一般財団法人 知と文明のフォーラム

近代主義に縛られた「文明」を方向転換させるために、自らの身体性と自然の力を取戻し、新たに得た認識を「知」に高めよう。

北沢方邦の伊豆高原日記【80】

2010-06-09 09:10:55 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【80】
Kitazawa, Masakuni

  今年は梅雨入りが遅い。ウツギをはじめ樹々の白い花が、蒼空を背景に陽差しを受けて輝いている。早朝からホトトギスの声がかまびすしい。

内閣総理大臣への手紙

 菅直人氏が総理大臣に就任した。祝意として下記の手紙を送った。プライヴァシーに触れることはなにもないので、激励の意をこめてここに公表することにした(ごく一部は手直ししてある):

 総理大臣ご就任おめでとうございます。

 思えば社民連および21世紀クラブ以来の長いおつきあいで、そのときどきにかなり辛口のご意見などを申しあげ、失礼を重ねてまいりました。また昨年十一月には妻青木やよひの死去にあたりご丁重な弔電を賜り、心より感謝しております。そのお礼を申しあげねばと思いながら、副首相やその後の財務大臣など要職のご多忙を慮り、また私も彼女の死後の雑事に追われ、これも失礼いたしました。近くイスラームに関する私の翻訳書も刊行されますので、青木の遺著『ベートーヴェンの生涯』とともにお贈りしたいと思います。もちろん激務でお読みになる時間などおありにならないとは存じますが。

 
まだ組閣の最中であるにもかかわらず、各社の世論調査で支持率60パーセント台という驚くべき数値が公表され、菅内閣の門出を祝福する民意に私も共感しております。いうまでもなくその最大の原因のひとつは、「政治と金」の問題で辞任した前幹事長の影響を大胆に排除し、自民党のきわめて古い体質へと先祖がえりしつつあるかにみえた党の体質を開かれたものへと刷新し、党の役職や内閣の要に清新な顔触れを配置し、これならば民主党本来の方向や政策を実行できるのではないか、という大きな期待が生まれたからにほかなりません。

 
仙谷由人さんは私も旧知で気心が知れ、将来を期待していた方です(ご病気も全快なさったようで、きわめてお元気な映像をいつも拝見し、安心しています)。また枝野幸男さんは、私は面識ありませんが、亡くなった青木が、昔女性グループとともに政策懇談会でお会いし、きわめて政治的センスがよく、問題の所在を的確に判断できるひとだ、民主党(旧)にはいい人材がいると激賞していました。こうした方々が中心に位置するのですから、これでもし菅内閣が将来駄目になるとすれば、わが国の政治から希望というものがまったく消失することになります。高い支持率に押されてしばらくは沈静しているかもしれませんが、今後党内で葛藤が生ずるとしても、世論を味方にこの方向を堅持し、諸問題の解決にあたっていただきたいと思います。

 
現在世界は様々な難問に直面しております。いうまでもなくその根本は、ベルリンの壁崩壊後、IT革命により瞬時に世界をかけめぐる巨大流動資金と金融工学によって経済的世界制覇を意図してきたグローバリズムが、その内在的矛盾により崩壊し、金融のみならず経済全般の危機をもたらしたことです。メカニズムの矛盾が露呈したことにより、もはやグローバリズムの復活はありえません。現在進行中のユーロ危機も、グローバリズム崩壊の衝撃がもたらした副産物であり、各国の金融・財政政策が独立しているのに通貨だけを統合するというこれも大きな内在的矛盾が、いまとなって露呈しただけです。

 
また高度成長をつづけている新興諸国にしても、グローバリズムがもたらした貧富の格差拡大や潜在的不動産バブルなど、それぞれに深刻な内在的矛盾を抱え、いつかかならずその矛盾が露呈され、世界に新しい危機を生みだすにちがいありません。しかもそれらの危機はすべて連鎖し、連動するのです。

 
経済だけではありません。世界の安全保障も、冷戦時代の負の遺産をまったく整理できず、NATOなどの軍事同盟や軍事同盟化されつつある日米安保など、いわゆる力の均衡政策によってしか安全保障は維持できないという無意識の信仰がいまだに支配しています。国内のいわゆる平和勢力も、憲法第九条を守れと主張するだけで、日本の安全保障についてなんの代替案も示すことができません。日米安保の軍事同盟化こそが中国や北朝鮮を刺激しているという現実さえも見えないようです。日米軍事同盟の現実を踏まえながら、それを長期の安全保障政策の中にどう位置づけ、どう徐々に変え、日米中韓ロそして最終的に北朝鮮をも巻き込んで東アジアの集団安全保障をいかに構築していくか、という課題のなかで普天間問題をはじめ、当面の問題を位置づけていくしかありません。

 
国内的には、グローバリズム崩壊後の日本をどのように再建するかが課題です。グローバリズムに乗り遅れるな、国際競争に敗れるなら日本は衰退する、などといった先入観、あえていえばグローバリズムの亡霊は振り棄てなくてはなりません。なぜなら資源やエネルギーの無限の消費にもとづく経済体系や経済合理主義、そしてそれが生みだした肥大化する幸福追求の権利や欲望といった近代文明の病理そのものが問われているからです。それらを放置するかぎり地球環境の変動による人類の滅亡さえそう遠い将来ではないでしょう。

 
そのためには「環境立国」をひとつの柱としなくてはなりません。農林漁業の再建、自然エネルギーの徹底的開発、および自然そのものの回復をはかり、そのための産業や技術革新への大規模投資を図り、それが大量生産・大量流通・大量消費という現在の産業構造を変革させるような回路を創りだすことなどです。わが国が環境最先進国となれば、その技術革新や諸製品が新しい輸出産業となることはいうまでもありません。

 
もうひとつの柱は「知と文化立国」とでもいうべきものです。生涯教育や職業転換教育などを含む教育体系や制度を充実し、労働条件や環境を徹底的に改善し、社会保障を現在と違う形で充実し、それによって労働を創造の喜びに変え、余暇に知や芸術や伝統、あるいはポピュラー・カルチャーなど多様な選択の中で充実した人生を送れることを目標にし、そうした長期の視野のなかで、当面の問題の改革や改善を図ることだと思います。

 
菅内閣に期待するあまり長々と書いてまいりましたが、もちろん一引退知識人の寝言として無視してください。とにかくこれから大変な仕事が待ち受けていますが、身体と健康にはくれぐれもお気をつけください。私のほうはヨーガと自然食のお蔭で(ご関心があれば私のヨーガの本もお贈りしてもいいのですが)、かなり健康に暮らしています。少しでも暇があれば、身体を動かすこと、少なくとも呼吸法でもなさるといいと思います。

 
以上とりあえずの祝意、おくみとりください。

二〇一〇年六月七日
                 北 沢 方 邦 
菅 直人 様


青木先生と共有するベートーヴェン

2010-06-08 08:47:06 | 青木やよひ先生追悼

            
                  青木先生と共有するベートーヴェン     

                                寺本 倫子
 

 私が青木先生と初めて出会ったのは、1999年末でした。

 私は、幼い頃からベートーヴェンが大好きで、そのことで知人が紹介して下さったのがきっかけです。初めてお会いしたときは、ベートーヴェンの後期のピアノソナタや、弦楽四重奏曲について話しました。私は、特に後期の作品が大好きというか、最高傑作との思いが強かったからです。青木先生は、すぐさま、「あなたと5分もお話していたら、あなたがとても深いレベルでベートーヴェンを理解していることがわかりましたよ」とおっしゃり、すぐに、伊豆高原のご自宅へ招待して下さいました。その気さくさには感激極まりありませんでした。

 そして、2000年お正月早々に、伊豆高原のお家を訪問し、先生とお話をし、ご主人の北沢先生の手料理(これまた傑作!)を頂いたことをよく覚えております。ちょうど、私は、2000年3月に、ベートーヴェンゆかりの地を巡っての旅行が決まっていたところでしたので、強い縁を感じました。以後、青木先生と交流をさせて頂きました。

 今度、6月に演奏されます『ディアベリ変奏曲』は、私にとっては、ベートーヴェンの最高の贈り物と思っております。第32変奏の、まるで現代にも通ずるようなリズミカルなフーガ、第33変奏の、もう、手の届かない世界。私は、アマチュアですがピアノを弾き、一昨年、31、32、33変奏を発表会で弾きました。言葉にはならない程のベートーヴェンの愛情を満喫しました。

青木先生に心から感謝するとともに、いつも私の心の中に生き続けております。


青木やよひ追悼 レクチャー&コンサート
《悲愴》から《ディアベリ変奏曲》へ 『ベートーヴェンの生涯』を聴く
高橋アキ・・・・・【ピアノ】 
http://blog.goo.ne.jp/maya18_2006/e/12300789fe4a2f73dfa6725a84b44ac6
※当日券、多少ですがございます。お問合せください。


北沢方邦の伊豆高原日記【79】★緊急追加

2010-06-02 08:38:28 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【79】緊急追加


ならず者国家(a rogue nation)イスラエルの暴挙 

 5月31日早朝、地中海の公海上で、トルコやギリシアから出港したパレスティナのガザ救援物資を積み込んだ船団がイスラエル海軍の武装艇やヘリコプターに襲撃され、拿捕され、乗り組んだ平和活動家など10名の死者と多数の負傷者を出し、乗組員ともども全員が逮捕されるという事件が起こった。臨検や荷物検査というならともかく、公海上での武力による襲撃は、それだけでも国際法違反である。 

 中東はもちろん、欧米でもこれはメディアのトップニュースであり、各国政府は駐在大使を呼んでイスラエルをきびしく非難し、トルコ政府はただちに国連安全保障理事会に提訴した。 

 私は31日早朝のアルジャズィーラの断片的映像を交えたニュース速報を見て、これは大事件だと衝撃を受けたが、日本のメディアの扱いや政府の無反応に驚きあきれてしまった。とりわけ鳩山政権の看板であるはずの「友愛」はどこへ飛んでしまったのか。人間の心が読めず、国際的空気が読めないのは首相だけではない。メディアも政府も国会もそうだ。「平和の党」を標榜しているはずの社民党も声明ひとつだせないのか。 

 北朝鮮と双璧のならず者国家(ただしイスラエルの国内には曲がりなりにも言論の自由はあり、平和主義者も多い)イスラエルは、かつてナチスがユダヤ人に対して行った同じ行為をパレスティナ人や支援者たちに行っている。われわれの祖先は歴史をカガミ(鏡、鑑)と称したが、それは過去を映しだすとともに、そこに映しだされた誤りを教訓とするためである。たしかにわが国も、歴史認識の問題で中国や韓国に批判されているように近現代史をカガミとするにいたってはいないが、その反省を含めて、イスラエルの暴挙になんらかの声を挙げるべきである。


北沢方邦の伊豆高原日記【79】

2010-06-01 08:52:30 | 伊豆高原日記

北沢方邦の伊豆高原日記【79】
Kitazawa, Masakuni  

 ウグイスがあいかわらず盛んに鳴き交わしている。季節外れの低温でウツギの花、つまり卯の花はまだだが、いまやホトトギスの季節である。今年は珍しい鳥の囀りが聴かれる。すばらしい音量と美声で、4・5分鳴きつづけてもやまない。囀る方向に双眼鏡をむけても、樹々の葉叢にかくれて姿はみえない。図鑑で調べるが、クロツグミではないかと推察される。ご存知の方がいたらお教えいただきたいものである。

KY首相 

 鳩山政権が末期症状である。事業仕分以外ほとんどみるべき成果もなく、普天間問題、つまり安全保障問題をはじめ、迷走に次ぐ迷走でみずからの首を締めあげ、参議院選挙の前か、惨敗後か、とにかく小沢幹事長を道連れに総辞職のほかに手がなくなっている。 

 こうならざるをえなくなった原因は二つある。ひとつは政治家(ステーツマン)としての鳩山首相の資質であり、もうひとつはグローバリズム崩壊後のわが国をどう創りなおしていくかというヴィジョンやそのための長期政策の不在である。 

 日記【63】で書いたように、鳩山氏にほとんど期待はしていなかったが、これほどひどいとは思わなかった。総選挙直前の遠慮があり、そこには書かなかったが、鳩山氏を囲む会合が終わり、部屋にもどってきて放った青木やよひの第1声が耳に残っている。「あのひとって、どこか致命的なところが不感症ね!」。

 つまり私流にいいなおせば、人間の心のわからないひとということである。数年前KY、つまり「空気が読めない」ということばが流行し、前首相は「漢字が読めないKY」だといわれたが、現首相は「心が読めない」、くわえて国際的「空気が読めない」KYである。 

 わが国の安全保障問題をもう一度深く考える契機を与えてくれたという功績はあるかもしれないが、普天間基地を「国外、最低でも県外移設」と公言し、辺野古移設をなかば諦めかけていた沖縄県民に希望をあたえ、心をゆさぶった挙句に辺野古回帰とは、数万のひとびとの「怒」のプラカードで会場が埋め尽くされても当然である。問題はここまでこじれた以上、辺野古着工はきわめて困難であり、普天間現状維持がかなり長期間つづくことになる点である。政権が代わったとしてもその困難に変わりはない。鳩山氏は次期政権にとてつもない課題をあたえてしまった。

長期ヴィジョンと政策 

 グローバリズム崩壊後の世界で、わが国をどのような方向に導くべきか、というヴィジョンや長期政策は、民主党に限らずどの政党ももっていない。「支持政党なし」が世論で第1党となっているのはここに根本原因があるが、むしろこうしたヴィジョンがなくてどうやって政治をしていくつもりですか?と全政治家に問いたいほどである。 

 グローバリズム崩壊は一つの契機、あるいは象徴にすぎない。とにかく近代文明を支えてきた資源やエネルギーの無限の消費に基づく経済体系や経済合理主義、それによって生み出された肥大化する「幸福追求」の権利と欲望をこのまま放置するかぎり、地球環境の変動による人類の滅亡はそれほど遠い未来ではない。とにかくシステムを根本的に変えなくてはならないのだ。 

 そのための方策のひとつは、すでにたびたび言及してきたように「環境立国」である。大量生産・大量流通・大量消費の機構を改めるために、農林漁業の再建や自然エネルギーの徹底的開発、および自然そのものの回復を柱とし、そのための産業や技術革新への大規模投資を図ること、それが第2次・第3次産業のシステム的変革をうながすような回路を創出していくことなどである。もしわが国が世界的な環境先進国となれば、その技術革新や製品が、あたらしい輸出産業の中核となるだろう。 

 もうひとつは、芸術や教育を含む「知と文化の立国」である。これについてはいずれ詳しく書きたいと思っているが、労働条件や労働環境の徹底的な改善を図り、宮沢賢治のいうように労働をなにものかを創りだす喜びのひとつの源泉とするとともに、余暇を人間の生きる充実した時間とし、それを知や文化にかかわる産業の場として育成していくことである。 

 経済をはじめとする激烈な競争社会を離脱し、平和で安定し、生活が保障されるうるおいとゆとりのある社会をだれもが潜在的に希求しているが、近代文明のもとでは実現不可能と諦めている。だがむしろグローバリズム崩壊のいまこそ、そうした社会への転換や変革が可能なのだ。国際競争からの離脱は日本の衰亡をもたらすなどという言説は、まさにグローバリズムの亡霊にすぎない。われわれはまず、いわゆるおんぶお化けのようにわれわれ自身にまつわりついているこの亡霊を振り棄てなくてはならない。なにごとにもよらず、一切の先入観を振り棄てたとき、見えてくるものがあるのだ。