北沢方邦の伊豆高原日記【39】
Kitazawa,masakuni
三原山内輪山の冠雪も消え、陽射しはうららかなのだが、大気はまだ冷たい。今年は数週間遅いが、淡い色の紅梅と大きい花の白梅がいまを盛りと咲き、メジロの群れを呼び寄せている。夕暮れ時、ヴィラ・マーヤの庭に、やや大きめのタヌキが散歩していた。灰色のみごとな毛並みに太い尾、ちらりとこちらを向いた顔の、黒く隈取をしたようなつぶらな目がかわいい。それほど驚いた様子もみせず、悠々と歩いて森に消えていった。仲良くなりたいものである。
ソロモンの指輪
かつて、パヴロフの「条件反射」の犬や、実験心理学のマウスやラットが典型であるように、近代科学の全盛期には動物は、環境に条件反射するだけのたんなる生物学的機械だと思われていた。もっともスキナー流の行動科学そのものが、人間さえも刺激に反応するだけの「ブラック・ボックス」機械だと考えていたのだから、それも当然といえよう。しかし近代科学以前、および以後、つまり脱近代科学では、動物も人間も脳の基本的機能はほとんど変わらず、同類であると思われていた、あるいはそのように認識されはじめている。
『旧約聖書』によると、ユダヤの王ソロモンは、魔法の指輪を嵌めると動物たちと会話ができたという。『ソロモンの指輪』という啓蒙書を書いた動物学者のコンラート・ローレンツは、すでに三十年以上もまえに、動物の知能の高さを称え、魔法の指輪がなくても人間とも交流できる巧みなコミュニケーション能力について書いている。
犬、とりわけ大型犬を飼った経験のあるひとなら、彼らが人間の言語をいかによく理解し、それに従って行動するだけではなく、表情や身振りで自分たちの意思をもいかによく伝えているか、十分に理解している。それだけではない。彼らはいわば飼い主を「値踏み」して、この程度の飼い主ならこの程度に付き合おう、と彼らの世界を別につくりあげてしまうようだ。昔、当時マスメディアでかなり有名だったある学者の家を訪ねたとき、二頭の大型のコリーがあまりにも傲慢だったのに驚いたが、彼らは躾のできない飼い主を見下し、むしろ自分たちがボスだと思っていたにちがいない。
チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿がすぐれた知能をもち、道具を使い、彼ら固有の言語を発達させ、また実験室で人間の言語を理解し、記号のボードを使用して人間と会話ができることはひろく知られている。海の哺乳類であるイルカやシャチも、それに劣らぬ能力を身につけている。だがそれ以外の動物、とりわけ体重を極端に軽くするため、脳も小さい鳥類でさえも、おどろくべき認識能力や人間との言語コミュニケーション能力をもっていることが明かとなってきた。
ペッパーバーグ博士のオウム
1999年に書かれたアイリーン・ペッパーバーグの『アレックス研究』は、当時のアメリカの知的世界で大きな反響を呼んだ。私も早速手に入れたが、多くの図表が入った431頁に昇るまったくの専門書で手ごわく、序論を読んだだけで書棚に置いておいた。だが「ナショナル・ジオグラフィック」誌2008年3月号の「動物の心(マインド)の内側」という特集で、彼女のインタヴューや実験を含め、その内容がきわめて魅力的に紹介されているのを読み、再読することにした。
同誌によれば、1977年、ハーヴァード大学を卒業したばかりのペッパーバーグは、シカゴのペット店で灰色アフリカ・オウムを手に入れ、アレックスと名づけて飼育した。きわめて巧みに英語を繰るアレックスが、たんに人間の言語を模倣しているだけなのか、理解して使用しているのか、また後者であるとすれば彼らは世界をどう認識しているのか、語らせてみたいという熾烈な好奇心にうながされ、研究をはじめたという。
当時の学界の主流は、動物は環境の刺激に反応するだけの自動機械(オートマトン)だとする学説に支配されていて、類人猿ならともかく、鳥を対象にするなどという彼女の研究は「クレージー」だと嘲笑された。だがアレックスは言語の意味を理解するだけではなく、たとえば小さなプラスティックのがらくた類から同じ色の二つをとりあげ、「なにが同じ?」と聴くと、間髪をいれず「カラー(色)」と答え、「なにが違う?」と聴くと「シェイプ(かたち)」と答える。お腹が空けば「ブドウが欲しい」とか具体的に要求し、リンゴの味がバナナとチェリー(さくらんぼ)の中間の味だというので、バネリーという新語を発明したりする。のちに研究室にきた新米のオウムが、ペッパーバーグの問いに明確に答えられないと、「トーク・クリアリー!(はっきり話せ)」と命令したりする。
また彼女の研究室に男性の研究員が入ってくるとやきもちを焼き、逆に性別を問わず気に入っているひとには、肩に止まり、耳穴にカシューナッツを押し込んだりと、人間と変わらない感情生活を送っていた。
残念ながらアレックスは昨年9月、31歳の生涯を閉じたが、ペッパーバーグの『アレックス研究』は、動物学に一時代を画すものとなった。
たしかにオウム類は、その発声器官の特殊な構造のため人間の言語を模倣できるが、模倣できない多くの動物も、その意味を十分理解し、自分たちに固有の表現方法で人間とコミュニケーションをはかっている。同誌に取り上げられているオランウータンやボノボやイルカ、アジア象やボーダーコリー(牧羊犬)はもちろんのこと、カレドニア・カラス(なんと肉の入った籠に仕掛けた「知恵の輪」様の鍵をもはずしてしまう)や太平洋巨人蛸(研究員を標的に口から潮水を飛ばし、当ると喜ぶという)にいたるまで、動物の知能や能力は人間を驚かせる。
むしろ人間を対象にした心理学者や認知心理学者たちのほうが、動物のこうした能力に懐疑的であるという。彼らは、かつての近代科学の固定観念に呪縛されているのだ。脱近代科学(ポストモダン・サイエンス)はすでに、物理学や数学、あるいは微生物科学や脳神経科学からはじまっていたが、いまや動物学も新しい認識論の有力な担い手となりはじめている。