一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

【女の暦 2011】

2010-10-19 21:44:19 | 青木やよひ先生追悼

女の暦 2011


1月 藤蔭静枝さん   2月 須磨哲子さん   3月 渡邊うめさん   4月 福田なをみさん  
5月 相馬雪香さん   6月藤本文枝さん    7月 青木やよひさん  8月 藤枝澪子さん   
9月  高福子さん              10月 浅川マキさん          11月 北原みのりさん 
12月  ウイメンズセンター大阪   性暴力教授センター・大阪   WCO~SACHICO~

●編集=女の暦編集室 ●発行=ジョジョ企画 ●定価=1,600円(本体1,524円)
http://www014.upp.so-net.ne.jp/jojokikaku/


青木やよひ追悼コンサートに寄せて

2010-09-20 09:48:09 | 青木やよひ先生追悼


  青木やよひ先生追悼コンサート
に寄せて

                            

                             寺本倫子

 平成22年9月17日、私の前職である株式会社法学館伊藤塾で、新司法試験合格者の祝賀会が開催され、私は来賓として招待されました。東京湾1周のクルージングで恒例行事となっております。

 そこへ、元最高裁裁判官・現弁護士でいらっしゃる園部逸夫先生も来賓として来られておりましたので、再度、懐かしく、青木先生のコンサートを思い出しました。

 青木先生追悼コンサートは、6月13日津田ホールにて行われたのですが、私は受付担当として、来られたお客様にチケットをお渡ししたり、料金を頂いたりしておりました。事前に予約をされたお客様にはお名前を言っていただき、チェックもしておりました。

 その中で、事前予約者として園部先生が来られ、名簿をチェックしてチケットをお渡ししましたので、大変に感激したものでした。このときは、面識がありませんでしたし-本当は、面識はあるのですが、恐らく園部先生は覚えておられないだろういう思いと、私も受付として慌ただしい中でしたので、声をお掛けすることはありませんでした。

 それが、昨日の祝賀会にて、またお会いすることができ、「あのとき、私は受付をしておりましたよ。」などとお話した次第です。『ディアベリ変奏曲』は、なかなか生で演奏されない作品だなあなどと話しが弾みました。元最高裁裁判官にベートーヴェンの話しをするというのも、珍しい弁護士だと思われたことでしょう。もちろん、園部先生と言えば、外形標準課税東京都条例無効訴訟の代理人弁護士の1人ですから、そのお話もしましたが。

 追悼コンサートですが、非常に内容の濃い、充実したコンサートだったと思います。

 西村先生の、『悲愴ソナタ』についてのお話で、「ベートーヴェンというと、中期、後期を経て、あまりにもものすごい作品がありますが、初期の作品である、『悲愴ソナタ』1つとっても、当時として、こんなものすごいものはありません。」ということを言っておられたのをよく覚えております。あれだけ壮大な序奏を持っているとう点についてのご指摘で、不朽不滅の作品だ、というわけです。そして、「不朽の名作という言葉がありますが、もちろん、メロディーが美しものでも不朽と言えるのでしょうが、しかし、ベートーヴェンというのは、形で、ものすごいものを示してしまった人です。」という言葉が忘れられません。

 ベートーヴェンの凄さというのは、単に、メロディーが美しいとか、聞いてて心地よいとかいった類のものではありません。形式的な強固さ、構成の緻密さ、厳格さであり、これは、「好き嫌い」のレベルでは語りきれないものでしょう。好き嫌いはおいといても、「凄い!」というしかないというのが、ベートーヴェンの音楽の特徴であり、説得させられてします。当の本人であるベートーヴェンが、そういう音楽でなければ書かない人だった、つまり、誰にでも説得できるものであることが、ベートーヴェンの音楽の信条であったと思われます。現に、ベートーヴェン自身、「ソナタ形式というものが、音楽を伝えるのに最高の形式である」と言っていたはずです。

 もちろん、ベートーヴェンであっても、不朽のメロディーと言ってもよい美しいメロディーがいくらでもあります。バイオリン協奏曲など、甘い美しいメロディーのメドレーと言ってもいいような作品ですし(もちろん、形式的にもしっかりしています。)、ピアノ・ソナタでもとくに、作品110の第1楽章の第1主題の美しさは、もう「美しい」という言葉自体が色あせてしまうような味わい深いものです。また、追悼コンサートで演奏された、『ディアベリ変奏曲』の第33変奏(最後の変奏)などは、この世から遙かに遠く、究極の音楽ではありませんか!さらに極めつけは、ミサ・ソレムニスの『サンクトゥス・ベネディクトス』のうちの『ベネディクトス』ではなかろうかと思います。

 さて、追悼コンサートでは、また、こうも言われておられました。「ベートーヴェンの後期の作品についてのすべてが傑作ということを強調することはない。」と。壊れかかっている音楽もあるではないかということです。確かに、私の大好きな作品132の終楽章などは、もう限界ぎりぎりの音の使い方で、壊れかけ寸前と言ってもいいと思います。しかし、また、その壊れかかり方が、病に苦しみ、ひしひしと死が迫っている巨匠から絞り出されるような声として聞かれるのです。

 両先生の、大変に貴重なお話を聞くことができた、充実したコンサートだったと思います。

 高橋アキさんの演奏ですが、『悲愴ソナタ』については、なかなか普通では聞かれない、柔らかい、優しいベートーヴェンだったと感じた方が多かったのではないでしょうか。こんなベートーヴェンがあってもいいんだろな、と思いながら聞いておりました。第3楽章も非常に華麗で美しかったです。私は、『悲愴ソナタ』の演奏を聴きながら、これなら、恐らくは、『ディアベリ変奏曲』には合っているだろうなあ、ベートーヴェンの後期の作品にはいいだろうなあ、と期待したものです。

 それにしても、これだけの大作を生で聞ける機会があったことは、本当に幸せであり、貴重な体験でした。

 青木先生もさぞや喜んでおられるに違いありません。


青木やよひ追悼コンサート◆報告

2010-08-13 10:07:30 | 青木やよひ先生追悼


青木やよひ追悼◆レクチャー&コンサート 報告

 2010年6月13日(日)津田ホールで行なわれたコンサートは、
約400名のお客様におはこびいただき、無事終了することができました。

皆様から
「変幻自在で豊かな演奏を堪能した」
「素晴らしい演奏と面白いお話で、青木やよひさんを偲ぶことができた」
「ディアベリに関するレクチャー、楽しかった」
「ベートーヴェン晩年の精神活動についてヒントを貰えた」
「心に残る演奏会でした」
「高橋アキさんのお話も伺うことができ、とても面白かった」
「聴いている間さまざまな色や光や多くのイメージが渦巻いて、ともかく楽しかった」
など、ご感想をいただきました。
主催者からもあらためて御礼申し上げます。有難うございました。


青木先生と共有するベートーヴェン

2010-06-08 08:47:06 | 青木やよひ先生追悼

            
                  青木先生と共有するベートーヴェン     

                                寺本 倫子
 

 私が青木先生と初めて出会ったのは、1999年末でした。

 私は、幼い頃からベートーヴェンが大好きで、そのことで知人が紹介して下さったのがきっかけです。初めてお会いしたときは、ベートーヴェンの後期のピアノソナタや、弦楽四重奏曲について話しました。私は、特に後期の作品が大好きというか、最高傑作との思いが強かったからです。青木先生は、すぐさま、「あなたと5分もお話していたら、あなたがとても深いレベルでベートーヴェンを理解していることがわかりましたよ」とおっしゃり、すぐに、伊豆高原のご自宅へ招待して下さいました。その気さくさには感激極まりありませんでした。

 そして、2000年お正月早々に、伊豆高原のお家を訪問し、先生とお話をし、ご主人の北沢先生の手料理(これまた傑作!)を頂いたことをよく覚えております。ちょうど、私は、2000年3月に、ベートーヴェンゆかりの地を巡っての旅行が決まっていたところでしたので、強い縁を感じました。以後、青木先生と交流をさせて頂きました。

 今度、6月に演奏されます『ディアベリ変奏曲』は、私にとっては、ベートーヴェンの最高の贈り物と思っております。第32変奏の、まるで現代にも通ずるようなリズミカルなフーガ、第33変奏の、もう、手の届かない世界。私は、アマチュアですがピアノを弾き、一昨年、31、32、33変奏を発表会で弾きました。言葉にはならない程のベートーヴェンの愛情を満喫しました。

青木先生に心から感謝するとともに、いつも私の心の中に生き続けております。


青木やよひ追悼 レクチャー&コンサート
《悲愴》から《ディアベリ変奏曲》へ 『ベートーヴェンの生涯』を聴く
高橋アキ・・・・・【ピアノ】 
http://blog.goo.ne.jp/maya18_2006/e/12300789fe4a2f73dfa6725a84b44ac6
※当日券、多少ですがございます。お問合せください。


『ベートーヴェンの生涯』を聴く

2010-04-30 21:15:48 | 青木やよひ先生追悼


 青木やよひ追悼 ◆ レクチャー&コンサート
 《悲愴》から《ディアベリ変奏曲》へ
高橋アキ・・・・【ピアノ】


『ベートーヴェンの生涯』を聴く・・・・・・・・・・・・・・北沢方邦

◎ベートーヴェンほど先入観に染めあげられた作曲家は少ないだろう。
気難しい英雄的音楽家といった人間像だけではなく、そうした偏見にもとづく
演奏様式が会場にあるいはCDに溢れている。生涯も作品も研究されつくしている、
という偏見も根強い。だがはたしてそうだろうか。

◎百年以上も謎とされてきた「不滅の恋人」問題を解決し、
ドイツ語圏でも高く評価されている青木やよひによれば、いわゆる権威ある
伝記や研究書にもいまだに誤りが多いし、なによりもそうした先入観を
無意識の前提とするため、事実の脈絡や解釈を取り違えている。
つまりベートーヴェンの生涯にわたる内面の成長や動きがまったく伝わってこないし、
それがいかに深く作品に反映しているか語られていないという。

◎逆に白紙から出発し、彼の内面の軌跡を事実を手がかりに辿っていけば、
おのずからベートーヴェンの生き生きとした人間像と、
その奥深い表現としての諸作品の本質や様式が浮かびあがってくるともいう。

◎その成果が『ベートーヴェンの生涯』(平凡社新書)であるだろう。
出版を目前に著者は死去したが、青木やよひを追悼するとともに、
そこに提示された新しいベートーヴェン像を呼び起こすにふさわしい
レクチャーコンサートが、この【『ベートーヴェンの生涯』を聴く】である。

◎ベートーヴェンとの出会いによって作曲を志したという
世界的な作曲家西村朗氏と、
これも現代作品の演奏で世界的名声をもつピアニスト高橋アキ氏を迎え、
初期を代表するピアノソナタ《悲愴》と、
事実上の最後のピアノ作品《ディアベリのワルツの主題におる33の変奏曲》
を軸として、ベートーヴェンにまつわる先入観の暗雲を吹き払う
さわやかなレクチャーコンサートを繰りひろげたい。


青木やよひ追悼◆レクチャー&コンサート

2010-03-26 09:12:28 | 青木やよひ先生追悼


青木やよひ追悼◆レクチャー&コンサート
『ベートーヴェンの生涯』を聴く

《悲愴》から《ディアベリ変奏曲》へ
高橋アキ・・・・【ピアノ】

2010年6月13日(日) 
津田ホール
[開場]=13時  [開演]=13時30分

プログラム①
【鼎談】・・・・・・・北沢方邦・西村朗・高橋アキ
『ベートーヴェンの生涯』をめぐって
プログラム②
《ピアノソナタ第8番〈悲愴〉》作品13
プログラム③
【対談】・・・・・・・北沢方邦・西村朗
ベートーヴェンの後期作品をめぐって
プログラム④
《ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲》作品120

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

[入場料]=一般4000円 学生3500円〈全席自由〉

[チケットのお買い求め]
●チケット販売サイト・カンフェティ
http://confetti-web.com/

0120-240250〈平日10-18時〉

●ピティナ
http://www.piano.or.jp/concert/support/
●知と文明のフォーラム東京支部
chitobunmei@gmail.com

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

[主催]=知と文明のフォーラム

[後援]=〈社〉全日本ピアノ指導者教会    〈財〉日独協会 
〈株〉平凡社    フォニックス・プロモート

[協力]=楽友会フロイデ

[お問い合わせ]=知と文明のフォーラム東京支部
090-5322-3920〈担当杉山〉または
 chitobunmei@gmail.com


青木やよひさんの思い出

2009-12-27 11:51:18 | 青木やよひ先生追悼

    吉 田 乙 恵


 青木やよひさんに私がお会いしたのは約15年前、レディース専門の鍼灸治療室を開業していたときです。「伊豆高原ゆうゆうの里」に入所されていたお母様の訪問の帰りに看板を見て、突然、予約なしでフラーと立ち寄られたのが最初でした。

 その初診での事、まず、いつも通りに問診から入りました。問診から治療まで、一人に約1時間の時間をとっていますが、やよひさんは、腸に憩室があり時々出血があるという持病の事、農薬による水質汚染で身体が侵された事など、たんたんと静かに、強く、そして怒りを込め、話し始められました。

 しっかりメモを取りながらお聞きしていたのですが、気が付けば、すでに1時間が過ぎていました。やよひさんはほぼ全て話し終えられたようで、満足された様子でしたが、私は問診に長く時間を取りすぎて、少々慌てました

 
続けて、東洋医学で行う切診の1つ、脈診に入りました。脈状は、沈・緊・遅――漢方でいう裏証・寒証・虚証でした。腹診は、全体に力なく心下(みぞおち)に少々緊張あり。  望診では、細身、目の力はあり、全体的に黒っぽいが顔色良し。他、若干、力の無い声、気の不足、お血(オケツ)あり(私の診るところ、完全に虚証です)、という印象でした。

 15年程前の事で、その時の一番の主訴は何だったのかは忘れてしまってはいるのですが、問診が長かったこともあり、初診の日の様子はとても印象深く心に残っております。特に脈は、私が診た患者さんの中では一番弱い脈だったので、今でも指先は覚えております。

 私の治療と相性が良かったのか、それからも都合のつく時は、1週間に1度の間隔で通院してくださいました。大腸の表裏関係でもある肺経で気の巡りをよくし、脾経・胃経の気を補う、基本的な治療を中心に行いました。治療後の脈は緩脈(病状の回復)となられ、憩室の出血がひどい時もありましたが、確か2~3年過ぎた頃からは、ほぼ安定した良好な状態になられたようです

 当時から、虚証体質であられるのに秘めたるパワーをお持ちで、精神力の強さには感心しきりでした。治療中は、お母様との関係や仕事の話などもされ、ある時は、女性誌にご夫婦で載られた記事を見せて下さいました

 夫婦別姓のことや旦那様のお話もされました。「彼は生き字引。聞けば何でもすぐに答えてくれるんです」とか、「彼の料理は凝り性で、本格的なんですよ」など、控えめに誇らしげに……。私にとって、羨ましい話ばかりでした

 余談ですが、ある年の、我が家の恒例である地元八幡野神社への初詣の日のことです。少し離れた所から、お話ばかり伺っていたご主人を初めてお見かけしたのですが、腕を組み、にこにこと楽しそうな会話をされておられる幸せそうなお二人に、お声をかけそびれてしまったことなども思い出します。

 それから数年後、体調を崩してしまった私は閉院せざるをえなくなり、情けないことに自分が療養生活に入りました。それからも気に掛けてくださり、復帰を期待してくださっていたやよひさんの脈をまた診る事無く、お別れとなってしまい心残りです。

 ただ、10月、最後になってしまったセミナーの欠席を手紙でお伝えした折に、「女性として、人としての生き方をとても尊敬しています」と書いた私の言葉を受け止めてくださり、後悔なく良かったと思っております。

 患者さんと鍼灸師という関係でしたが、逆に私の心に沢山の刺激をくださり、やよひさんとお会い出来たことは、私の誇りです。ありがとうございました。感謝を込めて心からご冥福をお祈りいたします。

  文中では「やよひさん」と呼ばせていただきました。

                       


青木やよひ先生最後のベートーヴェン

2009-12-09 22:26:09 | 青木やよひ先生追悼


青木やよひ先生最後のベートーヴェン
平凡社新書 『ベートーヴェンの生涯』


 青春時代にベートーヴェンに魅せられたという青木やよひ先生は、〈不滅の恋人〉を核として、以降50年余にわたってその真実を追い続けてこられた。ベートーヴェン関係の著作は数多いが、私は最後の
3冊を編集者としてお付き合いさせていただいた。その3冊目、12月15日に発売になる『ベートーヴェンの生涯』が、文字どおり青木先生の「白鳥の歌」となってしまった。そしてこの本は、その言葉にふさわしく、透明な美しさに満ちた著作となった。いまその制作過程を顧みて、青木先生との最後のお仕事のありさまを書き記したい。

 青木先生がいつベートーヴェンの生涯を本にしようと思い立たれたのかはわからないが、私がその思いを最初に耳にしたのは、確か2006年の末、「知と文明のフォーラム」の忘年会の席上だったように思う。『ベートーヴェン〈不滅の恋人〉の探究』(平凡社ライブラリー)も校了になり、一息つかれた頃である。2004年の11月に刊行された『ゲーテとベートーヴェン』(平凡社新書)と合わせて、ベートーヴェン3部作としたいというお話だった。編集者として異存のあるはずはない。

 ベートーヴェンの生涯を正面から取り上げた本は意外と少ない。まだ生存中の関係者から取材したりして大部な本にまとめあげたセイヤーの伝記は有名だが、専門家はともかく、一般の読者は手に取りがたい。結局、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』が、ほとんど唯一の一般書としての伝記ということになる。しかしこの本は内容的にも古く、誤りも多い。ロマン・ロランの伝記に代わるべきものを書き残したい――この思いこそ、青木先生が『ベートーヴェンの生涯』を書こうとされた最大の動機ではないかと思う。

 北沢方邦先生の日記にもあるように、青木先生がこの最後の本に本格的に取りかかられたのは2008年5月の大腸癌の手術後である。綿密な資料集めの後、第1章はほぼ完了されていたようだが、第2章から第5章までは、癌の転移と闘いながらの執筆だったということになる。しかも第1章は、全章を書き終えられた後、全面的に書き改められたという。本を執筆するというのは並大抵の労働ではない。それにこの種の本の場合、資料的な正確さが求められる。執筆に割かれる時間の何倍もの時間が資料の点検に費やされたはずである。

 『ベートーヴェンの生涯』は新書の形で刊行されるが、青木先生は必ずしも新書を希望されていたわけではない。私も、とにかく思う存分ベートーヴェンについて書いていただき、出来上がった時点で出版形態は考えようと思っていた。図版をふんだんに挿入した、美しい装丁の単行本も選択肢に入っていた。いっぽう、2009年5月に創刊10周年を迎える平凡社新書は、メモリアルにふさわしいテーマを求めていた。青木先生のベートーヴェンは間違いなくそのひとつになると判断し、術後すぐ先生とも相談のうえ、2008年12月を原稿の締め切りと設定した。1日4枚のペースで書き進めれば12月には間に合うと考えられたようだ。

 さて、私が最終的に原稿をいただいたのは今年の8月である。昨年の5月に手術をされて以来、癌は肝臓、肺、卵巣と転移し、何度も検査のために入院された。最低限使用された抗癌剤の強い副作用のお話など病状についてお聞きすることはあっても、原稿の進捗状況を確認することはためらわれた。病と闘っておられる先生に向かって、原稿の進み具合はいかがですかとは聞けない。平凡社新書10周年に間に合わせることはあきらめていた。しかし先生は、常にそのことを考慮に入れながら執筆をされていたのだ。私から催促がないことを寂しいと思われていたことをあとで知った。ともあれ、進行に関しては3月頃に再調整をし、ベートーヴェンの季節である12月刊行に向けて態勢を組み直すことにしたのだった。

 私がいただいた原稿は、青木先生の古くからのお知り合いの手でテキストファイル化されていた。加筆訂正も済んだ、ほぼ完全原稿と思われた。一読して私は、全編に溢れるある種の清澄さを感じ取った。それこそ、ベートーヴェン研究50年余の知識が総動員されていながら、そんな大仰さは影も見られず、たんたんとベートーヴェンの人生が綴られている。そこには、女性を愛し、駄洒落を飛ばし、魚に舌鼓を打ち、甥への愛に振り回される、隣人ベートーヴェンがいた。もちろん、ナポレオンやメッテルニヒの影が濃いウィーンの政治情勢や、カントやフリーメイソン、インド思想との関わりなど、ベートーヴェンの哲学的な背景も語られる。バッハ、ヘンデル、モーツァルトの音楽との関連性が書かれた箇所など、音楽フアンには嬉しい情報である。こうして、興味深く読み進めるうちに、まったく新しいベートーヴェン像が胸に刻まれることになる。

 完成度の高い原稿であるため、あとは注、年表、索引など、いわゆる付き物の作成に集中すればよいと、一安心していた。ところが、初校を出す前に、訂正で真っ赤になった第1章が送られてきた。組み上がった初校を大急ぎで訂正し、ゲラを先生に送った。この本はDTPで制作したため、訂正は編集者、すなわち私が行うことになる。結果的にはこれが良かった。初校・再校とかなりの量の赤字を短時間で訂正しゲラを出校することになったが、通常の印刷工程では到底12月には間に合わなかっただろう。それにしても、完璧さを求める青木先生の意志の強さには舌を巻いた。内容の誤りを訂正したり、文章をより読みやすくするために修正したりするのは当然だが、先生の赤字は文章の完成度にも関わるものだった。言葉遣いひとつひとつを点検し、読点の打つ箇所を注意深く変更するなど、まさに「作家」のお仕事だと実感した。そして、これだけの赤字を入れられる体力が残されているのだから、先生の病状は当分維持されるだろうと考えた。

 青木先生のお仕事として、本文の校正とは別に注の作成が残されていた。今回の注は、文献表も組み込んだ、これだけ読んでも面白いものに仕上がっているが、9月と10月のお仕事の重なり具合は、健康な人間でも消耗するほどのものだった。章ごとに注の原稿が送られてくるとすぐテキスト化し、先生に送り返した。先生は本文の校正と注の続きの執筆以外に、この校正もしなければならない。おまけにTさんが作成した年表と索引にも目を通す必要がある。12月の刊行を守るため、私は、それらのお仕事を何日までにお願いしますと言わざるを得なかった。この2ヵ月間のお仕事だけでも、先生のお命を縮めるに十分な重労働だったのではないかと、悔いが残る。

 三校のゲラをお送りしたのは11月13日。それを確認していただいたあと、19日に入院された。24日にご自宅に帰られたと聞き、お声が聞けないかとお電話したが、休まれているとのことだった。その夜、北沢先生と慈しみ深いお時間を過ごされ、翌25日他界された。ある意味では、この本を完成させるために生き延びられたのではないかと、私は自らを慰めるしかなかった。そして残念だったのは、完成した本をお見せできなかったことだ。1冊だけでも早く作るべく印刷所とは話がついていたのだが、1週間足りなかった。

 それにしても、癌が体内で増殖し続ける中、よくも430枚もの原稿を書き上げ、ゲラでは何度となく内容に修正を加え、かつ最終校正までも確認し終えられたものだと思う。その意志の強さには驚嘆する。本書のあとがきにも書かれているが、青木先生はベートーヴェンの度重なる病苦を追体験されたのだ。「死に直面することによって人は、はじめて自分の存在意味を明確に自覚し、自己に託された仕事をなしとげずにはいられないという強い意志に動かされる」。青木先生の『ベートーヴェンの生涯』は、知力と体力と、この強力な意志力を使い切ることによって、見事に完成されたのである。そのお仕事に伴走させていただいた日々を、青木先生からのかけがえのない贈り物として、私は生涯忘れることはないだろう。

              2009年12月8日 森 淳二