一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【109】

2011-08-29 09:21:11 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【109】
Kitazawa, Masakuni  

 天候不順で、晴れ間が覗くかと思うとときどき強い雨が襲ったりする。今日は久しぶりに朝から快晴である。ときおりメジロやガラ類が鳴くが、ウグイスや鳥たちの囀りの季節は終わり、蝉時雨だけが残っている。テッポウユリが次々と清楚な純白の花をつけ、心を癒してくれる。居間に挿した一輪の花が、奥ゆかしく高貴な香りをただよわせ、もの思いを誘う。

ダーウィンの盲点 

 もう7・8年も前だが、フランク・ライアンの驚くべき本『ダーウィンの盲点』(Ryan,Frank. Darwin’s Blind Spot; Evolution beyond Natural Selection. New York,2002)を読んで、「眼から鱗」の思いをしたことがある。つまりダーウィン進化論の二つの柱である「自然選択」と「突然変異」が否定されたわけではないが、最近の微生物科学の進展によって、ヴィールスやバクテリアと生物の「共生(シンバイオシス)」が、生物の進化のみならず、地球全体の進化に巨大な役割を果たしていることが指摘されていたからである。 

 今回、財団の設立記念のシンポジウムのために、それと、彼の新しい本『破壊する創造者(邦訳名)』(原題Virolution,2009)を読み直し、生物学で起きているいわゆるパラダイム・シフト(科学体系の転換)を再確認した。 

 『盲点』は「共生」とそれによる進化が主題である。つまりヴィールスやバクテリアは、ときには侵入者や破壊者として生体に猛威をふるうが、その危機を乗り越えた生物にとっては、またとない共生者となって恩恵をあたえ、進化をうながす。たとえばわれわれの身体のすべての細胞に宿るミトコンドリア──その遺伝子は受精卵の細胞核ではなく細胞質に含まれるため母方のものしか遺伝しない──は、発疹チフス菌の一種で、何百万年前にヒトの遠い祖先の体内に侵入したときは猛威をふるったに違いないが、体内に定着後は、肺から赤血球によって運ばれる酸素の貯蔵庫として、身体の酸素サイクルの主役を演じることとなる。いうまでもなく、われわれの思考活動を含むすべての働きは酸素の燃焼エネルギーによっている。 

 あるいは女性は妊娠するが、受精卵の細胞核には父親の遺伝子が含まれるため、それは母体にとって異物であり、ふつうなら母体の免疫機構が働き、マクロファージの攻撃によって排除されるはずである。だが受精卵は子宮に着床するやいなや、母体に宿るHIVヴィールスがその攻撃を防ぐ防御網をつくりあげる。HIVヴィールスは、レトロ・ヴィールスの一種であるが、宿主から酵素を奪う通常のヴィールスと異なり、酵素を転写して排出し、免疫不全を起こす。いうまでもなくそれは、エイズ(AIDS)とよばれる恐るべき免疫不全病を引き起こす病原体であり、ヒトが類人猿から感染したといわれている。もしこのヒトのHIVヴィールスが類人猿に感染したら、彼らはエイズを発症するにちがいない。 

 これらは一例だが、たとえば哺乳類が卵生から胎生への進化をなしとげたとすれば、その進化はこのレトロ・ヴィールスに多くを負っているといわなくてはならない。 

 目にみえないが微生物との「共生」による進化はこのように強力であるだけではなく、いわゆる無機物との共生を含めて、地球のさまざまな元素サイクル(硫黄サイクル、炭素サイクル、酸素サイクルなど)を確立し、地球を生命の惑星として進化させた原動力とさえいえることが明らかとなった。

 エピジェネティックス 

 邦訳された『ヴァイロリューション』(ヴィールス[ヴァイラス]とエヴォリューション[進化]との合成語)では、その成果を踏まえ、さらにその後に展開した生物学、とりわけ進化にかかわる「異種交配」と「エピジェネティックス」の二本の柱が主題となっている。 

 異種交配は、植物学では古くから知られていたが、近年まで動物にはないと考えられてきた。なぜなら哺乳類の異種交配(ラバやレオポンなど)には不妊症が多く、一代限りとされていたからである。だが昆虫などの研究が進むにつれて、動物の異種交配がたんに多いだけではなく、それが種の分岐に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。具体的にはまだ解明されていないが、類人猿からのヒト科の分岐などにも、この問題は大きくかかわっているとされる。 

 またエピジェネティックス(後発生遺伝学)の驚くべき進展も、進化の概念を大きく変えはじめている。たびたび述べたように、かつてチョムスキーは、母語の習得は後天的なものだが、それを習得できる言語能力は先天的なものだ、つまり遺伝によるとして、「獲得形質」の遺伝を絶対的に否定する新ダーウィン主義者たちの猛攻撃を受けたが、いまや、かつてラマルクが唱え、ダーウィン主義によって全否定された獲得形質の遺伝は、当然とされるようになった。 

 つまりラマルクは生物の形態などにそれを認めようとしたのだが、エピジェネティックスは、環境などの後発的影響がゲノム(遺伝子配列)に変化をもたらし、しかもそれが遺伝することを証明したのだ。脳科学の進展によって言語脳(左脳)のさまざまな機能とその位置、またジェンダーや種族によるその差異などが明らかとなってきたが、いうまでもなくそれは、自然や文化を含めた環境の影響が、思考活動にかかわるゲノムの変化を引き起こし、脳を変え、さらにそれを遺伝させた結果にほかならない。 

 DNAの発見にはじまる分子生物学の驚くべき進展──それは物理学における量子力学の発見に相当する──は、だが、発見者のひとりのワトスン自身が唱えた遺伝子決定論(すべてのものは遺伝子によって決定され、環境の影響はわずかとされる)という新ダーウィン主義(ネオダーウィニズム)のイデオロギーに支配されるにいたった。それは一時期、異端を排除する猛威をふるうこととなったが、いまやエピジェネティックスや共生理論のまえに、音を立てて瓦解しつつある。

 むしろエピジェネティックスのほうが分子生物学の遺産を正当に継承したとさえいえるだろう。この事情は、物理学において量子力学以降猛威をふるった「コペンハーゲン解釈」が崩壊し、ストリング理論とその多重世界解釈にとって代わられた状況にきわめて類似している。

 文明の転換を考えるうえでも、この生物学の大きなパラダイムシフトは、深く注目しなくてはならない。


イタリア紀行●その1

2011-08-22 16:41:34 | 紀行

 

 リア紀行 ●その1 はじめてのヨーロッパ、偶然のイタリア

 
写真は空からみたヴェネツィア

                             
 日本の外に出てみたいとそれほど真剣に考えていたわけではない。むしろあまりに日本のことを知らなさすぎると、このところ京都や奈良に目が向いていた。そんなとき、イタリアに1ヵ月間も滞在するという企画が、山仲間から舞い込んだのである。

 仲間の共通の友人に、イギリス人Pさんがいる。彼は「国際版寅さん」で、いわば世界を股にかけたフーテンである。小田原にアパートを借りているものの、観光目的では続けて3ヵ月以上は日本で暮らせない。3ヵ月経つと、いわば強制的に日本から放り出される。で、外国で3ヵ月間を暮らし、また小田原に帰ってくる。そういう暮らしをもう何年間も続けている(日本で暮らせる上限は6ヵ月)。外国もいろいろで、イギリスはもちろん、スイス、イタリア、チュニジア、ニュージーランド、オーストラリア、タイなど、数えあげればきりがない。

 6月末から滞在する土地はイタリア、それもイタリア・アルプスにほど近いヴィチェンツィアだという。Pさんの趣味のひとつが山登りで、イタリア・アルプスのドロミテの素晴らしさを彼から聞いた山仲間のひとりSさんが、ヴィチェンツィアに行くことを思いついた。どうせ行くのなら1ヵ月間滞在してイタリアの日常生活も体験したいと、年金暮らしのSさんは考えたらしい。4月いっぱいで会社という束縛から自由になった私にも、その企画への誘いがかかったのだった。

 私の海外体験はインドネシアだけである。それも40年も昔の話。海外旅行への興味はそれほど強くはなかったということだ。しかしイタリアと聞いて心が動いた。ヨーロッパへ行くのならまずはイタリアだと、オペラ好きの私は思っていた。とはいえこのところ山登りを怠っている。それに、イタリアまで行って山登りもなかろう、というのが正直な気持ちだった。

 Pさんは多趣味な人で、植物や鳥についても専門家顔負けの知識をもっている。それに大のオペラ・フアンでもある。彼はミラノ・スカラ座とアレーナ・ディ・ヴェローナの公演をインターネットで調べてくれた。前者はシーズン最後の公演で《アッティラ》、後者では《アイーダ》はどうかと提案してくれた。ヴェルディ好きの私はすっかり行く気になってしまった。彼らがドロミテに行く1週間は、1人でフィレンツェに出かけようと心に決めた。同行はオペラも好きなMさんとKさん、それにSさんと私。中高年の男女2名ずつのメンバーとなった。

 この話をオペラ仲間のUさんにすると、彼女はヴィチェンツァという地名に強い反応を示した。後期ルネサンスの建築家、パッラーディオが、この街に多くのパラッツィオ(宮殿)を建て、それらがいまも残っているという。世界遺産にも登録されていて、美術好きでもあるUさんには長年、憧れの街となっていたのだ。で、結局、ドロミテ組が登山中の1週間、我々のB&B(民宿)の1室に2人の女性たちが滞在することになり、その間私も彼女たちと行動を共にすることとなった(Uさんグループは女性ばかりの4名で、2名はB&B近くのホテルを予約することに)。

 話はさらに広がる。ヴェネツィア好きのIさんご夫妻が、たまたま6月末から7月上旬にかけイタリアを旅し、7月1日からはヴェネツィアに滞在するという。願ってもない話である。長年ヴェネツィアについて研究し、そこが第2の故郷とまでなっているIさんにヴェネツィアを案内してもらおう。こうして、私の旅にまた新たな要素が加わった。
  

                 

 

 

 

 

 

       


 6月2
4日の20時、日本を発って約16時間、パリで乗り換えた飛行機がヴェネツィアに到着した。数日前にイタリアの土を踏んでいるPさんが迎えにきてくれていて、22時過ぎにはヴィチェンツィアのB&Bに落ち着いた。ヴィチェンツィアは、ヴェネツィアから電車でほぼ1時間の距離にある。       ●j-mosa


おいしい本が読みたい●第二十一話

2011-08-16 07:14:46 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十一話  


                                       在日の…  



 「子供のころは、毎日毎日、ニワトリの卵を売って歩いていたな、アボジに仕事がなくてさ。あのころは、せつなかったよ」。いつか仕事の後で、ふだんは茶目っ気たっぷりの朴さんが、酔いに誘われたようにしんみりと言った。「そのせつなさを、後の人生に活かしたようにはみえねえぞ」。そうからかうと、妙におとなしく「へへへ…」と笑うばかり。

 後にも先にも「せつない」過去を朴さんが語ったのはこのときだけだ。父親の出身地済州島のこと、「北」のこと、日本の政治のこと、ギャンブルのこと、酒と女はいわずもがな、話題は百般におよぶけれども、こちらが無理に追及しないかぎり、あの時代のことは触れたくなさそうな雰囲気が今もただよう。

 あれもひとつのオーラル・ヒストリーなのか、そう得心したのは『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編、集英社)に手をつけたときだった。『砧を打つ女』(李恢成)の抒情、『血と骨』(梁石日)の泥臭、『Go』(金城一紀)の軽快などなど、いわゆる在日作家の受賞作品にはもともとわたしとウマの合う部分が多かった。けれども、これらのフィクションからこぼれ落ちていたものが、『在日一世の記憶』にある。そのなかのひとつが、文字を手にしていない在日女性たちの、表現手段を求める”切実さ”である。 ひとつの例として、「働いて、働いて、働いて」の姜必善(カン・ピルソン)さんの言葉に耳を傾けてみよう。おそらくすべてがここにあるのではないだろうか。


  
ひらがなカタカナを覚えたなあと思ったら、先生が「姜さん、名前稽古しよか」といわれましたんや。うれしいこと、うれしいこと。ひらがな、カタカナよりも自分の名前まず教えてもらいたかったんですが、恥ずかしゅうていわれへんでしたんや。 先生に「わたしの名前は“あらいあさこ”やけど、どないしてかきまんにゃ」というと、福西先生が、「本名、先覚えましょう」というてくれて初めて書きましたんや。ひらがな、カタカナ、自分の名前を書いて、いままで目が見えなかったんがパーッと見えてきた感じでした。


 87歳で夜間中学に通う姜さんは、こうしてほとんど晩年に、書き言葉という表現手段の初歩を、手に入れつつある。それが両親の母語ハングルでなく日本語だということの意味は、わたしたちが考えるべきことだ。

                                むさしまる


法曹界なう★1

2011-08-12 07:33:07 | 法曹界なう

法曹界なう★1
司法修習生の給費問題は、まだ終わっていない

                        弁護士 寺本倫子

 最近の法曹界の話題として、司法修習生の給費制廃止の問題があります。政府は、8月4日に、法曹養成改革に関する関係省庁副大臣らの検討会議を開催し、これまで司法修習生に月額約20万円の給料を支払っていたのを、今年度11月に入所する司法修習生からは、希望者のみ無利子の「貸与制」に移行する方針を確認しました。最近こそ、ニュースで話題になっていますので、ご存じの方が大半でしょうけれど、そもそも、司法修習生にこれだけの額の給料が支払われていたことをご存じなかったのではないでしょうか。「給料」は、税金から支払われているのですから、国民にとっては重大な関心事であるべきです。

 司法試験に合格すると、最高裁判所に司法修習生として採用され、修習を行います。身分は、準公務員です。司法修習を経て、卒業直前に行われる試験(二回試験と言われています。一回試験は司法試験のことです。)に合格しないと、裁判官、検察官、弁護士にはなれません。司法修習期間は1998年開始の修習生は2年間でしたが、その後、徐々に短くなっており、2006年からは1年間になりました。研修所の教官(裁判官、検察官、弁護士から任命されます。)が、期間が短くなっても、最低限、どうしても教えておきたいことがあり、削ることはできないので、当然、詰め込み型になったり、宿題型のみになるなど、無理な時間割になるとおっしゃられていたのを聞いたことがあります。

 そもそも、何のために司法修習を行うのかというと、司法試験に合格しただけでは、法律についての、解釈論を学んだに過ぎないわけで、これを実務において生かせるようにするための最低限、必要なことを学ぶことにあります。しっかり勉強してもらわないと困るので、修習期間中のアルバイトは禁止されています。国家の役目として、給料を支払って実務家となるべく能力を身に付けさていたわけです。

 ところが、給費制度を維持してくには税金が投入されるわけですが、国家の財政状況が苦しいことや、司法試験合格者を年々、増やしていることを考えると、今までどおり給費制を維持してよいのか、という疑問が起きてきたわけです。

 裁判所法には、すでに、「司法修習生に対し、その申請により、無利息で、修習資金を貸与するものとする。」と定められています(裁判所法67条の2)。しかし、弁護士会などの強い反対により、議員立法で給与制を1年間延長する裁判所法改正法が成立しました。今回は、政府により、貸与制に移行することが確認されたわけです。

 弁護士会は、これまでに、「給費制の維持」を唱えてきましたが、その理由としては、法曹の育成は国家の責務であること、給費制ではなく、「貸与制」にしてしまうと、司法修習を終えた時点で、多額の債務を背負った弁護士等ができることになる(法科大学院制度に移行したことにより、法科大学院に通う間に、多額の債務を背負っている者が現れていることが背景にあります。)、貧しい人は法律家になることを敬遠してしまうなどが主なものです。しかし、震災による財源問題もあることでしょう、「貸与制」実施がされるのは確実です。

 この問題は、税金の使途の問題のみならず、今後の司法のあり方に少なからず影響を与える可能性があると私は考えています。司法関係者のみならず、広く国民の皆さんに関心を持って頂きたいものです。         


北沢方邦の伊豆高原日記【108】

2011-08-08 09:56:12 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【108】
Kitazawa, Masakuni  

 暑さが復活したが、こちらは安定した28度前後がつづく。梅雨の再来のような天候のあいだ、鳥たちのさえずりは少なかったが、今日は盛大にウグイスたちが鳴き競っている。わが家にはないが、サルスベリの淡紅色や夾竹桃の赤い花々が咲きそろい、道行くひとびとを楽しませている。テッポウユリの花芽が大きく膨らんでいる。

「バガヴァッド・ギーター」の英訳を読む 

 杉山直子さんから送っていただいた「バガヴァッド・ギーター」の何冊かの英訳本を読み比べはじめた。ひとつはもっとも権威ある訳とされるA.B.van Buitenenのもの(1981)で、「バガヴァッド・ギーターの書(パルヴァン)」とギーター本文全体の訳であり、サンスクリット原文と対照させてある。ひとつはBarbara Stoler Millerのもの(1986)で、自由な英語韻文で訳している。おそらく、厳密さや正確さではビュイテネン訳がまさるかもしれないが、詩的な点ではストーラー・ミラー訳が魅力的である。 

 これらの解説やあとがきを読んでいて、西欧におけるヒンドゥー哲学や思想の影響がいかに長く、かつ深いものであるかを再度痛感することになった。 

 再度というのは、青木やよひのベートーヴェン研究の手伝いで、19世紀初頭のドイツにおけるヒンドゥー哲学や思想の浸透度を調べたことがあるが、ゲーテやベートーヴェンという傑出した知識人だけではなく、シュレーゲルやフンボルトやショーペンハウアー、あるいは彼らを通じた二次的影響が、ひろくロマン主義の時代を蔽っていたことに感銘したからである。 

 英語圏では18世紀末からであり、「ギーター」の訳もすでに1785年に出版されている(Charles Wilkins訳)。アメリカでは19世紀の半ば、エマースンやソローなど超越主義者(トランセンデンタリスト)とよばれる一群の哲学者や思想家などが、これらヒンドゥー思想や哲学の決定的な影響を受け、自然そのものや内なる自然である人間の身体性を思考の根底に据えることによってのみ、近代キリスト教を含む西欧合理主義の狭い限界を超えることができるとした。 

 つまりドイツでもアメリカでもそれらは、哲学的合理主義や、産業革命によって台頭した経済的合理主義という人間存在の基盤を無視した──それが一方では実存主義的な非合理主義を生みだすことになるが──価値と思考体系の専制に対する反逆であったのだ。 

 1960年代末、アメリカにおいてヒッピーやステューデント・パワーとして爆発した「文化革命」が超越主義を再興させ、さらにその根源であるヒンドゥーに向かったのは当然である。

 それにくらべわが国ではどうか? いうまでもなく、仏教や仏教哲学を通じたインド研究は、わが国の長く深い伝統であった。だが明治の「開国」後、「富国強兵」としての経済的・軍事的合理主義の受容と、福沢諭吉を代表とする「近代化」あるいはその意味での「文明化」の積極的な受容によって、東洋思想や哲学は主流の地位から追いやられ、アカデミーの片隅に「文化財保護」としてほそぼそと継続するほかはなかった。「ギーター」も、《印度哲学》の専門の研究に限定され、一般の知識人にとっては疎遠な東洋の古典でしかなかった。

 だがいまほど「ギーター」が必要とされる時代はない。なぜなら、未曽有の危機のなかで、この苦境を解脱できる最高の知は、この苦境と取り組む意識的な行為(カルマ)を通じてしかえられないとする「ギーター」の説く真理は、生活のあり方を含めた自己の身体性と正面から取り組むことで思考体系を変え、それによってはじめて世界や文明の変革を手にすることができることを教えているからである。

時間とは死である 

 「ギーター」を読んでいて、深く教えられたことがある。それはサンスクリット語を含むインド・ヨーロッパ語では、《時間》という語は同時に《死》を意味することである。 

 1945年、トリニティ・サイトでの世界ではじめての原爆実験に立ち会ったオッペンハイマーが、爆発の瞬間に思いだしたとする「ギーター」の一節(おそらくPrabhavanandaC.Isherwoodの訳[1944]): 

I am become Death and the shatterer of worlds.  
「われ世界を滅亡に導く大いなる死なり、諸世界を打ち砕くためにここに来たれり」
(岩波文庫版[上村勝彦訳]と諸英訳を参考にした北沢試訳)

 では、死と訳した原語「カーラ」は、時間と同時に死や運命を意味する。多くの訳は「時間」と訳しているが、英語のTimeもドイツ語のZeitにも「死」という裏の意味がある(ハイデッガーの『存在と時間』は『存在と死』とも訳せるのだ! むしろこの方がハイデッガー哲学にふさわしい)。だが日本語にもロマンス語系言語にも「死」のコノテーションはない。私はこの場合日本語では「死」と訳すほかはないと考えた。

注■インドは地名であるが、文化や思想は地名を超えた地域に広がっているのでヒンドゥーという名称をとるのが最近一般的である。