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御柱祭へ(上社建御柱)

2016年05月08日 12時16分00秒 | 原村の記録
御柱祭の里曳きは、晴天に恵まれ最終日の5日を迎えました。
原村はまだ桜が見られます。



運動公園に車を停めて、歩いて祭に向かいます。
4月に見た木落しの坂を左手に見ながら、中央線をくぐりました。



お祭りの旗と御柱を曳いた跡を追って歩きました。

川越しの場所です。
あのときは川を塞き止め深くなっていました。
祭が終わると長閑な場所です。



川越しを終え、山出しのクライマックスを迎えた場所です。
ただの空き地ですが、御柱屋敷として8本の柱が並び、皮剥き等の里曳きの準備が行われました。
次回は、並んだ所も見てみようかな🎵
だんだんマニアになってきてます。



前宮に着きました。



前回の御柱では、境内で建御柱を間近に見ています。なので、知っているつもりでしたが、改めて「ここを引っ張り上げるのか😲」と、驚きます。
左右のお堂の屋根の間をめどでこを通すのも大変らしいです。







御柱4本は前日の4日に建っていて、この日は撤収作業が続いていました。









この小川の近くで御柱の木っ端を拾っている方々がいました。
私も拾ってみました❗





ここで12時になり空腹になったので、持ってきたおにぎりを頬張ってから、本宮まで歩きます。

すでに4本の柱は境内に入っていて、朝から4本一斉に建御柱の準備は始まっています。
今回から氏子以外は境内に入れないので、「外からでも見られるかなぁ…」と不安に思いながら本宮に向かいました。

御柱祭りは、地元のケーブルテレビ(LCV)によってずっと生中継されているので(祭りが終わっても再放送が続きます)、どんな神事があって何をしているのかについては詳しくなりました。



本宮に近づくと、本宮二の柱が鳥居の向こうに見えます。
意外と近い感じ?
上げる準備を終え、次々と記念撮影をしていました。

この場所に何時間立っていたかな?



規制線の目の前で、警備の人が並び、氏子さんの出入りもある場所です。
後から考えるとこの場所である必要はなかったのです(少し離れたアングルからの方が良く見えたかもしれません)。
建て始めたら旗がズラッと並んで見えにくかったし…。

でも、ここはここで面白かったと思っています。

警備の人たちは、地元の消防団の若者、警察官、地元のおじさんです。

警察官は諏訪が地元ではないので、御柱祭りのことをよく知りません。
警察官は無線を持っているので情報は入ってくるのですが、それだけでは分からないこともあります。
私たちのいた場所から中に入れていいのは、「若れん」という人たちだけなのですが、一般の氏子と区別ができないんですよね。
「若れん」と書かれた法被を着ている人もいるし…、でもそういうことじゃないんです。
そういう説明や祭でどういうことをやるのかを、消防団の若者が警察官に教えていました。


消防団の若者は、先輩が来て「入れてよ」なんて言われながら、やんわり断るのに苦労したり。
地域のお偉いさんは、「まあ、まあ」と言いながら、親戚の人たちを招き入れちゃうし。
酔っぱらったおじさんは、ニコニコ入ってきちゃうし。


観光客は観光客で「地元のお祭りって言っても、我々だってお金を落としている」とか「救護の人が邪魔だから端に寄れ。座れ。」とか。
(最終的には警備の方たちは座ってくれましたよ。お祭りなんだしね。別に見せないようにするつもりもないと思うんです。何故座ってくれますかとお願いできないんでしょうかね?)
「登らないでください」と警官に注意されても、石垣から下りない人とか。
(警備担当の地元のおじさんが「降りろ。こらぁ」って一喝すると、サッと降りるのが可笑しかった


綱を引っ張って楽しむ氏子さんや、めどでこに乗って誇らしい気持ちの方々の周りには、この勇壮なお祭りを作っている人たちがたくさんいるんだなと実感しました。
境内に入れないのは残念でしたが、いろんな意味で臨場感を味わっちゃいました。









次回は、違うアングルからもっとよく見たい気もするし、原村に移住して氏子として境内に入りたいという気持ちもあります。
LCVの中継で、「祭りが終われば、次の御柱に向けてのスタートです」とアナウンサーが言ってましたけど、ちょっと近い気持ち


ずっと立っていて疲れたので、車まで歩くのがきつい…。
こういう時にランニング好きの夫がいると助かります。
嫌な顔せず、走って車を取りに行ってくれました。

待ち合わせ場所まで歩くとき、八ヶ岳がきれいに見え、四本の柱が無事に建ったこともあり、とても嬉しい気分でした。




この一時間後くらいに本宮一の柱で落下事故があり、男性が亡くなられました。
存分に祭りの華やかさを楽しみ、祭りに賭ける人たちの姿を見ていたので、本当に残念です。
死亡事故が付き物のように言われる祭ではありますが、悲しい思いをしている人がいるのは辛いことです。

今も頭の中を「木遣り」や「喇叭」が鳴り響いている感じですが、その音にはいろんな気持ちが混じっています。


翌日はカレンダー通りのお仕事ですが、祭りの後に帰っても間違いなく大渋滞。
6日の朝に4時起きして、4時半出発で東京へ帰りました。
6時過ぎには家に着き、7時にはまた出勤のために家を出たのです。
さすがに、ちょっと疲れたかな。
まぁ、勢いで1日頑張ればまたお休みだったからね






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