楽しい映画と美しいオペラ―その19
人間の欲望は果てしない―
デジタルテレビ導入顛末記
今回の私のブログも特別編である。オペラにも映画にも直接の関係はない。しかしそれらを日常的に楽しむ手段、つまりディスプレイに関わることなので、機械のこととはいえここで報告をしたいと思う。
オペラを大型のディスプレイで鑑賞することは長年の夢だった。が、小型ながら、まだ十分に鑑賞に堪えるテレビを処分することには抵抗があり、また、地上波の強制的なデジタル化にも不快感を覚えていた。周囲の友人・知人がテレビを大型のものに買い換えるなか、内心悶々としながらも、今まで我慢を重ねてきたのである。
しかしついに2週間ほど前、42型のテレビを購入することになった。それまで持っていたテレビを貰い受けてくれる人が見つかったことも購入動機だったが、残されたそう長くもない人生、可能な限り楽しもうではないかと、強く自分に言い聞かせた結果でもある。
どこのメーカーのテレビを買うかは選択の余地はなかった。近所の電気店が東芝の代理店であるため、東芝製品を買うしかないのである。地域の発展のことを考えると、いかに量販店の価格が安くとも(価格は4割近い差がある)近くの商店で買物をしたほうがいい、という殊勝な考えもなくもなかったが、その選択にはもっと現実的な理由があった。屋根にアンテナを立てていると、時に強風で倒れることがある。今まで2度、その電気店にお世話になっていた。テレビ本体を買わず、屋根のアンテナだけ修理をしてもらうわけにはいかないのである。
東芝のテレビといっても、42型に限定しても7種類もある。ディスプレイの精細度からはじまって内蔵ハードディスクの有無、周辺機器との接続関係、パソコンとの連携など、調べなければならない要素がいっぱいある。二転三転しながら私が決めたのは、ZH7000という型である。ディスプレイの質とハードディスク内蔵の2点が決め手となった。
やっとの思いで手に入れた大型テレビだが、デジタル映像の美しさは私の予想を超えていた。高精細というだけあって、細部にいたるまで鮮明である。顔のアップなどあまりに生々しすぎて、どぎまぎしてしまうほどだ。立体感も含めて、今までのテレビ映像とは質的に異なる。購入した日の数日後に放映された何本かのバレエ作品を観るに及んで、私は大きな衝撃を受けた。それはカルチャー・ショックという言葉こそふさわしい。
ここで私のなかに葛藤が生じてきた。これまで営々と収集してきたオペラや映画の映像資料はいったい何だったのか、という疑問である。デジタル高精細で観る映像は、これまでのアナログのそれとは、大げさにいえば天と地ほどの差があるのだ。それまで美しい映像だと思って観ていたソフトも、大型ディスプレイ上では粗さが目につくばかり。これにはまいった。
私の持っているDVDレコーダーは東芝製である。今度購入したテレビも東芝製ゆえ、そのハードディスからのダビングは可能だと思っていた。ところがそれができない。可能なのは最新型のみだという。これは大きな計算違いだった。テレビに録画したハイビジョンのベジャールのバレエは、最新型東芝製DVDレコーダーがなければテレビから取り出すことができない。つまりDVDとして残すことができないのである。ハードディスクを増設して映像を残すことも考えたが、テレビの録画機能は貧弱で編集ができない。不要な部分の消去もできないし、チャプターを付けることすらできないのだ。これも計算違いのひとつであった。
ここは新しいDVDレコーダーを買うしかないと腹をくくったものの、東芝製ではハイビジョンレベルのDVDを作ることができない。高精細録画が可能なDVDレコーダーの規格競争で、東芝(HD DVD)はソニー・パナソニック陣営(ブルーレイ)に敗れ、この市場から撤退したからだ。仕方なくパナソニックのDVDレコーダーを購入した(DMR-BW850)。今度は価格ドットコムで調査をし、一番安い店で買った。しかしベジャールのバレエはテレビのハードディスクからは取り出せないままである。それにテレビのハードディスクは無用の長物となってしまった。
少しでも美しいものを観たいという願望も、人間の持つ欲望のひとつである。より便利に、より快適にという欲望と本質的に変わりはない。この飽くなき欲望は人間に大いなる「進歩」をもたらしたが、その行き着く先は、人類の滅亡であるかも知れない。私という人間も、その滅亡への道に大いに加担しているのだと、今回の我が行動を顧みて思わざるを得ないのである。
人に感動を与えるのは映像の美しさだけではもちろんない。30年前に録画されたクライバー指揮の『カルメン』を先日観たが、映像は粗いものの、しなやかでドラマティックな音楽は人の心を動かさずにはいない。つまるところ大切なものは、演奏の中身ということになる。
2009年3月31日
j-mosa