一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

楽しい映画と美しいオペラ―その42

2012-09-01 10:55:09 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その42

 

 心躍る一大スペクタクル
 ――メトロポリタン・オペラ〈ニーベルングの指環〉



チラシ1                     チラシ2

 

 先週末の2日間、残暑を避けて銀座の映画館で過ごした。ワーグナーの〈ニーベルングの指環〉全4作に挑戦したのだ。後半の《ジークフリート》と《神々の黄昏》の組み合わせは、11時に始まって終映が22時半、休憩や食事の時間はあったものの、じつに12時間近く映画館に閉じこもっていたことになる。400人ばかり収容できる座席の6~7割は埋まっていて、熱心なワーグナーファンもいるものだと感心した。泊まりがけで観に来たというご夫婦もいた。

 もっとも私はワーグナーからは距離を置いてきた。あまりの大言壮語ぶりに辟易していたというのが正直なところ。〈指環〉も《ワルキューレ》は別にして、あとの3作に関してはDVDで流し観したにすぎない。来年の生誕200年を控えて、ちょっと予習をしておこうという軽い気持ちで出掛けた。ちなみにヴェルディはワーグナーと同年で、生誕200年祭としては、私はこちらの方が楽しみである。

 とはいうものの、正味上演時間約15時間というこの超大作を、私は結構楽しんだ。音楽と物語好きが昂じて私はオペラの世界に迷いこんだのであるが、メトロポリタン・オペラのこのプロダクションは、そんな私の原点を大いに刺激してくれたのである。

 ジエームズ・レヴァインが前半2作《ラインの黄金》《ワルキューレ》を、ファビオ・ルイージが後半2作《ジークフリート》《神々の黄昏》を振ったのだが、まずこの2人の指揮者の功績を認めなければならない。レヴァインは心の機微を絶妙に表現できる指揮者である。オペラを振るために生まれてきたといってもいい。ルイージは、コントロールのよくきいた、端正な指揮をする人だが、ワーグナーの壮大な世界を見事に表現した。2人の指揮者のもと、映画館には雄渾なワーグナーの音楽が鳴り響いた。実演には及ばないにしても、我が家のステレオ装置の比ではない。快感これ極まれりである。

 しかし、このプロダクションの成功の最大の功労者は、演出のロベール・ルパージュであろう。たったひとつの装置で、世界のすべてを表現した。山を、森を、川を、家を、さらに天上の世界と地下の世界を……。挙句、それは馬にも変貌した。装置とは、24枚の三角錐の板を立て、それらをヨコに連らねた巨大なマシーンである。1枚1枚がコンピュータ制御で自在に動く。そこに3Dの映像が投射されて、マシーンが驚くべき変容をとげる。大スペクタクルの音楽に引けをとらない装置である。重量45トンで、この装置のために舞台の床を補強したという。

 昔ある友人が、ワーグナーの音楽って映画音楽だね、と言ったが、言い得て妙。まさにこのプロダクションは、一大スペクタクル映画である。変身あり、魔法の剣あり、決闘あり、大蛇退治あり、謎々あり、男女の恋あり、裏切りあり……。息もつかせぬ冒険譚に徹したところに、このプロダクションの成功がある。

 もちろんワーグナーは、単純なスペクタクル・オペラをつくった訳ではない。足掛け30年の歳月をかけた作品である。自らの世界観をたっぷりと投影させたはずなのだ。物語のキーとなる「指環」からして意味深長だ。これをもつ者は世界を支配できる、つまり権力の象徴である。ラインの黄金からこの指環を鋳造した地下世界の支配者アルベリヒは、愛を断念することによってそれを成しえた。序夜《ラインの黄金》(チラシ1)に提示されるこの「権力と愛の相克」こそ、破天荒なこのオペラの最大のテーマである。

 第一夜《ワルキューレ》(チラシ2)は、ワーグナー作品のなかで私の最も好きな演目である。ジークムント、ジークリンデの双子兄妹の禁断の愛は、《トリスタンとイゾルデ》の音楽を彷彿させる。そして宿命の死をめぐる、ジークムントと戦いの乙女(ワルキューレ)ブリュンヒルデの対話は、この作品の白眉であろう。ジークリンデの不在故に、ジークムントは死後の栄光の世界を拒絶する。妹への熱い思いは、ブリュンヒルデならずとも観る者の心を締めつける。この2人を優れた歌手が演じると、会場は水を打ったように静まりかえる。カウフマンとヴォイトも健闘したけれど、私は2005年のプロムスでのドミンゴとガスティーンの組み合わせが忘れられない。

 双子の兄妹は、神々の長ヴォータンと人間の女の間に生まれた。ヴォータンは2人の愛を祝福するのだが、婚姻の神でもある正妻フリッカが赦さない。2人の、愛と秩序をめぐる口論も聴きものである。愛を謳歌するヴォータンが、フリッカの正論に追い詰められていく過程では、ワーグナーの複眼的思考に感心する。ヴォータンの権威と弱さを余すところなく歌ったターフェルが素晴らしい。

 さて、ジークムントとジークリンデの一夜の愛から、ジークフリートが生まれる。彼の活躍が第二夜の《ジークフリート》である。そしてスペクタクル的要素が一番濃いのがこの作品である。大蛇退治やブリュンヒルデの火中からの救出場面も華々しいけれど、魔法の剣ノートゥングを再鋳造するシーンにはかなわない。オーケストラの大音響をバックに、ジークフリートが高らかに出立の歌をうたう。私は思わず拍手をしてしまった。モリスはやや線の細さを感じさせるが、ここは大いに踏んばった。

 第三夜の《神々の黄昏》に至って、物語が破綻する(と私は思う)。権力の象徴である「指環」は、誰の手に渡ることなくラインの河底に戻るのだが、その争奪の過程で、総ての者が衰えゆく。天上の神々は疲弊し、地下の闇の力も没落する。世界を救出するはずの英雄ジークフリートも、あえなく殺される。ブリュンヒルデの、愛への殉死のみが救いである。こうして「権力と愛の相克」の物語は幕を閉じる。

 
結末は理解できる。問題はそこに至る過程である。ジークフリートとブリュンヒルデの行動がどうにも納得できない。安易に敵の罠に落ちるジークフリートの不用意さと、彼の急変に疑問を抱かないブリュンヒルデの軽薄さ。肝心の2人の行為に説得力がない故に、ワーグナー畢生の大作は画竜点睛を欠く結果となった。音楽が素晴らしいだけに、彼の台本力の弱さを残念に思う。

 
さはさりながら、週末の2日間をたっぷり楽しませてくれたメトロポリタン・オペラには、心から感謝を申し述べたい。

《ラインの黄金》2010年10月9日上演
《ワルキューレ》2011年5月14日上演
(2012年8月17日 東銀座東劇にて上映)
指揮=ジェームズ・レヴァイン

《ジークフリート》2011年11月5日上演
《神々の黄昏》2012年2月11日上演
(2012年8月18日 東銀座東劇にて上映)
指揮=ファビオ・ルイージ

ヴォータン:ブリン・ターフェル(バスバリトン)
フリッカ:ステファニー・ブライズ(メゾソプラノ)
ローゲ:リチャード・クロフト(テノール)
アルベリヒ:エリック・オーウェンズ(バスバリトン)
ブリュンヒルデ:デボラ・ヴォイト(ソプラノ)
ジークムント:ヨナス・カウフマン(テノール)
ジークリンデ:エヴァ=マリア・ヴェストブルック(ソプラノ)
フンディング/ハーゲン:ハンス=ペーター・ケーニヒ(バス)
ジークフリート:ジェイ・ハンター・モリス(テノール)
グンター:イアン・パターソン(バスバリトン)
演出=ロベール・ルパージュ

2012年8月24日 j-mosa 



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