北沢方邦の伊豆高原日記【109】
Kitazawa, Masakuni
天候不順で、晴れ間が覗くかと思うとときどき強い雨が襲ったりする。今日は久しぶりに朝から快晴である。ときおりメジロやガラ類が鳴くが、ウグイスや鳥たちの囀りの季節は終わり、蝉時雨だけが残っている。テッポウユリが次々と清楚な純白の花をつけ、心を癒してくれる。居間に挿した一輪の花が、奥ゆかしく高貴な香りをただよわせ、もの思いを誘う。
ダーウィンの盲点
もう7・8年も前だが、フランク・ライアンの驚くべき本『ダーウィンの盲点』(Ryan,Frank. Darwin’s Blind Spot; Evolution beyond Natural Selection. New York,2002)を読んで、「眼から鱗」の思いをしたことがある。つまりダーウィン進化論の二つの柱である「自然選択」と「突然変異」が否定されたわけではないが、最近の微生物科学の進展によって、ヴィールスやバクテリアと生物の「共生(シンバイオシス)」が、生物の進化のみならず、地球全体の進化に巨大な役割を果たしていることが指摘されていたからである。
今回、財団の設立記念のシンポジウムのために、それと、彼の新しい本『破壊する創造者(邦訳名)』(原題Virolution,2009)を読み直し、生物学で起きているいわゆるパラダイム・シフト(科学体系の転換)を再確認した。
『盲点』は「共生」とそれによる進化が主題である。つまりヴィールスやバクテリアは、ときには侵入者や破壊者として生体に猛威をふるうが、その危機を乗り越えた生物にとっては、またとない共生者となって恩恵をあたえ、進化をうながす。たとえばわれわれの身体のすべての細胞に宿るミトコンドリア──その遺伝子は受精卵の細胞核ではなく細胞質に含まれるため母方のものしか遺伝しない──は、発疹チフス菌の一種で、何百万年前にヒトの遠い祖先の体内に侵入したときは猛威をふるったに違いないが、体内に定着後は、肺から赤血球によって運ばれる酸素の貯蔵庫として、身体の酸素サイクルの主役を演じることとなる。いうまでもなく、われわれの思考活動を含むすべての働きは酸素の燃焼エネルギーによっている。
あるいは女性は妊娠するが、受精卵の細胞核には父親の遺伝子が含まれるため、それは母体にとって異物であり、ふつうなら母体の免疫機構が働き、マクロファージの攻撃によって排除されるはずである。だが受精卵は子宮に着床するやいなや、母体に宿るHIVヴィールスがその攻撃を防ぐ防御網をつくりあげる。HIVヴィールスは、レトロ・ヴィールスの一種であるが、宿主から酵素を奪う通常のヴィールスと異なり、酵素を転写して排出し、免疫不全を起こす。いうまでもなくそれは、エイズ(AIDS)とよばれる恐るべき免疫不全病を引き起こす病原体であり、ヒトが類人猿から感染したといわれている。もしこのヒトのHIVヴィールスが類人猿に感染したら、彼らはエイズを発症するにちがいない。
これらは一例だが、たとえば哺乳類が卵生から胎生への進化をなしとげたとすれば、その進化はこのレトロ・ヴィールスに多くを負っているといわなくてはならない。
目にみえないが微生物との「共生」による進化はこのように強力であるだけではなく、いわゆる無機物との共生を含めて、地球のさまざまな元素サイクル(硫黄サイクル、炭素サイクル、酸素サイクルなど)を確立し、地球を生命の惑星として進化させた原動力とさえいえることが明らかとなった。
エピジェネティックス
邦訳された『ヴァイロリューション』(ヴィールス[ヴァイラス]とエヴォリューション[進化]との合成語)では、その成果を踏まえ、さらにその後に展開した生物学、とりわけ進化にかかわる「異種交配」と「エピジェネティックス」の二本の柱が主題となっている。
異種交配は、植物学では古くから知られていたが、近年まで動物にはないと考えられてきた。なぜなら哺乳類の異種交配(ラバやレオポンなど)には不妊症が多く、一代限りとされていたからである。だが昆虫などの研究が進むにつれて、動物の異種交配がたんに多いだけではなく、それが種の分岐に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。具体的にはまだ解明されていないが、類人猿からのヒト科の分岐などにも、この問題は大きくかかわっているとされる。
またエピジェネティックス(後発生遺伝学)の驚くべき進展も、進化の概念を大きく変えはじめている。たびたび述べたように、かつてチョムスキーは、母語の習得は後天的なものだが、それを習得できる言語能力は先天的なものだ、つまり遺伝によるとして、「獲得形質」の遺伝を絶対的に否定する新ダーウィン主義者たちの猛攻撃を受けたが、いまや、かつてラマルクが唱え、ダーウィン主義によって全否定された獲得形質の遺伝は、当然とされるようになった。
つまりラマルクは生物の形態などにそれを認めようとしたのだが、エピジェネティックスは、環境などの後発的影響がゲノム(遺伝子配列)に変化をもたらし、しかもそれが遺伝することを証明したのだ。脳科学の進展によって言語脳(左脳)のさまざまな機能とその位置、またジェンダーや種族によるその差異などが明らかとなってきたが、いうまでもなくそれは、自然や文化を含めた環境の影響が、思考活動にかかわるゲノムの変化を引き起こし、脳を変え、さらにそれを遺伝させた結果にほかならない。
DNAの発見にはじまる分子生物学の驚くべき進展──それは物理学における量子力学の発見に相当する──は、だが、発見者のひとりのワトスン自身が唱えた遺伝子決定論(すべてのものは遺伝子によって決定され、環境の影響はわずかとされる)という新ダーウィン主義(ネオダーウィニズム)のイデオロギーに支配されるにいたった。それは一時期、異端を排除する猛威をふるうこととなったが、いまやエピジェネティックスや共生理論のまえに、音を立てて瓦解しつつある。
むしろエピジェネティックスのほうが分子生物学の遺産を正当に継承したとさえいえるだろう。この事情は、物理学において量子力学以降猛威をふるった「コペンハーゲン解釈」が崩壊し、ストリング理論とその多重世界解釈にとって代わられた状況にきわめて類似している。
文明の転換を考えるうえでも、この生物学の大きなパラダイムシフトは、深く注目しなくてはならない。