一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

おいしい本が読みたい●第二十五話

2013-04-29 10:13:06 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十五話  




                        さらば「銀河不動産」



 「銀河不動産」、へんな名前だが実在の不動産屋である。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』から名を借りたらしい。もちろん部屋の斡旋を生業とする。儲かっているかどうかは知らない。食い扶持くらいはなんとか、と老齢の主人はいっていたが、名前からして利潤から遠く隔たっていることは疑いない。

 忘れもしない、今から35年前、部屋をさがして駅前の不動産屋に飛び込んだ。木造の間口二間のしょぼくれた、当時は「第一不動産」というありきたりな名前の店だった。髪の薄い痩せたオヤジがいて、愛想よく応対してくれた。どこにでもある不動産屋のひとつと思った。だが、ソファーに座ってふと隣に本棚があるのに気づき、並んでいる本の背表紙を何気なく眺めていると、早瀬圭一の『失われしもの』(新潮文庫)が目に入った。

 「おじさん、こういう本が好きなんかね」というようなことを言ったと思う。毎日新聞夕刊に連載されていた当時に愛読した作品がこんなところにあった。予期せぬ同好の士を見つけて話は盛りあがった。それ以来の付き合いである。駅前にあった「第一不動産」は、いつしか布田天神裏のアパートの一室に移り、さらに美容院の隣に居を構え、さらにまた、もと豆腐屋の廃屋と言ってもいいほどの店に仮住まいをした。そしてそこで、「銀河不動産」の名が誕生したのだった。

 店に顔出せば、必ずと言ってよいほど、いわゆる精神障害の誰かが来ている。彼(女)らは店主の顔を、ことばを、匂いを、もとめてやってくる。それを知っている老齢の店主は、年中無休で店を開けている、病の体をいたわることもなく。精神障害の人だけでない。出所まもない人、全盲の人、在日の人、アジアからの留学生、つまり今の日本でマージナルとされる人々の駆け込み寺というわけだ。

 どうしてそんなに他人に尽くすのさ、桜井さんは?と聞いたことがある。もう本名を出してもいいだろう、『銀河不動産』の店主は桜井昭五である。桜井さんはそのとき、お袋が首つりしたからかな、と分かるような分からない返答をした。父親のことはついぞ聞いたためしがない。中学まで朝鮮半島で育ったようで、自分が加害者のひとりであることを何よりも傷としていた。だから、在日の人にとりわけ親身であったことはうなずける。その延長線上に精神障害の人などがいたのだろうか。

 桜井さんは無類の小説好きだった。店を訪ねれば必ず本を読んでいた。借りた本も数々ある。好きな作家はとにもかくにも宮沢賢治。雨ニモ負ケズ…には生かさせてもらった、と何度も言っていた。何人もの作家の面白さを教えてもらったが、今のわたしに残るのは、田中小実昌と車谷長吉と大塚銀悦か。車谷は『塩壺の匙』、大塚は『濁世』、そして田中は『フグにあたった女』。やはり私小説系が多い。

 その桜井さんがマンションの掃除中に急死した。その掃除も、精神症のAさんの働く場をかねてのことだった。糖尿病、ぜんそく、コウゲンビョウと、いつ死んでもおかしくない体だったのに。病院で死ぬことが当たり前の現代の日本では、本当にすごいことだ。遺体は生前の意思で献体で、慈恵医大第三病院に眠っている。仏前に線香の一本でも、などという世間体はよしてくれ、ということなのか。ともかく徹頭徹尾、人に、社会に、尽くすのだ。

 「暮 マンションの掃除で気分が悪くなり失禁して意識不明しばらくして神様に助けられました 又一生県命(ママ)生きて参ります よろしくお願い致します」

 いただいた最後の年賀状の文言がこれである。わたしにとって桜井さんの最後の言葉だ。その後、桜井さんが車を運転しているときにドア越しに目線で挨拶したのが、最後の光景である。しかし、こんな人がまだいる、市井の人のなかにこそ。投げやりになってはいられない。

 とまれ、「銀河不動産」よさらば。
                                        むさしまる


おいしい本が読みたい●第二十四話

2013-03-25 10:42:23 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十四話  


                  亡き恩師へ

 

 フランスの文豪バルザックの作品に『風流滑稽譚(コント・ドロラティック)』という、ラブレーを髣髴とさせる、おおらかにエロチックな物語集がある。古めかしい言い回しと綴りが、浪曲師のような語り口とあいまって、絶妙な味わいを感じさせる作品である。邦訳では、晩年の永井荷風が寄寓した小西茂也のものが名訳の誉れが高い(新潮文庫。ただし絶版)。今の世代がどれほど原語に強くなっても、日本語の気品からいえば、明治・大正から遅くとも昭和一桁生まれまでの訳者には、到底かなわない。単に語彙の問題だけでなく、どこか日本語への感覚が違っているとすら思う。

 小西訳のおかげでだいぶ泣いた人もいる。泣いて兜を脱ぐ、そんな屍累累たるところに、敢然と挑んだ研究者がいる。先月三巻めが完結した、岩波文庫版『艶笑滑稽譚』の石井晴一である。昭和九年生まれ。この世代あたりまでが、日本語の伝統を体で知っている。石井訳の新機軸は、これでもかこれでもかと付されるルビ。原文の雅語を置き換えるひとつの手がこれである。それはそれで、きわめて納得のゆく工夫である。もっとも、ある種ディレッタント趣味の嫌味を感じる人もいるかもしれない。が、ずっと読みつづけていると不思議な効果が生じてくる。

 小西訳と石井訳の日本語比べをしても、あまり生産的ではないと思う。石井訳の何よりの特徴は、徹底した原文への読み込みにあるからだ。なぜそんなことが分かるかといえば、石井晴一はわが恩師のひとりで、翻訳に先立つ講義に毎週顔を出していたのである。

 とにかく、あれほど仏仏辞典をていねいに紐解く学者も珍しい。なにしろ買ったばかりのロベール大辞典7巻が6,7年で背表紙ぼろぼろというすさまじさ。本人いわく、「これがないと手足をもぎ取られたようだ」と。うーむ、立派。もうひとつ、つねづね語っていたのは、「仏文を読むときは、考えるんじゃない、辞書を引くのだ」という教えだ。「考えても分かりませんでした」と開き直った学生が、大目玉をくらった光景も忘れられない。

 フランス語の辞書の引き方を教えることのできる数少ない学者だった。一度こういうことがあった。十九世紀前半の小説を読んでいて、わたしは、ある単語の意味がどうしてもうまく捕えられなかった。かろうじて、リトレ大辞典という有名な辞書は引いたのだが、解決しない。それを先生に告げると、では18世紀の辞書を引きなさい、との助言があった。もちろん指示に従って、18世紀フランス語辞典を引いた。でも分からない。その旨を伝えると。その前の時代のユゲ辞典はどうだい、とこうくる。それでも駄目で、つぎはいっそ古語のゴッドフロワ辞典を引く… 終わりのない、ことばの遡上の旅の終着駅はどうなったか。ある日、石井先生は、「ラテン語の辞典にこんな意味が載っていた。おそらくこれだろう。でも君はラテン語は知らんから、ちと無理か、はは」、といって、どうだ恐れ入ったか、という顔をした。クソっ!と思ったが、ことばの旅の醍醐味をはじめて味わった、至福の時でもあった。

 その石井先生が急死して2カ月たつ。今あらためて教えていただいた書物を思い返すと、山なす書物群のなかで浮上してくるのは、なぜか川端康成の『眠れる美女』と藤沢周平の『用心棒日月抄』である。今なお愛読書であるのが、せめてもの恩返しか。

                                                     むさしまる


おいしい本が読みたい●第二十三話

2012-08-15 22:43:42 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十三話  


                               

                             ある人生

 

世界の数十億のなかから、偶々つまみ上げたひとつの人生。おそらく、どこにでもある人生。ほかのどれと交換してもいい人生。少なくとも原作者は、そういうニュアンスの題名を選んだ。それが邦題では『女の一生』に化けた。いわずと知れたモーパッサンの代表作のことである。世上では名作の呼び声が高い。自然主義文学の傑作、とまで絶賛されることがある。現地フランスのポケット版では、トルストイのこんな讃辞が人目をひくようにカバー裏面に印刷されている。

   「『ある人生』は見事な小説である。それは単に、モーパッサンの最良の小説であるばかりでなく、おそらく、ユゴーの『レ・ミゼラーブル』以來、最良のフランス小説ですらある」

文豪トルストイがこうまで褒めるからには… と思いたい。しかし、モーパッサンには、もっとわたし好みの中篇、短篇がいくつもある。狂気を扱った、それこそゾクゾクするような『ル・オルラ』、老衰で今にも身罷りそうな老婆の死期を、ほんの少し早める吝嗇女を主人公にした『悪魔』、そしてなによりも『脂肪の塊』

素直に傑作として肩入れできないのには、わけがある。なにしろ『女の一生』のジャンヌは、なし崩し的に堕ちてゆく。落下したその場所で、せめて少しでも踏んばってくれたらと願うのだが、それはつねに裏切られる。女子修道院を出た当初から、ジャンヌには自分の人生を決める意思が薄弱だ。それが、十九世紀前半に生きた、北フランスの田舎貴族らしさ、なのだろうか。同じ自然主義でも、師匠格のゾラの作品の多くには、悲惨のなかにある力強さがあって、それが救いになるのだが。

 ところが、そんな主体性のない女主人公の一生を描いた作品を、意志力の横溢した女性が気に入るのだから人はわからない。しかも、自分の回想録もずばり『ある人生』と名付けた。『シモーヌ・ヴェーユ回想録』(石田久仁子訳、パド・ウィメンズ・オフィス)のことである。ヴェーユは思わず背筋を伸ばしたくなるほど誠実な知性をもち、それでいて緊張をやんわりとほぐしてくれそうな暖かさもある。その見事な融合が全編を貫いている。じつに知性的な文体だ。それを日本語的な口当たりの良さへといたずらに流さなかった訳者もさすがである。ほんとうの実力がなければこうはいかない。そのヴェーユの一節。

  「ショアに触れることを嫌がる人々がいる。別の人々は語る必要に駆られる。いずれにしても、だれもが皆ショアとともに生きているのだ」

重いことばだ。直接関係しなかったわたしたちにも、なにがしかの切実さを喚起する、重いことばだ。ただ、同じヴェーユから「あの体験を語らずにいられることが私には分からない」という不満が漏れるのは、いささか残念である。語るということは、もう一度それを生きるということである。強く生まれた人間は、語る責務を負う。しかし、弱く生まれた人間には、もう一度過酷な体験を生き直すことはむずかしい。

いずれにせよ、ショアの問題は重くて、厚い。その重さと厚さのなかに、もうひとつ謎がつけ加わる。ヴェーユに好意を寄せて、特別扱いをしてくれたアウシュヴィッツの女監督官である。別格扱いをした理由はよくわからない。立花隆は「確かにガス室ですぐに殺すには惜しい容貌だ」などとナチスばりの書評を書いてるが(なぜなら、この論理からいけば、容貌次第ではガス室ですぐ殺しても可能ということになるから)、容貌ばかりが好意の理由となるわけではない。とりわけ同性の場合、判断はむずかしい。

それこそ「語りえぬ」何かをヴェーユに感じとったのかもしれない。

小説はこの謎を書かれなければならない。ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』(新潮文庫)がまさにそれだ。刑期を終える直前に自殺する、もとアウシュヴィッツの女監督官。なぜ?

                             むさしまる 


おいしい本が読みたい●第二十二話

2012-01-24 09:41:52 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十二話


                                   夢見る力  

                  

 プロボクシングが斜陽になって久しい。かつてあれほど華やかなスターを輩出したジムも、閑古鳥の鳴いているところが大半である。そのわりにジムの数だけは、けっこうある。いかにも場末が似合う、うらぶれたジムに、それでも好んで通う若者がいる。変わってるといえばたしかに変わっている。なにもこんな地味な、スポットライトの当たらない孤独なスポーツに、どこが面白くて毎日通うのだろう。

 健康志向で週に一、二回というのなら話はわかる。だが、プロボクサーを目ざす者は日曜を除いて毎日のジム通いが当たり前だ。それを3、4年ほど続けてプロテストに合格できそうな実力がついたとトレーナーが判断すれば、テストを受けさせてもらえる。このときの不合格であきらめる人も多い。

 晴れて合格した者はそのときからC級のプロボクサーだ。C級で4勝すればB級が待っている。しかし、大半はこの階級で勝ちを拾えなくて去ってゆく。4勝ははたから見るほど楽ではない。

 そもそも小さなジムに所属していると試合そのものの数がかぎられる。資金力の豊富な、したがって自力で主催試合を組織できる有名ジムならいざ知らず、地方の、都会の場末の貧弱なジムは相手からのオファーを待つしかない。小ジム所属の選手は、待つことを知らなければならない。いつ来るとも知れぬオファーを。

 一年に一回あるだろうか。あるいは二年に一回あるだろうか。そんなオファーを心待ちにしながら黙々と練習をこなすのが、プロボクサーの日常的光景である。もともとストイックでへこたれない奴もいる。それは才能というものだ。しかし、多くの凡庸な人間はともすればくじけそうになる。じっさい、ある日突然ふっと姿を見せなくなる者もけっこういる。かろうじて張っていた一本の細い線が、何かのはずみで切れたのだろうか。不思議なことに、負けたからやめます、と宣言して去っていった人より、なにもいわずに向こう側に行ってしまった人の方が、後姿がくっきりとこちらの脳裏に残るものだ。

 では、凡庸なプロを抱えざるをえないジムはどう対処するか。ここで物をいうのはトレーナーという伯楽の力である。試合に負けても、なかなかオファーが来なくとも、いつか来るであろう次の試合を待つ力、それをじょうずに育ててやるのがトレーナーだ。待つ力、それはとりもなおさず、夢見る力である。いうまでもなく、負け試合のときがこの夢見る力がもっとも弱くなるときである。ということは負け試合の後こそ、トレーナーの腕の見せ所になるわけだ。

 『遠いリング』(後藤正治著、岩波現代文庫)のなかで、筆者後藤に語った、エディ・タウンゼントの一節は、名伯楽と謳われたエディのトレーナー力、あるいは人間力を示して余りある。

 「…負けたときが大事なの。勝ったときはいいの。世界チャンピオンになったら、みんなウォーッといってリングに上がりますね。だっこして肩車しますね。狂ったようになりますね。でもボクならない。一番最後に上がるの。よかったね、おめでとう、というだけよ。夜、ドンチャン騒ぎありますね。でもボク騒がない。ナイスファイト、また明日ね、といって帰るの。でも負けたときは最後までいます。病院にも行くの。ずっと一緒よ。それがトレーナーなの。わかります?」

 わかる気がする。名伯楽は寄り添い、夢見る力の源を温めてやる。それでも選手の熱源が枯渇するときは、かならず訪れる。そのときは舞台を降りる道を、できるかぎりさわやかな道を、用意してやる。おそらくその道は、伯楽その人自身が人生を降りる道とつながっていることだろう。

                                             むさしまる


おいしい本が読みたい●第二十一話

2011-08-16 07:14:46 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十一話  


                                       在日の…  



 「子供のころは、毎日毎日、ニワトリの卵を売って歩いていたな、アボジに仕事がなくてさ。あのころは、せつなかったよ」。いつか仕事の後で、ふだんは茶目っ気たっぷりの朴さんが、酔いに誘われたようにしんみりと言った。「そのせつなさを、後の人生に活かしたようにはみえねえぞ」。そうからかうと、妙におとなしく「へへへ…」と笑うばかり。

 後にも先にも「せつない」過去を朴さんが語ったのはこのときだけだ。父親の出身地済州島のこと、「北」のこと、日本の政治のこと、ギャンブルのこと、酒と女はいわずもがな、話題は百般におよぶけれども、こちらが無理に追及しないかぎり、あの時代のことは触れたくなさそうな雰囲気が今もただよう。

 あれもひとつのオーラル・ヒストリーなのか、そう得心したのは『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編、集英社)に手をつけたときだった。『砧を打つ女』(李恢成)の抒情、『血と骨』(梁石日)の泥臭、『Go』(金城一紀)の軽快などなど、いわゆる在日作家の受賞作品にはもともとわたしとウマの合う部分が多かった。けれども、これらのフィクションからこぼれ落ちていたものが、『在日一世の記憶』にある。そのなかのひとつが、文字を手にしていない在日女性たちの、表現手段を求める”切実さ”である。 ひとつの例として、「働いて、働いて、働いて」の姜必善(カン・ピルソン)さんの言葉に耳を傾けてみよう。おそらくすべてがここにあるのではないだろうか。


  
ひらがなカタカナを覚えたなあと思ったら、先生が「姜さん、名前稽古しよか」といわれましたんや。うれしいこと、うれしいこと。ひらがな、カタカナよりも自分の名前まず教えてもらいたかったんですが、恥ずかしゅうていわれへんでしたんや。 先生に「わたしの名前は“あらいあさこ”やけど、どないしてかきまんにゃ」というと、福西先生が、「本名、先覚えましょう」というてくれて初めて書きましたんや。ひらがな、カタカナ、自分の名前を書いて、いままで目が見えなかったんがパーッと見えてきた感じでした。


 87歳で夜間中学に通う姜さんは、こうしてほとんど晩年に、書き言葉という表現手段の初歩を、手に入れつつある。それが両親の母語ハングルでなく日本語だということの意味は、わたしたちが考えるべきことだ。

                                むさしまる


おいしい本が読みたい●第二十話

2011-05-15 07:26:42 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第二十話  

                                    

                     怒れる若者  

 

 若者相手の仕事をしていると、ときに望外の収穫を手にすることがある。そんな機会は年を追うごとに少なくなっていることは紛れもない。しかしやはり、たまさか訪れてくれる、ありがたいことに。

 半年ほど前に知り合ったその若者の様子にとりたてて人目を引くところはなかった。どこにでもいる若者のひとりにすぎない、とわたしには思えた。ところが、あるとき彼からメイルが届いた。そこには、自分は日本人ではない、というセリフが呪文のように、並んでいた。彼の出身地は奄美である。

 メイルをもらって咄嗟にわたしの脳裏に浮かんだのは、目取真俊の作品だった。初期短編集『平和通りと名付けられた街を歩いて』(影書房)に登場するあの老婆は、肉体も精神も老いに蝕まれながら、なお体の奥底に「本土」への怨をドス黒く抱え込み、沖縄復帰祝賀パレードの皇室車に、そのドス黒い糞をなすりつける。言語という表現手段をもたない市井の老婆が、不自由な身体を逆手に取って、みごとな攻撃を創出したのだ。

 近作『眼の奥の森』(影書房)は、十年前の『魂込め(まぶいぐみ)と同じように、米軍に翻弄される沖縄の物語だ。ただし、作者の名誉のためにいっておくと、物語ははるかに複雑な構造を与えられているから、けして旧作の焼き直しではない。

 ここでもまた、セイジという若者の米軍への、そしてその陰に日本本土への、怨が色濃い。たかだか魚用のヤス一本を武器に、絶望的な攻撃を米兵にしかけるセイジ。もとより結果は見えている。しかし、だからといって、なにもしないでいることはできるだろうか。

 「ちかりんどー、セイジ(聞こえるよ、セイジ)」という沖縄のことばが、それこそ呪文のように、耳に焼きつく物語だった。

  さて、冒頭の若者に話をもどそう。彼の呪文には、あまりお目にかかれない怒りが感じられて、わたしはここ数年味わったことがないくらいに心を動かされたのだった。どこかしら、「個の怒り」を超えた「類の怒り」のようなものを感じたのであった。それはたしかに、冷静に制御しなければ、ありきたりな情緒で終わってしまうおそれは付きまとう。けれども、もつべき正しい怒りが少なくなってしまった今日では、いっそ貴重であることは確かだ。あの、フランツ・ファノンの『地に呪われたる者』だって、怒りあってこその迫力ではないか。だからやはり、心から応援したい。

 若者よ、クールに怒れ!                               

                                 むさしまる


おいしい本が読みたい●第十九話

2011-03-02 22:39:08 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十九話 

                            
                                   
                  セリーヌ VS 隆慶一郎

 

 昨夜遅く、“学生さん”が逝った。享年六十一。ゆえあって本名は明かしかねる。といって、著名人だからというわけではない。ほぼ九分九厘、わたしたちと同じように、彼は無名だろう。三十年くらい前は、多少知名度はあったかもしれない。十数年間にわたり、ある音楽雑誌の記事を書いていたという話は誰かの口から聞いたことがあったから。                   

 “学生さん”は生きることを、じつに淡々とこなした。社会的地位という意味でいえばりっぱな落ちこぼれでありながら(雑誌編集者をアルコールのせいで首になってからの半生はアルバイトで生活した)、おのが悲運をかこつわけでもなく、過去は語らず、発掘の手伝いにそれなりに充足しつつ、集めた土器のかけらのことを、ポソポソと、話した。  

 さぞや、家庭的には円満だったろうと思ったら、まるで違う。そもそも根っこは身勝手な男。まわりの迷惑なぞ歯牙にもかけない。電車の中だろうと、喫茶店の中だろうと、スティック片手に、所かまわず叩きまわっては一人で悦に入る。一緒にいると気が気じゃない。                                                           

 そういう、いびつといったら実にいびつな人間だが、これは見事だと思えるのは、自分の美学に合わない権威は一顧だにしない反骨が根底にあったことだ。その彼独特の美学が語られるとき、思わず爽快感を覚えるほど、古典的権威を無視したことはいうまでもない。実物の権威者の目の前で、ケッ!という言葉を吐くことも一再ならずあった。ただ、見てると気持ちがいいが、少し離れているほうが無難だった。

 さて、この変人 “学生さん”に、あるときお勧めの本はないか、と尋ねたことがあった。誤解のないよういっとくと、彼は相当な読書家だったはずだが、傍目にはそうは見えなかった。読んでるが読んでいる顔をしない、という人はそこそこいるが、それともちょっと違って、読んでいる匂いがしないのだ。ほかの匂いが強烈で…ということかもしれない。  

 ともかく、そのとき彼が口にしたのは、「セリーヌの 『夜の果ての旅』 と隆慶一郎」 だった。                             

 セリーヌのほうはこちらもお気に入りだったから、偏屈な彼と共通点が見つかって、正直うれしかった。ところが、もう一方の隆慶一郎はまるっきり知らなかった。あとで、こっそり 『鬼麿斬人剣』 というのを読んで、時代小説の世界にひたるきっかけになった。 セリーヌと隆慶一郎という組み合わせは、異色の組み合わせと映るだろうが、まったく無縁というわけでもない。これも後で知ったことだが、隆は仏文出身なのである。小林秀雄に私淑していて、小林の目の黒いうちは大衆小説を書けずにいたという話は聞いたことがある。      

 セリーヌはともかく、それからのわたしは、隆から、杉本、司馬、山本、吉村、藤沢、北原、乙川と、ありきたりな時代小説好きの道をたどってここまできた。しかつめらしい純文学をある意味でささえる大衆文学の豊かさを教えてくれた一人が、本人はそんな気は微塵もなかったろうが、あの“学生さん”だったのだ。畏友というのは少し気が引けるし、彼には似合わない。だが、恩人といっても許してもらえるだろう。誰からも振りかえられない人生をあれだけ何気なく生きる爽快さ、それをわたしに見せてくれた恩人だからである。

 合掌                                           
                                   むさしまる


おいしい本が読みたい●第十八話

2010-12-01 14:46:58 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十八話 

           
             
イスラームを通して見る世界  

 

 日経新聞の読書欄に、歴史学者成田龍一のいくらか自虐めいた一文がのっていた。アナール派の泰斗マルク・ブロックから刺激を受けて、かつて自分たちも感性の歴史を研究して意気揚々としていたが、ブロックにとってはあくまで出発点にすぎなかった、というのだ。つまり、ヨーロッパに追いついたと思っていたら、あちらはさらに先に進んでいたという話。算数のウサギVSカメ問題のように、この思考方法だと決して追いつくことはない。そもそも同じ競争路を進む必要はどこにあるのか。

 こんな別件もある。十九世紀イギリス・ロマン派の研究書が刊行された。多年にわたる調査・研究の集大成で、類書では群を抜く。敬服に値する労作である。それでも、読んでいてふと疑問が頭をもたげる箇所がある。各章の最後で、さあここで決めの台詞をという段になると、かつて留学先で薫陶をうけた指導教授の分析方法が、必ず使われるのである。ヨーロッパの現象を、ヨーロッパ人の作った分析コードで研究すること、それをわたしたちがやることの意味はなんだろう。  

 こんな疑問がわだかまっていたところに飛び込んできたのが、『失われた歴史 イスラームの科学・思想・芸術が近代文明を作った』(北沢方邦訳、平凡社)である。そうだ、イスラームという視座があったのだ。明治以来、ヨーロッパ文化至上主義の大合唱を聞いて育ったわたしたちは、西洋VS東洋の対立軸でものを考えることに慣れてしまっている。だから、ともすれば、どちらが善か、どちらが優秀か、といった二者択一の罠にはまりがちだ。こんな東西の対立軸を相対化するには第三の視点を求めるしかない。    

 だからこそ南アメリカやイスラームからの視点が貴重である。けれども、どちらの分野も、選択に悩むほど資料がそろっているわけではない。どころか、単発的な著作が志のある出版社から細々と世に問われるにすぎない。現地の人びとによる著作はさらに限られる。イスラームの場合は、さらに、キリスト教ヨーロッパによって意識的に無視され、歴史を奪われてきた。わたしたちの「世界史」はキリスト教を中心とした強者の世界史にほかならない。ゆがんだ歴史をすこしでも修正するために、奪われた歴史をすこしでも回復するために、『失われた歴史』の一読をぜひともすすめたい。                            

                     むさしまる


おいしい本が読みたい●第十七話

2010-10-14 09:09:48 | おいしい本が読みたい
おいしい本が読みたい●第十七話 


             
                踊る女と描く男



                  
 梶山季之の純文学作品と聞いて、おやっと思う人は多いだろう。そう、相応の年配者にとって梶山は、宇野、川上とともに官能小説の御三家として名を馳せていたからである。だが、たしかに彼は、故郷ともいうべきソウルを舞台にした、『李朝残影』(文芸春秋)を遺している。しかも直木賞候補作となった佳作である。韓国併合100年のいま、これを読まぬ手はないとページをめくった。  

物語は、植民地朝鮮の風俗を背景に、日本人の青年画家と李朝時代の宮廷舞踏を踊る美しい妓生(キーサン)との交情、そしてその突然の破局を描く。  

見る側の男性(画家という職業はまさしく象徴的だ)と見られる側の女性という、支配―被支配の構造は、植民地を舞台にした物語では珍しくない。宗主国:男VS植民地:女という構図が恋愛(性的欲望)の構図と重なり合う。彼らの恋愛を成立させないことが、植民地支配者側に生まれた作者の、彼なりの主張、誠実さということになろうか。
  
内容に関して、ポストコロニアリズム風の切り口で分析するべき点は多々あろう。それは別の機会にということにして、ここでは気になった個所を一つだけ記す。画家が女性の踊りを目の当たりにして、絵のなかに封じ込めようと決意する、作中もっとも大事な場面だ。  

「それは梅の梢から梢を飛び交う、鶯を模しているのであろうが、足捌きは少ないのに部屋いっぱいを舞っているような、そんな天衣無縫さが感じられるのも面白い」  

この文の前後にも数行の描写があるが、見てのとおり特別変わった表現が使われているわけではない。つまり、きわめてありきたりな、あえて言えば凡庸な描写で終わっている。これに対し、画家が山寺で飲んだ「梨薑酒(リキョウシュ)」なる強い香気の酒を語る筆は、いくぶん通俗的な語句に侵されているとはいえ、はるかに生彩がある。描写全体も長い。むろん、この酒は彼女のイマージュとつらなってゆく。  

「この梨薑酒は、口に含むと一瞬、清冽な香気が、ツーンと鼻を撲つのだった。その香りには、馥郁として咲き誇る沈丁花のような強さと、北風が渓谷を通り抜けるときのような冷徹さがある」

 おそらく梶山は実際にこの銘酒を口にし、忘じがたく思うほど体が痺れたに違いない。逆に、肝心の宮廷舞踏は見ていない、すくなくとも、心を揺さぶられるほどの舞踏体験は、ない。肉体を通過しないことばは、やはりどこか頼りない。そんな根源的なことばの「力不足」が、ついにこの佳作を、作者の意図と裏腹に、植民地物語の枠内に圧しとどめた気がする。                                                           

                             むさしまる

おいしい本が読みたい●第十六話

2010-08-23 10:22:03 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十六話 
             

                
                                 昔のブラジルから本が届いた
  


 いつ頃から興味をもったのか、何のきっかけでそうなったのか、自分でもよくわからないのだが、気がついてみたら机の周りに何冊か、こっちを見てごらん、と言わんばかりに自己主張をしてくる本がかたまっている。ラテン・アメリカの本たちだ。  

 いま自分のいる場所からもっとも隔たったところ。クレオール的文化への憧れ。そのあたりに興味の理由があるのかもしれないが、嫌いな理由は言い易くても、好きな理由はいわく言い難いことのほうが多い。

 で、これまたなんとなく、学校の図書館の歴史関係の書架を眺めていて、おやこんな本が、と目に留まったのが、ジルベルト・フレイレの『大邸宅と奴隷小屋 -家父長制家族の歴史』(鈴木茂訳、日本経済評論社2005)だった。

 原著の初版は1933年で、いかにも旧時代の著作ではあるけれども、今世紀になって訳されるだけの価値はある。ブラジルの家父長制というかプランテーションの歴史を、これだけ膨大な資料を踏まえて、巨細にわたって論じた書は、少なくとも日本のなかでは、他に見られないと思う。

 惜しまれるのは、社会史の名著として名を残すだけの分析力と総合力をかねそなえ、さらに、学術的著作に欠如しがちなある種の熱情を投じていながら、その熱情がときとしてブラジル国民論に横滑りし、そこからナショナリズムへと昇華する道筋がほの見えることである。  

 昔日の大航海時代の先駆けから欧州の貧乏国へと落剝の身を晒すポルトガル、その末裔をもって任じるフレイレのブラジルは、世界恐慌をむかえた当時、まだまだアメリカに無条件の隷従を強いられる遅れた大国にすぎない。アメリカの大学に学んだフレイレには、だから、なおのこと自国(民)の可能性を信じてやまぬ思いは強かったろう。その点は加味してやらねばなるまい。  

 さて、わたしにとって大いなる収穫はふたつ。ひとつは、イザベラ・アジェンデ『精霊たちの家』のなかで、主人公が自宅中で先祖の亡霊としばしば出くわす、その理由の一半が理解できたことだ。作者イザベラはたしかに、その手の能力を有する特異な人である。彼女の他の著作をひも解けばそれは了解しうる。  

 しかし、別の与件も必要らしい。すなわち、イザベラがブラジルの伝統的家父長制にふさわしい家に育ったことなのだ。プランテーションでは敷地内の母屋(それがカザ・グランデ=大邸宅)に隣接して礼拝堂が配置され、そこに故人の亡骸も埋葬される習慣があったとフレイレは記す。つまり死者と生者がまさしく同居するのが家父長的家屋の伝統であって、イザベラの幻視も風土に根ざしたものともいえそうだ。

 もうひとつの収穫は、土を食べる風習のこと。ガルシア・マルケス『百年の孤独』だと記憶するが、お姉さんが壁土をこっそり食べる悪癖を治せないでいるシーンがあった。また、飢餓に悩む現実のハイチで子供たちが泥のビスケットを齧っているとの報道もあった。かねて不思議な符合だと思っていたら、フレイレの記述に、土を食べる悪癖に染まった奴隷の幼児のことがでてきた。アフリカ人奴隷たちが自殺手段の一つとして用いたものが、「奴隷であると自由人であるとを問わず、広く子供たちも染まっている」奇妙な習慣となったらしい。ブラジルからコロンビア、ハイチへと、500年の植民地支配の重みは、やはり、いちばん脆弱な子供たちにのしかかるしかないのか。  

 それはそれとして、柳田国男の『遠野物語』にも、一人息子が大阪の戦に駆り出され、土を食っていた婆様の話がある(婆喰地(バクチ)という地名の由来話)。こちらは食べ物に困ったあげくというのでもない。

  洋の東西は思わぬところで袂を分かたぬ。それを教えてくれたのも、フレイレであった。多謝。

                                        むさしまる


おいしいほんが読みたい【15】

2010-04-02 21:42:15 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十五話 


                                 物語の快楽  


 物語好きでジュール・ベルヌの名を知らぬ人は少ないと思う。たとえ彼の名を知らなくとも、『地底旅行』とか『十五少年漂流記』とか『海底二万里』とかの名前はどこの小学校の本棚にもあったはずだし、ご飯もおやつも、もちろん宿題も、忘れ果てて、このどれかを読み耽った日々が懐かしい人も多いだろう。わたしもまたそのひとりだ。  

 で、ある日、思い立って『海底二万里』(私市保彦訳 岩波少年文庫)を手にとった。懐かしさに誘われて、というのとはちょっと違う。少年の頃に夢中になった世界は、社会化を経た今の自分にはどうなふうに映るのか、知りたくなったというのが近い線だ。懐かしさがなかったわけではないが…その背景には、ひとつのエピソードがある。本を読む前の夏のことだが、幼い頃に眺めては、野獣の住む大きな森だと好奇心と畏怖のこもったまなざしを投げかけたところが、なあんだちっぽけな林じゃないか、という気持ちになったことがあり、『海底二万里』だってひょっとして、と気になったわけである。  

 この確認作業にいくらか問題があるとすれば、それは、読むテキストが異なるということだ。少年の頃のそれは、たしか講談社の少年少女世界名作全集のような名前のダイジェスト版だった。しかし物語の本質的な部分は異ならないはずだ。  

 前置きはさておき、完訳版『海底二万里』。いや驚いた。どうしてこんなに面白い物語が、少年少女の専売特許になっていなければならないのか。社会生活に疲れた世の大人たちこそ、『海底二万里』を読まないでどうすると、啖呵のひとつも切りたいほどだ。厭世家ネモ船長にわが身を仮託するだけでも、ある種のカタルシスをえることができる。そもそも、海のなかは地上はまったくコード体系が異なる世界だから、ノーチラス号に乗った瞬間からすでに、そこは完全な物語空間なのだ。博物館の系列が好きな人のなかには、同じ系譜の水族館マニアがいるものだが、そういう人には、とりわけ堪えられない世界だろう。  

 もうひとつ、完訳版ならではの収穫があった。ジュール・ベルヌの博覧ぶりである。ともかくすさまじい量の海洋生物の名前。百科事典の国フランスの面目躍如といったところだが、出版者エッツェルの意図をくんで教育的配慮が働いているのだろう。  

 もちろん、教育的配慮ばかりではない。この作品が世におくられたのは1870年、ときあたかも万国博覧会がフランスでもてはやされた頃である。1851年のロンドンに初登場した万国博は、1889年のパリ万博で英仏二強時代に入る。この博覧会はありとあらゆる「もの」を分類するまなざしに満ち満ちていた(この辺りの事情は吉見俊哉の『博覧会の政治学中公新書)が格好の案内書)。  

 まなざしということは、とりもなおさず欲望ということだ。すなわち、「もの」に対する、圧倒的な、肥大した、欲望だ。百貨店の出現もその欲望表出の一形式である(博覧は百貨にほかならない)。だから、1898年のパリ万博でシンボルとなった塔の設計者エッフェルが、世界初のボン・マルシェ百貨店の設計を手がけていたとしても何の不思議もない。そして、その欲望のもうひとつの対象が植民地であったろう。『海底二万里』刊行の五年後には、あの史上名高い(というか悪名高い)ベルリン会議が控えている、アフリカという獲物を直線で切り刻んで、西洋列強間での分け前を配分した、あの会議が。  

 が、どうやら大人の欲望に筆が流れすぎたようだ。なにはともあれ、ノーチラス号に乗るのが先決である。物語を子供だけに任せておく手はない、誰でもノーチラス号に乗っていいのだから。それでも読むのをためらうのなら、あと一押しするために、須賀敦子が引用しているスペインの哲学者フェルナンド・サバテール(『物語作家の技法』みすず書房)の一節をおくろう。  

     「感性の麻痺した大人として、土曜の午後に訪れるあの管理された
     現実逃避の感覚に包まれながら、霧深い魂の故郷へと降りていく」
     手段としての「物語」
 (須賀敦子全集、河出書房)                               

                                             むさしまる


おいしい本が読みたい【14】

2010-02-21 21:23:57 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十四話
 
                       肖像画は語る  


 新書版の見開き2ページで一人、百人で二百ページ、これで一冊。何の話かと言えば、出久根達郎の『百貌百言』(文春新書)のことだ。あとがきに「人の特徴は、逸話と言葉に、端的に表われる。人の面白さも、またこの二つにあろう。すなわち風貌と言辞である」と記されている。で、このタイトルか。 

 それはそれとして、2ページの額縁に個性豊かな百人を過不足なく封じ込めてゆくのは、並大抵の業ではない。しかも、一筆書きの妙がある。達意の文章家たる出久根の面目躍如といったところで、一読を勧めたい。 

 これとは対照的に、木村俊介の『変人 埴谷雄高の肖像』(文春文庫)は埴谷雄高ひとりを描くために、27人にインタヴューした作品である。出久根の肖像画が一筆の色でひとりを染め上げたとするなら、こちらはひたすら黒子に徹して自分色を排し、他人の意見という借りてきた出来合いの色彩で、厄介な肖像画を仕上げたことになる。なるほど、こういうブリコラージュもある。 

 面白いのは、いかに変人とはいえ、埴谷にたいする印象がこうも違うかというところ。並み居る作家連中がそれぞれ自分の読み取りたい埴谷像を、あるいはこう言ってよければ、自分の身の丈に合わせた埴谷像を描いている。そこが筆者というか合成家の木村がそもそも目指したところらしい。「無理やりたった一つの、「真実」の埴谷雄高像を抽出するのはやめようと思った」とあとがきにある。 

 そのたった一つの「真実」ならぬ「誤ったベートーヴェン像」を「一掃したい思いに駆られ」て心血を注いだのが、青木やよひの遺作『ベートーヴェンの生涯』(平凡社新書)である。これはまた、一個の天才の生涯をまさしく生涯をかけて描ききった労作だ。「生涯をかけて」を「生涯を賭けて」と言い換えてもいい。なぜなら、半世紀をこえる研究期間の長さだけでなく、病魔に襲われた肉体の限界をこえて、原稿用紙の文字に、残されたエネルギーのすべてをそそぎ込んだからである。鬼気迫るとはこういう執筆執念をいうのだろう。 

 上記二作とはまったく趣を異にする、正面切った闘い、みごとな一騎打ちではないだろうか。その証拠に、遺された肖像画は、青木やよひでなければ書きえないような、「きわめて人間的で徹底した自由人であったベートーヴェンの相貌」を、不思議と静けさが漂う筆致で描いている。 

 「青木ベートーヴェンの誕生」だけなら手放しで喜べたのだが…                               

                                むさしまる 


おいしい本が読みたい【13】

2010-01-14 16:11:36 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十三話 

                              故人に捧げたい物語  

     「フランスのある田舎では昔、誰かが亡くなったとき、
                 司祭が蜜蜂にそれをささやき、
               村に野に告げるよう言ったという」  

 去る11月に物故した思想家レヴィ=ストロースを追悼して、港千尋はこんな風習を想起した。司祭だからカトリックのはずだが、どこかケルト文化の残響が感じられる。草深い村落の生活には、いにしえの風俗がかすかに息づいていることもあるだろう。  

 ともかく、わたしはこの挿話を気に入った。誰がどんな形で亡くなろうとも、蜜蜂に伝えられたそのときから、人の死も自然の中のひとつの循環にすぎなくなるかのように思えるからだ。司祭がささやくからには蜜蜂もささやかねばならない。その「蜜蜂のささやき」が伝えてくれる訃報には、人の言葉には還元できないある慰撫する響きがこもっていてもいい。  

 フランスには別の伝承もある。南フランスのポー地方の言い伝えでは、雨上がりの空に虹がかかると、亡くなったばかりの人の霊がそこを渡ってゆくという。これまた、惜別の悲しみを穏やかに中和するような、いくぶん詩的なイマージュを誘う。虹の彼方にある世界への旅、という水平運動には、キリスト教的な上昇と異なる嗜好を読めるような気もする。  

 日本にもこうした伝承は数多あるに違いない。わたしも子供時分に祖母からそれらしき物語を聞いた気がするのだが、たとえば夜汽車の汽笛が聞こえたら魂が…とか、山裾の清水で足をふいて…とか、断片だけがちぎれて記憶に残っているだけで、全体の造形はもうできない。  

 そのかわり、身近な人が亡くなったときに必ず思い浮かべる物語がある。小川未明の『金の輪』である。  

 しばらく病床にあった男の子は小康をえて近所の遊び場にゆく。ふだん子供らで賑やかなそこは不思議に閑散としている。と、二輪車に乗り金の輪を手にした見知らぬ少年が、懐かしそうな笑顔をたたえてやってくる。次の日も同じことがくり返される。そしてその夜、男の子は高熱をだし身罷る。  

 早世の悲劇である。けれども、男の子の死の冷たさは、見も知らぬ少年の、輝く金色の輪と懐かしそうな笑みで、いくぶん和らいでくれる。ひょっとして、男の子の赴く世界に少年が待っているかもしれない。そうでなくとも、金の輪と笑みは、“寒くない”彼方の世界、を希望させる力に満ちているのではないか。

 去る11月、じつは、わたしの恩師のひとりである青木やよひ先生が逝った。わたしは、小川未明のこの物語を思い浮かべながら、伊豆急に揺られた。今はただ、“寒くない”世界をお祈りするばかりである。                               

むさしまる


おいしい本が読みたい【12】

2009-10-23 09:47:52 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十二話 

                             心のミカンの物語   

 わたしにとってバナナとミカンは切っても切れない関係にある。冬の越後の仏壇にはいつもこのふたつが、美味しそうな色つやを競っていたから。四季をつうじて色とりどりの果物にかこまれるようになった昨今では、希少価値のないバナナとミカンの有難味はすっかり地に落ちたけれども、あの黄色、そしてとりわけオレンジ色は、今なお気持ちをなごませてくれる。きっとそこには、二つの物語の力が働いている。

 ひとつは、そのものずばり『蜜柑』。いうまでもなく芥川龍之介の短編である。冬の夕暮れどき、列車のなかで、垢じみた小娘の場を弁えぬ振る舞いに、いささか侮蔑のこもった嫌悪感をいだいていた「私」が、踏切近くで見送る弟たちにミカンを投げる彼女に、一転して暖かな慰安をえる、という筋書きだ。冬空に落下するオレンジ色は、生きる疲れに倦んだ「私」のくすんだ心を、ほんのつかの間、やわらかい色彩で染め上げてくれる、まるで夕陽のように。それにしても、重苦しい曇天に踊るミカンという対照の、なんとあざやかなことか。  

 どうも芥川はミカンの暖色が相当気に入っていたらしい。というのも、もう一編の物語のほうもまた、同じ作者の『トロッコ』なのだ。  

 少年良平は自宅近くから軽便鉄道のトロッコを押してゆくのだが、あまりの嬉しさに我を忘れ、海が開けたところで遠く来すぎたことを悟り、べそをかきながら走って帰るという物語である。中学校の教科書で読まされたとき、まったく面白さを感じなかった。数年前読んだときもやっぱりそうだった。ただ、その折に始めて気がついたのが、ミカンのことである。  

 少年は最初に、ミカンの実っているあたりを通り、ついで枯れた竹藪に沿い、そして突如視界が開け、寒々とした海原が目に飛び込んでくる。この海原の光景で少年の心細さは頂点に達する。芥川はこの三点の情景で、嬉しい暖色のミカン色から、ちょっと不安の入りまじった中間色の枯れ草色を通過し、最後は冬の太平洋の寒色、と少年が母の元を離れるにしたがって、暖から寒へと心模様を景色の色で点綴したのであった。  

 こんなぐあいにして、わが家の仏壇のそうでなくとも暖かなミカン色に、芥川の蜜柑が、さらにあざやかな彩りを加筆してくれたのであった。やはり、ミカンはふるさとの団欒にこそふさわしい。となると、遠き都の夕暮れに、ここぞと食するのはミカンしかない。

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おいしい本が読みたい●第十一話

2009-08-30 20:45:14 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第十一話   
                   バナナは世界をつなぐ  

 中南米のバナナのいかにもラテン系らしい開的な甘さもすてがたいのだが、バランゴンバナナときたら、ほのかな渋みがあるぶん、甘味がくぐもっていて、すこぶるつきに美味い。バランゴンの主な産地はフィリピンのネグロス島、すなわち、第二次大戦の激戦地レイテ、ミンダナオに程近い。先日も、ある新聞に「ネグロス島で従軍…」という回想記があったから、かの世代には忘れがたい土地名のひとつだろうと思う。  

 さて、そのバランゴンバナナを週一回、他の農作物といっしょに配達してもらうようになって十年ほどになるが、バナナのはいった透明のビニール袋に一枚のニューズレターが添えられてくる。縦二十センチ横十二、三センチほどの紙の裏側に、三十行弱の文章と小さな写真が一葉、たいてい二つ折りになって入っているから目に触れにくいが、今週で175号をかぞえる。  

 記事の内容はとり立ててどうってことはない。バナナ栽培・収穫にまつわる苦労、収益金からふくらむ夢といった、おそらくどこの農村、山村にもついてまわる類の日常の話である。そんな「山岳地帯に暮らす先住民であり零細農民」のいわば世間話が、一枚の小さな紙片に、肩をすぼめるように載っている。  

 貧しい彼らの世間話はとても似かよう。けれども、不遇を語る表情はそれぞれに異なり、遠目には同じような苦労が、語る人の表情につれて微妙に陰影を変えてゆく。同じように裏山のバナナの葉が台風にやられたとしても、気力にあふれたラシガンさんと、エネルギー不足のデマイシップさんとでは、不幸の破壊力が決定的に違う。  

 手なずけがたい自然を相手に作物をそだてる、海の彼方のこうした労苦がわたしの体に響いたとすれば、それは、まさしく紙切れ一枚の、ただし十年近い歳月の、威力ではないか。週間新聞の連載小説を読んでいるようなものだ。旅行記やガイドブックではけしてこの醍醐味はあじわえない。  

 バランゴンのくぐもった甘味には、もうひとつの醍醐味までついてきたというわけだ。そればかりか、フェアトレードには当然のことながら、生産者への正当な還元もある。たとえば、今週号に載ってる初代バナナ出荷担当者はこう記す。  

 「こうした困難に屈せずに出荷を続けられたのは、ネグロスの人達の自立というバランゴン事業が目指す目標があったからです。生産者の子供たちが学校に行けるようになったり、台風で壊れた家が修理できたりと、具体的に人々の暮らしが良くなっていくのを実感できたからです」  

 このネグロス島とつながるのだから、わたしの食いしん坊のバナナ好きも、まんざら捨てたもんじゃない。                                             

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