一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【94】

2011-01-30 08:10:31 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【94】
Kitazawa, Masakuni  

 満開の早咲きの白梅に隣りあう遅咲きの紅梅がほころびはじめ、メジロたちを引き寄せている。裏の小道ででかさこそと音がする。人が歩いているかと窓から覗くと、ツグミが落ち葉を掻きあげながら、隠れている虫をついばんでいる。昨日分譲地内の道路をウォーキングしていると、舞い降りていたセキレイが私を先導するかのように、道路上を先へ先へと低く飛んでは降り、ときどき首をかしげてこちらをうかがっていた。

 先日は三原山の頂上が白く冠雪していたが、今朝は雲間からあちらこちら差し込む陽光を背景に小雪が舞い、光を受けてきらめく不思議な光景が展開した。

リアリティとは何か? 

 机上に溜まっていた本を読みはじめたが、マンジット・クマールの『量子;アインシュタイン、ボーアおよびリアリティの本性についての偉大な論争』(Kumar,Manjit.QUANTUM; Einstein,Bohr,and the Great Debate about the Nature of Reality,2010)が、20世紀の大物理学者たちの交流や論争を、さまざまな挿話を交えて紹介し、読み物としても面白く、一気に読了してしまった。 

 「リアリティとはなにか?」 これについては私自身、詩でも表現を試みたが、いつか理論として展開したいと考えていたため、この本に大きな刺激を受けた。しかもこれは物理学上の論争を主題としながらも、それが哲学や世界観、あるいは最終的には文明の問題に深くかかわっていることを明らかにしている点で、きわめてすぐれている。 

 以下は、この本に触発された私の「覚書」として、アインシュタインVSボーア論争の深層にひそむ問題を書き記しておきたい。

アインシュタインと量子力学 

 量子とは微視的世界を飛び交うエネルギーの束(パケット)であり、われわれはそれを確率の波、つまり波動関数(Ψ)としてしか認識できない。その世界はまさにアリスの「不思議の国」であって、われわれが日常経験する古典力学の法則は一切通用しない。たとえばわれわれの世界では、かならず原因があって結果が生じるが、この世界ではこうした「古典的因果律」は成立せず、ときには結果が原因に先立ちさえする。

 量子を構成するのは素粒子とよばれるものであるが、それがいかなるエネルギー準位をもち、どのような状態にあるか、観測するまではまったく未知であり、決定できない。観測によってはじめてそれらが決定されるが、それはいいかえれば波動関数が「崩壊」し、「不思議の国」が、観測者の属する「不思議でない国」つまり古典力学の世界に還元されてしまうことを意味する。

 これはおそるべき矛盾である。これをどう解釈するか。ニールス・ボーアをはじめとするコペンハーゲン学派は、確率の波に支配される微視的世界と決定論的な巨視的世界の完全な二元論によって正当化する。だが世界を精神と身体または主観と客観に分割するデカルトの二元論と同じく、両者をなにが媒介するかという深刻な問題が提起される。コペンハーゲン二元論に反対するシュレーディンガーは、この矛盾を有名な《シュレーディンガーの猫》というジョークで表現した。放射性原子が崩壊し、ガイガー・カウンターが鳴ったらハンマーが青酸カリのカプセルを割るという装置の箱に閉じ込められた猫は、観測者が箱の蓋を開けるまで、その生死は決定できない。放射性原子が崩壊するかどうかの確率は2分の1であるから、蓋を開けるまで猫は、「同時に生き、かつ死んでいる」という《重ね合わせ》の状態にあるというのだ。

 量子という用語をそもそも使いはじめたのはアインシュタイン(量子としての光)であり、彼はまたボーアの業績を高く評価していたのだが、この二元論には我慢できなかった。「神はサイコロを投じない」という彼の有名なことばは、量子の世界が確率の世界であることを否定するというよりは、観測者が介入しない微視的世界の認識は基本的に不可能であるというボーアの不可知論に対するいら立ちであると考えるべきであろう。アインシュタインは、微視的世界はたしかに古典力学を超えた世界ではあるが、かならず確率論的ではない法則に支配されていると信じ、それを裏づける「統一場の理論」を追求した。

 この二人の論文や手紙を通じた「偉大なる論争」は、ほんとうに息を飲む。

アインシュタインの哲学 

 この二人の論争は、だが物理学上の論争にはとどまらない。そこには哲学あるいは世界観の深刻な亀裂がある。 

 「量子世界などはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである」というボーアの言明は、まさにデカルト的二元論の主観主義の局地であるといえよう。哲学でいえばそれは、ヴィットゲンシュタインが「語りうるものは明晰に語れ、残余は沈黙のみ」といって、広大な「残余」の世界を問題とせず、合理的に記述されるもののみがリアリティであるとした論理実証主義そのものにほかならない。 

 徹底した平和主義者で非暴力主義者であり、プリンストンの自宅の書斎にガーンディの肖像を掲げていたアインシュタインの哲学は、「東洋的」といってもいっこうさしつかえない。彼はある新聞のインタヴューで「神を信じていますか?」と問われ、「スピノーザの神なら信じています」と答えたが、世界あるいは宇宙を《実体(スブスタンシア)》の一元論でとらえていたスピノーザの哲学は、ヒンドゥーや仏教あるいは道教の哲学と同じ思考体系であり、アインシュタインの哲学はまさにスピノーザ主義であるといえる。

 だが20世紀の後半「標準理論」の完成とともに、物理学界ではボーアのコペンハーゲン解釈が絶対的な権威となり、宗教的ドグマとさえなり(クマールの評言)、ノーベル物理学賞は今日にいたるまで「標準理論」の信奉者にしかあたえられなくなる。「統一場の理論」の追求は時代遅れとされ、アインシュタインはたんに相対性理論の提唱者としてのみ名が残る歴史の遺物とされてしまった。

多重世界解釈の登場 

 だが思いもかけない大逆転が起こる。多重世界解釈あるいは平行宇宙理論の登場である。 

 1957年、プリンストン大学の大学院生であったヒュー・エヴェレットⅢ世は、微視的世界の《異常》こそが、われわれの世界をも貫く普遍的法則であり、量子力学の記述はたんなる数学的約束ではなく、世界を支配する法則にほかならない、とする学位論文を提出した。つまり量子力学の記述の道具である無限次元のヒルベルト空間は、宇宙そのもののリアリティであり、古典的因果律の不在も宇宙のリアリティを律する法則である。われわれの世界が一見決定論的であるのは、無数に存在する多重世界あるいは平行宇宙が、この目に見える世界に直交している結果にほかならない、というのだ。 

 この「奇想天外な」論文は、メディアを賑わわせはしたが、「標準理論」信奉者が圧倒的多数を占める物理学界からは完全に黙殺された。エヴェレットは失望して物理学界を去り、国防総省に職をえたが、多重世界解釈の復活を知ることなく、失意のうちに若くして死ぬ(どの分野でも先駆者は孤独である)。 

 だがシュレーディンガーの猫という絶対的な矛盾を抱えた「標準理論」は、出口のない袋小路に陥り、それに代わって1980年代から、物質の最小単位は素粒子ではなく、はるかに微小なレベルのストリング(弦)であるとするストリング理論が登場し、驚くべきことにそれは、従来の電磁力・(原子核の)弱い力・強い力の3つだけではなく、重力をも統合的に記述できるものであることが明らかとなった。重力、すなわち微視的世界におけるアインシュタインの復権であり、さらにストリングの存在を許す多重世界解釈の復権である。アインシュタインの統一場の理論は、ここに逆説的ではあるが微視的世界の《非合理性》から組み立てられることとなったのだ。 

 クマールによれば、1999年ケンブリッジ大学で行われた量子物理学学会で、「コペンハーゲン解釈(標準理論)」「多重世界解釈」「留保」の3つを選択する投票が行われたが、投票した90名のうち、コペンハーゲン解釈にはわずか4票、多重世界解釈には30票、「留保」に50票が投じられたという。2011年であれば多重世界解釈にはさらに票が増えたことであろう。 

 多重世界解釈は、多重世界あるいは平行宇宙という「隠された、あるいは目にみえない世界」をも含めて世界のリアリティとするものであり、デカルト的二元論およびコペンハーゲン二元論という近代の世界観を超える脱近代の世界観にほかならない。まだ探求の途上ではあるが、いまや多数派となりつつある多重世界解釈またはストリング理論の行方が注目される。


ストラヴィンスキー作曲「兵士の物語」

2011-01-25 10:14:34 | コンサート情報

 コンサート情報 

「知と文明のフォーラム」会員の上野信一が、
ストラヴィンスキー作曲「兵士の物語」に出演します。

主催は、コンサートだけでなく、長年にわたり「朗読の会」も行なってきたJILA(国際芸術連盟)で、兵士と悪魔の奇妙でどこかせつない駆け引きや、戦争の愚かさを伝えるメッセージ性など、音楽と共にストーリーも楽しめそうです。

日時  2011年3月25日(金)19:00開演
場所  亀戸カメリアホール
       http://www.kcf.or.jp/kameido/index.html

    くわしくは http://www.jila.co.jp/19rodokukai.html  もご覧ください。

チケット 一般3500円
★ご来場を予定されている方、上野より「知と文明」割引(3500円のところ3000円)をいたします。
メールで sna41919@nifty.com
まで、「兵士の物語チケット希望」というタイトルでご連絡ください。

 


北沢方邦の伊豆高原日記【93】

2011-01-19 10:46:01 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【93】
Kitazawa, Masakuni

  美しい冬の日々がつづく。陽射しを浴びた裸の樹々の彼方、海も島影も青く、大島の断崖に砕け散る白い波頭も、肉眼でみることができる。乾燥しきっているので、庭の苔莚もすっかり黄色くなっている。

ホピ通信 

 ホピの今井哲昭さんから、炒った赤トウモロコシや焼きたてのピキ(青トウモロコシの薄焼きパン)などとともに便りをいただく。同封してあった「ナバホ・ホピ・オブザーヴァー」紙のトップに気になる記事がでていた。「ホピ憲法改正草案」をめぐる激しい論争がはじまっているというのだ。 

 BIA(合衆国インディアン事業局)の提案でホピ憲法修正草案No.24Aが提案され、部族議会の投票にかけられることになったという。それは、近年進歩派に属していたシパウロヴィ村でさえも伝統派に転向してきたように、伝統派の影響力が強固になり、部族議会政府の権力がますます制約されてきたことに対する進歩派の抵抗といえよう。 

 その内容は現憲法第3章3に規定されている「各村は、各村がいかにあるべきかについて決定権をもつ」を削除し、政府に決定権をもたせるという中央集権案といえる。伝統派の村々や知識人、あるいはさまざまな文化グル-プが集会をもち、反対運動をはじめているという。私としては彼らの勝利を祈るしかない。 

 ただこの問題に関しての亀裂はないと思うが、伝統派内部にも問題がないわけではない。

 昨年の暮れ、マヤの超長期暦(Long Count)5,200年の終了を扱ったBS-TBSの「マヤ暦の真実」という番組をみた。2012年の12月21日にその日がやってきて、地球の終末を迎えるという俗説が、真実かどうかを検証するもので、とくに最後のマヤの長老ドン・アレハンドロの言明が感動的であった。つまりグレゴリオ暦のこの日はロング・カウントの終了日と正確に一致はしないし、ロング・カウントは一つの時代の終了を告げるものであって、それはわれわれに新たな時代を切り開く決意を迫る日付だという。地球温暖化など環境危機に直面しているわれわれは、それを克服して新しい時代を築かなくてはならないという。

 この番組のなかで、マヤやアステカと文化的縁戚関係にあるといえるホピの予言が引用されていたが、聴いてあきれてしまった。すなわちマヤのロング・カウントと同じく、ホピはすでに3つの世界を経過し、いま第4の世界にいるが、やがてそれも終末を迎え、第5の世界にいたる。その終末は天空に青い星が出現することによって告げられる、という。ここまではほんとうのホピの預言である。だがホピは第4の世界では空を飛ぶ乗り物が現れ、地上を鉄の蛇が走り、などなど現代文明を正確に予言していたというのだ。

 いうまでもなくこれは予言の「改作」あるいは「加工」である。ホピ伝統派の真の長老たちが声明できびしく糾弾した、日本にも何人もやってきた偽長老たちのようなひとびとが、ホピの神話や予言をより権威あるものにし、いわば神格化し、外国人たちを感服させるためにそうした「加工」をしたにちがいない。世界のなかでホピ・ブームがもっとも遅れてやってきたわが国では、そうした「加工」は容易に受け入れられてしまう。検証もなくこうした加工予言を垂れ流すメディアも、きびしく批判されるべきである。

 それにしてもこうしたいい加減な伝統派がいることに、われわれ日本人は注意しなくてはならない。

ベートーヴェンの「ディアベッリ変奏曲」 

 楽友会フロイデの小林陽一さんのご厚意で、刊行されたばかりのベートーヴェン『ディアベッリ変奏曲』の手稿(周知のように、青木やよひもそのひとりであった世界の多くのひとたちや団体からの寄付でベートーヴェン・ハウス・ボンが昨年購入した)のファクシミリ、およびベートーヴェンの手書きの贈呈の辞(ロブコヴィッツ侯爵の司書で年金担当者のフォン・ダム宛て)が書き込まれたその初版のファクシミリをいただいた。ベルンハルト・アッペル、ウィリアム・キンダーマン、ミヒャエル・ラーデンブルガー諸氏による詳細な分析と解説がつけられている。

 手稿のファクシミリは、ベートーヴェンの手稿にしては比較的読みやすいし、抹消や挿入も少ない。それだけに一気呵成に書かれたその勢いが伝わってくる(変奏曲31番の最後が青木の追悼コンサートのプログラムに使われているが、ベートーヴェンの筆跡にしてはじつに美しいことを覚えておいでと思う)。 

 解説も数々のスケッチ・ブックが引用され、この音の宇宙全体がどのように生成していったかが如実にわかるようになっていて、わくわくしてくる。キンダーマン氏が分析の最後に献呈者アントーニア・ブレンターノに触れ、「ベートーヴェンの《不滅の恋人》であったと考えられるひと」としているのも、ソロモン=青木説が世界的に認知されていることの反映であるだろう。全体を詳細に読むのを楽しみにしている。

心から心へ 

 「心から心へ(vom Hertz zu Hertz!)」は、いうまでもなくベートーヴェンが『ミサ・ソレムニス』の冒頭に書きこんだことばであるが、作品はともかく、演奏を通じてこの言葉を実感するようなコンサートはめったにお目にかかれない。 

 1月16日に表参道のカワイ・コンサートサロンで、「うたのいのち うたのゆめ」と題して行われた新実みなこソプラノ・リサイタルは、ひさびさにこのことばを実感させてくれた。 

 「この道」「待ちぼうけ」などの古典的な日本歌曲(夫君の新実徳英の編曲で、吉村七重・田村法子の筝の伴奏)や、中田喜直や武満徹の戦後の代表的歌曲、そして新実徳英の「5つのメルヒェン」「白いうた・青いうた」などが歌われた。 

 おそらくこれらの歌を、より「美しく」ベル・カントでうたってくれる声楽家は数多いと思う。だが日本の歌曲をイタリア流のベル・カントでうたうことに強い違和感を覚えてきた私を、彼女はまずみごとに裏切ってくれた。よく透る発声であるが、きわめて自然に明晰に日本語を伝えてくれるのだ。そのうえそこには鳴り響く「心」がある。単純な感情移入ではなく、そのことばと旋律に含まれる「絵」をみごとに浮かび上がらせる。これはえがたい才能である。 

 戦後のもっともすぐれた反戦歌曲ともいうべき「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎詩・武満徹作曲)は、いままで聴いてきた数々の記憶のなかでもベストであり、心の底のなにかが震えるのを感じた。 

 還暦記念のデビューだというが、今後もぜひ続けてほしいと思うのは私だけではないだろう。


楽しい映画と美しいオペラ―その35

2011-01-14 22:28:39 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その35


          日本映画の最高傑作『浮雲』
                   
―高峰秀子を追悼する
 

 昨年の暮れ28日に高峰秀子が亡くなった。享年86歳。歳に不足はないが、私の心の奥深くに生き続けている数少ない女優のひとりである。心より哀悼の意を表したい。5歳での子役が初出演というから、1979年、55歳で銀幕を引退するまで、じつに50年の長きにわたる映画人生だった。出演作品も169本にのぼるという。そして特筆すべきは、1945年の終戦の年には22歳であったという事実である。それからの約20年間、日本映画は黄金期を迎える。高峰秀子は女優として最高の位置にいたといえる。じじつ、衣笠貞之介、小津安二郎、五所平之介、豊田四郎、木下恵介、成瀬巳喜男などの錚々たる監督の映画に出演することになった。この時期私はまだせいぜい中学生で、残念ながらこれらの作品をリアルタイムで観ることはできなかった。いまはない銀座の並木座で、あるいは京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで、そのうちの何本かを観た程度である。  

 成瀬巳喜男の『浮雲』を観たのは20年近く前の並木座で、ラストシーンの余韻に浸る間もなく館内の照明が点灯したことをよく覚えている。昨今の映画はエンディングにまで気を配っているため、受けた感動を十分鎮めることができる。昔の映画はその点まことに淡白で、『浮雲』のように最後の場面に感情の盛り上がりを見せる映画だと困ってしまう。私は流れる涙をそのままに、夜の銀座の街を歩くはめになった。それにしても私はなぜ、それほどの感動をこの映画から受けたのだろうか。これこそ日本映画史上最高の作品だと興奮したのだった。そしてその評価はいまだに変わっていない。  

 「真実だけが人を治療でき、癒すことができる」。これは下北沢の〈東京ノーヴィ・レパートリーシアター〉の演出家レオニード・アニシモフが紹介してくれたチェーホフの言葉だが、そのままこの『浮雲』にも当てはまるように思う。冬の曇天が画面全体を覆っているような、ある意味で陰鬱でやりきれない映画なのだが、生きることの真実を静かに伝えている。人は誰でも、生きていく過程で愛を求めざるを得ない。そのことは喜びをもたらすだけではなく、苦しみや哀しみの根源ともなる。女性関係にだらしなく、生活能力のない男を愛してしまったゆえに不幸のどん底に落ちていくひとりの女性――その哀しい愛の顛末が観る者の心を癒すというパラドックス。  

 この映画の成功は、なによりも高峰秀子と森雅之という類稀な名優を起用したことにある。誇張のない、静かで自然なふたりの演技は、この映画に確かなリアリティをもたらした。スタニスラフスキーの理論を知っていたかどうかはわからないが、彼らはまさに役を「生きて」おり、「演じて」いるのではなかった。高峰秀子の自然な演技は、かの杉村春子を賛嘆させたようだし、高峰は森を評して、「森さんが富岡(この映画の役名)なのか、富岡が森さんなのかわからなくなった」とまで言っている。富岡の、女性を窃視する目の艶っぽいこと。カメラはさりげなくその表情をとらえる。表情の豊かさ、そして視線、これがふたりの演技のすべてである。  

 あらゆる価値が転倒した戦争直後の日本社会。その「時代」もこの映画の重要な要素である。高峰演じるゆき子はインドシナから引き上げてくるが、農林省のタイピストだった彼女にも職が見つからない。富岡たち男でさえ食うや食わずの状況である。彼らはそれまでは考えられもしなかった手段で一山当てようと試みる。山師の跋扈である。このような状況下で女性がひとりで生きていく道はほとんど閉ざされていた。ゆき子は外人相手の娼婦にまで落ちていく。  

 屋久島での大団円は、南の風土を巧みに取り入れ、とりわけ印象深い。富岡は農林省に再雇用され、屋久島勤務を命じられる。ゆき子は強引に彼に従うが、鹿児島で体調を崩して寝込むことになる。数日後病の癒えぬまま屋久島に向かい、途中小舟に乗り換える。降りしきる雨。レインコートで身を覆い、ふたりは寄り添う。地のはてまで漂うことで、ようやく得た小康である。しかしゆき子は、屋久島にたどり着いてわずかの間に帰らぬ人となる。仕事で山に入っていた富岡が雨のなかを戻ったときには、すでにゆき子の息は絶えていた。集まった仕事仲間たちを帰した富岡は、ひとりゆき子の傍らに座し、その唇に紅を刷く。ランプのかすかな光に浮かび上がるゆき子の死に顔はあまりに美しい。たまらず富岡は慟哭する。その涙は、彼らふたりの哀しみを確かに浄化したのだった。  

 好きな外国人男優はと問われて、高峰秀子はジェームズ・スチュアートの名を挙げた(「主婦の友」、1954年11月号)。問うた三島由紀夫が驚いたほどにそれは意外な答えだったが、幼少期より苦労を重ねてきた彼女にとって、誠実さはかけがえのないものであったにちがいない。その対談の翌年、行く場所が定まらず苦悩したゆき子に比して、彼女は31歳で松山善三と結婚する。70歳代半ばのとき、一番幸せだと思う時はと質問された高峰は、外出した松山が家に帰ってくる時と答えている(「別冊太陽」、1999年)。幸せな晩年が彷彿されるようだ。

1955年 日本
監督:成瀬巳喜男
原作:林芙美子
脚本:水木洋子
撮影:玉井正夫
出演:高峰秀子、森雅之、山形勲、岡田茉莉子、加東大介、中北千枝子、金子信夫

2011年1月13日 
j-mosa


北沢方邦の伊豆高原日記【92】

2011-01-03 20:49:19 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【92】
Kitazawa, Masakuni  

 いつも朝雲にさまたげられてきたが、今年は雲ひとつない快晴で、2階の書斎から大島の三原山の左肩から昇る荘厳な初日の出を望むことができた。何十年ぶりである。われわれの祖先がつねにそうしてきたように、思わず合掌し、柏手を打つ。 

 年末例年より寒冷な日々が多かったにもかかわらず、庭の早咲きの白梅がほころびはじめている。この季節はじめてリンゴなど果物の皮や少量の中身を刻んで、ツツジの植え込みの突端にだしておいた。ヒヨドリたちがけたたましく叫びながら喜んで食べている。 

 暮れに年賀状を投函し、お節料理の食材をホビット村に注文したあとで、22日の冬至の日の夜、入院中の母が死去した。103歳であった。風邪気味で早く寝ていたが、11時ごろ妹から電話で知らせがあった。眠るように息を引き取ったとのことで大往生といえよう(遺言で葬儀はない)。起きて窓外を眺めると皓々たる名月であった。暦の上では旧十一月十七日であるが月齢は十六夜といえる。そこで冥途の旅路のはなむけに: 

          十六夜[いざよい]の月に送られ、旅立ちぬ

2011年は? 

 菅内閣の無能や迷走で閉塞感はいっそうひどくなっているが、たとえ他の内閣であってもこの状況を根本的に変えることはできないだろう。なぜならこの状況は構造的なものであり、長期的なヴィジョンにもとづき構造を変える政策を実行しはじめないかぎり、従来の政治理念や政策ではつねに状況の後を追う弥縫策しかありえないからである。 

 構造を変えるといっても、小泉流のいわゆる構造改革ではない。それはグローバリズムの受け入れ政策でしかなく、わが国をほとんど修復不可能な格差社会に追い込んだものであり、むしろそれは深刻に反省すべき反面教師にすぎない。 

 長期的ヴィジョンについてはこの「日記」でもたびたび述べてきたので繰り返さないが、要するに地球本来の姿や在り方にもとづいてテクノロジーや産業を方向づけ、経済成長ではなく、生活や文化の内的なゆたかさや創造性をめざす社会や体制を造りあげることである。少なくとも2酸化炭素25パーセント削減という目標を掲げた環境政策をほんとうに実現するシステムを追求すれば、そこにおのずからひとつの突破口が開ける。2011年はそれを切り開く年であってほしい。

「坂の上の雲」と明治ナショナリズム 

 NHKのいわゆる大河ドラマは、細部を延々と描く退屈さや不自然で誇張した演技など、見るに耐えないことが多いのでいつも敬遠しているが、年末に限定して放映している「坂の上の雲」(今回は第2部)は、かなりよくできたドラマといえよう。巨費を掛けてもいるが、1年をかけて一部ずつ制作するというゆとりと、限定された放映時間のなかで集中的に表現しようとする意欲がそれを可能にしたといえる。 

 日清戦争を扱った一昨年の第1部では、すでにその頃から芽生えていた中国人への侮蔑という人種差別や、戦闘に逃げ惑う中国の難民たちの姿など、否定的側面もかなりリアルに扱っていたし、その意味では歴史をかなり公正に客観的に描こうとしていた。 

 第2部は日露戦争の前半が主題であるが、ここではたとある種の困惑感におちいることとなった。たとえば第2部の主人公のひとりが海軍少佐広瀬健夫である。ロシア派遣中に貴族令嬢と恋に落ち、帰国時に贈られた彼女の肖像写真入りのペンダントを肌身離さず、旅順港口閉塞作戦の指揮官として活躍し、第2次作戦遂行中に戦死するが、そのペンダントが海中深く沈んでいく情景など、人間的な情感にあふれる描写が、逆に戦前の「軍神広瀬中佐」(戦死後1階級昇進した)と重なって見えはじめたからである。 

 つまりこのドラマ全体が、歴史に忠実であろうとすればするほど、個々の事実を超えてその時代の歴史を支配していた「歴史のエートス」とでも名づけるべき力を無意識に体現するにいたるのだ。 

 この時代の歴史のエートスとは、いうまでもなく明治ナショナリズムである。第2次世界大戦の敗北にいたるまで、明治ナショナリズムはわが国を呪縛していたといっていい。欧米の帝国主義列強に追いつけ追い越せというこの歴史のエートスは、帝国主義による近代化がいかに破滅的な結果をもたらすか、またたとえ欧米のような勝者であっても世界にいかに非人間的な抑圧をもたらしたか、を教えてくれた。 

 だがこの教訓をドラマとして盛り込むことは至難のわざである。列強を「坂の上の雲」として仰ぎ、そこにたどりつく「希望」にあふれていた明治ナショナリズムの時代を、そのまま表現することの恐ろしさを自覚しなくてはならない。とりわけすべてにわたって閉塞状況にある今日、それは明治ナショナリズムへの大いなる郷愁を呼び起こし、この閉塞状況を打破する「英雄たち」への待望を増大させかねないのだ。 

 何時の時代でも、「坂の上の雲」は雲、すなわち幻影でしかない。『テンペスト』で、そこがすでに戦争による荒廃の地となっていることを知らない無邪気なミランダが、「すばらしい新世界a brave new worldに帰るのね!」と叫ぶように、ひとびとにとってすばらしく見えるそれは、一瞬に消える幻影であるよりも、むしろつねに荒涼とした反世界であるだろう。