一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

19 日のコンサートに寄せて

2008-04-26 11:28:41 | 活動内容

 「世界音楽入門&西村朗の夕べ」レクチャー・コンサートに寄せて 

北沢方邦先生                     

                       浦 達也                

                                      2008年4月23日                                                 

 謹復 

 今回は4/19の「レクチャー・コンサート」にお招きいただき誠に有難うございました。長時間になるためレセプション・交流会だけは体調調整のため別場所で休養してましたが、第一部・第二部とも通してばっちり「世界音楽」 提唱の北沢哲学(新しい知の方向、ゲーテ→ベートーヴェンを踏まえた)と、天才作曲家・西村朗さんを中心に据えた最前線の表現者たちの実演が聴衆をも 巻き込んで見事に交差交流しあう、この大饗宴を堪能しました。と同時に予測 をはるかに超えた「事件」ともいうべきこの瞬間にこの場所に立ち会えて本当 に良かったです。深謝しています。

 世界の初めの「訪れ」は「音連れ」であったとも言われていますが、「世界音 楽」という概念は「音楽」というより更に初原的で多様性のある「音」とか「振動」そのもののように感じました。(僕の大好きなENYAの曲にも似ています)。

 なお第二部の冒頭で北沢先生がレセプションで「“主観性”をネガティブに捉えすぎていないか?」という質問が出たことに対して丁寧に説明をしてくださり、実は僕も同じ疑問を持っていたのでその真意がよく分かりました。他のことは第一部のレクチャー&対論(構成が巧み)でよく分かり、ドビュッシーと バルトークの演奏でその「現代性」や「宇宙観」が体感できました。

 第二部は文字通り「西村朗の夕べ」となり、これが滅茶苦茶(最高の褒め言葉)に楽しい(というより楽しすぎる)。ハップニングすら楽しい(失礼)。何より演奏者が凄い。超一流のピアノだ。超技巧も何だか楽しみながら心身一体で舞い踊っているようだ。顔も楽しい上野信一門下のパーカッション・グループのお姉さんお兄さんも師匠同様に元気一杯喜び一杯。僕も一緒に叩きたくなった(こんなことを思ったのは初めて)。金管楽器の方がより霊的世界への参加感を誘う。

 代わりに精一杯の拍手(とブラヴォー)。しかし西村さんは北沢先生同様に観客席でも舞台に上がってもクールだ。そこがまたいいのだ。お二人からは詩のような素敵な言葉やレトリックも沢山いただいた。知も血も音を連れて舞い共鳴しあった夢の饗宴は20時に終わった。その余韻はいまなお続く……

        嬉しかった。 
        楽しかった。
        久しぶりに哲学と音に酔う。

                                                謹白

※ご両者の了承を得て私信を掲載しました。浦達也氏はNHKの元チーフ・ディレクター。教授だった江戸川大学を拠点に、東大などでメディア論を講義。著書に、『実感の同時代史』(批評社)など。

〈身体性〉とは? 第1回 (4回連載)

2008-04-10 22:54:59 | 〈身体性〉とは?

 

4回連載(毎月10日掲載)■青木やよひ

 

1. 人間にとっての自然
 
 
生まれ落ちた人間が最初に環境を認識するのが、視覚によってなのか聴覚によってなのか、あるいは触覚によってなのかはわからないが、いずれにせよ五感によってであることはたしかである。つまり、人は身体を通してしか環境を認識しえないのである。逆にいえば、人間にとって世界とは、さまざまな色彩や形態や肌ざわりや、あるいは音やにおいや味によって成り立っている。したがって人は、感覚ぬきに、つまり身体を無視しては真の知性を獲得できないと言える。

 もちろん、数字や図表や活字などのような二次記号が、かつて体験した世界を喚起する動機となり、それを再認識し、またその体験を他者に伝達する手段として役立つことはたしかだろう。しかし、それを可能にするのは、その人自身が積んだ感覚的体験であり、またそれを共有しうる風土や文化の共通性である。いくら摂氏20度以下、15度以上などという寒暖計の数字を示されても、それ自身で秋や春を現前させうるわけではない。むしろ、なんとはなしに肌寒く、野鳥が鋭く鳴き交わし、木せいの香りがただよってきたりすれば、日本人にとってそれはまさしく秋なのである。  

 感性によるこうした世界の認識と追体験は、豊かな心象風景となって、人生の深い洞察へと人を導いてゆく。芭蕉の句―「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」などは、象徴性をともなったその見事な典型であろう。したがっておそらく人間の内面的成熟とは、植物の果実と同様に、自然による感性の開花とその絶えざる活性化のプロセスなしにはありえないにちがいない。だから、人間にとって植物や動物や小鳥たちや、あるいはそれらを含みこんだ四季の変化が必要なのは、単にそこから生活資料をうるためではなく、みずからの可能性を深く耕し、それぞれの個性を成熟させるためなのである。  

 現代のわれわれの日常世界は、残念ながら、こうした人間の成熟からは日に日に遠ざかる方向にむかっている。際限なく肥大する産業社会の要求によって、自然環境が無惨にも破壊されるだけではない。たとえよい環境が残されたとしても、絶えまない「進歩」への強迫観念にとりつかれてしまったわれわれは、自然と静かに心を通わせるゆとりを失っているからである(*)。それは二重の意味で、人間に己れの発見と成熟を困難にしてゆくにちがいない。 

(*)社会的にも個人的にも、近代化のモデルを設定し、それを次つぎとレベル・アップしてゆくことが、勤勉な人間の人生目標であり、社会に貢献する方法であるとする考え方が私たちにはある。それを支えているのは、個人的な楽しみを満喫したり、自分の可能性を十二分に開花させたりすること、つまりエロス的な生き方を悪とする禁欲思想である。

これは、1983年に「女性性と身体のエコロジー」として、編著『フェミニズムの宇宙』に発表したものの一部です。次回からの3篇も同じく、その280~293頁までの抜粋です。25年前の、いわば「プレイ・バック」篇ですが、〈身体性〉という概念を理解するのに役立つのではないかと思い、紹介させて頂きました


北沢方邦の伊豆高原日記【40】

2008-04-08 01:07:31 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【40】
Kitazawa, Masakuni

 ソメイヨシノはかなり散り、満開時の華やかさはないが、ヴィラ・マーヤの裏庭の白山桜をはじめ、山桜がその盛りを迎えている。みずからの若葉や芽吹きはじめた雑木の狭緑を背景に、裏山のそこここに白い泡のように天空に盛りあがる花々の姿は、朝日あるいは夕陽を浴びて幻想的でさえある。メジロ、ヒワ類、ガラ類、ヒタキ類など野鳥の囀りも華々しく、春を謳歌している。

 夜、いつもは冬の寒夜に鳴くフクロウが、めずらしくくぐもった神秘な声を聴かせる。

 花闇にフクロウの鳴く春の宵

ティベットの悲劇

 北京オリンピックにあわせて、ティベット自治区をはじめとするティベット人居住地域で、中国政府や漢民族に対する大規模な暴動が起こり、多くの犠牲者をだして鎮圧されつつある。ギリシアでの聖火採火式をはじめ、ヨーロッパの各地で聖火リレーに対する妨害が起き、ティベット人だけではなく、人権擁護団体や一般の同調者たちが活動に参加している。ティベットの独立を奪い、彼らの文化を抑圧し、漢民族への同化を強制している中国への世界の怒りは当然である。

 中国や朝鮮半島、あるいは東南アジアをめぐる過去の「歴史認識」を明確に清算していないわが国が、中国をきびしく非難するには若干のためらいがあるが、その自覚のうえで、やはり人種差別や異文化の抑圧には批判の声をあげなくてはならない。

 約30年前、まだ文化大革命下の中国を訪れたことがあるが、一面「貧しくても平等」の徹底を追い求めるその姿に感銘を受けはしたが、延辺朝鮮族自治州を訪問し、中国政府の少数民族政策がまったく誤っているのをみて、衝撃を受けたことがある。

 つまりそれは、かつてアメリカ合衆国政府やオーストラリア政府が、アメリカ・インディアンやアボリジニーのひとびとに対して行った「同化政策」であり、共産主義イデオロギーに裏打ちされたより徹底した強制という惨状であった。これらの政府がこの過去の誤りを認め、彼らに正式に謝罪し、次々に彼らの存在権や文化の復権を認める政策を打ち出しているこの21世紀に、ティベットやウィーグル自治区でいまなお文革時代の強制政策を継承しているのを見るのは、怒りを超えてその非人間性に恐怖を覚える。

 朝鮮族自治州では、自治州とは名のみ、漢民族の大々的な移住で人口比率を大幅に変え、朝鮮族の幹部をさしおいて漢民族の幹部が権力を掌握し、漢民族優先の開発を行っていた。もっともひどいのは教育であった。小学校から朝鮮語は禁止され、歴史の授業では朝鮮半島の歴史はいっさい教えていなかった。

 ある夕べ、首都延辺で観劇に招待されたが、上演された京劇風のパフォーマンスは、革命中国の誕生や人民解放軍を称えるものばかり、やっと「白頭山に太陽が昇る」という歌が登場したので、「白頭山に太陽が昇る、金日成という太陽が」とうたうのかと思ったら、なんと「白頭山に太陽が昇る、毛沢東という太陽が」という歌詞に驚きあきれ、思わず隣に坐っていた朝鮮族の通訳氏の顔をみた。だが彼は仮面のように無表情であった。中国語・朝鮮語・日本語を通訳するこの下級幹部は、その深い眉間の皺が物語るように、一生涯日本と中国という二つの「主人」に仕え、その苦渋を顔に刻んできたのだ。

 朝鮮族は人口も少なく、この抑圧的同化政策にひたすら耐えているようにみえたが、人口も多く、かつて独立国であったティベットや、勇猛な戦士であったウィーグルのひとびとにとっては、忍耐も限度であったにちがいいない。ダライ・ラマ14世が独立ではなく、ティベット文化を保全する「高度の自治」を求めているいまこそが、対話と政策転換の好機なのだ。それを行わないかぎり、ティベットやウィーグルの若者たちは先鋭化し、アルカイダなどと連携する武装闘争に走ることとなるだろう。それは独自の非暴力的仏教文化を築いてきたティベットにとっても、文化的自殺行為にほかならない。


ブータンよ、おまえもか

 地球上の最後の秘境、この世のシャングリラ(架空の楽園)とたたえられ、前世紀の終りから「伝統と共生する近代化」という独自の道を探ってきたブータンが、いま大きな転換点にさしかかっているようだ。ひとつは王国創設百年を記念して(2007年であるが、占いにしたがって2008年に延期したという)議会制民主主義を導入し、立憲王制に移行する措置である。これも国王の主導で、国民の多くは議会制など必要がないと考えているが、それ自体はよい改革といえよう。

 問題は、テレビやインターネット、携帯電話などの解禁によるグローバリセーションの波涛が、首都を中心に襲いかかりつつあることだ。若い世代がその波に飲みこまれはじめている。たとえば外出には民族衣裳(男はゴー、女はキラ)の着用が義務づけられているが、家に帰るやいなやそれを脱ぎ捨て、Tシャツ姿で外国のテレビ・ゲームに熱中するといった風景である。

 明治の近代化、あるいは敗戦後のアメリカ化に直面した日本の姿に似ているが、ゴーを脱ぎ捨てるように彼らがやがて、ブータンの伝統文化や種族的アイデンティティを脱ぎ捨ててしまうのではないかと危惧せざるをえない。国王や議会がこの難しい舵取りを誤らないようにと願うばかりである。

 それとともに気になったのは、このシャングリラにも、人種差別や異文化の抑圧が存在しているという事実であった。すなわちその対象は、王国の南部の低地帯に居住し、また労働者として首都などの都市にも多く住むネパール系のひとびとである。ヒンドゥー教徒の彼らの宗教儀礼は禁止され、民族衣裳の着用も許されず、ゴーやキラを強制されている。職業も差別され、公的な職につくことはできない。一時期内戦によるネパールからの難民が急増したが、彼らは差別と生活苦にあえぎ、さらにインドなどに避難するという。

 ブータンよ、おまえもか。この地球に、人種差別や異文化抑圧のない国などは存在しないのか。と、ただ頭を抱えるのみであった(The National Geographic, March 2008;Bhutan’s Enlightened Experimentを読んで)。