一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【39】

2008-02-27 07:46:19 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【39】
Kitazawa,masakuni

 三原山内輪山の冠雪も消え、陽射しはうららかなのだが、大気はまだ冷たい。今年は数週間遅いが、淡い色の紅梅と大きい花の白梅がいまを盛りと咲き、メジロの群れを呼び寄せている。夕暮れ時、ヴィラ・マーヤの庭に、やや大きめのタヌキが散歩していた。灰色のみごとな毛並みに太い尾、ちらりとこちらを向いた顔の、黒く隈取をしたようなつぶらな目がかわいい。それほど驚いた様子もみせず、悠々と歩いて森に消えていった。仲良くなりたいものである。

ソロモンの指輪 

 かつて、パヴロフの「条件反射」の犬や、実験心理学のマウスやラットが典型であるように、近代科学の全盛期には動物は、環境に条件反射するだけのたんなる生物学的機械だと思われていた。もっともスキナー流の行動科学そのものが、人間さえも刺激に反応するだけの「ブラック・ボックス」機械だと考えていたのだから、それも当然といえよう。しかし近代科学以前、および以後、つまり脱近代科学では、動物も人間も脳の基本的機能はほとんど変わらず、同類であると思われていた、あるいはそのように認識されはじめている。

 『旧約聖書』によると、ユダヤの王ソロモンは、魔法の指輪を嵌めると動物たちと会話ができたという。『ソロモンの指輪』という啓蒙書を書いた動物学者のコンラート・ローレンツは、すでに三十年以上もまえに、動物の知能の高さを称え、魔法の指輪がなくても人間とも交流できる巧みなコミュニケーション能力について書いている。

 犬、とりわけ大型犬を飼った経験のあるひとなら、彼らが人間の言語をいかによく理解し、それに従って行動するだけではなく、表情や身振りで自分たちの意思をもいかによく伝えているか、十分に理解している。それだけではない。彼らはいわば飼い主を「値踏み」して、この程度の飼い主ならこの程度に付き合おう、と彼らの世界を別につくりあげてしまうようだ。昔、当時マスメディアでかなり有名だったある学者の家を訪ねたとき、二頭の大型のコリーがあまりにも傲慢だったのに驚いたが、彼らは躾のできない飼い主を見下し、むしろ自分たちがボスだと思っていたにちがいない。

 チンパンジー、ボノボ、ゴリラ、オランウータンなどの類人猿がすぐれた知能をもち、道具を使い、彼ら固有の言語を発達させ、また実験室で人間の言語を理解し、記号のボードを使用して人間と会話ができることはひろく知られている。海の哺乳類であるイルカやシャチも、それに劣らぬ能力を身につけている。だがそれ以外の動物、とりわけ体重を極端に軽くするため、脳も小さい鳥類でさえも、おどろくべき認識能力や人間との言語コミュニケーション能力をもっていることが明かとなってきた。

ペッパーバーグ博士のオウム

 1999年に書かれたアイリーン・ペッパーバーグの『アレックス研究』は、当時のアメリカの知的世界で大きな反響を呼んだ。私も早速手に入れたが、多くの図表が入った431頁に昇るまったくの専門書で手ごわく、序論を読んだだけで書棚に置いておいた。だが「ナショナル・ジオグラフィック」誌2008年3月号の「動物の心(マインド)の内側」という特集で、彼女のインタヴューや実験を含め、その内容がきわめて魅力的に紹介されているのを読み、再読することにした。

 同誌によれば、1977年、ハーヴァード大学を卒業したばかりのペッパーバーグは、シカゴのペット店で灰色アフリカ・オウムを手に入れ、アレックスと名づけて飼育した。きわめて巧みに英語を繰るアレックスが、たんに人間の言語を模倣しているだけなのか、理解して使用しているのか、また後者であるとすれば彼らは世界をどう認識しているのか、語らせてみたいという熾烈な好奇心にうながされ、研究をはじめたという。

 当時の学界の主流は、動物は環境の刺激に反応するだけの自動機械(オートマトン)だとする学説に支配されていて、類人猿ならともかく、鳥を対象にするなどという彼女の研究は「クレージー」だと嘲笑された。だがアレックスは言語の意味を理解するだけではなく、たとえば小さなプラスティックのがらくた類から同じ色の二つをとりあげ、「なにが同じ?」と聴くと、間髪をいれず「カラー(色)」と答え、「なにが違う?」と聴くと「シェイプ(かたち)」と答える。お腹が空けば「ブドウが欲しい」とか具体的に要求し、リンゴの味がバナナとチェリー(さくらんぼ)の中間の味だというので、バネリーという新語を発明したりする。のちに研究室にきた新米のオウムが、ペッパーバーグの問いに明確に答えられないと、「トーク・クリアリー!(はっきり話せ)」と命令したりする。

 また彼女の研究室に男性の研究員が入ってくるとやきもちを焼き、逆に性別を問わず気に入っているひとには、肩に止まり、耳穴にカシューナッツを押し込んだりと、人間と変わらない感情生活を送っていた。

 残念ながらアレックスは昨年9月、31歳の生涯を閉じたが、ペッパーバーグの『アレックス研究』は、動物学に一時代を画すものとなった。

 たしかにオウム類は、その発声器官の特殊な構造のため人間の言語を模倣できるが、模倣できない多くの動物も、その意味を十分理解し、自分たちに固有の表現方法で人間とコミュニケーションをはかっている。同誌に取り上げられているオランウータンやボノボやイルカ、アジア象やボーダーコリー(牧羊犬)はもちろんのこと、カレドニア・カラス(なんと肉の入った籠に仕掛けた「知恵の輪」様の鍵をもはずしてしまう)や太平洋巨人蛸(研究員を標的に口から潮水を飛ばし、当ると喜ぶという)にいたるまで、動物の知能や能力は人間を驚かせる。

 むしろ人間を対象にした心理学者や認知心理学者たちのほうが、動物のこうした能力に懐疑的であるという。彼らは、かつての近代科学の固定観念に呪縛されているのだ。脱近代科学(ポストモダン・サイエンス)はすでに、物理学や数学、あるいは微生物科学や脳神経科学からはじまっていたが、いまや動物学も新しい認識論の有力な担い手となりはじめている。


おいしい本がが読みたい⑧

2008-02-21 16:30:48 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第八話     童心に帰れるかな?  

 「こんなに言い訳してもたりないというのなら、ぼくはこの本を、子供時代のこの大人にささげたいと思う。大人はだれしも最初は子供だった(それをおぼえている人はすくないけれど)。ということで、ぼくはこの本をささげることばをこう直そう:子供のときのレオン・ヴェルトにささぐ」

 見覚えのある一文ではないだろうか。そう、かの『星の王子さま』の献辞を締めくくる部分である。名文家サン・テグジュペリならではの見事な一節だと思う(拙訳では原文の流麗さは味わえないだろうが)。

 木と花と虫と魚と蛙と鳥と鼠と狼と熊と山姥と神さまが、みんな隣にいる時代はいっそう思い出しにくくなっている。いや、忘れられているだけではない。はじめて海を見た少年が「うわぁ、海がきた、海どんどん!」といえば、すかさず親が「海じゃないだろ、波どんどん、だろ」と、“適切な”標準表現へと修正を迫られ、それとともに子供の視線を喪失してゆく。

 ゆがんだ視線を直すには童話(児童文学)にかぎる。わたし好みでいうと小川未明の『金の輪』や有島武郎の『一房の葡萄』、そして作者は忘れたが『銀のおおかみ』だ。この順番はわたしの年齢をさかのぼる配列で、それぞれ大学生、中学生、季節保育所時代(人口三百人のわたしの村では農繁期などにのみ開設された)となる。『銀のおおかみ』は表紙がぼろぼろになるほど繰り返し読んだ。熱心だったというより、雪が降り続いて外遊びができないときは、それくらいしか暇つぶしの手段がなかったといったほうが当たっている。ともかく、再読、再々読々のおかげで表紙の図柄とストーリーは今も鮮明だし、なにがしの感受性を与えられた気がする。しかし、やはり忘れていた。  

 おぼろげになっていた幼年時代の感覚を取り戻させてくれたのが、『小さなお城』(文:サムイル・マルシャーク、絵:ユーリー・ワスネツォフ、訳:片岡みい子)である。家人が留守のとき(ちょっと気恥ずかしいから)、音読してみた。不思議なものだ。あの頃の故里の山河がよみがえるではないか。ついでに、三・四年のあいだ毎晩娘を寝かしつけるときに読み語っていた、自分の若きお父さん感覚も。このお父さん役のときは、父親の役割はもちろん意識していたが、同時に、子供と同じ目線でも語っていたのだった。だから、この絵本を手にしたら子供に読ませるのではなく、ぜひとも語ってもらいたいと思う。わたしの好きなハリネズミを筆頭に、すばらしい絵の味わいも忘れずに。                                                         

むさしまる   


北沢方邦の伊豆高原日記【38】

2008-02-06 13:24:56 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【38】
Kitazawa,Masakuni  

 数日まえ、夜中雨が降りつづいたが、明け方から霙まじりの雪となった。低気圧が去り、この二・三日、澄みきった青い空を背景に、まばゆいばかりの陽の光を受けて大室山が白銀に輝いている。東に目を転ずると、大島の三原山内輪山が、同じく雪を戴いているのがみえる。庭の白梅が小さな花をほころばせ、メジロたちが交替で蜜を吸いにくる。

 庭にでると、手が届きそうな枯枝にシジュウカラが止まり、声をかけるまで鳴きつづけ、注意を喚起する。「ああ、おまえか」というと、嬉しそうに身をくねらせ、羽ばたいて去っていく。いつか書斎に二度も入ってきたシジュウカラにちがいない。どんな動物にも、ひと(鳥?)一倍好奇心の強い個体がいるのだ。

「脱亜入欧」と「脱イスラーム入近代」 

 「ニューヨーク・タイムズ」書評紙2008年1月6日号は、全紙イスラーム特集であり、読みでがあった。非ムスリム(非イスラーム教徒)の書いた本を、ムスリムまたは中東系知識人が書評し、またその逆もあるだけではなく、それらを挟んでそれぞれ二人ずつがエッセイを書くという仕組みになっている。

 たしかに公正だが、私の気になったのは、ムスリムまたは中東系知識人の多くが現在のイスラーム文明または文化に批判的であり、「自由と民主主義」というフランシス・フクヤマ流の近代化または西欧化に賛意を示していることであった。それに対してむしろ、デヴィッド・L・ルイス(『神のるつぼ;イスラームそしてヨーロッパの形成、570から1215』)やザカリー・キャラベル(『おんみに平和あれ;ムスリム、キリスト教徒、ユダヤ教徒共存の歴史』)などの本が、むしろイスラーム文明の栄光やその寛容を称えている。 

 おそらくエドワード・サイードなども存命であれば、この特集に参加したにちがいないが、彼などはこの「自由と民主主義」の賛美の先駆者であったといえる。西欧在住のイスラーム知識人はなぜこうなってしまうのだろうか。

 たとえば、リー・ハリスの『理性の自殺;啓蒙思想に対する急進イスラームの脅威』の書評を書いたアヤーン・ヒルシ・アリである。

 たしかにこれはひどい本である。自爆攻撃に代表されるイスラーム急進派の「狂信主義」は、西欧の伝統的な「理性信仰」に対する挑戦であり、近代を築き上げてきた啓蒙思想の破壊にほかならない、と著者は主張する。さらに、現在アメリカのアカデミズムに充満する文化相対主義は、イスラーム狂信主義をも理解しようとするが、こうした理性的寛容、つまりハリス流にいいかえれば「理性狂信主義」は必ずイスラーム狂信主義によって滅ぼされる、すなわちそれは「理性の自殺」なのだ、ともいう。西欧はすべからく「理性狂信主義」を脱してイスラーム狂信主義と戦わなくてはならない、と。

 アリはハリスのこうした主張を批判する。そのこと自体は正しい。だがよって立つべき道は、あくまでも「自由と民主主義」だという。なぜなら、狂信主義はつねに集団的なものであるが、西欧の「自由と民主主義」は、あくまで個の尊重とその合意のうえに成立しているからである、と。

 たしかにイスラーム急進派の文化は、中東の部族社会や部族中心主義と切り離すことはできない。だがアリのいうように、それがただちに集団的狂信主義の温床であるとはいえない。中東以外の多くの部族社会でも、西欧流の「自由と民主主義」とはまったく異なったかたちではあるが、個人の自由や、ロングハウス・デモクラシーとよばれるようなみごとな民主制が存在してきた。もし現在の中東にそのような自由と民主制が明確でないとしても、それは西欧植民地主義の長期にわたる抑圧や伝統的社会形態の解体に由来するものであって、伝統そのものからではない。

 おそらく明治以後の日本社会と同じく、西欧植民地主義による急激な近代化の結果、伝統は歪曲され、共生のコミュニティが、個人を抑圧する「強制」のコミュニティとなったからにちがいない。同じ号にも、革命後のイランで20年にもわたって牢獄につながれた二人の女性のそれぞれの回想記が書評されているが、こうしたきびしい女性差別も、けっして伝統であったとは思われない。

 サイードをはじめとする西欧在住のイスラーム知識人は、結局「脱亜入欧」を提唱した福沢諭吉と同じ思想的・イデオロギー的地位を占めているといえよう。あるいは近くは、わが国の戦後民主主義を主導した知識人たちと酷似している。つまり真の伝統を、近代化または植民地化による歪曲された「伝統」と混同し、濁った盥の水ともいうべき後者とともに、真の伝統という赤児を溝に流してしまったのだ。

 戦後民主主義で育てられた若い世代は、その結果、種族的アイデンティティを失い、ひいては個人的アイデンティティを危機に陥れることとなった。だが幸いなことにイスラーム諸国では、それは西欧在住知識人にとどまり、中東の若い世代ではまだ、イスラーム的アイデンティティは強固であるようにみえる。