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一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

一般財団法人【知と文明のフォーラム】設立記念会見(聞)記

2011-11-26 10:47:03 | 活動内容

一般財団法人「知と文明のフォーラム」設立記念会見(聞)記       
                               
                                                                 片桐  祐


去る十月一日、日本出版クラブ会館にて、この「知と文明のフォーラム」が一般財団法人として出発する記念会が催された。午後一時のシンポジウム開始から設立記念パーティー終了の八時まで長時間にわたる催しであったが、会場には支援、賛同してくださる方々の熱気が一貫してあふれていた。撮影係としてその場に身をおいた者として、何枚かの映像をとおして、その熱気の一端をお伝えできればと思う。




 さて午後一時、総合司会をつとめる宇野淑子さんの発声とともに第一部が始まった。シンポジウムのテーマは「知と文明の転換のために」である。壇上には、坂本義和、大内秀明、岡部憲明、西村朗、北沢方邦、と錚々たる顔ぶれが並んだ。国際政治学の坂本先生は「21世紀の地球政治的課題」、経済学者の大内先生は「東日本大震災と文明の大転換 - 宮沢賢治とW・モリスに学ぶ」、建築家の岡部先生は「パブリックスペースと人間性」、とのテーマでそれぞれ興味深く、刺激的な発言をされた。写真は四番目のパネリストである作曲家の西村先生がマイクを握っているショットである。「ベートーヴェンについて思うこと」と題されたテーマで、平均律発見後の西洋音楽の和音は神に届かないのではないか、という発言が妙に印象に残った。それ以上に印象的だったのは一番若くて、髪の黒々とした西村先生の発言に白髪の長老たち(岡部先生には失礼かもしれない)が熱心に耳を傾けている光景である。このあと構造人類学者の北沢先生から全体の補足というかむしろ締めくくりとして、科学認識論によるパラダイム・シフト、すなわち物理学における二元論からの転換と生物学におけるダーウィン進化論の転換、の提示がなされた。



 世上では、シンポジウムというと、とりわけ学術的なものは、たいがいパネラーの誰かがまるで裁判官のごとく目をつぶって他のパネラーの論を無視している光景が一般的だと思う。いったい何度そんな姿を見せつけられたことか! それに対してこの写真のパネラーたちはどうだ。岡部先生は筆記具片手にむむっと聞き耳を立て、大内先生は身を乗り出して注視におよび、坂本先生は少年のように頬杖をついて耳をかたむけ、北沢先生はふむふむと納得顔で聞いている。一幅の絵ではないだろうか。


 これはカメラマンだけの独白ではない。次なる一枚をごらん願おう。最前列(ただし第二列だが)にたった一人陣取り、発表者の言説すべてを傾聴していたこの気迫あふるるご老人、今あらためて手元の画像を見れば、どうやら耳に補聴器を装備なさってのご出席のようだが、とにかくご自分で得心のゆく発言には逐一大きくうなず頷き、したがってパネラーの発言部分で説得力をもつ部分がこの御大を見ていると手に取るようにわかるというお方であった。あとで知ったところでは、元比較文明学会会長の伊東俊太郎先生だという。どおりで。それにしても、右手を前列の椅子の背に乗せて身を乗り出さんばかりの聞きっぷりは、まるっきりパネラーのようで、最近は見る影もないかつてのアカデミズムを支えた大家はさすがだと、素直に感心した。



 レクチャー・コンサートの第二部は、作曲家の新実徳英先生、ピアニストのパーク・ヨンヒさん、音楽社会学者でもある北沢先生、この三方の鼎談から始まった。北沢先生の講義を神妙に聞くパークさん、それを腕組みして泰然と耳に入れる新実先生。先のシンポジウムと打って変わって、淡々とした姿が心に残るシーンであった。とはいえ、新実先生の「アリランから未来へ」 と西村先生の「アリラン幻想曲」の音を表現する在日のパークさんは、彼女ならではのアリランへの想いを、独自のエネルギーを込めてピアノに託していた。


 次なる一枚は、夕刻の六時からの設立記念パーティーでのショット。言わずと知れた評論家の樋口恵子先生だ。堂にいった語り口がマイクを前にした映像から彷彿とする。なるほど、彼女の敬愛する青木やよひ先生の在りし日の姿を語って余すところがない、絶妙のスピーチであった。政治の現場をしのいできたご仁はさすが、と舌を巻いた。


 と、こんなぐあいに、一時から八時まで時のたつのを忘れるほど、熱気横溢する充実した設立記念会であった。フォーラムの会員として参加できてこれほど充足したことは、ともかく言っておきたい。

 ところで、ことはこれで納まらない。番外編がある。すなわち、場所を変えての打ち上げ会、市ヶ谷アルカディアでの極秘撮りだ。ここでもまだ論じてる様子の北沢、西村、岡部の諸先生。談笑する新実先生。向かいの席にそっと身をおく女性陣に目もくれずに語り合う姿は、なかなかに味わい深い。人間は、だからおもしろい、と断言させてくれる設立記念会だった。

    

 


打楽器音楽を楽しむ

2010-08-20 22:10:17 | 活動内容


打楽器音楽を楽しむ

高橋藍城

 

 「知と文明のフォーラム」主催になる、さまざまな催しに気の向くままに参加させていただいている。食物や環境、医療問題など、常に現代社会の直面する課題に、適任のパネリストを呼んでのセミナーには毎回、大いに刺激を受けたものだ。しかし、なんといっても4度にわたるレクチャーコンサートは、自分の音楽観を大きく変えてくれた素晴らしい経験だった。

 熱烈なクラシック愛好家には程遠い私は、めったに演奏会に足を運ばないし、指揮者や演奏家に関する知識もない。ただ、いろいろなジャンルの音楽を聴くことは好きなので、家の中にはCDやDVDが所狭しと積み上げられている。それこそ、美空ひばりの演歌から、ワールドミュージック、シャンソン、ジャズなどなんでもござれである。クラシック音楽もバロックから現代音楽まで、かなり溜まってしまった。ナクソスレーベルから「日本作曲家選輯」というシリーズが発売されていて、伊福部昭や橋本國彦、山田耕作、武満徹らを始め、最近まであまり知られていなかった作曲家の作品も比較的安い値段で購入することができた。これによって、あらためて邦人作曲家に関心が向かい始めたのだが、ちょうどその頃、「世界音楽入門&西村朗の夕べ」の案内が届いたのだった。

 西村氏は、いまやN響アワー司会者として、その該博な知識と軽妙な語り口でクラシックファンに広く知られるようになったが、作品がポピュラーになったとは言えないだろう。かく言う私にとっても未知の音楽家であった。コンサートでは、ドビュッシーとバルトークの作品と一緒に西村作品6曲が演奏されたのだが、あまりの衝撃で西洋の2作曲家の印象が薄くなってしまったほどだった。ふだん、スピーカーを通しての電気音しか聴きなれていなかったせいか、上野信一とフォニックス・レフレクションのメンバーの打楽器の音は、耳からというより、皮膚を直撃するように響いた。

 ヒンドゥー教やバリ島の舞踊音楽を基にしたという作品は、言葉の本当の意味で瞑想的・宗教的であった。音は、出された瞬時にして消えていくという単純な事実をあらためて実感させてくれる打楽器の様々な音色。どんなに大音響がなり響いても、つねに静寂の世界と相対している音楽。武満徹が「音、沈黙と測りあえるほどに」と語っていた音の世界とはこういうものだったのか。西欧の音楽とは基本的に異なる世界観を西村氏はヘテロフォニーと呼ぶらしいが、難しい言葉の概念は知らなくても、アジア音楽のスピリチュアルな世界を体験できたと思う。

 そして、昨年の「新実徳英の世界」である。このときは、ピアノやヴァイオリンのための曲も演奏されたが、やはり私にとっては打楽器のための作品が好ましかった。「風のかたち――ヴィブラフォンのための」は、自然界の音そのものを音楽にしたという作品で、何度も繰り返し聴きたくなる作品である。およそ数ある世界中の楽器のなかで、打楽器こそ人類最古の楽器なのだろう。単純に物を叩いてみることによって作り出される様々な音色とリズム感。両手を叩く拍手が、音を出す始まりだったのかもしれない。考えてみれば、日本人の生活習慣のなかにも打楽器は深いかかわりがあった。祭礼や盆踊りの太鼓、鉦や拍子木、能楽の鼓、楽器とは言えないだろうが、仏具のリンや木魚、風鈴、除夜の鐘の音など数え上げればきりがない。だから打楽器の音を聴くと、何となく懐かしくなったり、血が騒いだりするのだろう。

 西洋音楽の歴史でも打楽器は、オーケストラには欠かせない存在だが、打楽器のための作品が作曲されるようになったのは近年のことらしい。上野信一ファンとなった私は、セルビア出身の現代音楽作曲家である「ネボーシャ・ジヴコヴィッチ作品展」というコンサートも聴いた。ここでも、タイゴングやムチなど、珍しい打楽器の音を楽しんだが、テーブルの上の食器をひっくり返すシーンがある作品には驚いた。打楽器のための音楽は、緊張感のなかにも、人をワクワクさせる要素があるようだ。  

 西村・新実両氏が、ともにアジアの音楽に触発されて打楽器のための作品を手掛けていることに興味が尽きないし、これからは、尺八や箏、琵琶など邦楽器による作品も生演奏を聴いてみたい。二人と同世代で、同様に東洋思想、音楽に造詣の深い佐藤聡明氏は「音は、沈黙から生まれいで、生涯を送り、やがて終焉を迎え沈黙のかなたに飛び去る」と語っている。今後このフォーラムで、ぜひ取り上げてもらいたい作曲家である。

 今年6月の「青木やよひ追悼コンサート」に触れる余裕がなくなってしまった。青木先生の「ベートーヴェンの生涯」は刊行されてすぐに読了し、その真実をきわめようとする学者としてのひたむきさが感動的であった。ゲーテとの交友や読書から、アジアの宗教・哲学に関心を向けていたというベートーヴェンは、第九交響曲ののちにどんな音楽世界をめざしていたのだろうか。西欧音楽を超えた世界音楽を想像してみるのも面白いだろう。


ベートーヴェンハウスがディアベリの草稿取得

2010-03-31 11:20:37 | 活動内容
ボンのベートーヴェンハウスが、「ディアベリの主題による33の変奏曲」の草稿を取得しました。

個人が所蔵し、売りに出されていたもので、ベートーヴェン研究にとっては貴重な資料であることからベートーヴェンハウスが取得を希望しつつも、資金難のため購買のため寄付をつのっていたものです。
6月13日「青木やよひ追悼レクチャー&コンサート」のチケット販売で得られた利益の一部を、青木さんのご遺志もあり、この草稿購入の目的でベートーヴェンハウスに寄付をする予定でしたが、思いのほか寄付の集まりが早かったようです。世界の人々のベートーヴェンにかける思いの強さに改めて驚かされるとともに、ベートーヴェンを愛する人々が、研究機関としてのベートーヴェンハウスに大きな信頼を寄せているということも改めてよくわかりました。

今までにチケットを購入いただいた皆様、ご協力ありがとうございました。
以上のような事情ですので、コンサートの売上の一部は、「ディアベリ購入」に特定せず、ベートーヴェン研究の維持発展のため、ベートーヴェンハウスに寄付をさせていただきます。

ボンのベートーヴェンハウスのHPをごらんになりたい方、アドレスは
http://www.beethoven-haus-bonn.de
です。(ただし、ドイツ語と英語のみです。)

文責 コンサート連絡係 杉山

社会新報掲載【食・農シンポ】記事

2009-08-04 09:33:52 | 活動内容


食と農を柱にエコ・ソリューションへ

★社会新報2009年8月5日(第4551号)11面 掲載記事


農薬や添加物の長年にわたる使用、狂牛病に汚染米、
食糧の世界的高騰と低下する食料自給率、
グローバル企業による種子支配…。
広がる食と農のゆがみを克服する道は? 

経済学や生産者の視点を交えて提起するシンポジウム
「食の現状・農の未来」(主催は知と文明のフォーラム)が
6月、東京で開催された。

  集会ではパネリストに安田節子さん(食政策センター・ビジョン21)、植田敬子さん(日本女子大学教授・ミクロ経済学専攻)、片柳義春さん(参加型農場・なないろ畑農場運営)の3人を迎え、北沢方邦さん(知と文明のフォーラム代表・構造人類学専攻)が司会を務めた。

がん大国日本の背景

 安田さんは「60兆の細胞からなる私たちの身体は私たちが食べたものからできている」と語り、農と食のあり方の激変による健康への深刻な影響を指摘した。日本では1981年からがんが死亡原因の1位になった。「豆腐などに使われたAF2という発ガン性の強い殺菌剤が、日本でのみ9年間も許可された。この例が典型だが、多くの添加物が60年以降に認可され、加工食品が工場で大量生産された。農薬・化学肥料を多投する近代農法もこの時期に始まり、畜産業の過密飼いと続いた」と振り返った。加えてWTOによる農産物自由化圧力などグローバルな市場競争による弊害を述べ「食料の国内自給は可能。農薬、化学肥料、GM(遺伝子組み換え)食品の使用を止め、伝統の種を守ること。これは今、日本だけでなく世界中で緊急に必要な最重要の政治的課題」と主張した。

幸福度と経済学

 植田さんは経済学の観点から有機農業とCSAの意義を説いた。「米国も日本も、1人あたりの所得は年々上がったが、幸福度は米国では67年以降から逆に低下し、日本も57年以来低いままだ」と図を示して語った。分析によれば、その原因は健康不安や人とのきずなの崩壊だという。「こうした深刻な事実に経済学者は気付き、経済成長一辺倒の従来の制度を考え直すべきとの認識が高まった」と植田さんは前置きした。こうした観点から「欧米で急速に広がるCommunity Supported Agriculture(CSA)に注目した」と語った。CSAは会員(消費者)が年間を通じて支払額を決め、農作業や運営にも参加する。「生産者は生活の心配から解放され農作業に専念でき、消費者は近場の新鮮で健康に良い作物を手にし、人とのきずなも回復出来る」と述べた。また、有機農業には、人だけでなくまわりの環境も健康にするメリットもある。なぜ日本政府は十分な補助金をださないのか」と疑問を呈した。

CSAで地域の輪を

 植田さんが推奨し、安田さんが会員というCSAスタイルの農場を神奈川県綾瀬市で営む片柳さん。「お金の流れを変えたいと地域通貨運動に関わったが、地域通貨と農作業の連動が効果的とわかり、住宅街の空き地を借りて農業を始めた。生協の不祥事をきっかけに『ウソでない、安全な野菜が欲しい』という女性たちと出会い、1人では必要量の栽培が追いつかず、一緒に働いてもらった。クチコミで参加が拡がり、借りる畑も増えていった」と経緯を述べた。市民運動の延長から農場経営者になった片柳さんだが「農場を核にエコ時代のモデルになるようなコミュニティをつくりたい」と抱負を語った。

文明転換の基盤に  

 1929年生まれという北沢さんは、子ども時代の食生活の思い出も交えて「コメもイモも多様な品種と製法があり、味が楽しめた。それを駆逐したのはまず戦争による食糧難だった。多収穫だが味の悪い品種のイモ、コメに統合されていった」と語り「60年代以降からは、経済合理主義を最優先する近代農法の下で、長く日本の伝統農法であった有機農業も地方の風土にあった品種も消えていった。本来、食とはその国の文明の基となるものだが、それが壊された」と指摘した。そして「エコロジーによる農山村コミュニティの再建など、エコ・ソリューション(解決策)による文明の転換が必要だ。そのとき、農はその要の位置を占める」とまとめた。

 


『ふぇみん』7月15日号より転載

2009-07-24 21:38:50 | 活動内容

★ふぇみん7月15号(No.2896)に当フォーラムが主催した
シンポジウム「食の現状・農の未来」が掲載されました。
ふぇみんのご好意により、転載します。

http://www.jca.apc.org/femin/

有機農業を軸にコミュニティ再建を
シンポジウム【食の現状・農の未来】 

自給率40%、食品汚染など食と農をめぐる深刻な状況をどう転換させるのか。
東京で6月、シンポジウム「食の現状・農の未来」
(知と文明のフォーラム主催)が
開催された。

 集会では、遺伝子組み換え食品(GM食品)や農薬汚染、添加物の氾濫に警鐘を鳴らしてきた安田節子さん、ミクロ経済学が専門の日本女子大学教員の植田敬子さん、神奈川県でCSA農場(地域住民が支える参加型農場)を営む片柳義春さんの3人が報告した。  

 安田節子さんは「私たちが食べたものから、身体の細胞が出来ている」という事実をふまえ「工場で大量の加工食品が作られ、私たちの細胞の遺伝子を傷つけかねない多くの化学物質が使われ続けた結果、今日のガン大国となったのでは」と語り「このまま農薬やGM食品を摂り続けていけば、緩慢な死を迎えることになりかねない。食料を自給し、使った農薬はすべて表示するなど、安全な農作物を選択出来るように政策を変えることは急務」と訴えた。

変わる経済学
 「昔は経済学というと、経済成長率をどう上げるかという話しばかりをしていた。だが幸福度の統計からわかったことは、いくらお金ばかり増やしても、人間は幸福にはなっていないという事実だった」と植田敬子さん。幸福度の低下は、健康不安や人とのつながりが壊れるのが原因とされる。「今、欧米で急速に広がっているというCSA(Community Supported Agriculture)は、人との絆の回復し、新鮮な有機野菜で身体を健康にしてくれる。農薬使用による周囲の環境悪化がないという点でも優れている。経済学の面から言えば、有機農業には補助金を出して奨励するのが当然」と語った。

きっかけは地域通貨 
 片柳義春さんは住宅地が広がる神奈川県の大和・綾瀬・厚木市に点在する遊休地を借り、「なないろ畑農場」を営んでいる。きっかけは市民運動として取り組んだ地域通貨だった。「落ち葉を集めてくれた人には地域通貨を渡し、落ち葉堆肥で育てた花の苗と交換する」と言うと大勢の人が来て、1人で2カ月かかった作業が半日で終了した。この体験から「次は芋畑、その次は…」という経過のなかから「なないろ畑農場」が誕生した。「農場を核に、地域通貨と連動してコミュニティを再生するのが本来の目的。いずれ21世紀型社会のモデルとなるようなエコビレッジをつくりたい」と片柳さん。 

 司会の北沢方邦さん(信州大学名誉教授)は「食・農は私たちの文化の基底となるもの。危機にある食と農の現状を変えることが、文明そのものをエコロジーの方向へと向うエコ・ソリューションへの入り口となる」と語った。(大束愛子)


安田節子著『自殺する種子』

2009-06-25 07:11:10 | 活動内容

食をめぐる政治経済学

安田節子著  『自殺する種子』 

 
 昨年の6月、知と文明のフォーラムが主宰するセミナーに安田節子さんをお招きして、2日間にわたってお話を伺った。食をめぐって展開されるお話は、そのソフトな語り口とは裏腹に、現代社会の酷薄な実情を白日の下にさらす、まことにショッキングな内容であった。

これは本にして、多くの人に読んでもらわなければならない――セミナーが終了したとき、私は安田さんに新書の執筆を依頼した。そしてセミナーからちょうど1年後、『自殺する種子――アグロバイオ企業が食を支配する』というタイトルで出版の運びとなったのである。この本には、長年消費者運動に関わってこられた安田さんの豊富な体験と深い知識、さらにそこから培われた実践的な思想が、十分に反映されていると確信する。

本書はなによりも、食をめぐる政治経済の本である。一読すると、現代世界の経済構造と、それを支える政治権力のあり方が見えてくる。食をテーマとしている故に、それらのあり方はより切実に、読む者の心に訴えかけるに違いない。

たとえば、2007年から08年にかけて世界を席巻した、穀物の異常な高騰がある。その影響を受けて、ハイチやバングラデシュでは餓死する人が多く出た。農業国でなぜ人が飢えるのか。その原因は、現在の世界銀行・IMF(国際通貨基金)・WTO(世界貿易機関)体制にあるのだと教えられた。ハイチやバングラデシュでは、債務の返済のため、バナナ、サトウキビ、綿花などの換金作物を作ることを強制され、自給農業が壊滅したのだ。主食はアメリカやフランスなど「農業国」からの輸入に頼ることになり、今回の食糧高騰で大打撃を受けることになった。

食糧高騰の理由も、バイオ燃料の拡大、気象変動、新興経済国の穀物需要拡大、投機マネーの流入、農業国の輸出規制と、明確に指摘されている。なかでも、投機マネーの流入の影響がもっとも大きいとされ、利潤を得るためには手段を選ばない、資本主義経済の本質が暴かれている。

本書のハイライトは、第3章「種子で世界の食を支配する」と、第4章「遺伝子特許戦争が激化する」である。タイトルの『自殺する種子』もこれらの章から採られている。生命を次世代に伝える、生物のもっとも根源的な存在である種子が、なぜ自ら生命を絶つのか?  この背景には、止まるところを知らないバイオテクノロジーの進化と、それを支配するグローバル企業の存在がある。

種の第2世代を自殺させる、遺伝子組み換えによる自殺種子技術。次の季節に備えて種を取り置いても、その種は自殺してしまうので、農家は毎年種を買わざるを得なくなる。まさに究極の種子支配技術である。モンサントやデュポンなど巨大アグロバイオ(農業関連生命工学)企業は、遺伝子工学を駆使した自殺種子や除草剤耐性種子(除草剤も抱き合わせにして)を世界中に売り込むことで、莫大な利益を上げているという。

 一方アメリカ政府は、遺伝子そのものにまで特許を認めることで、グローバル企業の後押しをしているのだ。「食」はまさに、アメリカの国家経済戦略の要なのである。

本書はさらに、アメリカ追随の近代的日本農業の破綻を見据えた上で、あるべき食と農の未来を展望する。地域に根差した有機農業こそ、日本の自然を護り、安全で美味しい食物を生み出すことができるのだと、結論している。

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
安田節子著『自殺する種子――アグロバイオ企業が食を支配する』
 平凡社新書469巻■208頁■定価756円(税込み)

 ■目次より
 はじめに:なぜ種子が自殺するのか
 第1章:穀物高値の時代がはじまった
          
――変貌する世界の食システム
 第2章:鳥インフルエンザは「近代化」がもたらした
          ――近代化畜産と経済グローバリズム
 第3章:種子で世界の食を支配する
          ――遺伝子組み換え技術と巨大アグロバイオ企業
 第4章:遺伝子特許戦争が激化する
          ――世界企業のバイオテクノロジー戦略
 第5章:日本の農業に何が起きているか
          ――破綻しつつある近代化農業
 第6章:食の未来を展望する
          ――脱グローバリズム・脱石油の農業へ
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 2009年6月24日
 J-MOSA


「新実徳英の世界」を聴いて

2009-05-30 11:27:21 | 活動内容


「新実徳英の世界」を聴いて

螺旋の生み出す生命のエネルギー――新実徳英の音楽

 
 いわゆるクラシック音楽フアンにとって、現代音楽というのは遠い存在である。かくいう私も、日頃聴く音楽はせいぜいベルク止まりで、まして日本の現代音楽を聴く機会はほとんどなかった。考えてみればこれはおかしな話で、私と同じ現代を生きている日本の作曲家が何を考え、何を表現しようとしているのか、当然興味を持ってしかるべきなのである。

 これは音楽を聴く姿勢に問題があるのだろう。何を音楽から得ようとするかということである。美しさや快さのみ求める態度からは、現代音楽への道筋は見えてこない。いや本当は、古典派音楽でもロマン派音楽でも、作曲された当時は時代との闘いであり、そこから数々の名作が生まれたに違いないのである。

 モーツァルトのオペラは、バロック・オペラとは決定的に違う。音楽そのものが構造的・立体的になり、それは例えば「フィガロの結婚」などにみられる複雑な人間関係を描く強力な手段を提供している。またその背景に、18世紀後半の市民階級の勃興という社会・経済的な事情があったということは間違いのないことだろう。

 ヴェルディのオペラは、19世紀の国民国家形成の時代を抜きには考えられないし、ワーグナーのオペラは、その時代の革命精神と無縁ではないだろう。また、第一次世界大戦での悲惨な体験がベルクの「ヴォツェック」を生んだともいえる(このあたりの、音楽と社会、あるいは時代精神との関わりについては、『北沢方邦 音楽入門』(平凡社)に詳しい)。

 私自身が音楽に求めるのは、美しさや快さだけではない。それらを含めた、時代を超えた、普遍的な価値――「人間の真実」とでも言えばいいのだろうか。しかし音楽を聴くにあたって、そんな観念的なことを考えているわけではまったくない。好ましい音楽か、そうではない音楽か、というだけであり、結果的にバッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ヴェルディなどを聴く機会が増えたというに過ぎない。

 十二音音楽以降の現代の音楽は、時として面白いと感じるものの、感動とは異質のものであり、敬して遠ざけてきたというのが偽らざるところである。ところが、知と文明のフォーラムが主宰する、昨年の「西村朗の夕べ」といい、今年の「新実徳英の世界」といい、そこから受ける感動の質は、クラシックの巨匠たちの音楽から受けるものと異なるところはなかった。

 今回演奏された新実徳英の作品でとりわけ印象的だったのは、「ピアノトリオ――ルクス・ソレムニス」である。あの、心の底から沸きあがってきた感動は、いったい何に触発されたものだろう。明瞭なメロディーが聴かれるわけではなく、際立ったリズムが感じとれるわけでもない。しかし、闇のなかから立ち昇ってくるような、いわく言いがたい抒情。西欧の楽器で奏でていながら、西欧の音楽からは絶えて耳にしたことがないような響き。音が光のなかに密かに立ち現れ、静かに渦を巻き、それが少しずつ高みに昇っていく。高みで音は緊張感のなかに持続して、エネルギーそのものと化す。圧巻だった。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、3つの楽器の奏者の腕は確かで、彼らの奏でる音は、まるでこの世のものとは思えないような響きであった。

 新実は、音は作り出すものではなく、受け取るものだと言う。「音の闇」の住人である作曲家に、あるとき天啓のごとく、「あるものの全体」がやってくる。それをかたちにするために作曲をするのだと言う。私が聴いた音は、その、「あるものの全体」そのものだったのだろうか。不思議な体験であった。

 『新実徳英の世界――螺旋をめぐって…生命の原理』
2009年4月25日 セシオン杉並

魂の鳥 :フルートとピアノのために     
ソニトゥス ヴィターリスI :ヴァイオリンとピアノのための
ピアノトリオ――ルクス ソレムニス  
風のかたち :ヴィブラフォンのための 
アンラサージュ II  :3人の打楽器奏者のために
ヘテロリズミクス :6人の打楽器奏者のために

レクチャー=北沢方邦
対談=新実徳英、杉浦康平
演奏=長尾洋史(pf) 永井由比(fl) 寺岡有希子(vln) 上森祥平(vc) 
上野信一(perc) フォニックス・レフレクション(perc)

2009年5月26日 
j-mosa


食料・身体性・環境セミナーのお知らせ

2009-05-16 10:24:25 | 活動内容


 知と文明のフォーラム主催◆食料・身体性・環境セミナー




食の安全性・自給率などどれを見ても農衰日本の現状は深刻です。
加えて出口の見えない世界規模の経済危機は、
ポスト・グローバリズム世界の構想の必要性を迫っています。
そこでも「食と農」のあり方をどう転換するかは
ひとつの大きなポイントとなりえます。
食・農に於けるエコ・ソリューションとは?

食と農の危機をあきらかにし、
経済学の視点や、首都圏での地産地消の取り組み報告を交えて、
ご一緒に考える場を持ちたいと思います。

  パ ネ リ ス ト

安田節子
(食政策センター・ビジョン21主宰・日本有機農業研究会理事)
植田敬子
(日本女子大学家政経済学科教授)
片柳義春
(CSAシステムによる「なないろ畑農場」を神奈川県綾瀬市で運営)

司会●
北沢方邦
(知と文明のフォーラム代表・信州大学名誉教授)

日時:2009年6月28日(日) 午後2時~5時
会場:世田谷区・北沢タウンホール集会室
下北沢駅南口徒歩3分(井の頭線・小田急線)
TEL.03-5478-8006
資料代:800円
※予約の必要はありませんので、直接会場においでください。


主催●
知と文明のフォーラム(代表 北沢方邦・青木やよひ)
連絡先●TEL/Facs. 03-3918-1479



【新実徳英の世界】を聴いて

2009-05-04 21:56:17 | 活動内容

【新実徳英の世界】を聴いて 

フランス音楽を中心とする室内楽コンサートを続ける、カルチエミュジコの活動に関わるNOBOBONさんが、「新実徳英の世界」のコメントを書いてくれています!
力作なので皆さんにもご紹介します。(フォニックス・プロモート●杉山)

掲載元URLNOBOBNの日記(WebDICE)
http://www.webdice.jp/diary/detail/2273/


カルチエミュジコのブログ
http://quartiersmusicaux.blog77.fc2.com/



セシオン杉並で、
「世界音楽入門II 新実徳英の世界ー螺旋をめぐって:生命の原理ー」
という、レクチャー・コンサートを聴いた。(2009.04.25 14h00)


       
前半は北沢方邦の世界音楽をめぐるレクチャーと、新実徳英のピアノを含むデュオ、トリオ作品のコンサート、後半は新実徳英とこのコンサートのチラシなどのグラフィック・デザインを手がけた杉浦康平の対談と、パーカッションのための作品という構成で、3時間以上に渡るプログラム、ちょっとツカレタ。

<プログラム>
 魂の鳥(フルートとピアノのための)(1996) 
  永井由比 fl. 長尾洋史 pf. 

 ソニトゥス・ヴィターリスI ヴァイオリンとピアノのための (2002)
  寺岡有希子 vl. 長尾洋史 pf. 

 ピアノトリオーールクス・ソレムニスーー (2008)
  寺岡有希子 vl. 上森祥平 vc. 長尾洋史 pf. 

 風のかたち ヴィブラフォンのための (1990)
  上野信一 vib.

 アンラサージュII 3人の打楽器奏者のために (1978)
  上野信一  大前和音 峯崎圭輔

 ヘテロリズミクス 6人の打楽器奏者のために (1993)
  上野信一 +フォニックス・レフレクション
        石井喜久子 大高達士 大前和音 萩原松美 
        小田もゆる 新田初美 峯崎圭輔 三宅まどか 

       
まず、最初の『魂の鳥』、これにかなりオドロイタ。ピアノの響きの余韻の只中に生成し、立ち昇るがごときフルートの音。作曲家のプログラムノートには「ピアノのつくり出す倍音の中にフルートはその生を生き始め飛翔へと向っていく」とあり、まさに意図通りの音を聴き取ってしまったようだ(ちょっとクヤシイ)。時間の流れは「横軸」な感じがするのだけど、ここで鳴る音は垂直に立ち昇り、でもそれは時間を断ち切るのではなく、垂直な時間だったのであった。タイトルの意味するところは、「鳥はしばしば飛翔の象徴であり、魂の実体化したもの」。メシアンの鳥たちとは違うなー。違いは、楽想や作曲家の資質や嗜好のことではなく、生態系の違いなんだなこれは、と、ひとり納得。


       
次の『ソニトゥス・ヴィターリス I』、このシリーズのIVとVを、2007年の全音の「四人組」のコンサートで、そういえば聴いていた。彷徨うようなヴァイオリンの音ではじまり、ピアノがからみついてくる。「音の闇から立ち上がろうとする音を聴く」というのが作曲家の言。これも悪くない。


       
『ピアノ・トリオールクス ソレニムス』=荘厳の光。形式の見通しのないところから出発して、気がつけば螺旋形式、「宇宙と同じ螺旋状の上昇を、はからずも音楽の中に表現することとなった」そうな。何が螺旋状かといえば、旋回し上昇する音形ということでもなく、昂揚感でもなく、何とはうまくいえないのだが、ああ、うん、そうね、螺旋螺旋…と納得する、人のいいワタシ。前半3曲通して、この人のピアノの使い方がイイナと感じた。キラキラひらひらしてないピアノ。音の塊がぐわーんと響くところとか。


       
休憩後、まず対談があって、杉浦康平のアジアにおける螺旋図像のスライドショーがあって。まあ、ワタシは好きなんですけどね、生命の螺旋状運動とか、量子力学とヴァナキュラーな宇宙論の連関とか、宇宙樹・生命樹がナンタラカンタラとかさ。でも割愛。

この対談の最初に、杉浦康平が作曲家をヨイショ(失礼、絶賛)してた中で、ルクス・ソレニムスのことを、「音の闇から立ち上がってきた音に、どんどん力を与え、螺旋状に高みへ高みへと導く…」というようなことをおっしゃっていましたが、「どんどん力を与え」「導く」というのはチガウカナと。作曲家の意図によって生成する運動としての音なのではあろうが、「力を与え」というような、他律的なものには聴こえなかった、ワタシには。


       
後半のコンサートは、パーカション部門。上野信一のマルチ・パーカッショニストぶりを拝聴拝見すべく、姿勢を正す(ほんまか?)。

ヴィブラフォンのソロ『風のかたち』。2台の微妙にピッチの異なる(らしい)ヴィブラフォン、最初はコントラバス(たぶん)の弓を使って、鍵盤(っていう?)の小口をこする。そのあとの共鳴管の響きはまさしくヴィブラフォンなんだが、へええ、鍵盤を弓でこするとこんな音がするんだー。でもって、とにかく倍音の嵐。マレットで叩いても倍音の嵐。うわー。うわーん、わーんわーんわーん。気持ちいーよーん…あ、失礼。作曲家によれば、〈尺八本曲から抽出された旋法」を使った作品で、「中空にゆらめきながら漂っては消えていく余韻の交わり、それらの作り出す「線の形」。それはまるで「風のかたち」のように捉えようのないものかもしれないが、しかし確かにそこに在る。〉……打楽器は、音って空気の振動だったよなと、こっちも共鳴しながら思い出すとこがいいね(旋法とか言われると太刀打ちできないので、話を変える)。


       
『アンサラージュ II』、フランス語で「纏わりつく」の意。太鼓系の打楽器(革張ってるやつね)、名前はわからないが、タムタムとかみたいなやつ、3人で叩きまくりな作品。打楽器は、音って空気の振動…あ、さっき書いたか。渦巻くリズムリズムリズム。血が騒ぐ。


      
『ヘテロリズミックス』。6人の打楽器奏者のための…しまった楽器構成が全然わからん。マリンバとヴィブラフォン(あったような…)、大太鼓2、小太鼓、銅鑼みたいのもあったかな、あといろいろ叩き物が所狭しと並んだ舞台、楽器掛け持ちで舞台後ろを駆け抜けるオニーサン。これも作曲家の解説より、「hetero+rhythm+mix…原旋律・リズムと、それを異なる時間単位、異なる音高・音色へと変化させたものが、互いに重なり合って多層的複合的な音楽時間を作り出す」、ふむふむ。通奏低音的にベースになるリズムが刻まれているのだが、そこからズレたり派生したりしてくるリズムや音色がひとつになって旋回していって、もう何が何やら…さらに一層血が騒ぐ、ひたすら楽しい曲でした。上野信一の指揮の身振り手振りがさすがパーカッショニスト、切れが良くて、指先から音が聴こえてくるかの如し、でした。


余談ですが。北沢方邦著『メタファーとしての音』(新芸術社)を、会場で購入。彼は青木やよひとともに、アメリカ先住民ホピ族の地を訪ね、ホピや先住民文化についての本を何冊も書いていて、私はそれを読み耽り、『ホピの聖地へ―知られざる「インディアンの国」』(北沢方邦著 東京書籍)を携えて北米大陸南西部を経巡り、十数年越しの憧れの地、ホピの国を訪ねたのだった(それが既に十数年前のことだ…)。音楽をめぐる彼のお仕事は寡聞にして知らなかったが、『メタファーとしての音』は、「音楽は人間感情の表現である、としばしば語られてきた。たしかに、大衆の好むいわゆるカラオケの演歌から、リヒァルト・ヴァーグナーやブルックナーあるいはマーラーの咆哮する大管弦楽に至るまで、すべては人間感情の表現であるかのようにみえる…」とはじまり、この〈語られてきた〉〈みえる〉」という留保のつけかたに、すでにワクワクしてしまう。目次を眺めると、世界音楽、西欧中世-近代-現代と駆け抜けるこの本、会場で著者に話しかけたら「むつかしいですよ」と言われてしまって、ちょっとトホホなのだが、むつかしくても駆け抜けてしまおう…。

投稿日:2009-04-26 01:30


レクチャー・コンサート③開催のお知らせ

2009-02-09 08:55:11 | 活動内容

レクチャー・コンサート:世界音楽入門Ⅱ

新実徳英の世界

螺旋をめぐって・・・生命の原理

【司会・構成】…北沢方邦

2009年4月25日(土)14時開演

セシオン杉並
東京都杉並区梅里1-22-32 ℡03-3317-6611
丸の内線●東高円寺駅から徒歩5分 ●新高円寺駅から徒歩7分

全自由席 一般4000円(前売3500円) 学生3500円(3000円)

―――――――――――

風の音、魂の声、生命の響き―
新実徳英の深遠なる音宇宙は
どこから生まれるのか?

プログラム①「音楽と日本的霊性」

【レクチャー】…北
沢方邦

魂の鳥■フルートとピアノのための
ソニトゥス ヴィターリスⅠ■ヴァイオリンとピアノのため
ピアノトリオ…ルクス・ソレムニス  

プログラム②「音楽と宇宙」

【対談】…新実徳英+杉浦康平

風のかたち■ヴィブラフォンのための
アンラサージュⅡ■3人の打楽器奏者のために
ヘテロリズミクス■6人の打楽器奏者のために

…演奏…
上森祥平/寺岡有希

永井由比/長尾洋史
上野信一&フォニックス・レフレクション

―――――――――――
チケットご予約・購入できます。
チケット販売サイト●カンフェティ

http://confetti-web.com

http://confetti-web.com/ticket/ticket.asp?G=ch00un38&S=090425  

電話でのお問合せ●03-5477-2977
ファックスによるご注文●03-5486-5022
メールでのご注文・お問合せ SNA41919@nifty.com
★メールにてお問合せの方は、お手数ですが、
「新実コンサート問合せ」と、タイトルをお願いします。

●チケットは
杉並文化協会
 http://www.sugibun.com

コミュかるショップ、杉並区内各区民センター、杉並公会堂でも
お買い求めいただけます。(会員・区民割引有り)

【主催】ハーツウィンズ
【共催】知と文明のフォーラム
お問合せ・予約●知と文明のフォーラム東京事務局
(090)7176-6700 SNA41919@nifty.com

 


19 日のコンサートに寄せて

2008-04-26 11:28:41 | 活動内容

 「世界音楽入門&西村朗の夕べ」レクチャー・コンサートに寄せて 

北沢方邦先生                     

                       浦 達也                

                                      2008年4月23日                                                 

 謹復 

 今回は4/19の「レクチャー・コンサート」にお招きいただき誠に有難うございました。長時間になるためレセプション・交流会だけは体調調整のため別場所で休養してましたが、第一部・第二部とも通してばっちり「世界音楽」 提唱の北沢哲学(新しい知の方向、ゲーテ→ベートーヴェンを踏まえた)と、天才作曲家・西村朗さんを中心に据えた最前線の表現者たちの実演が聴衆をも 巻き込んで見事に交差交流しあう、この大饗宴を堪能しました。と同時に予測 をはるかに超えた「事件」ともいうべきこの瞬間にこの場所に立ち会えて本当 に良かったです。深謝しています。

 世界の初めの「訪れ」は「音連れ」であったとも言われていますが、「世界音 楽」という概念は「音楽」というより更に初原的で多様性のある「音」とか「振動」そのもののように感じました。(僕の大好きなENYAの曲にも似ています)。

 なお第二部の冒頭で北沢先生がレセプションで「“主観性”をネガティブに捉えすぎていないか?」という質問が出たことに対して丁寧に説明をしてくださり、実は僕も同じ疑問を持っていたのでその真意がよく分かりました。他のことは第一部のレクチャー&対論(構成が巧み)でよく分かり、ドビュッシーと バルトークの演奏でその「現代性」や「宇宙観」が体感できました。

 第二部は文字通り「西村朗の夕べ」となり、これが滅茶苦茶(最高の褒め言葉)に楽しい(というより楽しすぎる)。ハップニングすら楽しい(失礼)。何より演奏者が凄い。超一流のピアノだ。超技巧も何だか楽しみながら心身一体で舞い踊っているようだ。顔も楽しい上野信一門下のパーカッション・グループのお姉さんお兄さんも師匠同様に元気一杯喜び一杯。僕も一緒に叩きたくなった(こんなことを思ったのは初めて)。金管楽器の方がより霊的世界への参加感を誘う。

 代わりに精一杯の拍手(とブラヴォー)。しかし西村さんは北沢先生同様に観客席でも舞台に上がってもクールだ。そこがまたいいのだ。お二人からは詩のような素敵な言葉やレトリックも沢山いただいた。知も血も音を連れて舞い共鳴しあった夢の饗宴は20時に終わった。その余韻はいまなお続く……

        嬉しかった。 
        楽しかった。
        久しぶりに哲学と音に酔う。

                                                謹白

※ご両者の了承を得て私信を掲載しました。浦達也氏はNHKの元チーフ・ディレクター。教授だった江戸川大学を拠点に、東大などでメディア論を講義。著書に、『実感の同時代史』(批評社)など。

レクチャー・コンサート②主旨

2008-03-24 13:11:33 | 活動内容


世界音楽入門&西村朗の夕べ

レクチャー・コンサート

★2008年4月19日(土)★
14:00開演(13:30開場)★セシオン杉並

 

   

「世界音楽」とはなにか    北沢方邦

音楽とはかつては世界知や宇宙論の表現であった。パプア・ニューギニアの神秘な笛の合奏と巨大な丸太ドラムのとどろき、またわが国の御神楽(みかぐら)の「天(あま)つ風」である笛の音と、「常世(とこよ)の波」である和琴(わごん)のひびきは、いずれも父なる天と母なる地または水をあらわし、宇宙の幽玄を伝えていた。ガムランやインド古典音楽、あるいはイスラーム古典音楽など、諸文明の音楽が音による宇宙論であることはいうまでもない。

西欧近代の音楽でも、バッハやモーツァルトあるいはベートーヴェンやバルトークといった偉大な作曲家たちが、決定的な瞬間に世界知や宇宙論のきらめきを描きだしていた。しかし全体としては社会の世俗化とともにしだいに人間の感情、しかも作曲家個人の主観的な感情をうたうことに専念し、音楽のこの根源を見失っていった。宗教音楽でさえ、神や神の子の事跡への個人的・主観的な憧れや情念の表現でしかない。このような、むずかしくいえば「主観性の音楽」は、すでにその限界によって没落を予告されていた。20世紀音楽の混乱やニヒリズムは、その当然の帰結である。

だが21世紀のいま、世界の危機に対応して、音楽における世界知や宇宙論の復活がはじまっている。かつてゲーテが提唱した「世界文学」のように、各種族の多様な文化を踏まえながら、それら相互をつらぬいて交流する「世界音楽」の必要性が高まっているのだ。

こうした状況を認識してわれわれは、「世界音楽」とはなにかを探り、また「世界音楽」の実践者を迎え、音楽を通じて新しい知の方向を見定めるこころみを行うことになった。「世界音楽」の実践者とは、いうまでもなく作曲家の西村朗さんである。古今東西の音楽に精通し、アジアの世界観や宇宙論に深く触れ、自作に近代の主観性の音楽を超える力を表現している西村さんを迎え、大いに語り合い、聴衆を含めて交流したい。

音楽愛好家だけではなく、世界や知の現状を深く憂えるひとびとにもぜひ参加していただき、新しい知の磁場をつくりだしていきたい。われわれに求められているのは新しい知の形成である。

 


レクチャー・コンサート②開催のお知らせ

2008-03-20 23:59:39 | 活動内容

世界音楽入門&西村朗の夕べ

レクチャー・コンサート

北沢方邦、西村朗とともに、現代音楽の「今」を聴きつくし、語りつくす

2008年4月19日(土)

14:00開演(13:30開場)

セシオン杉並
全自由席(括弧内は学生席)
第1部  2000円(1500円)
第2部  3000円(2500円)
通し券  4000円(3500円)

第1部 14:00開演(13:30開場)レクチャー・コンサート「世界音楽入門」

レクチャー&トーク
現代音楽と世界  北沢方邦・西村朗
演奏
ドビュッシー・・・・・・・
・・・・・・・金の魚(イマージュ2)
バルトーク・・・2台のピアノと打楽器のためのソナタ

蛭多令子(pf) 松永加也子(pf) 上野信一(perc) 藤本隆文(perc)


 ★ ★      ★         
レセプション・交流会(16:00より)セシオン杉並3F会議室にて
出演者との交流をお楽しみいただけます
(軽食つき。半券をお持ち下さい、いずれの券でも可)
 ★                

 

第2部 17:30開演(17:00開場) 西村朗の夕べ~西村作品を聴く~

ピアノ・ソロ・・・・・・・・ヌルシンハ/光の雫
ピアノ&打楽器・・ナタラージャへの前奏曲
(マリンバとピアノのための)
  ・・・・デュオローグ
(ティンパニとピアノのための)
打楽器アンサンブル・・・・・・・・・・ケチャ/瞑想のパドマ/ヤントラ

蛭多令子(pf) 松永加也子(pf) 上野信一(perc)
フォニックス・レフレクション(perc)



チケットのお買い求め
●東京文化会館チケットサービス■03-5815-5452   http://www.tbk-ts.com/

●杉並文化協会 ●杉並区役所コミュかるショップ 
●杉並区各地域区民センター ●杉並公会堂
      ●マザーアース  http://www.mother-earth-publishing.com/                 

お問い合わせ
●知と文明のフォーラム東京支部 ■(代)03-5477-2977 または
SNA41919@nifty.com

(メールにてお問合せの場合は、
お手数ですが「コンサートの問合せ」と件名をお書きください)

主催●知と文明のフォーラム東京支部 
共催●現代音楽研究会 
協賛●ヤマハ株式会社
後援●全日本ピアノ指導者協会 コマキ楽器 プロフェッショナル・パーカッション 
    (株)ブルーマレット フォニックス・プロモート 日本ピアノ教育連盟 平凡社 
協力●ミサワホーム東京株式会社 伊藤園株式会社


教育シンポジウム報告

2007-03-27 23:30:53 | 活動内容

公開シンポジウム【北欧の教育と日本の教育】報告 
―デンマーク・オランダ・フィンランドと日本を比較して―
「知と文明のフォーラム」★日本女子大学人間社会学部文化学科★同教育学科 共催
2007年3月3日(土)午後2時から 目白キャンパス香雪館202号室で開催されました。

――――――

森田伸子教育学科長の司会により
北沢方邦先生の挨拶ののち
古山明男 (古山教育研究所主宰)
伊藤美好 (『パンケーキの国で―子どもたちと見たデンマーク』著者)
リヒテルズ直子(翻訳・通訳業、教育問題研究家 『オランダの個別教育はなぜ成功したのか』著者)
佐藤全 (日本女子大学人間社会学部教育学科教授) 
の4人のパネリストが発表を行ないました。
――――――
古山氏がフィンランド
伊藤氏がデンマーク
リヒテルズ氏がオランダについて
学校制度、政治的事情、教育改革の経緯等について、日本の現状と比較しながら、
次に佐藤教授が教員養成の立場から日本の現状について。
――――――
 それぞれ具体的かつ興味深い内容で、
200名を越える参加者が熱心に聞き入り、
予定した休憩時間をカットして引き続き行なわれた質疑応答も退席者もほとんどなく、
充実した内容となりました。
終了後に行なわれた交流会も盛会でした。(文責 杉山直子)


教育シンポジウム開催のお知らせ

2007-02-17 22:53:48 | 活動内容

知と文明のフォーラム★日本女子大学人間社会学部教育学科・文化学科★共催

■■■シンポジウム■■■■
北欧型教育と日本の教育

――デンマーク・オランダ・フィンランドと日本を比較して――

子どもに、ほんとうに考える力と生きる力を身につけてほしい。
賞罰や競争で子どもを追い立てない教育がほしい。
このような教育のありかたは、今の日本では不可能なのでしょうか。
ひとりひとりを尊重した教育実践を重要視する北欧型教育について学び、
日本型の教育と比較することによって、
よりよい教育のための展望をさぐります。
 

 オランダ在住で子ども二人を育てたリヒテルズ直子、デンマークに子ども三人と滞在した伊藤美好、フィンランド教育などを研究する古山明男、日本の教育行政学を専門とする佐藤全が、身近な生活から制度まで、北欧と日本の教育を縦横に語ります。

日時・・・・・2007年3月3日(土) 14:00-16:30
●場所・・・・・日本女子大学目白キャンパス 香雪館202号室 
        (JR目白駅から徒歩15分、バス5分)
●参加費・・・無料

発言者紹介

リヒテルズ直子
(りひてるずなおこ)
1955年下関市生まれ。九州大学(教育学修士・社会学博士課程単位取得中退)出身。1996年よりオランダ在住。翻訳・通訳業の傍ら、オランダの教育や社会情勢についての自主研究を続ける。著書に『オランダの教育多様性が一人ひとりの子供を育てる』『オランダの個別教育はなぜ成功したのかイエナプラン教育に学ぶ』(共に平凡社)、共著に『学力を変える総合学習』(明石書店)など。

伊藤 美好(いとうみよし)
1956年名古屋市生まれ。京都大学文学部史学科卒業。専攻は西南アジア史学。北欧留学情報センターでデンマーク語とスウェーデン語を学ぶ。東京都在住。著書に『パンケーキの国で子どもたちと見たデンマーク』(平凡社)、共著に『笑う不登校』(教育資料出版会)、『戦争のつくりかた』(マガジンハウス)、『11の約束えほん教育基本法』(ほるぷ出版)など。

古山明男(ふるやまあきお)
1949年千葉市生まれ。京都大学理学部卒業。動物雑誌などの編集者を経て、私塾・フリースクールを開設し、不登校の子どもたちの支援や教育相談に携わる。一方、古山教育研究所を主宰し、国内外の教育史や教育制度を研究する。イギリス、アメリカ、オランダ、フィンランドなどの教育行政を視察する。著書に『変えよう!日本の学校システム教育に競争はいらない』(平凡社)など。

佐藤 全(さとうあきら)
1940年宮城県生まれ。東北大学大学院教育学研究科修士課程終了後、県立高校教員、私立大学専任講師、東北大学助手、香川大学助手・講師・助教授、国立教育研究所主任研究員・室長・部長を経て、現在日本女子大学人間社会学部教育学科教授。教育学博士(東北大学、1983年)。最近の著作に『教育経営研究の理論と軌跡』(玉川大学出版部、共編著)、『教員の人事考課読本』(教育開発研究所、編著)、「政策過程から見た教員評価制度の特質と課題」(『教育社会研究』第72集、分担執筆)など。

後援:平凡社 お問い合わせ先:知と文明のフォーラム 東京事務局042-371-8165