一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

『目にみえない世界のきざし』について★清水茂

2010-12-28 10:35:53 | 書評・映画評

『目にみえない世界のきざし』について

                                   清水 茂

あれから半世紀以上もの時が経った。取り返しのつかない過誤ともいうべきあの戦争が終ってほどなくの頃、残された精神の廃墟のなかで、いっそう人間らしい新たな価値を模索していた若者たちの数人が片山敏彦の存在と仕事とに惹かれて、おのずから一つの小さなグループを形成したのだった。北沢方邦はそのなかにあって、歯切れのよい口調でバルトークの音楽を論じ、まだあまりよくは知られていなかった十九世紀デンマークの作家ヤコブセンの『ニールス・リーネ』について語っていた。その姿は私にはいささか眩く映るものだった。

一九六一年に片山敏彦が亡くなり、グループの若者たちはそれぞれの道を辿りはじめた。隔たりはしだいに大きくなるように感じられた、互いの姿が見えなくなったと思われるほどに。

ところが、私たちの生涯の道がほぼ果てにまで到るかに思われたこの時期になって、思いがけず彼の姿が大きく私の目のまえに、それもほとんど同じ道の上で見えてこようとは! 詩集『目にみえない世界のきざし』を携えて。

驚き? だが、当然といえば当然のことでもあるのだ。戦時の困難のなかで、ゲーテの『西東詩篇』の「不思議な魔力に囚われ」、片山敏彦によってリルケを知った彼がひそかに詩の道を辿りつづけていたとしてもそれを訝しく感じることはない。そして、この一冊が久しい歳月に亙ってのその道筋の全体を顕してくれているのだ。

比較的初期に属する詩篇の多くは短詩型で整えられているが、その器はずっと後にまた繰り返し用いられている。芭蕉やオマール・ハイヤームの名を挙げて、それらとの親近性のあることを彼自身が述べている。

けれども小さな器に注がれる詩想は広大な人間の文化領域に、時代を超えて飛翔している。ときに、生死の境域を跨ぎ、見える世界と見えない世界とを自在に往還する。そして、透けて見えてくるのは、近代以降の西欧的自我が世界に、あるいは自然にむかって投影する飽くことを知らぬ欲望が、私たち人類の全体を終焉へと導こうとしている事実への憤りとともに、いま一度、その自我から解放されて、万物との共生の衷に身を置きたいという強い願望である。

あの楽園が、いつか甦ることがあるだろうか。

松葉杖や義足の男たち、身寄りを失った老人たち、
幼な児を餓死させた女たち、そして裸足の孤児たちの
瓦礫の下に埋めてきた遠い遠い記憶とともに。

しかしやがていつか、黄褐色の沙漠の谷間の廃墟の村落と、
焼け残った巴旦杏の老木にも、春のきざしと、萌えいでる芽生えのときが、
訪れるにちがいない、死者たちの記憶とともに。

「アフガニスタンの黙示録」という詩篇からの引用である。詩は宇宙の呼吸のリズムに倣うものではあるが、同時に、絶えず私たち自身の置かれている現実空間との接点を持ちつづけていなければならないものであることを、この詩集は私たちに再度確認させる。

だが、また、こんな四行詩、
     
きらめく若葉、囀る小鳥たち、
       色と音がひびきあう初夏の交響曲、
         いまここにあるものに酩酊しつつ、なおも
           永遠なるものの使信を聴きとりたい欲求。

あるいはまた、
     
われらは目にみえる世界を過信している。
       たしかにこの世も美しい。だが目にみえない
         隠された世界は、なお美しい。夕映えの空の
           彼方からひびく、無音の楽に耳を傾けよう。

ほとんど片山敏彦を想わせるこれらの表現には、また別種の驚きが感じられる。そして、私たちのあいだの隔たりはそれほど大きくはなかったのかと改めて思うのである。

※『洪水』第7号より。執筆者と洪水企画の了承済み
  http://www.kozui.net/frame-top.htm


詩集『目に見えない世界のきざし』

2010-12-24 22:07:17 | 書評・映画評

詩集『目に見えない世界のきざし』                   
 

北沢方邦 様

 詩集「目に見えない世界のきざし」上梓おめでとうございます。
いつも、早々にお贈り下さりありがとうございます。
感想を書かせていただき、お礼の言葉に代えさせていただきます。

 今回の詩集には、これまでの北沢さんにはなかった新しい世界を感じさせていただきました。これはもう随分以前からの私の素朴な疑問でしたが、誰もが認める一流の論理で知的な文明論を展開される北沢さんが、そうした表現とはまったくかけ離れた、どちらかと言えば人間臭い、小説や詩の世界にどうして興味を持たれているのだろうか?と言うものでした。もう40年も前に、「いずれ時間が出来たら、ぜひ、小説を書きたいと思っているんだけど・・・」と言う言葉を耳にした時以来の、とても不思議なことの一つでした。

 その疑問が、今回の詩集を読ませていただき少しだけ解明できたように思います。「そうか、もしかしたら、文明論を得意とされる北沢さんが、最も表現したかった世界は、こうした詩や小説の世界にこそあったのかも知れない」ということです。

 北沢さんが長年探求され、広く社会に提言して来られた文明論の真髄「見える世界の文明から、見えない世界をも包含する新しい文明へ・・・・」と言う核心を、自ら率先して体現して見せるためには、論理の大きな壁である言語の世界を超えた表現が、ぜひとも必要だったのだという気付きでした。 

 それは、まさに、北沢方邦というこの宇宙にただ一人しか存在しない人間が、ただ、今、この一瞬でしかない時空の中で、新しい文明論の本質(リアリティー)を表現するためには、知も肉体も、論理も言語も超えた、その存在のすべてをそっくりそのままに顕すことの出来るパフォーマンスが、必要だったのですね。この詩集が、若い時にではなく、人生の集大成に取りかかった今のこの時だったと言うこともまた、大きな意味のあることだったと思いました。

 私にとって、この詩集は、まるでシェークスピアの戯曲を読んでいるようでした。知的で論理的で繊細な北沢流の神話が、素晴らしい装丁のイメージとあいまって、論理や言語の世界を飛び越え、読んでいる私の感性、知性、世界観を、そっくりとそのまま炙り出すような、そんな詩であったように思います。

 また、お宅にお邪魔して雑談をしたくなりました。そのうち、お伺いしたく思います。長年の念願だった詩集の完成、本当におめでとうございます。亡くなられた青木さんも、きっと心から喜ばれていると思います。ありがとうございました。                   

                           2010.12.22 橋本 宙八


北沢方邦の伊豆高原日記【91】

2010-12-17 00:00:12 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【91】
Kitazawa, Masakuni  

 早々と落葉したクヌギ類の裸の枝々のあいだに、青々とした海を遠い背景に、まだ厳冬ではないと葉叢をつけているミズナラやコナラの樹々が、黄色く、あるいは赤茶けて油彩の絵のような風景をつくりだしている。傾いた陽射しを浴びて、コガラやヤマガラあるいはゴジュウカラやシジュウカラが忙しく飛び交っている。冬に備えて皮下脂肪を蓄えるべく、樹皮の隙間に入り込んだ虫を探し、ついばんでいるのだ。

日米安保はいつ同盟と化したのか 

 NHKスペシャル「日米安保50年」が、4回にわたってNHK総合テレビで放映された。すべてを見たわけではないし、第4回のいわゆる有識者たちの討論は、寺島実郎氏などの意見を聴きたくはあったが、珍しくひいた風邪で早く休まなくてはと失礼してしまった(したがってこの原稿もなるべく簡潔に済ませようと思う)。 

 それでも、1960年に改定された日米安全保障条約が、新同盟条約を締結したわけでも、根本的修正をほどこされたわけでもないのに、なぜ事実上の日米軍事同盟と化していったのか、その過程がかなり明確にえぐられた意欲的な番組であった。 

 ひとことでいえばそれは、既成事実を積み重ねていけば、政治家はもちろん、メディアも国民もそれをなしくずしに容認していくという、わが国の政治カルチャーを熟知した合衆国国防総省や国務省の「知日派」が、ひそかにその意を汲んで同調する日本の外務省・防衛庁(当時)の高級官僚たちと手をたずさえて、憲法第9条の制約のまえに躊躇する歴代首相たちを巧妙にあやつり、演出していった「成果」である。

 その最初の「繰り人形」が、社会党出身者でハト派であったひとのよい鈴木善幸首相であったのは象徴的である。1981年の訪米時に署名した日米共同声明に「同盟alliance」の文字がはじめて登場したが、鈴木首相はその重い意味(外交上の術語として同盟は必ず軍事共同防衛をともなう)さえ知らなかったのだ。

 だが1989年の東西冷戦終結までは、ほとんど文面上の「同盟」であり、せいぜい増強された航空自衛隊の対潜哨戒機P3Cによるソヴェト原子力潜水艦の監視といった程度の軍事協力であったが、その後90年代の終わり、中国の軍事力増強とハイテク化、北朝鮮の核兵器開発など極東の緊張の激化に対応する合衆国の強い要請と、さらにその後タカ派であり、新保守主義者である小泉純一郎政権の登場によって、日米軍事同盟は実質的な「暴走」をはじめることとなった。すなわち米軍による自衛隊の本土演習場の自由な使用、頻繁な共同軍事演習、米軍並にハイテク化された航空・海上自衛隊の密接な訓練と演習、アフガニスタン戦争への海上自衛隊の給油出動、イラクへの陸上自衛隊の派遣などである。

 数日前には、黄海上で韓国海空軍と共同演習を終えたばかりの原子力空母ジョージ・ワシントンその他の艦艇とわが国航空・海上自衛隊との共同軍事演習が、沖縄近海で展開されたばかりである。米軍艦艇には招待された韓国軍のオブザーヴァーたちが乗り組んでいたが、将来の日米韓3国の軍事同盟化(現在でもそれぞれ間接連携の可能な各2国間軍事同盟である)を見据えた動きといえよう。

 憲法第9条が改正されようとされまいと、もはやそれは存在しないにひとしい。集団自衛権は保有するが行使しないという政府解釈も、ほとんど無視されているといっていい。

 もし朝鮮半島有事があれば、わが国はかつてとは比較にならぬ破壊力によって戦われる第2次朝鮮戦争に確実に巻き込まれることとなる。国民にその覚悟はできているのだろうか?

 だが日米軍事同盟化のこの重い事実には、われわれにもその責任の一半があることを自覚しなくてはならない。なぜなら、既成事実の積み重ねの容認によって国家の政策を遂行するというわが国固有の政治カルチャーは、そういう政治体制・政治家を含め、われわれ自身が主権者として育ててきたからである。

 だがいまからでも遅くない。10年後にいつでも改訂あるいは破棄さえできる日米安全保障条約をどうするのか、いまから国民的議論をはじめるべきである。それとともに、戦争参加の運命さえ待ち受けているかもしれないこの日米軍事同盟の手かせ足かせを徐々に解きながら、極東あるいは環太平洋の集団安全保障確立の方向へと外交努力を行うような政権や政党あるいは政治家たちを育てていかなくてはならない。経済的閉塞状況だけではなく、わが国はいまや脱出困難な政治的閉塞状況に追い込まれていることをも認識しなくてはならないのだ。


楽しい映画と美しいオペラ―その34

2010-12-13 19:55:14 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ――その34


        現代に息づくバッハとモーツァルト
             アーノンクール最後の日本公演
 

 現在の古楽隆盛の礎を築いたのは、オランダのグスタフ・レオンハルトとオーストリアのニコラウス・アーノンクールである。この二人は、200曲近くもあるバッハの教会カンタータを、18年かけて全曲録音するという偉業を成し遂げた。1970年から88年にかけてのことであり、古楽器の全集としては最初のものであろう。我が家には全曲揃っているわけではないが、彼らの指揮するカンタータは比較的よく聴くCDのうちのひとつである。  

 レオンハルトはこの20年間たびたび来日し、私も2度、その端正なチェンバロ演奏に接することができた。フォルクレ、ベーム、クープランなど普段あまり耳にすることのない作曲家の音楽を愉しむことができたのも、レオンハルトのおかげである。しかしアーノンクールは来日の回数が極端に少なく(1980年と2006年のみ)、いままで実演を聴く機会はなかった。その彼が最後の日本公演を行うというので、これは何としても聴かねばなるまいと、バッハの『ミサ曲ロ短調』を聴きに出掛けた。  

 カトリック教会のミサの式文をもとにしているミサ曲は、どの作曲家のものであっても内容は同じである。すなわち、〈キリエ〉( あわれみの賛歌) , 〈グロリア〉( 栄光の賛歌) , 〈クレド〉 (信仰宣言) ,〈サンクトゥス〉(感謝の賛歌) ,〈アニュス・デイ〉(平和の賛歌)の5曲一組で構成されている。歴史をさかのぼると、その嚆矢は14世紀フランスのギヨーム・ド・マショーの『ノートルダム・ミサ』であるという。15世紀のギヨーム・デュファイ、16世紀のジョスカン・デ・プレ(いずれもフランドル)、パレストリーナ(イタリア)などが名曲を残している。  

 バッハの『ミサ曲ロ短調』はその伝統に連なるものだが、先行の作品群とは一線を画している。オーケストラが加わって規模が大きくなり、アリアや重唱が合唱とともにミサの式文を歌う。そのような楽曲構成上の差異もさることながら、表現そのものがはるかに多様になっている。例えばジョスカン・デ・プレの多声の扱い方はギヨーム・ド・マショーに比べると複雑で、ア・カペラの合唱の響きは天国的な美しさである。しかし式文間の差異はそれほどなく、現代人の耳にはどうしても単調に聴こえてしまう。それから200年を経たバッハ作品の豊穣さには、これが同じジャンルの曲なのかという驚きすら覚える。17世紀以降、オペラという新しい分野の出現もあり、西洋音楽のあり方に大きな変化が生じたであろうことも実感させられる。  

 バッハの音楽の豊穣さは、神への強い信仰心と、普通人としての日常生活の哀歓とが、稀有なかたちでひとつになったところから生まれたものではないだろうか。弦楽器や管楽器のソロを伴って歌われるアリアや重唱の透明感極まりない美しさも、人間、それも心優しい人間の高い香りがする。オペラを指揮して聴く人の心を惑乱させるアーノンクールは、人間の心をよくとらえている。神を賛美する人の心の表現も、聴く者が容易に納得できるものである。平常でありながら崇高。心は高揚し、またしみじみと慰められる。

 もう30年以上も前のこと、モーツァルトの『レクイエム』がFMラジオから流れてきたことがあった。聴きなれているものとは異なった素朴な響きとともに、声楽の扱い方に強い印象を受けた。声をまるで楽器のように操っている、と感じたのだ。古楽器について、またアーノンクールという名前についても、そのときはじめて知ったのだった。「声を楽器のように操る」とは、声とオーケストラが一体であるということである。実演を聴いて、私は、遥か昔の第一印象をまざまざと思い出した。ソプラノのレッシュマンもテノールのシャーデも、現代有数のオペラ歌手である。彼らソリストも合唱団も、完璧にアーノンクールの手の内にあった。しかも表現意欲にあふれた歌いぶりである。類い稀なこの均衡こそ、アーノンクールの音楽の真骨頂であろう。

 〈グロリア〉のあとの休憩時間、私は会場でモーツァルト・プログラムのチケットを購入した。『ミサ曲』の前半を聴いてすでに深い感動を覚えた私は、アーノンクールのモーツァルトを是非この耳で聴いてみたくなったのだ。CDに録音された彼のモーツァルトにはいささか違和感を持っていた。ブルーノ・ワルターの流麗なモーツァルトを聴き慣れていた耳には、刺激的な音が多すぎたようだ。80歳を過ぎて、彼のモーツァルトはどのように変貌を遂げているのか、興味は尽きなかった。

 それは衝撃的なモーツァルトだった。とりわけ後半の『ハフナー交響曲』には心底圧倒された。まさにアーノンクール節満開で、円熟という言葉を軽やかに吹き飛ばしてくれた。例えばCDでは恣意的と感じられた第3楽章メヌエットの冒頭部分は、実演ではさらに強調されたものとなったが、不自然さは微塵もない。そこは確かにそう演奏されなければならないと、大いに共感したものだった。リズムはまことにしなやかで、数え切れないほど演奏を重ねているだろうこの曲を、どうしてこのように新鮮に響かせることができるのだろうと、驚嘆するしかなかった。

 2つの音楽会を通して、アーノンクールは、CDやDVDなどの小さな枠には収まりきれない、真に偉大な音楽家であることを強く認識させられた。そして、その彼がもっとも敬愛する音楽家がバッハとモーツァルトであることを知り、彼への共感の思いはさらに深まったのであった。

 

2010年10月26日  サントリーホール
バッハ『ミサ曲ロ短調』

ソプラノ:ドロテア・レッシュマン
メゾ・ソプラノ:エリーザベト・フォン・マグヌス
メゾ・ソプラノ:ベルナルダ・フィンク
テノール:ミヒャエル・シャーデ
バリトン:フローリアン・ベッシュ
アーノルト・シェーンベルク合唱団
ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス

2010年11月2日 東京オペラシティコンサートホール

モーツァルト『セレナード第9番ニ長調K.320〈ポストホルン〉』
『交響曲第35番ニ長調K.385〈ハフナー〉』
ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス

2010年11月29日 j-mosa


シンポジウム「生殖革命と人間の未来」報告

2010-12-07 11:03:19 | シンポジウム

シンポジウム「生殖革命と人間の未来」報告 

                                 
 
                                  
                                               石田久仁子 

 10月30日、知と文明のフォーラム、日本女子大学女性キャリア研究所、日本女子大学人間社会学部文化学科の共催による標記シンポジウムが東京・目白の日本女子大新泉山館に於いて開催された。 

 昨年11月に亡くなられた青木やよひさんは、エコロジカル・フェミニストとして、体外受精と胚移植で始まった生殖革命に対し1980年代からすでに、それが生殖への人為的介入を許すとして、危機感をもたれていた。青木さんは人類がはじめて体験するこの現象を、「人間と自然との関係や人間の思考体系のあり方を問う根本的な問題」であるとして、生殖倫理という新しい概念を打ち立てる必要を主張されていた。昨年10月、「知と文明のフォーラム」が青木さんのこの問題提起をもとに、「生殖革命と人間の未来」と題する2日間にわたるセミナーを伊豆高原のヴィラ・マーヤで開催した。私は青木さんがお書きになるはずだった生殖倫理についてのご著書のためのフランス語の関連資料を紹介していたご縁で、司会者として参加させていただいた。私にとってそれはとても刺激的な2日間だった。  

●第1部
 昨年のセミナーの成果をより多くの方々と共有し、より議論を深めるために、このときと同一のテーマ、報告者、司会で、本シンポジウムを企画したという、共催団体を代表する日本女子大学の杉山直子教授のご挨拶に続いて、第1部が始まった。

 最初の報告はフェミニズム研究の第一人者で首都大学東京教授の江原由美子さんによる「フェミニズムと生殖革命—−その問題点と展望」と題するもので、女性の自己決定権と生殖技術の進展をめぐる全体的な見取り図が次のように提示された。 

 身体の自由が保障されない限り対外活動は抑制されるという意味で、自由権(人身の自由)は人権の基本である。しかし近代の出発点の「人権宣言」における「人」とは男で、女は含まれていなかったから、フェミニズムの闘いは、「女性の人権」取得の歴史であった。女性参政権獲得後のフェミニズムの課題として、性や生殖といった身体の自由に関わる自己決定権が残っていた。第2波フェミニズム運動では中絶権の獲得にそれが焦点化されていた。

 フェミニストは、ある時までは、避妊法や人工中絶等の生殖技術を女性の身体の自己決定の自由を広げるものと評価し、その発展には概ね賛成だった。しかし1978年の体外受精児誕生を境に、生殖技術とフェミニズムとの関係が変化する。新しい生殖技術が、両側卵管閉塞の女性への不妊治療という当初の目的を越えて、個人にも社会にも多くの問題をもたらしたからである。成功率が低いにもかかわらず、子どもをもてることへの期待ばかりが膨らみ、不妊治療を受ける女性は、江原さんが「生殖への閉塞」と呼ぶ状況に陥った。この技術はまた、遺伝子診断や遺伝子治療技術と結びついて優性思想を強化する一方で、人間身体を商品化・部品化(配偶子や子宮の提供)し、経済格差を背景に若い女性や貧困層の女性がそのターゲットにされる。そして人間の生殖機能を部品化する社会意識を強化する危険もある。 

 近代の人権思想が生み出した自己決定権は、他者の身体を手段化するこの「生殖革命」を前に、再考を迫られる。生殖の領域はすぐれて、自立した個々人を前提とするリベラリズムの虚構性をあぶり出す。そこでは自己であり他者でもある胎児の思想は欠落している。女性の身体の自己決定権は他者の身体をコントロールしないようにするわれわれの義務としての「自己決定権の尊重」に基づかなければならない。最後に江原さんは、青木さんがフェミニストとしてこの産む産まないは女が決めるという自己決定権を重視していたが、代理懐胎などの生殖技術を利用して子どもをもつことは、生殖への社会的操作となるから、青木さんの自己決定権には含まれない、と述べて、どこからが社会的操作なのかと問い、青木さんが提唱された「生殖倫理」への議論へとつなげた。  

 続いてマリ=アンジュ・ダドレール他著『生殖革命』(共訳)等の多数の翻訳書のある、十文字学園女性大学非常勤講師で日仏女性研究学会代表の中嶋公子さんが「女性の身体の自己決定権と人工生殖技術〜フランスの代理懐胎をめぐる論争を中心に〜」について報告。現在、フランスでは生命倫理法改正が準備されているが、その最大の争点の一つ、代理懐胎の合法化をめぐる議論の紹介を通して、法と倫理の関係、女性の自己決定権と人工生殖技術の関係が考察され、「生殖倫理をどうつくるか」という青木さんの問題提起へと向かう報告であった。 

 この法改正を前に、一昨年から、主な決定機関が相次いで人の身体の不可処分性と人の身分の不可処分性の公共秩序を根拠に代理懐胎禁止維持の見解を出した。倫理と法の関係で注目すべきは、法案への最も影響力のある国家倫理諮問委員会が示した、代理懐胎を法制化しても残る倫理的問題への視点である。他方市民社会では賛否がほぼ均衡。賛成派は子どもをもつ権利を主張する人々、合法化による代理母の身体的リスク削減や代理懐胎が許された外国で代理母からすでに生まれた子どもの身分保障を訴える人々だ。反対派は倫理的立場から女性の身体の道具化・商品化・搾取に加え、子どもの製品化を問題にする。 

 今、フランスでは、1970年代の女性たちの「欲しいと望んだときに、欲しいと思った子どもをもちたい」の主張が、優生学と結びつく生命の制御可能性の言説を生み、人工生殖医療発展を促したという反省がある。国家・個人・市場の優生学を前にして、身体(母性)の自己決定権は問い直しを迫られる。その時、胎児不在のこの自己決定権が根ざす人権概念を、他者性を含む「主体」の概念に基づくものにできないものか。生殖倫理はこの新たな主体概念を通してしか打ち立てられないのではないか、と中嶋さんは問う。  

 最後の報告者は慶応大学准教授の長沖暁子さん。「今年は体外受精のパイオニア、R.G.エドワードのノーベル医学賞受賞、50歳の女性政治家の生殖補助医療による妊娠等、まさに今回のシンポジウムのテーマを考えさせる出来事が起きた」という言葉で始まった「生殖技術とは何か・・・当事者の視点が与えるもの」と題する報告は、発生学を専門とする生物学者とフェミニズム運動家としての二つの視点が交差する場からのもので、キーワードは変革だった。 

 1970年代から、遺伝子工学・生命工学・生殖技術はセットになって発展し、生命への操作が行われてきた。体外受精・胚移植の技術は人間の生命の作り方にありとあらゆる可能性を拓いた。その背景には、生物を機械と同様に部品から構成され、悪い部分は交換すればよいという機会論的自然観・生命観がある。それを根本から問い直したのが1985年のフィンレージ会議で、新しい生殖技術が
1)身体の部品化・商品化を進める
2)女の自己決定権を奪う
3)不妊問題を解決しない
とし、変わるべきは社会だと主張した。この診断はまったく正しかったが、現状はさらに深刻化している。 

 これまでの生命観を変えるには当事者の語りから考えるしかない。不妊の女たちの語りが示すのは「不妊治療でこどもを得ても、不妊は解決しない」ことだ。不妊を癒すことなしに、即ち予め子どもを失ったという喪失体験に対するグリーフワークなしに治療が始まるからである。また生殖医療は不妊の男女、配偶子ドナー、代理母、子ども、子孫へと当事者を拡大する。生まれてくる子どもへ視点を向けるとき、生殖医療におけるインフォームド・コンセントや自己決定の限界は明らかになる。子どもたちは「商品、モノとして存在したものから生まれた」ことの苦悩を表現する。子どもも含めたすべての当事者の語りの場をつくり経験を言語化すれば、皆で共有できる経験・知識となる。それをもとに他者との関係の中で決定が行われる社会をつくることが重要で、この社会の変化が科学の枠組みを変えるのだ、と長沖さんは主張した。  

●第2部
 
第2部では、最初に「知と文明のフォーラム」を主宰する北沢方邦さんが「青木がこの場にいたらお話ししただろうこと」をご自身の見解も交えて次のように話された。「青木のフェミニズム」が自然との共生とうちなる自然としての身体の2つの上に立つもので、「女性の身体性の根本にある生殖は青木の問題意識の中心」を占めていた。「生殖革命」は自然の状態ではありえない生命系への人工的操作であり、核エネルギー開発と同様に、これまでの諸概念の枠組みを越える技術開発である。この新しい技術は生物学的にも社会的にも人間のあり方を変えるだけでなく、生態系を揺るがす。人類の福祉に対立するその進展に歯止めをかけるための生殖倫理を緊急に確立する必要がある。 

 2人目のコメンテーター、和泉和恵日本女子大学専任講師からは、「理論、制度、当時者という3つの視点からの報告」を踏まえて、
1.生殖補助医療における女性同士の推進派/規制派の分断を越えた多様性を尊重する価値観をどうつくるのか 
2.生殖補助医療における男性の位置、あるいは男性隠蔽の現実をどう考えるのか
3.女性の自己決定権の範囲とされる一般的中絶とその範囲を越えるとされる選別的中絶の明確な線引きは可能か
の3つの問題が提起された。最期にご自身の研究テーマである、里親や養子などの血縁でない親子関係と比較し、生殖補助医療で生まれた子どもの家族と共通する問題の構図があると指摘、その例として出自の隠蔽問題や当時者としての子どもの語りがようやく注目がされ出したことなどが挙げられた。 

 季節はずれの台風の接近で激しい雨の降る一日だったが、シンポジウムには大勢の方が参加され、会場からも多くの質問、コメントが出され、予定時間を大幅に越えて、活発な議論が展開された。青木やよひさんが提起された問題の大きさを前にして、私たちは、市民レベルで、医療関係者や法律家を始めとする生殖医療に関わるあらゆる領域の人々、そして一般市民が参加し、それぞれが自らの問題として広く議論できる場をつくっていく必要があることを再確認して、シンポジウムを終えた。


おいしい本が読みたい●第十八話

2010-12-01 14:46:58 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十八話 

           
             
イスラームを通して見る世界  

 

 日経新聞の読書欄に、歴史学者成田龍一のいくらか自虐めいた一文がのっていた。アナール派の泰斗マルク・ブロックから刺激を受けて、かつて自分たちも感性の歴史を研究して意気揚々としていたが、ブロックにとってはあくまで出発点にすぎなかった、というのだ。つまり、ヨーロッパに追いついたと思っていたら、あちらはさらに先に進んでいたという話。算数のウサギVSカメ問題のように、この思考方法だと決して追いつくことはない。そもそも同じ競争路を進む必要はどこにあるのか。

 こんな別件もある。十九世紀イギリス・ロマン派の研究書が刊行された。多年にわたる調査・研究の集大成で、類書では群を抜く。敬服に値する労作である。それでも、読んでいてふと疑問が頭をもたげる箇所がある。各章の最後で、さあここで決めの台詞をという段になると、かつて留学先で薫陶をうけた指導教授の分析方法が、必ず使われるのである。ヨーロッパの現象を、ヨーロッパ人の作った分析コードで研究すること、それをわたしたちがやることの意味はなんだろう。  

 こんな疑問がわだかまっていたところに飛び込んできたのが、『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明を作った』(北沢方邦訳、平凡社)である。そうだ、イスラームという視座があったのだ。明治以来、ヨーロッパ文化至上主義の大合唱を聞いて育ったわたしたちは、西洋VS東洋の対立軸でものを考えることに慣れてしまっている。だから、ともすれば、どちらが善か、どちらが優秀か、といった二者択一の罠にはまりがちだ。こんな東西の対立軸を相対化するには第三の視点を求めるしかない。    

 だからこそ南アメリカやイスラームからの視点が貴重である。けれども、どちらの分野も、選択に悩むほど資料がそろっているわけではない。どころか、単発的な著作が志のある出版社から細々と世に問われるにすぎない。現地の人びとによる著作はさらに限られる。イスラームの場合は、さらに、キリスト教ヨーロッパによって意識的に無視され、歴史を奪われてきた。わたしたちの「世界史」はキリスト教を中心とした強者の世界史にほかならない。ゆがんだ歴史をすこしでも修正するために、奪われた歴史をすこしでも回復するために、『失われた歴史』の一読をぜひともすすめたい。                            

                     むさしまる