一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【135】

2012-12-17 09:46:44 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【135】
Kitazawa, Masakuni  

 今年はさすがの伊豆も寒い。朝夕の冷え込みと何度かの木枯らしで、ほとんどの落葉樹の葉が落ち、強風に吹きしぶき、白い波頭をあげる海がくっきりと広くみえるようになった。動物たちもあわてたのか、いつもなら手をつけないわが家のまだ青い柚子の実が、タイワンリスにごっそり盗られてしまった。鍋物の季節となったのに残念。  

 年末が近く、各地でベートーヴェンの『第9交響曲』が演奏され、歌われる季節でもある。その一環であるが、「あさひかわ第9の会」の招きで、旭川市民会館において会の10周年記念特別講演を行うことになった。以下はその要旨である。

                     第9に聴くベートーヴェンの思想
                         
北 沢 方 邦  

 いま近代文明は岐路にさしかかっているといっていい。資源やエネルギーの浪費による深刻な環境破壊(原発事故はその最たるもののひとつである)や気象変動によって破滅と終末に向かうのか、再び大自然の恵みによる効率化した再生や再循環にもとづく脱近代文明を構築し、人類の生き残りを目指すかである。  

 われわれ日本人が年末に、あたかも宗教儀礼のように聴くのを好む『第9交響曲』と、それに象徴されるバートーヴェンの晩年の思想は、この大問題に対するひとつの答えを示しているといっても過言ではない。なぜならそれは、近代および近代文明を超える道を指し示しているからである。それを語るために、一見迂遠と思われるかもしれないが、近代の思想的状況を回顧することからはじめたい。

                 18世紀:近代の大分裂の時代  

 16世紀の宗教改革以来歴史としての近代ははじまったが、いま袋小路に陥った近代文明は、「啓蒙の世紀」とよばれる18世紀にその基礎となる世界像を築いたといえる。

 すなわち数世紀にわたる血腥い宗教戦争への反省から、神や信仰は個人の問題として棚上げをし、現世としての社会を理性にもとづいて統治し、理性に従ってすべてを支配するという合理性の追求がはじまった。これを推進したのが啓蒙思想である。

 すでに17世紀のデカルトが、この現世の認識を可能にするのは人間の主観性であると説き、その外にある世界を客観性とする二元論を提唱していたが、合理性の追求も、その両面にわたって行われることとなった。  

 すなわち一方はいわば客観的世界であり、科学や技術の合理性の追求、他方は主観的世界としての哲学や思想などにおける合理性の追求である。

 客観世界のひとつである経済的合理性の追求は、すでに近代資本主義体制を生みだしていたが、18世紀末産業革命を引き起こし、数次にわたる産業革命によって文明の物質的基礎を築きあげ、今日にいたっている。軍事的合理性の追求のひとつの結果が原水爆であるように、経済的合理性追求のひとつの結果が原発である。  

 原水爆や原発が恐るべき負の側面をもつように、合理性の追求は、同時につねに非合理性を生みだすことを忘れてはならない。経済合理性の追求は環境破壊や資源・エネルギーの浪費という大いなる非合理性を生みだし、政治合理性の追求はすでに18世紀、フランス革命に典型的にみられるように、情念の反乱という革命自体を裏切る非合理性の嵐をもたらした。それはイデオロギーの仮面をかぶりながらも、ナチズムやスターリン主義にいたるまでつづいている。

 また哲学や思想では、主観主義と客観主義の分裂を生むと同時に、それは最終的に20世紀において、主観主義の袋小路である実存主義と、客観主義の袋小路である論理実証主義や行動主義などとの不毛な対立にいたった。いずれにせよ、論理的合理性の追求が、一方では主観性に埋没した人間、他方では言語と論理ではとらえられないものの追放、あるいは統計的処理が可能でないものの黙殺といった哲学的・思想的非合理性を生みだすにいたった。近代の哲学や思想は、こうして究極の非合理性ともいうべきニヒリズムに陥ったのだ。  

 18世紀は現実においても人間の内面においても、こうした客観性と主観性、合理性と非合理性との大分裂がはじまった時代ということができる。

                    近代を超える努力  

 だが同時に、人間と自然や宇宙との一体性を回復することによって分裂を乗りこえ、近代を超えた世界や思想を築こうという努力がはじまったのも18世紀であった。たとえばルソーやカント、あるいはゲーテなどの名をあげることができる。  

 ルソーは今年生誕300周年であったが、多数決の近代民主主義を超える一般意志の民主主義を提唱し、また誤って未開と呼ばれている社会がそのような民主主義を体現し、自由・平等・友愛の社会であることを説き、その意味でも「自然に帰れ!」を説いた先駆者であった。

 カントは合理性を求める純粋理性の限界を追求し、それを超えて道徳的な実践理性が必要であるとし、その上に立って自然や宇宙と一体となる「判断力」を打ち立てなくてはならないとした。

 ゲーテは詩や文学、あるいは科学論文を通じて、人間が大自然の一部にすぎないこと、人間の真の世界認識は自然や宇宙との一体感のなかでしかえられないことを示した。  

 遅れて19世紀のはじめであるが、アメリカではエマースンやソローなど、インド哲学に心酔した超越主義者たちが、啓蒙的合理主義やその人間中心主義をきびしく批判し、それを超えて宇宙や自然の法に従わないかぎり世界の認識や理想社会の構築は不可能だとした。

                    インド思想・中近東思想の影響  

 実はベートーヴェンはルソーやカントやゲーテの愛読者であっただけではなく、晩年インド思想にも深く傾倒していたのだ。  

 18世紀末のヨーロッパはまた、中世末期やルネサンス初期以来、中近東(イスラーム文明)やインドの哲学や思想がふたたび大流行した時代でもある。その影響は啓蒙的合理主義に対する批判を生み、ロマン主義の台頭をうながした。  

 ひとつは当時、知識人や芸術家あるいは心ある貴族や王侯などのあいだで広まったフリーメースンの大きな影響である。古代エジプトのピラミッド設計者たちで、当時最高の知識人であった石工(メースン)の組合から出発したといわれる結社で、精密な天文学的運行に表象される宇宙の法の支配のもとで、自由で平等で友愛にみちた理想の人間社会が実現されるべきであるとした。  

 たびたびの弾圧によって秘密結社となったがために、その全貌は知られていないが、モーツァルト(『魔笛』はお伽噺にことよせてフリーメースンの世界観を表現している)やゲーテは会員であったし、『第9』終楽章の「歓喜に寄す」の詩は、会員であったシラーが、ロッジ(支部)の祝典のために書き下ろしたものである。  ベートーヴェンがその会員であったという証拠はまったくないが、ボン時代以来、彼の友人やパトロンとなった多くの貴族はフリーメースンであった。彼がボン時代からシラーの「歓喜に寄す」を作曲しようと考えていたことは、彼がフリーメースンのめざす理想に共感していたことを物語っている。  

 知識人や芸術家たちへのフリーメースン思想の浸透は、その源泉である中近東やインド思想への深い関心を呼び起こした。中世イスラームの大数学者で天文学者であるオマール・ハイヤームの『ルバイヤート(四行詩集)』の英訳は一大ブームとなり、イギリス・ロマン主義の台頭をうながした。『リグ・ヴェーダ』や『バガヴァッド・ギーター』などインド思想書の英訳、ついではゲーテとベートーヴェン共通の友人であったフォン・ハンマーによるそれらの独訳は、二人にかぎらずドイツ語圏の知識人に大きな影響をあたえた(ショーペンハウアーの哲学はその成果のひとつである)。  

 1812年、「不滅の恋人」との別れによる失意のなかで書きはじめたバートーヴェンの『日記』には、絶望のなかから立ち直るための精神の糧として、しばしばこれらインドの原典からの引用がみられ、また必然的にインド音楽に対する多大の関心などが記されている。またハンマーによれば、彼は「インド風の合唱曲」を書きたいといっていたという。  

 1812年の深刻な精神的打撃から立ち直ったベートーヴェンの後期の音楽様式は、彼自身の内面での、こうした「世界像の大転換」ともいうべきものから生まれたと断言してもよい。

                    ベートーヴェンの後期様式  

 ベートーヴェンの晩年の音楽様式は、彼自身にとっても従来のものとまったく異なっているだけではなく、ベルリオーズ、シューマン、リスト、ワーグナーなど革命的ロマン主義の台頭に絶大な影響をあたえ、1時代を画すものであったといえる。作曲技法の点からみてもそれは革新的であるが、問題はそれを要求した彼の内面の変化である。  

 彼の最大のパトロンであったルドルフ大公──メッテルニヒ体制のもとで彼が逮捕を免れたのも大公の庇護のお蔭である──がオルミュッツ(現在チェコ領)の大司教に任命された機会に作曲した『ミサ・ソレムニス』は、ある点では人を圧倒する大曲であるが、全曲を支配する強力な統一的楽想に欠け、ベートーヴェンらしくない4年にわたる苦闘の跡が感じられる。  

 その根本的な原因は、もはや彼の音楽的・思想的立場が、伝統的なキリスト教とその「神」概念の枠を大きく超えてしまっていたことにある。それを書きあげてしまったとき、彼自身が伝統的な神概念の限界に気づいたのではないか(作品132のイ短調弦楽四重奏曲のいわゆる「神への感謝の歌」もGottheitつまり「神性」あるいは「神的なるもの」であって「神」ではない)。その証拠に彼は、ミサを書きあげるや否や、ただちに『第9』の構想と執筆にかかったのだ。

 『西東詩篇』や『ファウスト第2部』(いずれもベートーヴェンは作曲するつもりであった)のゲーテが、中世ペルシアの詩人ハーフィズの目を借りて東西世界の対立を超えた深い世界観を提示し、あるいは西欧中世のまがまがしい伝説の衣を借りて、人間がそこに帰依すべき宇宙にみなぎる法とその力を啓示したように、ベートーヴェンは、1812年頃より構想していた『ニ短調交響曲』をシラーの『歓喜に寄す』と結びつけ、『ミサ・ソレムニス』より万人に開かれた音楽的宇宙論を書く決意をしたのだ。それが『第9交響曲』である。

                    第9の宇宙論  

 作曲技法からみても、その構想からしても『第9』は彼自身の従来の交響曲とはまったく異なったものであるといえる。なぜなら交響曲という形式を借りながらも、彼はそれによってまったく新しい宇宙論あるいは世界観を表現しているからである。  

 詳細は省略するが、先行する3つの楽章は、ある意味で伝統的な交響曲といえる。戦乱と苦難の時代のなかで彼自身がたどってきた内面の苦闘を暗示する第1楽章、それとは対照的な生き生きとした幻想と楽園の予感が立ち昇る第2楽章、ハ長調ミサや『ミサ・ソレムニス』にも通じる天国的な第3楽章である。  

 だがこの3つの楽章は、長大な最終楽章の冒頭で全面的に否定される。《おお友よ、これらの調子[音]ではない!》それに代わって彼は、「歓喜に寄す」(シラーの原詩を彼は大胆に編作している)を、青年時代の歌曲『愛されないものの溜息とそれに応える愛』や『合唱幻想曲』以来温めていた旋律に乗せ、新しい世界の扉を開く。  

 インド哲学や思想では、人間が修行によって自己の狭い主観性を脱し、宇宙との一体感を味わう境地をサマーディ(三昧)というが、彼が扉を開いたこの新しい世界は、音楽によって万人にこの境地、つまり解脱(モクシャまたはムクティ)や法悦(歓喜)を体得させる世界であるといえる。  

 「歓喜」の背景も周到に表現される。「アッラ・マルチア(行進曲風に)」の部分では、大太鼓、コントラファゴット(しかも最低音の変ロ)、さらにシンバルとトライアングルが加わり、踏みしめる大地の音から出発し(スケッチでは「トルコ音楽」と指定されている)、諸天体に呼びかけるテノールとともに、しだいに高揚して進み、宇宙論の扉を開く。それがアンダンテ・マエストーゾであり、バス・トロンボーンと低音弦楽器、男声合唱のユニソンが厳かに告げる《抱きあえ!百万のひとびとよ!》が、やがて高音木管と弦のトレモロによる《星々の円蓋》を呼び起こし、大宇宙との一体感をもたらす。  

 あとは「歓喜」と「抱きあえ!」の長大な二重フーガと終結のめくるめく恍惚(法悦)である。

 理性あるいは合理性の争いともいうべき、個々人の主観性や自我の熾烈な競争や対立、ひいては諸国家の対立(19世紀・20世紀)、さらには諸巨大企業や金融機関の激烈な対立と競争(21世紀)、それによって出口なき袋小路に陥った近代文明を転換し、新しい文明を築くべき道を、『第9』によって表現されたベートーヴェンの思想が指し示しているといっても過言ではない。

(2012年12月15日「あさひかわ第九の会」10周年記念特別講演会講演要旨 )


楽しい映画と美しいオペラ―その43

2012-12-05 18:47:18 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その43


          生き続けているポネル
                  ――言葉と音楽、そして演出

 

 

 オペラほど「総合芸術」という言葉がふさわしい芸術はちょっと見あたらない。音楽と演劇と美術が渾然と一体になり、時にバレエも楽しむことができる。衣装に関心がある人にとっても、オペラは心躍る芸術であるにちがいない。

 言葉が先か、音楽が先か、リヒャルト・シュトラウスがこんなテーマで作品を書いているくらいだから(《カプリッチョ》)、オペラに於ける言葉と音楽の融合ぶりはとりわけ著しい。ホーフマンスタールのとびっきりの台本で、《ばらの騎士》や《アラベラ》や《影のない女》などの傑作を生み出してきたリヒャルト・シュトラウスである。言葉と音楽の関係性は生涯のテーマであったことだろう。

 さてオペラに於いて、近年とみに話題となっているのは演出である。これは言葉とも音楽とも密接に関わるものだが、この演出によってオペラ作品はかなりちがったものになる。

 最近の例では、メトロポリタン・オペラの初日を飾ったドニゼッティの《愛の妙薬》。これは村の若者ネモリーノの一途な恋に焦点が当てられていて、まっとうな青春恋物語となっている。一方、NHKのBSで先ごろ放映されたバーデン・バーデンのプロダクションは、映画の撮影現場という劇中劇を挿入した、いわばドタバタ喜劇である。この上演は、主役のネモリーノを歌ったテノール歌手ロランド・ビリャソンの演出で、才気あふれる舞台だ。

 総じてイタリアのオペラ作品にはそれほど奇抜な演出の手法は使えない。時代背景をはじめとする状況設定がかなりリアルで、手を加えることが難しいのである。それでもメトとバーデン・バーデンの二つの舞台は、これが同じ台本と音楽をもとに制作されたのかと疑うほどに、違ったものになっている。どちらが好みかは人によって分かれるだろうが、歌手の出来も含めて、私は断然バーデン・バーデンの方が面白かった。

 それはさておき、演出の斬新さで群を抜いているのはドイツだろう。なかでもワーグナー作品上演の聖地バイロイトは、リヒャルト・ワーグナーの曾孫カタリーナ・ワーグナーが総監督になって以来(2009年)、その過激さが際立っている。ロマンチックな《ローエングリン》には大量のネズミが登場するし、神聖祭典劇《パルジファル》には羽根をもった天使たちが舞台を動き回る。この天使たちはいったい何を意味するのだろうかと考えているうちにオペラが終わってしまった。

 どこの国でもオペラの聴衆が減っている。オペラだけではなく、クラシック音楽は長期低落傾向にある。日本でも演奏会場には白い頭髪が目立ち、若者の姿はほとんど見られない。バイロイトでもその流れは等しく、34歳と若いカタリーナは危機感を持っているのだ。それに百数十年間、同じ演目を上演し続けてきた。斬新なプロダクションをつくり、若者の足を劇場に運ばせたいと考えるのは当然である。しかしその苦慮の結果がいまのバイロイトの上演だと思うと、どうしても疑問符がつく。

 10月23日のウィーン国立歌劇場の日本公演、モーツァルトの《フィガロの結婚》は素晴らしかった。《フィガロ》をこのオペラ座で聴くことは、ヴェルディの《ドン・カルロ》をミラノ・スカラ座で聴くことと同じく、私の長い間の夢だった。後者は2009年のミラノ・スカラ座の東京公演で実現したので、今回のウィーン国立歌劇場の横浜公演は待ちに待ったものだった。その上演がジャン=ピエール・ポネルのプロダクションというのも嬉しいことだった。

 ポネルはすでに1988年に亡くなっている。このプロダクションがウィーンで初演されたのはさらにその10年以上も前のことだ。それは1976年に映像化されたDVDが存在することで分かる。これは私にとってかけがえのない映像で、レザーディスクで繰り返し鑑賞したものだ。そのプロダクションを実際に観ることができる! 心騒いだのも道理であろう。ウィーン国立歌劇場が40年近くもポネルのプロダクションを温めてきたことも感慨が深かった。

 指揮のペーター・シュナイダー、主要キャスト(とりわけバルバラ・フリットリの伯爵夫人!)、オーケストラ、いずれをとっても申し分なく、これぞオペラだと、その晩は遅くまで興奮冷めやらなかった。ポネルがつくりあげた舞台は壮麗な建築美に満ち、登場人物には生きた血が通っている。そして舞台上には、モーツァルトの音楽が息づいている。華やかで、軽やかで、喜びに溢れ、憤りですら美しく、さらに生きることの哀しみまでもが……。

 言葉と音楽をいかに深く理解するか、演出の極意はこの平凡な結論につきるような気がする。それが伝統的なものであれ、奇をてらったものであれ、文学と音楽をともに愛する演出家であれば、いい舞台がつくれるはずである。ポネルに溢れるようにあったこの愛が、バイロイトに招かれた演出家には欠落しているように思われてならない。究極のオペラ上演は演奏会形式だ、などといわれないためにも(一理ある意見ではある)、上質の舞台がつくられ続けていくことを望みたいものだ。 

■《愛の妙薬》
バーデン・バーデン歌劇場
2011年5月~6月 上演
2012年11月12日 NHKBSプレミアム放映
演出:ロランド・ビリャソン
指揮・演奏:パブロ・ヘラス・カサド/バルタザール・ノイマン合奏団・合唱団
出演:ロランド・ビリャソン(ネモリーノ)
      ミア・パーソン(アディーナ) 


ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場

2012年10月13日 上演
2012年11月8日 銀座東劇にて上映
演出:バートレット・シャー
指揮・演奏:マウリツィオ・ベニーニ/メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団
出演:マシュー・ポレンザーニ(ネモリーノ)
      アンナ・ネトレプコ(アディーナ) 

■《フィガロの結婚》
神奈川県県民ホール
2012年10月23日 上演
演出・美術:ジャン=ピエール・ポネル
指揮・演奏:ペーター・シュナイダー/ウィーン国立歌劇場管弦楽団・合唱団
出演:アーウィン・シュロット(フィガロ)
   シルヴィア・シュヴァルツ(スザンナ)
   カルロス・アルバレス(伯爵)
   バルバラ・フリットリ(伯爵夫人)
   マルガリータ・グルシュコヴァ(ケルビーノ)

2012年12月2日 j-mosa