北沢方邦の伊豆高原日記【76】
Kitazawa, Masakuni
椿の花は落ち、梅はすっかり散ってしまい、寒桜のたぐいを除き、いまちょっとした花の端境期である。今年はウグイスの初鳴きが遅かったが、穏やかな陽射しの今日も数声聴いたのみで、淋しい。代わりというわけではないが、イソヒヨドリが澄んだ囀りを聴かせてくれる。
アーティスト・ホピド
ホピの今井哲昭さんからの便りと、同封されていたHopi Tutuveni(ホピ・クロニクル)という新聞に、ホピの芸術家マイケル・ロマウィウェサ・カボーティMichael Lomawywesa Kabotie(1942-2009)の訃報が載っていた。
ホピだけではなく、アメリカ・インディアンの現代芸術は、たんに合衆国のみならずヨーロッパでも高い評価を受けている。とりわけホピのそれは、たとえば絵画では、技法的に立体派以後の20世紀芸術の強い影響を受けながら、それを巧みに脱構築してホピ固有の宇宙論や世界観の表現媒体と化している。また彼らは、絵画だけではなく、彫刻やジュウェリーを手がけ、またカチナ人形や銀細工や陶器など伝統工芸にも携わり、むしろそうした多様なジャンルに踏みこむことによって、自己の芸術言語をゆたかにしている。
マイケルの父フレッドやチャールズ・ロロマなどをホピ現代芸術の第一世代とすると、マイケルは第二世代にあたる。この第二世代は、ロロマたちが創設したサンタ・フェのインディアン美術学校に学び、他部族の芸術家たちと交友を深めることによってホピの独自性に目覚め、それをさらに深めることを目指したといえるだろう。
1975年最初に長期滞在したとき、ホピ文化センターの展示場で芸術家たちの絵画作品が展示され、即売されていた。カチナ仮面をモティフにしたきわめて幻想的な作品をやよひがひどく気に入って、ぜひ購入したいとふたたびひとりで出かけ、買ってきた。「この絵の作者もいて、話をしてきたわよ。“あんた高校生(ハイスクール・ガール)?”だって、失礼しちゃうわ、もうじき五十おばさんだっていうのに」といいながら、彼はなかなかの好青年だと好意をもったようだ。
それがまだ無名だったニール・デーヴィッド・シニアNeil David Sr.(1944-)だった。第一メサのテワ族の村出身の彼は、第二メサのションゴポヴィ出身のマイケル・カボーティたちと「アーティスト・ホピド」という集団を五人で結成したばかりで、それは彼らの最初の絵画展示会であったのだ。(たしかその絵の値段も50ドル前後であった。いまインターネットで調べると彼の絵やカチナ彫刻は1000ドル前後はする)。
アーティスト・ホピドは残念ながらわずか5年で解消(1973-1978)したが、そこから彼らは独自の道を歩みはじめた。ニール・デーヴィッド・シニアはさらに内面化し、沈潜し、その挙句に第一メサ固有の祭りの道化(他のメサの道化にくらべ白黒のボディ・ペインティングや尖がり帽子と手にする采配などスペインの宮廷道化の影響を強く受けている)を描き、彫りつづけ、一見リアルでありながら救済と浄化を必死に求める近代文明を二重に映しだすにいたる。
他方マイケル・カボーティは、ペトログリフや伝統的デザインをふんだんにちりばめながら、力強いタッチと大胆な色彩――といってもホピの4基本色、わが国と同じ白・黒・アヲ(青というより緑)・赤――で壁画的で挑戦的な画面にいどむ。そこにあるのも近代文明に対する危機意識であり、ホピの世界観や価値によって世界を浄化しようとする力と意志に溢れている。
ホピのカチナのひとつに「母ガラスCrow Mother」があるが、それは母なる「ゴミ掃除人」であり、地球を浄化する役割を負っている。彼は自己の絵画にこのメッセージがあるという(Cf.I Stand in the Center of the Good. Ed.by Lawrence Abbot,1994.p.115)。彼はカール・ユングの心理学にも学んだとするが、それは彼にとってひとつのホピの原型であり、集合的無意識の象徴であるだろう。
心から哀悼の意を表する。
プレトニョフのベートーヴェン
3月8日のNHKFMで、ミハイル・プレトニョフ指揮のロシア・ナショナル交響楽団のベートーヴェンが放送された。
「交響曲第七番イ長調」のスケルツォから耳にしたのだが、きわめて生き生きした内発的テンポ(多くの指揮はこのテンポでなくてはならないといういわば外圧的なものだが)にすっかり魅せられた(翌日偶然だが、同じ「第七」のしかもスケルツォのほとんど同じ部分から耳にしたものがまったくよくなく〔なんとズービン・メータとウィーン・フィルだという〕、余計印象がよくなったが)。
次ぎにとりあげられた「交響曲第五番ハ短調」(いわゆる運命)が、同じく自在なテンポと骨格をきわだたせるダイナミズム、細部の微妙な音色の変化と潜在的なポリフォニーの深い彫りこみなど、こういう発見があるのかとひさしぶりに「第五」を堪能した。青木やよひに聴かせたらなんといっただろうか?
アンコールのバッハ=ストコフスキーの「組曲第三番ニ長調」からの有名なアリアも、心に染み入るものであった。終了後余った時間にチャイコフスキー=プレトニョフ編曲の「組曲くるみ割り人形」が彼自身のピアノで流されたが、これも感銘をあたえるものであった(私は「くるみ割り」をチャイコフスキーの最高傑作だと思う)。
プレトニョフの名を記憶しておこう。