一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

ロシアの名作絵本『小さなお城』発売

2007-12-17 20:46:25 | 書評・映画評

マルシャーク 絵ワスネツォフ 訳片岡みい子
2007年12月12日刊行平凡社1680円


http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/frame.cgi?page=newbooks.html


http://www.amazon.co.jp/

知と文明のフォーラム・ブログ管理担当、カタオカ★Mです。
企画のTOKさんと編集 j-mosa さん共々惚れこんだ絵本を翻訳・出版することができました。

カエルが野原に小さなお城を見つけ、
ネズミとオンドリとハリネズミが加わり、皆で仲良く暮らしていました。
そこへ腹ぺこオオカミとキツネとクマがやってきて、「中に入れろ!」と凄みます・・・。

7体の動物人形や着ぐるみを作って、子どもたちのお芝居に。
読み聞かせにもぴったり。
クリスマス・プレゼントに是非どうぞ。
原画は多色刷りリトグラフで美術作品としても評価が高く、大人も十分に楽しめます。

以下に、訳者あとがきを掲載しました。


▲ 

 民話をもとに子ども向けに書かれたこのマルシャークの戯曲『小さなお城』は、日本でも戦後さまざまな版が翻訳紹介され、長年上演されてきた名作です。今日も、ロシアはもとより世界各国でアニメーション映画やミュージカルになっています。

 初演以来マルシャークは、子どもたちの反応をみながら、『小さなお城』を何度も書き直したそうです。本書の底本は比較的初期の版で、台詞は短いながら、登場する動物たちの性格が明快に描かれています。 

 ロシアでは、昔から詩の朗読が盛んです。また、声を出して身体で演じる芝居は教育の現場で重視されています。私も、訪問先の学校でさまざまな演目を観る機会がありました。子どもたちは人形や衣装を作り、装置を描き、歌に曲をつけ、効果音や照明を工夫します。配役を決め、台詞を合わせ、とても楽しそうでした。『小さなお城』は、こうしたロシアならではの子ども文化のなかで繰り返し演じられてきたのです。

 いっぽう、豊かな自然に囲まれて育ったワスネツォフは、故郷特産のヴャトカ人形が大好きでした。泥で成型し、カラフルに彩色した素朴な味わいの人形です。彼は、おとぎ話やわらべ歌、遊び歌のためにたくさんの挿絵を描きました。この『小さなお城』の原画は多色刷りリトグラフですが、のちに水彩画版も描いています。ワスネツォフは挿絵の仕事をするかたわら、学校で美術を教え、後年おもちゃ研究所の所長になっていますから、よほど子どもとおもちゃが好きだったのですね。

 この『小さなお城』の絵をすみずみまでじっくり見てください。登場する動物たちのほかに、草花や木、鳥や昆虫までが独特の色づかいと筆致で丹念に描き込まれています。どの絵からも、ワスネツォフの自然に対する強い愛着、生き物への優しいまなざし、挿絵で子どもたちを喜ばせたいという熱意が伝わってきます。絵にこめられたこの情熱こそ、ワスネツォフが時代を超えて支持されてきたゆえんです。

 マルシャークの戯曲『小さなお城』を、ワスネツォフの美しい挿絵で紹介できることは大きな喜びです。絵本としてはもちろん、読み聞かせや芝居の脚本として活用していただければ、なお一層うれしく思います。


北沢方邦の伊豆高原日記【35】

2007-12-12 09:57:53 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【35】
Kitazawa, Masakuni  

 枯葉の舞いのなかで、庭の隅に張られたいくつかのクモの巣が風にゆれて光り、中心では、ジョロウグモがまだ寒さに耐えて頑張っている。夕べの紫色の海に、イカ釣り漁船の漁り火がまたたく季節となった。真冬にかけて、夕暮れの美しい日々がつづく。

東洋人のパターン認識 

 NHKBS1で、韓国のドキュメンタリー番組「儒教Ⅲ礼」を見た。8人8列64名が一糸乱れず舞う、まぼろしの八佾〔はちいつ〕の舞いの文舞〔ぶんぶ〕(武舞に対応する)など、孔子廟や宗廟、あるいは皇帝や王のまえで舞う豪華な舞が、おそらく韓国国楽院の出演であろうが、絢爛と繰り広げられるなど、視覚的にも楽しめる番組であった。

 こうした演出だけではなく、韓国の田舎にいまでも残っている古式ゆかしい儒教のさまざまな宗教儀礼(日本に儒教とりわけ朱子学の影響はあったが、宗教としての儒教は輸入されなかった)や、都市でいまも行われる伝統衣裳に身を包んだ男子・女子の儒教成人儀礼など、李王朝以来の韓国の儒教が、いかにひとびとのあいだに深く浸透しているかを物語っていた。

 いまわれわれ現代社会に不可欠のITやさまざまなディジタル機器を動かす原理である0と1との2進法(00の次は01、次に11となり、次に進むと一桁上って100となるという方式)つまり2進数値(バイナリーディジット略してビット)は、ライプニッツが発明したとされるが、彼自身宣教師に教えられて、『易経』(周易ともよばれる)の64卦が、2000年もまえに発明された2進法(0と1の代わりに陰と陽)であることを知り、愕然としたという挿話など、教えられることが多かった。

 そのなかでも興味深かったのは、アメリカの大学でのある心理実験であった。担当した教授の名は失念してしまったが、彼自身はかつて、人類の心理構造は普遍的であると信じてきたが、私流にいえば、西洋人と東洋人との「パターン認識」がまったく違うことを発見し、心理構造に種族の差があることを確信するにいたったというのだ。

 たとえば、牛と鶏と草の描かれた絵を示して、このなかからもっとも関係の深い二つを選べ、という問いをあたえると、西洋人被験者は例外なく牛と鶏を選ぶのに対して、東洋人被験者は例外なく牛と草を選ぶという。結果を知らされるまえに、私も一瞬の判断であったが、鶏も草をついばむことなきにしもあらずだが、やはり牛と草だろうと考えた。つまり典型的な東洋人であったのだ。

 西洋人といっても白人種であるだろうが、彼らは動物対植物というカテゴリー概念で牛と鶏を選ぶが、東洋人おそらくモンゴロイドは、動物の生態をまず考え、牛と草を選ぶのだ。いまはやりのエコロジー的な発想である。

 もうひとつの実験は、魚の泳ぐ水槽であるが、それを観察した結果を報告させると、西洋人は例外なく、そこに泳ぐ魚の種別や形、模様などを記憶するが、東洋人は水草のゆらめきや石の配置、泡の上昇などと、それをめぐって泳ぐ魚たちという認識パターンを示すという。つまり東洋人は水槽全体を、ひとつの動く風景としてとらえるのだ。

 このドキュメンタリーでは、この心理実験を東洋画に結びつけて説明し、そこでは人物もこの実験の魚同様、風景の一要素としてのみ認識されているとし、人間を中心としてみる西洋人にとって東洋画が理解し難いのは、この認識の違いにあるとする。もちろんそのことは正しいが、問題はこの「パターン認識」の差異がなにに由来するかであるだろう。

パターン認識と世界観の差異 

 それは結局、むずかしくいえば世界観、要するに世界の見方に由来する。われわれ東洋人にとって、生きとし生けるものすべてに仏性があるとする仏教が典型であるように、世界は万物相互が密接にかかわりあう「共生」の宇宙であり、人間といえどもその一要素でしかない。世界はその全体性で眺められる。

 ところが西洋では、人間が神に選ばれた万物に優る生き物とするキリスト教が、古くから人間中心主義を貫いてきたし、とりわけ近代では、個の尊厳とその「主観性」が認識の中心と考えられてきたがため、いわば透明なガラス箱であるこの主観性を通じてしか、ひとは事物を認識できなくなってしまった。主観性は蓄積した知識やそれを無意識に分類するカテゴリーで世界を判断する。

 西欧の絵画はこの人間中心主義を反映しているし、十八世紀に興隆した風景画といえども、描くものの主観性としての感情が投影されている。私が十九世紀の画家カミーユ・コローの絵を好きなのは、ひとつは樹木の描き方などきわめて東洋的であり、中国画の影響を受けているのかと思われることもあるが、そこに淡い褐色を主体として投影されている感情が、自然と一体化したかのようにきわめておだやかであり、心が癒されるからである。同じフォンテーヌブロー派の、他の画家たちの風景画にはまったくないものである。

 モネやゴッホなど印象派の「革命」は、まさにこの主観性の殻を打ち破ろうとした点にある。彼らは自己の主観性を超え、自然そのもののもつ潜在的な力を、光りと影のうつろいのなかで、大胆な色彩やかたちとして表現しようとしたのだ。ゴッホの晩年の絵は、宇宙や自然そのものの妖しいゆらめきであり、モネの最後期の「睡蓮連作」は、瞑想のなかに宇宙を映しだす、まさにウパニシャド(インドの哲学書)の世界である。

 だが彼らの「革命」は、浮世絵ショックともいうべきできごとから生じた。日本からの輸入陶磁器の包装紙に使われていた大量の浮世絵が、驚くべき絵として彼らに衝撃をあたえたのだ。たとえばのちにドビュッシーが自作の交響詩『海』の表紙に使用した北斎の相模沖の波涛の絵は、波の描写のたんなる誇張ではない。北斎は天にも届かんとする波涛の力と、翻弄される釣り舟のひとびとを描くことによって、宇宙に充満するエネルギーまたは「気」を表現しようとしたのだ。印象派の画家たちは、そこに主観性の小さな枠を打ち砕くなにものかを感じ取った。世界は主観・客観を超えたところにある、と。

 このメッセージはいまこそ重要である。地球温暖化による環境危機のさなか、大自然全体の「共生」(生物学的意味でのシンバイオシス)をまず感じ、人間をその点景としてとらえる東洋哲学や芸術の視座を復権させなくてはならない。われわれは日本人である以上に、東洋人である自覚とアイデンティティを回復し、危機の克服に寄与すべきである。キリスト教徒でもないのにクリスマスを盛大に祝うが、伝統行事をほとんど忘却した西洋崇拝・白人崇拝の日本人を、いったいだれがつくりだしてしまったのだろう。

お知らせ
遅くなりましたが、
北沢方邦『ヨーガ入門―自分と世界を変える方法』平凡社新書は、
来年2月に発売されることになりました。
ご一読いただければ幸いです。
また、新年1月20日(日曜日)夜9時からのN響アワー
青木やよひが出演し、
ネルロ・サンティ指揮によるベートーヴェン『交響曲第八番ヘ長調』にまつわり、
ベートーヴェンの大曲のなかであ唯一献呈者のいないこの曲の謎を語る予定です。
これもお聴きいただければ幸いです。


北沢方邦の伊豆高原日記【34】

2007-12-02 13:16:41 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【34】
Kitazawa, Masakuni

 急に秋が深まった、というより初冬がやってきたため、めずらしく伊豆高原の紅葉が美しい。朝夕の気温差の少ないこの地は、樹々はあまり紅葉することなく、枯葉色のまま落葉する。しかし今年は、雑木類の黄葉が鮮やかに、ハゼやウルシの紅を引き立たせている。

著しい知のレベルの低下 

 久しぶりに東京にでる都合があったため、輸入楽譜や本の購入のためヤマハ(残念ながら新築中で仮店舗は遠く、山野楽器におもむいた)や日本橋丸善を訪れた。 

 新築前の丸善では、和書はすでに近隣のビズネスマン向けの本しか並べていなかったので期待はしなかったが、洋書売り場には、まだ私が手にとって読みたいような書籍が、人間科学・自然科学を問わず置いてあった。 

 ところが新築後の洋書売り場には愕然とせざるをえなかった。ほとんど知的ショックといっていい。つまりここも、ビズネスマン向けの実用書や語学書、あるいはせいぜいメディアで話題となっている(たとえばアル・ゴアの何冊かの環境問題発言書など)本しか置かれていないのだ。思想や哲学書あるいは最新の自然科学の啓蒙書などが棚にないか、店内を数回廻ってみたが、ない! 

 一九五〇年代から七〇年代にかけての、かつての明るく広々とした洋書売り場の棚を、ぎっしりと埋め尽くしていたハードカヴァーの数々の書籍、平台をこれも埋め尽くしていたペーパーバックスや雑誌類、そしてそれらを手に取り熱心に読みふけるひとびと、あの知的な刺激に溢れた光景はどこへいってしまったのだろうか(フランス書や文芸書などヨーロッパ物を多く並べていた紀伊国屋書店の洋書売り場も、まったく同じ風景であった)。 

 あの頃、洋書売り場に上がって真っ先に手に取ったペリカン・ブックスの新刊書の多くは、いまもわが家の新書・文庫本専用の棚に収まっている。まだ私の英語力も十分でなかった時代、とにかく知に飢えて辞書を片手に読み漁っていたのだ。 

 あの時代が懐かしいわけではけっしてない。だがこの風景の変化が、わが国の知的レベルの著しい低下と、内面的文化の荒廃を告げているのではないかと、外の暗い曇り空にもまして暗い日本の未来への不安に、胸を閉ざされたしだいである

いまバルトークが語りかける 

 アメリカ合衆国打楽器芸術学界世界大会・ヨーロッパ打楽器大会招待演奏凱旋公演と題して、上野信一打楽器リサイタルが11月28日トッパン・ホールで行われた。この公演のための日本人作曲家の委嘱作品をふくめ4曲が演奏された。 

 彼が輝かしい打楽器技術と、繊細にして的確な音楽的感覚をそなえたひとであることはすでに知っていたが、あらためて感銘を深めることができた。 

 4組の打楽器セットを楽章毎に変えていくアンドレ・ジョリヴェの「打楽器協奏曲」全曲(ピアノ野平一郎)も興味深かったが、とりわけバルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」(ピアノ:パトリク・シグマノフスキー/池田珠代、打楽器:上野信一/フレデリク・マカレス)が、全体として出色の出来栄えであった。  

 この曲には個人的な思い出がある。一九五〇年代、作曲家の故柴田南雄と私が、戦後の日本の音楽界にバルトークをはじめて体系的に紹介し(戦前にも断片的な紹介はあったが)、『音楽芸術』誌などに論文や楽曲解説を精力的に書いていた。輸入楽譜がようやく手に入るようになったが、現代音楽の輸入レコード(まだSPであった)はNHKにしかない時代であった。そのNHKラジオの教養番組を担当する第2放送から、ドイツ・グラモフォンの最新レコードで、バルトークの「2台のピアノと打楽器のソナタ」が入ったので、その放送の解説をお願いしたいと依頼された。ところが間際になってどうしてもスタジオが取れないので、録音ではなく生放送だという。生まれてはじめてのラジオ出演が生放送とは、と愕然としたが、あらかじめ原稿を作成し、心理的にあがることもなく無事終了した。 

 だが私のトーク中に珍事が起こったのだ。マイクロフォンを挟み、男性アナウンサーが私の向かいに対峙していたのだが、急にくしゃみか咳を誘発したらしく、ハンカチで口を蔽ってスタジオの外に飛び出したのはいいが、その拍子に狭い部屋の壁に立てかけてあった折りたたみのパイプ椅子を足に引っ掛け、倒してしまった。一瞬の轟音が生放送中のスタジオに響き渡ったのはいうまでもない。  

 そのときのレコードの印象(演奏者がだれであったかもはや記憶にないが)も、またその後演奏会で聴いた印象も同じであったが、この曲はあくまで2台のピアノが主役であって、打楽器はいわば伴奏する脇役にすぎないように思われていた。 

 だが今回はまったくちがう。それは、2人のピアノ奏者と2人の打楽器奏者、合計4人相互のいわば熾烈な決闘であり、そこから第2次世界大戦前夜の緊迫した状況に対する音楽的主張や思想を立ち昇らせようという、バルトーク自身の本来の意図を鮮明にしたものであり、その意味で啓示的な演奏であった。 

 重苦しい状況とそれに立ち向かう断固とした意志をうたう第1楽章、バルトーク固有の「夜の音楽」様式の深く沈潜する第2楽章、農民舞曲の歓呼に乗せた母なる大地とそこに生きる生命や人間への賛歌である第三楽章、だがそれも祖国を後に亡命する決意のなかで、一場の夢のように消えていく最後の数十小節の重み、それらすべてを浮き彫りにした名演であった。

FM放送よ、おまえもか 

 夕食後の休息にと、よくNHKのFMにスイッチを入れる。我慢のできない演奏のときには切るが、比較的よく聴くほうである。ところがときどき、わが耳を疑うアナウンスに出くわす。 

 だいぶ以前だが、リストの「巡礼の年第1集スイス」の「オーベルマンの谷」が演奏された。女性アナウンサーは繰り返しそれを「オーベルマンの旅」と述べ、ご丁寧に「オーベルマンという青年の心の旅を描く作品」と解説するではないか。たしかにこの曲は、ユイスマンスの小説『オーベルマン』の幻想的な一場面に霊感をえたものだが、原題は「ヴァレー・ドーベルマン」であってけっして「ヴォワイヤージュ・ドーベルマン」ではない。 

 数ヶ月たって別のピアニストが同じ曲を演奏したが、そのときもまた「オーベルマンの旅」とアナウンスし、同じ陳腐な解説を繰り返していた。あきれてものもいえない。 

 つい最近も、「南仏の古都サント」の修道院でのコンサートというアナウンスに出くわした。たびたびサントというのでそんな町があるのかと思っていると、「ローマ時代の遺跡もある由緒ある町並み」という解説で、はたと「ナントの勅令」で有名なナントであることに思いいたった。それに驚いていると、「次の曲目はベートーヴェンの交響曲第六番田園ハ長調」と語り、解説のあとで「ではベートーヴェンの交響曲第六番田園ハ長調をお聴きください」と繰り返すではないか。たしかに片カナのサとナ、ハとヘは似ているが、これはもはや読み間違いの段階ではない。西欧のクラシック音楽を扱うディレクターやアナウンサーが「田園」がヘ長調であることを知らないとは、世も末というほかはない。 

 電波メディアだけではない。大新聞にもこれに似た誤りが横行している。もう昔のことでなんの記事であったか忘れたが、朝日新聞のそれに関連したデモンストレーション画面に、Fresh Cake(新鮮なケーキ)のつもりらしいが、Flesh Cake(人肉ケーキ)と表示されているのに思わずわが目を疑った。

 また毎日新聞のコラム「余禄」で、ヒトラー暗殺事件にかかわり自決させられたロンメルを、「ナチス親衛隊の将軍」と書いているのに驚いたことがある。ヒトラーへの狂信的な忠誠に凝り固まった親衛隊と、貴族出身者が多く、ヒトラーをひそかに成りあがり者と軽蔑していたドイツ国防軍の高級将校団とは、同じ武装集団であり、同じ戦争を戦ってはいたが、まったく別世界であったのだ。「砂漠の狐」と英軍に恐れられたロンメル将軍も、地下で憮然としたことであろう。最近も似たような誤りにしばしば出会う。新聞社には校閲部という部局があるはずだし、こうした歴史の誤りは、調べればすぐわかることである。 

 いずれにせよこれらの事例も、わが国の知のレベルの著しい低下を示す徴候にほかならない。