一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【131】

2012-09-24 18:16:24 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【131】
Kitazawa, Masakuni  

 急に秋の気配だ。蝉時雨も終わり、野鳥たちのにぎわいも遠く、ただイソヒヨドリの美しい囀りだけが樹々にこだましている。秋の虫の声も、その種類が年々少なくなっているような気がする。もはやマツムシの涼やかな音やクツワムシの賑やかなお囃しはまったく聴こえなくなった。

資源帝国主義  

 尖閣諸島をめぐって日中間に危険な火花が散りはじめた。尖閣諸島は、琉球王国(確かに中国は属国とみなしていた)以来沖縄の漁民たちが利用してきた島であり、明治以後沖縄県の創設によって自動的に日本の国土に編入され、わが国固有の領土となったことはいうまでもない。領有権をめぐる争いが近年にわかにさわがしくなってきたのは、漁業権の問題だけではなく、領海に天然ガスや希少金属(レアメタル)、希土類(レアアース)などゆたかな海底資源が眠っていることが明らかとなってきたからである。  

 近代、とりわけ19世紀は、植民地の争奪をめぐる古典的な帝国主義の時代であった。基本的な自給自足や国内・国際交易によってそれぞれ独自の文明や文化にもとづく豊かさを味わっていたアジアやアフリカの国々は、植民地化され、固有の経済体制を破壊され、富を収奪されて恐るべき貧困や政治的抑圧にあえぎ、苦しんだ。  

 日本軍による真珠湾の奇襲にはじまる太平洋戦争勃発の直後、当時の合衆国大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトが息子に語った有名なことばが記憶されている。「いいかいエリオット、たとえフランスやイギリスやオランダの近視眼的貪欲のためではなかったとしても、今夜でも太平洋でアメリカ人たちがそのために死んでいるなどとけっして考えてはいけないよ」と。つまり太平洋戦争の遠因としてヨーロッパの帝国主義を暗に批判し、アメリカはそのために戦っているのではないといっているのだ。  

 第2次大戦の終結と、その後の多くの独立戦争などによって植民地の解放がおこなわれ、古典的帝国主義は消滅した。だがそれに代わって旧植民地の資源を安く買い、加工製品を高く売る先進諸国の経済的「新植民地主義」が、いわゆる新興諸国の台頭まではつづいてきた。だが20世紀末の情報技術の飛躍的発展は、さらにそれに代わって資源帝国主義の戦いともいうべき状況を現出させはじめた。

 資源、いまやそれは石油やウラニウムに代わってシェール・ガスを含む天然ガス、そして希少金属や希土類だ。いまや各国政府やエネルギー多国籍企業はその探査と開発に血眼になっている。尖閣問題もこの資源帝国主義の文脈でとらえなくてはならない。暗に尖閣を想定したグアム島での日米特殊部隊・海兵隊の合同訓練も、また逆に中国の強硬姿勢もこの文脈のなかにある。  

 それにしても、領土問題が存在するとき(日本政府はないといっているが事実上はある)、最良の方法は、ひそかに静かに実効支配をつづけていることである。たとえ日本人であろうと尖閣諸島への上陸には政府の許可が必要という方策は、わが国の自制姿勢を示していてよい。また小さな若干のトラブルを除き、中国大使館へのデモや中国人へのいやがらせも起きなかったことは、わが国の市民の成熟度を表したといえよう。この点で私はまたもや日本人であることに誇りをおぼえた。  

 だが中国で起こった今回の激烈なデモや日系諸企業の焼打ちなど、あるいは中国政府のかつてない強硬姿勢などは、ナショナリスト石原都知事が仕掛けた都による尖閣購入計画が発端であり、国が国有化という手段を取らざるをえないところに追い込んだ結果である。日系諸企業がこうむった大きな損害は、問題の火付け役石原慎太郎氏個人に請求すべきである。


9月29日 レクチャーコンサート「グエン・ティエン・ダオの世界」

2012-09-22 06:48:05 | コンサート情報

2012年9月29日 レクチャー・コンサート

グエン・ティエン・ダオの世界
情報を更新しました!

INORI 3・11東日本大震災の犠牲者へのオマージュ
が世界初演される今回のレクチャーコンサートには、被災された方への割引を設定いたしました。
(詳しくは下記をご覧ください)

 9月28日に行われるダオ関連公演とのセット券も好評発売中です。(詳しくは下記をご覧ください)

国立音楽大学でダオさんのレクチャーも予定されています(演奏はありません)

カンフェティLIVE告知記念 10組20名様ご招待

  インターネットTV「カンフェティLIVE」でこのコンサートについて告知を行なった記念に
10組20名様をこのコンサートにご招待します。ご希望の方はメールで
タイトルに「カンフェティLIVE 招待」として
お名前、ご住所、年齢をnasugiya@nifty.com までお寄せください。

締切は9月25日です。

9月29日(土)午後5時より、
私たち【知と文明のフォーラム】主催によるレクチャー・コンサート

グエン・ティエン・ダオの世界 

を開催いたします。
オンラインによるチケットお求め詳細は
こちらをごらんください。

【知と文明】久々のレクチャーコンサートですが、
今回は北沢方邦だけでなく、
N響アワーの軽妙かつ真摯なトークで定評ある、作曲家西村朗氏、
そして、メシアン最後の弟子の一人として、現代フランス音楽シーンで活躍する、
ベトナム人作曲家グエン・ティエン・ダオをゲストにお招きし、
大いに語っていただく予定です。

世界初演『祈り 3.11』は、
東日本大震災の犠牲者のために書かれた曲で、
死者を悼み、未来への希望を見出そうとする美しい鎮魂曲が、
優しい女声をそっと包むパーカッションの響きにより表現されているとのこと、
大いに期待できます。

演奏するのは
すでに過去のレクチャーコンサートでおなじみのマルチパーカッショニスト上野信一のほか、
フランス在住でダオ氏の信頼も厚い、独特の表現力が魅力的なソプラノ 奈良ゆみ
世界のエレクトーンの第一人者 内海源太

「エレクトーン」になじみのない方、電子楽器として、
ありえない程の発達をとげたその音を聴けば衝撃を受けること間違いなしです。

 どうぞお楽しみに

コンサート詳細
日時 2012年 9月29日(土)  
              午後4時30分開場 午後5時開演
場所 国立オリンピック記念青少年総合センター 
                      カルチャー棟小ホール

プログラム
INORI (祈り)3.11 
東日本大震災の犠牲者へのオマージュ (世界初演)

    ヴォイスとパーカッションのための
  第一楽章【春の平和な陽光】第二楽章【大災害・狂乱】第三楽章【死の世界】第四楽章【レクイエム】

打楽器協奏曲 
テン・ド・グ (日本初演)

ジオ・ドング 
ヴォイスのための

出演
司会・構成●北沢方邦
レクチャー●北沢方邦

    対談●グエン・ティエン・ダオ  西村朗

演奏
ソプラノ●奈良ゆみ
マルチパーカッション●上野信一
エレクトーン●内海源太

参加費 
(全席自由席) 一般3500円  学生2500円


チケットのお買い求め■0120-240-540(平日10-18時) 
              またはチケット販売サイト カンフェティ
お問い合わせ■03-5545-4345(平日9時ー18時)
          または chitobunmei@gmail.com
    (メールにてお問い合わせの場合は「レクチャーコンサート」などタイトルをお付け下さい。)

東日本大震災で被災された方への割引につきまして

被災された方は一般、学生とも500円割引になります。
割引チケットをお求めの方は申し訳ありませんがカンフェティでは対応しておりませんので、
お問い合わせの電話、メールにてお申し込みをお願いいたします

なお「被災した方」とは、東日本大震災で何らかの形で被害を受けたすべての方を指し、
特に証明書等は必要ありません。
電話、メールでお申し出ください。 

★★★★★★★★ 

関連公演について

現代音楽のコンサート企画・実施で定評あるカルチェ・ミュジコ主催の

グエン・ティエン・ダオ コンセールポルトレ
弦楽作品集

    2012年9月28日(金)19時開演
    杉並公会堂小ホール
(JR/メトロ 荻窪駅)



ヴァイオリン 印田 千裕 
 violon Chihiro INDA
ヴァイオリン 花房 照子
 violon Akiko HANAFUSA
ヴィオラ 中山 良夫
 alto Yoshio NAKAYAMA
チェロ 津留崎 直紀
 violoncelle Naoki TSURUSAKI


■ヴィオラ独奏のための スケルツォ・ヴィーヴォ
□SCHERZO VIVO pour alto solo (1999)

■チェロ独奏のための アルコ・ヴィーヴォ
□ARCO VIVO pour violoncelle solo (2000)

■弦楽四重奏曲第1番
□QUATUOR À CORDES nº1 (1991)

※プログラム等は変更される場合がございます。

チケット〈全席自由〉一般  \3000  学生 \2000  児童 \1000
パスリゾーム・会員  各\500引 
助成 公益財団法人アサヒビール芸術文化財団

このコンサートと、29日のレクチャーコンサートの両方に参加される方に、
お得なセット券を販売いたします。
一般5000円
学生3000円
(前売りのみ)

カンフェティでは対応しておりませんので、
「知と文明のフォーラム」および
「カルチエドトンヌ」主催者カルチェミュジコへ直接お申し込みください。)
 

北沢方邦の伊豆高原日記【130】

2012-09-05 07:34:23 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【130】
Kitazawa, Masakuni  

 この夏は各地で猛暑だったようだが、不思議なことに伊豆高原はいつもの夏より涼しく、気温も30度に達する日はついぞなく、とうとうクーラーを一度も使わずに済んだ。こういう夏は晴れていれば海が青く、大島の島影がくっきりとみえ、樹々の間を吹きわたる海風が快く肌をくすぐる。

時代錯誤の「理性」讃歌  

 この日記でも、60年代に高まった近代理性批判が、新保守主義・新自由主義批判とともに近年ふたたび息を吹き返してきたことにたびたび触れた。だがこうした風潮を真っ向から批判し、近代理性や西欧的近代文明が人類を導く至上の価値体系であるという主張が、きわめて挑戦的・論争的に登場し、反響を呼んでいる。  

 進化心理学者スティーヴン・ピンカーの『われらの本性なるより良き天使たち;なぜ暴力は没落したか』(Steven Pinker: The Better Angels of Our Nature; Why Violence has Declined. Viking, New York, 2011)という700頁におよぶ大冊である。この春に書きあげた私の本(仮題『世界像の大転換』)へのきびしい知的挑戦でもあるので、ここで批判しておきたい。  

 すでに年頭に述べたように、今年はジャン・ジャーク・ルソーの生誕300年記念であるが、人類史についての彼の立場は、イギリスの思想家トーマス・ホッブズと真っ向から対立するものであった。ホッブズは人類の原初の「自然状態」は「ヒトはヒトにとって狼である」(Homo homini lupus)ような、個々人が利害を争う闘争の世界であり、それは法と秩序をひとびとに強制的に課するリヴァイアサン(怪物)つまり国家の出現によってはじめて文明状態に転換されたのだ、と説く。  

 それに対してルソーは、フランスの植民地開拓にともなってアフリカや北米から送られてきた「未開人」についての多くの報告や観察にもとづいて、「自然状態」は逆に、人間が自由で平等で友愛に満ちた社会であって、その後のいわゆる新石器革命(もちろんルソーはこの用語を知らなかったが)による富の蓄積と偏在が文明を生みだし、権力を創りだし、人類に抑圧や強制や暴力をもたらしたのだ、と説いた。  

 ピンカーはルソーが誤っており、ホッブズが正しいことを、暴力に関する種々の膨大な統計を論拠に執拗に展開する。つまり現在の「未開」諸社会やいわゆる発展途上国などの「殺人率」は、現在の先進文明諸社会に比べ、非常に高く、かつての人類の自然状態がいかに恐ろしい闘争社会であったかを実証している。20世紀の二つの世界大戦の恐るべき数の犠牲者にしても、人口10万人当たりの殺人率に換算すれば、「未開」よりはるかに低いというのだ。  

 さらに彼は無数の文献を引用して、古代文明や中世文明にあっても、宗教的迷信から風俗習慣にいたるすべてのレベルで、無知にもとづく人身供儀や戦争による殺戮、捕虜や奴隷の拷問や虐待など恐るべき人権侵害がいかにひろくおこなわれていたかと、これでもかこれでもかと提示する。  

 こうした「野蛮」から人類を救ったのは、第1に18世紀啓蒙思想による近代理性の確立、彼の用語によれば「人道革命」(The Humanitarian Revolution)であり、第2には、人種、マイノリティ、性、同性愛などすべてにわたる人権の確立を求めた20世紀の「権利革命」(The Rights Revolution)であるという。その結果人類は、20世紀後半から世界史上類のない暴力の没落にともなう「長期平和(ロング・ピース)」の時代を実現したのだという。これはまたダーウィンのいう自然選択にもとづく人類の生物学的進化にも沿う現象でもあるとして、自称無神論者ピンカーは、かつてカトリック司祭でもある古生物学者テイヤール・ド・シャルダンが唱えた、ヒトの進化の軸は西欧を通り、西欧近代文明は生物進化の頂点となったという説と、奇妙な同盟を結ぶ。

近代的論理または「理性」の破綻  

 だがこれらの主張には論理的破綻がある。まず経験論に立つ論客がかならず依拠する統計の問題である。近代戦争とまったく異なる文化である部族間・部族内戦争を、その意味や質とは切り離して統計の問題として考えてもよい。たとえば彼のいう「殺人率」(murder rate)は、人口10万人当たり殺人何人で計算するが、たとえば人口100の小部族がそういった戦争で1人を失うとしよう。だが人口10万人に換算すると殺人1,000人という途方もない率になり、それで「未開」の殺人率は異常に高いと断定されることとなる。こうした単純な統計的比較こそ異常というべきだろう。  

 この意味での殺人率の急激な低下を彼は理性による上記の「諸革命」、あるいは近代文明の政治形態である近代民主主義、経済形態である自由市場がもたらす「豊かさ」やテクノロジーの進展のせいにしているが、たとえば国連麻薬・犯罪局の作成した2004年の「世界における殺人地図」(p.88に引用)を見てみよう。そこでは10万人当たり殺人0から3人という世界で最も安全な地帯がもっとも薄い色で表示されている。それはカナダ、オーストラリアを含みヨーロッパ、北アフリカと中近東(戦争渦中であったイラクは例外だが)、中国と韓国と日本である。  

 心ある読者はすぐ理解するであろうが、これはまさしくキリスト教・イスラーム・仏教(および道教)という世界宗教が歴史的にもっとも浸透し、大衆化された地域である。無神論者ピンカーは無意識にあるいは意図的にこの事実を無視している。  

 彼はこの地図を、近代文明的であれ、集権的であれ、リヴァイアサン(怪物としての国家)がもっとも有効に統治している地域としているが、むしろ宗教やその影響下に育った文化の問題であること、いいかえれば人間のもっとも深い内面性の問題にまったく無知であることをおのずから告白している。  

 この本の読書中、苛立ちどころか怒りさえ覚え、読み進めることが大きなストレスでさえあったが、最後にはたと思い当たった。すなわちこれは、現在合衆国で再起を伺う近代理性至上の新保守主義・新自由主義イデオロギー──現在共和党を牛耳っているティー・パーティー(茶会党)はキリスト教原理主義である──の強力な知的援軍なのではないか。  

 ハンティントンの『文明の衝突』が、主としてイスラームという「近代文明の敵」との衝突の不可避性を分析し、その弟子フランシス・フクヤマが、その衝突を克服する処方箋として、近代民主主義と自由市場経済というグローバリズムの世界制覇が、衝突や葛藤を終わらせ、『歴史の終焉』を導くのだ、としたが、スティーヴン・ピンカーは、世界を近代文明という普遍的な「文明化の過程」に巻き込むことがカントのいう「永久平和」を保障する唯一の道である(カントも地下で苦笑しているだろう)として、これらの主張を補強し、脱近代文明論者たちに一撃をあたえたと信じているようだ。  

 だがこの大冊を読み終えた後でも、ホッブズではなく、ルソーの人類史的洞察が正しいという確信はまったくゆらぐことはなかった。なぜなら、私のこの確信の根底にはつねにホピがあるからだ。


楽しい映画と美しいオペラ―その42

2012-09-01 10:55:09 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その42

 

 心躍る一大スペクタクル
 ――メトロポリタン・オペラ〈ニーベルングの指環〉



チラシ1                     チラシ2

 

 先週末の2日間、残暑を避けて銀座の映画館で過ごした。ワーグナーの〈ニーベルングの指環〉全4作に挑戦したのだ。後半の《ジークフリート》と《神々の黄昏》の組み合わせは、11時に始まって終映が22時半、休憩や食事の時間はあったものの、じつに12時間近く映画館に閉じこもっていたことになる。400人ばかり収容できる座席の6~7割は埋まっていて、熱心なワーグナーファンもいるものだと感心した。泊まりがけで観に来たというご夫婦もいた。

 もっとも私はワーグナーからは距離を置いてきた。あまりの大言壮語ぶりに辟易していたというのが正直なところ。〈指環〉も《ワルキューレ》は別にして、あとの3作に関してはDVDで流し観したにすぎない。来年の生誕200年を控えて、ちょっと予習をしておこうという軽い気持ちで出掛けた。ちなみにヴェルディはワーグナーと同年で、生誕200年祭としては、私はこちらの方が楽しみである。

 とはいうものの、正味上演時間約15時間というこの超大作を、私は結構楽しんだ。音楽と物語好きが昂じて私はオペラの世界に迷いこんだのであるが、メトロポリタン・オペラのこのプロダクションは、そんな私の原点を大いに刺激してくれたのである。

 ジエームズ・レヴァインが前半2作《ラインの黄金》《ワルキューレ》を、ファビオ・ルイージが後半2作《ジークフリート》《神々の黄昏》を振ったのだが、まずこの2人の指揮者の功績を認めなければならない。レヴァインは心の機微を絶妙に表現できる指揮者である。オペラを振るために生まれてきたといってもいい。ルイージは、コントロールのよくきいた、端正な指揮をする人だが、ワーグナーの壮大な世界を見事に表現した。2人の指揮者のもと、映画館には雄渾なワーグナーの音楽が鳴り響いた。実演には及ばないにしても、我が家のステレオ装置の比ではない。快感これ極まれりである。

 しかし、このプロダクションの成功の最大の功労者は、演出のロベール・ルパージュであろう。たったひとつの装置で、世界のすべてを表現した。山を、森を、川を、家を、さらに天上の世界と地下の世界を……。挙句、それは馬にも変貌した。装置とは、24枚の三角錐の板を立て、それらをヨコに連らねた巨大なマシーンである。1枚1枚がコンピュータ制御で自在に動く。そこに3Dの映像が投射されて、マシーンが驚くべき変容をとげる。大スペクタクルの音楽に引けをとらない装置である。重量45トンで、この装置のために舞台の床を補強したという。

 昔ある友人が、ワーグナーの音楽って映画音楽だね、と言ったが、言い得て妙。まさにこのプロダクションは、一大スペクタクル映画である。変身あり、魔法の剣あり、決闘あり、大蛇退治あり、謎々あり、男女の恋あり、裏切りあり……。息もつかせぬ冒険譚に徹したところに、このプロダクションの成功がある。

 もちろんワーグナーは、単純なスペクタクル・オペラをつくった訳ではない。足掛け30年の歳月をかけた作品である。自らの世界観をたっぷりと投影させたはずなのだ。物語のキーとなる「指環」からして意味深長だ。これをもつ者は世界を支配できる、つまり権力の象徴である。ラインの黄金からこの指環を鋳造した地下世界の支配者アルベリヒは、愛を断念することによってそれを成しえた。序夜《ラインの黄金》(チラシ1)に提示されるこの「権力と愛の相克」こそ、破天荒なこのオペラの最大のテーマである。

 第一夜《ワルキューレ》(チラシ2)は、ワーグナー作品のなかで私の最も好きな演目である。ジークムント、ジークリンデの双子兄妹の禁断の愛は、《トリスタンとイゾルデ》の音楽を彷彿させる。そして宿命の死をめぐる、ジークムントと戦いの乙女(ワルキューレ)ブリュンヒルデの対話は、この作品の白眉であろう。ジークリンデの不在故に、ジークムントは死後の栄光の世界を拒絶する。妹への熱い思いは、ブリュンヒルデならずとも観る者の心を締めつける。この2人を優れた歌手が演じると、会場は水を打ったように静まりかえる。カウフマンとヴォイトも健闘したけれど、私は2005年のプロムスでのドミンゴとガスティーンの組み合わせが忘れられない。

 双子の兄妹は、神々の長ヴォータンと人間の女の間に生まれた。ヴォータンは2人の愛を祝福するのだが、婚姻の神でもある正妻フリッカが赦さない。2人の、愛と秩序をめぐる口論も聴きものである。愛を謳歌するヴォータンが、フリッカの正論に追い詰められていく過程では、ワーグナーの複眼的思考に感心する。ヴォータンの権威と弱さを余すところなく歌ったターフェルが素晴らしい。

 さて、ジークムントとジークリンデの一夜の愛から、ジークフリートが生まれる。彼の活躍が第二夜の《ジークフリート》である。そしてスペクタクル的要素が一番濃いのがこの作品である。大蛇退治やブリュンヒルデの火中からの救出場面も華々しいけれど、魔法の剣ノートゥングを再鋳造するシーンにはかなわない。オーケストラの大音響をバックに、ジークフリートが高らかに出立の歌をうたう。私は思わず拍手をしてしまった。モリスはやや線の細さを感じさせるが、ここは大いに踏んばった。

 第三夜の《神々の黄昏》に至って、物語が破綻する(と私は思う)。権力の象徴である「指環」は、誰の手に渡ることなくラインの河底に戻るのだが、その争奪の過程で、総ての者が衰えゆく。天上の神々は疲弊し、地下の闇の力も没落する。世界を救出するはずの英雄ジークフリートも、あえなく殺される。ブリュンヒルデの、愛への殉死のみが救いである。こうして「権力と愛の相克」の物語は幕を閉じる。

 
結末は理解できる。問題はそこに至る過程である。ジークフリートとブリュンヒルデの行動がどうにも納得できない。安易に敵の罠に落ちるジークフリートの不用意さと、彼の急変に疑問を抱かないブリュンヒルデの軽薄さ。肝心の2人の行為に説得力がない故に、ワーグナー畢生の大作は画竜点睛を欠く結果となった。音楽が素晴らしいだけに、彼の台本力の弱さを残念に思う。

 
さはさりながら、週末の2日間をたっぷり楽しませてくれたメトロポリタン・オペラには、心から感謝を申し述べたい。

《ラインの黄金》2010年10月9日上演
《ワルキューレ》2011年5月14日上演
(2012年8月17日 東銀座東劇にて上映)
指揮=ジェームズ・レヴァイン

《ジークフリート》2011年11月5日上演
《神々の黄昏》2012年2月11日上演
(2012年8月18日 東銀座東劇にて上映)
指揮=ファビオ・ルイージ

ヴォータン:ブリン・ターフェル(バスバリトン)
フリッカ:ステファニー・ブライズ(メゾソプラノ)
ローゲ:リチャード・クロフト(テノール)
アルベリヒ:エリック・オーウェンズ(バスバリトン)
ブリュンヒルデ:デボラ・ヴォイト(ソプラノ)
ジークムント:ヨナス・カウフマン(テノール)
ジークリンデ:エヴァ=マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)
フンディング/ハーゲン:ハンス=ペーター・ケーニヒ(バス)
ジークフリート:ジェイ・ハンター・モリス(テノール)
グンター:イアン・パターソン(バスバリトン)
演出=ロベール・ルパージュ

2012年8月24日 j-mosa