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‘23-​4-18 “顧客管理...”

2023-04-17 21:55:58 | Massy's Opinion
★Massy’s Opinion
*僕の顧客管理の歴史
・年賀状1957~1971
何の商売でも顧客管理は大切だ。人間関係がどんなAT技術の進歩があっても、人と人の関係をキープする事が大事。僕は、自動車の販売会社に入社したので、初めて配属された部署は間接部署だったが、いつ営業に替わってもいいように、学友中心に約250枚の年賀状をスタートに、その後、日産メーカー、運輸省陸運局関係を中心に400枚位の年賀状を出していた。
・営業所長時代 東日 渋谷、八王子1974~1979
大体、一つの営業所の勤務は3年、5年位が、どんな会社でも、常識的な期間だろう。この時代の自動車需要は大きく発展した時代だったがトヨタの追い上げが厳しく、競争激化で経営は苦しくなるばかり、営業所の数も増えたが、会社の経営状態は日に日に苦しくなってきた。なんとか自立できるディーラーにする為には「拠点別経営」が大事、それにはサービスと部品の利益で固定費の80%位がカバーすることが必要だと考えた。サービス工場の入庫車両を分析すると、営業所で納車した車と同系他社で納車した車が整備に入っている事、交通状況で、工場に入って来る車両がある事が解った。この車両の認識がしやすい様に営業所の頭文字のステッカーを貼ることにした。自分の営業所で納めた車は「青」サービスだけで工場に入る車は「赤」、そして、サービス工場は、「ラベル付きの車で満杯にしよう」セールスには、特に「赤ラベル」の車は、「代替」の目標ユーザーだよと指示をした。これは、営業所員の意識統一には効果的であった。ある時、営業所の部下を連れて銀座へ飲みに行った。タクシーが拾えない時代だったが、ちょうど「青のS」マークのブルーバードが止まっていた。連れに「おい、この車〇〇さんの車だよ、もうじき店も終わって出てくるよ...お客さんがいなければ、乗せてって貰おうよ」しばらく待っていると〇〇さんが出て来た。「〇〇さん、お客様いるの?」「いないわ家に帰るだけよ...」「済みません渋谷まで乗せていって下さいよ」「いいわよ、送ってあげる...」「みんなお願いしよう...」翌日、連れて行った部下が、「所長、マークの効果ありますね...」「ああ、顧客管理だよ」と言うことがあった。
ある時、交差点で隣にSマークを付けた車と並んで停止したことがあった。お客様、車の調子は如何ですか?」「車は調子いいよ、だけどセールスは買ったら後1度も来ねえよ...」
と言われたことがある。「済みませんね、セールスは誰ですか?」「Kだよ...」なんとトップセールスだった。「あんた、よく解るね...」営業所へ戻ってから、Kを呼んで、「すぐ整備を一回サービスしろ、と謝って、紹介を頼め...」と指示をした。
・リース部時代1981~
この時代も、リース車両にはラベルを張った。「L」と言うグリーンの一番いいデザインだった。ある時、営業課長が、「部長ラベル止めましょうよ...」と言って来た。理由は、「競争相手のリース会社に狙われて困る」とのこと。リース専業会社が乱立しだし、金利競争に成りだして来た時代である。特にオリックスは9%代の金利でフリートの客を狙っていた。ディーラーは月賦販売の18%位の金利でリース料を組むので全く競争に成らない。そんなことで格好いいラベルは中止にした。個人リースの1号はファレデイーZを銀座のママと契約したのだが、ウインドにラベルを貼るのが嫌いで、3回剥がしてしまった。車は丁寧に使う人だった。ある時、我が家の前にその車が止まっていて驚いた。我が家の前の家にジャズで有名なバイブ・プレイヤーが居たが、その人にジャズを習いに来ていたのだった。
・中古車時代1984~
この時代は、ラベルのロゴに困った。「usedcar」の「U」はどうもお客様が喜ばない。
ダットサン510型の商品化をメーカーの中古車部と話し合い協力して貰い、グリルを3Sの物を使い色も白だけにして仕上げたが、これは大ヒットした。ラベルの替わりにナンバープレートの飾り枠を付けて販売した。
・日産特販時代 NIFSCO1991~1999
自動車の社名は各社とも命名に苦労していた物だ。商標登録をしたりして、保全に努めている。日産特販はフリート・ユーザーを専門にして、地域、全車種扱いの戦略会社である。そのために英語の社名もNissan Fleet Sales Co としてメーカーの知的所有権部の了解を取り、ラベルを作った。社内の顧客管理としては、お客様の帳簿価格が解るようなシステムを組んだ。特にタクシー会社は、保有台数も決まっているので、東京、神奈川のタクシー車は全部お客様の帳簿価格が解るので、営業マンに指示するのにも具体的に下取り価格、お客様の帳簿上の「売却損」が発生しないように指示できたし、ミヤンマーに350台中古車を輸出する時に車集めには非常に役立った。現在では、ディーラーの再編成も大規模に行われているので、如何なっているか?解らない。
・咋今、市場は縮小気味でどんな商品でも顧客管理の必要性は最重要課題だ。AIの発達ですぐAI頼りに議論が進みがちだ。僕は、顧客管理には「視認性」と社員の十分な「顧客様第一の考え」の徹底が不可欠だと考えている。車が工場に入って来た時、フロントマンの第一声が大事だ。AI頼りでないお客様に対する認知度が必須だと思う。眼鏡の老舗「イワキ」では、僕は35年位使って居るが、一番初め僕が買った眼鏡から詳細の記録が数枚のカードに記録されている。女子の営業マンは、それを見てお客と対応する。先日、「お宅はAI使っていないの?」「勿論、使って居ますよ...」「でも、古いお客様には、この方が失礼にならずいいんですよ。」

P,S
そうそう、思い出した。日産特販は、本社が芝浦、港南 渋谷時代の銀座の女性が雪ヶ谷に引っ越して居たが、海外旅行をするからって、一萬数千円の傷害保険を入りに来てくれた。嬉しかったね...彼女のお店は、高級店だったので、一度もお客として行ったことはない。彼女は秋田のお医者さんの所へ嫁いだ。ある時、八王子のマイカーで売った中古車の411型ブルーバードが特販の工場に入庫した。僕は、フロントに出ていたので、「お客様この車八王子でお求めになったのですね...ナンバープレートの枠をあの時は付けていたんですよ...」お客様は、驚いていた。僕は、お客様の行動半径の広さに驚いてしまった。








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