一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

楽しい映画と美しいオペラ―その6

2007-07-25 21:50:12 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その6

男がいなくても生きていけるか?――成瀬巳喜男『流れる』  

 小津安二郎、溝口健ニ、成瀬巳喜男といった、いわゆる曰本映画の巨匠たちの映画は、リアル・タイムでは観ることができなかった。しかし私は、そのなかの名作といわれるものの多くを、銀座の並木座で観ることができた。会社が目黒区の東急線沿線にあった1994年から2000年の6年の間に、通勤途上にあった銀座で途中下車して、あるいは休日に出掛けて、集中的に日本映画を観たものだった。

 並木座が姿を消してもう何年にもなるが、その存在がなくなったことは、日本映画にとって大きな損失だと思わざるを得ない。巨匠たちの映画の多くはDVDで観ることはできるにしても、映画はやはり映画館で観るのがー番であろう。何本かの予告編が終わって、さあ本番が始まるぞというときの心のときめき、エンディングの音楽とともに味わう終演時の静かな余韻、これらも含めて、映画を観るということなのだから。

 しかしながら、これから書こうとする成瀬巳喜男の『流れる』は、並木座でも観逃がした映画で、NHKのBSで放映したものの録画を観たのだった。成瀬の生誕100年を記念して2005年に集中的に放映が行われたが、それから2年も経ってからのことである。

 成瀬巳喜男は、女性映画の名匠、とよくいわれる。確かに彼の映画では、主演女優がとりわけ際立つ。『浮雲』の高峰秀子をはじめ、『めし』の原節子、『晩菊』の杉村春子などがすぐに思い浮かぶが、この『流れる』では、山田五十鈴の存在感が圧巻である。しかも例えようもなく美しい。

 彼女の若いときの映画、『浪花悲歌(エレジー)』や『祇園の姉妹』(ともに監督は溝口健二)も観たことはあるのだが、それほどきれいだとは思わなかった。むしろ黒澤明の『蜘蛛巣城』(シェイクスピア『マクベス』の翻案)での「マクベス夫人」が、演技派女優として印象に残っている。ところが、この『流れる』の山田五十鈴の美しさはどうだろう。私は何よりも、その眼差しに魅了されてしまった。映画が作られたのは1956年。彼女は39歳の、まさに女ざかりであったのだ。

 山田五十鈴の役柄は落ちぶれかかった芸者置屋の女将。しっかりものの娘が高峰秀子、芸者2人に杉村春子・岡田茉莉子、お手伝いに田中絹代という豪華キャストである。そして彼女たちが実に生きいきとスクリーンを動き回る。それぞれの人物造型が的確で、それぞれの生活のありようが明確に観る者に伝わってくる。これは成功した成瀬映画に特有のもので、終映後には充実感と、同時にそのあまりの濃密さ故に、いささか疲労感を覚えることにもなる。

 山田五十鈴演じる女将は、芸事は一流だが、人の好さに問題がある。経営者としての成り立ちは覚束なく、大金をどうしようもない男に貢いでしまう。借金で首が回らない彼女の日常を、田中絹代演じるお手伝いが支える。この映画の観どころのひとつは、山田五十鈴と田中絹代、この2人の大女優の見事な対照である。化粧鏡に己を映して、山田が玄人と素人の違いを述べるくだりがある。近頃はその差がなくなりつつあると嘆くのだが、化粧する山田は息を呑む艶やかさ、その姿を後ろから見守る田中は穏やかな微笑をたたえている。そしてその2人の姿が鏡に映る。秀逸な場面である。

 「男がいなくても生きていける女がいるなんて信じられない!」。若い燕に逃げられた杉村春子演じる芸者の愁嘆場での言葉であるが、実はこの映画、男は登場しない。仲谷昇、宮口精二、加東大介などは登場するものの端役で、恋を語るような役柄ではない。男が登場しないにもかかわらず、この映画は、極めて濃厚な男と女の物語になっている。なぜか。それは、登場する女優たち一人ひとりが、その背後に、男の重い影を背負っているからである。姿のない男たちとの葛藤が、観客の胸を打つ。女優たちの演技力であり、それを引き出した成瀬の力量は並ではない。

 山田五十鈴と杉村春子の、真剣な三味線の稽古の場面で映画は終わる。家を借金のかたに取られた山田は川向こうに落ちゆくのだろうし、田中は里に帰り亡き夫と子どもの弔いをするのだろう。先は見えないにしても、杉村も高峰も、何とか生き延びていくはずだ。三味線の音は、寂しく、しかし力強い。隅田川はまた、何ごともなかったかのように流れてゆく。

1956年●日本映画
監督:成瀬巳喜男
出演:山田五十鈴、田中絹代、高峰秀子、杉村春子、岡田茉莉子、栗島すみ子

2007年7月21日 j-mosa


北沢方邦の伊豆高原日記【28】

2007-07-22 16:26:49 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【28】
Kitazawa, Masakuni  

 ふたたびヤマユリの季節が巡ってきた。絢爛とした白い大きな花弁、むせかえるような豪奢な香り、これが栽培種ではなく、『古事記』や『万葉集』の昔から山野に自生していたなどとは信じがたいほどである(すでに述べたように古語ではサヰといい、群生する河原に流れる川はその姿からサヰ川と呼ばれ、狭衣川、狭井川、犀川などと当て字された)。群生というほどではないが、ヴィラ・マーヤの庭にも咲き乱れている。風で倒れかかったわが家の数本を花瓶に挿しただけで、家中が香りに溢れ、気分までが豪奢になる。

欧米がもたらしたパレスティナの悲劇 

 ハマスとファタハという二派の対立の激化で内戦状態になっていたパレスティナのガザ地区は、ハマスの治安部隊と武装勢力による制覇で、一応収束した。自治政府のアッバス議長は、ハマスとファタハの連立内閣を強制的に解散させ、ファタハ単独内閣を樹立した。ハマスが排除されたとして、欧米はパレスティナというよりもアッバス議長への援助を再開し、ガザを孤立させようとしはじめている。まったくの愚策というほかはない。

 そもそもパレスティナに近代民主主義を持ちこみ、選挙を奨励したのは欧米ではないか。国際監視団が保障した公正な総選挙の結果、ガザに限らず民衆は、腐敗したファタハに替わって医療と福祉で民衆に貢献するハマスを選択したのだ。ハマスを「テロリスト集団」としてその結果を拒否した欧米、とりわけ合衆国は、みずからの提唱する「民主主義」に二重基準(ダブル・スタンダード)を持ちこみ、民主主義そのものを否認するという巨大な矛盾を背負うこととなった。そのような「民主主義」を世界のだれが信じるだろう。

 さらにファタハでさえ、かつて欧米にとってはPLO(パレスティナ解放機構)という「テロリスト集団」にほかならなかった。数々の航空機ハイジャック、ミュンヘン・オリンピックでのイスラエル選手銃撃事件、テル・アヴィヴ空港での無差別乱射事件(日本赤軍によって実行された)など、アラファト議長の主導下で行われた事件はまだ記憶に新しい。

 最終的にはパレスティナに独立国家としての地位をあたえよ、という国際世論とその努力が、長い年月をへて自治政府を誕生させ、ファタハを合法的な統治集団と化したのだ。たとえハマスが「テロリスト集団」だとしても(私はそうは思わないが)、彼らを正当な統治集団として認めることが、逆に彼らを国際的に責任ある政治集団に育てあげることとなる。中東ではわが国は、こうした方向にむけてパレスティナを中心に、欧米やアラブ諸国、あるいはイランなどとを仲介する絶好の立場にある。だがそうした理念はおろか、政治的嗅覚さえないのが日本政府とその外交なのだ。いつものことながら、「情けなさに涙こぼるる」である。

ニュールック・ボナパルトとしてのサルコジ大統領

 フランスの新大統領サルコジ氏の『回想記』──通常は大統領を退任してから書くのだが、これは彼の個人的な記録である──ともう一冊の本が、『証言』(Testimony)と題して英訳された。フランスの哲学者ベルナール = アンリ・レヴィによる書評がニューヨーク・タイムズ書評紙に掲載され、話題を呼んでいる(July 22, 2007)。

 かいつまんでいうと、かつては非共産党左翼に位置し、その後かなり右寄りの路線に転じたレヴィであるが、その彼がサルコジ氏を「ニュールック・ボナパルト」と断じ、その選出を、「これはある社会運動、疑いもなく野蛮で、暴力的で恐るべき社会運動の開始」の徴候であるとしている。

 その理由は、この『回想記』で触れられているフランスの過去の歴史の評価にある。つまりサルコジ氏は、対独協力者のヴィシー政権にはホロコーストの責任はほとんどないとし、アルジェリア独立戦争でのアルジェリア人の虐殺や拷問は「(アルジェリアの)文明化の過程で起こったこと」と免罪し、若者や労働者たちの反乱であった1968年の「フランスの五月」は記憶ともども一掃すべきだとする。この本に書かれているわけではないが、われわれにも周知の2005年秋、移民の若者たちによるアルジャントゥイユの暴動では、彼らを「(社会の)カス野郎ども」と呼び、「あいつらを片付けるのが私の使命だ」という有名な暴言を吐いた。

 この書評には、マーク・アレイリーの肖像画がつけられている。つまり頭部は横目で睨みつけるサルコジ氏、胴体は懐に手を入れ、勲章とサーベルを下げるナポレオンという卓抜な絵で、思わず笑ってしまう。だがフランス人にとって、これは笑いごとではない。

CIA抱腹絶倒物語

 CIAつまりアメリカ合衆国の中央情報局は、かつては泣く子も黙る恐るべき有能な情報機関として、イギリスやイスラエルなどのライヴァル機関には一目置かれ、かつての敵ソヴェトや東欧の情報機関などには徹底的に憎悪された。

 アメリカ国民の巨額の税でまかなわれるこの巨大組織は、アメリカの安全保障には不可欠の組織として国民に容認されてきた。だが、はたしてそれがこの巨費に見合う働きをしてきたか、むしろ無能でときには間抜けであったのではないか、と、情報公開法によって明らかにされた過去の膨大な資料をもとに告発する本があらわれた。

 ニューヨーク・タイムズ書評紙の同じ号に掲載されたティム・ウィーナーTim Weiner(ザ・タイムズ誌CIA担当記者)の『灰の遺産――CIAの歴史』Legacy of Ashes;Historyof the CIAである。

 彼によれば、CIAは戦後の重要な局面転換、たとえばソヴェトの核実験(1949)、北朝鮮による朝鮮戦争の開始(1950),ハンガリー動乱(1956)、キューバ危機(1962)、5回にわたる中東戦争の勃発(1970年代)、ソヴェトのアフガニスタン侵攻(1979)、イラン・イスラーム革命(1979)、イラクによるクウェート侵攻(1990)、インドの核実験(1998)など、どれひとつとして予知することはできなかった。 

 イラン革命時に有名なアメリカ大使館員人質事件が起こった。ある館員はCIAの要員でイラン側にきびしく取り調べられたが、イランの国語ペルシア語をひとことも話せず、中東の知識もおどろくほど欠如していたので取調べ官があきれて「おまえはほんとうにCIAか」といったという。

 CIAの間抜けさ加減を象徴する絶好の挿話が書かれているので紹介しよう。

 現在、更迭されたラムズフェルド氏に代わって国防長官となっているロバート・ゲイツ氏は、父ブッシュ政権時代CIAの主席補佐官をつとめていた。1990年の8月、彼は休暇で家族とともにピクニックにでかけていた。妻の友人の女性がピクニックに参加するためにやってきたが、彼女はそこにゲイツ氏がいるのを見て驚いて言った: 
「あなたここでなにをしていらっしゃるんですか?」 
逆にゲイツ氏が驚き、「なにをおっしゃってるんですか?」 
彼女「侵攻(インヴェージョン)ですよ!」 
主席補佐官「侵攻って?」 
彼女「イラク軍がクウェートに侵攻したんですよ、ご存じないんですか」

 だがこの抱腹絶倒の場面に笑ってばかりいられない。冷戦時代、鉄のカーテンの彼方に送りこまれたCIAの要員やその手先のスパイたちは、容赦なく殺され、逮捕されて拷問され、あるいは二重スパイを強要され、断わると処刑された。こうして闇の中に葬られたひとたちは数百人以上に昇るという。本書の題名の「灰」は、いうまでもなくこれらのひとたちの遺灰を意味する。


おいしい本が読みたい⑤

2007-07-09 09:33:40 | おいしい本が読みたい

おいしい本が読みたい●第五話    辣腕編集者一代記        

 純文学であろうと大衆文学であろうと、文学作品の成立には、作者と読者の需給関係が深くかかわっている。そこで等閑視されやすいのが、両者をつなぐ黒子、すなわち出版・編集である。時代の流れに抗して、人々の安易な欲望に掉さしつつ良書を世に問う気骨漢もいれば、無内容ながら大人気の小説家を育てる企業人もいる。ただ、洋の東西を問わず、良貨は悪貨に駆逐されやすいのが不滅の現象らしい… 

 さて、この黒子にスポットライトを当てた力作が出た。『名編集者エッツェルと巨匠 たち』(私市保彦著、新曜社、2007)である。舞台は十九世紀フランス。政治的激動 の波にもまれながら出版業界が自己を確立してゆく、まさに手に汗を握る時代だ。巨 匠たちには、ユゴー、スタンダール、バルザック、サンド、ミュッセ、ベルヌといった豪華 メンバーが顔をそろえる。

 これらの大家たちと読者を、書物という商品を介してつないだのが、出版人エッツェル だった。市場の動向を伝え、ときには内容や表現に注文をつけ、意気消沈した作家が いれば励まし、手元不如意とあらば援助を惜しまぬ。だから、作品というものは作家と 出版・編集人の共同作業といっていい。生活者としての素顔が見えにくい文豪たちと、 理想に燃える辣腕編集者との、そうした作業の舞台裏に案内してくれる点に本書の功 績のひとつがある。

 ところで、人目に触れぬ舞台裏とくれば、私信を利用せぬ手はない。いかにも本書は 繰り返しエッツェルの書簡を引用する。ここに第二の功績がある。つまり、筆者の地の 文とエッツェルの書簡という図が自然に溶け合い、幸福なバランスを築いてゆくのであ る。エッツェルへの深い共感がなければこうはゆくまい。ともかく活字の手紙がいわば 肉筆の風貌を帯び、そのことによって、わたしたちは歴史の激動に文字通り手に汗握 るわけだ。

 フランスの出版業は現在、大手の半数以上が軍需産業関連会社の息がかかってい る。そのうえ次期大統領にサルコジを選んだフランスだ。予想通りとはいえいささか気 落ちしていた折だから、過去の人ながら、気骨漢にめぐり合えた幸運には、やはり感 謝したい。                                              

むさしまる


楽しい映画と美しいオペラ―その5

2007-07-02 02:36:06 | 楽しい映画と美しいオペラ

楽しい映画と美しいオペラ―その5

移ろいゆく「時」、そして諦念――新国立劇場『ばらの騎士』


 カルロス・クライバーが日本で指揮した『ばらの騎士』は、「伝説の舞台」となり、今でも語り草となっている。1994年のウィーン国立歌劇場の来日公演である。これを私は観損なった。チケットが取れなかったわけではない。だいたい私は、高額な海外引越し公演にはほとんど足を運ばないし、その分できるだけ日本人の手になる舞台を観ることにしている。ではなぜ「観損なった」のか。

 理由はもう失念したが、クライバーの『ばらの騎士』のチケットが1枚、金曜日当日の昼前、私の元に転がり込んだのである。あろうことかその日の午後は、よんどころない事情で半日休暇をとることになっていて、夜の公演にも間に合いそうにない。涙をのんで知人にそのチケットを譲ったのだった。つい先ごろ、その公演を観たという人と話をしていて、主役のひとりである元帥夫人を歌ったのがフェリシティ・ロットだったということを知り、今さらながら無念の思いを噛み締めたのだった。

 6月15日の『ばらの騎士』も、友人からチケットが回ってきた。13年前の秋の出来事を思い出しながら、新国立劇場に赴いた。そして、リヒャルト・シュトラウスの豊麗な音楽を堪能した。

 このオペラのテーマは明瞭で、それは「時」である。一夜を共にした若い愛人オクタヴィアンから、「あなたは素晴らしい」と甘い言葉を囁かれる元帥夫人だが、鏡のなかの自分の姿に、移ろいゆく「時」を意識する。すくってもすくっても、指の間からこぼれ落ちていく時間。オクタヴィアンとの別れも、今日か、また、明日か。窓に差し込む日の光が翳り、いつしか外は雨になる。ジョナサン・ミラーの演出が冴え、カミッラ・ニールント(元帥夫人)の歌からは深い諦念が感じ取れる。

 第2幕ではばらの騎士が登場する。結婚が決まると、花婿から花嫁へ銀のばらが贈られるが、その使者がばらの騎士である。18世紀のウィーンにいかにも実在したような風習だが、これは台本を書いたホフマンスタールの創作。それはともかく、オクタヴィアンがそのばらの騎士となり、オックス男爵の許婚ゾフィーのもとへ銀のばらを届ける。オクタヴィアンはいわゆるズボン役で、女声の男役である。明らかに『フィガロの結婚』のケルビーノの末裔であり、これを美しいメゾ・ソプラノが演じると、何ともいえないエロスを醸しだすことになる。当夜はエレーナ・ツィトコーワというロシア出身の若い歌手が歌ったが、エロスにはいささか欠けるものの好演した。

 第1幕から第3幕まで通して登場するのはオクタヴィアンとオックス男爵である。銀のばらを届けられたゾフィーだが、オックスのあまりの傍若無人ぶりに愛想をつかす。そしてオクタヴィアンがオックスを懲らしめるのが第3幕である。オックスは、好色で滑稽、しかし品性を欠いてはならないという難役。演じたのはバスのペーター・ローゼで、音楽性が高く、演技もうまい。まさにはまり役であろう。  

 元帥夫人はオクタヴィアンをゾフィーに譲り、若い2人の愛の二重唱で幕が閉じられる。2人にとって「時」は永遠であるかのようだ。しかし、ここでのリヒャルト・シュトラウスの音楽は、甘美さだけでは説明できない。言いようのない不安が顔を覗かせる。舞台となったマリア・テレジアの時代には革命が迫り、初演された1911年の数年あとには第1次世界大戦が勃発する。このような時代背景を踏まえたうえでなお、「時」の持つ普遍的な「哀しさ」を感じとらざるを得ないのである。

 指揮はペーター・シュナイダー。繊細で香り高く、爛熟の美しさと頽廃を良く表現していた。オペラを支えるのはやはり指揮者だなと、改めて思った。

2007年6月15日●新国立劇場
カミッラ・ニールント
エレナ・ツィトコーワ
ペーター・ローゼ
オフェリア・サラ
ゲオルグ・ティッヒ
ペーター・シュナイダー[指揮]
東京フィルハーモニー交響楽団
ジョナサン・ミラー[演出]     
   
                              

2007年6月30日 j-mosa