世界音楽入門&西村朗の夕べ
レクチャー・コンサート
★2008年4月19日(土)★14:00開演(13:30開場)★セシオン杉並
「世界音楽」とはなにか 北沢方邦
音楽とはかつては世界知や宇宙論の表現であった。パプア・ニューギニアの神秘な笛の合奏と巨大な丸太ドラムのとどろき、またわが国の御神楽(みかぐら)の「天(あま)つ風」である笛の音と、「常世(とこよ)の波」である和琴(わごん)のひびきは、いずれも父なる天と母なる地または水をあらわし、宇宙の幽玄を伝えていた。ガムランやインド古典音楽、あるいはイスラーム古典音楽など、諸文明の音楽が音による宇宙論であることはいうまでもない。
西欧近代の音楽でも、バッハやモーツァルトあるいはベートーヴェンやバルトークといった偉大な作曲家たちが、決定的な瞬間に世界知や宇宙論のきらめきを描きだしていた。しかし全体としては社会の世俗化とともにしだいに人間の感情、しかも作曲家個人の主観的な感情をうたうことに専念し、音楽のこの根源を見失っていった。宗教音楽でさえ、神や神の子の事跡への個人的・主観的な憧れや情念の表現でしかない。このような、むずかしくいえば「主観性の音楽」は、すでにその限界によって没落を予告されていた。20世紀音楽の混乱やニヒリズムは、その当然の帰結である。
だが21世紀のいま、世界の危機に対応して、音楽における世界知や宇宙論の復活がはじまっている。かつてゲーテが提唱した「世界文学」のように、各種族の多様な文化を踏まえながら、それら相互をつらぬいて交流する「世界音楽」の必要性が高まっているのだ。
こうした状況を認識してわれわれは、「世界音楽」とはなにかを探り、また「世界音楽」の実践者を迎え、音楽を通じて新しい知の方向を見定めるこころみを行うことになった。「世界音楽」の実践者とは、いうまでもなく作曲家の西村朗さんである。古今東西の音楽に精通し、アジアの世界観や宇宙論に深く触れ、自作に近代の主観性の音楽を超える力を表現している西村さんを迎え、大いに語り合い、聴衆を含めて交流したい。
音楽愛好家だけではなく、世界や知の現状を深く憂えるひとびとにもぜひ参加していただき、新しい知の磁場をつくりだしていきたい。われわれに求められているのは新しい知の形成である。