウフマンの不在は、オペラ愛好家には衝撃が大きいものと思われる。カウフマンで『ドン・カルロ』を聴きたかったという人が、私の周りに何人もいる。

 しかし、彼らのキャンセルを非難することはできない。福島第一原発の事故の深刻さは測り知れないものがあり、海外メディアはその事実を冷徹に伝えているようだ。事故から3ヵ月経った今も収束の兆しは見えないし、日本国民のなかにも、政府やマスコミの流す原発情報に不信の目を向けている人が多数いる。そんななか、あえて「汚染列島」に足を踏み入れようとする音楽家の方が稀な存在といっていいだろう。

 ドミンゴは、震災の余波がまだ冷めやらぬ4月の10日に、NHKホールでリサイタルを開いた。人間の声は、70歳を過ぎてもなお進化する! テナーとバリトンの領域を往環するその自在な声に圧倒されながら、私は年輪の持つ重みを考えていた。ドミンゴはコンサートを締めくくるにあたって、東日本大震災で被災した人たち、また日本の総ての人たちに向けて心のこもったメッセージを述べた。そのあと歌われた『ふるさと』は、聴衆の心をひとつにする暖かさに満ち、私も声を合わせて歌いながら涙をこらえることができなかった(共演予定のソプラノ、アナ・マリア・マルティネスがキャンセルし、若手のヴァージニア・トーラが急遽来日、好演であった)。

 さて私の手元には、グスタフ・レオンハルトのチェンバロ・リサイタルのチケットがあった(5月31日)。83歳のレオンハルトがはたして来てくれるのか、会場のトッパンホールに着くまで実は不安であった。入口にはレオンハルトの演奏会の案内書きがあり、来てくれた!と胸をなでおろしたものだ。

 長身で痩躯、白髪の自然なオールバック、どこか哲学者を想わせるその知的な風貌は、10年前の12月、第一生命ホールで接した時と少しも変わりはない。しかし左の手に手袋をはめている。腱鞘炎? 高齢のうえ、指の機能にも支障をきたしているのだ。この状態で、よくぞ日本に来てくれた。演奏に入る前から、私の胸には熱いものがこみあげてきた。レオンハルトは具体的な言葉は何も発していないが、日本に対する彼のメッセージは明らかであろう。

 おそらく万全の体調ではなかったと思われる当夜、レオンハルトの指が紬ぎ出す音楽は、信じ難いほど崇高なものであった。 その凛としたチェンバロの響きは、心に深く泌み入った。格調が高く、余分なものを削ぎ落とした、文字どおり音楽の精華を聴いたという思いだ。それでいて、その音楽は決して近寄りがたいものではなく、まるで彼の書斎で聴かせてもらっている心持ちであった。レオンハルトは、気分の赴くままに好みの音楽を奏で続ける。とりわけ前半はあまり耳にしたこともない作曲家の作品群であったが、そんなことはもはや問題ではない。低弦の深い響きが心を鎮めてくれたかと思うと、高音のアレグロでは、老巨匠の秘めた情念の火をかい間見せてくれる。楽曲のくぎり目にわずかなタメをつくるレオンハルト独特の奏法も健在で、音楽のミューズとの、一期一会の逢瀬を堪能させてもらった。

 若き日、盟友アーノンクールと古楽の道を切り拓いてきたレオンハルトだが、たどり着いた道は大きく異なっていた。片やベルリン・フィルを率いてブルックナーを振るかと思えば、ザルツブルク音楽祭では『フィガロ』を指揮して聴衆を熱狂させる。現代クラシック音楽界の頂点を極めた存在といえるだろう。このアーノンクールに対してレオンハルトは、自らに敷かれたー本の道を、わき見などすることなく静かに、堅実に歩いてきたのだ。そんな対象的な二人の生み出す音楽が、共に聴く人の心に深く訴えかける。道を極めるとはこういうことなのかと、奇しくも時を経ずして両人の実演に接することができた私には、まことに感慨深いものがあった。  

●プラシド・ドミンゴ・リサイタル
2011年4月10日 NHKホール
『トスカ』から「星はきらめき」
『アンドレア・シェニエ』から「国を裏切る者」
『リゴレット』から「祭りの日にはいつも~泣け、娘よ」
『マイ・フェア・レディ』から「君住む街で」
サルスエラ『マラビーリャ』から「恋人よ、わが命の君よ」他
テノール:プラシド・ドミンゴ
ソプラノ:ヴァージニア・トーラ
指揮:ユージン・コーン
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団

●グスタフ・レオンハルト・リサイタル
2011年5月31日 トッパンホール
ルルー『組曲ヘ長調』
J.C.バッハ『前奏曲ハ長調』
フィッシャー『シャコンヌト長調』
デュフリ『クラブサン曲集』より
J.S.バッハ『平均律クラヴィーア曲集第2巻』より第9番ホ長調BWV878
J.S.バッハ『組曲ホ短調《ラウテンベルクのための》』BWV996
J.S.バッハ『イタリア風のアリアと変奏』BWV989

2011年6月11日 j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その37

2011-04-05 21:22:46 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その37


          科学と政治の相克――
                         原爆をめぐるオペラ『ドクター・アトミック』

 

 東日本大震災は、マグニチュード9.0という稀にみる激震、それに続く大津波、さらに福島第1原発の想定外の大事故と、その被害は止まるところ知らない。東京も電力不足による計画停電が実施され、経済活動も日常生活も不安定な状態が続いている。とりわけ原発事故は、3機の原子炉で炉心が損傷し、いまだに収束の道が見えない。チェルノブイリを超える大惨事の可能性も否定することはできない。人間の力を超えた巨大な怪獣が暴れまわっている印象である。  

 その怪獣の最初の出現が、1945年の夏、広島・長崎であったことはいうまでもない。ここに取り上げるオペラ、アメリカの作曲家ジョン・アダムスの『ドクター・アトミック』は、原子爆弾製造の最終段階、ニューメキシコ州ロスアラモスでの数日間を内容としている。主役はマンハッタン計画(原子爆弾開発計画)を成功に導いたJ.ロバート・オッペンハイマーであるが、有能な科学者たちが政治の網の目に否応なく絡みとられていくさまがリアルに描かれている。このようなオペラがアメリカで作られたこと、しかも保守的なメトロポリタン歌劇場で上演されたことはやはり驚きである。  

 原子力の科学的発見は、1895年のレントゲンによるX線の発見に端を発するといわれている。それから40数年、1939年になると、核分裂によって生じるエネルギー利用の可能性が世界各地で議論の対象となっていた。ナチス・ドイツもその一角を占めており、ドイツからの亡命科学者たちは強い危機感を抱いていた。ドイツに先んじて原爆を開発しなければならない、そう彼らはルーズベルト大統領に勧告する(アインシュタイン書簡)。1942年8月に発足したマンハッタン計画の端緒である。翌43年にはロスアラモス研究所が開設され、原爆開発の核心的な技術研究が始められた。傑出した理論物理学者J.ロバート・オッペンハイマーが所長に就任する。  

 舞台は1945年6月のロスアラモス。原爆開発の完成が急がれている。横列に14、それが3層に積み上げられたボックスのなかで、研究者が仕事に没頭している。それぞれのボードには化学式が乱雑に書き込まれる。全米から多くの物理学者が動員されたこと、そのそれぞれが互いの連絡を絶たれて独自に研究を進めたことが暗示される。想定外の出来事が頻発する。タバコを手に、オッペンハイマーが舞台を動き回る。開発の最終段階に入り、苛立ちを隠せない。  

 最上層の1つのボックスから、オッペンハイマーに問いかけがある。原爆実験には日本の使節を立ち合わせるべきではないか。爆発の威力を認識させた上で、降伏の機会を与えるべきではないか。疑問を投げかけたのは若手のグループリーダー、ロバート・ウィルソン。のちにアメリカ物理学会の会長をつとめる男である。「水爆の父」の名を残したエドワード・テラーでさえ、良心の痛みを訴える。政治のことはワシントンに任せよう、我々は与えられた任務を尽くすだけだ、倫理が入り込む余地などない、とオッペンハイマーは答える。

 科学と政治、あるいは科学と倫理の相克を追究して見応えのある場面であるが、このような議論が原爆開発の技術者のなかで行われていたという事実は新しい発見であった。アメリカの原爆開発を強力に主張したドイツからの亡命物理学者L.シラードも、ドイツが原爆開発をしていないという確証を得られると、対日戦での原爆使用に反対する活動を展開することになる。このオペラでは、彼の書簡も読み上げられる。

 台本はアメリカの人気演出家ピーター・セラーズで、書簡、日記、手紙、証言など生の資料、ジョン・ダン(16~17世紀のイギリスの詩人)とボードレールの詩、『バガヴァッド・ギーター』からの一節など、多様な素材を駆使している。歴史上の登場人物が歌いかつ語る言葉は、すべてその人物が発した言葉あるいは思想の一端であるという。オッペンハイマーは『バガヴァット・ギーター』をサンスクリット語の原典で読んだというし、ジョン・ダンやボードレールの詩は愛読書であったらしい。第1幕の幕切れに歌われるオッペンハイマーの長大なアリアは、ジョン・ダンの詩〈聖なるソネット・神に捧げる瞑想〉の一節である。

 「私の心を叩き割って下さい、三位一体の神よ。これまで軽く打ち、息をかけ、照らして、私を直そうとされたが、今度は起き上がって立っていられるように、私を倒して、力一杯、壊し、吹き飛ばし、焼いて、造り変えて下さい。……」(湯浅信之訳)。

 タイトル・ロールのバリトン、ジェラルド・フィンリーは、張りのある艶やか声で、オッペンハイマーの苦悩を歌い上げる。まさしく、音楽の力を実感させてくれるアリアである。オペラは、セリフのみの芝居では伝え得ない、人間感情の内奥を表現することができる。加えて、現代音楽を特徴づける不協和音がいたるところで炸裂し、悪魔の兵器原子爆弾を象徴する。母親が日本人であるアラン・ギルバートの指揮は、人類初の核実験(1945年7月16日)にいたる3時間の舞台を、ただならぬ緊迫感で満たすことに成功した。セリフに難解な部分があるものの、この作品は、現代オペラの可能性を強く信じさせてくれるものとなった。 

《ドクター・アトミック》
2008年11月8日 メトロポリタン歌劇場(2011年2月2日 NHKBS hi 放映)
J.ロバート・オッペンハイマー:ジェラルド・フィンリー
キティ・オッペンハイマー:サーシャ・クック
グローヴズ将軍:エリック・オーウェンズ
エドワード・テラー:リチャード・ポール・フィンク
ロバート・ウィルソン:トーマス・グレン
メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
指揮:アラン・ギルバート
作曲:ジョン・アダムス
台本:ピーター・セラーズ
演出:ペニー・ウールコック
初演は2005年、サンフランシスコ・オペラにて

2011年4月4日 j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その36

2011-03-06 12:19:58 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ ― その36

               

                  劇的迫力に満ちた4時間
                                    ― ベルリオーズ『トロイアの人々』  

 

 1月から2月にかけて立て続けに珍しいオペラを観た。マスカーニの『イリス』(1月30日、東京芸術劇場)、シューマンの『ゲノフェーファ』(2月4日、新国立劇場中ホール)、そしてベルリオーズの『トロイアの人々』である。『ゲノフェーファ』は舞台での日本初演、『トロイアの人々』は演奏会形式ながら紛れもなく日本初演である。『イリス』はジャポニズムのなかで創られた作品で台本が劣悪(オオサカ、キョウトという悪人が登場し、舞台のひとつが吉原)、『ゲノフェーファ』はシューマンらしく悩める登場人物が特徴的だが、いかんせん劇としての面白みに欠け、印象的なアリアも聴くことができない。いずれも上演機会が少ないのももっともだと思われた。しかしゲルギエフの指揮した『トロイアの人々』は圧倒的な迫力で、オペラの醍醐味を伝えてくれた。なぜこれほど面白いオペラがいままで上演されなかったのかと不思議に思ったものだ。  

 『トロイアの人々』はヴェルギリウス(BC.70~BC.19)の叙事詩『アエネーイス(アエネアスの歌)』をもとにしている。第一部(第1・2幕)は〈トロイアの陥落〉と名付けられてトロイア戦争の終末を描き、〈カルタゴのトロイア人たち〉と題する第二部(第3・4・5幕)は、陥落するトロイアを逃れたエネ(アエネアス)の、カルタゴの女王ディドン(ディド)との恋を中心とする。ベルリオーズにとってヴェルギリウスは、シェークスピアと並ぶ憧憬の対象であったらしい。『アエネーイス』は幼い頃から父親に読み聞かされてきた物語であったのだ。  

 『トロイアの人々』の背景をなすトロイア戦争は古代ギリシアの伝説のひとつだが、じつに不可思議な始まり方をする。増えすぎた人間を減らすために戦争を起こすというゼウスの策略だったのである。人口が幾何級数的に増え続けている現代世界においては、その悪魔的な合理主義は現実味を帯びて見えてくる。また戦いの引き金となる事件も人間臭く、戦争の愚かしさを伝えている。

 「もっとも美しき女神に」と宴席に投げ入れられた黄金のリンゴをめぐって3人の女神が争い、裁定を委ねられたトロイアの王子パリスはアフロディテにリンゴを渡す。ヘラは世界の支配権を約束し、アテナは戦いの勝利を提供しようとするが、世界一の美女を与えようというアフロディテの提案の魅力はそれらに勝るものであった。しかし当世随一の美女ヘレナはすでにスパルタ王メネラオスの妃だった。パリスはヘレナを奪い、これを原因としてトロイア戦争が勃発する。

 さて『トロイアの人々』の第1部は、10年間続いたそのトロイア戦争の終末が舞台となる。壮烈な戦死をとげた英雄ヘクトールの妹、カサンドル(カサンドラ)が主役である。勝利の美酒に酔いしれるトロイアの人々のなかにあって、予知能力を有する彼女は破滅を確信する。群衆はもちろん、許嫁ですら彼女の言動を信じない。崩れゆく現実が見えていながら為すすべを持たないカサンドルの苦しみを、ムラーダ・フドレイは劇的に表現した。また、トロイアの女たちの集団自決の場面は第一部最大の聴きどころであるが、合唱団の迫力は凄まじいばかりである。  

 ヘクトールと並び称される勇将エネは、神々の加護もあり、多くのトロイア人を率いて戦いを生き延びる。イタリアを目指して航海するものの、北アフリカのカルタゴに漂着し、そこの支配者ディドンと恋に落ちる。その顛末が第2部の主要部分を占めるのだが、ここの主役はまたしても女性である。恋と政治との狭間で苦悩するディドンを歌って素晴らしいのは、メゾソプラノのエカテリーナ・セメンチュク。その強靭な声は当夜の白眉であった。第一部のフドレイといい、ロシアにはいったいどれだけの優秀な女性歌手が存在するのだろうか。エネとの長大な愛の二重唱はトリスタンとイゾルデのそれを彷彿とさせ、心に染みた。  

 ローマの建国を宿命づけられているエネは、後ろ髪を引かれる思いでカルタゴをあとにする。それを知ったときのディドンの怒りと悲しみ。その激しい感情の表出は、『魔笛』の夜の女王、また『ローエングリン』のオルトルート、『マクベス』のマクベス夫人を思い起こさせる。自害の場面もまことに劇的である。1000年後に出現するカルタゴの英雄ハンニバルの名を叫びつつトロイア人を呪い、ローマの繁栄を幻視するなかで絶望の淵に落ちる。セメンチュクの独壇場である。  

 しかしながら、14日の上演の立役者は、なんといってもゲルギエフだろう。途中20分間の休憩をはさんだだけの約4時間の長丁場を、少しの緩みも見せず演奏しきった。指揮棒を持たず、いくぶんギクシャクした腕の動きで音楽を伝えるのだが、舞台側面の向かって右上段の席からはその指揮ぶりがよく見える。開かれた両手の指が痙攣するように小刻みにふるえる。その動きにわずかな変化が認められると、直後に音楽は微妙な変化を遂げる。そしてその姿勢に極端な動き生じると、ベルリオーズの壮大な音楽が鳴り響く。精妙かつ力強いオーケストラが素晴らしい。『トロイアの人々』の劇的で勇壮な音楽は、ゲルギエフにこそふさわしい。

《トロイアの人々》 
2011年2月14日 サントリーホール

エネ:セルゲイ・セミシュクール
カサンドル:ムラーダ・フドレイ
ディドン:エカテリーナ・セメンチュク
アンナ:ズラータ・ブリチョーワ
コレープ:アレクセイ・マールコフ
アスカーニュ:オクサナ・シローワ
ヒュラス:ディミトリー・ヴォロパエフ
パンテ:ニコライ・カメンスキー
ナルバル、プリアムス他:ユーリー・ヴォロビエフ 
マリインスキー劇場管弦楽団・合唱団
指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ

作曲:エクトール・ベルリオーズ
原作:ヴェルギリウス『アエネイス』
台本:エクトール・ベルリオーズ

2011年2月28日 j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その35

2011-01-14 22:28:39 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その35


          日本映画の最高傑作『浮雲』
                   
―高峰秀子を追悼する
 

 昨年の暮れ28日に高峰秀子が亡くなった。享年86歳。歳に不足はないが、私の心の奥深くに生き続けている数少ない女優のひとりである。心より哀悼の意を表したい。5歳での子役が初出演というから、1979年、55歳で銀幕を引退するまで、じつに50年の長きにわたる映画人生だった。出演作品も169本にのぼるという。そして特筆すべきは、1945年の終戦の年には22歳であったという事実である。それからの約20年間、日本映画は黄金期を迎える。高峰秀子は女優として最高の位置にいたといえる。じじつ、衣笠貞之介、小津安二郎、五所平之介、豊田四郎、木下恵介、成瀬巳喜男などの錚々たる監督の映画に出演することになった。この時期私はまだせいぜい中学生で、残念ながらこれらの作品をリアルタイムで観ることはできなかった。いまはない銀座の並木座で、あるいは京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで、そのうちの何本かを観た程度である。  

 成瀬巳喜男の『浮雲』を観たのは20年近く前の並木座で、ラストシーンの余韻に浸る間もなく館内の照明が点灯したことをよく覚えている。昨今の映画はエンディングにまで気を配っているため、受けた感動を十分鎮めることができる。昔の映画はその点まことに淡白で、『浮雲』のように最後の場面に感情の盛り上がりを見せる映画だと困ってしまう。私は流れる涙をそのままに、夜の銀座の街を歩くはめになった。それにしても私はなぜ、それほどの感動をこの映画から受けたのだろうか。これこそ日本映画史上最高の作品だと興奮したのだった。そしてその評価はいまだに変わっていない。  

 「真実だけが人を治療でき、癒すことができる」。これは下北沢の〈東京ノーヴィ・レパートリーシアター〉の演出家レオニード・アニシモフが紹介してくれたチェーホフの言葉だが、そのままこの『浮雲』にも当てはまるように思う。冬の曇天が画面全体を覆っているような、ある意味で陰鬱でやりきれない映画なのだが、生きることの真実を静かに伝えている。人は誰でも、生きていく過程で愛を求めざるを得ない。そのことは喜びをもたらすだけではなく、苦しみや哀しみの根源ともなる。女性関係にだらしなく、生活能力のない男を愛してしまったゆえに不幸のどん底に落ちていくひとりの女性――その哀しい愛の顛末が観る者の心を癒すというパラドックス。  

 この映画の成功は、なによりも高峰秀子と森雅之という類稀な名優を起用したことにある。誇張のない、静かで自然なふたりの演技は、この映画に確かなリアリティをもたらした。スタニスラフスキーの理論を知っていたかどうかはわからないが、彼らはまさに役を「生きて」おり、「演じて」いるのではなかった。高峰秀子の自然な演技は、かの杉村春子を賛嘆させたようだし、高峰は森を評して、「森さんが富岡(この映画の役名)なのか、富岡が森さんなのかわからなくなった」とまで言っている。富岡の、女性を窃視する目の艶っぽいこと。カメラはさりげなくその表情をとらえる。表情の豊かさ、そして視線、これがふたりの演技のすべてである。  

 あらゆる価値が転倒した戦争直後の日本社会。その「時代」もこの映画の重要な要素である。高峰演じるゆき子はインドシナから引き上げてくるが、農林省のタイピストだった彼女にも職が見つからない。富岡たち男でさえ食うや食わずの状況である。彼らはそれまでは考えられもしなかった手段で一山当てようと試みる。山師の跋扈である。このような状況下で女性がひとりで生きていく道はほとんど閉ざされていた。ゆき子は外人相手の娼婦にまで落ちていく。  

 屋久島での大団円は、南の風土を巧みに取り入れ、とりわけ印象深い。富岡は農林省に再雇用され、屋久島勤務を命じられる。ゆき子は強引に彼に従うが、鹿児島で体調を崩して寝込むことになる。数日後病の癒えぬまま屋久島に向かい、途中小舟に乗り換える。降りしきる雨。レインコートで身を覆い、ふたりは寄り添う。地のはてまで漂うことで、ようやく得た小康である。しかしゆき子は、屋久島にたどり着いてわずかの間に帰らぬ人となる。仕事で山に入っていた富岡が雨のなかを戻ったときには、すでにゆき子の息は絶えていた。集まった仕事仲間たちを帰した富岡は、ひとりゆき子の傍らに座し、その唇に紅を刷く。ランプのかすかな光に浮かび上がるゆき子の死に顔はあまりに美しい。たまらず富岡は慟哭する。その涙は、彼らふたりの哀しみを確かに浄化したのだった。  

 好きな外国人男優はと問われて、高峰秀子はジェームズ・スチュアートの名を挙げた(「主婦の友」、1954年11月号)。問うた三島由紀夫が驚いたほどにそれは意外な答えだったが、幼少期より苦労を重ねてきた彼女にとって、誠実さはかけがえのないものであったにちがいない。その対談の翌年、行く場所が定まらず苦悩したゆき子に比して、彼女は31歳で松山善三と結婚する。70歳代半ばのとき、一番幸せだと思う時はと質問された高峰は、外出した松山が家に帰ってくる時と答えている(「別冊太陽」、1999年)。幸せな晩年が彷彿されるようだ。

1955年 日本
監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子
脚本:水木洋子
撮影:玉井正夫
出演:高峰秀子、森雅之、山形勲、岡田茉莉子、加東大介、中北千枝子、金子信夫

2011年1月13日 
j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その34

2010-12-13 19:55:14 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その34


        現代に息づくバッハとモーツァルト
             アーノンクール最後の日本公演
 

 現在の古楽隆盛の礎を築いたのは、オランダのグスタフ・レオンハルトとオーストリアのニコラウス・アーノンクールである。この二人は、200曲近くもあるバッハの教会カンタータを、18年かけて全曲録音するという偉業を成し遂げた。1970年から88年にかけてのことであり、古楽器の全集としては最初のものであろう。我が家には全曲揃っているわけではないが、彼らの指揮するカンタータは比較的よく聴くCDのうちのひとつである。  

 レオンハルトはこの20年間たびたび来日し、私も2度、その端正なチェンバロ演奏に接することができた。フォルクレ、ベーム、クープランなど普段あまり耳にすることのない作曲家の音楽を愉しむことができたのも、レオンハルトのおかげである。しかしアーノンクールは来日の回数が極端に少なく(1980年と2006年のみ)、いままで実演を聴く機会はなかった。その彼が最後の日本公演を行うというので、これは何としても聴かねばなるまいと、バッハの『ミサ曲ロ短調』を聴きに出掛けた。  

 カトリック教会のミサの式文をもとにしているミサ曲は、どの作曲家のものであっても内容は同じである。すなわち、〈キリエ〉( あわれみの賛歌) , 〈グロリア〉( 栄光の賛歌) , 〈クレド〉 (信仰宣言) ,〈サンクトゥス〉(感謝の賛歌) ,〈アニュス・デイ〉(平和の賛歌)の5曲一組で構成されている。歴史をさかのぼると、その嚆矢は14世紀フランスのギヨーム・ド・マショーの『ノートルダム・ミサ』であるという。15世紀のギヨーム・デュファイ、16世紀のジョスカン・デ・プレ(いずれもフランドル)、パレストリーナ(イタリア)などが名曲を残している。  

 バッハの『ミサ曲ロ短調』はその伝統に連なるものだが、先行の作品群とは一線を画している。オーケストラが加わって規模が大きくなり、アリアや重唱が合唱とともにミサの式文を歌う。そのような楽曲構成上の差異もさることながら、表現そのものがはるかに多様になっている。例えばジョスカン・デ・プレの多声の扱い方はギヨーム・ド・マショーに比べると複雑で、ア・カペラの合唱の響きは天国的な美しさである。しかし式文間の差異はそれほどなく、現代人の耳にはどうしても単調に聴こえてしまう。それから200年を経たバッハ作品の豊穣さには、これが同じジャンルの曲なのかという驚きすら覚える。17世紀以降、オペラという新しい分野の出現もあり、西洋音楽のあり方に大きな変化が生じたであろうことも実感させられる。  

 バッハの音楽の豊穣さは、神への強い信仰心と、普通人としての日常生活の哀歓とが、稀有なかたちでひとつになったところから生まれたものではないだろうか。弦楽器や管楽器のソロを伴って歌われるアリアや重唱の透明感極まりない美しさも、人間、それも心優しい人間の高い香りがする。オペラを指揮して聴く人の心を惑乱させるアーノンクールは、人間の心をよくとらえている。神を賛美する人の心の表現も、聴く者が容易に納得できるものである。平常でありながら崇高。心は高揚し、またしみじみと慰められる。

 もう30年以上も前のこと、モーツァルトの『レクイエム』がFMラジオから流れてきたことがあった。聴きなれているものとは異なった素朴な響きとともに、声楽の扱い方に強い印象を受けた。声をまるで楽器のように操っている、と感じたのだ。古楽器について、またアーノンクールという名前についても、そのときはじめて知ったのだった。「声を楽器のように操る」とは、声とオーケストラが一体であるということである。実演を聴いて、私は、遥か昔の第一印象をまざまざと思い出した。ソプラノのレッシュマンもテノールのシャーデも、現代有数のオペラ歌手である。彼らソリストも合唱団も、完璧にアーノンクールの手の内にあった。しかも表現意欲にあふれた歌いぶりである。類い稀なこの均衡こそ、アーノンクールの音楽の真骨頂であろう。

 〈グロリア〉のあとの休憩時間、私は会場でモーツァルト・プログラムのチケットを購入した。『ミサ曲』の前半を聴いてすでに深い感動を覚えた私は、アーノンクールのモーツァルトを是非この耳で聴いてみたくなったのだ。CDに録音された彼のモーツァルトにはいささか違和感を持っていた。ブルーノ・ワルターの流麗なモーツァルトを聴き慣れていた耳には、刺激的な音が多すぎたようだ。80歳を過ぎて、彼のモーツァルトはどのように変貌を遂げているのか、興味は尽きなかった。

 それは衝撃的なモーツァルトだった。とりわけ後半の『ハフナー交響曲』には心底圧倒された。まさにアーノンクール節満開で、円熟という言葉を軽やかに吹き飛ばしてくれた。例えばCDでは恣意的と感じられた第3楽章メヌエットの冒頭部分は、実演ではさらに強調されたものとなったが、不自然さは微塵もない。そこは確かにそう演奏されなければならないと、大いに共感したものだった。リズムはまことにしなやかで、数え切れないほど演奏を重ねているだろうこの曲を、どうしてこのように新鮮に響かせることができるのだろうと、驚嘆するしかなかった。

 2つの音楽会を通して、アーノンクールは、CDやDVDなどの小さな枠には収まりきれない、真に偉大な音楽家であることを強く認識させられた。そして、その彼がもっとも敬愛する音楽家がバッハとモーツァルトであることを知り、彼への共感の思いはさらに深まったのであった。

 

2010年10月26日  サントリーホール
バッハ『ミサ曲ロ短調』

ソプラノ:ドロテア・レッシュマン
メゾ・ソプラノ:エリーザベト・フォン・マグヌス
メゾ・ソプラノ:ベルナルダ・フィンク
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:フローリアン・ベッシュ
アーノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス

2010年11月2日 東京オペラシティコンサートホール

モーツァルト『セレナード第9番ニ長調K.320〈ポストホルン〉』
『交響曲第35番ニ長調K.385〈ハフナー〉』
ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス

2010年11月29日 j-mosa


楽しい映画と美しいオペラ―その33

2010-10-22 02:24:48 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その33

 

                 
 
         衝撃的な〈日本の美〉
               ――東京国立近代美術館「上村松園展」

            

              

  今回のテーマは日本画家の上村松園で、映画ともオペラとも関係はない。しかし背景となるドラマ性において、松園の絵は2つのジャンルの芸術とも共通性を持つように思う。私は時に美術展に足を運ぶが、それはダ・ヴィンチであったりフェルメールであったりで、じつのところ日本画とは縁が薄かった。浮世絵はまだしも、近代日本画ともなればほとんど初めての体験といっていいかもしれない。戦後の日本の教育の貧しさは、いまだに私という存在に影を落としている。この「上村松園展」も、友人からチケットが回って来なければおそらく行くことはなかったと思われる。

 

 「上村松園展」は、私の心に予想もしなかった衝撃を与えた。この展覧会は前期と後期に分かれていたが、そのそれぞれに私は東京近代美術館を訪れたのである。上村松園のいったい何が、私の心をそれほど虜にしたのだろうか。一言でいえば、〈日本の美〉の大きさと深さに圧倒されたということになるが、ことはそれほど単純ではない。

 

 松園の描く美人画の対象は、江戸から明治にかけての女性である。あでやかな着物姿はそれだけで心惹かれるが、たとえば後期の作品《夕暮》や《晩秋》には作者の母親への想いがこもっていて、穏やかで落ち着いた情緒が心を打つ。障子を開け夕陽を頼りに針に糸を通そうとする女性(《夕暮》)、障子の破れを花形に切り抜いた和紙で繕おうとする女性(《晩秋》)。そのたおやかな美しさは、松園の母親と二重写しになって、私に亡母の姿を思い起こさせる。その美しさは、〈日本の美〉というより他にいいようがないと実感した。

 

 明治生まれの私の母は、日常生活をほとんど和服で通した。呉服商を営んでいた父ももちろんである。私は第二次大戦後の混乱期に生まれたのだが、高度経済成長期まではどこの家でも和服姿が見られたものだ。まことに残念なことに、私はその姿を美しいなどと感じたことはなく、不便なものを着ているなと思ったくらいである。私の親の世代と私の世代には、深い断絶があるのだ。親の世代は、明治時代はもちろん、江戸時代あるいは室町時代の伝統を背負っている。その伝統が、これほどに美しいものであったとは!

 

 松園の代表作《序の舞》も後期の作品である。これから舞を始めようとする女性のきりりとした表情も印象的だが、緋色の着物とあでやかな帯、とりわけ金糸で鳳凰を縫いとった帯の質感には圧倒された。あの絢爛豪華な糸の立体感は実物でしか体験できない。カタログはそれなりに再現性を高めてはいるものの、質感においては実物の一割も表現しえていない。絵画は実物を観るべし、音楽は実演を聴くべしとつくづく思う。それにしても溜息の出る美しさである。

 

 中期の作品、《舞仕度》《娘深雪》、それに有名な《花がたみ》と《焔》。松園の技量はすでに十代から余人に抜きん出ていたようだが、それでも初期の作品には表情が乏しい。絵に深みが増してくるのは明らかに中期以降である。《舞仕度》と《娘深雪》に溢れる湿潤とした情緒。頬を染め、恥じらいを見せる女性の表情は、心に秘めた恋情をうかがわせる。《花がたみ》となると心は恋に狂い、《焔》の六条御息所は怒りと嫉妬に身を焦がしている。頭髪を咥えざまに、観る者を狂おしく振り返るその表情は凄惨という他はなく、着物に描かれた蜘蛛の巣は嫉妬の深さをいや増している。それでいて、何という美しさであろう。

 

 四十歳前後の中期作品は、松園芸術のひとつの頂点だろう。力を振り絞って《焔》を描き上げたあと、松園は深刻なスランプに陥ったという。そこから脱して第二の頂点を極めるのが、六十歳の前後ということになる。生活の面でも精神の面でも松園を支え続けた母親を見送ると、その視点は平凡な日常に向かった。そしてそこから、おそらくかつて誰も表現したこともない、深く優しい〈日本の美〉が生まれたのだと思う。私がもっとも感動したのは、他でもない、この美しさである。

 

 

東京近代美術館 
「上村松園展」

2010年9月7日~10月17日

 

2010年10月18日 j-mosa

 


楽しい映画と美しいオペラーその32

2010-09-11 07:02:05 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その32


      
     〈喜びの島〉は存在するか?
         アンゲロプロス『シテール島への船出』


 酷暑の8月末、NHKのBSでテオ・アンゲロプロスの作品が何本か放映された。このギリシアの巨匠について知るところはきわめて少ない。代表作と言われている『アレキサンダー大王』は未見だし、世界的な評価が高い超大作『旅芸人の記録』の記憶もはなはだ覚束ない。その他数本は観ているはずだが、私の心に確と刻印された作品は少ないのである。しかし今回放映された作品のひとつ『シテール島への船出』は、深く心打たれるものがあった。

 映像から風土性が立ち昇ってくる映画には優れた作品が多い。この『シテール島への船出』もそのうちのひとつだろう。少し前に取り上げた『パンドラの箱』ともその風土性は似通っていて、それはギリシアがトルコと隣接しているゆえのことだろうか。波静かな海に面した、近代化されつつある都市。それが自然を侵食する彼方には山々が聳えている。2つの映画の舞台はともに、その都市と山である。

 『パンドラの箱』では、山は現代文明に対峙する自然豊かな存在として描かれていた。しかし本作品の山は、すでに下界の俗世間の垢に染まりつつある。山全体がスキー場として開発されようとしているのだ。32年ぶりにロシアの亡命から帰国した主人公スピロは、ただ一人それに反対する。その姿はまるでドン・キホーテだが、しかし、自然破壊と開発はこの映画の主なテーマではない。

 この映画が製作された1984年から遡ること30数年、即ち第二次大戦直後、ギリシアは左右両派の対立で内乱の状態にあった。山深い村でもその対立は激しく、混乱は51年まで続く。その年右派が政権を握り、スピロはロシアに亡命する。この映画は、そのスピロがロシアから帰国するところから始まる。81年の10月にはギリシア初の社会主義政権が誕生しているが、スピロが帰国したのはおそらくこの頃である。もっともこの映画では、以上の歴史的な背景は一切省略されている。観る者には、物語の展開に従ってその背景がおぼろげに理解されてくるにすぎない。

 ユリシーズよろしく長年の放浪から帰還したスピロを待ち受けているのは、息子のアレクサンドロスと娘のヴーラ、それに妻のカテリーナである。彼らはすでに山を下り、都市での生活が長い。スピロを隔てる32年という歳月を彼らがいかに受け止めるのか。この映画の主要なテーマは「時間」ということになる。

 歓迎に集まった昔馴染みたちとも家族とも意思が通じず一人ホテルに泊まったスピロは、翌日アレクサンドロスの車で、妻、娘ともども山に向かう。彼らの山の家はまだ存在しており、開発業者への売却話が進んでいた。山全体をスキー場にしようというこの売却話は、1軒でも反対があればご破算になる運命にあった。スピロは反対する。荒れるに任せてあった自らの土地に一人鍬を揮う。

 戦後の動乱期、スピロたちは山に立てこもり権力に抵抗した。多くの村人たちにとっては禍のもとでしかなかったスピロが、32年を経て、再び混乱を村に持ち込むことになったのだ。娘は父親を勝手だと責める。彼が亡命した後いかに母親が苦労したかを物語る。ロシアでも子どもを二人儲けているスピロは一言もない。しかし抵抗をやめるつもりはない。そんなスピロに、妻カテリーナは寄り添う決心をする。スピロの山への愛着は32年の歳月を無視するものであったが、カテリーナのスピロへの思いもその歳月を超越したのだった。

 しかし戦後30数年という歴史は、その間不在のスピロの力及ぶところではなかった。雪の激しく降る日、スピロとカテリーナは村を追放される。国籍のないスピロは、ギリシアという国からも追放される運命にある。ソ連行きの船に彼を乗せようとして失敗し困り果てた当局は、小さな浮桟橋にスピロを乗せ沖に係留する。カテリーナはその浮桟橋で彼と行動を共にしようとする。一夜明けた小雨の降る朝、二人は係留の綱を解き放ち、沖に向けて船出する。明日をも知れぬ船出であるのだが、二人の決意は固い。シテール島、あるいは〈喜びの島〉に向けて旅立ったのだろうか。  

 シテール島は海で生まれた美と愛の女神アフロディテ(ヴィーナス)が最初に上陸した島だと言われている。ギリシア名で「キティラ」、フランス語読みで「シテール」という。ペロポネソス半島南端のラコニア湾の沖合に浮かぶ小さな島である。ギリシア神話では愛と快楽の島ということになっている。この神話に材を求めた絵画作品で有名なのがヴァトーの《シテール島への船出》である。そしてドビュッシーはこのヴァトーの作品に霊感を得て《喜びの島》なるピアノ曲を作曲した。私は残念ながら未聴。  

 身勝手な父親を許すことができなかった娘のヴーラは、身体の感覚しか信じることができず、行きずりの男と刹那的なセックスを繰り返す。成功した映画監督である息子アレクサンドロスも、その家庭に平和があるようには見えない。社会に対しても確たる態度をとることができず、親の行動をただ見守るだけである。〈喜びの島〉が彼らの想念に浮かんでくることは、まずないのであろう。アンゲロプロスはこうして、私たちの時代の不幸をも描いたのである。

1984年 ギリシア・西ドイツ・イギリス・イタリア
監督・脚本:テオ・アンゲロプロス
脚本:タナシス・ヴァルティノス、トニーノ・グエッラ
撮影:ヨルゴス・アルヴァニティス
音楽:ヘレン・カレンドルー
出演:ジュリオ・ブロージ、マリー・クロノブルー、マノス・カトラキス、ドーラ・ヴァラナキ

2010年9月3日 
j-mosa