一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

したこと、みたこと、聞いたこと

2010-08-29 22:30:14 | Weblog

 

したこと、みたこと、聞いたこと

 かつて経験したこともない猛暑が続く今年の夏、庭に自生する紫ジソが同じく自生する青シソを駆逐して生え広がってしまい、シソジュースを作ってみた。紫といっても黒ずんであまりきれいでない紫ジソの葉だが、水を加え沸騰させたところにレモン汁を入れるとガゼン鮮やかな赤紫へと変身する。美味ではないが夏バテには効くそうだ。私は、更に黒酢を足して飲んでいる。猛暑のおかげで紫ジソは2日も干したら、からからになってくれ、あとは手で揉み、すりごきですったらあっというまに「ゆかり」も出来上がった。子どものころ夏の昼食には、よくこのゆかりのおにぎりを食べたものだった。

 今年の822日は、韓国併合の調印から100年目ということで、東京で1000人が集う集会があった。集会の最後は、舞台上で韓国の民族楽器チャンゴを叩いてのにぎやかな合奏と踊りになった。客席でも踊る人の姿がちらほら見られたが、集会では多数派の日本の人たちの身体はなかなか硬いようだった。舞台上で踊る人を見ていたら、脳裏に4年前の靖国デモの光景がよみがえって来た。

 4年前、2006年の夏は、小泉首相(当時)が公約した8月15日参拝をするのでは、と日本の市民グループだけでなく、台湾や韓国からも来日した人たちも加えての抗議のデモや集会が5日連続してあった。靖国神社には、日本人だけでなく台湾や韓国の戦没者も無断合祀されている。私が参加したデモでは、台湾の人たちがおそろいの民族衣装のようなものを着て、デモ行進中は数メートルおきに元気な掛け声をあげていた。日本の人のデモは、私自身もそうなのだが、この台湾や韓国の人に比べてあまり元気とは言えないものだった。韓国の人たちは解散地点で輪をつくり、皆で歌っていて、これも日本の人たちが解散地点では三々五々に散っていくのとは対照的だった。そのとき耳にしたのは金敏基(キム・ミンギ)作詞・作曲の「朝露」だった。このときはただ単純にこの歌のメロディーが好きだった私は、そばで立って聞いていた。

 
822日の集会でも、「朝露」は歌手の沢知恵さんがピアノを弾きながら声量のある声で歌った。彼女は幼いころに母の故郷である韓国で一時期暮らしたことがあり、牧師だった父の家には、金芝河(キム・ジハ)などの民主運動家が出入りしていたそうだ。彼らがそのときよく歌っていたのがこの「朝露」だったと思い出も披露してくれた。この歌は朴軍事政権下の1971年、キム・ミンギのアルバムに収録され、75年に禁止曲となったという過去があるという話を最近、友人が教えてくれた。「朝露」は今でも歌い継がれているそうだが、近頃は韓国でも音楽が始まって自然に踊りだすのは中年以上の人たち、若者は身体の動かし方がわからなくなっているのだとか・・。

 
815日を前にしての靖国の集会は、今夏も行われたという。そして、815日の首相・閣僚の靖国参拝のない夏だったことは、政権交代の事実をひさしぶりに思い出させてくれる出来事ではあった。     

                                  束)


北沢方邦の伊豆高原日記【84】

2010-08-27 08:54:25 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【84】
Kitazawa, Masakuni  

 しばしテッポウユリ依存症になってしまった。夜の室内に、どこかにひっそりとたたずむ貴婦人のようなあの純白の花弁と仄かな香りにすっかりしびれ、ひと花がしおれるとまたひと花と、庭から切っては挿し、切っては挿しを数週間つづけてしまったからである。その季節も終わった。秋の虫たちのすだきの季節となる。朝、食卓のマットのうえにコオロギがやってきて、野菜やハムを盛り付けた紺色の大皿の横に坐った。キュウリの切れ端をやったが、食べずにゆっくりと身を動かし、去って行った。その志へのお礼の意味か、夜、寝室の枕元で一晩鳴きつづけ、私を夢の国へと誘ってくれた。

厚顔小沢一郎氏出馬 

 「厚顔な男」という言葉は、このひとのために創られたのだろう。小沢一郎氏が民主党代表選への出馬を決断したという。検察審議会が起訴相当を決議するかもしれないこの9月に、である。さらに噴飯ものは、小沢氏に心中を迫ったばかりの鳩山由起夫前首相がこれを支持するという。あれは第2幕登場のための「道行」だったとでもいうのだろうか(「あのひとはどこか致命的なところが不感症」という青木の評言を思いだす)。しかし、反小沢陣営にとっては絶好の機会であろう。いわゆる小沢チルドレンの大半も政治的・道徳的に常識の持ち主であるだろうから、菅再選にまちがいはないし、その後の内閣改造や党人事にあたって徹底的に小沢派排除をすれば、うたがいなく党は分裂する。待ちに待った政界再編の好機である。菅・仙石・枝野3氏と、前原・野田・玄葉などそれを支持するグループ、さらには小宮山洋子や蓮舫氏ら女性議員や若手良識派、同じく良識派としての渡部恒三氏などの長老たちに奮起をお願いしたい(横路孝弘衆議院議長も私は旧知であるが、旧社会党グループがもし今回小沢氏を支持などしたら、もはや見限りたい)。

人種差別主義者ウィンストン・チャーチル 

 ジョージ・W・ブッシュ前大統領は、大のチャーチル崇拝者で、その胸像をホワイトハウスの大統領執務室(卵型の空間からオーヴァル・オフィスとよばれる)の目立つ場所に飾っていた。バラク・フセイン・オバマは大統領に就任し、ホワイトハウスに入るや否や、ただちにこの胸像の撤去を命じた。なぜなら彼のケニア人の祖父フセイン・オニャンゴ・オバマは、ケニア独立運動の闘士であったが戦後イギリス官憲に逮捕され、チャーチル首相が設置した強制収容所に送られ、拷問を受け、その傷は生涯消えなかったからである。 

 ウィンストン・チャーチルが近代民主主義や自由の信奉者であり、ヒトラーやスターリンなどの独裁政治を心から嫌悪していたのは疑いない。だがその自由の信念や人権感覚が、西欧近代、というよりもそれによって創りだされた現体制に限定されていたことも疑いない。たとえば1920年、アイルランドの独立運動が燃え盛ったとき、時の内相チャーチルは悪名高い「ブラック・アンド・タン(黒帽と褐色制服の治安部隊)」を派遣し、血まみれの弾圧を強行した。同じ白人ではあるが、大英帝国に反逆する「劣等種族」アイルランド人に我慢がならなかったのだ。まして非白人に対しては、その白人至上主義(ホワイトシュプレマティズム)は鼻持ちならないものとなる。 

 内相以前の陸軍将校時代、彼は植民地インドでの「野蛮人どもとの小さな戦争は大きな楽しみだった」と書き記しているし、中東でイギリス統治に対するクルド人の反乱が起こったとき、「非文明的な部族民どもに大いに毒ガスを使うべし」とも述べている。戦時中インドのベンガルで、旱魃やイギリスの食糧徴発による飢饉が発生し、政府部内でも早急に対策を図る声が起きたが、チャーチルは平然と「あいつらの自業自得だ」と放置し、数か月に数万人が餓死する事態となるまでなにも手を打たなかった。のちに彼は「私はインド人を憎む。あいつらはけだもののような宗教をもつ、けだもののような人間だ」と記している、

 戦後アフリカ各地で独立運動が火を噴きはじめると、首相チャーチルは各地に強制収容所の設置を命じ、オバマの祖父が体験したようなナチス・ゲシュタポまがいの拷問を行わせ、独立運動の壊滅をはかった。

 イギリスの若手歴史家リチャード・トイの『チャーチルの帝国;彼をつくった世界と彼がつくった世界』Richard Toye”Churchill’s Empire;The World That Made Him and The World That He made”と、ジョーハン・ハリ(Johann Hari)によるその書評が面白い(The New York Times Book Review,August 15,2010)。

 要するに白人至上主義者にとって、自由も民主主義あるいは「正義」も、彼らのものでしかなく、遅れてやってきたものあるいは劣等種族には、文明化のために少量分け与えてやる貴重な財産にすぎない。それを尊重しないもの――現在はいわゆるイスラーム過激派だ――は、暴力をもって制裁すべし、といのが本音である。

サマー・フェスティヴァル2010 

 サントリー芸術財団が毎夏行っているサマー・フェスティヴァルの「音楽の現在」(8月25日)が楽しめた。 

 イェルク・ヴィトマンの『コン・ブリオ―オーケストラのための演奏会用序曲』、ブリース・ポゼの『女性舞踊家;交響曲第5番』、マルティン・スモルカの『テューバのある静物画または秘められた静寂―2つのテューバとオーケストラのための3楽章』、エンノ・ポッペの『市場―オーケストラのための』の4曲で、なかなかいい選曲であった。 

 ベートーヴェンの交響曲第7番と第8番を背後に意識し、そのイ長調とヘ長調を取り込みながら、湧き立つようなフル・オーケストラの混沌とした音響を背景に、金管のファンファーレらしきものが微妙に絡み、木管が息音のみでささやき、種々の打楽器が精緻なノイズを加えと、多彩に展開する『コン・ブリオ』。 

 異なった星のうえの踊り手をイメージし、その動きをフル・オーケストラの微細きわまる運動によって表現しようとした『女性舞踊家』。 

 さまざまな断片的動機が絡みあい、しだいにまとまりあったり分散したり、それら全体が大きなうねりとなって繰り返され、音響のダイナミックな集積となって聴衆の身体をゆさぶる『市場』。 

 それらのなかでとりわけ『テューバのある静物画』が心を打った。いま現代文明への批判としてスロー・フードやスロー・ライフ運動が高まっているが、その意味でまさにこれはスロー・ミュージックであり、音の形ではなく精神において、われわれの御神楽や能の音楽に共通する深い瞑想的な音楽だといえる。二つのテューバがソロとして登場するが、演奏技術をひけらかすようなものはまったくなく、ほとんど静かな持続音やその微細なゆらぎを吹き、ときには息音だけをひびかす。フル・オーケストラであるにもかかわらず、各楽器や首席奏者たちのこれも微細なヘテロフォニーが織りなされ、深い背景を描いていく。ときには全楽器が静かに停止し、指揮者を含め、全奏者がその姿のまま凍りつき、長い休止をする。どうぞ瞑想してください、というかのように。 

 西村朗や新実徳英の音楽(佐藤聡明もそうだと思うが)についてたびたび語ってきたが、これらの曲にはまずなによりも「音の喜び」の復活があるし、スモルカの『静物画』に代表されるように、近代文明に対する深い批判がある。


おいしい本が読みたい●第十六話

2010-08-23 10:22:03 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十六話 
             

                
                                 昔のブラジルから本が届いた
  


 いつ頃から興味をもったのか、何のきっかけでそうなったのか、自分でもよくわからないのだが、気がついてみたら机の周りに何冊か、こっちを見てごらん、と言わんばかりに自己主張をしてくる本がかたまっている。ラテン・アメリカの本たちだ。  

 いま自分のいる場所からもっとも隔たったところ。クレオール的文化への憧れ。そのあたりに興味の理由があるのかもしれないが、嫌いな理由は言い易くても、好きな理由はいわく言い難いことのほうが多い。

 で、これまたなんとなく、学校の図書館の歴史関係の書架を眺めていて、おやこんな本が、と目に留まったのが、ジルベルト・フレイレの『大邸宅と奴隷小屋 -家父長制家族の歴史』(鈴木茂訳、日本経済評論社2005)だった。

 原著の初版は1933年で、いかにも旧時代の著作ではあるけれども、今世紀になって訳されるだけの価値はある。ブラジルの家父長制というかプランテーションの歴史を、これだけ膨大な資料を踏まえて、巨細にわたって論じた書は、少なくとも日本のなかでは、他に見られないと思う。

 惜しまれるのは、社会史の名著として名を残すだけの分析力と総合力をかねそなえ、さらに、学術的著作に欠如しがちなある種の熱情を投じていながら、その熱情がときとしてブラジル国民論に横滑りし、そこからナショナリズムへと昇華する道筋がほの見えることである。  

 昔日の大航海時代の先駆けから欧州の貧乏国へと落剝の身を晒すポルトガル、その末裔をもって任じるフレイレのブラジルは、世界恐慌をむかえた当時、まだまだアメリカに無条件の隷従を強いられる遅れた大国にすぎない。アメリカの大学に学んだフレイレには、だから、なおのこと自国(民)の可能性を信じてやまぬ思いは強かったろう。その点は加味してやらねばなるまい。  

 さて、わたしにとって大いなる収穫はふたつ。ひとつは、イザベラ・アジェンデ『精霊たちの家』のなかで、主人公が自宅中で先祖の亡霊としばしば出くわす、その理由の一半が理解できたことだ。作者イザベラはたしかに、その手の能力を有する特異な人である。彼女の他の著作をひも解けばそれは了解しうる。  

 しかし、別の与件も必要らしい。すなわち、イザベラがブラジルの伝統的家父長制にふさわしい家に育ったことなのだ。プランテーションでは敷地内の母屋(それがカザ・グランデ=大邸宅)に隣接して礼拝堂が配置され、そこに故人の亡骸も埋葬される習慣があったとフレイレは記す。つまり死者と生者がまさしく同居するのが家父長的家屋の伝統であって、イザベラの幻視も風土に根ざしたものともいえそうだ。

 もうひとつの収穫は、土を食べる風習のこと。ガルシア・マルケス『百年の孤独』だと記憶するが、お姉さんが壁土をこっそり食べる悪癖を治せないでいるシーンがあった。また、飢餓に悩む現実のハイチで子供たちが泥のビスケットを齧っているとの報道もあった。かねて不思議な符合だと思っていたら、フレイレの記述に、土を食べる悪癖に染まった奴隷の幼児のことがでてきた。アフリカ人奴隷たちが自殺手段の一つとして用いたものが、「奴隷であると自由人であるとを問わず、広く子供たちも染まっている」奇妙な習慣となったらしい。ブラジルからコロンビア、ハイチへと、500年の植民地支配の重みは、やはり、いちばん脆弱な子供たちにのしかかるしかないのか。  

 それはそれとして、柳田国男の『遠野物語』にも、一人息子が大阪の戦に駆り出され、土を食っていた婆様の話がある(婆喰地(バクチ)という地名の由来話)。こちらは食べ物に困ったあげくというのでもない。

  洋の東西は思わぬところで袂を分かたぬ。それを教えてくれたのも、フレイレであった。多謝。

                                        むさしまる


打楽器音楽を楽しむ

2010-08-20 22:10:17 | 活動内容


打楽器音楽を楽しむ

高橋藍城

 

 「知と文明のフォーラム」主催になる、さまざまな催しに気の向くままに参加させていただいている。食物や環境、医療問題など、常に現代社会の直面する課題に、適任のパネリストを呼んでのセミナーには毎回、大いに刺激を受けたものだ。しかし、なんといっても4度にわたるレクチャーコンサートは、自分の音楽観を大きく変えてくれた素晴らしい経験だった。

 熱烈なクラシック愛好家には程遠い私は、めったに演奏会に足を運ばないし、指揮者や演奏家に関する知識もない。ただ、いろいろなジャンルの音楽を聴くことは好きなので、家の中にはCDやDVDが所狭しと積み上げられている。それこそ、美空ひばりの演歌から、ワールドミュージック、シャンソン、ジャズなどなんでもござれである。クラシック音楽もバロックから現代音楽まで、かなり溜まってしまった。ナクソスレーベルから「日本作曲家選輯」というシリーズが発売されていて、伊福部昭や橋本國彦、山田耕作、武満徹らを始め、最近まであまり知られていなかった作曲家の作品も比較的安い値段で購入することができた。これによって、あらためて邦人作曲家に関心が向かい始めたのだが、ちょうどその頃、「世界音楽入門&西村朗の夕べ」の案内が届いたのだった。

 西村氏は、いまやN響アワー司会者として、その該博な知識と軽妙な語り口でクラシックファンに広く知られるようになったが、作品がポピュラーになったとは言えないだろう。かく言う私にとっても未知の音楽家であった。コンサートでは、ドビュッシーとバルトークの作品と一緒に西村作品6曲が演奏されたのだが、あまりの衝撃で西洋の2作曲家の印象が薄くなってしまったほどだった。ふだん、スピーカーを通しての電気音しか聴きなれていなかったせいか、上野信一とフォニックス・レフレクションのメンバーの打楽器の音は、耳からというより、皮膚を直撃するように響いた。

 ヒンドゥー教やバリ島の舞踊音楽を基にしたという作品は、言葉の本当の意味で瞑想的・宗教的であった。音は、出された瞬時にして消えていくという単純な事実をあらためて実感させてくれる打楽器の様々な音色。どんなに大音響がなり響いても、つねに静寂の世界と相対している音楽。武満徹が「音、沈黙と測りあえるほどに」と語っていた音の世界とはこういうものだったのか。西欧の音楽とは基本的に異なる世界観を西村氏はヘテロフォニーと呼ぶらしいが、難しい言葉の概念は知らなくても、アジア音楽のスピリチュアルな世界を体験できたと思う。

 そして、昨年の「新実徳英の世界」である。このときは、ピアノやヴァイオリンのための曲も演奏されたが、やはり私にとっては打楽器のための作品が好ましかった。「風のかたち――ヴィブラフォンのための」は、自然界の音そのものを音楽にしたという作品で、何度も繰り返し聴きたくなる作品である。およそ数ある世界中の楽器のなかで、打楽器こそ人類最古の楽器なのだろう。単純に物を叩いてみることによって作り出される様々な音色とリズム感。両手を叩く拍手が、音を出す始まりだったのかもしれない。考えてみれば、日本人の生活習慣のなかにも打楽器は深いかかわりがあった。祭礼や盆踊りの太鼓、鉦や拍子木、能楽の鼓、楽器とは言えないだろうが、仏具のリンや木魚、風鈴、除夜の鐘の音など数え上げればきりがない。だから打楽器の音を聴くと、何となく懐かしくなったり、血が騒いだりするのだろう。

 西洋音楽の歴史でも打楽器は、オーケストラには欠かせない存在だが、打楽器のための作品が作曲されるようになったのは近年のことらしい。上野信一ファンとなった私は、セルビア出身の現代音楽作曲家である「ネボーシャ・ジヴコヴィッチ作品展」というコンサートも聴いた。ここでも、タイゴングやムチなど、珍しい打楽器の音を楽しんだが、テーブルの上の食器をひっくり返すシーンがある作品には驚いた。打楽器のための音楽は、緊張感のなかにも、人をワクワクさせる要素があるようだ。  

 西村・新実両氏が、ともにアジアの音楽に触発されて打楽器のための作品を手掛けていることに興味が尽きないし、これからは、尺八や箏、琵琶など邦楽器による作品も生演奏を聴いてみたい。二人と同世代で、同様に東洋思想、音楽に造詣の深い佐藤聡明氏は「音は、沈黙から生まれいで、生涯を送り、やがて終焉を迎え沈黙のかなたに飛び去る」と語っている。今後このフォーラムで、ぜひ取り上げてもらいたい作曲家である。

 今年6月の「青木やよひ追悼コンサート」に触れる余裕がなくなってしまった。青木先生の「ベートーヴェンの生涯」は刊行されてすぐに読了し、その真実をきわめようとする学者としてのひたむきさが感動的であった。ゲーテとの交友や読書から、アジアの宗教・哲学に関心を向けていたというベートーヴェンは、第九交響曲ののちにどんな音楽世界をめざしていたのだろうか。西欧音楽を超えた世界音楽を想像してみるのも面白いだろう。


北沢方邦の伊豆高原日記【83】

2010-08-16 22:34:26 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【83】
Kitazawa, Masakuni  

 いわゆる終戦記念日の前後はテッポウユリの季節だ。開いたばかりの純白の花を切って挿しておくと、室内にえもいわれぬ高貴な香りがただよう。人間の女性にもさまざまなタイプがあるが、花にたとえればおまえさんはテッポウユリのタイプだねと、よく生前の青木やよひをからかったことを思いだす。ウグイスが庭の樹でひとりごとをつぶやいていたが、それも絶え、沈黙の季節に入った。 

 台所の壁の薄い代赭色のタイルに、中程度のイエグモが、なにが面白いのか、食器や包丁をかたかたさせているすぐ傍に逆さにとまり、終日眺めている。ほぼ1週間も同じところにいたのだが、昨日から姿をみせない。心配だ。

戦争記念番組 

 この季節、例年のように戦争の記念番組が登場するが、ドラマ仕立てのもののかなりは、当時を知るものにとっては噴飯ものの誤りが散在し、見るに堪えないことが多く、敬遠することにしている。ドキュメンタリーにはよいものが多いが、8月15日にNHKBSハイヴィジョンで、6時間にわたって終戦記念日特集が放映された。その一部「被爆した女たちは生きた・長崎県女クラスメートたちの65年」全体と「満蒙開拓青少年義勇軍・少年と教師それぞれの戦争」の約半分をみたが、前者はとりわけ印象深かった。 

 全編実に静かに淡々と、県立女学校生徒たちの被爆状況とその後を追い、生き残ったひとたちの現在の証言や、被爆死亡者の慰霊碑のまえでの65年目のクラス会を交えて映したものである。過去はすべて俳優たちを登場させたドラマ仕立てであるが、むしろこれは演劇ですとばかり舞台を限定して設定し、誇張も余計な情念もなく、きわめて日常的に演じさせているが、それが逆に想像力をかきたて、ドキュメンタリー全体にリアリティをあたえていた。出色の出来栄えである。 

 また8月13日NHK総合テレビ「色つきの悪夢・カラーでよみがえる!第二次世界大戦の記憶」も出色であった。過去のモノクロームのフィルム画像を、最新の技術で自然な色彩画像に変換したものを流し、それを若いタレントや俳優たちにみせて感想や意見を聴くという番組である。 

 モノクロームでは汚れた染みにしかみえなかった死体の血が、鮮明な赤でよみがえり、まばゆい光にしかみえなかった建築物から噴きだす炎が衝撃的な火炎となり、見るものを圧倒する。かつて見た数々の映像がその仕方で再現されるのだが、すでにみたとは思われない新鮮さである。しかも、ガダルカナル島の砂浜に散乱する日本兵の死体の山、サイパンや沖縄の洞窟から飛びだし、火炎放射器の深紅の炎を浴びて火だるまとなって転げまわる日本兵、硫黄島やノルマンディーの砂浜で血を流して横たわる連合軍兵士の数々の死体、さらには解放された強制収容所で折り重なるユダヤ人たちの青白く痩せこけた裸の死体の小山など、目をそむけたくなる画面が次々と色彩画面で映しだされる。映像の語る圧倒的な力がそこにあった。 

 そのうえ、これらの画面をみた若いひとたちの感想や意見が、きわめて率直でよかった。かつて大学で教えていたときも、「いまどきの若者は」という世論とはちがい、いつの時代でも若者たちは鋭い感受性をもち、新鮮な目で世の中や出来事をみているという感慨をもったが、その思いを新たにしたしだいである。

戦争体験はなぜ伝えにくいか 

 しかし、とりわけわが国では、戦争体験はなぜ伝えにくいのか、という課題はいぜんとして残っている。

 メディアを通じ、またそれぞれの現場で戦争体験を語り伝える機会はかなり多く存在するにもかかわらず、それらがひとびとのなかに断片にとどまり、共有の体験とならない根本的な理由は、それらの根底に据えるべき「視点」がないことに由来する。 

 原爆や空襲の被害者たちの語りが、たとえどのように悲惨なものであっても、個々の断片にしかすぎず、また一方的に被害者の意識でしかないのはしごく当然であり、それ以上を望むのは無理である。だがそれらがほんとうに生きた体験として受け止められ、深く記憶に蓄えられるためには、それら全体をつなぎあわせる「文脈(コンテクスト)」が必要なのだ。 

 それはいうまでもなく、第二次世界大戦を引き起こした一方の当事者である「大日本帝国」の冒した歴史の過ちであり、われわれ日本国国民も、その過ちの責任を負っているという事実、そしてそれにもとづく加害者としての意識である。この季節毎年のように中国や韓国から提起される「歴史認識」の問題がこれである。「色つきの悪夢」でだれかが述べていたように、それは当然教育の問題にかかわる。敗戦後のドイツと異なり、「歴史認識」あるいはここでいう歴史の「文脈」やそれにかかわる戦争責任の問題をひたすら回避し、ただ被害者意識のみで「平和」を訴えてきた戦後教育(文部省とそれに対抗した日教組双方に責任がある)の大きな誤りが、こうした状況を生みだした。 

 北朝鮮による不当で非人間的な日本人拉致事件にしても、戦時下に中国や朝鮮半島から何万というひとびとをいわば拉致し、強制労働をさせた責任という政府・国民共有の認識があれば、状況はもっと違った展開をみせていたかもしれない。 

 私自身の自戒の意味をふくめて、以上を反省したい。


青木やよひ追悼コンサート◆報告

2010-08-13 10:07:30 | 青木やよひ先生追悼


青木やよひ追悼◆レクチャー&コンサート 報告

 2010年6月13日(日)津田ホールで行なわれたコンサートは、
約400名のお客様におはこびいただき、無事終了することができました。

皆様から
「変幻自在で豊かな演奏を堪能した」
「素晴らしい演奏と面白いお話で、青木やよひさんを偲ぶことができた」
「ディアベリに関するレクチャー、楽しかった」
「ベートーヴェン晩年の精神活動についてヒントを貰えた」
「心に残る演奏会でした」
「高橋アキさんのお話も伺うことができ、とても面白かった」
「聴いている間さまざまな色や光や多くのイメージが渦巻いて、ともかく楽しかった」
など、ご感想をいただきました。
主催者からもあらためて御礼申し上げます。有難うございました。


楽しい映画と美しいオペラ―その31

2010-08-07 23:21:26 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その31



    オペラ演出の新しい地平
        二期会『ファウストの劫罰』  

 

 ベルリオーズの音楽は、『幻想交響曲』を別にすれば、ほとんど耳にしたことがない。それで、『ファウストの劫罰』上演の情報を二期会からのDMで得た早い段階で、とにもかくにもチケットを入手した。厳密にいえばこの作品は「オペラ」ではない。ベルリオーズ自身が「劇的物語」と銘打っていて、初演も演奏会形式で行われている。そんなこともあり、内心それほどの期待はしていなかった。もちろん、指揮者、歌手、演出家、いずれにもまったく頓着していなかった。まずはベルリオーズ入門という気分で、東京文化会館に足を運んだのだった。  

 ところがである、幕が開いた早い段階から、私はこの物語に引き込まれてしまったのだ。いままでに経験したことのない特異な演劇空間が、眼下に展開したのだった(私の席は4階左翼、ゆえに舞台は「眼前」ではなく「眼下」となる)。オペラの舞台において、おそらくこれまでほとんど未開拓であった空間が、自在に使われている。猿之助は歌舞伎で宙乗りをやっているが、それは彼一人の行為で、空間が演技の場になっているとはいい難い。ところが眼下の舞台では、空間が、平面・立体と同等に機能しているのだ。何人ものダンサーがワイヤーで宙吊りにされ、空間を自在に動き回っている。しかもその動きは、ベルリオーズの音楽そのもの。激しく官能的かと思えば、たとえようもなく優しく、天国的である。  

 第2部が終了して休憩に入るや、私は慌ててプログラムを買った。誰の演出か知りたかったからである。演出・振付、大島早紀子とある。聞いたことがない名前だった。しかしどうやら、コンテンポラリーダンスの領域では世界的な存在らしい。そしてこの二期会のプロダクションは、彼女を中心に作り上げられてきたという。そうか、そういうことか、まったくの予備知識なく作品世界に入っていった私は、プログラムに大きく掲載されている大島の、人の心を透視するかのような不思議な顔写真を眺めながら、深く納得がいったのであった。  

 大島早紀子は、1989年に、H・アール・カオスというダンスカンパニーを立ち上げている。天上的な陶酔・芸術・混沌という含意だそうだが、このカンパニーの名称は、『ファウストの劫罰』の表現する世界そのものである。2007年2月にR.シュトラウスの『ダフネ』で大島を起用した二期会は、その時点から今回のプロダクションの展望を持ったという。ここでは二期会の慧眼にも敬意を表しておこう。  

 ところでこの『ファウストの劫罰』という作品が、なぜオペラではなくオラトリオなのか。それはおそらく、一貫性をもった物語として舞台を作ることが困難だからだろう。ストーリーの展開に飛躍があり、主人公のファウストにして心理的な一貫性に欠けている。第3部でマルグリートと情熱的な愛の二重唱を歌ったファウストが、第4部ではいきなり冷めた胸中を晒すのだから、観客としては納得がいかない(もっともこのアリアがなければ、ファウストの地獄落ちにも説得力がなくなる)。さらに、マルグリートが誤って母を殺し牢獄にあるというメフィストフェレスの言葉を聞き、半狂乱になった彼は悪魔のいうままに契約書にサインをし、娘のもとに向かうのだが、ここの場面もやや唐突である。  

 しかし、そのような物語的欠陥をはるかに超越して、ベルリオーズの音楽は突き進む。天国と地獄を往還しているような、劇的で多彩な響きである。そして大島の演出は、古典派を軽々と超越したその変幻自在な音楽を、見事に視覚化した。ファウストの夢の豊かなファンタジー、地獄落ちの巨大なカオス、マルグリートの救済の天上的な美しさ……。数え上げればきりがないが、どの動きにも音楽が息づいている。ダンサーのみならず、歌手一人ひとりの動作にも大島の目が行きとどいているようだ。  

 今回の上演では、オペラが総合芸術であることを強く認識させられたが、肝腎の音楽が素晴らしかったことはいうまでもない。ファウストの福井敬は強靭な声が印象的だし、メフィストフェレスの小林輝彦はやや声量に不足を感じたものの、巧みな歌い回しは立派だった。林美智子の代役、マルグリートの小泉詠子は、リリカルな美しい声の持ち主で、今後に期待が持てる。そして何よりもプラッソンの指揮が良かった。ベルリオーズの柔らかな抒情性が心に染みた。 

 最後に、プログラムに掲載された創作ノートより、大島早紀子の言葉を抜粋しよう――私達は地獄や天上という場所に死後に行くのではない。現実のふとした瞬間にこそ、天上や地獄に通じる入口が開いているのだ。そして愛と美、意志こそが天上に人を誘うのだ。

《ファウストの劫罰》
2010年7月17日 東京文化会館
ファウスト:福井敬
マルグリート:小泉詠子
メフィストフェレス:小森輝彦
ブランデル:佐藤泰弘
ダンサー:白河直子 他 H・アール・カオス
東京フィルハーモニー交響楽団二期会合唱団
指揮:ミシェル・プラッソン
演出・振付:大島早紀子
作曲:エクトール・ベルリオーズ
原作:ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
台本:エクトール・ベルリオーズ、
   
アルミール・ガンドニエール、
   ジェラール・ドゥ・ネルヴァル

2010年7月29日 
j-mosa


北沢方邦の伊豆高原日記【82】

2010-08-03 07:14:56 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【82】
Kitazawa, Masakuni  

 ヴィラ・マーヤの庭に咲き誇り、妖艶な香りを室内にまで漂わせていたヤマユリも終わり、ウグイスたちの囀りも間遠になった。世代交代が進んでいるらしく、青木が健在な頃、われわれの寝室の裏の森で、「ホー・起きろ!」と叫んでいたウグイスはいなくなり、今年は変わった鳴き声の主が登場した。昔ヴェトナム戦争たけなわの頃、ホオジロたちが「撤兵何時? 撤兵何時? ニクソンさん!」と囀っていたが、アフガン戦争たけなわの今(7月の米兵の戦死者は99名だという)、そのウグイスは、どう聴きなおしても「ホー・ギルティー! ホー・カジュアルティーズ!(ほう有罪だって! ほう犠牲者数だって!)」と英語で囀るのだ。イラクのテロも収まらず、各地で炎熱の夏がつづく。

菅政権の炎熱の夏 

 首相就任時にせっかく激励の手紙を書いたのに、参議院選挙で民主党の大敗である。菅首相の消費税発言が大敗の原因だといわれるが、そんな単純な問題ではない。事実選挙中の世論調査でも、消費税増税容認は半数近くまであった。 

 論争を受けて立たず、菅内閣の支持率が高いうちに選挙という前国会末期の民主党の逃げの姿勢、消費税をめぐる首相の迷走などさまざまな要因があるが、根本問題は、仮に消費税を上げるとしても、たんなる財政赤字補てんではなく、それを国や社会の将来にどう使うのか、という未来像をまったく提示できない民主党、あるいは究極には日本の政治全体の貧困にある。 

 問題はこの大敗によって民主党内の小沢・反小沢の権力闘争が激化し、民主党全体が果てしのない迷走状態に陥り、わが国自体が漂流状態となることである。もっとも党内の同士を増やしながらこの権力闘争を徹底的に戦い抜き、党を分裂させ、自民党の谷垣派など最良の部分と合体して新党をつくり、解散に打ってでるというのも一案かもしれない。私だったらそうしたいものだ。

詩について 

 雑誌「洪水」の池田康さんの勧めで、詩集を出すこととなった。デザインを杉浦康平さんが快く引き受けてくださり、内容はともかく、期待のもてる装本となるはずだ。詩は敗戦直後15歳の時から書きはじめたが、この本には1960年代からのものを、年代順に配列してある。あとがきに代わる詩論をという池田さんの注文で、詩について考え、書くことになった。すでにこの「詩論」の原稿もお渡ししてある。関心のあるかたは、この秋に出版予定の詩集『目にみえない世界のきざし』をぜひお読みいただきたい(出版は洪水企画、発売元は未定)。 

 「詩論」では、わが国の和歌や俳句、あるいはホピの祭りの詩、中世イスラームのルバイー(四行詩、複数形ルバイヤート)、またゲーテの『西東詩篇』などそれこそ「世界詩」に触れているが、ここではそこで述べた世界的に偉大な詩人たちのなかの二人、芭蕉とリルケについてその要旨を記しておきたい。 

 意外な取り合わせと思われるかもしれないが、リルケと芭蕉は対極的な立場から彼らの偉大な作品を完成させたと思う。 

 すなわち、ホピやいイスラーム世界の詩、あるいはわが国でも『万葉集』などは、それぞれの種族集団に共有の宇宙論を詩の源泉とし、一見単なる叙景や風物の描写と思われる表現でも、その背後にこの深い宇宙論の影を宿している。 

 それに対して、たとえば新古今以後のわが国の和歌は、きわめて抒情的となっていったが、しかしその感情表現は西欧近代の詩歌と異なり、のちの俳句の季語が典型であるように、万人共有の風土的情緒、または共有の詩的場を前提に、巧みさや繊細さをきそったものである。だが西欧近代では、同じ抒情でも、個人の主観性を通じた表現である。 

 サラセンの吟遊詩人の圧倒的影響から出発した西欧中世のトルバドゥールの恋愛詩は、個人の主観的な愛をうたうのではなく、騎士道的恋愛(アムール・クルトワーズ)という共有のエートスのうえに立ち、時には恋人の姿に聖母のおもざしを重ねたりしていた。だが近代の恋愛詩は、きわめて個人的で主観的な愛の表現であり、風景をうたうとしても、それはあくまで個人の主観に映じたものへの感情移入である。 

 だがこうした近代詩から出発したリルケが到達した晩年の孤高の諸作品は、自己の主観性の枠組みを徹底的にそぎ落とし、風光や事物のモノ自体をして語らせ、それらを言語的に造形することによって、深い宇宙論の影を宿すにいたっている。 

 他方芭蕉は、主観性の枠組み以前のひとであるが、むしろリルケとは逆に、季語に代表される共有の場からひとり抜けでて、風光や事物それ自体を語らせることによって現世を解脱し、宇宙論の深みを開示し、禅でいう観照の境地に達している。 

 いずれにしろこの二人の孤高の大詩人は、近代と非近代という対照的な道をたどりながら、同じ「目にみえない世界」にいたったのだ。

予告編 

 私の予告ばかりで恐縮であるが、この9月にマイケル・ハミルトン・モーガンの『失われた歴史』の翻訳が拙訳で平凡社から刊行されることになった。わが国の戦後の教育やメディアは、長いあいだ西欧中心史観に毒されてきたが、これはその偏見を正す好著である。 

 たとえば人類の歴史ではじめてコペルニクスが地動説を唱えたとか、ルネサンス時代はじめて地球が球形であることが発見され、コロンブスが大航海に乗りだしたとか、あるいはそれに類する偏見である。

 代数やアルゴリズムの発見、球面三角法による諸天体の正確な位置の計算や、球形である地球の緯度経度の正確な計算から、レオナルド・ダ・ヴィンチのはるか以前に水圧ポンプやクランクシャフトといった機械、またいまでいうハンググライダーによる実際の飛行などのテクノロジーにいたるまで、中世イスラームの科学や技術がいかに高度なものであって、中世やルネッサンス以後の西欧にいかに圧倒的な影響をあたえたか、詳述されている。 

 西欧中心主義歴史観から離脱し、新しい歴史観について考えるためにも貴重な本である。ぜひお読みいただきたい。