一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

伊豆高原日記【137】

2013-01-23 10:03:12 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【137】
Kitazawa, Masakuni  

 東京の大雪の日、こちらは雨であったが、大島の三原山のいただきにまだ雪が残り、青い島影に純白の冠を載せて美しい。今日は厳しい寒さも少しゆるみ、心なしか白梅の蕾が少し膨らんだように思う。

ホピからの手紙  

 ホピの今井哲昭さんから新年の来信。海抜2千メートルの砂漠性高原地帯であるホピの冬は厳しく、朝の気温は摂氏マイナス18度(アメリカでは華氏が使われているから約0度)で、まばゆいばかりの銀世界が地平線まで続いているという。  

 「先月末の新聞にナバホ・ランドにおけるウラニウム汚染土の処理についての記事が載っていましたので同封しました。これによるとかなりひどい状況です。1980年に終了したナバホ・ランドにおけるウラニウム採掘場に残された大量の汚染土、いったいどうすればいいのでしょう。もはや人の手には負えないようです。アメリカは現在90%のウラニウムを輸入に頼っていると書いてありますが、それを輸出している国に次々と残されてゆく汚染土はいったいどうなっちゃうんでしょう。日本も使うだけですが、はたしてどれほど人が、ウラニウムを採掘している国がどれほどの被害をこうむっているか心をいためているでしょうか。この実体を知ったら反原発の動きに少しは影響があるかもしれません。我々の先々の子孫たちにこれ以上我々のツケを負わせてはいけないと思います」。  

私の返信の一部:  

 「ナバホのウラニウム汚染、1970年代にいくつかの雑誌に報告を書き、原発推進に大きな警鐘を鳴らしたつもりでしたが、結局フクシマという取り返しのつかない大事故を防ぐ一助にはなりませんでした。いまでも日本人にはほとんど知られていませんので、次回のブログで今井さんからの報告として取りあげるつもりです。  

 フクシマの被害者にも、これから10年もたつと低線量長期被曝の深刻な結果が出てくると思い、ナバホの死者たちもとても他人事とは思えません。ウラニウム鉱石の集積・転送サイトであったコウヴの村落が「未亡人村」とよばれていたこともどこかで読みました。多分「アメリカ人類学雑誌」(AAA)の論文だったと思います(どこかにコピーを保存してあるはずです。この災厄をナバホのひとびとは雷の神の呪いだと考えているという趣旨でした)」。

低線量長期被曝の恐ろしさ  

 今井さんから送られてきたのはNavajo Hopi Observer, December 26,2012であるが、合衆国環境庁がようやく重い腰をあげて、ナバホのウラニウム集積・転送基地であった二つのサイトのウラニウム鉱石残滓の汚染土の除去作業をはじめたという記事である。なんと採掘終了から30数年たってからであるし、この二つのサイトどころか、汚染除去を必要とする採掘場跡は2000か所にのぼるという。ひとつのサイトのあるコウヴの村落は、ほとんどの男がそこで働き、ウラニウム鉱石から発散する放射能(ラドン・ガス)による低線量長期被曝で、ほとんどのひとが各種の癌となり、死亡した結果、上記のように「未亡人村」と呼ばれるようになった。  

 コウヴだけではない。2000に余る採掘場で働いたナバホの鉱夫たちの80%以上(正確な調査や統計はない)が、咽頭癌、肺癌など呼吸器系の癌、唾液などによって吸収されるため、胃癌や肝臓癌など消化器系の癌、あるいは露出した首や手足などの皮膚癌に冒され、次々と死亡していった。ヒロシマ・ナガサキをはじめとする核兵器開発のため、1940年代から50年代にかけての大ウラニウム・ブームで働いたひとびとである。それが70年代以降にはこうした結果となったのだ。  

 それだけではない。採掘跡、集積場跡などから流出した粉末状の鉱石残滓は、雨に流れ、風に舞い、大なり小なりナバホ全土を汚染した。また住民たちはその恐ろしさも知らず、見かけや性質がセンメントそっくりのこの青白い鉱石残滓を使い、住宅建設や、なかには小学校建設にまで使用してしまったという。  この事実はアメリカでさえ、環境団体などのメディアを除き、ほとんど報道されず、知られていない。まして日本においてをや、である。  

 チェルノブイリに見られるように、原発大事故では高線量被曝で多くの死者がでるのは当然だが、10年あるいはそれ以上の長期をへてからようやく低線量被曝の恐るべき結果が現れる。フクシマも影響が出はじめるのは2020年代以降であろう。いまから国や自治体はそのときにそなえ、対策を講じておかなくてはならない。  

 原発推進とはさすがにいわなくなったが、「慎重に再開」という安倍政権が成立したいま、「喉元過ぎて熱さ忘るる」という風潮に染まりつつあるわが国の現状は憂慮に堪えない。風向きによっては首都圏数千万人が避難しなくてはならなかったかもしれないフクシマ大事故の教訓を、もう一度肝に銘じよう。


第21回セミナー報告●「身体性」とはなにか?

2013-01-18 11:11:09 | セミナー関連

大自然・大宇宙との一体感を実感する


           「身体性の基礎としての《食》」について   橋本宙八氏

 

 年末も押し詰まった22日から23日にわたって、知と文明のフォーラムの21回目のセミナー〈「身体性」とはなにか?〉がヴィラ・マーヤにて行われた。日程のせいもあり集った人たちは11人と多くはなかったが、身体を動かすのに十分なスペースがとれたことなど、少人数の良さが発揮されたセミナーだったように思う。

 「身体性」の欠如こそ袋小路に陥った近代文明の根本的誤りである、とする北沢方邦先生の序論からセミナーは開始された。身体を通じて大自然や宇宙と交流し結びつくはずの人間の思考が、その身体をないがしろにしてきたがゆえに、真の認識から遠ざかってしまった、というのが先生の根本の考え方である。また、主観と客観の乖離をいかに克服するか、この哲学の永遠のテーマを解決する鍵も「身体性」という概念には込められているという。

  自然を人間の外に置き、収奪の対象としか見てこなかった近代主流の思想と、宇宙・自然と人間は一体であるとする、たとえば古代インドのヴェーダーンタ哲学や古代中国の道教哲学とは、なんと懸け隔たっていることだろう。後者の「身体性」に満ちた一元論は、スピノーザ、ルソー、カント、ゲーテ、ベートーヴェンの思想にもあり、われわれはここから出発して、新しい生き方を模索していく他はないようだ。

  今セミナーのメインの報告者は、日本におけるマクロビオティック実践の第一人者、橋本宙八氏である。「マクロビオス(偉大な生命)」という古代ギリシャ語を語源とするマクロビオティックは、一言でいうなら「食物による健康・長寿法」。しかしここでいう「食」とは環境も含めた広義の概念で、人間の身体の健康ばかりではなく、社会の健康までも含むらしい。そして「日本の伝統的食養法」と老子の世界観である「陰陽論」が実践の核になるという。

  「旬を食べる」というのは日本料理の基本である。それに「身土不二(しんどふじ)」、即ち身体と土(環境)の調和という仏教の教えを合わせて考えると、食が自然や宇宙と一体のものであることがよく分かる。それと「一物全体(いちもつぜんたい)」という考え方も感覚的に理解できる。ひとつの食物には自然の持つエネルギーがバランスよく含まれている。ゆえに食物は出来る限り全体を丸ごと食べるべしというわけだ。

 西欧の「粉食文化」に対して東洋を「粒食文化」と位置付けるなど話は文明論、さらには宗教論にまで及び聞きごたえがあった。マクロビオティックに基づく具体的な料理の話も聞きたかったという声もあったが、それはまたの機会にお願いすることにしよう。

 2日目は、伊豆高原で治療院を開業されている田中亮二氏による「東洋医学」、舞踊家の鈴木雅子氏による「ダンスの基本的姿勢」、北沢先生によるヨーガと、実際に身体に触れ、また動かすという、ワークショップ形式のセミナーであった。

  人間の身体は自然の一部であり、宇宙と一体となったものであるという「心身一如」の生命観こそが東洋医学の基本だという。このことは、人間の身体に張り巡らされた12の経路、またその各所に存在する360もの経穴(ツボ)の話を聞き、またツボに触れられることで、なんとなく実感できた。経路・経穴を通して人間の身体を循環する気のエネルギーは、宇宙空間をある摂理の下に行き交うエネルギーと等しいのではないかという実感である。 

 背筋を伸ばし、肛門を締め、ふくらはぎを合わせて脚を少し開く、というダンスの基本姿勢も、宇宙と一体のものではないか。頭は天から引っ張り上げられ、足は地に引きずり込まれる。この姿勢から一歩踏み出せばそのままダンスになる。運動神経の乏しい私でも踊れるかも! こんな錯覚を抱いたものだ。

  締めはいつもの北沢先生指導のヨーガである。先生の驚異的な健康を支えているものは、間違いなく毎日1時間実践されるヨーガであろう。ポーズの一つひとつが、自然そして宇宙との一体感を表している。身体を通しての実践は、頭からだけの知識を遥かに超える。不器用にヨーガを実践しながら、こんな感慨に浸ったのだった。

 2012年12月22・23日 第21回セミナー
「身体性」とはなにか?――近代文明が忘れてきたもの
講師:橋本宙八、北沢方邦、田中亮二、鈴木雅子

2013年1月14日 J-MOSA


北沢方邦の伊豆高原日記【136】

2013-01-05 16:34:00 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【136】
Kitazawa, Masakuni  

 2日の夜は暴風ともいうべき北風で、落ち葉が綺麗に掃き清められたが、その他の日々はおだやかな新年であった。今日はまったく風もなく、遠く青い島影を浮かべた海が午後の陽光を受けて金色に輝いている。

『バガヴァッド・ギーター』とはなにか  

 明けましておめでとうございます。メディアではリヒアルト・ワーグナーの生誕200年祭などで賑わうにちがいないが、われわれのフォーラムにとっては、今年は『バガヴァッド・ギーター』の年であるといえる。11月23日(勤労感謝の日)にサントリー小ホールで、室内オペラ『バガヴァッド・ギーター』(西村朗作曲・北沢方邦台本)の上演が決定しているからである。  

 古代インドの大叙事詩『マハーバーラタ』(キリスト紀元前300年から紀元後300年頃にかけて成立し、現在もなお語り継がれている)の第6巻の主要部分が、特に「バガヴァッド・ギーター」(神の歌)と名づけられ、人口に膾炙してきた。『マハーバーラタ』を読みとおした人は少ないかもしれないが、「バガヴァッド・ギーター」を読んだことのないインド人はいないとさえいわれている。  

 『マハーバーラタ』は、神々と人間が交わって暮らしていた伝説の時代、パーンダヴァとカウラヴァという2大氏族が対立し、覇権を争い、ついには決戦の挙句パーンダヴァが勝利するという筋書きであり、ともに神々の血をわけた親族であり、友人であり、あるいは師弟であるものたちからなる両種族が、なぜ戦うにいたったかを、仏教でいう「人間の業(カルマ)」として詳細に述べている。だが結末は、勝利したはずのパーンダヴァの生き残りの戦士たちも、次々と死を遂げ、なにも残らなかったといういわゆる「諸行無常」の世界を描き、インド学者のウェンディ・ドニガーはこれを「世界最大の反戦叙事詩」であると称えている(わが国の『平家物語』には、この大叙事詩の遠い反映がうかがわれる)。  

 「バガヴァッド・ギーター」は、両氏族の決戦の日、パーンダヴァの英雄アルジュナが、対峙する両軍の真っただ中に戦車を乗り入れ、戦車の御者の姿をした神クリシュナと交わす対話を、吟遊詩人サンジャヤが聴き書きし、韻文として記したものである。  

 すなわち、英雄アルジュナは、対峙するカウラヴァの一族を眺め、そこに父や義父、叔父や兄弟、あるいは師や友人たちが戦車のうえに、武器を手に手に立っているのを見た。彼はまったく戦意を失い、親族や師や友人たちを殺すことはできない、むしろ私が殺される方がましだ、と名だたる強弓を投げ捨て、坐り込む。クリシュナが苦悶するアルジュナを教え、諭すその韻文が「神の歌」にほかならない。  

 その教えはある意味で難解である。なぜなら、アルジュナの反戦の志しをひるがえさせ、決戦に立ち向かうように激励し、一見神々の教えである「非暴力(アヒンサ、不殺生)」に反するようにみえるからである。それはなぜか。  クリシュナの説くのは「ヨーガの道」である。ヨーガの道とは、御者の姿をしたクリシュナ自身もその一員にほかならない現世という名の迷妄(マーヤー)の世界、時間のサイクルとしては死と再生の輪廻(サンサーラ)の鎖に繋がれた迷妄の世界から脱出し、宇宙の真理(ブラフマン)に到達する道である。  

 その道への入り口は三つある。ひとつは行為(カルマ)であり、ひとつは信愛(バクティ)であり、ひとつは知(ジニャーナ)である。この三つは最後にはひとつとなり、一致するのだが、戦士アルジュナはまずカルマの道を進まなくてはならない。それは自己の行為を通じてしか解脱(モクシャ)には至らないからである。自己の行為からすべての情念や欲望(カーマ)を振り落とし、迷妄と執着から離脱し、専心することがまず要求される。それによって迷妄の世界を超えたクリシュナの真の姿、すなわち宇宙の真理に到達し、それを信愛し、それを認識する知を身につけるのだ。行為(カルマ)を捨てることは自己からの逃避にすぎず、なにものをも生まない。

『ギーター』の今日的意味  

 『ギーター』がベートーヴェンの愛読書のひとつであることは前回述べた。ゲーテをはじめ同時代の大知識人たち、あるいはアメリカのソローやエマースンなどの超越主義者たちにそれが絶大な影響あたえたのは、人間としての自己(アートマン)は、現世のすべての執着から離脱することによってのみ宇宙の真理と一体となることができる、というメッセージにほかならない。彼らは、当時西欧の近代がのめり込みつつあった「合理性の罠」、つまり主観と客観の二元論によって「身体性」つまり人間の内なる自然と外なる自然・宇宙との絆を無視し、自然の収奪や自己の身体の疎外を合理化し、暴走するにいたった罠を予見し、人類の王道への回帰を目指し、そのよりどころとして『ギーター』に感銘したのだ。

 この図式は今日もまったく変わらない。音楽上の大天才ベートーヴェンに匹敵する科学上の大天才アインシュタインの愛読書のひとつも『ギーター』であった。彼はスピノーザやインド思想を通じて、科学の認識の基礎も絶対に一元論であるべきだと信じ、量子力学の主導権をとったコペンハーゲン学派の二元論を徹底的に批判し、微視的世界と巨視的世界の一元論としての統一理論を唱えたのだ。彼の生前にはそれは挫折に終わったが、ストリング理論や多重世界解釈の登場によって、新しい統一理論への展望は開けつつある。

 ヒロシマ・ナガサキ・フクシマの悲劇は、「合理性の罠」の暴走の結果にほかならない。われわれはいまこそ、人間の内なる自然と外なる自然との「統一理論」を、われわれの行為または身体と、宇宙や大自然への知や信愛を通じて打ち立てなくてはならない。

 それが『バガヴァッド・ギーター』の教える「ヨーガの道」であり、その今日的意味である。