一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

コンサートのお知らせ

2012-04-29 15:43:32 | コンサート情報

   

上野信一&フォニックス・レフレクション  
現代打楽器作品展
日時 2012年 6月13日(水) 開場18:30 開演19:00
一般3500円 学生2500円
場所 国立オリンピック記念青少年総合センター カルチャー棟小ホール
プログラム  松平頼暁・トリクロイズム/湯浅譲二・プロジェクション・トランス・ソニック/木下牧子・ふるえる月/西村朗・月の鏡

日本の代表的な現代音楽の作曲家の意欲作を、パーカッション・アンサンブル、上野&フォニックス・レフレクションが熱演します。今回はいつものマルチ・パーカッションに加え、西村朗「月の鏡」に横笛の新保有生(ありあ)さんが賛助出演。パワフルかつ幽玄な世界に期待してください。
お問い合わせはフォニックス・プロモートinformation@phonix.nows.jp までお願いします。メールのタイトルに「知と文明ブログ」の文言をいれていただいた上でチケットお申し込みの方には送料無料で発送いたします。

 


ホピで生まれてホピで死ぬ。

2012-04-27 21:40:57 | セミナー関連

Simple and Humble way

今井哲昭さんに伺ったホピの話は本当に刺激的でした。
今井さんは、「ホピから見ると、ここがヘン」、「日本はこれでいいんですか?」
と、何度もおっしゃいました。


                               写真は江ノ島の夕陽

●ホピの村では、仰角10度で全方位星空が広がる。
空を見上げることで、宇宙とつながっていることが実感できる。
今井さんは、「星が見えないところで暮らせない」とおっしゃる。

●西洋文明に触らないよう生きている。
祭りと儀式の毎日。精霊たちと生きる。神話を生きる。
村から離れず、皆と暮らす。


●皆で集まって同じものを食べることが大事。
掲示板や回覧板があるわけでなく、会食があることは口コミで伝わる。
最近は、フードスタンプで、ジャンクフードを食べる人もいる。
支給された生活補助や年金で、(本来禁止されている)お酒を飲む人もいる。

●女性は、結婚しないと死後に精神世界へいけないとされている。
結婚が決まると、婚礼に先立ち、女性は婿の実家で2週間暮らし、
その間に婿の親族の男たちが織った白い綿でローブを作ってもらう。
死んだら、魔法の絨毯みたいにそのローブにくるまって、あの世へ行く。

●結婚と出産は別。結婚までに1人や2人子どもがいることが多い。
拡大家族で大所帯、子どもは村の皆で育てる。
女子は大勢子どもを産む。10人、多い人は20人も産む。
子どもは大勢いる。
男の子たちは早く一人前になってカチナ・ダンスを踊りたいと思っている。

●男は畑、女は家

働かなくて愛想をつかされた夫は、実家へ帰っていいことになっている。
出戻り男子は大勢いる。

●文字を持たず、記録を残さない。
徹底してオラルな(口承・伝承の)文化。
ホピは記録を残さない。神話や言い伝えや秘儀も、口で伝えていく。
※今井さんのお話を伺う数日前のテレビ番組で、
「自らのあらゆる記録を残す人が増えている」傾向を報道していて、真逆だと思った。
自分の瑣末な記録を世界中からアクセス可能にしておくことで、
立ち位置を確認している人の孤立した姿と、
過去を参照せず、将来に不安をもたず、たった今を皆で生きているホピの人びと。


●簡素に慎ましく生きる。

「私には、この約束を交わす神も長老もいない。
不安と不満渦巻く社会で greedy に生きるのは辛い」と言ったところ、
今井さんは、「勇気をもって田舎へ行くのです。空を見て農業をするのです。
こんなに水と緑が豊かな日本で、都会にいるのはもったいない」と、強調されました。

●ヒト・モノ・カネが動かない。

畑で作るのは、儀式で使うトウモロコシや豆。
換金作物は作らず、余剰産物も(儀式目的以外に)貯蔵しない。

民芸品として人気のあるコチナ(精霊)人形や銀の宝飾品作家もいるが、
たくさんは作らない。
周囲150キロは誰も住んでいない。

●お祈りで一日が始まる。

父なる太陽が母なる大地から現われる瞬間が、神聖な時。
皆、夜明け前に起きて、祈りで一日が始まる。

以上、印象に残ったフレーズを日ごろの反省とともに箇条書きにしてみました。
                                                カタオカ★М


幸せを生きるホピの人たち

2012-04-23 12:00:08 | セミナー関連

幸せを生きるホピの人たち




               ホピのお茶【ホホイシ】  煎じて飲む

 

 4月15日から16日にかけて、ホピ在住の今井哲昭さんと時間を共にした。伊豆高原のヴィラ・マーヤでのひとときは、時間が停止したかのような、まことに不思議な体験であった。今井さんの話の内容もさることながら、その存在そのものが日本人を超越していて、彼と空間を共有していること自体がホピ体験であったような気がする。

 「そこが面白いんですよー」と会話がはずむごとに、今井さんは古くて大きな鞄からホピの証を取り出して見せてくれる。色とりどりのトウモロコシであったり、畑から発掘された化石であったり、カチナ(精霊)の絵であったり。私たちは紫色に煎じられたホピのお茶、ホホイシを飲みながら彼の話に耳を傾ける。爽やかな、どこか懐かしい味がする。

 ホピには、過去もなければ未来もないという。あるのは現在だけ。過去に縛られていては生きていけないし、未来のことは神のみぞ知る、ただ、「今」を生きなさい、ということだろうか。文字を持たないホピ族には、当然のことながら書かれた歴史書は存在しない。しかし、そうだからといって、歴史が存在しないことにはならない。人間が生きるということは、歴史を積み重ねていくことである。私たちは歴史から学ぶ一方、それに束縛され、押しつぶされそうでもある。ホピに於ける歴史とは何であるのか。

 「ただ生きていけばいいんだよ」。今井さんは、母上が亡くなられる直前に言われたこの言葉を大切にしている。ホピの人たちは、この母上が到達された境地を、日々生きているのだ。生まれてから死ぬまで、人々の役割はほぼ決まっている。家族と村(今井さんの村は700人位、全人口は約1万2千人)が生活の中心であり、農作業と祭りに明け暮れる毎日である。人と人の絆が固く、自らの立ち位置が明確な社会では、人は不幸を感じることはないだろう。自殺者がほとんどないのはもっともなことだ。

 ホピの人たちは西欧文明を意識的に遠ざけている。しかし学校は存在するし、テレビも家庭に入りつつある。ホピの人たちの今の暮らしのあり方は、はたして存続しうるのだろうか。この私の質問に、今井さんは明確に「イエス」と答えた。それは祭り(祭儀)があるからだと言う。ほぼ月に一度催される祭りにこそ、宗教を中心とするホピ社会維持の秘密がありそうである。それは、私たちには容易に知ることができない、しかしおそらく、高度に洗練された社会的システムであるような気がする。腰を落ち着けて、ホピの知恵を学ぶ必要がありそうだ。

2012年4月19日 j.mosa


北沢方邦の伊豆高原日記【123】

2012-04-17 08:57:14 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【123】
Kitazawa, Masakuni  

 駆け足でやってきた春、まだ白い山桜が散らず、濃い淡紅色の八重桜も咲かないというのに、紅のツツジが花開きはじめ、樹々の新緑がまだ淡い色で風景を彩る。ウグイスがあちらこちらで精一杯鳴き競っている。夜、今年はじめてフクロウの神秘な鳴き声を聴く。

今井哲昭さんのホピ  

 ホピに15年も住みこんでいる今井哲昭さんが、伯母上の危篤で来日されたのを機会に、フォーラムで話していただくことになり、急遽4月14・15日にヴィラ・マーヤにメンバーや新しい参加者などが集まった。  

 今井さんにはこの日記にもしばしばご登場いただいたが、大学卒業後、土木エンジニアとしてアメリカの建設会社に勤めていたりしたが、ヒッピーとなり、映画「イジ―・ライダー」そのままにハレー・デヴィドスンを乗り回し、また日本で大野一夫の弟子となり舞踏家になったひとである。喜多郎のシンセサイザーに乗って伊勢内宮で踊ったこともある。たまたまホピのキコツモヴィ村でキクモングウィ(村の長)をしていたパルマー・ジェンキンズさん一家と親しくなり、晩年のジェンキンズさんの介護をして村人たちに信頼され、そのまま居着いてしまったという、多彩な経歴のひとである。異邦人は絶対に入れない秘密の儀礼にさえも参加を許されているという、もうほとんど日系ホピ人といっていい。容貌も、日焼けした顔に銀髪をホピの銀細工で束ねて背に垂らし、といった具合で、見るからにもうホピの長老であり、かつて日本にやってきた自称長老たちよりもはるかに品格がある。  

 それはさておき、私や青木やよひの本で多少の知識はあったとしても、ホピの思考体系や生活の仕方などについての今井さんの生々しくリアリティのある話は、皆さんをたいそう感動させたようだ。たとえば母系社会で女性がもっとも強い社会だといっても、観念では理解しても実感はわかない。だが妻が夫を離婚させたいときは、留守中に夫の荷物をまとめ、玄関先に放り出しておけば、帰ってきた夫は、それを担ってすごすごと「実家」に帰るしかない(私もホテヴィラ村のジェームズ・クーツホングシエの家に厄介になっていたとき、奥さんのヘレンさんが彼の格子縞のシャツを、夕立ちでまだぬかるんでいた玄関先に放り出し、帰ってきたジェームズが平身低頭でいいわけをしていたのを覚えている。こんなことをしていると離婚だよ、という手厳しいお叱りだったのだ)。あるいはセックスは厳しい近親相姦タブー(その範囲は広い)以外は自由で、婚姻とはまったく関係ない(婚姻は制度の問題であり、氏族間の重大な儀礼である)。子供ができても父親が誰であるかはまったく問題にならないなど、母系社会の現実を実感できたようだ。  

 楽しく有益な二日間であった。

ホピの祖先たちの文明  

 翌日午前は、今井さんからお土産にと戴いた、彼のホピの友人で考古学者のフィリップ・トゥワレツティワさんが参加し、かなりのメンバーがプエブロ諸族出身の学者たちで構成されるプロジェクト・チームが調査したDVD「チャコ・キャニオンの秘密」(The Mystery of Chaco Canyon)を鑑賞した。  

 チャコ・キャニオンとはニューメキシコ州北西部の山中にある紀元後900年から1100年頃に建設され使用された遺跡群で、中心となるプエブロ・ボニート遺跡が南西部最大の遺跡(石造4階建て、30数個の円形キヴァ、崩れているので推定約8百の部屋)として知られている。私も行きたかったのだが、4輪駆動車でしか行かれない百キロ以上の悪路であることと、国立モニュメントの保護遺跡で手続きと規制の厳しさで結局あきらめたサイトである。  

 このDVDは、プロジェクト・チームの調査によって、これらの遺跡が居住区ではなく宗教儀礼のための大規模遺跡であること、しかも現代の測定器具をもってしても正確な方位測定によって、太陽の運行と月の運行の正確な方位に合わせて建設されていることが明らかとなった。たとえば各遺跡は半円形に設計されているが、その直線部分は春分・秋分の太陽の昇降線に一致し、またその一部は月の一年の運行を観測可能にしている。石組で造られた太陽運行の観測装置もあるし、月のそれもある。壁に刻まれた岩絵は、光を受けて天体がどの位置に来たかを告知する。  

 見終わった印象は、アナサジと呼ばれるホピやプエブロ諸族の祖先たちが造ったこれらの遺跡の、建築術や天文学的知識のすごさであり、マヤやインカの文明に匹敵する「文明」がここに実在したのだという強烈なものであった。  

 この地域には紀元前8000年以降の石器などが発掘されているが、こうした石造の大遺跡はほぼこの時期のものである。だが12世紀にこの地方を襲った大旱魃で、ひとびとはこれらの遺跡を放棄し、水を求めて現在のプエブロ各地に散っていった。だがこうした文明の驚くべき遺跡を残したひとびとの子孫を「未開」と呼んだ近代人の愚かさを、われわれは厳しく反省しなくてはならない。
 


北沢方邦の伊豆高原日記【122】

2012-04-13 10:05:15 | 伊豆高原日記

北沢方邦之伊豆高原日記【122】
Kitazawa, Masakuni  

 寒さのあとで急激に春がやってきた。ソメイヨシノはすっかり散って葉桜になりかかり、ヴィラ・マーヤの裏庭の山桜をはじめ、遅咲きの山桜が純白の花を青い新芽とともに満開にさせ、急速に芽吹きはじめたナラやクヌギやヤシャなど緑の多彩な色を背景に、陽に輝いている。ウグイスやアカハラ、ヤマガラやコガラなど野鳥の囀りも豪奢だ。

国民の不安を煽りたてるのはなぜか  

 昨年から書きはじめた本を書き終え、ほっとする間もなく、外界がにわかに騒がしくなった。北朝鮮が「人工衛星」を大型ミサイルで打ち上げるというのだ。たしかにそれは大陸間弾道弾や「それに類するミサイル」の試験的発射を禁じた国連安全保障理事会決議違反であり、国際社会が発射禁止を要求するのは当然である。だが自衛隊のイージス艦3隻や弾道弾迎撃ミサイルを広範囲に配置させる仰々しい態勢を、これも仰々しく発表する政府や、それに乗って国民の不安を煽るマス・メディアは、なにを考え、なにを意図しているのか。  

 大陸間弾道ミサイルに転用できるこの技術──といってもわずか100kgの「衛星」の打ち上げがもし成功しても、数トンにおよぶ核弾頭を搭載して発射する技術開発ははるか先である──に対して、アメリカ政府や国防総省あるいはCIAなどが深甚な関心をもち、あらゆる手段を使って情報を精密に収拾しようと努力するのは当然である。日本政府がそれに協力するのは、事実上の日米軍事同盟下では、ある意味で当然かもしれない(それを容認する意味ではまったくない)。だがアメリカはそれらの艦や航空機を配置させ、あるいは地上施設などを稼働させるたびに、いちいちアメリカ国民に仰々しく発表などしない。任務はたとえ軍事機密でなくても、それはひそかに日常的に行われる。  

 仰々しい発表のひとつの役割は、日米軍事同盟に忠誠を尽くしていますという日本政府のアリバイづくりにほかならないが、その副産物とそれに乗るメディアの扇動はきわめて危険といわなくてはならない。  

 すなわちそれは、必要以上に北朝鮮が危険な国家であるという敵対意識や自国のナショナリズムを煽り、国民に「国防」意識をかきたて、日米軍事同盟の強化がさらに必要であることを納得させようという意図であるといっていい。  

 たしかにまだ実験段階の北朝鮮の大型ミサイルが、打ち上げに失敗する確率はけっして低いとはいえない。そのための備えは必要である。だがアメリカ軍同様、ひそかに日常的に行うべきであり、また軍事的にいっても、首都圏などこれだけ広い範囲に展開させる必要もない。  

 北朝鮮を擁護するつもりは毛頭ないが、政府もメディアも「冷静」をよびかけるなら、まずみずからがほんとうの冷静な立場に立っていただきたい。そこに立つなら、こうした騒ぎ方が、いかに国民の不安を煽り、敵対意識やナショナリズムをかきたてているか、おのずからみえるはずである。  

 そのうえさらに広い視野に立てば、朝鮮半島の非核化の実現を願うのは当然として、北朝鮮やイランの核兵器開発(イランは平和利用だと主張している)には厳しいが、イスラエルやインドやパキスタンの核兵器所有には甘いといういわゆる西側諸国の二重基準(ダブル・スタンダード)が、世界平和にとっていかに偽善的であるかみえてくる。  

 ヒロシマ・ナガサキおよびフクシマの国としてわが国は、いわゆる国益にとらわれず、核問題に対して世界でもっとも公正な判断と発言を行う国として、世界を主導すべきである。北朝鮮の「衛星」発射問題はそのことを教えている。
 


第13回it's展開催中

2012-04-04 07:29:22 | 雑感&ミニ・レポート

第13回 it's展開催中@銀座・渋谷画廊
※当ブログ管理担当・片岡が参加しているグループ展です。銀座がてら、お立ち寄りください。

●銅版画・木版画・紙版画・パステル画・油絵・タピストリー・コラージュ他 
2012年4月2日(月)~8日(日)11:00am~6:30pm (最終日~5:00pm)
東京都中央区銀座7-8-1 渋谷ビル2階●03-3571-0140
【銀座6丁目】交差点、【ライオンビアホール】向いブロック【フェラガモ】の後ろ→豚カツ【梅林】の2階


左:前進しかないのか Nowhere to go 
右:森に沈め Let the land back to the Nature(↑片岡みい子↓テキストも)

森に沈むフクシマ

2001年だったか、福島を売り込む吊広告に
「森に沈む〇〇」とあったのを憶えている。
緑に囲まれた静かなイメージは伝わってくるが、
「沈む」がもたらすネガティヴ効果が強く、記憶に残っていた。
あらためて検索してみたところ、首都機能の福島移転を勧めるコピーで、
「森に沈む都市」だった。

最近、再放送のドキュメンタリー番組で、
チェルノブイリ事故後、原発至近地域で生物が死に絶えたあと、
周辺から新たに動物たちが侵入、
熊や鹿やネズミが汚染が続く森で元気に生きている様子を観た。
番組は、今なお放射性物質を出しながら、
鬱蒼とした森に「沈んで」いく原発の姿を映して終わった。

放射能に汚染されても、自然は何も言わずに新たな生態系へ移っていく。
戻ることはない。
私たちは、汚染された土地に暮らし、汚染された空気を吸い、汚染された水や作物を摂り、
それでも元気に暮らしていく。

チェルノブイリの森の動物たちと同じだ。
ものすごい世の中で生きているんだ。