一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

おいしい本が読みたい●第二十二話

2012-01-24 09:41:52 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十二話


                                   夢見る力  

                  

 プロボクシングが斜陽になって久しい。かつてあれほど華やかなスターを輩出したジムも、閑古鳥の鳴いているところが大半である。そのわりにジムの数だけは、けっこうある。いかにも場末が似合う、うらぶれたジムに、それでも好んで通う若者がいる。変わってるといえばたしかに変わっている。なにもこんな地味な、スポットライトの当たらない孤独なスポーツに、どこが面白くて毎日通うのだろう。

 健康志向で週に一、二回というのなら話はわかる。だが、プロボクサーを目ざす者は日曜を除いて毎日のジム通いが当たり前だ。それを3、4年ほど続けてプロテストに合格できそうな実力がついたとトレーナーが判断すれば、テストを受けさせてもらえる。このときの不合格であきらめる人も多い。

 晴れて合格した者はそのときからC級のプロボクサーだ。C級で4勝すればB級が待っている。しかし、大半はこの階級で勝ちを拾えなくて去ってゆく。4勝ははたから見るほど楽ではない。

 そもそも小さなジムに所属していると試合そのものの数がかぎられる。資金力の豊富な、したがって自力で主催試合を組織できる有名ジムならいざ知らず、地方の、都会の場末の貧弱なジムは相手からのオファーを待つしかない。小ジム所属の選手は、待つことを知らなければならない。いつ来るとも知れぬオファーを。

 一年に一回あるだろうか。あるいは二年に一回あるだろうか。そんなオファーを心待ちにしながら黙々と練習をこなすのが、プロボクサーの日常的光景である。もともとストイックでへこたれない奴もいる。それは才能というものだ。しかし、多くの凡庸な人間はともすればくじけそうになる。じっさい、ある日突然ふっと姿を見せなくなる者もけっこういる。かろうじて張っていた一本の細い線が、何かのはずみで切れたのだろうか。不思議なことに、負けたからやめます、と宣言して去っていった人より、なにもいわずに向こう側に行ってしまった人の方が、後姿がくっきりとこちらの脳裏に残るものだ。

 では、凡庸なプロを抱えざるをえないジムはどう対処するか。ここで物をいうのはトレーナーという伯楽の力である。試合に負けても、なかなかオファーが来なくとも、いつか来るであろう次の試合を待つ力、それをじょうずに育ててやるのがトレーナーだ。待つ力、それはとりもなおさず、夢見る力である。いうまでもなく、負け試合のときがこの夢見る力がもっとも弱くなるときである。ということは負け試合の後こそ、トレーナーの腕の見せ所になるわけだ。

 『遠いリング』(後藤正治著、岩波現代文庫)のなかで、筆者後藤に語った、エディ・タウンゼントの一節は、名伯楽と謳われたエディのトレーナー力、あるいは人間力を示して余りある。

 「…負けたときが大事なの。勝ったときはいいの。世界チャンピオンになったら、みんなウォーッといってリングに上がりますね。だっこして肩車しますね。狂ったようになりますね。でもボクならない。一番最後に上がるの。よかったね、おめでとう、というだけよ。夜、ドンチャン騒ぎありますね。でもボク騒がない。ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。でも負けたときは最後までいます。病院にも行くの。ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」

 わかる気がする。名伯楽は寄り添い、夢見る力の源を温めてやる。それでも選手の熱源が枯渇するときは、かならず訪れる。そのときは舞台を降りる道を、できるかぎりさわやかな道を、用意してやる。おそらくその道は、伯楽その人自身が人生を降りる道とつながっていることだろう。

                                             むさしまる


北沢方邦の伊豆高原日記【117】

2012-01-15 14:19:54 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【117】
Kitazawa, Masakuni  

 この冬は寒いが、ここ数日はおだやかな晴天で心なしか暖かい。昨夜(9日)は満月で、枯れて白くみえる芝生に樹々のかぐろい影がくっきりと映るほど明るく、海上遠くきらめく大島の町々の灯火もかすむほどであった。

理性の誤り 

 進行中の本の第2章も書き終え、神戸芸術工科大学大学院に依頼された博士論文の精読やコメントの作成も終わったので、久しぶりにのんびりと、溜まっていたニューヨーク・タイムズの書評紙を読みはじめた。なかでも心理学者のダニエル・カーネマンの『思考する、早く、遅く』の、ジム・ホルト(Jim Holt)による書評がきわめて興味深かったので紹介しておきたい(Kahneman,Daniel.Thinking,Fast and Slow. Farrar,Straus & Giroux, 2011:Nov.27)。 

 前回の「日記」(116)で、啓蒙的合理主義に反対するルソーの思想を紹介したが、それに関連する証拠(エヴィデンス)ともいえる。その観点から私見を交えて考えてみよう。 

 著者のカーネマンは、心理学者つまり非経済学者としてノーベル経済学賞をはじめて受賞した人である。なぜならアダム・スミス以来、経済学では、経済を担う人間つまりホモ・エコノミクスはつねに合理的に選択し、行動すると考え、それを前提に学説を展開してきた。ところが彼は、ホモ・エコノミクスの選択や行動はけっして合理的ではなく、むしろ非合理的であることを、種々の実験を通して実証してしまったからである。 

 脳の機能についてはこの書評はまったく触れていないが、いうまでもなく無意識的で身体的・感性的なものをつかさどる右脳と、意識的で言語的・知性的なものをつかさどる左脳が、この問題に深くかかわっている。 

 すなわちカーネマンによれば、ものを考えるときシステム1とシステム2が作動するという。システム1とは、自動的で直観的で早く、ひろく無意識的である。それに対してシステム2は、熟考的で分析的で遅く、意識的・理性的である。たとえば相手の表情を見て好意的か敵対的かを瞬時に判断するのはシステム1であり、税金の申告書を書いたり、なんらかの問題を考えたりするのはシステム2である。 

 常識から考えると、システム1よりシステム2の方が優位にあると思われるし、その理性的選択によって確信や信念がもたらされると思うのが当然である。反対にシステム1による判断は、軽率で誤りが多いと推定される。 

 ところが彼が行った諸種の心理学的実験によれば、この二つのシステムの作動によってもたらされる判断はまったく逆であることがわかる。つまりひとびとが理性的なものとして抱いている確信や信念が、いかに誤ったものであるかが実証されるのだ。

実験にみるシステム1とシステム2 

 たとえば彼が行った実験のひとつに「リンダ問題」がある。リンダという若い女性を想定する。前提があるが、それは、彼女はフェミニズムに深い関心があるという情報である。さてそこで、次の2題のうち彼女がどちらである「確率」が高いか、1題を選択してもらう:

 1)リンダは銀行出納係である。2)リンダは銀行出納係であり、フェミニズム運動にかかわっている。 

 学生の85パーセントは2)を選択した。純粋な確率問題であるから、1)の確率はひじょうに高く、たとえフェミニズムに関心があっても、堅い職業である銀行の出納係がフェミニズム運動にかかわる2)の確率はひじょうに低い。したがって正答は1)である。 

 アンケートへの返答は当然システム2の作動であるから、学生たちは理性的に熟考したはずである。だがなぜほとんどの学生が誤ってしまったのか? それは理性的判断には誤りはないという「自己確信」(セルフ・コンフィデンス)または「自信過剰」(オーヴァーコンフィデンス)からであるとカーネマンはいう。ある学生は「この問題についての意見を述べよといわれたと思ってしまった」といったが、自己確信は、結局このように思い込みとなってしまう。 

 このほかの多くの実験も同じ結果をもたらした。つまり理性的判断と考えられるもののほとんどは、判断基準の忘却、ありそうなことへの雪崩打ち、妥当性という幻影などなどによる「合理性」の破綻を示しているというのだ。 

 ノーベル経済学賞を受賞した経済行動における理性的判断、つまりシステム2の作動についての実験や分析もまったくおなじ結果であった。

近代理性の誤謬 

 カーネマンや書評者の意見とかなり異なるが、これらの実験をふまえて、私自身の見解を述べよう。 

 つまり近代理性は強固なデカルト的二元論に立脚している。それを打破して理性概念を拡大しようとしたカントなどの試みはいまなお正当に評価されているといい難いが、その問題は他日に譲るとして(現在進行中の本では取りあげた)、こうした近代理性の誤謬が日常的であるのは、この二元論に由来する。 

 すなわち、ルソーの説いたように、人間性の基礎は自然であり、内なる自然としての身体性や感性である。そこからカーネマンのいうシステム1が生じる。だが直観と呼ばれるその思考体系は、私の用語によれば意識的行為であるプラクシスに対する無意識的行動のレベルのプラティークである。だがこの無意識の領域の思考体系つまりシステム1こそ、たとえば意識的に文法を学ばなくても母語を自由に正確に繰れるように、構造的であり、超合理的なのだ。それを構造的理性、あるいはサルトルが挑戦して挫折した用語とはまったく異なる真の弁証法的理性と名づけることができるだろう。 

 なぜ弁証法的か? それは右脳の思考体系システム1と左脳の思考体系システム2との絶えざる対話(ディアレクティケー)によって構成されるからである。後頭部に位置して右脳と左脳とを結ぶ脳梁(コルプス・カロッスム)がその対話をつかさどるが、その容積が大きいほどこの弁証法が活発であることを示している。男性よりも女性が、同じ男性でも芸術家の方が脳梁の容積が大きいのは、きわめて示唆的である。 

 脱近代文明やそれを支える知を考えるとき、われわれは先駆者ルソーが提起した問題が、この「理性とはなにか」に深くかかわっていることに気づく。誤謬だらけの近代理性を克服し、人間の全体的理性であるこの構造的または弁証法的理性を回復なくてはならない。


伊豆高原日記【116】

2012-01-08 10:53:20 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【116】
Kitazawa, Masakuni  

 今日は寒風が吹いて枯葉が舞い、さすがほとんどの落葉樹の葉は落ち、海がよく見渡せる。正月三が日にはみかけなかった貨物船の航行も復活した。双眼鏡で見ると、夕日を浴びて九州航路の大型フェリーが、かなりの波浪のなかを進んでいる。白色デッキに空色の船体が、大きくピッチングしながら波涛を蹴散らし、白い波しぶきをあげている。

ルソー生誕300年祭 

 明けましておめでとうございます。今年2012年は、1712年生まれのジャン・ジャーク・ルソーの生誕300年祭である。わが国で人気のある芸術家や思想家などの生誕記念祭は、早くも前年から騒がれたりするが、このブログでヘンデルやベルリオーズあるいはリストについて指摘したように、人気はそれほどではないが真に偉大なひとたちについては、メディアではほとんどとりあげられない。ルソーも同じである。 

 気楽なブログなのでついでに書いておくが、ファースト・ネームのジャン・ジャークは、フランス語ではジャックではなく、長母音のジャークである。よく原稿や校正で編集者に訂正され、再訂正に追われたものである。昔アテネ・フランセでフランス語を習っていたとき、プレヴェールの詩の朗読を指名されたことがある。詩の題名のあとで「ジャック・プレヴェール」と発音したら間髪をいれず先生のマドモアゼル・ルフォークールに「ノン!」と訂正された。「フランス語は英語ではない! ジャックではなくジャーク、口を横に開くのではなく、縦に開いて柔らかく長母音で発音しなさい」と。とりわけの美人ではなかったが美しい金髪で、長身でかなり目立つルフォークールさんMlle. Lefauqueur(クールの発音も難しかった。いわば日本語のカールとクールとケールを混ぜ合わせたような音)は、人柄として私の好みのタイプで、自国語にすごい誇りをもち、かなりのパリ訛りではあったが発音にはうるさかった。 

 それはともかく、グローバリズム崩壊後の世界、あるいは脱近代文明を考えるうえで、ルソーはひじょうに大きな存在といわなくてはならない。 

 なぜならルソーは、世界で初めて編纂された百科事典の寄稿者でもあったため、百科全書派と呼ばれる啓蒙思想家たちと混同されるが、むしろ啓蒙的合理主義や、彼らが信奉する西欧理性または近代理性と真っ向から対立する思想家であったからである。 

 彼の代表的著作の一つである『社会契約論』は、彼の死後、フランス革命に多大の影響をあたえた。だが革命そのものは、ルソーが考えていた方向とは大きく異なり、戦略とイデオロギーを異にする集団相互の暴力的対立によって崩壊し、ナポレオンの権力掌握と皇帝戴冠により挫折してしまった。 

 この本でルソーがもっとも主張したかったのはイギリス流の《多数意志(ヴォロンテ・ドゥ・トゥース)の民主主義》ではなく、《一般意志(ヴォロンテ・ジェネラール)の民主主義》であった。だがこれほど誤解された概念も他にない。

多数意志と一般意志 

 つまり多数意志の民主主義はいまなおわれわれの政治制度にもなっている近代民主主義であるが、それは、太古の自然状態は「ヒトはヒトにとって狼である」という混乱と闘争の世界であるとするホッブズ流の思想をもとに、法と秩序によってのみ社会の正義と安定は保たれると考えるものである。したがって民主主義もかならず利害や主張が対立するがゆえに、投票によって選ばれた多数派が決するしかないとする。 

 だがルソーはそれを真っ向から否定し(有名なことば「イギリス人は投票日の一日だけ主権者であるが、残りの日すべては奴隷である」)、むしろ太古の自然状態は人間相互が助け合い、自由と平等と友愛を実現していた理想社会だとし、富の蓄積と偏在がそれを崩壊させ、道徳的にも人間を堕落させたのだとする。したがってそのような自然状態の社会にあった《一般意志》を民主主義の根幹に据えなくてはならない、と。 

 これも代表的な著作である前作の『人間不平等起源論』──レヴィ=ストロースはこれを指してルソーを人類学の始祖と呼んでいる──では、当時フランスの植民地開拓がはじまっていたアフリカや北米の先住民たちの文化や思想が具体的に取りあげられ、「自然状態」にある諸社会がいかに自由・平等・友愛の社会であるかを実証しているが、『社会契約論』はその議論を前提としているのだ。 

 ついでにいえば、「高貴な野蛮人」という言葉を生みだしたこの本の議論の根本は、個々の人間も諸種族も、それぞれ身体的特徴も文化的特徴も異なっているように生物学的に不平等であるが、それゆえに逆にそれらの特質を最大限に引き出す「社会的平等」が必要なのだというものである。 

 すなわちルソーのいう一般意志は、こうした社会に実在していた自由・平等・友愛の政治的表現にほかならない。 

 たとえばのち19世紀にヘンリー・ルイス・モーガンが調査し、研究したように、アメリカ・インディアンのイロクォイ諸族では、氏族首長と戦闘首長及び宗教結社首長からなる評議会が民主主義を担っていて、さらにそこから選ばれたものが部族同盟全体の大評議会に参加して議題を決する。だが多数決ではなく、異議が出た場合もう一度各評議会に持ち帰り、議論し、さらにそれぞれの氏族や組織で討論する。いうまでもなくここは母系社会であるから、氏族の議論の主導権をもつのは女たちである。入り婿の男たちはその意見に従うほかはない。こうしてふたたび大評議会が開かれたとき、ほとんどの場合議題は満場一致で決定される。もし何度繰り返されても異議がある場合は、対立集団のレスリングなど儀礼闘争で決着し、闘争直後大宴会で和睦を図る。 

 これが一般意志であり、最終的にはそれは満場一致で表現される。 

 ところが革命のもっとも正統な継承者を任じた共産主義的社会主義諸国家では、「満場一致」のかたちだけを継承し、もっとも重要な一般意志の形成過程をまったく無視するにいたった。いうまでもなく彼らはイデオロギーが左翼というだけで、むしろ極端な近代理性の継承者だったからである(ナチスでさえ理性の欠如ではなく、理性の過剰が生みだしたものだというホルクハイマーの言葉を思いだそう)。 

 ルソーの一般意志は、いまもなおほとんど理解されていないといっても過言ではない。だがかつて60年代末の文化革命やステューデント・パワーに結集した若者たちや、いま「ウォール街を占拠せよ(Occupy the Wall Street)!」と立ち上がった反グローバリズムの若者たちは、この連帯と友愛(わが国では無能でピンボケの元首相のおかげでこのことばは空虚なものになってしまったが)に裏打ちされた一般意志の民主主義を求めているのだ。

ルソーの世界的影響 

 デカルト的二元論に立ち、理性のみを至上とする観念的な啓蒙思想に対して、自然と内なる自然である身体性、とりわけ感性を重んじるルソーの思想は、宇宙や自然に基づく一元論であって、カントやゲーテやベートーヴェンといった偉大な知識人や芸術家たちに強烈な影響をおよぼした。 

 『エミール』や『ヌヴェル・エロイーズ』で主張された自然への回帰や自然性の尊重、あるいは感情の解放などの主張は、一般のひとびとに『社会契約論』などよりはるかに大きな影響をおよぼした。彼自身が述べたことばではないが、「自然に帰れ!」のモットーは、合理的で幾何学的なフランス式庭園に代わって自然性と野性を強調するイギリス風庭園が流行したことに象徴されるように、貴族社会にいたるまで全ヨーロッパを席巻した。啓蒙的理性に対抗して感性を主張するロマン主義の興隆も、ルソーの影響にほかならない。 

 だが啓蒙的合理主義の支配する知的世界、あるいは忍び寄る自由・平等・友愛の革命の足音に敏感な政治世界は、ルソーを最も危険な敵とみなす。迫害と繰り返された亡命のなかで「孤独な夢想者」は死ぬ。 

 たしかに、楽譜浄書や写譜などでかろうじて生活していた貧困時代、テレーズ・ルヴァスールとのあいだに生まれた5人の赤子をすべて孤児院に捨てるなどの生活行状や、被害妄想癖など、人格的に多くの問題があったことは事実だし、また著書のなかでも女性差別など時代の刻印を記している文もある。だがそれを超えて彼の思想から湧きあがる根底的な近代批判は、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ後の現実、あるいは近代の袋小路的帰結であったグローバリズム崩壊後の世界を考えるうえで、大きな示唆に富む。 

 脱近代の知を構想するとき、ジャン・ジャーク・ルソーの名をはずすことはできない。